第61話
魔法学院新学期、アラヨット山大遠足!
えんま怪獣 エンマーゴ 登場!
透き通るような青い空、カッと照り付けてくる日差し、そして背中に背負っている弁当の重み。
「夏だ! 新学期だ! 遠足だ! いえーい!」
「いえーい!」
早朝のトリステイン魔法学院にギーシュたち水精霊騎士隊と才人の能天気な叫び声がこだまする。その様子を、ルイズやモンモランシーら女子生徒たちはいつもながらの呆れた眼差しで見つめていた。
「まったくあいつらと来たら、これがカリキュラムの一環の校外実習だってわかってるのかしら?」
「ほんと、男っていくつになっても子供ね。あの連中、落第しないでちゃんと卒業できるのかしらね?」
校庭に集まっている全校生徒。彼らはがやがやと騒ぎながら、待ちに待ったこの日が晴天になったことを感謝していた。
今日は魔法学院の全校一斉校外実習、いわゆる遠足だ。しかし魔法学院ゆえにただの遠足というわけではなく、彼らが浮かれている理由はこれが年に一度だけ採集を許される特別な魔法の果実、ヴォジョレーグレープの解禁日だからである。
「ヴォジョレーグレープは普段は不味くて何の役にも立たない木の実です。ですが年に一度だけ、この世のものとも思えない甘味に変わる日があって、そのときのヴォジョレーグレープで作るワインはまさに天国の味! 魔法学院の皆さんも、年に一度のその味を楽しみにしておられました。そしてそれが今日、この解禁日なのです!」
「うわっ、シエスタ! あんたいつの間にここにいたのよ?」
ルイズはいきなり後ろから解説をしてきた黒髪のメイドに驚いて飛びのいた。しかしシエスタは悪びれた様子もなく、わたしもついていきますよと、背中にすごい量の荷物を背負いながら答えた。
「えへへ、ワインといったらわたしを外してもらうわけにはいきませんからね。タルブ村名産のブドウで培ったワインの知識は伊達ではありませんよ。ほら、ちゃあんとマルトー親方の許可もいただいています」
「んっとに、最近見ないと思ってたら忘れたころにちゃっかり出てくるんだから。でも忘れないでね、ヴォジョレーグレープは味のこともだけど、そのエキスは解禁日にはあらゆる魔法薬の効果を増幅する触媒にもなるすごい果物になるのよ。それを使って、魔法薬の配合の実地訓練をおこなうのが校外実習の目的。食べるのは余った分だけなんだからね」
「はいはーい、毎年実習で使うより余る分が多いのはよく存じておりますとも。持ち帰った分は親方がすぐに醸造できるよう準備してますから、ミス・ヴァリエールも楽しみにしていてくださいね」
「はいはい、わかったからあっち行きなさい。ったく……」
ルイズは頬を紅潮させながらシエスタを追い払った。内心では、ほんとにあの胸メイドは、と思いながらも口の中にはよだれがわいている。
だが無理もない。ヴォジョレーグレープで作るワインは、満腹の豚さえ土に飲ませずというほど、嫌いな人間のいない絶品で、ルイズもむろん大好物であった。しかも原木が人工栽培は不可能な上に、作っても数日で劣化してしまうために市場にはまったく流通していない幻の産物であった。味わう方法はただひとつ、解禁日に収穫、醸造してすぐに飲むことだけなのだ。
むろん、楽しみにしているのは生徒だけではない。教師たちを代表して、オスマン学院長が壇上から集まった生徒たちに挨拶を始めた。
「えー、諸君。本日は待ちに待った解禁日じゃ。諸君らも、今すぐにでも出発したいところじゃろうが、焦ってはいかんぞ。ヴォジョレーグレープの生えている山は自然のままの姿で保存され、険しいうえに獣や亜人が出る危険性もある。普段は盗人を退けるために、山の周囲は特殊な結界で覆われておるが、今日だけはそれが解かれる。じゃが、そうなると邪な者も入ってこれるということになる。くれぐれも気を抜くでないぞ、よいな」
オスマンの説明に、才人はごくりとつばを飲んだ。さすがは魔法学院の遠足、楽なものではない。
「しかし諸君らは貴族、身を守るすべは心得ておろう。それに、この遠足は今学期より入ってきた新入生と在校生との親睦を深める意味もある。スレイプニィルの舞踏会で歓迎を、そしてこの実習で団結力を深めるのじゃ。在校生諸君、先輩としてみっともない姿を後輩たちに見せてはいかんぞ。そして新入生諸君は先輩を見習い、一日も早くトリステイン貴族にふさわしい立派なメイジになるよう心がけるのじゃ。では、詳しいことはミスタ・コルベールに頼もう、よく聞いておくようにの」
「おほん、新入生諸君、学院で『火』の系統を専攻しているジャン・コルベールです。よろしくお願いします。では、本日の校外実習のルールを復習しておきましょう。在校生は三人が一組になって、新入生ひとりをつれてヴォジョレーグレープの採集をおこなってもらいます。採集するのはひとりが革袋ひとつ分までで、それ以上を採ったら全部没収させてもらいます。そして、集めた分だけを使ってポーションを作っていただき、私たち教師の誰かに合格をもらえば残りは持ち帰ってかまいません」
生徒たちから、おおっ! と歓声があがった。だが、陽光を反射してコルベールの頭がキラリと冷たく光る。
「ですが! もしグループの中で、ひとりでも合格が出なかった場合はグループ全員の分を没収させてもらいます。これは、団結力を高めるための実習だということをくれぐれも忘れないようにしてください。助け合いの気持ちを忘れずに、我々はちゃんと見張ってますからズルをしてはいけませんよ。では、全員が合格しての笑顔での帰還を祈って、全力を尽くすことを始祖に誓約しましょう。杖にかけて!」
「杖にかけて!」
生徒たちから一斉に唱和が起こり、場の空気がぴしりと引き締められた。一瞬のことなれど、その威風堂々とした姿は彼らがまさに貴族の子弟であるという証左であった。
そしてコルベールは満足げにうなづくと、最後に全員を見渡して告げた。
「では、これより出発します。在校生はあらかじめ決められた三人のグループになってください。新入生はひとりづつクジを引きに来て、引いたクジに書かれているグループのところに行ってください。合流したグループから出発です、皆さんの健闘を祈ります、以上です」
こうして解散となり、ルイズたちは自分たちを探しに来るであろう後輩の目につきやすいように開けたところに出た。
ルイズのグループは、ルイズ、モンモランシーにキュルケを含めた三人と決まっていた。なお才人は使い魔としての扱いであるので頭数には入っていない、しかしルイズはキュルケと同じグループというのが気に入らなかった。
「もう、せっかく年に一度の日だっていうのに、よりによってキュルケと組になるなんて最悪だわ」
「あら? わたしはラッキーだと思ってるわよ。ゼロのルイズがどんな珍妙なポーションを作るか、間近で見物できるなんて願ってもないチャンスだもの」
「ぐぬぬぬ、人のこと言ってくれるけどキュルケのほうこそどうなのよ? ポーションの調合なんて、火の系統のあんたからしたら苦手分野なんじゃないの?」
「あら? わたしは心配いらないわよ。だって、わたしには水の系統ではすっごく頼りになる……頼りになる……え?」
「どうしたのよ?」
調子に乗っていたキュルケが突然口を閉ざしてしまったため、ルイズが白けた様子で問い返すと、キュルケは困惑した様子で答えた。
「いえ、水の系統が上手で頼りになる誰かがいたはずなんだけど……おかしいわね、誰だったかしら……?」
「はぁ? キュルケ、あなたその年でもうボケはじめたの? だいたい、学院中の女子から恋人を奪っておいて散々恨みを買ってるあんたとまともに話をするのなんて、わたしたちと水精霊騎士隊のバカたちくらいじゃないのよ」
「そ、そうね……おかしいわね、けど本当にそんな子がいたように思えたのよ。変ね……こう、振り向けばいつも隣にいるような……」
「ちょっとしっかりしてよ。あんたは入学してからずっと一人で……一人で、あれ?」
キュルケが頓珍漢なことを言い出したのでルイズが文句を言おうとしかけたとき、ふとルイズも心の片隅に違和感を覚えた。そういえば、キュルケの隣にはいつも……
しかし、ルイズが考え込もうとしたとき、同じグループになっているモンモランシーがじれたように割って入ってきた。
「ねえ、ルイズにキュルケ、起きながら夢を見るのはギーシュだけにしてくれないかしら? そんなことより、もうすぐわたしたちのところにも新入生が来るわよ。ちょっとは先輩らしくしてないと恥をかいても知らないからね」
言われてルイズもキュルケもはっとした。確かにわけのわからないデジャヴュに気を取られている場合ではなかった。
それにしても、今学期からの新入生は見るからに粒の大きそうなのが多そうだ。ルイズたちが他のグループを見渡すと、多くのグループで新入生の女子が先輩たちを逆に叱咤しながら出発していくのが見えた。その大元締めはツインテールをなびかせながら先頭きって歩いていくベアトリスで、聞くところによると彼女たちは水妖精騎士団というものを作って男に張り合っているらしく、さっそく下僕を増やしているようだ。
ほかに目をやれば、ティファニアが遠くから手を振ってくるのが見えた。彼女も今学期から魔法学院で学ぶことに決め、新入生として入ってきたのだ。もちろん才人は迷わずに手を振ってティファニアに応えた。
「おーいテファーっ! っと、テファの引いたグループはギーシュのとこかよ。ギーシュの奴、一生分の幸運を今日で使い果たしたなこりゃ」
ティファニアの隣を見ると、よほどうれしかったのかギーシュが泣きじゃくりながら始祖に祈っているのが見えた。才人は、気持ちはわからなくもないけど、ありゃ遠足が終わった後は地獄だなと、自分の隣で怒髪天を突きそうなモンモランシーを横目で見て思った。
けど、それにしても自分たちのとこに来るはずの新入生が遅いなとルイズたちは思った。もう組み合わせのくじ引きは全員終わっているはずだ、どこかで迷子にでもなっているのではと心配しかけたとき、唐突に声がかけられた。
「あの、すみません。こちら、ティールの5の組で間違いないでしょうか?」
振り返ると、そこにはフードを目深にかぶった女性とおぼしき誰かが立っていた。ルイズはやっと来たかと思いつつ、先輩風を吹かせながら答えた。
「ええそうよ、よく来たわね。わたしはルイズ・フランソワーズ・ル・ブラン・ド・ラ・ヴァリエール。こっちとこっちはキュルケにモンモランシーよ、歓迎するわ。あなたはなんていうの?」
「アン……と、お呼びください。ウフフ」
新入生? は、短く答えるとルイズの目の前まで歩み寄ってきた。相変わらず顔はフードで覆ったままで口元しか見えないが、微笑んでいるのはわかった。しかし、先輩を前にして顔を見せないとはどういう了見だろうか?
「アン、ね。それはいいけど、吸血鬼じゃあるまいし顔くらい見せなさいよ。礼儀がなってないわね、どこの家の子よ?」
「フフ、どこの家と申されましても、先輩方もよくご存じのところですわよ。ただ、お口にするのは少々遠慮なされたほうがよろしいですわ」
その瞬間、ルイズたちの反応はふたつに割れた。ルイズやモンモランシーは無礼な口をきいた新入生への怒りをあらわにし、対して第三者視点で見守っていたキュルケは「この声はもしかして?」と、口元に意地悪な笑みを浮かべてルイズたちをそのまま黙って見守ることにしたのだ。
「あんた、どうやらまともな口の利き方も知らないようね。顔を見せないどころか、このラ・ヴァリエールのわたしに向かって家名すら名乗らないなんて舐めるにも程があるわ! どこの成り上がりか知らないけど、今すぐその態度を改めないなら少しきつい教育をしてあげるわよ!」
ルイズは杖を相手に向け、フードを取らないなら無理やり魔法で引っぺがしてやるとばかりに怒気をあらわにする。才人が、「おいそりゃやりすぎだろ」と止めに入っても、プライドの高いルイズは才人にも怒声を浴びせて聞く耳を持っていない。
しかし、杖を向けられているというのに、その新入生? は少しもひるんだ様子はなく、むしろからかうようにルイズに向けて言った。
「ウフフ……相変わらずルイズは元気ね。まだわからないのですか? わたくしですわよ、わたくし」
「はぁ? わたしはあんたみたいな無礼なやつに知り合いな、ん……ええっ!?」
ルイズは、相手がフードをまくって自分たちにだけ見えるようにのぞかせた顔を見て仰天した。それは、涼しげなブルーの瞳をいたずらっぽく傾けた、トリステインに住む者であれば見間違えるわけのないほどに高貴なお方。すなわち。
「ア、アア、アンリエッタじょお、うぷっ!」
「駄目ですわよルイズ、わたくしがここにいることが他の生徒の方々にバレたら騒ぎになってしまいます。このことは内密に頼みますわ」
叫ぼうとしたルイズの口を指で押さえ、アンリエッタは軽くウインクして告げた。だがルイズは落ち着くどころではなく、隣で泡を食っているモンモランシーほどではないが、可能な限り抑えた声で必死で、こんなところにいるはずがないアンリエッタ女王に詰め寄った。
「どど、どうしたんですか女王陛下! なんでこんなところにいるんです? お城はどうしたんですか!」
「だってルイズ、最近あんまり平和が続きすぎて退屈で退屈でたまらなかったんですもの。それでルイズたちが楽しそうなイベントに向かうと聞いて、いてもたってもいられなくなったんですの」
「女王陛下たるお方が不謹慎ですわよ。いえそれよりも、お城はどうなさったんです? 女王陛下がいなくなって大変な騒ぎになってるんじゃないんですか?」
「大丈夫ですわ。銃士隊の方で、わたくしと体つきが似ている子に『フェイス・チェンジ』の魔法を使って身代わりになってもらいましたから、今日の公務は会議の席で座っているだけですからバレませんわよ」
笑いながらいけしゃあしゃあとインチキを自慢するアンリエッタに、ルイズは放心してそれ以上なにも言えなくなってしまった。この方は女王になって落ち着いたかと思ったけどとんでもない、根っこは子供の時のままのおてんば娘からぜんぜん変わってなかったのね。
自分のことを棚に上げつつ頭を抱えるルイズ。才人は、そんなルイズにご愁傷さまと思いつつ、微笑を絶やさないでいるアンリエッタに話しかけた。
「つまりお忍びで女王陛下も遠足に参加したいってわけですね。けど、あのアニエスさんがよくそんなことに隊員を使わせてくれましたね?」
「ええ、もちろんアニエスは怒りましたわ。でも、アニエスとわたくしはもう付き合いも長いものですから、お願いを聞いていただく方法もいろいろあるんですわよ。たとえば、アニエスが国の重要書類にうっかりインクをぶちまけてしまったりとか、銃士隊員の方が酔って酒場を破壊してしまったりとか、わたくしはみんな知っておりますの。もちろん、オスマン学院長からも快く遠足に参加してよいと許可をいただいてますわ」
にこやかに穏やかに語っているが、才人やルイズは「この人だけは敵に回したらいけない」と、背筋で冷凍怪獣が団体で通り過ぎていくのを感じた。モンモランシーはそもそも話が耳に入っておらず、キュルケは「よほどの大物か、それともよほどの悪人か、どっちの器かしらね」と、母国の隣国の総大将の人柄を観察していた。
とはいえ、今更「帰れ」と言うわけにもいかないので、ルイズたち一行はアンリエッタを加えて遠足に出発した。
「本当にうれしいですわ。ルイズといっしょにお出かけなんて何年ぶりでしょう。モンモランシーさん、今日のわたくしはただの新入生のアンですわ。仲良くしてくださいね」
「は、はい! 身に余る光栄、よよ、よろしくお願いいたしますです」
舌の根が合っていないが、王族からすればモンモランシ家など吹けば飛ぶような貧乏貴族であるからしょうがない。モンモランシーにはとんだとばっちりだが、ルイズにも気遣ってあげるほどの余裕はなかった。
万一女王陛下にもしものことがあれば、その責任はまとめて自分に来る。そうなったら確実にお母様に殺される、人間に生まれたことを後悔するような目に合わされてしまう。
すっかりお通夜状態のルイズとモンモランシーに対して、アンリエッタのルンルン気分はフードをかぶっていても才人にさえ感じられた。四頭だての馬で、目的地の山まではおよそ二時間ほど、それまでこの異様な雰囲気の中でいなければいけないのかと才人は嫌になった。
けれど、そこでいい意味で空気を読まないのがキュルケである。
「ねえ女王陛下、目的地まで時間はたっぷりあることですし、楽しいお話でもいたしません? たとえば、ルイズの子供のころの思い出話とかいかがかしら?」
その一言に、アンリエッタの表情は太陽のように輝き、対してルイズの表情は新月の月のように暗黒に染まった。
「まあ素敵! もちろんたくさん思い出がありますわよ。まずどれがいいかしら? そうだわ、あれは幼少のわたくしがヴァリエール侯爵家へお泊りに行った日の夜」
「ちょ、ちょっと女王陛下! あの日のことはふたりだけの秘密だって約束したはずです! って、それならあれはって、いったい何を話す気ですか、やめてください!」
ルイズは天使のような笑みを浮かべるアンリエッタがこのとき悪魔に見えてならなかった。
まずい、非常にまずい。ルイズは人生最大のピンチを感じた。アンリエッタは、自分の人に聞かれたくない過去を山ほど知っている。アンリエッタは聡明で知られるが、特に記憶力のよさはあのエレオノールも褒めるほどだった。つまり、ルイズ本人が忘れているようなことでさえアンリエッタは覚えている可能性が非常に高い。
これまで感じたことのないほどの大量の冷汗がルイズの全身から噴き出す。ただしゃべられるだけならともかく、聞いているのはキュルケに才人だ。しかもモンモランシーまで、さっきまでのうろたえようから一転して好奇心旺盛な視線を向けてきている。もしも、自分の恥ずかしい過去の数々がこいつらに聞かれようものなら。
”まずい、まずすぎるわ。こいつらに聞かれたら絶対に学院中に言いふらされる。そうなったら『ゼロのルイズ』どころじゃないわ、身の破滅よ!”
過去の自分を止めに行けるものなら今すぐ行きたい。しかしそうはいかない以上、できることはなんとかアンリエッタを止めるしかない。
「じょ、女王陛下! おたわむれを続けると言われるのでしたら、わたしも女王陛下の子供のころの」
「何をしゃべろうというのですかルイズ?」
その一声でルイズは「うぐっ」と、口を封じられてしまった。王族の醜聞を人前で語るほどの不忠義はない、それにしゃべったとしてもキュルケやモンモランシーがそれを他人に話すわけがないし、誰も信じるわけがない。
絶対的に不利。ルイズに打つ手は事実上なかった。まさか女王に向かって力づくの手をとれるわけがない、ルイズは公開処刑前の囚人も同然の絶望を表情に張り付けて、これが悪夢であることを心から願った。
だがアンリエッタは「ふふっ」と微笑むと、してやったりとばかりにルイズに言った。
「ウフフ、本当にルイズは乗りやすいわね。冗談よ、わたくしがルイズとの約束を破るわけがないじゃないの。昔話もいいけれど、わたくしは今のルイズのお話を聞きたいわね」
「なっ! じ、女王陛下……は、はめましたわね!」
証拠はアンリエッタの勝ち誇った笑顔であった。ルイズは、自分が最初からアンリエッタに遊ばれていたことをようやく悟ったのである。
ルイズの悔しそうな顔を見て、アンリエッタはうれしそうに笑う。キュルケは、ルイズの面白い話が聞けなくて残念ねと言いながらも笑っているところからして、こちらも最初からアンリエッタの意図を読んでいたらしい。
しまった、焦って完全に陛下の術中に陥ってしまった。この人は昔から、笑顔でとんでもないことを仕掛けてくるのが大好きだった。姫様が意味もなく笑ってたら危険信号だと幼いころなら常識だったのに。
「もうルイズったら、昔のあなたならこのくらいのあおりにひっかからなかったのに。わたくしと遊んでくださっていた頃のことなんて、もう忘れてしまったのですか?」
「そ、そんなこと言われても。もうわたしたちだって子供じゃありませんし。それに最近はいろいろあって気が休まる暇もなかったじゃないですか!」
「そうね、最近は……あら、そういえば最近なにかあったような気がするけど、なんだったかしら? ルイズ、最近どんなことがありましたかしら?」
「もう女王陛下、そんなことも忘れてしまったのですか! ついこのあいだトリステインはロマリアとガリアを……えっ?」
思い出せない。トリステインは、ロマリアとガリアを相手に……なんだったろうか? ルイズは思わず才人やキュルケ、モンモランシーにも尋ねてみたが、三人とも首をかしげるばかりだった。
「そういや、なんかあったっけかな? てか、おれたちここ最近なにしてたっけか?」
「うーん、なにか忙しかったような。えっと、なんだったかしらモンモランシー?」
「あなたたち何を変なこと言ってるのよ。ここしばらく、事件みたいなことは何もなかったじゃない。トリスタニアの復興ももう終わるし、世は何事もなしよ」
このときモンモランシーは自分が矛盾を含んだ言葉を口にしていることに気づいていなかった。
なにかがおかしい。だが誰もなにがおかしいのかがわからないでいる。
「んーん、なんだっけかなあ? けどまあ、思い出せないってことはたいしたことじゃないんじゃないか?」
「そうね、サイトの言う通りかもね。あーあ、なんか頭がモヤモヤしてやな気分になっちゃったわ。話題を変えましょう。女王陛下、最近ウェールズ陛下とのお仲はどうなのですか?」
キュルケが話を振ると、アンリエッタはそれはさぞうれしそうに答えた。
「はい、今はそれぞれの国で離れて暮らしておりますけれども、毎日のようにお手紙のやりとりをしてますので、まるでわたくしもアルビオンにいるように感じられますのよ。それに、もうすぐ全地方の領主の任命がすみますから、そうすればしばらくトリステインでいっしょに暮らせるんですの、楽しみですわ」
アンリエッタとウェールズの鴛鴦夫婦ぶりは、もうトリステインで知らない者はいないほどだった。
のろけ話の数々がアンリエッタの口から洪水のように飛び出し、キュルケやルイズは楽しそうに聞き出した。モンモランシーも、ギーシュもこうだったらいいのになとしみじみと思いながら聞き入っており、蚊帳の外なのは才人だけである。
「なあデルフ、おれあと二時間もこれ聞かされなきゃいけねえのか?」
「はぁ、こういうことがわからねえから相棒はダメなんだよ」
デルフにさえダメ出しされる才人の鈍感さは、もはや不治の病と呼んでもいいだろう。デルフは、少しはまじめに聞いて参考にしやがれと才人に忠告し、才人はしぶしぶ従ったが、デルフは内心どうせダメだろうなとあきらめかけていた。
蒼天の下をとことこと進む四頭の馬。楽しそうな話し声が風に乗って流れ、女子たちの笑顔がお日様に照らされて輝き続ける。先ほどの違和感のことを覚えている者はもうひとりもいなかった。
そして時間はあっというまに過ぎ、昼前になって目的地のヴォジョレーグレープの自生している山に到着した。
「うわー、こりゃまたジャングルみたいな山だな」
ふもとから見上げて、才人は呆れたようにつぶやいた。高尾山登山みたいなものを想像していたがとんでもない、まるで中国の秘境で仙人が住んでいそうなすさまじく険しい高山だった。
これはさぞかし荘厳な名前がつけられた山なんだろうなと才人は思った。しかし。
「ついたわよ、アラヨット山!」
ルイズが大声で叫んだ名前のあまりに珍奇な響きに、才人は盛大にずっこけてしまった。
「ル、ルル、ルイズなんだよ、その山の名前はよぉ?」
「ん、あんた知らなかったの? この山にはじめて登頂して解禁日のヴォジョレーグレープを持ち帰ってきた平民の探検家がつけた名前よ。その勇敢さには貴族ですら敬意を表したと言われるわ、確か自分のことを”エドッコ”だと名乗ってたそうよ」
「ああ、さいですか」
どうやら昔にトリステインにやってきた地球人らしいが、さすが世界に冠たる変態民族ジャパニーズ。残していく足跡の濃さが半端ではない。
しかし、こちとらは探検家ではない。こんな要塞みたいな山どうやって登るんだよと呆然とする才人。しかしモンモランシーが杖を取り出してこともなげに言った。
「ヴォジョレーグレープは人間の手の入っていない秘境でしか育てない繊細な植物なのよ。それも、山頂でしかいい実はとれないから、ここからは早い者勝ちね。ん? どうしたのサイト、あなたを抱えていかなきゃいけないんだから早くロープで体をくくりなさいよ」
「あ、そういやメイジは飛べるんだったな。なるほど、これも魔法の授業の一環ってことか」
納得すると、才人はあまりうれしそうな顔ではないモンモランシーに感謝しつつ、彼女と体をロープでつないだ。フライの魔法で浮ける力には個人差があるが、どうやらここにいるメイジはルイズ以外、人ひとりを抱えて飛べるくらいの力はあるようだ。なおルイズはアンリエッタに抱えられている、新入生に運んでもらうなんて傑作ねと、周りで飛んでいる別のグループの生徒が笑っていたが、ルイズ的にはキュルケに借りを作ることのほうがプライドが許さなかったようだ。
「あーあ、こんなときに……の……に乗ればひとっ飛びだったのにね。あら? 誰の、なにだったかしら」
キュルケがふと首をかしげたのもつかの間、険しい山もその上をまたいでいくメイジにかかっては積み木と変わらず、一行はたいしたトラブルもなくアラヨット山の山頂付近へと到着していた。
山頂では特別教員のカリーヌやエレオノールが試験官として待っており、到着した者に厳しく言い渡した。
「ようし、よくここまでやってきましたね! しかし、本番はこれからです。上級生は日ごろ学んだ知識を活かし、新入生は上級生からよく学んで立派なポーションを作るように。落ち着いてやればできないことはありません、諸君らにトリステイン貴族としての矜持と信念があればおのずと道は開けるでしょう。ポーション作りもまた、魔法の一環である以上は精神のありようが結果を大きく左右します。採点に手加減はしないからそのつもりでいなさい。では、かかれ!」
カリーヌとエレオノールの、娘や妹でも容赦しないという視線を背にして、ルイズたちは「これは本気でかからないと危ない」と、飛び出した。
ボジョレーグレープの木は普通のブドウとよく似ていたが、実の形が決定的に違っていた。実がまるで紫色のダイヤのように高貴に輝いており、才人が見てさえこれが貴重なものだということが一目でわかった。それが木の枝中にびっしりと実っており、木一本でグループ全員の分としては十分すぎるほどであった。
しかし、この神秘的な光景は解禁日の今日だけなのだ。急いで収穫してポーション作りを始めないといけない。見ると誰に運んできてもらったのかシエスタが地面に落ちた質の落ちる実をせっせと拾い集めて背中のかごへ入れている。負けていられない。
「ルイズ、足を引っ張らないでよ」
「馬鹿にしないでよ。実技ならともかく、ポーションならわたしだってなんとか……女王陛下は大丈夫ですか?」
「うふふ、心配なさらないで。モンモランシーさんが優しく指導してくださってますから」
「あわわ、女王陛下に手ほどきするなんてなんて名誉な。もし失敗なんかしたらモンモランシ家は、あわわわ」
「で、結局めんどくさい収穫作業はおれってことだよな。わかってましたよはいはい」
「相棒はマシなほうだろ、俺っちなんか剪定バサミの代わりだぜ。うれしすぎて泣けてくるぜ」
こんなのでちゃんとしたポーションが作れるのだろうか? 不安がいっぱいで、木の下でシートを広げてポーション作りにいそしむ一行であった。
少し耳を澄ますと、ティファニアやベアトリスの悲鳴が聞こえてくるあたり、ほかのグループも難儀しているようだ。カリーヌのプレッシャーがすごいのと、どうやら今年のヴォジョレーグレープは実の品質の差が大きいらしい。
だが、てんやわんやながらも楽しくできたのはそこまでだった。突然、山が崩れるのではないかという巨大な地震が彼らを襲い、山肌を崩して異様な魔人が巨体を現してきたのだ。
「ドキュメントZATに記録を確認、えんま怪獣エンマーゴ」
才人の手の中のGUYSメモリーディスプレイが怪獣の正体をあばく。というより、鎧姿で剣と盾を構えて、王と刻まれた冠をかぶっている怪獣なんて他にいやしないのだから間違えるほうが困難だ。
エンマーゴは地中からその姿を現すと、巨体で木々を踏みつぶし、口から吐き出す真っ黒な噴煙で山々の緑を枯らし始めた。
「野郎、このあたりをまとめてコルベール山にする気か!」
「はげ山って言いたいわけねサイト。この状況でとっさにそんなセリフが出てくるあたり、あんたもたいしたタマねえ」
モンモランシーが呆れたような感心したような表情で後ろから見つめてくる。才人としては別にコルベールに悪意などを持っているわけではないのだが、ハゲという単語が頭の中で自動的に変換されてしまうのだ。
しかし、このままエンマーゴに暴れさせるわけにはいかない。奴はまっすぐにアラヨット山を目指してくる。
「まあ大変ですわ。このままヴォジョレーグレープがだめにされたら、せっかくの楽しい遠足が台無しになってしまいます」
「女王陛下もけっこう余裕ですわね……と、とにかくここはご避難くださいませ」
どこか現実離れした態度のアンリエッタにも呆れつつ、モンモランシーは自身の主君を怪獣の脅威から遠ざけるために、山の反対側を指して避難を促した。これに、家名のために王家に恩を売っておくべきという打算が入っていなかったといえば恐らく嘘になろうが、うまいジュースを作るには果汁の中に些少の水も必要であろう。人間とは血と肉と骨の混成体であり、その精神が混成体であってはいけない道理などはない。
しかし、無法を我がものとする怪獣の暴挙に対して、逃げるわけにはいかない者たちもいる。才人とルイズは、キュルケにあとのことはよろしくと目くばせすると、仲間たちから離れて手をつなぎあった。
「ウルトラ・ターッチッ!」
光がほとばしり、進撃するエンマーゴの眼前にウルトラマンAがその白銀と真紅の巨体を現した。
「ウルトラマンAだ!」
生徒たちから歓声があがる。みんなが楽しみにしていた遠足を邪魔する奴は許せないと現れた正義の巨人は、生徒たちに勇気と希望をもたらしたのだ。
「テエェーイッ!」
掛け声も鋭く、ウルトラマンAは刀を振り上げてくるエンマーゴに立ち向かっていった。
ウルトラマンAの金色の目と、エンマーゴのつりあがった真っ赤な視線が交差し、両者は刹那に激突する。エースの放ったキックをエンマーゴは盾で防ぐが、盾ごとエースはエンマーゴの巨体を押し返した。
だがエンマーゴも負けてはいない。恐ろしげな顔をさらに怒りで燃え上がらせ、巨大な刀を振り上げてエースを威嚇してくる。あれで切られたらタロウのように一巻の終わりだ! エースは才人とルイズに注意を喚起した。
〔気を付けろ、一度戦ったことのある相手だが、油断は禁物だぞ〕
〔はい北斗さん、って……あれ? エンマーゴと戦ったことなんて、ありましたっけ?〕
〔あ、いやすまない。俺の勘違いだ……くそっ〕
妙なことを言い出すエースに一瞬だけ首をかしげつつ、才人はルイズとともにエンマーゴに向かい合った。
エンマーゴの特徴は、なんといってもその重装備だ。十万度の高温にも耐える鎧に、ストリウム光線をもはじく盾、そしてなんでも切断できる刀である。こと接近戦となれば太刀打ちできる怪獣や星人は宇宙中探してもそう多くはないだろう。
しかし、エースにも今ならばからこそある武器がある。才人は、自分の相棒である世界最強の剣(才人談)を使うようエースにうながした。
〔北斗さん! デルフでぶった斬ってやろうぜ〕
〔ようし、まかせろ!〕
相手が刀ならこちらも刀で勝負するまで。デルフリンガーを拾い上げたエースは物質巨大化能力を使って、数十メートルの大きさにまで巨大化させた。
日本刀へと姿を変えているデルフを構えるエース。デルフも、この姿での巨大化初陣に張り切っている。
「うひょぉ、やっぱ大きくなると眺めがいいぜ。さぁて、サムライソードになったおれっちの威力、おひろめといこうか」
剣は誰かに使ってもらわないと出番を作りようがないため、巡ってきたチャンスにはどん欲になるのはわかるが、せっかくの決め場なんだから少しは自重してほしいと思わないでもない才人とルイズであった。
ともあれ、剣を構え、エンマーゴと対峙するエースの雄姿に新たな歓声があがる。メイジ、貴族にとって剣は平民の使う下賤な武器というイメージがあるが、ここまで大きいと有無を言わさぬ迫力がある。
「ヘヤアッ!」
エースのデルフリンガーと、エンマーゴの宝剣が激突して、鋭い金属音とともに火花が飛び散る。デルフリンガーの刀身は、十分にエンマーゴの刀との斬りあいに耐えられることが証明された。
ようし、これならいけると喜びの波が流れる。さらに一刀、二刀と斬り合いが続いたがデルフリンガーは健在で、デルフ自身も不調を示すことはない。
けれど、これで互角というわけではなかった。エースにあるのはデルフリンガー一本だが、エンマーゴには刀のほかに鎧と盾がある。防御力では圧倒的にエンマーゴのほうが優勢なのだ。
〔やつめ、誘ってやがるな〕
才人は、せせら笑っているようなエンマーゴを見て思った。これだけ武装の差があれば当然といえるが、戦いは武器だけで決まるものではない。
そう、戦いは人がするもの。人の力がほかの要素を引き出し、生かしも殺しもする。ルイズは才人に、それを見せてやれと叱咤した。
〔サイト、あんたの力を見せてやりなさい。あのときみたいに!〕
〔ああ、あのときみたいに。いくぜ、これがウルトラマンの本当の力だぁーっ!〕
才人とエースの心が同調し、エースはデルフリンガーを正眼に構えて一気に振り下ろした。それに対して、エンマーゴは「バカめ」とでもいうふうに盾を振り上げてくる。盾で攻撃を防いで、そこにカウンターで切り捨てようという気なのだ。
デルフリンガーとエンマーゴの盾が当たり、エンマーゴの口元がニヤリと歪む。しかし、エンマーゴは次の瞬間に予定していたカウンターを放つことはできなかった。エースの剣は盾で止まらずに、そのまま力を緩ませずに盾ごと押し下げてきたのだ!
〔なに安心してやがんだ! 本番はこれからだぜ!〕
才人の気合とともに、止まらない一刀が火花をあげながらエンマーゴの盾を押し込み、なんと盾に食い込み始めた。
灯篭切りというものがある。達人が、一刀のもとに石でできた灯篭を真っ二つにしてしまうというものだ。それに、日本では武者が盾を持って戦うことはなかった、それはなぜか? 日本刀の一撃の前には、盾など役に立たないからだ。
「トアァーッ!」
エースと才人の気合一閃。デルフリンガーはついにエンマーゴの盾をすり抜けて、エンマーゴの体を頭から足元まで駆け抜けた。
一刀両断。エンマーゴは愕然とした表情のまま固まり、真っ二つになった盾が手から外れて足元に転がる。
「見たか! 新生デルフリンガー様の切れ味をよ!」
ご満悦なデルフが高らかに笑い声をあげた。しかしうれしいのはわかるが、せっかく決めのシーンなんだから少しは我慢してくれよと思わないでもない才人だった。
だが、新生デルフリンガー……すさまじい切れ味には違いない。素体になった日本刀が名刀だったのか数打だったのかは才人にはわからないが、丹念に研いでくれた銃士隊の専属の研ぎ師さんには感謝せねばなるまい。
エンマーゴは、超高速でかつ鋭すぎる一撃で両断されたため、一見すると無傷の状態で立ち往生していた。だがそれも一時的なことだ、残された胴体もまた左右に泣き別れになろうとしたとき、介錯とばかりにエースの光波熱線が叩き込まれた。
『メタリウム光線!』
鮮やかな色彩を輝かせる光の奔流を撃ち込まれ、エンマーゴは微塵の破片に分割され、飛び散って果てた。
爆発の炎が青い空を一瞬だけ赤く染め、エンマーゴの刀が宙をくるくると舞って山肌に地獄の化身の墓標のように突き立った。
勝利! エンマーゴは塵となって消え、山々に平和が戻った。エンマーゴによって荒らされた山肌も最小限で済み、ヴァジョレーグレープも無事で済んだ。
〔やったな、才人、ルイズ〕
〔はい! でも、おれたちだけの力じゃないぜ。怪獣に立ち向かうには、なにより心の力が大事なんだって、前にエンマーゴと戦ったときにしっかり見たからこそできたんだ〕
〔そうよ、わたしたちは一度戦った相手になんか負けるわけないんだから〕
〔ふたりとも……〕
北斗はこのときなぜか手放しでの称賛をしなかった。才人とルイズは、エンマーゴと戦ったことを理性では”ない”と言ったが、たった今無意識においては”あった”と言ったのである。
それにしても、どうして唐突にエンマーゴが現れたのか? ウルトラマンAは、喜ぶ才人とルイズとは裏腹に、虚空を見つめて一言だけつぶやいた。
〔奴め、とうとう動き出したか……〕
〔ん? 北斗さん、今なんて?〕
〔あ、いやなんでもない。それより帰ろう、遠足はまだまだこれからだろう?〕
〔ああっ! そうだったわ。急ぐわよサイト、時間切れで失格なんてことになったら、お母様に本気で殺されちゃうわ!〕
ふたりはすっかり遠足気分に戻り、エースは「それなら長居は無用だな」と、デルフリンガーを手放して飛び立った。
「ショワッチ!」
エースの姿は青空の雲の上へと消えていき、生徒たちは手を振ってそれを見送った。
そして遠足は再開され、アラヨット山にはまた魔法学院の生徒たちの悲喜こもごもな声が響き渡る。
自然は穏やか、懸念していた猛獣もエンマーゴに驚いて逃げてしまったのか影も見せずに平和そのもの。そうしているうちに昼が過ぎ、あっという間にタイムリミットが迫ってきた。
「ああっ! また失敗したわ。もう、このヴォジョレーグレープ腐ってるんじゃないの?」
「なわけないでしょルイズ。わたしも女王陛下もとっくの昔にポーション完成させてるのよ? それより、次で失敗したら確実にタイムオーバーよ、いいのルイズ?」
「うう、うぅぅぅ……モ、モンモランシー……手伝って、ください」
「わかったわよ、こっちはずっとそのつもりだったのに。まあルイズが人に頭を下げるだけでもたいしたものかしら? よほどカリン先生が怖いのね」
ルイズはキュルケに指摘されて、しぶしぶながらモンモランシーの助力を受けながら最後のポーション作りにとりかかった。
プライドの高いルイズでも、それ以上の恐怖には勝てなかったわけだ。その理由を知るアンリエッタは「わたくしも手伝いますわ、焦らずがんばりましょう」とルイズを励ましてくれている。
「うぅ、作り方は間違ってないはずなのに、なんでよ」
「単にルイズが不器用なだけだろ」
「なあんですてぇバカ犬! あんた今日ごはん抜きよ!」
「きゃいーん!」
まさに口は災いの元。余計な一言でルイズを怒らせた才人は、その後ルイズの怒りをなんとか解いてもらうために苦労するはめになった。
世の中、思っても言ってはいけないことがある。いくらルイズが編み物をしようとするとセーターという名の毛玉ができるほど神がかったぶきっちょだとしても、人間ほんとうのことを言われると腹が立つものだ。
タイムリミットギリギリのところで、ルイズはなんとかエレオノールから合格点をもらってホッと息をついた。もし間に合わなかったら、ルイズの人生はここで終わりを告げていた可能性が高い。
「ようし、これで全員合格だ。よくやった、あとは学院に戻って解散だ。その後は……ふふ、楽しみにしていなさい」
日が傾き始める中、生徒たちはやりとげた達成感を持ってアラヨット山を後にした。
そして帰校して、持ち帰ったヴォジョレーグレープを食堂のマルトーに渡した生徒たちは、数時間後にすばらしいご褒美を得ることができた。
「舌がとろけそう、これはまさに天国の味ですわね……」
出来上がったヴォジョレーグレープのワインを口にして、アンリエッタは夢見心地な笑顔を浮かべた。
『固定化』の魔法を使っても保存が不可能、作ったその時にしか味わえないヴォジョレーグレープのワインは、芳醇であり、甘みもしつこくなく、喉を通る時もさわやかで、まさに至高にして究極の味わいをプレゼントしてくれた。
「かんぱーい!」
食堂は満員で、そこかしこで乾杯の声が聞こえてにぎやかなものである。
むろん、ルイズや才人も上機嫌で舌鼓を打っており、キュルケは酔ったふりして脱ぎだして男子生徒の視線を集めて楽しんで、モンモランシーは酔った勢いでティファニアに詰め寄っているギーシュをしばきに行っていた。
ギムリやレイナールたち在校生、ベアトリスら新入生も陽気に騒いで、歌って飲んでいる。
教師連も同様で、コルベールやシュヴルーズらも年一度の味を精一杯礼節を保ちながら楽しんでいる。オスマンは酔ったふりしてエレオノールのスカートを覗きに行って顔面を踏みつぶされた。
シエスタやリュリュはおかわりを求める生徒たちにワインを詰めたビンを運ぶために休まずに右往左往している。しかし、仕事が終わった後はちゃんと彼女たち用の分が残されているので、その顔は明るい。
この日ばかりは平民も貴族も上級生も新入生も教師も関係なく、共通の喜びの中にいた。特に、今年は例年にも増して騒ぎが大きい、それもそのはず。
「あっはっは、やっぱり自分で苦労して手に入れたもんは格別だぜ!」
自分で足を運び、手を動かして、汗を流して手に入れたからこそ、そこには他には代えがたい喜びが生まれるのだ。たとえば貝が嫌いな子供が自分で潮干狩りをして得たアサリならば喜んで食べるのも、そのひとつと言えよう。
才人に続いてルイズも、顔を赤らめながら上品にグラスを傾けてつぶやく。
「怪獣と戦ったりしたから、その苦労のぶん喜びもひとしおね。点数をつければ百点満点……いえ、それ以上。今日のこの味は、一生覚えているでしょうねえ」
苦労の大きさに比例して、達成したときの喜びも大きい。誰もが、その恩恵を心から噛みしめていた。
宴は続き、まだまだ終わる気配を見せない。
だが、宴に沸く魔法学院のその様子を、どす黒い喜びの視線で眺めている者がいたのだ。
「アハハハ! まさにグレェイト! そしてワンダホゥ! こうも予定通りに事が進むとは、さすが高名な魔法学院の皆々様。あのエンマーゴは、石像に封じられたオリジナルを解析して再現したデッドコピーでしたが、期待以上に働いてくれました。まったく、いい情報をいただき感謝いたしますよ、お姫様?」
暗い宮殿の一室で、モニターごしに喜びの声をあげる宇宙人。しかし、感謝の言葉を向けられた青い髪の少女は、じっと押し黙ったままで答えようとはしなかった。
「……」
「おや? お気にめさないですか。でも、石像が運び込まれていた怪獣墓場にまでわざわざ出向いて行ったついでに、ウルトラ戦士にもう一度挑戦したいという方も幾人かお誘いできましたし、私はまさに万々歳です。あそこはいいところですね、そのうちまた行きたいものです。なによりこれで、我々の目的に一歩近づきました。よかったですね、ねえ国王様?」
「フン、つまらん世辞はいらんわ。言う暇があったらさっさと出ていけ。まだ先は長いのだろう? まったく、貴様のやり口は悪魔でさえ道を譲るだろうよ」
「お褒めの言葉と受け取っておきましょう。でも、忘れてもらっては困りますよ? これがあなた方の望んだ理想の世界だということを。では、次の見世物の準備ができたらまた参りますね。お楽しみに」
宇宙人は去っていき、残された二人のあいだには鉛のように重い沈黙だけが流れ続けた。
しかし、去った宇宙人は一見平和に見えるハルケギニアのどこかで、夜空にコウモリのようなシルエットを浮かべながら笑っていたのだ。
「まずは、”喜び”。フッフフフフ、確かにいただきましたよ。さて、次はなんでいきましょうか? 頑張って趣向を凝らしませんとねえ」
異常が異常でない世界。しかし、世は平和で人々は幸せそうに生きている。
侵略ではなく、破壊でもない。ならば何が企まれているのか? すべてはまだ、はじまったばかりに過ぎない。
続く