ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第48話  あの闇の中へ進め

 第48話

 あの闇の中へ進め

 

 深海竜 ディプラス

 根源破滅天使 ゾグ(幻影) 登場!

 

 

 この世界の行く先を左右するであろうトリスタニアでの戦いを、全ハルケギニアや東方のエルフたちも注視している。

 しかし、確かにそれは過去数世紀来の大事件であろうが、同等の重要さを持つ戦いが同じトリステインですでに始まっていることを知る者は少ない。

 高次元捕食王アークボガール。惑星すら軽く食い尽くす恐るべき宇宙の悪魔を止めるべく、東方号は異世界からの救援を求めにラグドリアン湖の底へと潜行した。

 だが、ラグドリアン湖の底はいまだハルケギニアの何人もたどり着いたことのない未知の領域である。どんどんと深さを増していく中で、水圧という悪魔は少しずつ東方号を握る手を強めていっていた。

 深度千メイル、二千メイル、三千メイル。まだ東方号はビクともしない。だが、本当の地獄はまだこの先に待っているのだ。

 

 

 ミシリ……

 

 

 東方号の耐圧装甲から、はじめて恐れていた音が皆の耳に響いた。

 空耳ではない。それは一度ではなく、続いて、ミシリ、ミシリと連続して響いてくる。それまで水の精霊とのおしゃべりに夢中になっていたキュルケたちは、とうとう来るべきときが来たことを察し、コントロールパネルを扱っていたティラに目を向けた。

「現在、ラグドリアン湖の水面下一万メイル。ここから先は、鉄の塊を紙くずみたいに握りつぶす死の領域よ。メイジのみんな、お楽しみは終わりよ、用意して!」

 ティラの叫びで、メイジは全員杖を握り締めて息を呑んだ。

 これより先は、この耐圧区画の外に出ようものなら人間など一瞬でグシャグシャにされてしまう、水圧の支配する絶対領域。海棲人パラダイ星人でも耐えられないほどの完全に未知の暗黒水域だ。

 そこを目指し、東方号はひたすら沈んでいく。本来ならば、最深部でも耐えられるように念入りに建造されるはずだったのが半分もいかず、耐えられるのはここまでが限界だ。ここから先は、不足する強度を補うために中から魔法で補強してやらねばならない。

『念力』

 手を触れずにものを動かす魔法の応用で、中から力をかけることで水圧を相殺する。キュルケとドゥドゥーが魔法をかけたことにより、不穏な音がやんだ。

「やった! 成功ね」

 キュルケが、どんなもんだいとでも言うかのように得意げに叫んだ。だが、コルベールは目つきを緩めることなく釘を刺す。

「いや、こんなものは序の口だ。ここから先、水圧は比べ物にならないほど強くなってくるはずだ。皆、精神力の使いすぎには注意するんだ。少しの油断が、この先はそのまま死につながることになる」

 コルベールの警告に、ドゥドゥーとジャネット以外は気を引き締めなおした。ここからが本番、力を試されるのは、ここからだ。

 そのとき、外を観察していたティアが引きつった声で言った。

「みんな、下を見てみて。これ、すごいわよ」

「なんだい? お、こりゃあ……たまげたね」

 ドゥドゥーも、その光景には思わず息を呑んだ。ティアが映し出した東方号の周囲の光景、それを赤外線処理で昼間のように明るく映し出したところには、ようやく見えてきたラグドリアン湖の湖底と、湖底を裂くように広がっている巨大な亀裂が見えたのだ。

 亀裂の幅は少なく見積もっても五リーグほど。それが湖底からさらに深くへと断崖のように沈みこんでいる。底は深すぎてとても見えない。コルベールは、その地上では決してありえない光景を見て、ぞっとしながらつぶやいた。

「大水崖だ……とうとう見えてきたぞ」

「だい……なんですの、それは?」

「かつて、優れた水の使い魔を使役していたメイジが歴史上唯一観測したという、ラグドリアン湖の底に広がる巨大な谷のことだ。別名は、青い地獄の淵。これより深くは、いかなる使い魔も到達することはできず、その底はハルケギニアの永遠の謎と言われてきたんだ」

「と、いうことは。わたしたちが、向かうべき目的地は」

「そう、水の精霊の都は、この大水崖の底にあるということだ」

 ついに、ついに目的地が見えてきた。この先は、完全なる人跡未踏の魔境。ハルケギニア永遠の謎に挑むこととなる。

 覚悟を決めるのを待つまでもなく、東方号は大水崖の中へと沈んでいく。左右に見える景色は、断崖の両側の壁のみ。垂直に切り立ったその岸壁の険しさは、火竜山脈とて比較にもならないだろう。

 下はまったく見えない。まるで、無限永劫に続いてるかのようだ……いったい底などあるのか? 息を呑む彼らに対して、水の精霊が短く言った。

「よくここまでやってきたな、単なる者たちよ。道のりはあと半分だ」

「あと半分? ということは、あと……一万メイル、ですか」

 コルベールが額で輝く汗をぬぐってつぶやいた。あと一万メイルの深さに、この東方号は耐えられるのだろうか。外でタバサの姿で浮いている水の精霊はすました様子だが、普通の生き物にとってはここはまさに地獄そのものだ。

 と、そのとき外の様子を水質や温度なども含めて観察していたティラがいぶかしげに言った。

「おかしいわね。水中の塩分濃度がすごい勢いで増えてる。この成分分布だと、まるで海の中じゃない。精霊さん、もしかして」

「そうだ。異世界への門の先は、ときおりどこかの世界の海とつながることがある。我らもそうして来た者であり、ここより深くは深海と変わらない世界が広がっている。心せよ」

 言われてみれば、外を泳いでいる魚の様子も変わっているようだ。まさか、湖の中に海があるとは誰も思わなかった。日本のとある湖は地底で海につながっていて、そこから大ダコが出てきたことがあるというが、これは文字通りスケールが違う。

 だが、見とれている場合ではなかった。再び、船殻がミシミシときしみだしたのだ。キュルケとドゥドゥーに加えて、今度はジャネットも『念力』をかけてようやく収まるが、安心した者はいなかった。

「水の力が、強くなってきているのね」

「そうだ。スクウェアクラス三人で、ようやくギリギリだと言っただろう。ミス・ファーティマ、このぶんだと水中呼吸の魔法も早く必要になるかもしれん。準備を頼むよ」

「わかった。わたしもこんな海で水練などしたくないからな。しかし、なんという不穏な海だ……この下に精霊の住まう場所があるなどと、とても信じられない」

 こんな海に沈んだら永遠に死体も浮いてこないだろう。深度はすでに一万メイルを軽く突破し、エルフの水軍もこんな深さまで潜ったものはいない。

 

 すべてにおいて、世界初のことを自分たちはやっている。しかし偉業を成しているという実感はまったくない。

 ひたすらに、下へ、下へ、下へ。光ではなく闇の方向へと、ひたすらに降りていく。その先に、本当の希望の光があると信じて。

 

 しかし、深度一万三千メイルを超えたときだった。水の精霊が、突然慌てた雰囲気で言ってきたのだ。

「まずい、来る。あれがこっちに向かってくる」

「なんですって? なにが、何が来るっていうんですか」

「悪意に満ちた生命。幾万と月を重ねた過去に異なる海からやってきて、湖底に眠り続けていた、我の力も及ばぬほど凶暴な獣がやってくる」

 なんだいったい? 水の精霊の抽象的な言い方に、皆はいぶかしるが、何か危険が迫ってきているのだけは確かなようだ。

 いったい何がどこから来る? そのとき、レーダーを睨んでいたティラが叫んだ。

「右、下方からなにかが接近してくるわ。なにこれ大きい、それに速過ぎる。普通の生物じゃありえないわ。気をつけて!」

「気をつけてって、いったい何に気をつければいいんだい!?」

 ドゥドゥーが困惑して叫び返すと、キュルケは「あ、この子なんかギーシュに似てるわね」と思った。

 けれども危機は遠慮も容赦もなしにやってくる。ティアの言ったとおりの方向から、東方号を目掛けてすごい速さで黒いヘビのような物体が近づいてきたのだ。

「な、なにあれ? 竜? 海蛇?」

「海竜か? いや、大きすぎる! まずい、ぶつかるぞ。避けろコッパゲ蛮人!」

 ファーティマがコルベールに怒鳴るが、もちろんコルベールにそんなことをすることはできない。

「誰がコッパゲ蛮人だね! せめてコッパゲか蛮人かどちらかにしたまえ。避けるなど無理だ! この船は沈むしかできないと言ったはずだぞ。くっ、奴はぶつける気だぞ。みんな、なにかに掴まれ!」

 そして皆が慌てて手近にあった何かに飛びついた瞬間、ヘビのような巨大ななにかは東方号に頭から突っ込んできた。とたんに激震が走り、彼らのいる耐圧区画の中もミキサーのように揺さぶられる。それでも念力の魔法は使い続けたままでいたが、あちこちに体をぶつける羽目になって、鈍痛が皆の顔をしかめさせた。

 だが、ぶつかってきた何者かがすれ違って行ったときに、相手の姿ははっきりと見えた。東方号の巨体と比較しても遜色のない長さの。

「巨大なウミヘビ? いえ、あの大きさはもう怪獣ね。水の精霊! なんであんなのがいるのに黙ってたのよ」

「奴は、今日この日までじっと眠り続けていたのだ。だが、邪悪な波動を受けて突然目覚めて動き出した。だがお前たちとはかなり離れた場所で暴れていたので、気に止める必要はないと思っていた。急にこちらに方向を変えて襲ってきたのだ」

「邪悪な波動? それって、もしかして」

 アークボガール……そう察するのに時間はいらなかった。奴の出現が、ラグドリアン湖に眠っていた古代の怪獣をも蘇らせてしまったというのか。

 しかし、なぜ東方号を狙ってくる? エサに見えたのか? 縄張りを荒らされたと思ったのか?

 いや、考えるだけ無駄だ。今の東方号は逃げられないし、武器もないのだ。このままでは、間違いなくやられてしまう。かといっていくらメイジでも船の中ではどうしようもなく、キュルケたちはコルベールに詰め寄った。

「ミスタ・コルベール、なんとかならないの? ほら、いつもあなたが自慢してる秘密道具とか」

「発明品は基本ができあがってから取り付けるはずだったんだ。今の東方号に戦う術はなにもない。奴があきらめるか飽きるまで、耐えるしかない!」

「そんな、耐えるって言っても」

 東方号が頑丈とはいっても怪獣の攻撃には持ちこたえられないことはわかっている。ましてや今の東方号はただでさえボロボロの状態なのだ、そんな耐久力がはるかに下がった状態で怪獣が飽きるまで耐えろというのか。

 船体から装甲や武装がはがれて水中に散っていく。今の一撃だけでも相当なダメージになっている、これ以上の攻撃を受けたらそれこそ。

 だが、怪獣はこちらに考える余裕など与えてはくれなかった。東方号に体当たりして、そのまますれ違っていった怪獣が反転してこちらを向いたとき、怪獣の頭部に生えている一本の触角の先端が黄色く光り、稲妻状の光線が発射されたのだ。

「うわあぁぁぁっ!」

 大爆発が起こり、耐圧区画の中もさらに激しく揺さぶられた。

 部品が砕けて水中に舞い散り、船体ががくりと傾く。中にいた人間も無事では済まず、折り重なって壁だった床に投げ出され、魔法のランプが叩きつけられて砕け散り、明かりが消えて室内は漆黒の闇に包まれた。

 大量の水泡を吐きながら沈んでいく東方号。だが、怪獣、深海竜ディプラスはなおも敵意を揺るまさせずに、沈んでいく東方号をめがけ牙をむいて襲い掛かっていった。

 

 

 大ピンチに陥った東方号。しかし、危機は彼らだけでは済んでいなかったのだ。

 湖の上で、東方号の帰りを待つ仲間たち。その彼らの前で、信じられない光景が空に浮かんできたのである。

「み、見ろ! 空が、空が割れて何かが出てくるぞ!」

「あれは、まさかアークボガール? ばかな、いくらなんでも早すぎる!」

 小型船の上から望み、一同が慌て、ダンの驚愕する声が響く。

 そう、まだアークボガールが出てくるまでには数時間は必要なはずだ。なのに、いったいどうして!

 納得できない一同とダンを見下ろして、アークボガールは勝ち誇ったように告げた。

「馬鹿めが! 確かに貴様の念力で痛い思いこそしたが、ディナーの邪魔をされた我の怒りと飢えの嘆きが糧となって傷は癒えたのだ」

「よく言う。要するにお預けに耐えられなくなっただけではないか、お前のようにマナーのはしくれもわきまえていない奴に食わせるものなど、この世界のどこにもない」

「負け惜しみを。この宇宙のすべては我の胃袋を満たすためにあるのだ。もはやお前に我に対抗する力などはないことはわかっているぞ。さあ、覚悟するがいい。今度こそ、このちっぽけな湖ごと我の腹におさめてやるわ」

 次元の裂け目から湖畔に降り立ち、アークボガールは高らかに勝ち誇った。

 奴を見るのが二度目のベアトリスたちだけでなく、初めて見るギーシュたちや銃士隊の皆も、人間とまったく同じレベルで流暢に話すアークボガールを見て驚いている。超獣以外にもこれほど知能の高い怪獣がいたとは、なんということだ。

 アークボガールの再出現で、空気が震え、湖が波打ちだす。奴は蘇っただけではなく、飢えに耐えかねてパワーが漏れ出しているのだ。余波だけでこの威力とは、ハルケギニアを食い尽くすという言葉にももはや疑う余地はない。

 しかも、悔しいが奴の言うとおり、もはやこちらに打つ手がないのも事実だ。奴が吸引を始めれば、ものの数秒で全員が船ごと飲み込まれてしまうだろう。そして我慢の限界に来ている奴に、もう言葉で時間を稼ぐという手は使えない。

 もはやこれまでか、しかしアークボガールが腹の吸引器官に力を込めようとした、そのとき。

『ナイトシュート!』

 空から降り注いできた一条の青い閃光がアークボガールの足元を撃って爆発し、驚いた奴は体勢を崩して空を見上げた。

 そしてそこから降り立ってくる、青と赤のふたりの巨人。

「すまないセブン、遅くなってしまった」

「ヒカリ! お前たち、無事だったのか」

「なんとか、飛んで帰ってこれるだけの体力は取り戻せてきた。アークボガール、私の命が続く限り、貴様の思うとおりにはさせんぞ」

 ウルトラマンヒカリとウルトラマンジャスティスのふたりのウルトラマンがアークボガールの前に立ちはだかり、闘志を込めて構えをとる。

 次いで、小船の上から湧き上がる水精霊騎士隊の歓声。ウルトラマンがふたりも助けに来てくれた。これならば勝てると、期待が巻き上がる。

 だが、ダンは険しい表情を崩さず、アークボガールはまるで脅威を感じていないというふうに笑った。

「フハハハ、馬鹿め。おとなしく星屑のように待っていれば長生きできたものを、お前たちは文字通り、戻ってこれただけの体たらくではないか。そんなしなびた野菜のような姿で、我を倒せると思っているのか?」

 そう、ヒカリとジャスティスは回復が追いついていなかった。アークボガールから受けたダメージは残ったままで、その証拠にカラータイマーが赤く点滅し続けている。

 ふたりとも万全にはほど遠い。それでも、ハルケギニアの危機を見過ごせずに来てくれたのだ。

 完全に余裕を示すアークボガールに対して、ヒカリとジャスティスはもう後がない状態だ。ジャスティスはクラッシャーモードにチェンジする余力はなく、ヒカリもこれ以上光線技を使う余裕はなく、ナイトビームブレードにすべてを託した。

 勝ち目はほとんどない。そのことを水精霊騎士隊も気づいて、表情が一転して不安に変わる。しかし、ヒカリとジャスティスはあきらめてはいない。

「アークボガール、お前にはウルトラマンのなんたるかがわかっていない。決してあきらめないことの強さを、お前に教えてやる」

「お前がどんなに強さを誇ろうとも、力に頼る者に待つのは滅びのみだ。お前も、すぐに知ることになるだろう」

「ほざきおったな。この星を喰らえば、もはやこの宇宙に我に敵うものはいなくなる。だが、さんざん我をじらさせた貴様らをもう許しはせんぞ。少しだけ遊んでやる、そして心の底から後悔しながら死ぬがいい!」

 アークボガールも戦闘体勢をとり、ふたりのウルトラマンを迎え撃つ。

 駆けるジャスティス、斬り込むヒカリ。だがそれは、なぶり殺しにも似た一方的な殺戮劇になるであろうことは、もはや誰の目にも明らかであった。

 

 

 そして、急変はラグドリアンだけではなく、いよいよトリスタニアでも起ころうとしていた。

 

 トリステイン・アルビオン連合軍と、ガリア・ロマリア連合の激戦が続くトリスタニア。戦局は防戦につとめるトリステイン側の厚い防御陣に阻まれたロマリア側が足踏みを強いられていたが、トリステインの指導者層でこんなダラダラした戦況がこのまま続くと楽観している者はいなかった。

 王政府の人間は、おおむねがアンリエッタに賛同して王宮に残っている。信仰心からロマリアを選び、去った者も少なからずいたが、アンリエッタは追うことも処罰することもせずに、財産も持たせて行かせた。信仰を強制せずに、信じる対象は自由意志に任せるというのがトリステイン側の大義名分であるので、ここだけは譲れなかった。ただし、もしも戦場で敵として相対した場合は一切の容赦はしないと釘を刺すことも忘れてはいない。

 そのおかげで、幸いにもトリステイン人同士で相打つといった状況はほとんど起きていない。去っていった者たちも、昨日までの主君に杖を向けることを忌避する感情があったし、ロマリア側もトリステイン人同士を戦わせて、後で問題が起きることを望まなかった。

 もっとも、少数ではあるが、ロマリア側に情報を売り渡したり、積極的に参戦することでロマリアに自分を売り込もうとする恥知らずな元トリステイン貴族も存在した。もっとも、そういう連中は信用が置けないことは特にガリアの軍人はよくわかっており、情報を引き出された後は様々な方法で秘密裏に始末されたらしい。

 戦闘自体は局地戦でも、戦争の醜愚の光景は例外なく、今後も絶えることはないだろう。それらの内容はアンリエッタにもそのまま報告され、今日もまた彼女はマザリーニ枢機卿から手渡された戦況報告の書類を読んで表情を曇らせた。

「戦況は硬直状態ですか。一応は、こちらが想定したとおりに状況は流れているようですね。しかし、犠牲はどうしても出てしまうのですね。今日もまた、始祖のためにと戦い、始祖の元へ行った方々がそれぞれの陣営で生まれてしまいました」

「女王陛下、これは陛下が始めることを決めた戦争ですぞ。もっとしゃんとなさいませ……と、私も言うだけならば簡単ですな。王たる者、戦との縁は切っても切れませぬ。味方だけでなく、敵の兵卒の死にも心を痛める陛下の御心はさぞつらかろうと思います」

 心身ともにまだ若すぎるアンリエッタの心労をいたわって、マザリーニは優しげに告げた。

 しかし、アンリエッタの表情は晴れない。それに、気落ちしているのは彼女だけではなかった。王宮にかくまわれているティファニアもまた、戦場に近い場所にさらされていることでの圧迫に耐えていた。

「ティファニアさんも、大丈夫でしょうか?」

 話題を変えて、アンリエッタは尋ねた。彼女とティファニアは遠縁に当たり、ふたりとも仲を深めたいと思っていたが、これまではなかなか二人でゆっくりと話す機会もなかったのだが、マザリーニは首を振った。

「今はそっとしておくべきでしょうな。陛下の察しのとおり、あまりよくはありませぬが、彼女にとって、世界で一番安全なのはここなのですから仕方がありますまい。彼女には、できるだけ凄惨な状況は伝えまいとしていますけれども、それでも感じるものは感じてしまいます。彼女のことは、あの方にまかせましょう。あの方の頼もしさは、陛下もよくご存知のことでしょう」

 マザリーニにそう言われて、アンリエッタは無言でうなづいた。本音を言えば、ティファニアとは語り合いたいことは山ほどある。しかし戦時で神経が張り詰めた今の自分が行けば逆効果だということはわかっている。

 指導者とは孤独だ、とアンリエッタは思った。

「女王など、ならなければよかった」

「王になる者は、たぶん皆そう思うのでしょう」

 ガリアのジョゼフ王もだろうか? と、アンリエッタは思った。権力を私物化し、国政を省みずに好き放題しているというあの男もまた、王という器に苦しめられているのだろうか。

 いや、考えてもせんなきことだろう。王家と言えば、ティファニアにもアルビオン王家の血が流れているが、彼女にはとても女王などは務まるまいとアンリエッタは思った。自虐するわけではないが、彼女は自分と比べても純粋で優しすぎる。

 わたくしの姪のことを頼みますわと、アンリエッタはティファニアの護衛についているトリステイン最強の騎士に祈った。

 ティファニアは、王宮の一室が与えられて休んでいる。部屋には窓はないが、外からは兵士の叫び声や軍隊の喚声が漏れ聞こえてくる。最初は『サイレント』の魔法で、それらもシャットアウトしようかとされたがティファニア自身が断った。外の情報を遮断しすぎてしまったら、外に出ることになったときの覚悟ができなくなってしまうからだというのが理由だった。

 しかし、覚悟を決めたつもりでいても、漏れてくる声で想像できる外の惨状は彼女の神経をすり減らさせた。以前ティファニアといっしょにウェストウッド村に住んでいて、今はトリスタニアの孤児院に預けられている子供たちは安全な場所に疎開させたから、その点だけは安心できたが、ティファニアは見知らぬ誰かでも人死ににそ知らぬ顔を続けられるほど強くはなかった。

 数少ない心を許せる相手はロングビルことマチルダやルクシャナであったが、猫の手も借りたい状況では、マチルダはロマリアに不審な動きがないかを監視するため、ルクシャナは先住魔法の力を買われているために、常に彼女といっしょにいれるわけではない。せめてカトレアの手が開いていればよかったのだろうけれど、彼女ほどの腕利きのメイジを遊ばせておけるほどトリステインには余裕はなかった。

 今、ティファニアの心を安定させられているのは、護衛についているカリーヌによるところが大きかった。

「今日もまた、なんの罪もない人たちが死んでいっているのですね……」

「そうだな。まあ、よくあることだ」

 嘆くティファニアに、カリーヌはそっけなく答えた。トリステインの切り札、『烈風』は通常の戦闘で出すには強力すぎ、こうして待機がてらティファニアがロマリアに狙われるのを防いでいる。なお、もしも外で異変があった場合には、彼女の使い魔が即座に視界を共有して知らせるので出遅れる心配はない。

 が、ティファニアはどうにもこの怜悧な貴婦人が苦手であった。まず話が合わないし、そもそも部屋でじっと瞑目していることが多くて、恐る恐るお茶を淹れていったときも無言で飲んだだけだった。

 怖いです……ルイズさんのお母さんというから、こういう人なのは納得できますけど、空気が重すぎます。

 悪い人ではないのはわかるけれど、こういう状況に慣れていないティファニアにはつらかった。しかし互いに嫌っていたわけではなく、犠牲者が増えることにいたたまれなくなったティファニアに、カリーヌはこう言ったのだ。

「嘆くのはけっこうだが、あまり自分を追い詰めすぎるな。女王陛下と教皇のどちらが正しいにせよ、この戦場に集った者は皆それぞれの意志で戦っている。死ぬのもまた、彼らが選んだ結果ゆえだ。お前を含め、ほかの誰のせいでもない」

「でも、兵士の皆さんだって人間です。それぞれの人生があり、家族がいるはずです。でも、わたしはここで守られているしかできません」

「それで罪悪感を感じる必要はない。お前は、孤児を十人ほど育て上げたそうだな。仮にこの戦で千人が死んだとしても、お前の子供たちは十年後には子供を作って二十人に増える。さらに十年後には、兄弟ができて五十人に増える。百年後には、その子供たちに子供や孫ができて、さらに何百年後には一万人を超えるかもしれない。それで吊り合いは十分だ。想像してみろ、その未来を」

「わたしの、ウェストウッド村の子供たちが……いつか一万人に、ですか」

 ティファニアは、カリーヌに言われた光景を思い浮かべた。大人になり、多くの家族を持つ子供たち。その子供たちがさらに多くの家族へと広がっていく……そこまでの未来を、考えたこともなかった。

「そうだ。千の人命が失われるのは確かに悲惨だ。だが、十人を生かすことはもっと尊い。時を経れば、十万にも、百万人にもなるからな。私は騎士として多くの敵をこの手で屠った。しかし、その代わりに守るべき者は守り、なにより三人の娘を育て上げた。それだけで、私は己の価値を万人に誇れる。戦いに倒れた者たちも同様だ、同情されるべきなにものもない!」

 カリーヌにがんとして言われて、ティファニアは心臓をわしづかみにされたような衝撃を覚えた。

「はい、わかりました。いいえ、わかったような気がします。わたしは……傲慢だったのかもしれません。ただ、命があるかないか、それだけが価値だと思い込んでいました」

「実際は、そこまで単純ではないが、それはいずれ学んでいけばいい。だが、常に己の心に誇りを持ち続けることを忘れるな。戦う誇りのある人間は、どんな苦境でも心が折れることはない」

 その言葉は、ティファニアの胸に深く染み入ってきた。戦う誇り……自分は、とても戦士にはなれない。しかし、今の自分の中には戦うことのできる力が眠っている。

 思い浮かんだのは、救えなかったエルザの最期。もし、あのときの自分にカリーヌの言うような誇りがあれば。過ちは、繰り返してはいけない。

 きっと、自分と、自分の中に眠るもうひとりの力が必要になるときが近くやってくる。

”そのときには、わたしも……”

 避けられない戦いがすぐそこまで来ていることを、ティファニアは懐の中に仕舞いこんであるコスモプラックを握り締めて思った。コスモスは、アークボガールのことをティファニアには伝えていない。彼女への負担が大きすぎることになるだろうと判断したからだが、彼女の力を借りねばならない事態がすぐにでも訪れかねないことを彼も覚悟していた。

 そして、同じように重圧に耐えているアンリエッタにも、マザリーニが諭す言葉をかけていた。

「陛下、腐っても神に仕える身であるこの私も、いまや教皇聖下公認の異端者です。が、私もなによりも女王陛下を信じたくてトリステインに残った次第、だから申し上げさせていただきます。犠牲に涙する陛下のお優しさは宝石よりも貴重だと思いますが、陛下がそうして悲しまれてばかりおられては、少なくとも女王陛下のために散った我が軍の兵たちのためにはなりませんぞ」

「非才なわたくしめには、少しでも犠牲が少なく済むようにと、祈ることくらいしかできませぬ。それでも、何かできることがあるというのですか?」

「そうですね。なら、たとえ話をしましょう。女王陛下が将来結婚して子供が生まれたとしましょう。その子供に命の危険が迫って、女王陛下が犠牲になる代わりに、その子が助かったとします。陛下は、生き残ったお子さんにいつまでも悲しみ続けていてほしいと思いますか?」

「いいえ、わたくしでしたら、自分の死などは乗り越えて、より強く立派に育ってほしいと思います」

「でしょう? 兵たちもそれと同じです。悲しむことは大事ですが、散った者の思いを無駄にしてはいけません。あなたは散った者たちに「よくやった、見事でした」とお褒めの言葉をおかけになり、その者の名を覚えていればよいのです。それでもつらいのでしたら、戦争が終わった後の処理のことを考えていなさい。そうすれば、兵たちも安心して天国に行けることでしょう」

「ありがとうございます、マザリーニ枢機卿。少し、気分が楽になった気がします。ですが、恐らくはもう長くは続かないと思います。そろそろ教皇もしびれを切らしてくる頃でしょうからね」

 彼女の勘が言っていた。戦線は固まり、消耗戦の体をなしてきている。それにこれ以上長引けば、兵たちの士気も下がる一方である。

 教皇がなにかを仕掛けてくるならタイミングは今しかない。そしてそれは完全に的中していた。

 

 

 トリスタニア郊外のロマリア軍陣地で、戦況を見守っているヴィットーリオは、まったく進まないトリスタニア攻略戦を焦るでもなく静観していたが、ついに腰をあげようとしていた。

「さて、頃合ですね。もう皆さん、じゅうぶんに戦争ごっこは楽しんだことでしょう。まったく人間という種は、ほかの生き物を平気で殺戮するだけでなく、同じ種でもなんの疑いもなく争う。我々の慈悲ももはや限界……ジュリオ、用意はいいですか?」

「はい、すべてとどこおりなく。今は我が軍とトリステイン軍がほどよく離れています。アルビオンの艦隊もいらっしゃっていますし、観客は申し分ないかと」

「よろしい。今日を持って、このくだらない戦争を終わらせましょう。彼らの信ずる神の加護の元に」

 ヴィットーリオは空を見上げ、トリスタニアの真上の空に視線を集中させた。すると、虫の雲に覆われた空に黒い渦巻きが現れ、その中心に不気味に笑う顔が一瞬現れて消えた。

 

 その間にも、街では戦闘が続いている。魔法騎士隊、銃士隊、名もない兵卒たちが死力を尽くしてトリスタニアを守ろうとしていたが、少しずつ異変の予兆は始まっていた。

 それにもっとも早く気がついたのは地上で戦っている銃士隊だった。

「全員気を張れ! もうじきアルビオン艦隊の援護がはじまる。そうすれば敵は引いていくぞ!」

「待てミシェル、なにか様子がおかしい。なにか……なにか聞こえないか?」

「え? そういえば……なんだ、波の音のような……鈴の音のような」

 アニエスとミシェルに続いて、銃士隊の隊員たちも、ふと聞こえだした奇妙な音に耳を済ませた。

 いったいなんだ? 空耳ではない。皆に聞こえている。いや、遠巻きに対峙している敵兵も聞こえ始めたようで、耳を立てているのが見えた。

 とっさにアニエスは全員を固めて防御陣をとらせた。戦士としての勘が言っている、戦場で理解不能な出来事に直面したときには、必ず悪いことが起きると。

「おい! 空を見ろ」

 誰かが叫び、見上げた誰もが言葉を失った。

 空を、まるで砂金のような金色の粒子が舞っている。いったいなんだ、敵の策略か? 両軍ともにそう疑い、身構える。

 いつの間にか、トリスタニア全域が金色の光に照らし出されていた。人々は例外なく空を見上げ、王宮でも事態の急変にアンリエッタがバルコニーに現れていた。

「何事ですか? これは、敵の魔法攻撃なのですか」

「わ、わかりませぬ。女王陛下、なにが起こるかわかりません。どうか中に」

「かまいません。何が起ころうと、わたくしにはすべてを見届ける義務があります……思ったとおり、仕掛けてきましたね」

 来るべきときが来た。彼女はそう確信した。

 これまでの戦いは、いわば目くらまし。この世ならざる力を持つ教皇は、必ずや奇跡という名目でトリステインをつぶそうとしてくるはず。

 ならば、この見るからに神々しい光景は演出にふさわしいではないか。そして、次に来るものこそ……アンリエッタは、切り札の使用も含めて覚悟を決めた。

 

 光溢れる世界、それは神の領域。神は天上の光溢れる世界に住まい、ときおり光と共に光臨して人々に祝福を与えるという。

 神話に伝えられる救世の時。それはかつてロマリアで現実となり、そして再びトリステインのここでも再来する。

「て、天使だ。天使さまだぁーっ!」

 大気を揺るがす喚声とともに、それは空から降りてきた。

 光をまとった、数百メイルの大きさはあるのではという巨大な白い天使。それが人々の見上げる前で、ゆっくりとトリスタニアへと降りてくる。

「天使だ、天使さまだ」

「なんとお美しい。おお、また天使さまのお姿を拝むことができるとは」

 ロマリアの兵たちは、かつて光臨して怪獣を消し去り、教皇聖下に祝福を与えた天使の再来に感動してひざまづいて涙を流している。

 一方で、トリステイン兵たちのあいだには動揺が広がっていった。

「なんなんだ、あれは!」

 普通の人間にとっては理解を完全に超えた範疇の出来事に、頭がついていかなかったとしても仕方ない。

 トリステイン側で理解できているのは、かつて見たことのある銃士隊の面々のみだった。

「隊長、あれです! あれがロマリアに現れた天使です」

「そうか、なるほどな。これは確かに、見るからに見るからな奇跡だ。奴ら、本気で神を気取っているのか。馬鹿馬鹿しい!」

 アニエスは吐き捨てた。ロマリアがどういうところか、彼女もよく知っている。あんなところに、間違っても神の祝福などあるわけがない。

 だが、神々しい天使の姿は両軍ともに理性を失わせるほどのインパクトを与えたのは間違いない。兵たちは戦いを忘れて天使を見上げ、ひざまづいて祈りをささげている者も少なくない。

 白磁でできた天使像のように、純白の天使はゆっくりとトリスタニアの町並みに降り立った。その姿はほんとうに巨大で、王宮すら見下ろすほどに背丈が高い。

「天使さま」

「天使さま……」

 もはや戦争のことなどは誰もが忘れていた。チクトンネ街ではスカロンたちが啞然としており、近くまでやってきていたアルビオン艦隊の将兵たちも言葉を失っている。

 ロマリアの人間たちは、教皇とともに祈りの姿勢をとり、神の御心にすべてをゆだねようとしている。

 

 しかし、あれが天使だなどと信じない者もいる。

 アンリエッタは最初からあれが天使だなどとは思っていない。あれが現れたとき、ルイズはその消息を絶った。自分の大切な親友を奪うものが、天使などであるはずがない。

 バルコニーから憎憎しげに巨大天使を見上げるアンリエッタの視線にも天使は動じない。だが、天使はついにその腕を抱きかかえるように動かし、手のひらのあいだに波動球を作り出すと無造作に街に向かって投げ下ろしたのだ。

「うわあぁぁっ!?」

 波動球が爆発を起こし、トリスタニアの街と共にトリステイン兵たちが吹き飛ばされていく。

 攻撃!? 天使が!?

 人々が状況を納得することもできぬまま、天使は次々に波動球を撃ちはなってトリスタニアを火の海にしていった。

 頭上からの攻撃には兵士たちもどうすることもできない。さらに天使から撃たれたということはトリステイン兵たちの士気を激減させ、逆にロマリア兵たちの士気を最大にあげた。

「おお! 天使が、天使さまがトリステインを撃っておられるぞ。天罰だ、神に逆らった異端の徒に天罰が下されているのだ」

「やはりこの戦の正義は教皇聖下にあり! これぞ奇跡だ。いや、必然なのだ」

 逃げ惑うトリステイン軍を見て、ロマリア軍はあざ笑った。そして、そこに魔法で増幅されたヴィットーリオの声が響いたのだ。

「我が信仰深き神の使途の皆さん。今こそ立つ時です! 天使は、我々の信仰を守る必死の思いに答えて再び降臨されました。今こそブリミル教徒はひとつとなり、異端の徒を打ち倒すのです!」

 その声が引き金となり、ロマリア・ガリア軍はときの声をあげて総攻撃に打って出た。もはや戦術もなにもあったものではないただの突撃だが、迎え撃つトリステイン軍は士気が崩壊しかけている。

 このまま激突すれば鎧袖一触でトリステイン軍は蹴散らされて勝敗は決まってしまうだろう。統制を保っているのは銃士隊くらいだが、そんな少数ではどうしようもなかった。

 そしてついに、天使の波動攻撃が王宮のアンリエッタに向けられたときだった。

 

『エア・カッター!』

 

 特大の空気の刃が波動球を両断し、そのまま聳え立つ天使に直撃させて大きく揺るがしたのだ。

「なっ! て、天使が」

 天使をのけぞらせるほどの攻撃に、発狂の一歩手前にまで進んでいたロマリア兵たちも足を止めて振り返った。

 そして、天使と王宮のあいだに舞い降りてくる巨鳥が人々の目を引き、その背に乗る騎士の放った声が戦場に響き渡った。

「トリステインの戦士たちよ、臆するな! たとえ目の前に何が立ちはだかろうと、お前たちが信じると決めたものはなんだ? 忠義、信義、故郷、家族、信仰、我らの正義は少しもゆらいではいない! それらを思い出し、誇り高く立ち直れ! あんなものを恐れるな。我らの街を土足で踏みつけ、人間を蹂躙するものが果たして天使か? 皆のものよ、偽りの天使は私が叩き潰す! 勝利を信じ、我に続け! 我が名は烈風、我ある限り敗北はない!」

 トリステイン軍すべてから怒号のような喚声が沸きあがった。

 そうだ、あんなものは天使ではない。正義は変わらず我らにある。

 対して、一歩も進めなくなったのはロマリア軍だ。天使を揺るがすとてつもない魔法……あれが生きる伝説、ハルケギニア最強のメイジ、烈風に違いない。

 けれど彼らに後退は許されなかった。引けば、始祖への信仰心が揺らいだことを自白することと同じになる。完全に機能を取り戻したトリステイン軍の防御陣に突撃するしか道は残っていなかった。

 戦いは、まさにこれが最終局面。それを理解し、アンリエッタもヴィットーリオも声を枯らさんばかりに自軍に激を飛ばした。

 だが、ヴィットーリオは烈風の力の強大さは想定外だったものの、まだまだ余裕を崩してはいない。

「烈風カリン……アルビオンでの戦いでの実力を基準にして考えていましたが、それ以上を隠していましたか。ですが、いくらあなたが強くてもそれに勝つことはできません。それの秘密を解かない限りは、決してね。そして、それはこの世界の人間には絶対に不可能なのですよ」

 結果は揺るがない。予定は狂わない、それを確信して、ヴィットーリオは聖人面をしてロマリア軍へと激を飛ばしていった。

 

 

 明日の夜明けすら待たずに、今にも滅亡のカウントダウンとなろうとしているハルケギニア。

 さらに、それを覆せるかもしれない唯一の存在である東方号もまた、最大の危機に陥っていた。

「圧力がさらに上がったわ! これ以上はもう船が持たない。バラバラにされちゃうわよ!」

 ラグドリアン湖の底へと沈んでいく東方号。その船体にはディプラスが長い体を巻きつけて締め上げており、今にも押しつぶしてしまいそうな力をかけ続けていた。

「これじゃ、湖底に着くまでに海の藻屑にされちゃうわ。ミスタ・コルベール、ほんとになんとかならないの?」

 キュルケが悲鳴のように叫んだ。ドゥドゥーやジャネットも必死に念力の魔法で支え続けてくれているが、もう何分も持たないことは明白だ。しかしコルベールは苦しげに首を振った。

「だめだ、本当にもう手がない。打てる手は尽きた。浮上しようにも、もう間に合わない。すまない、後はもう、始祖に祈るくらいしかない」

「そんな……」

 コルベールすらさじを投げてしまったのでは、もはやキュルケたちに手段があろうはずがなかった。

 湖底まで、あと数千メイル。それまでを耐えるなど、とても不可能だ。

 だが、そのときティラがつぶやくように言った。

「いいえ、まだひとつだけ。打てる手があるわ」

「なんだって、それは本当かい!」

 全員の視線が刺すようにティラを向く。そして、ティラはゆっくりと語り始めた。

「この船のエンジンのエネルギーを、電気ショックにして奴にぶつけるの。あなたたちにわかりやすく言うと、ライトニング・クラウドのすごいやつに変えてぶつけるの。うまくいけば、奴は驚いて離れていくかもしれない」

「なんだい、そんないい方法があるなら早く言いたまえよ。ぼやぼやしてないで、早く早く」

 ドゥドゥーが急かすようにティラに言う。しかし、ティラの苦悶に満ちた表情に、他の皆は気づいていた。大きな代償を伴うであろうことに。

「ただし、それをすればエンジンに残ってるぶんのエネルギーは底を尽くわ。つまり、もう二度と浮き上がることはできなくなるでしょうね」

 

 

 続く

 


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