ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第75話  人の闇 ヤプールの哄笑

 第75話

 人の闇 ヤプールの哄笑

 

 くの一超獣 ユニタング 登場!

 

 

 窓からはさんさんとした日差しが差し込み、祭りのようなにぎわいがガラスを通して室内にも届いてくる。

 港で最後の仕上げに取り掛かられている東方号の工事の音は、遠く離れているベアトリスの宿にも届いていた。

「まったく、式典には出ないって言ってるのに。大人たちときたら融通がきかないんだから」

「仕方ありませんわよ。トリステインの軍予算を大きく超える新造戦艦の建造の出資者を招かないときたら、軍は面目がないことくらいは平民のわたくしにでもわかります」

 ベアトリスの借りている宿の一室では、メイドたちに囲まれたベアトリスがドレスの着付けを急いでいた。

「あの連中は将来の出世のためにわたしとコネを作りたいだけよ。昔に比べたらだいぶん入れ替わったようだけど、あんなのがまだ軍の高官に残っているようじゃアンリエッタ姫殿下も大変ね。ま、主賓はどうしても嫌だから客賓としての参加だけど、やる気がないときのドレスほどわずらわしいものはないわ」

 ドレスとは人に見せるためにあるものだ、見せる気がないときには動きづらいし着るのも面倒でしかない。

 ぶつぶつと文句を言いながら、それでも一応の義務と礼儀としてベアトリスは不機嫌な顔でドレスにそでを通す。

 そうしてやがて、白磁の人形のようなかわいらしいドレス姿ができあがる。

 ドレスを身にまとったベアトリスは、いつものツインテールを背中に下ろして、窓からの陽光を浴びて金色の髪と純白のドレスを輝かせていた。目つきがきついことを除いたら、詩人に表現させればためらいなく妖精と呼ばれるであろう汚れなきその容姿は、クルデンホルフ大公国の姫君としての、彼女の洋々たる未来を暗示しているようでもあった。

 

 が、未来を常に見据え、光から目を離さず歩み続ける者たちがいれば、光の挿さない暗い道をさまよい続ける者たちもいる。

 そして、明るいところから暗いところは見えにくいが、暗いところから明るいところはよく見える。

 その闇の中から、日なたにいる者をうらやみ憎み、ひきずり落とそうと虎視眈々と狙う目があることを、少女はまだ知らない。

 

 気乗りしないながらも、ドレス姿に変わったベアトリス。その室内にエーコたち三人が入ってきた。

「失礼します。姫殿下、準備はできられましたか?」

「こら、すっぴんを覗きに来るものじゃないわよ。女同士でもデリカシーってものをわきまえなさい」

 化粧をはじめたばかりだったベアトリスは、三人の間の悪さに苦言を呈したが、言葉に悪意は込められていなかった。

 素のかわいらしさに加えて、これからメイドたちによって紅などの薄化粧が施されたら、一流画家でも再現することが困難なほどの美令嬢が誕生することだろう。惜しむらくは、この晴れ衣装を披露する舞台に本人が乗り気ではないことか。

 エーコたちはベアトリスに失礼をわびると、「何の用?」と尋ねる彼女に気を張った様子で答えた。

「はっ、姫殿下の出立に当たりまして、わたしたちが先に行って話を合わせておこうと思いまして」

「それは助かるわ。でも、シーコは大丈夫なの?」

「あっ、はい傷はもうなんともないです。むしろ、ひとりだけで留守番なんてことになるほうが寂しいです」

 怪我している腕を、よせばいいのにぶんぶん振り回すシーコにベアトリスは苦笑した。

「そうね。あなたたちはいつでも三人いっしょだものね。それじゃあ頼むわ、今日は人が多いだろうから気をつけてね」

「はい、それでは行ってまいります……あ」

「ん? まだなにか言うことがあるの?」

「いえ、なんでもないです……」

 エーコたちは、ドアをくぐる前になにやら言いたげな表情を見せたが、結局はそのまま退室していった。ベアトリスは怪訝に思ったものの、言わないならまあたいしたことでもないだろうと、メイドに化粧をさせることに意識を戻した。

 ところが、それから三分ほどが過ぎたころであろうか。突然ドアが開くと、シーコひとりだけが戻ってきたのである。

「姫殿下……」

「ん? どうしたのシーコ、エーコたちが待ってるでしょ。早く行きなさいよ」

 ベアトリスは、うつむいた様子で搾り出すような声で話しかけてきたシーコに、また怪訝な表情で応えた。とにかくこれから忙しいのだ、時間がないから長々と話をしている暇はない。

 言うことがあるなら早く話しなさいと、ベアトリスは手を腰に当ててシーコを急かした。しかしシーコは顔をあげないままで、独り言のように告げた。

「殿下……もしも、今日式典でなにかがあったら、避難経路とは逆の方向に逃げてください。敵は、民衆の避難経路を熟知した上で襲ってきます。だから、見つからなくてすみます。それに、そのドレスも目立ちますから必ず脱いで……」

「えっ、それはどういうこと!? 敵って、待ってシーコ!」

 語り終えるとシーコは脱兎のように駆け出していった。ベアトリスは追おうとしたが、動きにくいドレスを着込んでいるのではいかんともしがたい。それに、メイドたちも急ぐようにとせかしてくる。

「姫殿下、お早くなさいませんと開会の時間に間に合いませんよ」

「うっ……わ、わかってるわよ!」

 クルデンホルフの姫が遅刻なんてことになったら家名に泥を塗ることになる。シーコの言葉は気になるけれども、今は港に向かうしかないとベアトリスはあきらめるしかなかった。

「シーコ、どうしたっていうの……? もう! 帰ってきたら、必ずとっちめてあげるんだからね!」

 奥歯にものが挟まったようなもどかしい思いを抱えたまま、ベアトリスを乗せた馬車は式典の会場へ向けてわだちを刻んでいく。

 

 新・東方号の完成式典会場は、東方号の着岸している桟橋からたっぷり一リーグも離れた場所にある広場にもうけられていた。

 本来ならば東方号の甲板上か、桟橋のすぐ近くで執り行われるべきなのだろうが、これから先へは関係者以外はどんなに身分の高い者でも入れないようになっている。むろん間諜……スパイが入り込まないようにするためで、持ち主の体内の水の流れを記録した特別な身分証明書はどんなにうまく化けたとしても、本人以外が持てば赤く変色するようになっていたし、出入りのたびに薬物チェックや匂いを覚えた使い魔による判別がおこなわれるという徹底振りである。

「たとえ人間に化けたヤプールの手下がやってきたとしても、絶対に見つける」

 過去幾度の教訓から、ヤプール相手には用心深くしてしすぎることはないというエレオノールの言葉である。

 実際、どんなに近代設備の粋を極めた大要塞であっても内側に入られたら極めてもろい。

 むろん、軍事の専門家ではないエレオノールはそんなことは知らない。しかし、何度も何度も同じ手でやられるほど間抜けなことはないので、今度ばかりは完璧な警備態勢を敷こうと神経を尖らせている。才人やルイズも東方号に行くたびに何度も身体検査を受けたけれど、身内にも徹底したあの態度はたいしたものだと感心している。

 

 

 来客に、トリステイン軍の高官や、大事をまかされる貴族を招いて完成式典は大々的に開かれた。

「お集まりの皆様、本日はこの記念すべき日を迎えられましたことを、心より喜びましょう。今日この日は、トリステインの、いや世界の歴史に華々しい一ページを飾ることでしょう!」

 軍代表のド・ポワチエ将軍からの、熱意はあれども個性に乏しい開会宣言が始まりになった。それからは来客紹介やあいさつなど、型どおりのプログラムが粛々と進んでいき、本当に型どおりに進んでいく式を、ベアトリスは招待客の一席で憮然として聞いていた。

(思っていた以上につまらないわね。大人ってどうしてこう、偉くなればなるほど退屈なことしか言えなくなるのかしら。あなたたちが野蛮って呼ぶゲルマニアの軍人のほうが、よほどユーモアのある演説をするわよ)

 トリステイン貴族は伝統を重んじる。それは良くも悪くも決められたことを遵守するという性質を、この国の軍人たちにも植えつけていたのだが、若く変化を求めるベアトリスにとっては退屈でしかなかったようだ。

 それに、この式典は参加してみてわかったことだが、東方号にとって重要な役割を担う人物がほとんどいない。

 コルベールは現場指揮をとっているし、水精霊騎士隊や銃士隊は全員東方号に乗り込んでいる。よってこの場にはベアトリスの見知らぬ人間ばかりで、居心地が悪いときたらない。

「さて皆さん! ここからでもかなたにあるというのに、まるで城郭のように巨大なあの船の勇姿は見えるでしょう。弱小国と呼ばれていたトリステインが、一躍世界をリードする時代がこれよりやってきます。それもこれも、その献身と忠誠を惜しみなく捧げる皆様方がいればこそ! 私は皆様とともにこの誇りを分かち合えることを至上の喜びとするものです!」

 またも形式どおりに拍手が壇上の将軍に贈られ、ベアトリスはうんざりした様子でため息をついた。

 それに、その連中、つまりド・ポワチエたちが、これまでコルベールやこの街の職人たちが汗水垂らしてやり遂げてきた成果を、まるで自分の手柄のように得意げに演説しているのがなんとも癇に障る。

(あんたたちはこの一ヶ月間、この街に来たことすらなかったでしょうが。まったく、よくもまあそんなに誇らしげな顔ができるものね……将来は、こんな連中とも付き合わなくてはいけないのかしら、憂鬱だわ。まったく、こんなところで格好をつけようとしていた昨日までの自分をエア・ハンマーで吹っ飛ばしてやりたくなる。土系統のわたしには使えないんだけど、いまならこの腹の憤りが可能にしてくれるような気がするわ)

 考えてみたら、いつ敵襲があるかもしれないこんな時期を選んで式典を開くこと自体馬鹿げている。それがあえて強行されたのは、自らの功をこの機に乗じて高らかに喧伝したいのだろう。ただでさえ、アルビオンにアンリエッタ姫の護衛として着いて行った『烈風』やド・ゼッサールなどに比べたら留守番の二線級部隊と言われているのだ。目に付くものはそれこそハイエナのように出世の材料に利用したり、それに便乗しようと打算してるからに他あるまい。

 馬鹿馬鹿しいというよりは呆れかえってしまう。世界の滅亡か否かという事で皆が一致団結しているときに、よくもまあ低次元な権力ゲームに狂奔できるものだ。ここにコルベールやエレオノールがいないのも納得がいく。彼らは恐らくこんな式典ははじめから眼中にないのだ。

 大人の世界のくだらないところを垣間見たベアトリスは、もう数えるのもばかばかしい多さになるため息をそれでもつかざるを得なかった。なにが楽しいのか、周りの大人たちは飽きずにあらかじめ用意していたような台詞を得意げに繰り返している。

 退席できるものなら今すぐにでもしたい。これなら東方号の工事に立ち会っているほうが何倍もよかった。

 第一、最初から不満だったのは先に来ているはずのエーコたちが、どこにも見当たらなかったことだ。

(エーコ、ビーコ、シーコ、いったいどこに行ったのよ……まさかいい歳して迷子ってわけでもないでしょう! そういえば最近どこかよそよそしかったし、いったいなにを隠してるのか帰ったら必ず聞き出すからね)

 いつもそばにいて当たり前だった三人がいないことが、苛立ちをさらに加速させていた。

 無為な孤独が心をささくれ立たせる。今すぐにでも席を蹴って出て行きたくてたまらない。時間が無限に感じられた。

 そのときであった。隣の席から、しわがれた低い男の声がかかってきた。

「失礼、お嬢さん。先ほどからどうも落ち着かない様子だが、どうかなさったのかね?」

「えっ? あっ、ど、どうもすみません」

 ベアトリスは慌てて隣の席に向けてわびを入れた。

 見ると、座っていたのは銀髪をした老紳士だった。丁寧に刈り込まれたひげが品のよさを感じさせるが、顔つきにはけんがなくて、貴族の威厳よりも商家の主でもしていたほうが似合いそうな印象を受けた。

「ふむ、若いうちはこうした行事は退屈であろうな。いや、わからなくもないよ。私も席を用意してもらったはいいが、ずっと座っているだけで、退屈していたところさ」

「はぁ、それはまた」

 親しげに話しかけてきた老紳士にベアトリスはあいまいに受け答えした。正直、意表を突かれてびっくりした。しかし、落ち着いてみると、この人はどこの誰なのだろう? トリステインの有力な貴族や役人、軍人はおおかた頭に入れてあるが、どうも該当する人物がいない。

「失礼ですが、お名前をうかがってもよろしいでしょうか?」

「これは失敬、私は王立魔法アカデミーで評議会議長を務めておりますゴンドランと申します。お見知りおきを、ミス・クルデンホルフ」

「それはそれは、アカデミーの議長殿とは存じませんで、こちらこそ失敬いたしました。よろしくお願いいたしますわゴンドラン卿」

 気を取り直して、ベアトリスは礼に従ってあいさつをした。アカデミーの議長なら、あまり表舞台に出てくることもないから顔を知らなくても不思議ではない。記憶にある限りでは、これといった功績があるわけではなく、学者としての実力よりもアカデミー内での権力バランスから議長の席に『置いてもらっている』ような人間だが、よい面識を作っておいて後々悪いことはないだろうとベアトリスは話しかけた。

「アカデミーといいますと、ミス・エレオノールにはいろいろと勉強させていただいております。ほかにも、アカデミーの開発する新魔法技術の数々は、クルデンホルフも強く関心を持っておりますわ」

「それは光栄ですな。もしも、名だたるクルデンホルフに後押ししてもらえたらアカデミーはさらに栄達することでしょう。どうですか? ひとつお父上にお口添え願えませんかな」

「考えておきましょう」

 おもしろいほど簡単に乗ってきて、ベアトリスは内心でほくそ笑んだ。魔法アカデミーの最高権力者を掌中にしてしまえば、アカデミーの持つ優れた魔法技術や人材をクルデンホルフが得ることがたやすくなる。欲深い人間ほど御しやすいものはない。ベアトリスは冷断な策謀家としての一面も持って、ゴンドラン卿に作り笑顔を向けた。

「ところでゴンドラン卿、卿も東方号の完成を祝うためにやってこられたのでしょうが、もう東方号は見られましたか?」

「いやいや、すでにミス・ヴァリエールには見学を申し込んだのだが、いかなる身分の方であろうと部外者の立ち入りは厳禁すると突っぱねられてしまってね。いやはや、なんとも頼もしい女傑だよ」

「それはまた、大変でしたわね。融通の利かないところはさすがミス・ヴァリエールと言えるかもしれませんがね」

 自分の上司すら例外に含めないとはたいした肝の太さだとベアトリスは感心した。ここにいる連中にも、エレオノールの半分でもいいから厳格さが備わっていたら、恐らくこんな式典は書類上でくずかご行きとなっていたに違いない。しかし、それはそれとして、ベアトリスはゴンドラン卿が将来のクルデンホルフにとって有益な人間となるように働きかけようと試みた。

 ところが、本当になにげなくベアトリスが手を振ったときである。止め具の固定が甘かったのか、手首にはめていた金のブレスレットが外れて床に転がってしまった。

「あっ、ブレスレットが……」

「よいですよ、私が拾ってしんぜましょう」

 偶然ゴンドラン卿の足元に転がったブレスレットは、親切に拾い上げてくれた卿の手に握られた。差し出されるそれを、ベアトリスはむろん何気なしに受け取ろうとしたのだが……

「ありがとうございま……ひっ!?」

 ブレスレットを受け取ったとき、ベアトリスの喉から引きつった声が漏れた。それは、受け取った瞬間に触れたゴンドラン卿の手から伝わってきた、異様なまでの冷たさ……寒気で手のひらが冷えているなどとはまったく違い、こちらの体温を根こそぎ奪われてしまう、氷塊のような冷たさを感じたためであった。

「どうなさいました? ミス・クルデンホルフ」

「い、いえなんでもありませんわ。ほ、ほほほ」

 思わず笑ってごまかしたが、手に残ったおぞましいとさえいえる感覚は消しようもなかった。いったい今のはなんなのだ? 錯覚などでは絶対にない。例えて言うならば、幼い頃に空中装甲騎士団が仕留めてきた人食いドラゴンの死骸を目の当たりにしたときのような、体の芯から湧いてくるような恐怖心。

「も、申し訳ありません。少し気分が」

「おや、それはよくない。寒気に当てられたのかもしれませんな、お大事に」

 演技ではなく、本当に吐き気を覚えたベアトリスは逃げるようにその場を立ち去った。

 ゴンドラン卿は、人のよさそうな顔に笑みを浮かべたままで、招待客たちの席の間を抜けていくベアトリスを見送っていたが、彼女が見えなくなると、口元を手で覆い、その下の口を大きくゆがめた。

「お大事に……もっとも、すぐに体の心配などはしなくてすむようになるだろうがな」

 彼は口元から手をどけると、懐から懐中時計を取り出した。

「さて、そろそろか。せいぜいうまくやってくれよ、お前たちの憎しみの炎でこの世界を焼き尽くすほどにな」

 式典の壇上では、いまだにド・ポワチエたちが場違いな一人演技に狂奔していた。

 

 時間はそれを意味あるものとする者も、無価値に浪費する者も平等に流れていく。

 盛大な式典は、当事者たちの熱気に包まれて続き、そこだけ一種異様な空気に包まれていた。

 

 一方で、そうした俗世間の低級な事情などはすでに振り切った人間たちは、ただ己の中に流れる熱き血潮に従って生きていた。

「ミスタ・コルベール! 左舷、東方号船体と円盤のドッキング完了しました!」

「ようし、土メイジたちはすぐに船体との接合作業に入ってくれ! 再度注意するが、錬金の加減には十分注意してくれ! すきまなく船体と円盤を接合させないと浸水や空中分解の危険があるからな!」

「了解です!」

 快い熱気に包まれて、作業現場はあと一息を頑張っていた。

 コルベールとエレオノールの手によって、最後の仕上げを施されている新・東方号。人々は、その飛翔のときこそがヤプールの恐怖が打ち払われる第一歩だと信じて、真の目的を知る者も知らぬ者も、ただ『完成』の一言が放たれるただ一瞬のみを待ちわび、見守り続ける。

 

 しかし、誰もがそうならないでいてくれと望み、絶対にそうはならないであろうと思っていたことがついに現実となった。

 

「超獣だぁーっ!」

 

 街全体に警報が鳴り響き、待機していたトリステイン軍が、銃士隊が、水精霊騎士隊が、そして才人とルイズも動き出す。

 見れば、街の一角から煙が立ち上り、建物よりもはるかに大きな影が黒煙と炎の中で暴れまわっている。

 間違いない、またあの超獣が現れたのだ。超獣ユニタング出現の報を受けて、待機していた戦闘部隊は引き伸ばされたゴムのように機敏に動き始めた。

 駐騎場からドラゴンやグリフォンが次々に飛び立っていき、東方号のある桟橋の近辺には、全長五メイルはある巨大な亀の背中に戦列艦用の大型大砲を乗せた砲亀兵と呼ばれる部隊が配置されて待ち構える。

 続いて地上で動き始めたのは銃士隊である。

「作業を終えた工員からカッターに乗せて下流に避難させろ! 残りの部隊は警戒態勢を維持、混乱に乗じて入ってこようとする輩がいたら斬り捨ててかまわん!」

「はっ!」

 ギーシュたち、水精霊騎士隊も黙っているわけではない。乗組員として訓練を受けてきた彼らは、自らの船を守るべく東方号の武装に取り付いていった。

「ギ、ギムリ大丈夫かな? や、やっぱりこんな大きな銃を動かすなんて無茶なんじゃ」

「バカヤローッ! 今さらなんだ、男なら気合を入れろ。大丈夫、撃ちまくればたぶんなんとかなる!」

「き、緊張するな。訓練じゃ何度も動かしたけど、こんなもの扱うのはやっぱり生まれて初めてだから」

「訓練でうまくいってれば実戦でもなんとかなるって、ぼくのおじいちゃんが言ってたよ。心配ないって、主砲に比べたら小さいんだからさ」

 彼らが準備しているのは、大和の武装の中で唯一使用可能となった武器、二五ミリ単装機関砲であった。対空用の機関砲として大和にハリネズミのように装備されていたこれは、電力を必要としなかったために分解整備の末に今日までに数十丁が稼動状態になって甲板上に配備されていた。

 彼らの任務は、敵が東方号に近づいてきたらこれで弾幕を張ることにある。魔法で戦えないことは彼らにとって屈辱であったが、キュルケやタバサほどの実力がなければ魔法を撃ってもそもそも届かないのでしようがなかった。この機関砲の射程は五千メートル以上あり、下手な鉄砲も数打てば当たる方式でいけばなんとかなる。幸い弾はラグドリアンの日本艦艇から山ほど回収済みで、何万発であろうと撃ち放題だ。

 息を呑んで、ギーシュたちは街を破壊しながら近づいてくるユニタングを睨みつける。まだ有効射程には遠い、攻撃命令は対空指揮所で双眼鏡を覗いているレイナールが出すことになっている。が、このままでは耐えられなくなった誰かが勝手に引き金を引いてしまいそうだ。

 だが、緊張して機関砲を握ったまま動けなくなっていた彼らに、最高の緩和剤はちゃんと用意されていた。モンモランシーやティファニアたちがサンドイッチをケースにたっぷりと入れて持ってくると、全員まとめて頬を緩めてがっつきはじめたのである。ちょっと前にあんなことがあったばかりだというのに性懲りもない、けれどもこれから死ぬかもしれないときに能天気に笑えるならば、彼らは意外と大物の素質があるのかもしれない。

 そして、東方号の後部飛行甲板では、才人とルイズを乗せたゼロ戦が発進しようとしていた。

「スロットルいっぱい、油温油圧すべて問題なし。ルイズ、かっとばすぞ!」

「ええ! いつでも来なさい!」

 プロペラを全開に回したゼロ戦の背中を、風のメイジがいっぱいの突風を持って押し出す。

 いわゆる魔法カタパルト。はじかれたようにゼロ戦は甲板から空中に躍り出て、一気に垂直上昇で地上一千メートルの高度に達した。

「機体の調子はばっちしだ。ようし、急降下から一気にいくぞ、準備はいいか!」

「わたしを誰だと思ってるの! 烈風の娘にこんなスピードは止まってるようなものよ、全速で行きなさい」

「そうこなくちゃな! んじゃまあ、少々無理させるけど耐えてくれよゼロ戦!」

 銀翼にまばゆく太陽の紋章を輝かせ、ふたりを乗せたゼロ戦は猛スピードでユニタングへと突撃を開始した。

 

 平和だった市街地を朱と黒煙に染めて、超獣ユニタングへ人間たちの攻撃がはじまる。

「全部隊一斉攻撃! これから先には絶対に進まさせるな!」

 この時のために訓練を積んできた魔法騎士たちの魔法が、あらゆる方向からユニタングに突き刺さる。

 さらに、侵攻を食い止めるために進行方向に配置された大砲が放たれて、周囲の建物ごとユニタングを爆発で包んだ。

「市民の避難はすんでいる、周りの被害は気にするな! あと少しなんだ、絶対にここは通すな」

 街中にある砲弾を使い果たしてもいいという勢いの砲撃に、さすがのユニタングの動きも鈍くなる。

 その隙を突き、空中からは魔法騎士の魔法攻撃やゼロ戦の攻撃も加えられた。

「食らえ! コルベール先生特製、空飛ぶヘビくんゼロ戦搭載型だ!」

 ゼロ戦の翼下から放たれたマジックミサイルがユニタングに命中し、激しい爆発の連鎖で巨体を覆いつくした。

「やったか!」

「な、わけないでしょうね」

 しかし、ルイズの言ったとおりこの程度では超獣を相手に決め手にはなっていなかった。爆発の煙の中からユニタングの一本角が突き出してくると、全身で煙を吹き飛ばして、咆哮と共にほぼ無傷のユニタングが現れた。

「くそっ! 全軍攻撃を続行せよ!」

 部隊指揮官は悲鳴に近い声でそう命じた。はじめから簡単に勝てる相手ではないということは覚悟していたつもりだったが、こうもビクともしないところを見せられてはやはりショックだった。

 だが、攻撃は通じなくとも進撃を邪魔されたことにユニタングは怒っていた。大きく裂けた口から甲高い鳴き声をあげると、鋭いハサミになっている両手から白い糸を噴出して、空を飛ぶゼロ戦やドラゴンをからめ落とそうと狙ってきた。

「危ねえっ!」

 才人は間一髪のところで急旋回して糸をかわした。だが、かわしきれなかったドラゴンとグリフォンの何騎かが糸にからめ取られて、そのまま街中に叩き落されてしまった。

「やりやがったな! くそっ、くのいち超獣って別名は伊達じゃねえってことか」

 コクピットの中で毒づきながら、才人は映画などで忍者が手のひらからクモの糸を出して敵をからめ取る忍術のことを思い出した。超獣には、ほかにも忍者超獣という異名を持つ二次元超獣ガマスもいるけれど、こいつの能力も立派に忍者じみている。

 ユニタングは手のほかにも口からも糸を吹き出して、空飛ぶ騎士たちを次々に落とし始めた。街中のいたるところの家々の屋根には、ドラゴンやグリフォンが墜落して開いた穴からのほこりが吹き上がっている。地球と違って薄い板でしか出来ていないからあっさりと破れてしまうのだ。屋内に落ちた騎士たちの消息は、今は確かめている暇はない。残酷なようだがこの程度は想定の範囲内だ。

 勝利のために、心を鬼にしなくては勝てる戦いも勝てなくなる。かつて防衛チームMACは墜落戦闘機六機、死傷者十九名という大損害を受けながらなお戦闘を継続したことがあるのだ。

 軍隊は未完成の戦列艦から陸揚げした大砲や、停泊中の戦列艦からの遠距離砲撃など周囲への被害も無視できない攻撃まで使って足止めを計る。また、ゼロ戦や生き残った魔法騎士たちも、砲撃のあいまを塗って、先日使用された火炎爆弾やその他大小、テストもしていない新兵器も使って総攻撃をかけた。

 だが、人間たちの猛攻にも関わらずユニタングの前進は止まらなかった。攻撃がまったく通用しなかったわけではない。後先を考えない人間たちの攻撃は、少しずつだが超獣の肉体にもダメージを与えていっていた。すでに全身に焦げ目ができて、鋭く伸びた牙の何本かは折れて、自慢のハサミにも亀裂が入り始めている。

 それなのに、ユニタングの前進は止まらない。本当に昨日までは攻撃を受けたらさっさと逃げていた奴と同一の個体なのかと疑ってしまうまでだ。

 

「なんて奴だ! 人間だったらのた打ち回るような傷だぞ。痛みを感じてないとでもいうのか!」

 

 人間側にも相応の被害を出しながら、ユニタングの前進は止まらない。そして、ユニタングは東方号をもう間近に見られる、完成式典の会場にまでやってきた。

 そこでは、たった今まで世界が自分のものになったように得意げに演説していた貴族や役人たちが、算を乱して逃げ惑っていた。

「超獣だぁーっ! 助けてくれぇーっ!」

「わしの馬を引け! おい従者、どこへ行った」

「竜籠、竜籠にはどうしたら乗れるのだ! どけ、どかんか」

 彼らとて、この場所が超獣に襲われると想定していなかったわけではないが、その見通しははなはだしく甘かった。大挙して駅に停められた馬車は突然動き出すには密集しすぎていたし、そこにたどり着くまでの道は当の貴族達が押し合いへし合いしていてまともに人が流れない。自分のことしか考えずに都合のいい見積もりをした人間の滑稽な図がそこに映し出されていた。

 パニックという言葉は今ここにいる人間たちのためにあると言って過言ではない光景。さっきまであれだけ偉そうにしていたド・ポワチエも、超獣出現で部下が我が身大事と一番に逃げ出してしまって、ぽつんと佇む哀れな姿をさらしている。

 彼らは自らの虚栄心の代償を自らの命で支払わされようとしていた。銃士隊や衛士隊も、街の人間を逃がすので精一杯で彼らに構う余裕はない。

 まさにそんな渦中のことであった、悪魔の策謀が動いたのは。

 悲鳴と怒号が支配する数百の人間たちの間に、ただ一言だけ不自然なまでに明瞭な声が響き渡ったのだ。

「そうだ、東方号だ! あの船に逃げ込めば助かるぞ!」

 その一言は、恐怖で白紙に近くなっていた貴族達の頭の中をほぼ一瞬で支配した。

 東方号に行けば助かる、あの船の中なら安全だという考えが、なんの抵抗もなく数百の人間たちを怒涛の波に変えた。

 桟橋への道への検問を強引に魔法で破壊し、止めようとする人間たちを「どけ」の一言で押しのけていく。

 貴族達の顔は完全に恐慌に染まり、誰も止められない流れとなって東方号へ向かう。その流れの中に、悪魔が紛れ込んでいることも知らずに。

「ふふふ、いくらこんなクズどもでも人間相手に武器を使って止めることはできまい。私が東方号に近づいたときには、ユニタングに気をとられているお前達にはもう防ぎようがあるまい? お前達人間の希望は、同じ人間たちのせいで潰え去るのだよ。ははははは!」

 悪魔に寄生されているとも知らず、恐怖にとらわれた人間たちの怒涛は東方号まであと五百メートルまで迫りつつあった。

 

 一方、ベアトリスはそのころ気分の不調を訴えて、手洗いに駆け込んだおかげでパニックには巻き込まれずにすんでいたが、超獣が迫る会場近辺に取り残されて焦っていた。

「ど、どうしよう……と、とにかく逃げないと……み、みんなはあっちの方向に逃げたのよね」

 震える足をなんとか叱咤しながら、ベアトリスは自分も早く逃げ出そうと建物の影から出ようとした。すでに超獣の姿は見上げられるほどまで近くなっており、対抗するための砲爆撃の炸裂もすぐそこまで来ている。このまま同じところにいたのでは超獣はやり過ごせても、流れ弾で殺されてしまう。

 逃げないと、その一心でベアトリスは走り出した。が、動きずらいドレス姿である、すそを踏んづけて盛大に転んでしまい、高級糸で作られたドレスが土ぼこりにまみれる。

「痛っ……もう、なんなのよ……あっ」

 しかし、痛みに耐えて立ち上がろうとしたとき、ベアトリスの脳裏にシーコの言った言葉が蘇ってきた。

”殿下……もしも、今日式典でなにかがあったら、避難経路とは逆の方向に逃げてください。敵は、民衆の避難経路を熟知した上で襲ってきます。だから、見つからなくてすみます。それに、そのドレスも目立ちますから必ず脱いで……”

 まさか、シーコはこうなることを予期していたの? ベアトリスは困惑したが、ほんの数十メイル先に砲弾が落ちて派手な土煙をあげると、もう考えている余裕はなくなった。

「みんなとは、反対の方向……ええい、こんな動きにくいもの!」

 ベアトリスは優雅だったドレスのすそを思いっきり引きちぎると、必死で裏路地のほうへ走り始めた。

 あとには、数十の砲弾が炸裂し、ベアトリスのいた場所を粉々に破壊しつくしてしまった。

 

 弱い怪獣ならばバラバラにしてしまいかねないくらいの弾薬を投射されながら、なお止まらないユニタングの進撃。それが桟橋まで一リーグしかない式典会場まで到達すると、さすがに才人やルイズも焦りが見え始めた。

「しぶといやつだな! くそっ、コルベール先生の秘密兵器ももうねえぞ。これじゃ食い止めきれねえ!」

「まずいわね、地上じゃ逃げ遅れた人たちがパニックを起こしてるわ。っとに、時と場合をわきまえずにバカ騒ぎをやりたがるからこんなことになるのよ。サイト! こうなったら変身して」

「ああ! ん? 待て、超獣の様子がおかしいぞ」

 ゼロ戦を着陸させようと、手ごろな場所を探そうとした才人は、ふとユニタングが妙な動きをしているのに気がついた。

 ルイズも言われてよく見ると、ユニタングは式典の会場付近で立ち止まっている。それだけではなく、攻撃に反撃することもなく、斜め下を向いてウロウロしているように思えた。

「あの超獣、なにかを探してるように見えるわね」

「ああ……なにっ、おいどういうことだ!」

 呆然と観察し続けていた才人は愕然とした。なんと、ユニタングはしばらく何かを探すような動作を続けた後で、唐突にその場でくるりと方向転換すると、桟橋とはまったく違う方向に進み始めたのだ。

「ここまで来て引き返すってのか!?」

「あっちは……このあいだの事で閉鎖された倉庫街じゃない。今はもう何もない……どういうことよ」

 見当違いの方向へ進んでいく超獣に困惑したのか、軍も攻撃の手を止めて呆然として見送るばかりであった。

 

”奴はいったい、どこへ行こうとしているのだ?”

 

 作戦を指揮していた司令官から一平卒、東方号で危険を顧みずに作業を続けていたコルベールや作業員たち。機銃の引き金を今にも引こうとしていたギーシュたち、才人とルイズもユニタングの意図がわからずに、遠ざかりつつある後姿を見送るしかなかった。

「目的は東方号じゃなかったのか……? じゃあいったい、あの超獣はなんのために出てきたっていうんだ?」

 いくら考えても出ない問題に頭を悩ませつつ、完全に東方号に背を向けて去りつつあるユニタングを人間たちは見つめた。奴の足元では、進む邪魔となる建物がつぶされてまだ火焔をあげているが、攻撃による炎はない。部隊長の中には追撃攻撃を主張する者もいたが、逃げる敵を追い詰めてはかえって逆襲を招くとして却下された。

 逃げてくれるなら、それに越したことはない。そのほうが無駄な犠牲が少なくてすむ……

 やがて、ユニタングの姿が旧倉庫街を一望できるような場所で、ふっと煙のように消失すると、全軍から歓声があがった。

 だが、一番超獣が消えたことを喜んだのは桟橋へと恐慌していた貴族達の群れであっただろう。検問を破りつつ、東方号まであとわずか二百メイルにまで近づいていた彼らは、背後から迫ってきていた死の化身が遠ざかっていくのを知ると狂喜した。

「見ろ! 超獣が引き返していくぞ」

「た、助かったぁ」

 必死に逃げていた彼らは、もう逃げる必要がなくなったのだとわかると、糸が切れたようにその場にへたり込んだり、胸をなでおろしたりした。中には慌てて乱れた服装や頭髪を整える者もいたが、それらはすべてを見ていた人たちから冷笑と侮蔑の眼差しを向けられただけにとどまった。

 だが、無様でもなお生命の危機の脱出に心からの安堵を覚える人間たちの中で、悪魔の意思を宿した男は煮えるような憤怒に己の身を焦がしていた。

”おのれ馬鹿者が! なぜあと一歩、あとほんのわずかで人間たちの船に到達できるというところだったのに、なぜ引き返す! 肝心なところで役立たずがぁ!”

 恐慌に支配されていた貴族たちは、東方号には近づいてはいけないと押し返してくる銃士隊に背を向けて、次々と元来た道を引き返しはじめている。これではもう、誰も東方号に近づくことはできないだろう。

 男は、貴族たちの恐慌を利用して東方号に近づこうとする作戦が、完全に失敗したことを認めざるを得なかった。

”だがこのままではすまさんぞ人間ども! 我らヤプールの本当の恐ろしさを思い知らせてやる! だがその前に、やらねばならんことがあるようだな”

 恥の上塗りを避けるために、早足で引き返していくド・ポワチエをはじめとした貴族たち。その中から、いつの間にかひとりの老紳士が消えていることに、気がついた者はいなかった。

 

 一方、シーコの言葉に従って必死で逃げていたベアトリスは、気がつくといつの間にか人気のない倉庫街に迷い込んでいた。

「ここは……いつかの倉庫街ね。道なりに走ってたら、またここにやってきちゃうなんて」

 自分にとっていい思い出のない場所に、ベアトリスは嫌悪感を覚えて立ち去ろうかと思った。気がつくと、激しかった戦闘の音もなくなって、超獣の鳴き声も聞こえなくなっていた。夢中で走っているうちに状況が変わってしまったのかと思ったが、ここからでは街全体のことはわからない。

 帰らなければ……ベアトリスは超獣の気配がなくなったことで、来た道を引き返そうと振り返った。しかし、ドレスに合わせて走りにくい靴で全力で走り続けたために、体はだるくなるほど疲れが溜まっており、また靴擦れも起こして痛み始めていたので、彼女は少しここで休んでいこうと思った。

「少しくらいなら大丈夫よね。ここなら、たぶん安全だろうし」

 ヤプールも同じ場所を二度アジトにするほど愚かではないだろうと、ベアトリスは扉の開いていた一軒の倉庫の中に入った。

 中は、使える物資はすべて持ち出された後で、多少のガラクタを除いてはなにもなかった。それでも椅子の代わりに使えるものはないかとベアトリスは倉庫の奥へと足を踏み入れていき……唐突に倉庫の扉が閉じられた。

「えっ?」

 誰もいないはずなのにと、振り返ったベアトリスは、閉じられた鉄の扉を見た。

 そこには、扉を背にして三人の人影が立っており、天井付近に設けられた明り取りの窓からの日差しが、ベアトリスに人影の正体を知らしめた。

「エーコ! ビーコ、シーコ!」

 見間違えるはずはなかった。見慣れた顔、朝見たときと同じ服装、しかし彼女たちの体はところどころすすけたり、傷を負って血がにじんでいたりしていて、ベアトリスを驚かせた。

「どうしたのあなたたち! こんな傷だらけになって……そうか、あの超獣にやられたのね。それで、あなたたちもここに逃げ込んできたんでしょう?」

「気になさらないでください……それよりも、姫殿下……会ってもらいたい人たちがいるんです」

「えっ?」

 感情のこもらないエーコの声に、ベアトリスは思わず後ずさった。と、同時に無人だと思っていた倉庫の中にいくつもの足音が鳴り響いた。柱の影や暗がりの中から、幾人もの若い女性が歩み出てくる。彼女たちはほぼ全員無表情で、エーコたちと合わせてベアトリスを取り囲んでしまった。

「だ、誰っ! 誰なのこの人たちは」

「怖がらないでくださいよ。別に怪しいものじゃありません、あなたにもよく話して聞かせているじゃありませんか」

「えっ! じゃあ、もしかしてこの人たちが……エーコたちの、お姉さん方?」

 エーコは無言でうなづいて、ベアトリスはもう一度彼女たちを見渡した。四人、五人、六人、七人……確かに、エーコたちを入れれば十人になる。それに、思い出してみたらエーコたちから聞いた姉妹の特徴とも合致した。

「な、なんだ脅かさないでよ。そっか、エーコたちがいなかったのってお姉さんたちと会ってたからなのね。それで、みんなでわたしをここまで捜しに来てくれたんでしょ? ね」

「……」

「ど、どうしたのよ。なにか言いなさいよ」

「姫殿下、実はわたしたちはあなたに折り入ってお願いしたいことがありまして、あなたがここに来てくださったのは幸いでした」

「な、なんだ、そんなことなの……」

 ベアトリスはほっとして胸をなでおろした。なにやら尋常ではない様子だったので冷や汗が出たけれど、考えてみたらエーコたちが自分になにかするはずがなかった。こんな場所なのも、人に聞かれたくない内々の話というのもあるだろう。ベアトリスは、街が大変なこんなときにと、いろいろ言いたいことはあったけれど、自らの度量を見せることにした。

「わかったわ、ほかならないエーコたちの頼みだもの、なんでも言ってみなさい。なんなら、みんな揃ってクルデンホルフに来てもいいのよ。大歓迎しちゃうから!」

「っ!」

 そのとき、姉妹のほぼ全員が同時に歯軋りをしたのにベアトリスは気づけなかった。

「いえ、姫殿下……もっと手短に、この場ですむことです。そのために、わたしたちは今日までずっと待っていたんです」

「なによ、言いたいことがあるならはっきり言いなさいよ。じれったいわ……きゃあっ!?」

 激しい音がして、埃とともにベアトリスは倉庫の床に叩きつけられた。それがエーコに突き飛ばされたことを悟るのに、ほとんど時間はかからなかった。

「エ、エーコなにするのよ! いくらあなたでも、こんな無礼な」

 怒りをあらわにしてベアトリスはエーコを見上げた。しかし、それに応えたのは冷断に見下してくる無数の眼差しと、隠しようもない憎悪を込められた声だった。

「姫殿下……いえ、父の仇ベアトリス・イヴォンヌ・フォン・クルデンホルフ、あなたの首、貰い受けます」

 

 

 続く


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