第26話
悪夢を砕く友情の絆
夢幻超獣 ドリームギラス 登場!
物語の時系列は、ここで才人達がラグドリアン湖へと向けて出立した、その一週間前に遡る。
大宇宙に、二つの衛星を従えた青く輝く美しい惑星がある。その惑星をめがけて、宇宙のかなたから二つの禍々しい気を放つ影と、それらを追う一つの紅く輝く光が近づいてきていた。
二つの邪悪な影はその後ろから追撃してくる光から逃げようと、すさまじいスピードでこの星系に突入してきた。
しかしいくら逃げようと、その光はぴったりとくっついてきてまったく振り切ることはできない。それでも二つの影は進路上の邪魔なアステロイドやスペースデブリを砕きながら猛烈な勢いで飛び回り、まるで何かに引き寄せられるように、一直線にその美しく輝く星へと迫っていった。
そして、二つの影の目は、目の前に現れた惑星の美しさに釘付けになった。その惑星は、地球を宇宙に輝くエメラルドとすれば、サファイアに例えてもいいくらいに、水と空気に恵まれて、暗黒の宇宙のなかで青く煌々と輝いている。きっと、生命も豊富であろう。二つの影はこの星を見るやいなや、その根源に刷り込まれた本性に従い、凶悪なうなり声をあげて、その惑星の特に強烈なエネルギーを発生させている北半球の半島状の地方に進路を向けた。
だが、彼らは本能に従うあまり、自らが追われる立場にあることを忘れていた。
星に降ろしてなるものかと、急追してきた赤い光から、一方の影に向かって光弾が放たれた。
油断していたその一方は直撃を喰らって半島のほうへと墜落していった。だが、先行して攻撃をかわしたもう一方は、自分を呼ぶ何かが存在するであろう半島の北方に浮かぶ浮遊大陸に進路を向け、赤い光もその後を追っていった。
それは誰も知らない宇宙でのできごとであった。
それから六日後。
まだ才人達が平穏な日々を満喫しているころ、トリステイン魔法学院にまだ昼間だというのに一羽のフクロウが飛んできた。
それは、学院の上空にやってくると、何かを探しているかのようにしばらく旋回を続けていたが、やがてある一室の窓に向かって真っ直ぐに舞い降りていった。
その数時間後、学院から二人の生徒が姿を消したころから、この事件はもう一つの顔を見せ始める。
やがて、春から夏へ差し掛かる時期の長い太陽も山影へと姿を隠し始める時間が来た。その西日を受けながら、トリステイン国境をガリアに向かう飛竜の上に二人の姿はあった。
「ねえタバサ、もうすぐあなたの実家よね。あなたの実家がガリアにあるって、はじめて知ったわ」
「……」
それはキュルケとタバサの二人だった。乗っている飛竜はもちろんタバサの使い魔のシルフィードである。
昼間、タバサの部屋に遊びに行ったキュルケは、彼女が実家に帰るために旅支度をしているのを見て、強引に彼女にひっついてきたのだった。
「ね、なんでトリステインに留学してきたの?」
しかしタバサは答えなかった。ただじっとひざの上の本に視線を落として見つめ続けている。そしてキュルケはそんなタバサの様子を見て気づいてしまった。彼女が魔法学院を出て以来、開いていた本のページは最初から一枚もめくられてはいない。
キュルケは、尋ねるのをやめるとシルフィードの上に腰掛けなおして、夕焼けに染まりつつある景色に目をやった。どうもいつもと違う雰囲気を感じてついてきたが、何かただならぬことがこの先の彼女の実家で待っているのかもしれない。ならば無理に聞き出さなくても、時が来ればおのずとわかるだろう。
性格から趣味趣向全てがコインの表と裏のように違う二人が友達になれたのは、磁石のSとNのように不思議な相性のよさがあるからだけではない。聞かれたくないことを無理に聞いたりしないから、安心しあえるのだ。
「大丈夫よ。なにが起こったって、このあたしがついてるんだから」
キュルケの、楽天的だが母親のように優しい声が、広い空に短くこだましていた。
そして、初夏の長い太陽も山影に姿を消し、二つの月と無限の星空が天空に瞬くころになって、シルフィードはタバサの実家に到着した。
そこは、古い立派なつくりの大名邸……さらに、門に刻まれたガリア王家の紋章を見てキュルケは息を呑んだ。しかし、よく見るとその紋章は大きく傷つけられ、王家としての称号を奪われていることが読み取れた。
屋敷に着くと、たった一人のペルスランと名乗った執事に出迎えられ、二人はホールにまで案内された。
「お嬢様、お帰りなさいませ」
「……」
タバサは答えずに、キュルケに「ここで待ってて」と言い残すと屋敷の奥へと去っていった。
キュルケは、タバサが去っていった後の扉をじっと見つめていたが、ペルスランが紅茶と茶菓子を運んでくると、思い切って老執事に尋ねてみた。
「この屋敷、見受けたところ王弟家のものと思いますが、どうして不名誉印などを飾っておかれるのかしら?」
「……あなた様は、シャルロットお嬢様のお友達でいらっしゃいますね。よろしければ、お名前をうかがわせていただいてよろしいでしょうか」
「ゲルマニアのフォン・ツェルプストー。ところで、シャルロットと言われましたけど、それがあの子の本当の名前なのね。ああ、わからないことだらけだわ、タバサったら、何も話してはくれないから」
キュルケのその言葉を聞いて、老執事は悲しげにうつむくと、やがて静かに語りだした。
「そうですか、お嬢様はタバサと名乗っておいでで……わかりました。お嬢様がこの屋敷にお友達を連れてこられるなど、長年絶えてなかったこと……お嬢様が心許すお方なら話してかまいますまい。ただし、愉快な話ではありませんぞ」
「ええ、わたしも少しは察しがついてるわ。お願いしますわ」
「……では、お話しましょう。オルレアン家の神にも見放された歴史を……この屋敷は牢獄なのです」
そのころ、タバサは屋敷の一番奥の部屋を訪れていた。
この部屋の主がノックに応えなくなって、すでに三年が過ぎている。そのころタバサはわずか十二歳だった。
扉を開け、中に入ったタバサを、殺風景な部屋が出迎える。この三年間、何十、何百回と繰り返してきた出来事が彼女を襲うとき、その胸の奥に渦巻く冷たい雪風と、煮えたぎるような憎しみを知るものは、これまであの老執事一人しかいなかった。
「継承争いの犠牲者?」
ペルスランから、タバサの家の秘密を聞かされ、キュルケは驚きを隠せずにいた。
タバサが本当はガリアの王族であり、本当の名前はシャルロットということ。彼女の父上のオルレアン公は現ガリア王の弟で、人格・能力ともに次期国王として確実と目されていたが、それゆえに悪意の対象となり謀殺されてしまったこと。残された、力のないタバサの母は娘の身の保障と引き換えに毒を仰いで心を病み、シャルロットもタバサと偽名を名乗り、言われるがままに北花壇騎士として国の汚れ仕事をさせられていると知った。
考えてみれば、タバサとは随分ふざけた名前だ。遠方から来たという才人は気にしなかったようだが、ハルケギニアでは犬猫につけるような名前、貴族で自分から名乗る者など普通はいない。
「そうだったのね……」
想像をはるかに超える壮絶なタバサの過去に、キュルケはそれ以上の言葉を失った。
タバサとは、彼女の母親がシャルロットに買い与えた人形の名だという。それを自らの偽名に使い、憎い敵に手紙一枚で命がけでこき使われる彼女の心境は想像に余りある。
ここに来る前に、ページをめくらぬ本を見つめ続けていたときも……
重苦しい沈黙がしばらくホールを支配した。
だがやがて扉が開き、タバサが戻ってくると、ペルスランは一礼して王家からの……差出人はあのイザベラからの手紙を彼女に手渡した。
「明日とりかかる」
タバサは一読すると、読み始める前と変わらぬ態度で短く言った。
「了解いたしました。使者にはそう取り次ぎます。ですが今回の任務の場所ですが、一週間ほど前に星が落ちたとかで、最近は近辺の住民にも不吉な噂が流れたりしております。くれぐれもお気をつけください。ご武運があらんことをお祈りいたしております」
ペルスランはそう言い残すと、一礼して静かにホールを立ち去っていった。
タバサはキュルケに向き直ると、口を開こうとしたが、それより一瞬早くキュルケの言葉が彼女の口を塞いだ。
「これ以上は来るなって、そう言いたいんでしょ? でもね、悪いけどさっさの人に全部聞いちゃったの。だから、わたしも着いていく。いやとは言わせないわよ」
「危険!」
少しだけ動揺を見せて制止しようとしたタバサだったが、肩を優しく抱いてキュルケは言った。
「だったらなおさらよ。わたしを、あなたを一人で行かせて黙ってられるような、そんな女だと思ってるわけ」
タバサは何も答えない。ただじっと下を向いてうつむいていた。
その夜、二人は同じベッドでいっしょに寝た。
タバサは気を張り詰めて疲れたのか、すぐに寝息を立て始めた。けれどもキュルケは、そんな彼女のあまりにもあどけなく、もろく儚げな寝顔を見ていると、中々さっき聞かされた話が頭をよぎって眠れなかった。
「安請け合いしちゃったけど、こりゃ大事ね」
ぽつりと、独り言をキュルケはつぶやいた。ガリア王家がタバサを体よく始末しようとして送りつけてくる依頼。もしかしたら死ぬかもしれないが、それでキュルケの決意が変わるわけはなかった。
そんなことより、彼女にはこの小さな友達のほうがなにより大事だった。仮にこの任務を無事に終えることができたとしても、それで終わることは無く、王家は次々に困難な依頼を送りつけてくるだろう。それから、果たして自分はタバサを守ることができるだろうか……
「母さま……」
タバサが寝言をつぶやいた。キュルケはぴくりと反応し、彼女の顔を覗き込んだ。
「母さま、それを食べちゃだめ。母さま」
寝言で、何度も何度もタバサは母を呼んでいた。額にはじっとりと汗がにじみ、息はぜん息の患者のように荒れている。
"父さま、母さま……"
夢の中で、タバサは十二歳のころに戻っていた。
優しかった父、美しかった母、輝くような幼い日の思い出が走馬灯のように通り過ぎていく。
しかし、ある日突然父の訃報が届いたときから、光は漆黒に塗りつぶされていく。
"父さま、なぜ父さまが死なねばならなかったの? 父さまがどんな悪いことをしたっていうの?"
父の死から程無くして呼ばれた宮中で、自分と母を待っていたのは父を追い落とし、玉座を奪った父の兄と名乗る男の冷たい視線だった。
"この男、この男が父を殺した!"
タバサの心に、その男の顔が浮かぶたびに、抑えきれぬ憎悪がその胸を焼く。
その当時、幼かったタバサにはそれはわからなかったが、彼女の母は今のタバサと同じ気持ちだったろう。
「この子は勘当いたしました。わたくしと夫で、満足してくださいまし」
毒の料理を前にして母が言い放った言葉に、その男は口元を歪めてうなづいた。
"母さま、それを食べちゃだめ。母さま"
夢の中で、タバサは何度も母に訴えたが、その声は過去に届くことはなかった。
そして、その日から彼女は母を失った。
それからの人生は、茨の道を素足で歩くのと等しいものであった。
屋敷に残されたのは心を失った母と、たった一人だけ残留を許された老執事のみ。
与えられたのは、シュバリエの称号とガリア北花壇騎士という年端もいかない少女にはふさわしくない身分。
「仇を討とうなどとは考えてはなりませんよ」
母は最期にそう言い残した。
しかし、一度にすべてを失った幼子が自己を保つには、憎しみにすがるより他に術はなかった。
"あなたをこのようにした者どもの首を、必ずここに並べに戻ってきます"
病床の母の前で、幾百と繰り返してきたその言葉。
あるときは高山に巣食う巨大竜退治。
またあるときはリュティスの闇世界に潜む悪徳賭博組織の壊滅。
任務の難易度は回を越すごとに増していった。
"寒い、熱い、痛い、苦しい"
頼れるものも、すがれるものもなく、ずっと一人だった。
そんな月日が始まって、いつの間にか二年が経ち、子供から少女へと成長した彼女はトリステイン魔法学院への留学を命じられる。
それが、二年もが経ってもなお、いかな困難な任務にも生還し、ますます実力に磨きをかけてきた彼女を体よく遠く、なおかつ目の届く場所に置いておこうという魂胆によるものだということは明らかだった。
学院に入学してからも、最初からタバサは他人と関わる気はまったくなかった。
いつ死ぬかわからない世界で生きている自分には、もはや友など必要ないし、関係ない人間を危険に巻き込むことはできない。そうして、タバサは他人との一切の交流を絶って、無言のまま学院を生きてきた……はずだった。
あるとき、タバサはプライドだけは高くて、ほかの一切がともなわない貴族の悪い見本のような生徒達に因縁をつけられ、同じくそれらの生徒達とトラブルを起こしていたある生徒と、つまらぬたくらみのために決闘をすることになった。
結果は、引き分け。
そして、誤解が解けたあと、その相手といっしょに首謀者の生徒達を散々痛めつけてつるし上げたときは、何年ぶりかの愉快さを感じたものだ。
「本くらいなによ、あたしが本の代わりに友達になってあげるわよ」
そのとき言われた言葉は、今でも強く心に残っている。
それが、タバサが沈黙のままに友情を認めた最初の相手、キュルケとの出会いであった。
それからの一年は、学院はタバサにとって悪い場所ではなくなった。
命がけの任務は相変わらずだったが、かたときの平穏に勝手にずかずかと入ってきて、飽きずに大きな声で周りを騒がすかけがえのない存在がいるようになった。
そして、二年生に昇級してからは、また驚きの連続であった。
使い魔として学院の授業で呼び出した韻竜のシルフィードはキュルケに負けず劣らずよくしゃべり、さらに時には命をかけて自分を助けてくれる二人目の友になった。
ゼロのルイズ……一年のころは気にも止めていなかったが、様々な事件を通じて共に行動するようになって、その勇気と、誇り高さはまぶしいくらいだ。
本当にシャルロットは明るい子だな……幼いころ父によく言われていたことが、彼女を見ていたら思い出す。
さらに、その使い魔のサイト……人間が使い魔として召喚されるとはどういうことだと思いもしたが、それほど気にしていなかったおかしな服装をした平民の少年。
しかし、普段はとぼけていながら、いざというときの勇気と、優しさは太陽のようだ。
いつの間にか、タバサの心には大勢の人が住むようになっていた。
だが、それでもタバサの心には決して拭い去ることのできない暗い闇が根付いていた。
今もまた、死ねとばかりの任務を送りつけてきた男の顔が浮かぶ。
"憎い"
そいつと結託し、寄生虫のように権力と富を欲しいままにしている連中の顔が浮かぶ。
"いつまでもそうしていられると思わないで"
これまで退治してきた怪物達、始末してきた悪党や王家の敵達の憎しみに満ちた声が蘇ってくる。
そのとき、タバサの心に憎んでもあまりあるあの男の声が響いた。
「お前は死ぬまで、おれの飼い犬さ」
カッと、タバサの心に怒りと憎悪がひらめいた。
しかし、その声は夢の中で黒い手となってタバサの心の中のわずかな光を握りつぶそうとしてくる。まるで、お前にはそんなものは必要ないさといわんばかりに。
父と母との思い出の光景が、任務の中で出会った人々とのわずかな心の交流の思い出が、次々と塗りつぶされて消えていく。
"やめて! やめて!"
タバサは叫ぶが、体は凍り付いてしまったかのように動かない。
さらに、闇の手に、これまで倒してきた敵の姿が加わり、嬉々とした歪んだ笑みを浮かべて、タバサの部屋、母からもらったドレスを引き裂き、仲のよかった使用人達を追い回して食らってゆく。
"やめてやめてやめて!!"
必死の叫びも、その者達に邪悪な喜びを与えるばかり。
そして夢のビジョンは現代、トリステイン魔法学院の風景に移り、闇は一つに凝縮していき、一個の巨大な怪物の姿、夢魔となって具現化した。
それは、真っ赤な全身に崩れたタツノオトシゴのようないびつな頭を乗せた超獣!
タバサ自身の心の闇が生み出した悪夢の化身、夢幻超獣ドリームギラスが現れたのだ。
ドリームギラスはその巨大な体で魔法学院を破壊しはじめた。
強固な外壁も超獣の力にはかなわず、砂の城のようにもろく崩されていく。
"やめて! やめなさい!"
生徒や教師達が逃げ出していくが、ドリームギラスは口から強烈な水圧の水を吐き出して逃げ惑う人々を打ち据え、地面に叩きつけていく。
調子に乗ったドリームギラスは、そのまま勢いに任せて、タバサの住んでいる寮、キュルケ達とともに学んだ教室、安住の場所の図書室を次々に破壊していく。
"やめて、壊さないで!"
学院が一撃崩されるごとにタバサの心は強く痛んだ。
そのとき、学院からシルフィードやキュルケ、ルイズやサイト、彼らが飛び出してきて勇敢にドリームギラスに挑んでいった。
"やめて! 逃げて!"
必死に彼らに叫ぶが、タバサの喉は石になってしまったかのように音を発しない。
剣が、魔法が巨大な敵に挑んでいく。だが、悪夢はあくまで残酷だった。
ドリームギラスが口から高圧水流を吐くと、彼らはまるで紙細工のようにもろくつぶされていった。
"あ……ああ……これ以上、わたしから何を奪おうというの……"
仲間も、友も失い、絶望の声がただ流れた。
しかし、ドリームギラスはタバサの心を嬉々として破壊し続けていく。
そして、奴はついにタバサのもっとも触れられたくないものを破壊しにかかってきた。
夢のビジョンは再び変わり、風景は見慣れた自分の屋敷になった。
ドリームギラスは門のところから、ゆっくりとこれ見よがしに庭の木々を踏み潰しながら屋敷のほうへと進んでいく。
"まさか! それだけは、それだけはやめて!"
奴が何をしようとしているのか、それに気づいたタバサは血を吐くような絶叫をあげた。
あそこには、病床の逃げることすらかなわない母がいる。
"母さま! お願い逃げて! 逃げて、逃げて逃げて!"
のども裂けんばかりに叫ぶタバサの声は、まるでガラスケースに閉じ込められてしまったかのように、誰にも届かない。
それに手も足も動かない。
魔法も使えない。
誰も助けに来てはくれない。
モウワタシニハナニモノコッテイナイ……
"母さま……あなたを失ったら、わたしは本当にからっぽになってしまう……"
タバサの手が、悪夢の空をむなしくきった。
かに思えたそのとき……
空を掴んだかに見えたその手を、誰かがしっかと握り締めた。
"!?"
一瞬、幻覚かと思ったが、それは確かにタバサの冷たく冷え切った手を握り、暖かさが伝わってくる。
そして、彼女の心に忘れることのできない、熱く、それでいて優しさのこもった声が響いてきた。
「大丈夫、あなたは決して冷たくなんてない。この微熱が、全部あっためて溶かしてあげる。それに、あなたには強い味方が大勢いる。困ったときは、必ず誰かが助けに来てくれるから」
冷たい世界が、次第にぬくもりへと変わっていく。
闇に日差しが、光が差し込んでくる。
その光景に、悪夢の化身は驚き、慌てていく。
だがドリームギラスはタバサの心のもっとも弱い部分を切り崩すことで、一気に再びその心を闇に閉ざそうと、タバサの母の眠る屋敷に向かってその腕を振り上げた。
"母さま、逃げて!"
タバサが叫ぶ。もう止められない、間に合わない。
希望はこのまま絶望に変わってしまうのか。
「大丈夫、お姫様がピンチのときは、ヒーローが必ず来てくれるから」
ドリームギラスの手が今まさに屋敷にかかろうとしたその瞬間。
突如、その眼前にまばゆい光が走り、ドリームギラスを吹き飛ばした!
あの光は!! タバサはその力強い光が何であるのか知っていた。
やがて光は集い、ひとつの姿を形作っていく。
そう、闇を照らせる唯一のものは光、その光の化身こそが、強く輝く銀色の巨人!!
今こそ輝け、ウルトラの光!!
心で叫べ、正義の使者のその名を!!
"ウルトラマンエース!!"
人の心を自ら生み出した闇が染めるなら、それを祓うのもまた人の生み出した心の光。
屋敷を守るように立ちはだかり、光の戦士が光臨の雄叫びをあげる!!
「ショワッチ!!」
今、タバサの心の光に答え、悪夢を砕くべく夢の世界にウルトラマンAが光臨した!!
「ショワッ!!」
エースはドリームギラスへと真正面から立ち向かっていく。
気合一閃!! 必殺チョップが腹を打ち、メガトンキックが巨体を揺さぶる。
「デヤァッ!!」
首根っこを掴んで力の限り投げ飛ばし、悪魔の巨体が宙を舞い、大地に激しく叩きつけられる。
しかし、ドリームギラスは起き上がると、口から真っ赤な水をエースに吐きつけてきた。
"危ない!"
だが心配は無用、そんなちょこざいな手など効きはしない。
エースは体の前で両腕を回転させ、光の壁を出現させた!
『サークルバリア!!』
赤い水は全てバリアにはじかれてボタボタとこぼれていく。
水が尽きて悔しがるドリームギラス。
それで終わりか! ならばこっちの番だ!
エースは天空めがけて大ジャンプ、天の光を背に浴びて、流星のごとくドリームギラスめがけて急降下キック!
「トォーッ!!」
顔面直撃、ドリームギラスはひとたまりもなく吹っ飛ばされる。
"やった!"
思わず歓声をあげるタバサ、それに答えてエースは額のビームランプに両手を揃える。
『パンチレーザー!!』
青色破壊光線が超獣の額に命中、いびつに歪んだ顔面をさらに黒こげに染めていく。
けれど、こんなもので終わりはしない。
エースはドリームギラスに向けて猛然と突進していく。
"がんばれ! エース!"
いつの間にか、タバサは幼子のように声を張り上げてエースを応援していた。
そのとき、タバサの肩を誰かの手がぽんと叩いた。
「言ったでしょ、ピンチのときには必ず誰かが助けてくれるって。正義の味方はどんなところにだって来てくれるのよ」
振り返ると、そこにはいつものように元気いっぱいな笑顔を浮かべているキュルケがいた。
それだけではない。
「もー、お姉さまはシルフィがついてないとほんとダメなのね。だからぜーったい離れないのね。きゅい!」
翼を元気よく羽ばたかせたシルフィードが頬をすり寄せてくる。
「あんたにはいろいろ借りがあるんだから、簡単に死んでもらっちゃ困るのよ。べっべつに心配してるわけじゃないんだからね!」
顔を膨れさせたルイズが。
「おいおい、何度も助けられてその言い草はないだろ。やれやれ、ところでさ、こないだ乗せてくれたシルフィードの背中さ、すっげえ気持ちよかったから、また乗せてくれよな」
大剣を背負ってるくせに、間の抜けた顔をしたサイトの姿が。
見渡せば、ほかにも偉そうな態度でギムリやレイナールに指示しているギーシュ。
ロングビルに蹴りを入れられているオスマンを呆れ顔で見ているコルベール。
ほかにもシエスタやペルスラン、任務の先で知り合った人々、ミラクル星人やアイの姿もある。
いつの間にか、タバサの周りは大勢の人々で埋め尽くされていた。
短い間に、知らないうちに、いや、気づこうとしなかったのに、タバサの心には数え切れないほどの人が住み着いていた。
"キュルケ……あなたの言ったとおりね"
もう、何も怖くはない。
何人であろうと、この記憶を奪い去ることはできない。
さあ、消え去れ悪夢よ!!
夢の世界を包む光によって、もはや死に体のドリームギラスに、エースは一度大きく体を左にそらせ、投げつけるようにとどめの一撃を放った!!
『メタリウム光線!!』
光の鉄槌が邪悪な超獣を叩きのめす。
ドリームギラスは断末魔の叫びを短く残すと、大爆発を起こして塵一つ残さず消し飛んだ!!
"やったあ!"
闇を、悪夢を粉砕し。光が、平和が訪れた。
「よーし、お姫様を胴上げよ!」
キュルケの宣言に、全員が「おーっ!!」と答えてタバサを取り囲んだ。
"えっ? ちょ、ちょっと"
だが、大勢の人々によってあっというまにタバサの小さい体は持ち上げられて、みんなの頭上へと放り投げられた。
ばんざーい! ばんざーい!
なにがなんだかわからないけど、タバサが一回宙を舞うごとに、みんなの笑顔が眼に飛び込んできて、悪い気分ではなかった。
小さなころ、母に読んで聞かせてもらった『イーヴァルディの勇者』の物語では、竜にさらわれた少女を助けに、勇者イーヴァルディが駆けつけてきてくれる。子供向けのおとぎ話、そんなことはありはしないと思っていたが、イーヴァルディはいつもすぐそばにいてくれているのかもしれない。
そのうち、人々の中に、笑顔を浮かべる生前の父と、在りし日の母の姿を見つけて、タバサはこれが夢なんだなあと悟った。
けれど、こんないい夢はずっと見たことがない。
現実には決してありえないけど、夢を見るのに制限もルールもありはしない。
せめて今くらいは……
何度目かの万歳のあと、母の胸のような心地よさに包まれて、タバサは優しい眠りのうちへと抱かれていった。
「……落ち着いたみたいね。まったく寝顔は妖精みたいに可愛いんだから」
月明かりの差し込むベッドの上で、タバサの小さな体を優しく抱きしめながら、キュルケは小さくつぶやいた。
あのときから、うなされているタバサを見かねて、冷えた彼女の体を自分の体温で温め、おびえるタバサの耳元で、子守唄のように彼女を励まし続けていたのだった。
「ゆっくりおやすみシャルロット。今夜はずっと、あたしがそばについててあげるわ」
まるで母と娘のように暖めあう二人を、双子の月と星達だけが見ていた。
翌日。
屋敷の門の外で、透き通るような青空に小さな声と明るい声の二つが響き渡った。
「……じゃあ、行ってくる」
「うーん! いい天気ね。こりゃ、吉兆ってやつじゃない」
背伸びをしながらキュルケが陽気に言った。
門の外にはシルフィードが待っている。これから死地に赴くというのに、天気晴朗、風は穏やか、まるでピクニックにでも出かけるようだ。
「んじゃあま、さっさと済ませちゃいますか。なーに、このあたしがついてるんだから、どんな難問でもちょちょいのちょいよ!」
「うん、頼りにしてる」
「え?」
思いもよらぬタバサの返事に、キュルケは一瞬鳩が豆鉄砲を食らったような顔をした。
だが、タバサはいつもどおりの無表情、さっきの台詞などどこふく風。さっさとシルフィードに乗り込んでしまった。
「早く乗って」
しかし、そのときキュルケは気づいた。いつもなら、「乗って」とは言っても非常時以外は「早く」とはつけない。それは、一年間ずっといっしょにいたキュルケでしか気づけなかったほどの小さな変化だったが、タバサの心境がいつもとはよい意味で違う方向に向いていることを示すものだった。
「ははっ、どうしたのタバサ、今日はなんか機嫌いいみたいじゃない」
するとタバサは、キュルケに背を向けたまま、ぽつりと。
「ちょっと、いい夢みたから……」
と、答えて、それを聞いたキュルケは爆笑した。
「あっはっはっはっ、それはよかったわね。それで、ね、ね、どんな夢だったの?」
「秘密」
「ふーん、まあいいわ。でも、そんなに印象強い夢ならひょっとして正夢になるかもよ」
「……」
「あはは、冗談冗談。さっ、そろそろ行きましょうか。任務は『ラグドリアン湖北西にて、原因不明の森林の立ち枯れと急激な砂漠化が始まっている。早急にその原因を究明し、原因を排除せよ』だっけ? どうせどっかのアホ貴族が失敗作の魔法薬でも不法投棄でもしたんでしょ。そんなのあたしの炎で焼き尽くせば即解決よ。今回はつよーい味方がいるんだから、どんと安心しなさいって、ね」
日差しの強い夏空へ向けて、二人を乗せたシルフィードは飛び立った。
昨日のあの夢は、きっとただの夢だったのだろう。しかし、夢の世界までは誰であろうと自分から奪うことはできない。あの夢は一夜の幻で終わったけれども、夢が思い出させてくれた希望は消えない。
ゆこう! 今日の自分は昨日の自分にはないものを持っている。
だが、その先に待つものの恐ろしさを、まだ彼女達は知らない。
それでも、このパートナーがいればどんな困難でも乗り越えられる。そう思わせる何かを、タバサは手にしつつあった。
続く