ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

255 / 338
第57話  虚無を超えて

 第57話 

 虚無を超えて

 

 カオスリドリアス 

 友好巨鳥 リドリアス 登場!

 

 

 ハルケギニアの伝説に語られる偉人にして聖人、始祖ブリミル。

 しかし、彼の人生は決して平坦なものではなかった。彼は宇宙船の中でマギ族の人間として故郷を知らずに生まれ、たどりついた惑星でなに不自由ない少年時代を送った。

 マギ族の繁栄の日々は、そのまま彼の人生の絶頂期そのものであり、それはマギ族の凋落とも一致する。

 そして青年時代、本当のブリミルの人生はここから始まったと言ってもいいかもしれない。何も知らないでマギ族の仲間のなすがままに自分も流されていた子供の時代から、己の足で土を踏みしめて生きていかねばならない時代に入った。

 少年時代とは比べ物にならない過酷な旅の日々。けれど、それはブリミルに温室の中では決して得られない多くのものを与えた。知識、技術、友情、信頼、愛情、旅路の仲間たちから教えられたことは、確実にブリミルを大人に成長させていった。

 だが、運命はブリミルに残酷な試練を課した。同胞も、故郷も、仲間たちもなにもかもを奪いつくされたブリミルに残ったのは、底知れない虚無の感情だけだったのだ。

 それに囚われたブリミルが思いついた、『生命』の魔法とはなにか。それを問われると、現代のブリミルは苦しげに答えた。

「ろくでもない魔法さ。僕は最初に覚えた魔法のほかにも、応用していくつかのオリジナルの魔法を作ったけど、その中でもこいつは二度と使うまいと思ってる。『生命』って名前も皮肉なもんさ。ともかく、すぐわかるから見ていたほうが早い」

 彼にとって、もっとも忌まわしい記憶。しかし、忘れてはいけない記憶がここにある。

 

 ブリミルは何をしようとしているのだろうか。彼が、始祖と呼ばれる人物になった、その転換点……そして、絶望を前にしてサーシャは何をブリミルに示すのか。

 巨大すぎる絶望を前にして人が出す答えと、運命がそれに与える回答とはいかに。始祖伝説の最後の秘密が今こそ明かされる。

 

 マギ族の首都の崩壊から生き延びたブリミルとサーシャ。完全に水没した都市から、なんとかどこかの海岸に流れ着いた二人だったが、ブリミルは謎の言葉を残してサーシャの前から姿を消した。

「もう、この世界は滅ぶしかない。希望なんて、幻想に過ぎなかったんだ……けど、責任はとらなきゃいけない。この星の間違った生命を、正しい方向に戻すんだ」

「ブリミル……あなたいったい、何を言っているの?」

「サーシャ、今日まで僕なんかのためにありがとう。僕はこれから、この星の生命を元に戻す。それできっと、この星は生き返るはずだ。さよならサーシャ、僕は地獄に落ちるけど、君は天国に行ってくれ」

 その言葉を残して、ブリミルはテレポートの魔法を唱えて消えた。そのタイミングで、現代のサーシャはブリミルの手を握り、ここからはわたしの記憶で話を進めるからねと告げた。イリュージョンの魔法は熟練すると他人の記憶の投影もできるようになるらしい、記録の魔法との複合かもしれないが、今のルイズには無理な芸当だった。

 物語を再開する。ブリミルが消えた後、サーシャは必死で、ブリミル、蛮人、と声を張り上げて探すが、ブリミルの姿は目に映る範囲のどこにもなかった。

「いけない! あの蛮人なにかやるつもりだわ」

 サーシャはブリミルの最後の言葉を思い出して、強い危機感を覚えた。

 あのときのブリミルの様子はどう見てもまともじゃなかった。自殺? いや、あの意味ありげな台詞は、もっと別のなにかを思いついたに違いない。しかも、とても悪いことが起きることを。

 見つけ出して止めないと。サーシャは走り出した。

「いったいどこへ行ったのよ蛮人。確か、あのテレポートの魔法はそんなに遠くまで飛ぶことはできないはず。まだそんなに離れていないはずだわ。けど、いったいどこへ?」

 サーシャは道なき荒野をあてもなく走った。このあたりの地理は自分は詳しくなく、逆にブリミルにとっては自分の庭先も同然なくらいに知り尽くしている。きっとブリミルは記憶を頼りにして、この近くのどこかに向かったのだろう。

 だが、いったいどこへ? 首都が崩壊した今、この近辺で人間の生き残っている可能性のある街や施設はほとんどないはず。サーシャはブリミルから雑談の中で聞かされていた、この地方の様子を必死で思い出した。

「このあたりで、まだ行く価値の残っている場所。落ち着いて思い出すのよ、さっきブリミルはこの星の生命を元に戻すって言ってた……生命と関わりのある場所、もしかしてあそこに?」

 ひとつだけ心当たりがあった。ブリミルが前にしゃべっていた内容に、こんなものがあった。

「僕が小さいころのこと? 君も変なことに興味持つねえ。そうだねえ、僕が小さい頃はマギ族はこの星の開拓に忙しくて、大人とはほとんど遊んでもらったことがないなあ。あ、でもひとつ思い出深いことがあるよ。首都の南にね、この星の動植物のことを研究するためのバイオパークがあったんだけど、小さかった頃の僕にとっては動物園や水族館みたいで毎日遊びに行ってたよ。見たこともない動物や魚が生きて動いてるところは、いくら見ても飽きなかったなあ。研究が終わってバイオパークは今じゃ閉鎖されちゃってるけど、あの頃はほんとに楽しかったよ」

 閉鎖されたバイオパーク……生命が関わって、ブリミルが行きそうな場所といえばそこしか思い当たらない。首都の南とブリミルは言っていた、太陽の位置からだいたいの方角を割り出して南へとサーシャは急いだ。

 しかし道のりは楽ではなかった。この近辺にも危険な怪獣や生き物はウヨウヨしていて、行く先で地底怪獣パゴスとウラン怪獣ガボラがエサの放射性物質を取り合って乱闘していたので、これを避けて海よりの道に逸れたら今度はさっきの二匹が撒き散らした放射能の影響で突然変異したらしい巨大フナムシの大群に襲われ、さらにこいつらをエサにしようと集まってきた火竜の群れからも逃げ回ることになり、いかにサーシャがガンダールヴと精霊魔法を使えるとはいっても相当な足止めと遠回りを余儀なくされた。

 テレポートで一気に飛んでいけるブリミルがうらやましい。逃げたり隠れたりを繰り返して、まだたいした距離は来ていないというのにヘトヘトだ。

 岩陰で休息をとりながら、サーシャはブリミルのことを思った。

「わたし、なんであんな奴のためにこんな苦労してるんだろう?」

 冷静になれば自分でも不思議だった。あんな奴、放っておいて自分だけで安全な場所に逃げればいいのに、どうして危険を冒して後を追っているのだろうか? どうせあいつは全ての元凶のマギ族なのだし、自分にこんなものを押し付けた勝手な奴なのだからと、サーシャは左手のガンダールヴのルーンを見た。

 いっそこのまま、ひとりで自由に生きてみようか。サーシャはふとそう思った。仲間はすべて失い、もう自分だけ、これ以上あんな奴のために苦労する必要があるのだろうか。どうせ別れを言い出したのはあいつなんだから……

 

 けど、そうもいかないのよね……

 

 サーシャは苦笑して、さっきまでの考えを振り払った。

 確かにブリミルはバカで阿呆で間抜けでトンチキの、魔法を除けばどうしようもないダメ人間だ。増して、憎んでも余りあるマギ族の男……けど、ひとつだけサーシャも認めている美点がある。それは、頑張り屋なところだ。

「蛮人、行く場所のなかったわたしたちに道を与えてくれたのはあなたじゃない。魔法の練習を欠かさずに続けて、努力して報われることがまだあるんだって教えてくれたのもあなた。行く手にどんな障害や怪獣が立ちふさがっても、あきらめずに乗り越えてきた、その先頭に立っていたのはあなたでしょ。その頑張りを、あなたから無駄にしようとしてどうするの。きっとみんなも、残ったわたしたちがあきらめちゃうことなんて望んでないわ」

 ここで逃げ出したら、死んでいった仲間たちに顔向けができない。死んだ者とはもう会えないが、その意思は生きている者が背負ってゆかねばならない。そのことをブリミルに教えないといけない。

 サーシャは岩陰から立ち上がり、再び南に進もうと足を踏み出した。が、なにげなく草むらに踏み込んだ、その瞬間だった。

「きゃっ! いったぁ、なに? えっ!」

 なんと、サーシャの足に太くて緑色のつるのようなものがからみついていた。自然に絡んだのではない、その証拠につるは草むらの陰からヘビのように這い出してきてサーシャの体にも巻きつこうとしてきたのだ。

「なによこれっ! つるよ、離しなさいっ! 魔法が効かない? ただの植物じゃないわ!」

 草木の精霊に呼びかけようとしても、ヘビのようなつるは操れなかった。つるはどんどんサーシャの体や手足を絡めとろうと伸びてくる。とっさに剣を抜いて、ガンダールヴの力で切り払おうとしたが、つるのほうが多く、一瞬の隙にサーシャは剣ごと全身を拘束されてしまった。

 完全に身動きを封じられて、地面に張り付けになってしまったサーシャは首だけをなんとか動かして周りを見回した。よく見ると、草むらの陰には血にまみれた衣服の残骸が散らばっている。

「しまった、ここは吸血植物のテリトリーだったのね。なんとか逃げ出さないと、わたしもこの服の持ち主みたいにっ」

 つるはどんどん力を強めて締め付けてくる。このままでは全身の血液を搾り取られてしまうだろう。サーシャはなんとか脱出しようともがいた。

 だが、事態はつるに絞め殺されるのを待つほど悠長ではなかった。草むらの陰から、今度は青黒い色をした大きなクモのような化け物が何匹も現れたのだ。

 たまらず悲鳴をあげるサーシャ。それはベル星人の擬似空間に生息する宇宙グモ・グモンガに酷似した小型怪獣で、紫色の有毒ガスを吐きながらサーシャに迫ってくる。擬似空間と同様に、吸血植物とは共生関係にあって、獲物を待ち構えていたのだろう。

 身動きできないサーシャに迫るグモンガの群れ。このまま生きたまま血肉を貪られ、骨も残さず食い殺されてしまうのだろうか。

「いやあぁぁぁっ! ブリミルーっ!」

 顔の間近まで迫ったグモンガにサーシャの絶叫が響き渡る。だが、そのとき突如突風が吹いてグモンガたちを吹き飛ばし、さらに巨大な影が射したと思うと、大きな手がサーシャを掴んでつるを引きちぎり、大空高くへと運び去っていったのだ。

 死地から一気に大空へと運ばれたサーシャは、冷たい風に身を任せながら、自分を手のひらの上に優しく乗せている巨大な青い鳥の姿を呆然と見上げていた。それは、才人やタバサも見知っている、あの優しく勇敢な大鳥の怪獣。

「リドリアス……」

 現代と過去で同時にその名が呼ばれた。何度となく世界を守るために共に戦った、今では戦友とも呼ぶべき怪獣。

 リドリアスはしばらく飛ぶと、安全な場所にサーシャを優しく下ろし、サーシャはリドリアスを見上げて、笑顔で声をかけた。

「ありがとう、助けてくれて」

 リドリアスは礼を言われたことに照れるかのように、のどを鳴らして穏やかな鳴き声を返した。それにサーシャも笑い返す。この時代のサーシャも、リドリアスのことは知っていたのだ。

 なりは大きいが、リドリアスはこれでも渡り鳥の一種であり、この星でも以前は普通に見られた存在だった。だがマギ族の起こした騒乱で数を減らし、今ではほとんど見られなくなっていたが。

「あなたも、厳しい世界の中で生き残っていたのね。こんな世界でも、ずっと」

 サーシャは、生き残っていたのが自分たちだけではなかったことに胸を熱くした。ところが、サーシャはリドリアスが片足をかばっているような仕草をしているのに気がつき、彼が傷を負っているのを見つけた。

「あなた、怪我してるじゃないの。待ってて、わたしが治してあげるから」

 リドリアスに駆け寄ると、サーシャはリドリアスの片足の傷に手をかざして呪文を唱えた。この者の体を流れる水よ、という文句に続いて魔法の光が輝き、リドリアスの負傷を癒していく。

「あなたも、いろんなところでつらい思いをしたのね。けど、まだ希望は残ってる。この世界はまだ、死に絶えちゃいない。そうでしょう……?」

 それはリドリアスに問いかけたのか、それともここにいないブリミルに問いかけたのか。あるいはその両方だったのか。

 リドリアスの傷を癒したサーシャは、ほかの怪獣が気がつく前に遠くに逃げなさいとうながした。しかしリドリアスはサーシャから離れる様子を見せなかった。

「わたしを守ってくれるっていうの? まったく、どっかの蛮人よりよっぽどナイト様ね。わかったわ、いっしょに行きましょう」

 そう答えると、リドリアスはうれしそうに鳴き、サーシャに顔を摺り寄せてきた。サーシャはリドリアスのくちばしの先をなでながら、優しくつぶやいた。

「そっか、あなたもひとりで心細かったのね」

 かつて、群れで飛ぶ姿も見られたリドリアスも、今ではこの一匹になってしまった。仲間もなく、凶暴な怪獣たちが跋扈する中で生きていくのはさぞつらかっただろう。

 けれど、もうひとりじゃない。これからは仲間だ、誰かがいっしょにいれば寂しくはない。

 サーシャは胸の中で、まだこの世界に希望があると、もう一度強く思った。無くしたものは大きいけれど、まだこうして見つけられたものもある。この希望のともしびの熱さを、ブリミルにも教えなくては。

「リドリアス、お願いがあるの。わたしを、この先に連れて行って欲しいの。もうひとり、助けなきゃいけない仲間がいる」

 その頼みを受けると、リドリアスはサーシャの前に頭を下ろして、乗っていいよというふうにうながした。

「ありがとう」

 サーシャが頭の上に飛び乗ると、リドリアスは翼を広げて飛び立った。上空の冷たい風が肌に染み、眼下の風景がすごい勢いで流れていく。

 リドリアスの飛行速度はマッハ二。サーシャに気を使ってそこまで早くはしていないものの、それでもサーシャの体験してきた何よりもリドリアスは早かった。

「すっごーい。あのバカのテレポートよりずっとはやーい!」

 しれっとブリミルに対して毒を吐きながらも、サーシャは行く先をじっと見つめて目を離さなかった。

 この先にブリミルがいる。何をする気か知らないけれど、どうか早まった真似だけはしないでちょうだい。そして願わくば、自分の勘が外れていないことを祈った。

 やがて行く先の荒野に小さな町があるのが見えてくる。サーシャは近くに怪獣がいないことを確認すると、リドリアスにあそこに下ろしてちょうだいと頼み、町の入り口にリドリアスは着陸した。

「ありがとう、すぐ戻るからあなたはここで待ってて。体を低くして、目立たないようにしてるのよ」

 リドリアスにそう言い残すと、サーシャは町の中へと走っていった。

 町に人の気配はなく、やはりここも怪獣の襲撃を受けたことがあるように建物はのきなみ崩れ落ちた廃墟となっていた。いや、怪獣に壊される前から、すでに町は数年は放置されたゴーストタウンであったらしく、残った建物の壁にはこけがこびりつき、窓ガラスはすすけて曇っている。

 やっぱりここがブリミルの言っていた……確信を深めて町を散策するサーシャの前に、マギ族の文字、今のハルケギニアの文字の原型になった文字で書かれた看板が現れた。

「第五水産物試験研究所……ビンゴね!」

 どうやら間違いはなさそうだ。この町が、ブリミルの言っていた思い出の場所だ。

 しかし肝心のブリミルはどこに? 地上の建物はただの廃墟で、ろくなものが残っているようには見えない。なら考えられるのは、首都と同じく地下にある施設だけだ。

 どこかに入り口がある。サーシャは飛び上がると、空から地上を見回した。すると、倒壊した建物のそばに、ぽっかりと開いている地下への階段の入り口があった。

「つい最近に入り口の瓦礫を動かした跡がある。ここで違いないようね」

 自分の推理が当たっていたことを喜ぶ間もなく、サーシャは覚悟を決めると、暗い通路の中を地下へと向けて降りていった。

 地下はあまり被害を受けていなかったらしく、少し歩くと通路はきれいになった。それどころか、地下三階ほどの階層まで来ると電源も生き残っていたのか電灯で通路は明るくなり、その先にはかつてこの施設で使われていた設備の数々が往年のそれと同じような姿で生きていた。

「わぁ……」

 思わずサーシャは感嘆の声を漏らした。通路の左右はガラス張りの巨大水槽となっており、それが延々と先へと続いている。

 まさに水族館の光景だ。サーシャは、まだマギ族が優しかったころに街に作ってくれた水族館に行ったときのことを思い出した。

 水槽はクジラでも楽々入りそうな奥行きがあり、以前はここで星のあちこちから集められた魚介類が研究されていたのが察せられた。今では水槽はカラになり、水槽の底には魚の骨と小さなカニかエビのような生き物がうろついているだけの寂しい光景となっているが、往年は本当に夢のような光景が色とりどりに輝いていたのだろう。

 ここで子供のころのブリミルが……サーシャはその様子を想像しながら通路を進み、声をあげて彼を呼んだ。

「蛮人ーっ! ここにいるんでしょーっ! 返事をしなさい! 怒らないから出てきなさい。ブリミルーっ!」

 澄んだ声は反響して奥へ奥へと響いていくが、返事はなかった。

 いいわ、ならこっちから行くから。と、サーシャは歩を早めて通路を進んでいく。幸い施設はほぼ一本道で、迷う心配はなさそうだ。

 やがて水産物試験場の最奥部まで進むと、目の前に大きなエレベーターが現れた。ゴンドラは最下層で止まっている。サーシャはゴンドラを呼び出して乗り込むと、迷わず最下層のスイッチを押した。

 ゴンドラはゆっくりと地下へと下がっていく。どうやら階層ごとに水産物や畜産物、その他の動物や昆虫や植物の研究施設になっていたらしく、ガラス張りのエレベーターからは、かつては動物園や植物園のようになっていたらしい光景が透けて見えた。

 ここはまさに、かつてのマギ族にとって希望の城だったのだろうとサーシャは思った。ブリミルは、狭い船の中で何十年も過ごしてきたマギ族にとって、生命にあふれたこの世界はまさに理想郷だったと言っていた。豊富な生命は、万物の根源となる究極の宝だと。だが、驕ったマギ族は、その宝の使い道を誤った。

 生き物を無邪気に愛でる、夢のある心を持ち続けていれば余計な争いなどしなくてよかったものを。たとえば動物たちと話ができて、触れ合って遊べるテーマパークみたいなものがあれば、みんな荒んだ心を溶かされ子供に戻って楽しく過ごせたろうにと思う。

 エレベーターは地下深く深くへと下り続け、やがて最下層に到達した。そこは各階層での研究内容をまとめるコンピュータールームになっているらしく、これまでと打って変わって通路の左右には休止状態のスーパーコンピューターが低いうなりをあげながら陳列されており、さながら鉄で出来た広大な図書館を思わせた。

 ここが最奥部……サーシャは息を呑みながら通路を進み、呼びかけた。

「ブリミル、いるんでしょ! 答えなさい!」

「聞こえてるよ。こっちだよサーシャ」

 唐突に返ってきた返答にサーシャが振り返ると、そこにはブリミルが何かの操作パネルを前にして立っていた。

 身構えるサーシャ。十メートルばかりを挟んで対峙しながら、ブリミルは無感情に話した。

「よくここがわかったね。君にこの場所を教えたことはあったけど、あんな何気ない話を覚えてるとは思わなかったよ」

「あいにく、物覚えはいいほうなのよ。そんなことより、こんな場所でなにをしてるの? 答えてもらうわ」

「もちろんいいさ、君に隠し事をする気は僕にはないよ。順を追って話すとね、ここにはマギ族がこの星の生き物に関して集めた情報が詰まってる。マギ族は、このデータを元にして君たちエルフのような改造生命を作り出したんだ。ここまではいいかい?」

 サーシャは無言でうなづいた。サーシャにも、最低限の科学知識はエルフに改造されたときに脳に刷り込まれている。

「マギ族は、もう数え切れないほどの人工生命を作り出した。けど、それら全ての人工生命には、ある特殊な因子を遺伝子に組み込んで完成させた。僕は、その因子を調べるためにここに来たんだ」

「因子……なんのために?」

 意味がわからないと、問い返すサーシャ。現代でその光景をビジョンごしに見守る才人たちも、過去のブリミルの言葉を聴き逃すまいと沈黙して耳をすませた。

「マギ族が人工生命を作った理由はさまざまだけど、人工生命を作る過程でマギ族は用心をしていたんだ。つまり、もしも自分たちで作った生命体が想定外の行動を見せて危険になったとき、特定のシグナルを与えることで、その生命体を強制停止させる。安全装置としての、自爆因子をね」

「なんですって! それじゃ、わたしたちは体の中に爆弾を埋め込まれてるようなものじゃないの」

 愕然とするサーシャ。しかしブリミルはゆっくりと首を横に振った。

「心配することはないよ。その自爆因子に働きかけるシグナルは、マギ族同士で戦争が始まったときに誰かが消去してしまって、もうどこにもデータは残ってない。そんなものが残っていたら戦争にならないからね。君たちにも因子は埋め込まれてはいるけど、それはベースになった改造プログラム上のなごりなだけさ」

「じゃあ、そんな役に立たない因子のことを調べてどうするのよ?」

 問いかけると、ブリミルは軽く杖を振って見せた。魔法の光が輝いて、車ほどの大きさがあるスーパーコンピューターの一機が塵に返る。

「僕の魔法は、物質を構成する原子に直接働きかける力があるらしい。適当に使えば破壊するだけだけど、イマジネーションさえしっかりすれば、あらゆる物質を反応させることもできる。当然、その因子にもね」

「あんたまさか! 自分のやろうとしていることがわかってるの!」

 ブリミルの考えに気がついたサーシャが絶叫する。しかしブリミルは冷然として言った。

「もちろんわかっているさ。僕がその魔法を唱えた瞬間に、マギ族が手を加えたすべての生物は一瞬にして死に絶える。ドラゴンも、グリフォンも、メイジも、エルフも、そしてもちろん」

「わたしもあなたも死ぬ。この世界を道連れにして無理心中をはかる気なの!」

「違うよ、この世界を元に戻すだけさ。マギ族が荒らす前の、平和な世界にね。すでにここのコンピュータから、自爆因子の情報は引き出した。あと、必要な条件はひとつだけ……それが揃えば、とうとう完成するんだ。間違った命を正しい方向にやり直させる最後の魔法、『生命』がね!」

 虚無に支配されたまなざしで、高らかにブリミルは宣言した。

 その恐ろしすぎる魔法の正体に、現代の才人やルイズたちも戦慄する。

「『生命』なんて、とんでもないわ。悪魔のような絶滅魔法じゃないの」

 ルイズの言葉に、現代のブリミルは沈痛な面持ちでうなづいた。

 『生命』。なんて恐ろしい魔法だ……ハルケギニアにおいて、マギ族の手が加わっていない生き物のほうが少ないくらいなのに、そんなものを発動させたら世界はめちゃめちゃになってしまう。

 しかも、それが虚無の系統とともに現代にも受け継がれているとしたら。アンリエッタはルイズとティファニアを見て、納得したように言った。

「教皇が虚無の担い手を狙っていたのも、間違いなく『生命』の魔法を手中にせんがためだったのでしょうね。彼はあわよくば生命で人類とエルフを滅ぼし、一挙に全世界を手中に収める算段だったのでしょう」

 ほぼ、それで間違いないだろうと皆は思った。しかしブリミルに比べて力の劣る現在の虚無の担い手では生命の発動は難しい上に、ルイズやティファニアが言いなりになるわけはない。それに現在のハルケギニアの生態系は壊滅してしまうので、教皇としては使えれば幸運な手札の一枚として考えていたのだろう。

 ともあれ、恐ろしい魔法だ。エクスプロージョンや分解など比較にもならない、世界にそのまま破滅をもたらしてしまう。メイジの人口割合はハルケギニアの中でそこまで高くはないが、六千年のうちに平民とメイジの混血がおこなわれ、現在先祖にメイジがいると知らずに生きている平民は膨大な数に上るだろう。つまりは、ハルケギニアの人間のほとんどに自爆因子は潜在していると考えていい。

「でも、いくら始祖ブリミルでも、世界中の生き物にいっぺんに魔法をかけるなんて、そんな無茶なことができるの?」

 キュルケが、いくら始祖でも人間にそこまでのことができるのかとつぶやいた。確かに、仮に命と引き換えにしての魔法だったとしても限界はある。ましてあの当時のこと、ひとつの星を覆うほどの魔法をたったひとりのメイジがおこなうなど、ルイズが百人いたって不可能だ。

 しかしブリミルは、静かに口を開いた。

「確かに、僕ひとりの力では命と引き換えにしたって不可能だ。だけどね、虚無の系統にはそれを可能にする方法があるんだ。虚無の系統の使い魔のこと、知っているかい?」

 ブリミルがそう尋ねると、ティファニアがおずおずと手を上げた。

「あの、わたし聞いたことがあります。いいえ、わたしに忘却の魔法を教えてくれた古いオルゴールが、魔法といっしょに教えてくれた歌の中にそれが。確か、ガンダールヴ、ヴィンダールヴ、ミョズニトニルンと、最後に語ることさえはばかられるというのが一人」

「そう、主人を守る盾の役目のガンダールヴ。獣を操り主人を運ぶヴィンダールヴ。魔法道具を操るミョズニトニルン。今の僕はヴィンダールヴとミョズニトニルンはまだ召喚してないけど……最後のひとつ、リーヴスラシルというのが要なんだ」

 始祖の四番目の使い魔、リーヴスラシル。誰もが初めて聞く名前に、それがどういう意味を持つのかと息を呑んだ。

 エレオノールやルクシャナもすら、推論のひとつも口にしようとはしない。まったく想像できないからだ。使い魔である以上、なにかしら主人の役に立つ能力を備えているのだけは間違いなくても、まるで見当がつかない。

 しかし使い魔ということは、これからブリミルが召喚するということなのだろう。だが才人はおかしいと思った。ブリミルの使い魔はサーシャ以外には現在いないはずだ、何故? いや、尋ねるだけ無駄なことだ。なぜならこれからすぐにわかることなのだから。

 過去のビジョンは再開され、『生命』を使おうとする過去のブリミルと、それを止めようとする過去のサーシャが対峙する。

「蛮人、馬鹿なことはよしなさい。今さらマギ族の痕跡を消したって、世界は元に戻ったりしないわ。あなたは自分の手で世界を完全に滅ぼすことになるわ」

「サーシャ、それは視野が狭いよ。この狂いきった世界を蘇らせるには、一度完全にリセットしないといけないんだ。そうすれば、この世界は何万年か後に必ず元のように美しい世界に蘇る。僕はわかったんだ、なぜマギ族の中で僕だけが生き残ったのか、マギ族の痕跡を完全に消し去ること、それが僕の運命だったんだよ」

「違う! 人に決まりきった運命なんてないわ。運命なんて、そうあるように見えるだけよ。あんたのやろうとしてるのはただの虐殺だわ、そんなもの、絶対にやらせない!」

「なら、どうするね?」

 サーシャの怒声にも冷談な態度を崩さないブリミルに対して、サーシャはついに怒りを爆発させた。

「力づくでも、止めてやるわ!」

 床を強く蹴り、サーシャは雌豹のようにブリミルに飛び掛った。しかし、その行動は完全にブリミルに読まれていた。

「君ならそう来るだろうと思ってたよ」

 ぽつりとつぶやくと、ブリミルの姿が掻き消えた。サーシャの手はむなしく宙を掴む。

「テレポートね。どこに行ったの?」

 この手はこちらも読んでいた。ほぼ詠唱なしのテレポートならわずかな距離しか動けないはず、ならばこの部屋のどこかにまだいる。

 サーシャは周囲の気配を探った。前、右、左、そして。

「誰かをお探しですかぁ?」

 後ろからヌッっと声をかけられ、サーシャの背筋に震えが走った。

 振り返ろうとした瞬間、肩に何かが乗せられる感触がして視線だけを動かすと、ブリミルがすぐ後ろで肩に顎を乗せて笑っていた。

「きゃあぁぁぁーっ!」

 絹を裂くような悲鳴をあげてブリミルに殴りかかるサーシャ。しかしブリミルは一瞬早く身を引いていた。

「はぁ、はぁ……変態か!」

 息を切らせて空振りに終わった拳を震わせながら怒鳴るサーシャ。見守っていた才人たちも、「うわぁ……」と、犯罪者を見る目つきで顔を伏せている現代のブリミルを見ていた。

「せっかくだから、こういうのを最後にやってみたかったんだよ」

 過去のブリミルはいやらしい表情で、現代のブリミルは心底後悔してる様子で言った。

 人間、落ちるところまで落ちると色々な意味で吹っ切れるらしい。今のブリミルは、以前の面影がないほど闇に染まりきっていた。

 一方のサーシャは、怒り心頭といった様子でついに剣を抜いた。無理からぬ話だが、しかしブリミルはにやけ顔を崩さずに杖を振った。

「かっこいいねえ……いつまでも君と遊んでいれたら幸せだろうけど、ここでこれ以上消耗するわけにはいかない。君はここで僕のやることを見ていてくれたまえ」

 ブリミルが後ろ手でコンピュータのスイッチを押すと、停止していた大型ディスプレイが点灯した。薄暗い部屋に慣れていたサーシャの目が一瞬くらみ、その隙にブリミルは後ろに作り出した世界扉のゲートに飛び込んだ。

「じゃあね」

「しまった! 待ちなさい!」

 慌ててガンダールヴの力で飛び掛ったが、一瞬遅くブリミルはゲートの先に消え、ゲートもサーシャの眼前で蛍のように掻き消えてしまっていた。

 逃がしてしまった! まずい、今度はいったいどこへ?

 ブリミルを追って部屋を飛び出そうとするサーシャ。しかし慌てるサーシャの後ろのディスプレイから、ブリミルの声が響いてきた。

「僕を探す必要はないよ、サーシャ」

「蛮人っ!? そこは」

 起動したコンピューターのディスプレイに、ブリミルの姿が映っていた。彼の手にはなにやら端末のような機械が見える。彼が画像を動かすと、ブリミルはこの町の近くの荒野に立っていることがわかった。

「君がどんなに急いで走っても、もう間に合わない。けど、せめて最後は見守っていてくれ。僕の最後の仕事を、ね」

 ディスプレイからブリミルの声が聞こえる。サーシャは歯軋りしたが、ここから全力で走って向かったとしても二十分はゆうにかかってしまう。いくら虚無の系統の詠唱が長いとはいえ、間に合うものではない。

 本当に見守るしかできないのか、焦るサーシャの耳にブリミルの言葉が響いてきた。

「さて、今すぐ全世界に『生命』をかけたいところだが、そうもいかない。僕の精神力ではとても足りないからね」

「ならどうするっていうの? もったいぶらずにさっさと答えなさい!」

 こちらからの声も向こうに通じるだろうとサーシャが怒鳴ると、ブリミルは当然のように笑いながら言った。

「リーヴスラシル。僕の系統にはね、主の魔法力の消耗を代替する使い魔が存在するのさ。今まで君に遠慮して他の使い魔の召喚は避けてきたけど、見せてあげるよ。世界を終わらせる、僕の最後のパートナーをね」

 つまり、リーヴスラシルとは虚無の系統の補助燃料タンク、あるいは電池だということか。現代で見守っている面々は、確かにそれなら使い手の許容量を超えた魔法も使えると納得した。

 ブリミルはモニターごしに見守っているサーシャの前でサモン・サーヴァントの魔法を唱え始めた。いったいどんな使い魔が来るんだ? 息を呑んで見守る面々の前で、ブリミルが杖を振り下ろす。

 すると、召喚のゲートが現れた。ブリミルの前と、そしてサーシャの目の前に。

「これ、は……」

 サーシャは突然目の前に出現したゲートの輝きに困惑した。何故、ゲートがわたしの前に? わたしはすでにガンダールヴになっている、それなのに。

 現代で見守る面々も、まさかの出来事に目を丸くしている。

 つまり、リーヴスラシルに選ばれたのは……サーシャ自身。

 サーシャはその皮肉に笑いつつ、ディスプレイの中で使い魔を待っているブリミルを見ながらつぶやいた。

「そういうことなのね……っとに、さっきはああ言ったけど、運命ってやつはどこまでわたしにイヤがらせをすれば気が済むのかしら。でも、これならわたしがゲートを潜らなければ、あのバカはリーヴスラシルを得られなくて『生命』を使えない」

 そう、それが一番合理的だとアニエスやタバサはうなづいた。

 しかし、ルイズやミシェルらはわかっていた。サーシャは、そういうことができる人間ではないことを。

「けどね……あのバカから逃げ出すなんてこと、わたしができるわけないじゃない。わたしの道は、いつでも前にだけあるんだから! いくわよぉーっ!」

 意を決してサーシャはゲートに飛び込んだ。傍から見れば、彼女も立派なバカの一員であるが、人間はわかっていても意地を通さねばならないこともある。

 ゲートを飛び越え、最初に見たのはブリミルの驚愕の顔であった。そのまま懐に飛び込んで、思い切り顔面を殴り飛ばす。ブリミルは派手に吹っ飛ばされて地面を転がった。

「ぐ、うぅぅ……な、なんで君が? いや、そうか、そういうことか」

「そうよ、どういうわけか知らないけど、わたしは二重に使い魔に選ばれちゃったみたいね。恨むなら、あんたの魔法を恨みなさいよ、バーカ!」

 事情をブリミルも理解し、自分の運命の皮肉に苦笑いした。なんたることか、最後くらいサーシャには負担をかけたくないと思っていたのに、とことんこの世は思い通りにならないようにできているらしい。

 ブリミルはゲートを通ってきたものがなんであれ、すぐにリーヴスラシルに契約して『生命』の魔法を使おうと思い、すでにコントラクト・サーヴァントの魔法は完成させていた。が、まさか相手がサーシャで、出てくるなり殴り飛ばされるなどとは完全に想定外であった。

「まいったねこれは。一応聞くけど、このまま僕と二重契約に応じてくれる気は?」

「死ね」

「だろうねえ」

 当たり前すぎる答えで笑うしかない。相手がそこいらのメイジや幻獣などだったら強制契約も可能だったが、相手がサーシャではそれもどうか。

 勝てないとは思わない。その気になればサーシャを打ち倒し、契約させることもできる。しかしそれは、いけない。

「弱ったね、僕にはどうしてもリーヴスラシルの力が必要なんだけれど」

「じゃ、どうする? 嫌がる女の子を押し倒して無理矢理唇を奪ってみる? それこそ最低ね!」

 サーシャを怒らせたことは山ほどある。けど、そんな強姦魔のような真似をして心を踏みにじることはしたくない。

 どうせすぐにふたりとも死ぬのだからいっしょではないか? そんなことはわかっている。けど、それでもサーシャに嫌われたくないと思ってしまうのは、人間の心の持つ矛盾というやつだろう。

 あきらめろと言ってくるサーシャ。だが、それでもブリミルは引くことはできなかった。ブリミルの心を覆う闇が、どこまでも終焉を求めて止まなかったのだ。

「仕方ない、僕だけでは不完全だけれど、それでもこの星の半分にかけるくらいはできるだろう。サーシャ、今度こそほんとうにさよならだ」

 ブリミルは杖を掲げて呪文を唱え始めた。その狂気に取り付かれた目に、サーシャは力づくでもブリミルを止めるために飛び掛る。しかしブリミルは杖をサーシャに向けて魔法を放った。

『エクスプロージョン』

 魔法の爆発が炸裂し、サーシャの体が吹き飛ばされる。サーシャはとっさに受け身をとったが、その顔は驚愕に歪んでいた。

「そんな、同時にふたつの魔法を!?」

「サーシャ、僕はもう君の知っている僕じゃない。僕の中に渦巻く真っ黒い闇が、僕にどんどん力を与えてくれるんだ。今の僕にとって、生命を唱えながら君をあしらうなんて何ほどもない。そこで黙って見ていたまえ、痛くはないさ、すぐに終わる」

「確かにすごい力ね。けど、わたしはあんたほど世界に絶望しちゃいない。わたしひとりじゃあんたに勝てなくても、わたしには仲間がいるわ!」

 涼しげなブリミルにサーシャが啖呵を切った瞬間、猛烈な突風がその場を吹きぬけた。砂塵が巻き上がって視界が封じられ、そしてブリミルの動きが止まったとき、彼の体は大きな手に掴まれて宙に持ちあげられていた。

「リドリアス! 偉いわ、よくやったわね」

「なっ? こ、この怪獣は」

「わたしの新しい仲間よ。いくらあんたでも、わたしとこの子までいっしょに相手はできないでしょ。リドリアス、そのままそいつを捕まえてて、わたしがたっぷりおしおきしてあげるんだから」

 サーシャの危機に駆けつけてきたリドリアス。ブリミルも、さすがにこればかりは想定外であった。体はリドリアスにがっちりと掴まれて逃げ出せず、下手に呪文を唱えようものなら死なない程度に「ボキッ」としてやれとサーシャが命じてしまった。

「すごいねサーシャ。たったあれだけの時間で、もう新しい仲間を作ってしまうとは。本当に君には驚かされることばかりだ」

「それは違うわ。わたしはただ、前へ歩き続けただけ。歩き続けたから、巡り合いがあったのよ。ブリミル、考え直して。まだこの世界には生き残っている人が必ずいるわ。仲間を増やして、わたしたちの手で世界を作り直しましょう」

 必死にサーシャはブリミルを説得しようとした。まだ希望はある、世界を終わらせる必要なんてないんだと。

 だが、ブリミルの目に宿った虚無の光は消えなかった。いや、それどころかサーシャにとって最悪の事態が起ころうとしていたのだ。

「サーシャ、君の希望が彼にあるというのはよくわかった。しかし、君は大事なことを忘れている。この世界には、小さな希望なんかすぐに押しつぶしてしまう巨大な厄災があるってことを」

 ブリミルがそう言って空を見上げると、サーシャも釣られて空を見て、そして凍りついた。空には、いつの間にか金色の粒子が渦巻いていたのだ。

「ヴァリヤーグ!? こんなときに!」

 最悪のタイミングでのカオスヘッダーの来襲であった。

 まずい! ブリミルの魔法の強烈さに引き寄せられたのであろうか? いや、そんなことはどうでもいい。あれの目的は、ひとつだからだ。

「逃げてぇ! リドリアス!」

 サーシャが叫んだときには遅かった。カオスヘッダーは一気に収束すると、リドリアスに向かって舞い降りてきたからだ。

 カオスヘッダーに取り付かれて苦しむリドリアス。ブリミルはその隙にリドリアスの手から逃れて、魔法でひらりと地面に着地した。

「仲間を作っても、どうせヴァリヤーグに奪い取られる。そんな世界に希望なんてない。だから終わらせるんだ、僕の手で」

 再び『生命』の魔法を唱え始めるブリミル。そしてリドリアスもカオスヘッダーに完全に取り付かれて、長い爪を持つ凶悪な姿のカオスリドリアスに変異させられてしまった。

 最悪に続く最悪の事態に、サーシャは悔しさで歯を食いしばった。

 けれど、それでもまだ終わってはいない。サーシャは駆けた、ブリミルの元へ。

「ブリミルーッ!」

「君は本当にあきらめが悪いね。無駄だと言っているだろう」

 エクスプロージョンの爆発がサーシャを吹き飛ばす。倒れこむサーシャを見下ろして、ブリミルは悲しげに告げた。

「そこでじっとしていてくれ。僕は、君をこれ以上苦しめたくない」

「誰が……ふざけたことを、言ってるんじゃないわよ」

 サーシャは立ち上がる。その目には、ブリミルと反対のものを宿らせて。

 しかしサーシャの敵は後ろにもいた。カオスリドリアスがサーシャを踏み潰そうと飛び掛ってきたのだ。

「リドリアス! やめて、正気に戻って」

 とっさにかわし、リドリアスに呼びかけるサーシャ。だが、カオスヘッダーに意識を乗っ取られてしまったリドリアスはサーシャの呼びかけにも応じずに、さらに口から破壊光線を放って攻撃してきた。

「きゃあぁぁーっ!」

 ガンダールヴの力でかろうじて避けたものの、余波でサーシャはまた吹き飛ばされた。全身を打ち、死ぬほど痛い。

 だが、サーシャは精霊魔法をリドリアスにぶつける気にはならなかった。リドリアスは自分の命の恩人、本当はとても心の優しい怪獣であり、今ではかけがえのない仲間なのだ、傷つけることはできない。

 一方で、カオスリドリアスにとっては人間たちの事情などは知ったことではなかった。サーシャを片付けると、今度はブリミルに向かって攻撃の手を伸ばす。だがブリミルはエクスプロージョンをぶつけて、カオスリドリアスを退けてしまった。

「リドリアス! この蛮人、リドリアスは操られてるだけなのよ」

「わかっているよ。しかし、ヴァリヤーグに取り付かれてしまうと、もう元には戻れない。それなのに君はすごいね、本当に君は……でも遅い。今、『生命』は完成した」

 ブリミルは町へ向かって杖を振り下ろした。すると、町全体が光に包まれて一瞬のうちに消滅し、魔法の光はそのまま巨大な光のドームとなって膨れ上がり始めたのだ。

「は、はは。ついにやったよ、やったよサーシャ。あれこそが、『生命』の光だ。あの光がやがて世界中に広がって、その中の間違った命をすべて浄化してくれるんだ。すぐに僕らも、うっ!」

 言葉を途切れさせ、ブリミルは苦しそうにうずくまった。

 サーシャにはそれがすぐに精神力の異常な枯渇によるものだということがわかった。生命の強烈すぎる威力が、ブリミル自身を食い尽くそうとしているのだ。

 助けなくては、ブリミルは自分の魔法に食い尽くされて死んでしまう。けれどどうすれば? 生命力なら自分の魔法で回復できるが、精神力は移せない。

 いや、移せる……サーシャは、ブリミルを救える唯一の方法に気がついた。しかしそれをすれば……

「迷ってる暇は、ない。か」

 サーシャは苦笑すると、ブリミルの元に駆け寄って彼を抱き起こした。苦しげなブリミルが、うつろな瞳で自分を見上げてくる。

「サーシャ……?」

「しゃべらないで。今、助けてあげるから」

 サーシャはブリミルの頭を抱きかかえると、すっと自分の唇をブリミルの口に押し付けた。

 ふたりの三度目の口付け……死の淵にいたブリミルは、メダンの毒ガスの中でサーシャが息をくれたときと同じように、甘い蜜のような香りを嗅いだように思えた。

 そしてそれは、不発になっていたコントラクト・サーヴァントによる二度目の契約の合図。サーシャの胸元にルーンの刻まれる光が輝き、彼女は二度目となる焼け付く熱さを耐えた。

「うっ、ううぅ……っ」

「サ、サーシャ」

「大丈夫、使い魔の印が刻まれてるだけだから……」

 サーシャは痛みに耐え切った。サーシャはリーヴスラシルになった。だがそれは、ルーンが刻印されるなど比べ物にならない苦痛に襲われることを意味する。

 神の心臓、リーヴスラシル。その効果は、主の代わりになって己の命を削ることである。

「あっ、あああぁぁーっ!」

 ルーンが輝き、サーシャの全身から力が抜けていく。リーヴスラシルの力が働いて、ブリミルの代わりに『生命』の魔法がサーシャの命を吸い尽くそうとしているのだ。

 胸元を押さえて悲鳴をあげるサーシャを、意識を取り戻したブリミルが抱き上げた。

「サーシャ、君は僕のために自分から。なぜだい、なぜそこまでして僕なんかのために?」

「な、なに言ってるのよ……わたしは、あんたに山ほど貸しがあるを忘れたの? それに、あんたが死んだらわたしは……わたしは、ひとりぼっちになっちゃうじゃない」

「サーシャ、僕は、僕は……」

 みるみる弱っていくサーシャを抱きかかえながら、ブリミルの心に自分でもわからない困惑が広がっていった。

「サーシャ、僕は救われる価値なんてない男だったのに、ごめんよ」

「な、なに言ってるの。蛮人の価値なんて、知ったことじゃないわ。あんたはただ、あんたでいればいいの。わたしは、それだけでいいんだから」

「うう……けど、もう遅いよ。『生命』の魔法は、もう僕にも止められない。リーヴスラシルの、君の力を吸い尽くしたら、あとは勝手に世界中に広がっていく。どのみち、もう数分の命なのさ」

 自嘲するブリミル。ほんの少し延命できても、すぐに生命の光に飲み込まれてすべてが終わる。

 だが、それを聞いたサーシャの顔に笑みが灯った。

「なあんだ、なら簡単じゃない」

「え?」

 ブリミルが反応する間もない瞬間のことであった。サーシャは片手で剣を逆手に持つと、半死人とは思えないほどの速さで、それをそのまま自分の胸へと突き立てたのだ。

 リーヴスラシルのルーンの真ん中を長剣が貫き、背中まで貫き通す。

 ごふ、とサーシャの口から血が吐き出され、サーシャの瞳から急速に生命の輝きが消えていく。そして少し遅れて、ブリミルの絶叫が響き渡った。

「サ、サーシャぁぁぁーーっ!」

 ブリミルは、いったい何が起こったのかわからなかった。抱き起こしたサーシャの体から血があふれ出し、ブリミルの手を赤く染めていく。

 しかしサーシャは、まるで勝ち誇ったかのように笑いながら言った。

「や、やった。『生命』が、わたしの命を吸って動くなら、吸い尽くされる前にわたしが死ねばいいってことよね……これで、あれは止まるわ。よかった」

 見ると、リーヴスラシルのルーンも力を失ったように輝きを消している。それに、『生命』の光も膨張をやめたようだ。

 だが、ブリミルにはそんなことはどうでもよかった。自分の腕の中で血の気を失っていくサーシャを抱きしめながら、とてつもない後悔が心を襲ってきていたのだ。

「サーシャ、なんて……なんてことを。僕のせいだ、僕がこんなことをしたばっかりに」

「バカね、やっと正気に戻ったのね……よかった。最後の最後で、やっと本当のあなたに会えた」

「そんな、最後だなんて言うなよ。君はいつも、いつだって僕や誰かのために一生懸命で……僕は、僕は、ただ君のためになりたくて。君のことが大好きで」

 するとサーシャは、片手でブリミルの頬をなでながら優しく語りかけた。

「ありがとう……わたしも好きよ……バカで、マヌケで、役立たずで、明るくて、頑張り屋のブリミル。最初は大嫌いだったけど、今では大好き」

「死ぬな、死なないでくれサーシャ。僕がバカだった。やっと気づいたんだ。世界よりも何よりも、僕が大事なのは君だ! 愛してる! 君をもっともっと幸せにしたい。だから死なないでくれ。君を失ったら、僕は、僕は」

「大丈夫、あなたはきっと、ひとりでも立てるわ。そして、その力を今度は、大勢の人のために使って……あなたならきっと、世界を救えるわ」

「なぜだ、なぜ君はそこまでして他人のために……こんな、悪夢のような世界の中でも希望を持てるんだい?」

「言ったでしょ、未来に決まった形なんて無い。どんなことだって、最初はみんな夢物語だったんだよ……忘れないで、希望も絶望も、描くのはあなた……未来はいつでも、真っ白なんだよ……」

 サーシャのまぶたが閉じ、手がぱたりと地面に落ちた。

 サーシャ? サーシャ? おい、嘘だろう? ブリミルが揺さぶっても、もうサーシャが答えることはなかった。

 まさか、と思うブリミルの見ている前で、サーシャの左手のガンダールヴのルーンと胸のリーヴスラシルのルーンが消滅する。使い魔の印の消滅は、死別によるものだけである。

 ブリミルはサーシャの遺体を抱きしめ、慟哭した。

「うおおぉーっ! サーシャ! サーシャぁぁぁーっ!」

 大粒の涙を流しながらブリミルは叫ぶ。

 また……またも自分の愚かさのために、大切な人を失ってしまった。サーシャは、サーシャはこんなところで死ぬべきではなかったというのに。

 大罪人は自分のほうだ。本来ならば、この剣で刺されていなければいけないのは自分のはずなのに、サーシャは自分を犠牲にして助けてくれた。

「サーシャ、頼むから目を開けてくれ。僕は救世主なんかじゃない。ひとりぼっちで生きていけるほど強くない。僕には君が、君が必要なんだ」

 サーシャは答えない。ブリミルはこのとき、サーシャの代わりに死ねたらどんなにいいだろうかと思った。

「誰か、誰でもいい、サーシャを助けてくれ! 代わりに僕の命をやる。サーシャ、僕をひとりにしないでくれえ」

 罪に気がついたときには、何もかも遅すぎた。世界を浄化しようなんてたわ言も、結局はサーシャの優しさに甘えていただけだった。

 サーシャがいつも隣にいて、笑ってくれる。それが、それが自分の原点だったというのに。

 だが、ブリミルには悲しみに浸り続けることも許されなかった。倒したカオスリドリアスが再度ブリミルを狙ってやってきたからだ。

「ヴァリヤーグ……あくまでも、僕らを滅ぼそうというつもりかい。もう僕から奪えるものなんて何もないというのに」

 サーシャを失った今、もう惜しいものなんて何もない。どうせ死ぬつもりだったんだ。いっそこのまま、サーシャといっしょに死ねれば幸せだ……けれど。

 ブリミルは涙を拭いて、サーシャを抱きかかえて立ち上がった。

「でも、僕の命は僕だけのものじゃない。サーシャが譲ってくれた、サーシャの命なんだ。僕は救世主なんかにはなれない。それでも、僕は世界のどこかで僕を待ってくれている人のために死ねない!」

 どんなにつらくても、どんなに苦しくても、もう投げ出したりはしない。サーシャの教えてくれた心で、最後まで歩き続ける。それが、サーシャに報いるための、自分にできるたったひとつの愛だから。

 光線を撃ち掛けてこようとしているカオスリドリアス。ブリミルは覚悟を決めた。もう魔法の力なんて残っていないけれども、サーシャの友人に背を向けない。絶対に、誰も見捨てない。

「僕は最後まで、あきらめない!」

 ブリミルの叫びが空を切る。

 目の前の巨大な絶望に対して、それはむなしい負け惜しみか、断末魔の叫びか。

 いいや、どんな絶望を前にしても、折れない強い意志は蟷螂の斧ではない。サーシャへの誓い、本当の愛に気づいたブリミルの魂の叫びは、その強い意志で奇跡を呼び寄せた。

 星へと近づいていた青い流星が、方向を変えてブリミルとサーシャの元へ舞い降りる。それはまさに光のようなスピードで。

 カオスリドリアスの光線がブリミルへと迫り、ブリミルはサーシャを抱きしめて死を覚悟した。だがそのとき、青い光がふたりを包み込んで光線をはじき返し、神々しい輝きとなって闇を照らし出したのだ。

 

 光の中で、ブリミルはサーシャが誰かと話しているような光景を見た。

 辺りは光に包まれ、とても暖かい。ブリミルは、これが死後の光景かと思った。

「僕は、死んだのか? サーシャ、君が迎えに来てくれたのかい?」

「いいえ、あなたは死んでないわ。そして、わたしも」

「えっ? 確かに、君は」

「そう、けれどあなたのあきらめない心が、彼を呼び寄せてくれた。この世界を救える、最後の希望……ありがとうブリミル。おかげで、わたしももう一度戦える。あなたとわたしの故郷の、この大切な星を守るために!」

 サーシャの手のひらの上に、青く輝く美しい石が現れる。その輝石から放たれる光がサーシャを包み、思わず目を閉じたブリミルが次に目を開けたとき、ブリミルは荒野に立つ青い巨人の姿を見た。

 

 あきらめない心が運命さえも変える。本当の愛を知ったとき、ブリミルとサーシャの新しい旅立ちが始まる。

 さあ、歩み始めよう。君たちが掴んだ、新しい未来とともに。

 そして呼ぼう、希望の名を。サーシャの教えてくれた、青き勇者のその名前は。

 

「光の戦士……ウルトラマンコスモス!」

 

 

 続く

 

 

 

 

 

 

【挿絵表示】

 


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。