ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第74話  あの星空に願いよとどけ

 第74話

 あの星空に願いよとどけ

 

 軍艦ロボット アイアンロックス 登場!

 

 

 コツコツと、靴底が石畳の道で歩みを刻む音がふたつ、夜の街角に小さくこだましている。

 誰もいない通りを、特に目的地も定めずに歩くふたりの少女。その足音のひとつは大股でやや強く、もうひとつは小股で軽くおとなしい。月明かりと街灯の明かりに別々の場所から照らされて、ふたりの金糸と緑糸の髪がそれぞれトパーズとエメラルドの光のように輝いていた。

「今日はお月様がきれいだね」

「ええ、そういえば今日は今年最後の双月の満月だったわね……あっというまの一年だったような気がするわ」

 空を見上げて言ったシーコの言葉に、ビーコも歩を止めて答えた。

 眠れずに、なにげなくビーコの誘いで散歩に出たシーコたちふたりを出迎えたのは、漆黒に広がる無限の大銀河だった。

 今日は雲も少なく、晴れ渡った空に青と赤の双月がよく映えて、深夜だというのに優しい光が街中を包み込んでいる。

 いつもであったら、夜通し鳴り続ける工場の音も時間を問わずにたなびいている排煙も、その役割を果たし終えたために小休止をとっているようだ。

 それに、昼間の騒ぎのこともあってか、いつもなら酔っ払いが千鳥足が歩いているような光景もない。ひたすら静かで、冬の風の吹き抜けていくときにだけ、寝巻きにオーバーを羽織って、一応身分を示すマントだけはつけて出てきたふたりの耳に音を鳴らし、ほおを冷やして吐く息を白く変えていた。

「まるで、世界中でわたしたちしか人間がいないみたいだね」

 シーコが、道端のゴミをあさる犬さえ見当たらなくなった街路を見渡して、ふとつぶやいた。足を止めると、本当に周囲は無音の世界になってしまい、街を自分たちで借り切ってしまったかのように思えた。

 となると、自分たちはこの世界に君臨する女王様か。ビーコは、シーコの言葉からそんなことを連想して口元に笑みを浮かべた。

 しかし、その美しすぎる夜空と無音の街並みの組み合わせは、見慣れてくるとよくできた風景画がそこにあって、自分たちは美術館の一室に閉じ込められてしまっているかのような寒々しい虚無感をも抱かせて、ビーコの心を冷ましていった。

「わたしたち以外には誰もいない、静かできれいな世界……わたしたちが行くのは、こんなところなのかもしれないわね」

「ビーコ……」

 憂えげにつぶやいたビーコはシーコに向かってゆっくり首を振り、もう一度空を見上げた。

「わかってるわよ。あのときから、わたしたち姉妹にとって、この世界は生きていけないところになっちゃったんだから……でも、わたしは後悔はしてないつもり。あなたや、姉さんたちといっしょなら、どこでだって寂しくないもの」

「ビーコは強いね」

「そうじゃないよ。わたしはただ、姉さんたちに甘えたいだけ……シーコは、後悔してるの?」

 ビーコの問いかけに、シーコは即答しなかった。数秒、喉の奥にものが詰まったように唇を震わせ、顔をあげた。

「後悔は……してないつもり。あのときは、姉さんたちが決断してくれなかったら、わたしたちは今頃野垂れ死んでたかもしれない。どっちかを選べって言われたら、今でもこうなってでも生きるほうを選択したと思う」

 シーコはそう言うと、そでをまくって熱傷を負った自分の腕を見た。包帯に隠れて見えないけど、普通ならば数日に渡って激痛にさいなまされるであろう重傷の傷口はもう痛まずに、それどころか壊死した組織の下からはすでに皮膚の再生が始まっていた。もしも昼間彼女を診察した医師が同じように診たとしたら、ありえない速度での治癒に愕然としただろう。酒場で受けた額の傷だって、本当は数日後には完全にふさがっていたが、かっこうをつけるためにしばらく包帯を巻き続けていただけだ。

 しかし、傷口から下がったところにある手のひらは寒風にさらされて白くかじかみ、普通の少女のものである。

 ならば、なにものが彼女の異常なまでの治癒を助けているのだろうか。だが、ビーコもシーコも、それだけは忌み語であるかのように決して口にしようとはしなかった。

「ふふ、便利なものだよね。わたしたちみんな、見た目は前となにも変わらないのにね」

「シーコ、あなたやっぱり……」

「ううん、後悔してないのはほんとう。それでも、わたしはわたしが怖い……朝起きて、鏡を見たときに自分の顔が変わってるんじゃないかって、いつもビクビクしてるの」

 シーコの手の震えは、寒さによるものだけではなかった。するとビーコは空に向かって、はぁと白く大きな息を吐き出して言った。

「……それは、わたしも、ううん、たぶんエフィ姉さんも、ユウリだってみんな思ってることだよ。わたしたちは、十人でひとり、十人がひとり、そういうふうになっちゃったんだから」

「セトラ姉さんや、エーコはどう思ってるのかな?」

「エーコはわたしたちよりちょっとだけ上だから、なんか気を張ってるように見えるけど、本心はわたしたちと同じように不安なんじゃないかな。でも、セトラ姉さんは……」

「うん、久しぶりに会ったときのセトラ姉さん……すごく怖かったね」

 ふたりは、このあいだ再会したばかりの一番上の姉のことを思い出した。ビーコと同じ金色の美しい髪を持つ長女セトラは、昔はとても優しくて暖かい人だったのに、まるで別人のように冷たく恐ろしい雰囲気を持つようになっていた。まるで体といっしょに心までも作り変えられてしまったかのように……

 大切な人が、自分の知らないところで歪んでいってしまっていた。それを知ったとき、心を痛ませない人間はいない。が、すでに事態は止めようのないところまで進んでしまっていた。シーコは草色の眼を悲しげに伏せた。

「みんなは、明日やるつもりなんだろうね」

「うん、絶対にやるだろうね。みんなは、わたしたちと違って遠くからずっとクルデンホルフを憎んでたから、きっと……けれど、そうなったらわたしたちはもう二度と……」

 ビーコは最後まで言い切ることなく、言葉をとぎらせた。

 そうなったら、今度こそ二度と自分たちに帰る場所はなくなる。姉妹だけで、どこまでもずっと生きていく以外に道はない。

 そして、その過程で必ずひとりの人間を……ふたりにとってもよく知った人間の命を奪うことになる。

 最初はそれでいいと思っていた。しかし、今は迷いが胸中に生じてきているのをふたりは認めざるを得なくなっていた。

「なんとか、やらないですむ方法はないのかな……」

「シーコ!」

「ビーコだってわかっているでしょう? 今のあの方は、わたしたちが会ったばかりのときとは違う……わたしはもう、あの方を憎むことができない……」

 嗚咽が混じった声で声を絞り出したシーコの背中を、ビーコは優しくなでた。

「しっかりして、あなたはちょっとだけあいつのお気に入りだったから、勘違いしちゃってるだけよ。あなたは昔から、誰にでもすぐ心を許すところがあるから……」

「ごまかさないで! だったらなんで、ビーコの手もそんなに震えてるのよ」

「え……!」

 言われて思わず自分の手を見ると、確かに小刻みに震えていた。言葉でいくら修飾しても、体は心の変動を顕著に表してしまっていた。

 寒空の下、かける言葉を失ったビーコは、ただシーコが落ち着くまで見守ってあげることしかできなかった。

 しかし、感情を吐き出しても、ふたりにはそれ以上どうしようもなかった。無言で立ち尽くすふたりの中で、ほんの数ヶ月のあいだの思い出が次々に蘇ってくる。自分たちが仕えてきたあの人の、怒るところも、嘲るところも、ふてぶてしいところも、憎たらしいところも、愚かなところも、そして優しいところも……

「わたしたち、もしも別の出会い方をしていたらどうなっていたのかな?」

「そうだね……普通に魔法学院に入学して、同級生になって……たぶんシーコが人懐っこくすりよっていって、結局わたしやエーコも含めて子分になってたかもね」

「なんだ、結局ビーコだってあの方といっしょにいるのが楽しいんじゃない」

「まあね、なんだかんだいっても退屈させてくれない人だから。でも、だからこそ姉さんたちはあの方を許さないだろうね」

 すぐそばで見てきた自分たちだからこそ、こうして悩むこともできるけれども、遠いところから外面しか見てこなかった姉たちにとっては、長い時間によって憎悪ばかりが増幅された仇敵に他ならない。その時間が作った認識のズレのクレバスは大きく、たとえ自分たちが説得しても誰も聞く耳は持たないだろう。

「もしも、わたしたちがやめるように言ったとしても、みんなは「あいつに騙されているんだよ」って怒るだけだろうね」

「ええ……いっそ、わたしたちもこれまでのことを何もかも忘れてしまえたら気が楽なのにね、ははっ」

 乾いた笑い声を交えてビーコは言った。しかし、あきらめてしまったようなビーコのその言葉を、シーコははっきりと否定した。

「ビーコ、それは違うよ」

「えっ」

「たとえわたしたちにとって不都合なことでも、わたしはあの方と過ごした時間を大事な思い出だと思ってる。たとえ今すぐその記憶を消すことができたとしても、それで知らん顔してあの人を傷つける、そんなのはもうわたしじゃない別のなにかだよ」

「っ! わかってるよそんなこと! わかってるからこそ苦しいんじゃないか!」

 ビーコがはじめて本音をそのまま吐き出した。そのまま激しく息をつき、やりきれなさを我慢しているかのように全身を小刻みに震わせている。

「ごめんビーコ、あなただって苦しいのはわかってたのに無神経なこと言っちゃって」

「ううん、いいのよ。自分に嘘をついてたのはわたしのほうだもの。シーコは、自分の気持ちに素直になれてうらやましいよ。だからきっと、あの人もあなたに一番に心を許したんだろうね」

「そんな、わたしなんて思ったことをそのまま言うしかできない、ただの馬鹿だよ」

「それは馬鹿じゃない。わたしもエーコも持ってない、人の心を開かせられる立派な力だとわたしは思う。だから、わたしなんかより本当に強いのはシーコなんだよ」

 人間にとって、一番つらいのは人に自分の心が届かないことだ。その願いが強ければ強いほど、あげる声が大きければ大きいほど、それが相手の耳に届かない空しさはなによりも大きく自らの心を傷つける。だからこそ、ビーコには人の心にためらいなく踏み込めるシーコがうらやましかった。

 しかし、人間として苦しめるということは、今のふたりにとってはとてつもなくつらかった。互いの心は理解しあえても、その心を届けるべき人たちに届ける方法がない。

 

 夜の街は相変わらず静まり返り、強くなり始めた寒風がビーコとシーコの身を切り、心もさらに凍りつかせる。

 少しでも気晴らしになればと外に出てきたのに、結局は置かれた立場を再確認しただけで、四面楚歌であることを思い知っただけだった。

 どうにかしたいと本心では思う。このままで明日を迎えたら、自分たち姉妹は今度こそ引き返せない河を渡ってしまう。この世界のすべてが敵になり、永遠に光を見れない闇の住人としての生が待っている。しかし、ついに悲願が叶おうという今、無理にでも止めようものなら、姉たちは決して自分たちを許さないだろう。

 

 もう何回目になろうかという思考の堂々巡り、無為に時間だけが過ぎていった。

 

 絵画のような美しさに包まれた、静寂と零下の無間地獄。しかし、その果てしないループは唐突で陽気な声によってあっけなく壊された。

 

 

「おやぁ、こんな夜中に妖精さんがおとぎの国から迷い出てきたのかと思ったら、そこのお貴族さまたち夜更かしはいけませんよぉ」

 

 

 思考の迷宮をさまよっていたビーコとシーコは、後ろからかけられた遠慮会釈のない軽口に思わずどきりとして振り向いた。

 歩いてきたのは、ランタンを片手に、体に着込んだ軽装の甲冑に小気味よい音を鳴らせながら手を振ってくる女性の騎士だった。ひと目でわかる銃士隊の戦衣に、一般隊員を表す黄土色のマントが、彼女が市街地を巡回中だということを教えてくれる。

 が、近くによってきた銃士隊員は、意外にも道端で友達に会ったときのように気楽な口調で話しかけてきた。

「いけないわね、こんな時間まで子供が出歩いていちゃ。悪い大人にがおーって襲われちゃうわよ」

「あっ、は、はい、すみません」

 叱り付けられると思っていたふたりは、怒気のカケラもないその銃士隊員の態度に、思わず拍子抜けして反射的に謝ってしまっていた。本来こんな時間に歩き回っている子供、しかもこちらは仮にもメイジなのだから緊張感を持ってもいいはずだが、この人にはおよそそうした警戒感というものがなかった。

「こんばんわ。おやおや、こりゃこりゃ、思った以上にかわいらしいお嬢ちゃんたちじゃないの。危ない人に捕まる前に、あたしに見つけてもらえてよかったわね。感謝してくださいよ、貴族さま」

「あ、はぁ」

「な、なんなのこの人」

 これまで何人も銃士隊員とは会ってるものの、それらの人たちにはなかった無遠慮さとお気楽なしゃべりぶりである。こんな人、銃士隊にいただろうか? この街に来ている銃士隊員とは、ミシェルをはじめほとんど知り合っているはずなのだが。

 やがて目の前にまでやってこられると、遠目ではランタンの明かりでぼんやりしていた顔立ちも見えてきた。

 短く刈りそろえられた紫色の髪に、かどのない卵型の顔立ち。大きな瞳はぱちりと開いていて、元気よく明るい印象が浮かんでいる。一言で言えば童顔と表現すればいいのだろうか。銃士隊よりも花屋の売り子をしていたほうが絶対に似合いそうだ。とかく苛烈さが噂される銃士隊にしては珍しい雰囲気を持つその隊員に、シーコは年上だというのに同年輩かそれ以下の印象を受けた。

 しかし、ビーコはその隊員の顔を見るなり、びくりとして外套のフードを深くかぶって顔をそらした。シーコはビーコのそのうろたえ様を怪訝に思って、あらためて相手の顔をじっくりと見ると、少し前のある記憶と合致した。

「あっ! あなたは確か、サリュア、さん」

「ん? あたしの名前を知ってるの。こりゃまた、あたしも上流階級に名が売れたものかしらねえ。いかにもあたしの名前はサリュア、シュヴァリエではまだないヒラのしたっぱ銃士隊員です!」

 なにが自慢になるのか、どやっと胸を張った彼女は確かにサリュアと名乗った。そしてあらためてよく見れば、ビーコとシーコはこの人に確かに見覚えがあった。現在とはまったく印象が違うが、会ったことがある。

 そう、彼女はボーグ星人によってサイボーグに人体改造されて、ミシェルたちと戦わされたあの銃士隊員だった。あのときは洗脳されていたために、それこそ死人のように無感情で目が死んでいた。そのおかげで気づくのが遅れたが、そういえばボーグ星人が倒された後に手術を受けて、そのまま入院したとミシェルが言っていたとシーコは思い出した。

「もう退院なさっていたんですか。前とぜんぜんイメージが変わってたから気づかなかった」

「あれ? あなたたち、前にどっかで会ってたかな? んー……あ、その緑色のくせっ毛、あなたもしかしてシーコちゃん?」

「は、はいそうですが」

「やっぱり! いやあ入院中に、見舞いに来てくれた副長や仲間たちがよく話してくれてたのよ。妹みたいな子たちができたって、想像してたよりずっとかわいいじゃない。お姉さん気に入っちゃった」

「は、はぁ」

 なにか、洗脳されていたときとは別人のようだ。いや、洗脳されていたんだから別人になっていたんだろうけど、元がこんな陽気な人だとは思わなかった。ミシェルもサリュアは隊内でも明るい子だとは言っていたけど、少々斜め上を行く明るさである。

「と、ところで見たところ、巡回の途中みたいですが、お体のほうはもう大丈夫なんですか?」

「そりゃもう、このとおりピンピンしてるよ。手術も完璧に成功して、元通りの体になれたんですって」

「それはよかったですね。銃士隊の皆さんも、さぞ喜ばれたでしょう」

「うん、でもね……頭の中に埋め込まれていた機械を取り出すために、一度髪の毛を全部剃っちゃったのよ。せっかく伸ばしてたのに、もう台無しでとても人前に出れなくって。それで、やっと最近みっともなくないくらいには生えそろったから復帰させてもらったの」

「そ、それは大変でしたね」

 シーコは、女としてそれは重大だよなあと深く同情した。いくら戦いのために女を捨ててるとは名目で言っても、丸坊主のままで若い娘が人前に出るのは残酷すぎる。ミシェルもそのへんを汲んで、復帰を待っていたのだろう。

 と同時に、シーコはビーコがサリュアに顔を見せたがらない理由も察しがついた。ビーコだけは、彼女とシーコたちより一日前に一度会っている。しかも、最悪の形でである。それが知られたら、いくら温厚そうな彼女でもただではおかないだろう。シーコはビーコのために、そのへんを探ってみることにした。

「いくらなんでもこの歳でカツラなんてのは恥ずかしいしね。ま、手術のためにはしょうがないから納得してるんだけど」

「ショートヘアでもじゅうぶんおきれいですよ。ところで、操られてたときのことは覚えてるんですか?」

「いいえ、病院のベッドで目が覚めたときには、なーんにも覚えてなかったわ。あの日、見張りをしてたのは記憶にあるけど、それから先にどうして捕まったのかとかはさっぱり。かーんぜんに、記憶が飛んでるのよ」

「そうですか……」

 短く言うと、シーコはビーコの脇を軽くひじでついた。大丈夫だという合図に、ビーコも恐る恐るながらフードをとって顔を見せる。

「こんばんわ」

「はいこんばんわ。あなたがビーコちゃんね、んー……アニエス隊長といっしょのきれいな髪ね。うらやましいな」

「あ、ありがとうございます」

「でもお手入れ悪いわよ。ほーら枝毛みっけ、だめよ若いんだからってお手入れ欠かしちゃ、髪は女の子の命なんだからね。銃士隊でみんなが使ってるシャンプー教えたげよっか? 安物のせっけんとか使ってたら、あとでひどいことになるよ」

「は、はぁ……」

 ビーコは遠慮なく自分の髪の毛をつまんで、いろいろと検分してきたサリュアにあっけにとられた。

 なにか、銃士隊にも中にはこんな人もいたんだとしみじみ思えてくる。どうやら、年下にはけっこうおせっかいを焼きたがるタイプというか、よく言えば人懐っこく、悪く言えば少々うっとおしいタイプらしい。人間を第一印象だけで判断してはいけないというか、まあともかくビーコのことを覚えていないのは確かなようだ。

「んー、ふたりとも将来美人になるわね。みんな中々目が高いじゃない。そういえば、エーコちゃんはいないの?」

「エーコは宿で寝ています。わたしたちは、ちょっと眠れなくて……」

「そう、なにせ明日は大事な日だものね、緊張しても仕方ないか。それとも、眠れないほどの悩み事でもあるのかな?」

「っ!?」

 一瞬、ビーコとシーコは心の中を覗き込まれたような錯覚を覚えた。すると、サリュアはくすりと笑うと、ひざをかがめてふたりの顔を下から覗き込んだ。

「やっぱりね。なーんか、くらーい顔をしてたからもしかしてと思ったら。よかったら話してみなさい。銃士隊の相談箱と呼ばれるこのサリュアさんが、ばーんと解決してあげちゃうよ!」

 彼女は胸を叩いて、ふたりに向かって笑いかけた。

 ビーコとシーコは顔を見合わせる。それは、誰かに相談できるものならそうしたいが、相談できるようなことではないのだ。むしろ相談したらいっそう事情が悪くなってしまう。ふたりはしばらく困った顔をしていたが、ビーコが思い切って口を開いた。

「ご親切はありがたく思いますが、お話しするわけにはいきません」

「んー? おねえさんじゃ信頼できないかな。秘密は剣にかけて守るよ、それでもだめ?」

「申し訳ありませんが……」

 ビーコがすまなそうに首を振ると、サリュアはうなづいて立ち直した。

「わかった、人に話せないことなら無理強いはできないわね。ごめんね、力になってあげられなくて」

「いえ、そのお気持ちだけでじゅうぶんです」

 本当は、そんな親切心を向けてもらう資格など自分にはないのだとビーコは思う。こんな気持ちのいい人に、自分はあの日ひどいことをしてしまった。

 それに、この人といると迷いがさらに大きくなってくる。今いる世界への未練がどんどん大きくなってくる。

 居心地の悪さに耐えられなくなってきたふたりは、そのままきびすを返してサリュアと別れようとした。

「じゃ、じゃあサリュアさん、わたしたちはそろそろ帰ります」

「そうね、そうしたほうがいいわ。子供はもう寝る時間よ……でも、あとちょっとだけお話してもいいかしら?」

「な、なんでしょうか?」

「そんな肩を張らなくてもいいわ。これから言うことは、ただのわたしの勝手な想像だから、間違ってたら笑ってくれていいわ」

 サリュアはそう言うと、ビーコとシーコの肩に手を置いて、穏やかな声で話し始めた。

「わたしもね、こう見えていろんな戦場で命を張っていたから、なんとなくわかるの。あなたたち、初陣を前にした新人と同じような顔をしてる。戦うべきか、それともやっぱり私にはできませんって逃げ出そうかと迷ってる子とね。なにかわからないけど、あなたたちも、すっごく大きな選択肢に当たって、どうしたらいいのかわからなくなってるのね」

「……」

 沈黙を肯定ととったのか、サリュアはそのまま続ける。

「多いわよね、どっちが正解なのかわからない選択肢って。今言った新人のことにしてもね、初陣を見事に決めて正式な隊員になった子もいるし、大怪我をしてそのままやめた子もいる。逃げた子も、そのままどこに行ったかわからない子もいれば、実家に戻って幸せな結婚をした子もいるわ。難しいよね、やってみないとわからないことって」

「はい……」

「でもね、ひとつだけ確かなことがあるの。あなたたち、お姉さんがいっぱいいるんですって。その人たちのことが好き?」

「そ、それはもちろん! かけがえのない、大切な家族だと思ってます!」

 ビーコとシーコは声をそろえて言った。すると、サリュアはふたりの手を取って手のひら同士を結び合わせた。

「……これはね、わたしじゃなくて副長がよく言ってることなんだけど、今のあなたたちにはぴったりだと思うから、わたしから贈らせてもらうわ。人生にはね、どっちをとっても苦しいことになる選択肢を選ばなくてはいけないことがあるけど、ひとつだけ忘れないでいてほしいのはね、『大切な人が悲しんだり不幸になることがわかってる選択肢は、どんな大義名分があろうと絶対に間違っている』ってね」

 ビーコとシーコは、頭を氷のハンマーで殴打されたような衝撃を感じた。

「ミシェルさんが、そんなことを……?」

「ええ、説明はできないけど、副長は幼い頃から数え切れないほどの苦しみと悲しみを味わってきたの。そのせいで、道を踏み外しそうになったこともある。だからこそ、自分と同じ悲しみが増えないように、言葉でもわたしたちを守ろうとしてくれてるの。どう、少しは参考になった?」

「は、はいっ」

「それはよかった。じゃあエーコちゃんによろしくね。気をつけて帰るのよ」

 サリュアは軽く手を振ってふたりを見送ってくれた。ふたりは、その笑顔を見たらなお決意が鈍りそうなので、振り返らずに早足で立ち去ろうとする。

 しかし、彼女たちは自分の双眼から熱いものがとめどなく溢れ出しているのを止めることができなかった。

 走り去ってゆくふたりを、サリュアは見えなくなるまで見送った。

「おやすみなさい。いい夢は見れないかもしれないけど、せめて朝まではわたしたちが守ってあげるからね」

 それは人々の幸福を守ることを誇りとする防人の、心からの笑顔だった。

 さっと脚甲に乾いた音を立てさせて、サリュアは本来の任務に戻っていく。彼女はビーコとシーコの心の内は当然知らない。しかし、彼女が自然な善意を込めて放った言葉は、ふたりの心に大きく深く突き刺さっていた。それがこれからどういう結果をもたらすことになるのか、サリュア本人にも想像の埒外でしかない。

 

 そして、サリュアもその場を立ち去っていったのを確認してから、物陰から静かに現れる壮齢の男がひとり。

「どうやら、私の出る幕はなかったようだな。部外者が余計なおせっかいをしなくとも、この星の人間の心にも、あれだけ強く気高い光が宿っていたか」

 テンガロンハットをかぶりなおし、男は口元に誇らしげな笑みを浮かべた。しかしすぐに表情を引き締めなおすと、空をあおいで月を睨み、決然と言うのだった。

「やがて夜が明ける……そうすれば、ヤプールは今度こそ本気で攻撃を仕掛けてくるだろう……奴のことだ、長い一日になりそうだな」

 強い決意が宿った瞳をテンガロンハットの影に隠し、風来坊もまた夜の街へと消えていく。

 

 過酷な運命の前に、せめて一時でも長い休息を。

 街はあらゆる光と闇を混在させて、苦しみも悲しみも、なにもかもを飲み込んでなお世界は変わらず回り続ける。

 

 そしてついに、運命の日のはじまりを告げるべく、夜のヴェールを太陽が消し去るときがやってきた。

 

 

 その日を、どれだけの人間が待ち望んだであろうか、あるいはどれだけの労苦がこの日のために費やされたであろうか。

 眠りを知らず、夜なお煌々と明かりを輝かせて働き続ける街。それはトリステインが、ヤプールの侵略から祖国を守るために、決して豊かとはいえない国庫から、民の血税をしぼって作り上げた一大軍事工場にして、巨大造船港である。

 ここは、本来ならばトリステイン空軍に世界有数の空中艦隊を与えるために、持てる力の全てを込められるはずであった。

 だが、この一ヶ月間この造船所はただ一隻のコルベット艦さえも生み出してはいない。一個艦隊分に匹敵する予算がつぎ込まれ、数十隻の大艦隊を建造することのできる大造船所の機能が、ただ一隻の戦艦を蘇らせるためだけにしぼりこまれていた。

 その名は『新・東方号』。 旧日本軍が生み出した超々弩級戦艦大和を前身に持ち、ミミー星人の宇宙科学によって、軍艦ロボットアイアンロックスとなって蘇らせられた悲劇の船。それが、奇しき運命に導かれ、かつてトリステインの人間が経験したことのない大改装工事を経て、今度こそ希望の象徴となるために新たな命を与えられた。

 産声をあげるときを待ち、最後の眠りを謳歌する新・東方号。その巨体は月と星の光に照らされ、夜が明けるまで蜃気楼の彫像のように、幻想的な風景をゆるやかに流れる水面に映し続けた。

 

 やがて日は天高く昇り、天気晴朗にして、風は穏やか、厳しさを増していた冬の寒気も一休みした暖かい気候が街を包んだ。

 

 来る日に賑わう街の対岸を流れる大河の岸辺に、とうとう新たな姿に生まれ変わった戦艦大和こと新・東方号が浮かんでいた。

「処女航海には絶好の日和だな。我々の旅立ちを、神も祝福してくれているのか、それとも単なる嵐の前の静けさか……いや、最初から神の加護を期待しているようではダメだな。どんな苦難も乗り越えてゆくために、私はこの船を作り上げたのだから」

 空をあおぎながら、コルベールがぽつりと感慨深げにつぶやいた。

 彼の立つ東方号最上層の、前艦橋トップからは改装された東方号の全容を見渡すことができた。

 太陽を浴びて、新・東方号は鋼鉄の船体をにび色に輝かせて、自らの存在を誇示している。

 全長四百二十メイルの巨体にそびえる大和譲りの重厚無比な艦上構造物、そのマストの先端にはトリステインの旗が翻り、武蔵からも受け継がれた十八門もの四十六センチ砲は天を睨んでいる。さらに、後部甲板には、装甲空母信濃から受けついだ鋼鉄の飛行甲板が張り巡らされ、そこにはスクラップから再生された四機の零式艦上戦闘機がガソリンとオイルの匂いを漂わせて鎮座していた。

 が、コルベールの見ていたのはそれらではない。彼の見下ろす先には、大和の船体の中央部から左右に向かって大きく張り出した、翼長三百メイルにも及ぶ超巨大な鋭角三角形の翼があり、そこに取り付けられた片翼二基ずつの巨大なプロペラ付きエンジンが、真新しい鉄の輝きを放っていたのだ。

「新造の大型水蒸気機関四連……これは間違いなく、私のこれまでの生涯の中で最高の傑作だ。あの四基の羽根から生み出される風が、この船に強力な推力を与えてくれる……そうすれば」

 彼はそこで言葉を切った。コルベールは、この水蒸気機関が将来ハルケギニアの多くの船に採用されて、世界の空の様相が一変することを夢見ているが、彼は大人であるから、この夢の機関が平和利用のためだけに広まるとは思っていない。

 どんな便利な道具も、人間は必ず兵器に利用しようとしてきた。事実、この船は戦艦であり、東方号を見た各国の軍隊は将来必ず軍艦に真似してくるに違いない。

「人間とは愚かな生き物だ。平和を望むくせに、平和とは縁遠い方向でこそ進歩が加速されてしまう……だが、それで恐れていてはなにも始まらない。しかし、そう思うからこそ戦争の技術の進歩も止まらない」

 コルベールは戦争が嫌いであり、そのことを常に公言している。だからこそ、世の中が少しでもよくなるようと思って、研究に打ち込む人生を送ってきたのだが、最近はそんな自分のやってきたことに疑問を感じるようにもなってきていた。

「私が平和のために作った技術も、いずれは人殺しのために使われるかもしれん。私はひょっとしたら、とんでもない過ちを犯しているのでないだろうか?」

 それは科学者と呼ばれる人種の、逃れがたい宿命だろう。地球で平和や文化貢献した人間に贈られるノーベル賞も、元はダイナマイトを発明したノーベルが、炭鉱の作業をはかどらせるために作ったはずの高性能爆薬が戦争に使われたことで心を痛め、自らの遺産を使って死後に作らせたことが始まりだ。

 しかし、コルベールは悩みを抱えながらも、一度はじめたことを途中で放り投げることはできない。そこへ、大和の艦橋をルクシャナが軽業のように軽快に跳ねて登ってきた。

「こんなところにいたの? これから最後の仕上げだっていうのに、一番の責任者が油を売ってちゃだめじゃないの」

「やあ、君は相変わらずどこにでもやってくるね。なに、ちょっと考え事をしていてね。すぐに行くよ」

「ならいいわ、ヴァレリー先輩は、例のものを無事に輸送中で、あと三十分もあれば到着するそうよ。じゃあわたしは先に行くわね」

 ルクシャナは、すっかり板についたアカデミーの研究服を翻して、手すりの上から飛び降りようときびすを返した。風の精霊に加護をもらっている彼女からしたら、高層ビルに匹敵する大和の艦橋もなんでもない。

 が、いざルクシャナが飛び降りようとひざを曲げたとき、コルベールが後ろから声をかけた。

「ルクシャナくん、この仕事が終わったら、君に聞いてもらいたい話があるんだが、いいかな?」

「あら、愛の告白? 残念だけど、わたしはもう先約ずみなのよ」

「いや、研究家としての話さ」

「あらそう? いいわよ、わたしも研究者としてあなたと一度ゆっくり話してみたいと思ってたところだから。じゃ、また後でね」

 話を長引かせることもなく、ルクシャナは艦橋から飛び降りると、そのままひらりと甲板に降り立った。

 コルベールは彼女の着地を見届けると、甲板に続くタラップへと向かった。

 自らの信念が正しかったのか否か、そんなことは今考えるべきことではない。タラップを下りながらコルベールは自分を奮い立たせる。確かにこの世界は、常に争いの種を内包している危険な火薬庫だが、ヤプールなどに滅ぼされていいほど価値がないとは思えない。未来のことは、自分は教師なのだから、この戦いが終わった後でやれることがあると。

 

 

 未来への希望を託されながら、同時に未来における危険性もはらんだ新・東方号。その係留されている反対岸に小高くそびえる高台には、一般人が東方号を見ることの出来る舞台が据え付けられ、すでに数多くの人が集まって見物している。

 と、そこへ河の上流から二隻の大型船が下ってくるのが彼らの目に映ってきた。

「なんだ、あの船は?」

「あの旗は……王立魔法アカデミーの紋章だな。しかし、あの運んでいるものは何だ? とんでもなくでかい、パンケーキの化け物か」

 ある見物客がそう表現した、大型船に乗せられている直径五十メイルはあろうかという巨大な金属製の円盤。それが二枚、一隻に一枚ずつ積み込まれて、ゆっくりと河を下ってやってくる。

 しかし、この巨大な円盤こそが東方号を完成させるために絶対必要な最後のパーツであった。先頭の船のブリッジには、エレオノールの同僚のヴァレリーが乗り込んでいて、ほかにもアカデミーの優秀な学者が多数、円盤のあちこちで資料を片手にして休まず作業をおこなっていた。

 そして二隻の貨物船は東方号のそばに着岸し、下りてきたヴァレリーは出迎えたコルベールとルクシャナに相対した。

「出迎えありがとう、ミスタ・コルベール、ずいぶんやせたわねえ。それに引き換えルクシャナ、あなたは相変わらず元気そうね」

「ええそりゃもう、毎日がこれほど刺激的で楽しかったことなんて、生まれてこの方なかったから当然」

「ご苦労さまです。ミス・ヴァレリー、間に合わせてくれてよかった。さすが、アカデミーの双璧と呼ばれるお方ですな」

「実際、かなりギリギリだったけどね。でも、アカデミーの威信と世界の命運がかかってるっていうんなら頑張るしかないじゃない。それはともかくとして、魔法アカデミー特製の『半重力場発生装置』、確かにもってきたわよ」

 ヴァレリーは疲労を化粧で隠した顔を不敵に笑わせて、コルベールとルクシャナに「あとはまかせた」と肩を叩いた。

 

 『半重力場発生装置』、これがヴァレリーの運んできた巨大円盤の正体であり、東方号を飛翔させるための切り札だった。

 なにせ、新・東方号の総重量は十万トンを軽く超え、余剰スペースに風石をいっぱいに積み込んだとて浮かぶものではない。よしんば浮かんだとしても、あっという間に消費しつくして落ちてしまうであろう。水蒸気機関はあくまで推進装置であって、浮遊の助けにはならないのだ。

 そこで、この絶対的な物理条件をクリアするために、コルベールはあるものに目をつけた。それは、先日のラ・ロシェール近郊の戦いにおいてウルフファイヤーを操っていて、ウルトラマンAに撃墜された宇宙円盤と、ラグドリアン湖の戦いで初代東方号の特攻によって撃沈されたミミー星人の円盤である。

 これらはどちらも惑星の重力を無視した飛行をおこなっており、特に後者を刺し違えるつもりで間近で見ていたコルベールは、不謹慎にも助かった瞬間からこれを分解して調べてみたいと熱烈に考えていた。そしてその考えの延長線として、この二機の円盤を改修して東方号の浮力の補助として使おうというものであった。

 幸い、ラ・ロシェール近郊の円盤については爆破されたわけではなく、両断されて墜落したためにすでに軍によって完全な形で捕獲されており、アカデミーに研究の名目で引き渡されていた。ラグドリアン湖に沈んだミミー円盤も、水生の使い魔を有するメイジによって沈没点はすぐに特定され、五隻の風石船によってサルベージがおこなわれた。

 こうして、魔法アカデミーはナース以来、久しぶりに完全な形で宇宙人の機械を、しかも二機も同時に手に入れることとなった。彼らは東方号にかかりきりで参加できないコルベールが悔しがるのを尻目に、円盤を徹底的に調べ上げて、役に立つ技術はすべて吸収しようと試みた。

 これは地球において、怪獣頻出期におこなわれたことと同じである。

 地球に出現した侵略宇宙人の円盤や宇宙船は、そのほとんどが防衛チームやウルトラマンによって爆破されたが、地球人はそのわずかな破片を回収して復元したり、あるいはごく稀に破壊されずに残った宇宙船を分析して、宇宙船の重力制御技術などのオーバーテクノロジーを研究していった。

 防衛チームZATやMACの戦闘機が、航空力学を完全に無視した形ながら高機動力を発揮できる要因は、この研究から得られた半重力システムの恩恵によるところが大きい。残念なことに、防衛チームMACが本部基地ごと全滅してしまい、UGMの時代にはオーソドックスな戦闘機タイプに戻ってしまった時期もあるが、現在のGUYS基地フェニックスネストのフライトモードなどには過去以上の先端技術が取り入れられている。

 しかし、当然のことながら科学技術の基礎すらまだ存在しないトリステインにおいて、円盤の調査は難航した。おまけに時間もないこともあって、彼らはやむを得ずに円盤の解析はあきらめて、円盤の操縦方法の習得にのみ全力を注いだ。

 結果からすると、これは大英断であった。なぜなら、教官もマニュアルもなしに三輪車に乗れるようになったばかりの幼児に自動車を運転しろ、と言わんばかりの暴挙であるから時間はいくらあっても足りない。円盤は二機とも、搭乗していた宇宙人が墜落や衝突でショック死していたために動くことは動いたのだが、未知の操縦システムの前に手のつけられない暴走に陥りかけたことも一度や二度ではなかった。

「じゃじゃ馬のドラゴンを飼いならすほうがよっぽど楽に思えた」

 ヴァレリーの助手の一人は、疲れきった様相でそう語った。彼らの苦労が忍ばれる。

 とはいえ、アカデミーの学者たちの必死の努力は、なんとか形のあるもので報われた。二機の円盤は、元のように空中をふわりふわりと自由自在に飛び回ることは無理にしても、上昇、下降、前進、後退、左折に右折くらいまではどうにか操れるようになったのだ。

 

「ともあれ、よくぞ間に合わせてくれました。これで東方号は最後の仕上げにかかれます」

「そう? じゃあ私は寝かせてもらうから、宿代の払いはアカデミーにツケといてね」

 ヴァレリーは疲れた声でそう告げると、大きなあくびをして去っていった。

 桟橋では、すでに運ばれてきた円盤の一基が陸揚げ作業に入っている。これも数百トンはあるために、小型とはいえ空中船に吊られて動かされている様は壮観そのものだ。

 コルベールは、全体に指示を出すために竜籠に乗りこんで現場を見下ろした。

 地上五十メイルから眺める作業現場で、まずは一基、元はミミー星人の円盤がゆっくりと東方号の舷側に向かっていく。灰色に塗装しなおして、ヒトデ状の突起物を取り去った上で、完全なフリスビー型になった三分の一をカットしたそれは、大和の第一・第二砲塔側面の船体に合体した。

「ようし、右舷の合体は完了! ただちに接合作業に入ってくれ。続いて左舷、ドッキング用意だ」

 

 コルベールの指示の元、作業は細心の注意を払いつつも圧巻の様相を見せて進んでいく。

 現場の周辺には軍が厳戒態勢を敷き、ネズミ一匹たりとて東方号には近寄らせない構えをとっている。

 

 そして、この街にその物語を演じる最後の役者がやってきた。

 エレオノールの元に現れた、白髪のあまり風体の上がらない貴族の男。普通なら、この忙しい時期の来訪などは即刻門前払いを食らわせるところだが、その貴族はエレオノールにも無視できない地位と権限を持った男だった。

「突然のご来訪、まずは道中のご苦労をお察しいたしますわ。ですが、今はなにぶん時間のない身、至急ご用件をお伺いいたしたく存じますわ。アカデミー評議会議長、ゴンドラン卿」

「いや、時間を割かせてしまってすまないね。なに、研究熱心な君たちのために私も一肌脱ごうと思っただけさ。君たちの活躍を私から直接上に報告すれば、研究費用も増額されるかもしれない。悪い話ではないだろう? フフフフ……」

 

 

 続く


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