ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第36話  五十万エキューの転成

 第36話

 五十万エキューの転成

 

 海凄人 パラダイ星人

 古代怪獣 キングザウルス三世 登場!

 

 

「小娘が、確かに並のメイジではないようだが、貴様一人で我ら空中装甲騎士団三十人を倒せると思っているのか?」

「ええ、確かに普通にやりあえばわたくし一人では敵わないでしょうね。でも、今のあなた方なら話は別ですわ。教えてあげるから光栄に思っていいわよ、刈り取られる快楽というものを」

 ハルケギニア最強格の竜騎士団を、ひとりの少女が笑っている。

 彼女の名前はジャネット。ガリア北花壇騎士の中の一団、通称元素の兄弟のひとり。コルベールとベアトリスの暗殺の命を受けてこの街へとやってきたが、偶然エーコたちと空中装甲騎士団の戦いを目の当たりにして気まぐれを起こし、エーコたち水妖精騎士団に味方するために飛び入ってきた。

 しかし完全武装の兵団を相手に、いかにも戦闘に不向きそうなドレスをまとった少女がどうやって勝とうというのであろうか。ジャネットは傍らに立つエーコに視線を向けると、命令するように言った。

「あなたがリーダーね。そういうわけだから、わたしの言うとおりに動きなさい。そうしたら勝たせてあげる」

「なっ! 突然現れて、あなたいったい何様のつもりなの? わたしたちは姫様以外の命令を受けるなんて」

「勝ちたいの? 負けたいの? 嫌ならわたしは帰るけど?」

「う、お、お願いします……」

「よろしい、素直な子は好きよ」

 ジャネットは無邪気そうな笑みを浮かべると、教師が生徒を褒めるときのように優しくうなづいてみせた。

 しかし、次の瞬間には小動物を見下ろす猛禽のような鋭い視線となってエーコたちを見返してきた。

「あなたたち、戦い方は素人だけどこういう場面ははじめてじゃないようね。ただまあ、あなたたちはいいけど、そっちでまだ腰を抜かしているカカシたちはねえ?」

 見ると、エーコたちの後ろでは水妖精騎士団の少女たちが、まだ決心がつかないというふうに震えていた。

 だが無理はない、どんなに頭に思っても、戦いはつらいもの、怖いもの、痛いものだ。今日はじめてそれを知ったばかりの彼女たちを責めるのは酷でしかない。ただし、人生とはその繰り返しでもあるのだ。

「あなたたち、あなたたちみたいなのでも、今は人手が足りないから手伝いなさい」

「えぅ、で、でもわたしたちみたいなのじゃあ」

「大丈夫よ、わたしの言うとおりにするだけでいいから。わたし、これでも結構強いほうだから、悪いようにはしないわ」

 ジャネットの誘いにも、少女たちは迷っているようだった。それも無理はない、相手は自分たちより少し年上に見えるだけの少女で、身なりからして戦うようにはとても見えないからだ。

 だが、敵を無視して悠然と少女たちと話しているジャネットに対して、空中装甲騎士団は怒りで答えた。

「貴様、我々をなめているのか!」

 騎士のひとりが放ったウェンディアイシクルの氷弾がジャネットを襲った。あのタバサも得意としている水と風の強力な攻撃魔法、高速で鋭くとがった氷の弾丸を複数同時に撃ち出して敵を打ち据える。普通の人間が食らえば、よくて大怪我、下手をすれば死に至る。

 だがジャネットは避けるそぶりも見せずに、唯一腕を上げて顔をかばうだけで、氷の弾丸のすべてをその身で受け止めてしまった。

 当然、声にならない悲鳴が少女たちからあがり、エーコやティアたちも思わず顔をしかめた。蜂の巣だ……あれではとても、と、誰もが思った。が。

「ひどいわねえ、レディの会話に割り込むなんて男の風上にも置けないわ」

「なっ、なんだとお!」

 空中装甲騎士団から驚愕の声が響いた。なんと、ジャネットに当たったウェンディアイシクルは、そのすべてがはじき返されるか砕け散ってしまって、一本たりともジャネットに傷を与えたものはなかった。ドレスにすら破れ目もついていない。

 ジャネットは体に残った氷の破片を手で払って、にやりと笑って見せた。凶暴な、強者が弱者を見下すときの侮蔑しきった目である。

「いっ、いったい何をした貴様?」

「別に、たいしたことじゃないわ。魔法が当たる直前に、当たるところに『硬化』をかけただけよ。大抵の攻撃なら、これでどうにでもできるわね」

 簡単そうに言っているが、それが理論上はともかく現実的には不可能に等しい神業なのはここにいるほぼ全員がわかっていた。なぜなら、魔法は詠唱をはじめてから発動して効果を得るまでにどんなに鍛えても時間差が生じ、ジャネットの言うようにやろうとしても、硬化が働く前に氷の弾が刺さってしまっていることだろう。車に例えれば、空走距離も制動距離もなく停車しろと言っているに等しい。こんな真似は、空中装甲騎士団の猛者たちでさえ、できない。

 しかし、ジャネットはいともたやすくその神業を成功させてしまった。

 何者なんだ、この女は!? ティラとティアを除く、メイジの心得のある全員がそう思って戦慄するが、ジャネットは気にした風もなく少女たちに言った。

「さて、これでわたしのことは少しは理解してくれたでしょ。もう一度だけ聞くわよ、杖をとる? それとも汗臭い男たちに頭を下げて逃げ帰る?」

 ジャネットの問いかけに、少女たちはあどけなさの残る顔に、ぐっと決意を込めて立ち上がった。

「やります、勝たせてください」

「ふふ、いいわ、あなたたちのその表情すごくいい。じゃあ、パーティをしましょう。楽しくね」

 楽団の指揮をとるようにジャネットが杖を振り、水妖精騎士団はついに全員が集合した。

 対峙するふたつの騎士団。だが、ジャネットの存在におじけずく空中装甲騎士団を見かねてか、空から数騎の竜騎士がドラゴンに乗って降り立ってきた。

「なにをしているか、こんな子供らを相手に!」

「こっ、これは軍団長殿!」

 それはベアトリスの元にやってきていた空中装甲騎士団の指揮官だった。兜の中からのぞく壮年の顔立ちには威厳が溢れ、カイゼル髭を伸ばした風貌は一目で強そうと誰もが感じた。

 彼らはドラゴンから降り立つと、自ら先頭に立って杖をかざしてきた。指揮官が帰ってきたことで、空中装甲騎士団も士気を取り戻す。

 こんな相手に、どうやって勝てというのか? 少女たちの問いかけに、ジャネットは楽しそうに微笑んで言った。

「そう緊張した顔しないでいいわ。パーティはほら、楽しくやるものよ? 震えた唇からは心に響くソナタは出てこないの。歌うように奏でるように、魔法はハートよ、それがすべての基本だからね」

「そんなの子供でも知っているわよ。そんなことより、わたしたちのつたない魔法で、どうやってあの人たちに勝つのか、早く教えてよ!」

「慌てない慌てない、あの騎士さんたちは親切にも竜騎士の一番の武器であるドラゴンから降りて戦ってくれる人たちよ。むしろ勝ってあげなきゃ失礼なんだから」

 そう、これまでまがりなりにも水妖精騎士団が空中装甲騎士団とやりあえている理由はそれが大きかった。重い鎧は高い防御力を誇るが、地面の上では重石に等しく、動きが大きく制限されてしまう。重装備はドラゴンに乗って飛び回っていればこそ、その真価を発揮できるのだが、彼らは女子供を相手に竜を使えるかと、自らのプライドにこだわって竜を呼ぼうとはしなかった。

 もしも、彼らがドラゴンに乗って空から攻めてきたら水妖精騎士団にはどうあがいても勝ち目はなかったであろう。が、そんなことをすれば嫌でも人目について、女子供をドラゴンに乗っていじめる騎士団という不名誉な噂が広がってしまうのは間違いない。

 水妖精騎士団にとって、唯一有利な点はそこで、空中装甲騎士団は自重で思うように動けず、魔法をぶっ放つ砲台のようにしか戦えない。しかし、それでも歩兵が戦車に挑んでいくような無謀さである。もちろんバズーカのような便利な武器は持っていない。

 にも関わらず、ジャネットは余裕だ。いったいどこからそんな余裕が出てくるというのだろう?

「いい? これからあなたたちにいくつかレクチャーしてあげる。それが全部できたら、必ず勝てるわ」

「は、はい。で、でも、あっ!」

「お前たち! いつまでごちゃごちゃしゃべっているか!」

 ジャネットの余裕の態度に空中装甲騎士団はしびれを切らした。いっせいに杖をこちらに向けて呪文を唱えてくる。数十人のメイジの本気の攻撃を受けたらジャネットはよくても、ほかの少女たちはひとたまりもない。とっさに、キュメイラとディアンナが防御の魔法を使おうとしたが、ジャネットはそれを軽く制して。

「いい? 勝利のためにレッスンその一、戦いというものはね」

「そんなこと言ってる場合じゃ! うわぁぁっ! 来る、来るわっ!」

「戦う前から始まってるのよ」

 その瞬間、空中装甲騎士団の周辺の地面が爆発した。白い煙がもうもうと立ち上がって、あっという間に空中装甲騎士団を包み込む。

「うぉわっ!? なんだ、このガスは」

「見えない、なにも見えない。おのれ、姑息な真似を!」

 視界を完全に奪われてしまった空中装甲騎士団は身動きを封じられてしまった。すぐさま風魔法を使って煙を吹き飛ばそうとするが、煙はなんらかの細工をされているようで、空中装甲騎士団にまとわりついてなかなか離れない。

 白い煙の塊になってしまった空中装甲騎士団を見て、ジャネットはくすくすと笑い続けている。その様子を見て、ユウリが感心したように言った。

「へぇ、あれはあんたの仕掛けかい?」

「ええ、あなたたちの前に顔を出す前にちょっとね。もっとも、遠隔錬金のちょっとした応用だからたいしたものじゃないけど」

 いや充分にたいしたものである。離れた場所にあるものに錬金をかけるのは相当高位のメイジでなければ難しい上に、空中装甲騎士団にまったく悟られず、さらに時間差で効果を発動させるなど普通は考えられもしない。

 が、ジャネットはそこで表情を引き締めると、エーコたちを向いて告げた。

「さて、ここからが問題よ。あの煙も、そう長くは持たないわ。その間に、あなたたちの魔法で一発ガツンとお見舞いしてやるのよ」

「そ、そんなこと言ったって! わたしたちの魔法じゃあ、全員でいっせいに撃ったって効き目がないのは見てたでしょ!」

「ただ一斉に撃てば、ね。あなたたち、賛美歌詠唱って知ってる?」

「さ、賛美歌詠唱って、あなた!」

 エーコや、その名を知っていた者が驚いたのも無理はない。それは確かに強力な攻撃方法だが、とても素人にできるようなものではない。名前の意味がわからずにきょとんとしている少女が尋ねてくると、セトラが額に汗を浮かべて説明した。

「ロマリアに聖堂騎士という精鋭騎士団がいるのは知っているでしょう。賛美歌詠唱は、彼らが使う合体魔法の通称よ。その威力は、小さな城を崩すほどだと聞いているわ」

「そ、そんなすごいものがあるんですか。あ、でも聖堂騎士団の必殺技ということは、もしかして」

「そう、普通のメイジに使えるような代物じゃないわ! 選び抜かれた精鋭が、さらに血を吐くような鍛錬の後にはじめて使える極意と聞くけど、そんなもの私たちに使えるわけがないじゃない」

「うふふ、心配しなくても、そんなお行儀のいいものをやってもらおうなんて思ってないわ。言ったはずよ、魔法はハートだって。魔法はね、ハートの持ちようでどうにだってなるの、それこそドットがいきなりスクウェアになれるくらいにね」

 そんな無茶な、と誰もが思った。魔法の威力が精神に左右されるのは常識だが、それとて限度がある。大抵は長い鍛錬と経験で少しずつ格を上げていくもので、一生をライン以下のクラスで終わる者も少なくはない。それをみんな知っているのに、このド素人の集団にいきなりスクウェアクラスのことをやれというのか。

「でたらめだわ! 魔法の常識にまるっきり反してる」

「そんなことはないわよ。あなたたちこそ、メイジの持つ底力を甘く見てるわ。あなたたちの知ってるそこらのメイジなんて、本来の魔法の力のほんの一部しか使えてないんだから。じゃ、やり方を教えるけど簡単よ。みんなで心の震えを最大にして同時にひとつの魔法を放つ、それだけ」

 簡単に言ってくれるが、方法を説明されただけでできるならば誰も苦労はしない。第一、心の震えを最大にしろと言ったってどうすればいいのか? 十数人もが心の震え、すなわち怒りや悲しみなどの感情を最大に高められるような「何か」がそうそうあるわけがない。

 しかしジャネットは困惑するエーコたちに向かって、人差し指をぴんと立てて言った。

「まだわからないの? あなたたちは一体なにで集まってきた団体だったのか、心をひとつにする絶好のネタがあるじゃないの」

「あたしたちの……って、ええーっ!」

 今度は全員がびっくり仰天した。このメンバー、水妖精騎士団が集まった理由と言えば。

「あっ、あなた! いったいいつから見てたのよ!」

「けっこう前からよぉ、あなたたちが汗を流してるところも、集まって召喚されし書物を楽しんでるとこもね。仲良きことは美しいわね、もう食べちゃいたいくらいだわ。特に、馬鹿な男に負けたくないって心意気は気に入ったわよ。実はわたしにも出来の悪い兄がいるんだけど、フォローにはいつもいつも苦労してるの。たまにはターゲットじゃなくてヘマした兄を撃ちたくなることもあるわあ。だから、あなたたちの男に対する憤りは理解できるつもり。その怒り、思いっきりぶつけてみたいと思わない?」

 まるで悪魔のささやきのようなジャネットの問いかけに、少女たちはごくりとつばを飲み込んだ。

 確かに、確かに、あの破廉恥きわまる水精霊騎士隊を完膚なきまで叩き潰してやりたいとは思っていた。そういえば、魔法の練習をしているときも、あのふざけた連中をへこましてやりたいと考えながらやっていたときは調子がよかったが、まさかそんなことで。

「わかってきたようね。レッスンその二、怒りは大切よぉ、怒りは人の心を一番燃え上がらせてくれるの。さらにレッスンその三、友達は大切にしなさい。火はひとつずつでは小さくても、集まれば大きな炎になるわ」

 そう言うとジャネットは、自分の杖を少女たちの前にかざした。

 それは、この杖に集えという合図。少女たちは息を呑み、それぞれの杖をジャネットの杖にかぶせるように合わせていった。

「そう、それでいいわ。後はわたしに合わせて呪文を唱えて、心の震えを高めながら魔力を高めていくのよ」

「けど、心の震えを高めるなんてどうしたら」

「簡単よ、嫌がるあなたたちに無理矢理迫ってきた破廉恥な男の顔を思い出しなさい。目をつぶって、あの顔に思いっきりパンチしたいと念じ続けなさい。その怒りが、そのまま力に変わるわ」

「わかりました……やってみます!」

 少女たちは決意した。エーコたち三人を加えて、水精霊騎士隊に恨みを持つ少女たちの目に火が灯る。

 だが、ジャネットは少女たちを見渡すと、底冷えのする声で言った。

「ただし、最後にひとつだけ言っておくわ? 杖はわたしが構えるわ、呪文もわたしが唱えましょう。魔力を合わせ、波長を整えて狙いを定め、号令もわたしが出してあげる。それでも……勝つのはあなたたちの意思よ」

「意思……」

「そう、どうして六千年ものあいだメイジが支配者でいれたと思う? それは魔法が意思の力をそのまま強さにできたからよ。亜人、幻獣、メイジ殺し、そんな限界を前にして、それでもあきらめを踏破できたときに魔法は無限の力を生み出してくれる。あなたたちにそれができるかしら?」

 ジャネットの問いに、少女たちは無言のうなづきで応えた。

 自分たちにどこまでできるかはわからない。だが、目の前のジャネットというメイジは、それらの大言を吐くだけの実力を有している。後はただ、実行あるのみ。

 にこりとジャネットは笑い、しかるのちに表情を引き締めた。

「じゃあやるわよ。系統も実力もバラバラなあなたたちの魔力を、わたしが集めてひとつにするけど、これには少しばかり時間がかかるのよね。そういうわけだから、そっちのお姉さんたち、よろしくね」

 軽くウインクをしながら合図されると、セトラやユウリ、ティーナたちはやれやれといった様子でうなづいた。

「仕方ないわね。まあ、私たちはオンディーヌの坊やたちに特に恨みはないし、時間を稼いであげるわ」

「あたしはこっちのほうがいいぜ。つるむのは元々性に合わねえからな、勝手に暴れさせてもらうよ」

「エーコたちのサポートが第一でしょ? 血の気の多い姉を持つと妹は苦労するよ。さあて、お姉ちゃんがんばっちゃうぞ」

 呪文を唱えているあいだのエーコたちに手を出させまいと、姉たちは杖を持って身構える。

 空中装甲騎士団を包んでいる煙幕も、そろそろ晴れる。そうなったら、怒りに燃える連中は傘にかかって攻め込んでくるだろうから、わずかな人数で死守しなくてはならない。これはまたいい塩梅の無理難題だ。

 だが、白煙が晴れて真っ先に頭を出した空中装甲騎士団員のの見たものは、自分に向かって飛んでくる靴の裏であった。

「でありゃぁぁっ!」

「ぐばはっ!?」

 間の抜けた声とともに、顔面にキックの直撃を受けた騎士がぶっ飛ばされた。

「ティラ、ティア!」

「皆さん、わたくしたちをお忘れとはひどいですわ」

「戦う意思を持っているのはメイジだけじゃないってことを見せてやるぜ。こっちはまかせてくれよ! この身に代えてもあんたらに指一本触れさせはしないぜ」

「ふたりともありがとう……でも、無理はしないで!」

 シーコの叫びに、ティラとティアはこくりとうなづくと、戦いの渦中へ入っていった。ふたりのグリーンの髪と衣装が華麗に舞い、まるでエメラルドの星が飛び交っているように見える。

 だが、空中装甲騎士団も今度は杖に『ブレイド』をかけて迎え撃ってきた。これでは、いくら身のこなしが軽くても、素手のふたりが圧倒的に不利だ。

 長くは持たない。ティアのスカートの端が切り裂かれてちぎれ、ティラの髪の数本が切られて舞う。

 それでもティラとティアはひるむことなく空中装甲騎士団の足止めをしてくれている。あの心意気に応えなければ貴族ではない、いいや女じゃあない。

 煙幕が切れ、ついに激突する空中装甲騎士団と、ティラ・ティアを含めた姉妹たち。戦況は最初から圧倒的に不利で、姉妹たちはかなわず倒されていくが、覚悟を決めた人間は強い。倒れながらも杖を振って食い下がり、一秒でも時間を稼ごうとしてくれた。

 そしてその間に、エーコたちは魔力を少しでも集めるために念じ続けた。

「ダス・ウィー・オンジュー・ウィス・アル・リィティロス……」

「まだよ、もっと強く、深く念じなさい。あなたたちが男に言われたことを、あなたたちが言われたことを思い出して」

 エーコたちの脳裏に、水精霊騎士隊の少年たちにナンパされたときの記憶が蘇ってくる。

 あのぎらぎら光った目、荒い息遣い、今思い出しても虫唾が走る。

 嫌だというのにしつこく言い寄られて、肩に手を置かれたときは本当に気持ち悪かった。壁際に追い詰められて迫られたときは泣きたくてたまらなかった。

 むろん、水精霊騎士隊の少年たちは少女たちに乱暴しようなどと考えていたわけではないが、ギーシュほど女性の扱いに慣れていない彼らの態度はねちっこくてしつこく、初心な少女たちから嫌悪感を買ってしまうばかりだったのだ。

 だがそれはそれ、少女たちは自分が受けた体験を思い出して感情を高め、魔力を込めていく。しかし、この程度ではまだ足りない。

「まだよまだ! もっと強く、思い出すだけじゃなくて想像しなさい。その男たちに体を触られることや、あなたのお友達の貞操が危機にさらされることとかね」

 ジャネットの言うがままに、少女たちはさらに怒りをつのらせていった。

 じわじわと、感情の高まりと共に魔力が増大していく。その高ぶりを感じて、ジャネットは自分も興奮のるつぼに身を焦がしていた。

”いいわぁ、この子たち、やっぱりわたしの見込んだとおりの素質を持ってる。ぞくぞくするような怒りや憎しみや嫉妬の波動! それになんて一生懸命な顔をするのよ、濡れちゃいそうなくらい可愛い可愛い可愛いわぁ。欲しい、この子たちをみんなわたしのお人形にしたい! でもだめよ、まずはわたしが約束を守らなきゃね。このくらいの感情じゃあまだ勝てない。あと少し! あと少しなにかで底上げしなきゃ、もっとこの子たちの憎悪をあおる何かがないかしら”

 よだれを垂らしたい欲求を抑えながらも、ジャネットは冷静に魔法をコントロールしていた。魔法力は順調にたまりつつあるが、これではまだスクウェアスペルに毛が生えた程度に過ぎない。空中装甲騎士団を一発で倒すには、あと一歩、なにかで魔力をブーストしてやる必要がある。彼女たちの感情を、文字通り爆発させる何かが必要だ。

”もう余裕もないことだし、こうなったらこの子たちの心を少々えぐる言葉を使ってでも、感情を高めてもらおうかしらね”

 暗殺者であるジャネットにとって、言葉も立派な武器である。人の心を翻弄し、古傷を呼び起こして狂わせるくらいお手の物だ。ましてやこんな小娘たちの心を操るなど簡単である。

 だが冷たい笑みを浮かべ、言葉を選んだジャネットが口を開こうとした、そのときだった。

 

「きゃああぁっ!」

「ティラ! ティア!」

 

 ついにブレイドの一撃を受けて、ティラとティアが吹き飛ばされてしまった。剣となった魔法の杖での攻撃で、ふたりともそれぞれ片腕を大きく傷つけて血を流している。

「く、くっそぉ……ティラ、ティラっ」

「うぅぅ……エーコさまたち、ご、ごめんなさい」

 そして、傷ついて動くことも出来なくなったティアとティラに空中装甲騎士団が迫る。

「バカめ、平民のくせに貴族に逆らうからこうなる。覚悟しろ虫ケラめ、その両手両足を砕いてくれるわ!」

 兜の下で残酷な笑みを浮かべて、空中装甲騎士団員は恐ろしい凶器となった杖を振り上げた。ティアとティラは、互いにかばいあいながらももう逃げる力は残っていない。

 危ない! ユウリやディアンナたちはそれぞれ別の騎士団員と戦っていて動くことができない。だが、まさに杖が振り下ろされようとした、そのとき。

 

「……許さない」

「許さない」

「許さない!」

 

 巨大な魔力の波動が放たれて、それを感じ取ってしまった空中装甲騎士団の動きがびくりと止まった。

 今の、魔力は!? スクウェア? いや、それ以上? 困惑する空中装甲騎士団の耳に、三人の少女、エーコ、ビーコ、シーコの血を吐くような声が響いてきた。

「よくもわたしたちの大事な仲間の、私たちの大事な友達を傷つけたな!」

「虫ケラと呼んだか彼女たちを、お前たちここから生きて帰れると思ってんじゃないわよ」

「許さない、許さない、絶対に許さないから!」

 これまでとは比べ物にならないほどの怒りの波動が魔力に変わり、彼女たちの杖を通してジャネットの杖に集まっていく。その力の巨大さには、ジャネットすらも予想外だったと愕然とした。

「なっ、なんて力なのよっ! くっ、これ以上はわたしのほうが制御しきれない。ええい、撃つわよあなたたち!」

「行って!」

「撃って!」

「砕いて!」

 限界を超えた魔力が収束し、ジャネットはもはや魔法として具現化することもできなくなったその魔力の塊をそのまま撃ち出した。

 振り下ろされた杖から巨大な光の弾が飛び出し、空気を切り裂き、砂塵を巻き上げながら空中装甲騎士団に向かう。

「なんだこの魔法は!? さっ、散開をっ! 間に合わない、うわぁぁーっ」

 光は怒涛のまま空中装甲騎士団を飲み込んでいった。その壮絶な光景を、とっさに飛びのくことに成功したセトラやキュメイラ、ティラとティアを抱えて退いていたティーナとユウリは呆然とした様子で見ていた。

 魔力の塊は、魔法という形を与えられずに、ただ怒りのままに飛んで空中装甲騎士団を打ちのめした。火でも風でもなく、ただ相手を倒したいという意思そのものが現実の衝撃となり、屈強な騎士たちの鎧を貫通し、その身と精神を文字通り叩きのめしたのだ。

 光芒が収まった後で残ったのは、広場の土の上に横たわる空中装甲騎士団の死屍累々。皆気絶しているか弱弱しくうめき声を漏らしているだけで、立っている者はひとりも残ってはいなかった。

 瞬き一つする間に激変してしまった光景に、水妖精騎士団の少女たちも、ジャネットですらもしばし呆然としてその場に立ち尽くした。

「やった、の?」

 あの鬼のように恐ろしかった空中装甲騎士団がひとり残らず倒れ付している。魔法にすべての感情の力を注ぎ込んで、怒りも憎しみも空白となってしまったエーコたちは、目の前の光景が信じられずに動けなかったが、それを喜色に満ちたユウリの叫びが打ち消した。

「やったの? じゃねえよ、お前たちはやったんだよ。お前たちの魔法で、空中装甲騎士団に勝ったんだよ!」

「やった……勝った? 勝った……やった、勝ったんだぁーっ!」

 その瞬間、少女たちの大歓声が広場にこだました。皆が抱き合い、手を叩いて喜び、自分たちが大事を成し遂げたことに感涙していた。

 もう一度、いや何度でも確認しよう。彼女たち水妖精騎士団は、あの空中装甲騎士団に勝ったのだ。

 その中で、唯一ジャネットだけがいまだ呆然として、自分の想像を上回る結果を認め切れていなかったが、後ろからぽんと肩を叩かれて我に返った。

「ジャネットさん」

「えっ? あ、な、何かしら」

「すみません、疲れてるでしょうけどティラとティアの傷が深いの。治してください」

「あ、うん、わかったわ」

 呆けていたところに声をかけられて、ジャネットはほとんど言われるがままに杖を振って回復魔法を唱えた。

 治癒の光がティラとティアの傷を包み、ふたりの傷がみるみるうちに癒されていく。そして全快すると、ティラとティアはエーコ、ビーコ、シーコと抱き合って喜んだ。

「ティラ、ティア、治ったのね。大丈夫? まだ痛くない?」

「もう平気です。ひゃあ、やっぱ魔法ってすごいっすねえ。おっとと、それよりも、勝利おめでとうございます!」

「いいわよそんなの、あなたたち、無茶しないでって言ったのに。ほんとに危ないとこだったじゃない」

「申し訳ありません。けど、わたしたちにできるのは体を張ることだけですので」

「なに言ってるの! シーコの言うとおりよ。あなたたちにもしものことがあったらどうしようかと……いい、あなたたちふたりはもうわたしたちの大事な友達なんだからね!」

「「はい、ごめんなさい。エーコさま、ビーコさま、シーコさま……」」

 ティラとティアの瞳からつうと光るものが流れて、彼女たちのエメラルドグリーンのドレスに濡れたしみを作った。

 エーコたちや、彼女たちの姉は、それを暖かく見守っている。もう、大切な人を失うのはたくさんだ。あんな悲しい思いは二度と味わいたくはない。

 水妖精騎士団の少女たちも、平民の仲間の無事を心から喜ぶエーコたちを見て心を決めていた。この人たちなら命を預けられる、この人たちならついていけると。

 そして、ジャネットはそんな様子を見て、自分が見立て違いをしていたことにやれやれと心の中でため息をついていた。

”まずったかしらねぇ……怒りに狂わせて、男をいたぶる楽しみに目覚めさせてあげようと思ったけど……この子たち、今どき珍しい、他人のために一番強く怒れるってタイプねえ”

 ジャネットは、そんなさわやかな笑顔で自分を見ないでよとエーコたちの視線をそらして首を振った。

 こんなことなら、寄り道なんかしないでさっさとターゲットを始末しに行けばよかった。ジャネットは、さてこの場からどうやって逃げ出そうかと思案をめぐらせた。

 ところが、そこへカンカンに怒った少女の怒鳴り声が響いてきた。

「エーコ! ビーコ! シーコ!」

「えっ! あっ、ひ、姫殿下ぁ!」

 とっさにかしこまるエーコたちの前に、ツインテールをなびかせて、大股でベアトリスがやってきた。そしてベアトリスは、エーコたちの「い、いつから見てたんですか?」という問いを無視すると、三人の顔にそれぞれびんたを浴びせかけた。

「このバカ! 空中装甲騎士団に喧嘩を売るなんていったいなに考えてるの! まかり間違えば取り返しのつかないことになっていたじゃない! あなたたちをクビにする気なんかわたしにはないんだから、あなたたちは適当に頭を下げておけばよかったのよ」

「す、すみません。けど、わたしたちにも姫殿下の家臣としての誇りが」

「それがなんだっていうの! そんなものなくたって、あなたたちに代えられる人なんてどこにもいないのよ。また、あなたたちがいなくなったら……あんな悲しい思いを、もう二度とわたしに与えないでよ……」

 怒りながらも、最後は涙を流しながらベアトリスはエーコたちに詰め寄っていた。

 その涙に、エーコたちはようやく、自分たちが家族を失った悲しみと同じ悲しみをベアトリスも感じてくれていたことを悟った。

「姫様、すみませんでした」

「う……わ、わかればいいのよ。これからは気をつけなさい……ごほん! それはともかく、あの空中装甲騎士団を倒すなんてたいしたものね」

「えっ、あ……いや、それは。わたしたちじゃなくて、そちらの」

 エーコたちは慌てて、ベアトリスの前にジャネットを引き出した。

 ベアトリスは涙を拭き、毅然とした様子でジャネットの前に立った。対してジャネットも、不敵な様子を見せてベアトリスの前に進み出る。

「ベアトリス・イヴォンフ・フォン・クルデンホルフよ。この度は、わたしの部下を救ってくださって感謝するわ。お名前をうかがってもよろしいかしら」

「お初にお目にかかります、クルデンホルフ姫殿下。わたしのことはジャネットとお呼びくださいませ。助太刀のことでしたらお気になさらずに、傭兵稼業のかたわらの、ただの気まぐれでありますゆえに」

 第一声はそれぞれあいさつで済ませた。ベアトリスはジャネットの前に、大貴族らしく胸を張って尊大そうに構えている。先ほどの泣き顔を見ていたジャネットからしたら笑止の極みであるのだが、ジャネットの心は別の歓喜で震えていた。

”うふふ、まさかターゲットが自分からしゃしゃり出てきてくれるとはねえ。なんてわたしはついてるのかしら!”

 そう、ジャネットの本来の目的はロマリアの依頼でベアトリスを暗殺することにあったのだ。その標的が、こともあろうに今現在自分の目の前に無防備に立っている。

 こんなチャンスは二度とない。周りの小娘たちなど、自分の力ならば蹴散らすのは簡単だ。いやむしろ、目の前で恩人と思っていた相手に主君を殺されたときのこの子たちの顔はどんなものかしらとぞくぞくしてくる。

 さあ、相手が油断している今のうちに、杖を振ってこの娘の心臓を串刺しにする。それですべて終わりだ。

 ジャネットは口元に浮かびそうになる笑みをかみ殺しながら、杖を振ろうとベアトリスを正面から見据えた。だがベアトリスはそれより一瞬早く、ジャネットも予想もしなかった速さでジャネットに飛びついてきて。

「気に入ったわ! あなた、わたしのものになりなさい!」

「は、はぁぁぁぁっ!?」

 突然の命令に、さしものジャネットも意味がわからずに奇声をあげてしまった。だがそれも当然だ、周りで見ているエーコたちも何を言い出すんだと目を丸くしてしまっている。

 しかしベアトリスは極めて真面目な目で、ジャネットをぐっと見つめて続けた。

「あなたの強さ、さっきの戦いでしっかりと見せてもらったわ。それだけの力を野に置いておくなんてもったいない! クルデンホルフの、いいえ、このわたしの直属の騎士として雇ってあげる。そして、エーコたちを、水妖精騎士団を鍛え上げてほしいの!」

「えっ、えええっ!?」

「ちょ、姫さま! 急になにを言い出すのですか……って、姫さま、今、水妖精騎士団と……もしかして」

「そうよ、あなたたちの戦いぶりも見せてもらったわ。まがりなりにも、空中装甲騎士団を倒すとは見上げたものね。なにより、その敢闘精神は他に変えがたいものと感じ入ったわ。よって今日ここで、あなたたちをわたしの直属騎士団として任命します。異論がある者はここから去りなさい!」

 ベアトリスの宣言に半瞬遅れて、歓喜の大合唱が少女たちのあいだから上がった。エーコたちは自分たちの努力がベアトリスに認められたという喜びで、この街で集まった少女たちは、飛ぶ鳥も落とす勢いで成長していくクルデンホルフの臣下ならば両親も喜んでくれるだろうし、自分の将来も安泰に違いないと。

 しかし、ベアトリスは歓喜にむせぶ少女たちに一喝するように告げた。

「ただし! あなたたちがまだ安心して見てられないひよっこだということも事実よ。よって、水妖精騎士団の名前は仮称としてわたしが預かります。この名前を公に名乗りたければ、全員が一人前の騎士として腕を上げることね。そのための教官なら、今ここで用意してあげたから!」

 そうしてベアトリスは、ジャネットの肩を掴んで前に引き出した。

「よろしくお願いします! ジャネット先生、いえ教官殿!」

「えっ、ええっ! えええええええええーーっ!」

 少女たちから一斉に敬礼されて、ジャネットはうろたえるしかなかった。

 エーコたちには異存があるはずがない。そんじょそこらのクラス高だけの二流メイジならいざ知らず、ジャネットの実戦仕込の圧倒的な実力は全員が見てきた。これほどの強さを学べるならば、文句なんかあろうはずがないではないか。

 だが勝手に話を進められたジャネットはそうはいかない。なにがなんだかわからないうちに雇われて教官にされてはたまったものではない!

「ちょ、ちょっとあなた! いくら大貴族だからってそんな勝手に人をどうこうしていいと思ってるの!」

「もちろんわかってるわ。けど、わたしは欲しいと思ったものは必ず手に入れる主義なの。そしてわたしはいずれクルデンホルフの名の下に、ハルケギニアのすべてを手中に収める女。つまり、どうせあなたもいずれはわたしの手の中に入るってわけ。早いも遅いも同じなら、早いほうがいいと思わない?」

「餓鬼の夢に付き合う気はないわよ」

「あら? あなた意外と人を見る目がないわね。でもいいわ、必ずあなたをはいと言わせてあげるわ。逃がさないわよ、フフフフ……」

「ああっもう! 話が通じない! もういいわ、もう知らないわ。こうなったら教えてあげるけど、わたしはさるところの依頼であなたをころ」

「五十万エキューでどう?」

 殺しに来た……と、言いかけたジャネットの言葉はベアトリスの一声で封じられた。

 なに? 今、なんて言われたの? ありえない数字が聞こえたような気がしたけど……

 しかしベアトリスは、目を白黒させているジャネットに追い討ちするように言う。

「年間契約金五十万エキューであなたを雇うわ。これ以上の額を提示できる貴族がいるっていうなら、わたしが直々に話をつけてあげる。もちろん、契約期間中の仕事によってはそれぞれ上乗せするわ。どう?」

 どう、と言われても金額がすごすぎて正直頭がついてこない。普通、自分たちが依頼を受けるときの相場は十万エキューが最低クラスであるが、そうそう都合よく仕事が舞い込むわけではないので自分ひとりで稼げる額は年間ざっと三十万エキューがせいぜい。今回のロマリアからの依頼にしても兄と二人で二十万エキューである。しかも、仕事ぶりによってはさらに増額してもいいというのだ。

「わ、わたしには三人の兄がいて、わたしの勝手で仕事を決めるわけには」

「なら、あなたの兄さんたちにもそれぞれ同額を払うわ。それでも納得してはもらえないかしら?」

「えっ、三人分も同額というと、全員合わせて……二百万エキュー!?」

 ケタがひとつ飛んでいることに、さしものジャネットも腰を抜かしかけた。すごい、それだけあればダミアン兄さんも説得できるかもしれない。

 しかし額がすごすぎることに、慌ててビーコが口を差し挟んだ。

「ひ、ひ、姫様! いくら姫様でも、二百万エキューなんて大金を用意するなんて!」

「わたしは市井のアパルトメントに移るわ。それから、わたしの馬やドレスや宝石類なんかも最低分だけ残して売り払いなさい。そうそう、わたし名義の別荘があったけど、あれを処分すれば百二十万エキューにはなるでしょう」

「そ、それでは姫様が下級貴族と変わらないご生活に……」

「だからなに? こんな鉄と煙だらけの街であんなもの持ってても役に立たないわ。心配いらないわよ、ジャネットほどのメイジが四人もいれば一年に二百万エキュー以上を稼げる仕事をわたしが見つけてくるわ。なにより、あなたたちが何年後かにジャネットと同じくらいに強くなれば、それこそ一秒に一万エキューを稼いでくれるようになってくれるでしょ?」

 これは先行投資よ、そのためなら一年や二年を貧しい暮らしをすることになるなんて問題にもならないわと、ベアトリスはエーコたちを黙らせてしまった。

 その様子に、少女たちや、誰よりもジャネットはベアトリスへの評価を改めていた。

”このお姫様、ひょっとしたら数年後に本当に化けるかもしれない”

 決断力がある、先を見通している、なによりも器がでかい。もしかしたら、この小さな少女の手のひらに、本当にハルケギニアが収められる日が来るかもしれないと、そんなとてつもない空想が少女たちの頭をよぎった。

「さあ、わたしはカードを切ったわ。次はあなたの番よ、契約を受け入れる? それとももっと値を吊り上げてみる?」

「……確約はできないわ。わたしたちの決定権は、長男のダミアン兄さんが握ってる。けど、あなたが始祖と杖にかけて誓ってくれるなら、わたしが全力でダミアン兄さんを説得してみる」

「了解したわ、あなたの望み、聞き入れましょう」

 ベアトリスはそう言うと、常備している誓紙に契約内容とサインを書き込んでから、魔法のインクで拇印を押した。

 これで、契約は相手が呑んだら正式なものになる。そしてこれを破ったら始祖への反抗とみなされて教会で裁かれることとなる。

 受け取ったジャネットは、心の中でニヤリと笑った。ロマリアからの依頼は破棄することになるが、それを補って有り余るほどのものを得れた。傭兵としての信頼など、正規で雇われることに比べたら気にする必要はない。

「契約成立ね。よろしくジャネット、歓迎するわ」

「まだ決まったわけじゃないって言ってるでしょ。ダミアン兄さんの説得は、正直あまり自信がないんだから。でもまあ、あなたの度量には正直感心したわ。そう、有能な人材はひとりでも多いほうがいいってやつかしら?」

「違うわ、欲しいのは有能な人材じゃない。あらゆる人材なのよ」

 そう言うと、ベアトリスは手を広げて、その場にいる全員を抱きかかえるように手を広げた。

「世界は広い、世界を統べるには、十や二十の才能じゃとても足りないわ。有能な人材ももちろんいるけど、無能な人間は無能であるからこそ役立てられる場所がある。なにもできない人間は、誰もやったことがないことをやらせることができる。わたしに害をなそうという人間がいたら、それを処分するための人材を育てるエサにできるわ。もちろん、わたしのために役立とうという人間には、相応の仕事をくれてあげる」

「つまり、どんな人材でも使いこなしてみせると、そういうわけですか」

「覚えておきなさい。この世に、無能な部下なんてものはいないのよ。無能な上司ならいるけどね」

 ベアトリスは、その場にいる全員の顔をひとりずつ見つめていった。エーコたちや少女たちには無言で、エーコの姉妹たちにはこれからもよろしくねと声をかけ、最後にティアとティラに目をやって。

「あなたたちも、見事な働きだったわ。よければ、これからもエーコたちを支えてもらえるかしら」

「い、いいのかよ? 大貴族さまが、あたしらみたいなのを」

「どこに邪魔する理由があるっていうの? 言ったでしょ、あらゆる人材が欲しいって。それに誰より、エーコたちがあなたたちを必要としてるわ。だからよろしく頼むわね」

「はい、わたしたちでよければ、なんなりと」

「そこまでかしこまらなくていいわよ。エーコたちの友達なら、わたしの……その、わたしとも、と、友達になってくれる?」

「「喜んで!」」

 そう叫ぶと、ティアがベアトリスに抱きついて、慌ててティラが引き離す騒ぎになった。

 まったく……わずか一年足らずでよくも自分の周りがにぎやかになったものだとベアトリスは思った。エーコ、ビーコ、シーコの三人から始まって、エーコたちの姉妹、今度は水妖精騎士団にジャネット。彼女たちのおかげで、一年前の自分では知らなかったいろいろなものを知れた。そしてそれも、エーコたちに絡みついていた呪われた鎖を断ち切ってくれた、あの風来坊の……いつか、また会いたい。

 だがそのとき、エーコたちの魔法を受けて伸びていた空中装甲騎士団がようやく起き上がってきた。

 エーコたちのあいだに緊張が走る。しかしベアトリスはエーコたちを手で制すると、指揮官のもとに歩み寄って言った。

「空中装甲騎士団、ハルケギニア最強の名に恥じない勇猛な戦いぶり、褒めてつかわすわ」

「ぐぐっ、お戯れはおやめくだされ。せめてお笑いくだされ、お叱りくだされ。我ら一同、クルデンホルフの名を敗北によって辱めたこと、万死に値すると覚悟しております。かくなるうえは、この一命を持って」

「お黙りなさい!」

 びくりと、ベアトリスの一喝によってその場が凍りついた。

「負けたことが恥ずかしい? そりゃそうでしょうよ。あなたたちは竜の子をトカゲと思って狩りに出かけた大馬鹿者ですもの。かくいうわたしも、この子たちの資質を見誤っていたことが恥ずかしいわ。でもだから何? 墓石にハルケギニア一の大馬鹿者ここに眠るとでも刻んでほしいの? して欲しければそうするけど、慢心しきって小娘ごときに負けた未熟者がどうすればいいか、あなたたちに戦いを教えた人はそんなことも教えてなかったの! 男でしょ」

「ぐっ、ぐぐ……姫様、叶うことならば我らに名誉挽回の機会をくだされっ! 我ら一から己を鍛えなおし、あらためてハルケギニア最強の名を得たいと存じます」

「ならさっさと行きなさい! 今日のことは見なかったことにしてあげるから、その代わりに今の百倍強くなるまでわたしの前に顔を出すんじゃないわよ!」

「はっ、ははぁっ!」

 空中装甲騎士団は頭を下げると、全員ほうほうの体で広場から飛び出していき、やがて飛び立ったドラゴンが遠くの空に消えていくのが見えた。

 

 これですべて終わった……広場には少女たちだけが残り、皆が新しい道を見つけた喜びに顔を輝かせている。

 だが楽観はできない。空中装甲騎士団も、次に会うときには今とは比べ物にならない屈強な騎士団に生まれ変わっているであろう。そのときまでに自分も強くなっておかなくては、少女たちは胸を熱くするのだった。

 そしてジャネットは、これからどうやってこの子たちを鍛えようかと想像していた。人形にできないのは惜しいが、この子たちを自分好みに育て上げていくのもそれはそれでおもしろい、なにより楽しみながら大金が手に入るのだ。

 

 だが、なにか忘れてるような……ジャネットは、奥歯にものが挟まっているような嫌な感じをぬぐいきれなかった。

 と、そのときである。爆発音が響き、建物の屋根越しに火柱が上がったのが見えたのは。

「なっ、なによ! じ、事故?」

「違うわ、今のは炎の攻撃魔法の音よ。あっちは、港の南の桟橋あたりね」

「桟橋って、最近ミスタ・コルベールがよく行ってるとこじゃない」

「あ、ドゥドゥー兄さんのことすっかり忘れてたわ……」

 これはまずい、もしミスタ・コルベールが手際よく始末されたら全部が台無しだ。

「まったく、ふだん仕事遅いくせにこんなときだけターゲットに行き着くんだから……っとにもう!」

 あのバカ兄貴を止めないと大変なことになると、ジャネットは港に向かって駆け出した。

 

 

 しかし、人間同士で争っているそのうちにも、自然からの危機は迫りつつあったのだ。

 街外れの小高い丘から土煙が立ち昇り、その中から這い出てくる巨大な影。

「かっ、怪獣だぁぁーっ!」

 近くを通りかかった商人の悲鳴が響き、完全に地上に姿を現したその怪獣、キングザウルス三世は鈴のように吼えると街に向かって進撃を始めた。

 だがなぜキングザウルスはこの街に現れたのだろうか? いったい何を狙っているのだろうか? 事態はひたすらに混迷に向かって加速し続けている。

 

 

 続く


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