ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第59話  聖者と死神のはざまに

 第59話

 聖者と死神のはざまに

 

 サイボーグ獣人 ウルフファイヤー 登場!

 

 

 買い物をしたサイトとミシェルは、特に目的地も定めずに気の向くままに散策を楽しんでいた。

「サイト、次は東町のほうに行かないか。ゲルマニアの武器屋が来てるっていうからさ、いい剣が見つかるかもよ」

「姉さん、祭りの日にまで武器見に行かなくてもいいんじゃない?」

「いいじゃないか、どうせ服とか買ったって着る機会なんてほとんどないんだ。今度も似合う剣、選んでくれないか?」

「似合う剣って、どんな剣ですか? 待ってくださいよ。そんな急がなくても、ちゃんと着いていきますってば」

 ミシェルが手を振って才人を呼び、呼ばれた才人は笑いながら、早く早くとせかすミシェルを、楽しそうに追いかける。

 ペンダントを才人からプレゼントされてから、ミシェルの様子は大きく変わった。胸に輝かせたペンダントを大事そうに片手で握り締め、もう片方の手で追いついてきた才人の手を握る様子は、もうどこにでもいる普通の女の子と変わりない。彼女にとっては男性から贈り物をされるなど初めてのことで、新鮮で純粋な喜びに身を任せていた。やや悪意を持って見れば、単に舞い上がっているだけといえないこともないけれど、好きな男性との触れ合いをなにも考えずに楽しむことになんの罪があるだろうか。

 身分や出自には関係なく、ただの男と女としてサイトとミシェルは街を行き、言葉をかわして笑いあう。このころになると、ハラハラしながら見守っていた銃士隊の隊員たちも、ひと段落ついたとほっと胸をなでおろし、反対に面白がっていたルクシャナは退屈そうになっていた。

「普通ね。なにかハプニングでも起きるかと思ったけど、これじゃ観察しても時間の無駄だわ。もういいわ、テファ、私たちも自分たちで遊んできましょ」

 悪意がないぶん余計に性質の悪い覗きは去って、才人とミシェルは子供のように祭りの中をはしゃぎまわった。

 忘れられているルイズにはやや気の毒かもしれないが、油断大敵と思えばいい薬かもしれない。恋路は厳しい上に、ウルトラマンに選ばれる男性には純粋な性格の持ち主が多いから、別世界も合わせれば女性同士で取り合いが生じた例はある。

 はてさて、これからどうなるかは誰にもわからないが、一部始終を才人の背から見守っていたデルフリンガーは、昔を懐かしみながら思っていた。

「やれやれ、ブリミルのやつも不器用だったけど、相棒も負けずに女の扱いはヘタクソだねえ。ま、上っ面だけと違って、本気で好きになったら気持ちは抑えようもねえからな。せいぜいがんばりなよお嬢さん、誰が誰を好きになるなんてもんに、運命なんてねえんだ。本気で幸せをつかみたけりゃ、ありのままでドーンとぶつかるこったぜ」

 それはルイズとミシェル、どちらへのエールだったのか。デルフリンガーは長い生涯の中で、自分を握った者と人生を共有し、同じ数の死別とも向き合ってきた。もう覚えている数も少ないが、その中でどんな形であるにせよ、満足して幸せに人生を閉じた者は、みんな自分の思いと向き合って、やりきるだけやりきった者ばかりだった気がする。

 人に決められた未来などはない。どんな結末を迎えるかは、その人間ひとりひとりしだいなのだ。

 才人とミシェルは、少なくとも今、後悔しないように素の自分でこの時間を楽しんでいる。祭りで賑わうこの街は、どこへ行っても、世界のどこかからはるばる持ってこられた珍しいものが目を楽しませてくれる。今、ラ・ロシェールには世界中のあらゆるものと人が集まっているといってよかった。

 

 ところが突然、街中に鐘の音が鳴り響いたと思ったとき、人の流れが一気に一方向に変わった。みんななにかに追われるように、全速力で走っていく。

「え? なんだ、どうしたんだ?」

「ああそういえば……うっかり忘れていた。サイト、今日は王家の婚礼を祝福しに、ロマリアからヴィットーリオ教皇陛下がいらっしゃるんだよ」

「ヴィットーリオ? 教皇?」

 ハルケギニアの宗教のことまでは、まだ詳しくない才人は怪訝な顔をした。ハルケギニアにも神様がいて、食事のときに毎回ルイズたちが祈りを捧げているから、漠然とそういうものがあることぐらいしか知らない。才人が理解に苦しんでいるのを見たミシェルは、ならばと簡単に説明してくれた。

「まあ、お前はそんな信心深いタイプには見えないな。ブリミル教の教義自体、最近は実践教義が強くなってきていることもあるし、あまり関心なくてもしょうがないか。正式には聖エイジス三十二世といい、始祖ブリミルの弟子フォルサテが開いたロマリア連合皇国の聖下と呼ばれている人物だよ」

「つまりはブリミル教で一番偉い人ってことか」

「ざっといえばそうだ。今でも教皇の権威は、ブリミル教徒たちの間では絶大だからな。これはみんな、祝福のおこぼれに預かろうって連中さ」

 辛辣な言葉を吐くミシェルは、あまり人々の行動に共感してはいないようだった。幼いときから自分だけを頼りに生きてきた彼女には、神頼みをする意識は薄いらしい。もっとも、初詣とお盆とクリスマスを全部する典型的な日本人である才人にも、そうした意識は少なかった。

 もっとも、才人の場合は本物のブリミルを見たことがあるので、敬う気持ちがなくて当然ではある。過去のビジョンで見たブリミルは、どこにでもいる普通の男といった感じで、間違っても信仰の対象となる神々しさとは無縁の人物だった。

「あのさえないお兄さんがねぇ……ま、キリストも釈迦も元々は普通の人間だったんだし、伝説には尾ひれがつくもんか」

 雑踏の騒音にかき消される程度の声で、才人はつぶやいた。宗教にはあまり詳しくないけれど、信じている人にとっては、それは貴重なものだということは理解できる。本物のブリミルのイメージは頭の中に片付けた。

 人々の流れは産卵地を求める鮭にも似て、一方向にとめどない。二人は祝福にも恩恵にも興味はなかったが、どうせ露店の商人もいないので、もののついでに見に行くことにした。広く開けられた街道は左右を人が取り巻いており、人をかきわけるだけでも一苦労だった。

「ふう、まるでワールドカップのパレードだな」

 汗を拭きつつ前に出たとき、ちょうど教皇の行列が前を通るところだった。

 豪奢なオープントップの馬車に乗った、きらめく聖衣を着た二十歳くらいの若い男が手を振っている。あれがヴィットーリオ教皇なのだろうなと才人は思った。端正な要望に、慈愛に満ちた笑顔、なるほど、これならばこの人気もうなづける。

「だが……なんか気にくわねえな」

 誰にも聞こえない声で才人はつぶやいた。確かに見た目の第一印象は最高だ。しかしあの男を見ていると、傲慢に高いところから人間を見下しているような不快感を覚える。美男子に対する嫉妬といってしまえば、それまでかもしれないが……

 ヴィットーリオの背中を見送った才人は、続いてやってくる司祭や司教に目をやった。教皇の華々しさからは数段劣るが、人々に祝福を与えながら歩いてくる。その後ろには彼らの護衛である聖堂騎士団が、全身を鎧兜に覆って、物々しく杖を構えて着いて来た。

「サイト、もう行こう」

「そうですね」

 ミシェルがせかすのに才人も同意した。信じてもいない神の祝福など欲しくもない。そうして、列に背を向けかけたときだった。目の前に来た聖堂騎士の鉄兜の中の顔が、偶然才人の視界に入ってきたのだ。

「っ! あいつは」

「サイト? どうしたんだ」

 尋常じゃない才人の様子に、ミシェルも足を止めて振り返る。誰か知った顔でもいたのか? しかし通り過ぎた聖堂騎士の背中を見つめる才人の口から出たのは、信じられない名前だった。

「ワルド……」

「まさか! そんな」

 ミシェルにも信じられなかった。ワルド……あのトリステインを売って行方をくらましていた卑劣漢が、どうして聖堂騎士などに混ざっているのだ。錯覚か、それとも他人の空似か。いずれにしても、あるはずがない。

「見間違えだろう……聖堂騎士は神にすべてをささげて、長年訓練を重ねたものだけがなれる選ばれた精鋭だ。あの下種がどう間違っても入れる代物じゃない。行こう、なにかここは気分が悪い」

 才人の手を強引に引きつつ、ミシェルは街道を離れた。

 だがその心の内は激しく荒れ狂い始めている。ワルド、かつての自分をさらに黒く塗りこめたような男。己の欲のために人の心を売り飛ばして恥じず、自分とアニエスに深い傷を負わせた宿敵。もしも本当に奴ならば、今度こそ逃がしはしない。

 言い知れぬ不安をぬぐいきれぬまま、才人とミシェルは行列を離れていく。

 

 ヴィットーリオの一行は、そのまま街道で市民に祝福を与えながらゆっくりと進んでいった。

 教皇の行幸というのは、単にその場所に行って祝福の言葉を述べるだけではない。ハルケギニアのほとんどが敬虔なブリミル教徒であるために、彼らと触れ合いを持ち、信仰を広め、強化していくことも重要な目的なのだ。

 ラ・ロシェール中の人間が集まっているのではないのかと思われる人波を、ヴィットーリオは嫌な顔ひとつせずにひとりずつ祈りを捧げて歩き去っていく。あまりの行く足の遅さに、聖堂騎士団が市民たちをどかそうとしたときも、ヴィットーリオは穏やかだが、きっぱりとした声で彼らをいさめた。

「およしなさい。あなた方は神への信仰を示そうとしている人たちの思いを無にするおつもりですか? 我々聖職にある者はすべて、彼らに奉仕するためにいるのです。さあ、彼らをお通ししてあげなさい」

 歓声があがり、人々はひざまずいて教皇聖下の慈悲に感謝を捧げた。これでまた、神のためには命を惜しまぬ聖なる戦士が幾人も生まれたことだろう。そうしたことを何度も繰り返しつつ、ヴィットーリオの一行がアンリエッタとウェールズの待つ聖堂にたどり着いたのは、当初の予定を何時間も上回った夕暮れに近くなったときであった。

「お待ち申しておりました。教皇陛下、わたくしども夫妻のささやかな門出においでいただき、心より感謝いたします」

「はじめまして、アンリエッタ殿。お久しぶりですね、ウェールズ殿」

 出迎えた新婚夫妻に、ヴィットーリオは微笑を浮かべたままであいさつした。

 アンリエッタにとって、聖エイジス三十二世と会うのはこれが初めてであった。彼が教皇に即位したのは、今から三年ほど前。即位式にはハルケギニアの王族が揃って参列するのが慣わしであり、ウェールズはそのときに会っている。けれども運の悪いことに、アンリエッタはその当時流行の風邪を患っていて参列できなかったのだ。

 かつて即位式に出られなかったことをわびるアンリエッタに、ヴィットーリオは表情を変えぬままで手をかざした。

「かまいませぬ。即位式など、ただの儀式です。あなたが、神と始祖の敬虔なしもべであることに変わりはありません。私にはそれで充分なのです」

「ありがたいお言葉、教皇聖下の寛大なるお心に、わたくしは感動を禁じえません」

「頭をお上げください。私は堅苦しいだけのあいさつを好みません。このような場でなければ、ヴィットーリオと簡潔に呼んでもらってもよいくらいです。まあ、そのおかげで本国の神官にはよく叱られていますけれどね」

 まるでいたずら坊主が茶目っ気を出したように、ヴィットーリオは軽く声を出して笑った。アンリエッタは初見ながら、この若い教皇が絶大な支持を受けている理由が、この寛大な包容力にあるのかと思った。まるで慈悲深い神のように、暖かい言葉と誠実そうな輪郭は見るものの心を溶かしてしまう。

 次にヴィットーリオはウェールズに向き合った。

「三年ぶりですねウェールズ殿下。失礼、今は陛下でいらっしゃいましたね」

「はい、聖下におかれましてもお変わりなく。ですが、本来ならトリスタニアにおいでいただくべきところを、このような僻地に行幸をいただいたことには、感謝とともに恥ずかしさを禁じえません」

 トリスタニアにある大聖堂は、アボラス・バニラの二大怪獣が出現した折の嵐による落雷で火災を起こし、半焼していた。もちろんすぐに修復工事が始まったのだが、その途中で経年劣化による柱の腐食も発見され、修復には少なくとも半年はかかるという見積もりが出ていたのだ。

 しかしヴィットーリオはすまなそうにするウェールズに、むしろ自分のほうが悪いように語り掛けた。

「いいえ、わたくしのほうこそ、行幸の途中で村々に寄ったために、何度もそちらの予定を狂わせて申し訳ありませんでした。聖堂の有無などは関係ありません、神の威光の降り注ぐ場所に差別などありませんからね。それよりも、内乱の折は大変でしたでしょうが、よくぞ始祖の血筋と王国を守り通してくださいました。ご結婚、おめでとうございます。神もあなたの献身と努力には祝福を惜しまぬことでしょう」

「いえ、すべては始祖のお導きがあったからこそ、私のような非才の身が若輩ながら王と呼ばれるようになれたのです。本来ならば、この王冠は我が父ジェームズ一世がまだかぶっているべきものです。父を叛徒どもの魔手より救えなかったことは、いまだに後悔に耐えません」

「そのお言葉に、きっと天のお父上も喜んでいることでしょう。しかしながら、人の生き死には神のお決めになることです。その中でどう生きるかで人の価値というものは変わってくるのでしょう。ジェームズ一世殿は、この世での天命を充分に果たされたので天に招かれたのでしょう。あなたのお気持ちは尊いことですが、あまり思いつめてはお父上の人生が無価値なものだったと否定することになりますよ」

 教皇の慈愛に満ちた言葉は、ウェールズの心にも染み入った。隣で聞き入っていたアンリエッタも思わず目じりを押さえて、観衆からも教皇聖下万歳と声があがる。

「さあ、今日はあらゆる凶事も脇にどく、めでたい祭日となるべき日。祝福の儀をはじめましょうかお二方、この日はアルビオンとトリステインの新たな旅立ちとなるだけでなく、ここにいる誰にとっても忘れられないよき日となることでしょう!」

 高らかに宣言したヴィッートリオに続いて、天も震えんばかりの大歓声があがった。ここにいるすべての人間が、清廉なる教皇聖エイジス三十二世の威光をたたえ、歴史の一ページとなる場所に立ち会えることを誇りとしていた。

 

 盛大な婚礼の祝福はそれから数時間に及んだ。日が暮れて後は聖歌に合わせて盛大な花火が打ち上がり、人々はペガサスに乗って飛ぶ新婚夫妻の美しい姿に手を振り、壇上から祝福の言葉を述べる教皇の言葉を一言も聞き逃すまいと聞き入る。

 

 そうして時間は流れて、日付もひとつ進んだ深夜。さすがに夜更かしな人々も、一部を除いて疲れ果てて寝床に入る頃、祝福を受けて正式な夫婦と認められたアンリエッタとウェールズ夫妻は、宿の一室に教皇を招いて、ささやかな感謝の席をもうけていた。

「本日は、御身を我ら夫婦のためにお疲れいただき、ありがとうございました。心ばかりながら歓待のしるしを用意いたしましたので、どうぞごゆるりとおくつろぎください」

「これはお心づくし、感謝いたします。遠慮なく甘えさせていただきましょう」

 華麗な装飾をほどこした応接室に、王族二人と教皇が小さなテーブルを囲んで座った。テーブルの上には簡素な食事と、度数を抑えたワインが並べられている。ブリミル教の教義上、ぜいたくな料理はかえって不敬に値するし、この席は食事よりも会談が目的だからである。

 アンリエッタは、今日は結局ルイズたちを呼ぶ時間を作れなかったわね、と、残念に思いつつも口火をきった。簡単なあいさつと今日の出来事を思い返し、当たり障りの無い世間話で唇を濡らしつつ、式典で疲れた体に少な目のアルコールが心地よくめぐってくる。

 と、そこで半分ほど残ったワイングラスをテーブルに置き、ヴットーリオが真面目な顔に変わった。

「ところでウェールズ殿、アンリエッタ殿、あなた方は昨今のハルケギニアの情勢をどう思われますか?」

「どう……とは?」

 教皇が振った話題に、ウェールズはその真意を探るように即答を避けた。アンリエッタも新婚の妻から、国政を背負う王族の目に立ち代って、教皇の言葉を待つ。

「別に問答をしようと言っているわけではありません。あなた方もご存知でしょう? 今、この世界は始祖の開闢以来最大の危機にさらされています。この式典に集まった人たちの顔は明るく、一見なにも変わらないように見えますが、世界に目を向ければ、異常な事件、崩れゆく自然、暴れまわる未知の怪物たち、そしてその脅威におびえて荒んでいく人々の心……私はそれに心を痛めているのです」

「聖下、聖下もこの世界の異変についてご存知だったのですか?」

「私は先任の教皇方とは違い、この生涯を民のために捧げようと心に決めているつもりです。我がロマリアは世界中のブリミル教徒たちと通じていますから、自然と情報も集まってくるのです」

 ヴィットーリオはそこでいったん言葉を切り、ウェールズとアンリエッタの反応をうかがっているようだった。だが二人は沈黙し、自分からは話そうとしない。ヴィットーリオがどこまで知っているのか? それを確認しなくては、とても話せないような事実を二人とも余るほど抱えていた。

 沈黙の時間が数秒か数十秒続き、ヴィットーリオは立ち上がった。

「私はこう思っています。治める国の大小に関わらず、為政者にとって最大の罪悪は無知と怠惰であると。ですから私は非力な身ながら、信者たちの目や耳を通して情報を集めてきました。アンリエッタ殿、あなたのお国で起きている危機は、この世界で最大のものといえるでしょう。しかしよくぞ、それらの危機にひるむことなく立ち向かってらっしゃいます」

 ヤプールによるトリスタニアの壊滅から今日まで、トリステインで起きている事件のほとんどすべての概要を把握してることをヴィットーリオは示唆してみせた。また、ウェールズに対しては。

「アルビオンでの内乱も、数多くの血が流れました。すでに終わったことですが、ウェールズ殿はあの戦役についてどのような思いを持っていらっしゃいますか?」

「得るもの無く、失うものばかり多い無益な戦でした。我が祖国はようやくと平和を回復しましたが、その傷跡がなくなるためにはとほうもない年月が必要でしょう。愚かなことをしたものです」

「ええ、私もそう思います。しかし、無益な戦とは考えてみると不思議な表現です。この世に益のある戦など、はたして存在するのでしょうか?」

 ヴィットーリオの放った問いに、アンリエッタとウェールズはともに「そんなものは存在しない」と答えた。

「どうやらあなたたちは、私とはお友達のようだ。益のある戦など、あるわけがない。しかし我々は、そんなことはとうに承知しているはずなのに、何百年と争い続けてきました。今度の内乱にしてもそうです」

「それは、あのような無様な事態が起きたのも、我ら王家が安穏としていたためです。権威のなんたるかを貴族たちが忘れてしまっていたために、クロムウェルという扇動者がたやすくもぐりこむ隙を与えてしまいました。始祖の血統を途絶えかけさせてしまったこと、まことに申し開きもありません」

 恐縮して頭を垂れるウェールズに、ヴィットーリオは穏やかな声で頭を上げるようにうながした。

「ウェールズ殿、私はあなたを断罪したいわけではありません。むしろ逆です。お二人の真意が確かめられるまでは隠していましたが、私もあなたがたの同志なのですよ」

 それはどういう……と、言いかけたウェールズの言葉を、ヴィットーリオは手をかざしてしばし止めた。

「さきほども言いましたが、この世界は……もっと言えばハルケギニアの歴史は無益な争いに満ちています。人間はこの世界でもっとも栄えている生き物ですが、野蛮なオーク鬼や動物たちも同族同士で争うことはないのに、なぜ無益とわかっていて、争いをやめられないのでしょう?」

「聖下、わたしは政治家としては未熟ですが、人に欲がある限り争いはなくならないものと考えております」

 答えたのはアンリエッタだった。彼女の胸中には、野心を持たずとも充分に満たされた立場だったのに、果てない欲望に身を任せて悲劇と騒乱を撒き散らした奸臣リッシュモンの名があったに違いない。

「そう、人は他の種族に比べて非常に複雑かつ、深い欲を持った生き物です。亜人であれば、せいぜい食欲と破壊欲を満たせれば満足しますが、人の欲は数限りない。始祖ブリミルも欲の存在は肯定し、だからこそ我ら神官は自制を忘れぬために、妻帯に対する制約を設けたり、週に一度の精進を欠かさぬようにしているのです」

 ヴィットーリオは語り、その言葉に夫婦は感銘を受けていった。この方は、本気でハルケギニアの将来を憂いてどうにかしようと考えていると。

 それからもヴィトーリオは夫妻にゲルマニアやロマリアでの現状を事細かに伝え、世界各地での異変が全体を見ればすでに危機的状況にあることを強調した。そして、現在の世界の混沌、それまでの常識がまったく通用しない未知の敵が暴れまわっていることが、なにに根本の原因があるのかも、夫妻に問いかけた。

「それは、やはり我々人間と人知を超えた侵略者たちの間にある、絶望的なまでの力の差ではないでしょうか? 我々は敵のほとんどがどこからやってくるのかすら、突き止めることもできません。それに対して、敵は我々のどこへでも自由に攻撃を仕掛けてくることができます」

 アンリエッタは、ヤプールの攻撃に対してほとんどの人間が感じているもどかしさをそのまま口にした。相手の居所がわかるなら反撃もできる。しかし、ヤプールやその配下は突然どこからともなく現れてくる。そのため受け身で待ち構えるしかなく、やり場のない怒りは多くの者のなかに蓄積していた。

「そうです。悔しいですが、我々は非力です。それも、同じ人間同士で無益な争いばかり重ね、真の理想を見失っていたから……これでは何べん同盟を組んでも、我らの先祖はエルフに勝てなかったのも道理です。しかし、おわかりでしょう。平和を維持するためには力が必要です。それも、襲ってくる敵を撃退するだけの力では不十分です。中においては争う勢力を仲裁し、外においては侵略する意思を砕くだけの強大な力が」

「どこに、そのような力が……」

 言いかけてアンリエッタは口をつぐんだ。気づいたからだ、彼女の聡明な知能は、ロマリアの教皇というキーワードから、あの恐るべき力を。

「アンリエッタ殿もウェールズ殿もご存知でしょう。始祖の系統を……」

「虚無、ですわ……」

 ぽつりと答えたアンリエッタに、ヴィットーリオはにこりと笑った。

「神は我らに力をくださった。始祖はその強大な力を、四つに分けて後世にたくした。それらはすでに目覚め始めています」

 予測が当たったことに、アンリエッタは喜ぶ気にはならなかった。虚無の系統、すなわちそれはルイズの力。教皇はルイズをあらゆる危険の矢面に立たせると、そう言っているのだ。しかもそれは、単純にルイズだけの問題にとどまらない。顔を意識せずに青ざめさせ始めるアンリエッタと、まだ何のことだがわからずにとまどっているウェールズ。

「ウェールズ殿はまだ事情をよくご存知無い様子、順を追ってお話しいたしましょう」

 それからヴィットーリオは、始祖の四つの秘宝と指輪、始祖の伝説についてを細かに説明し、そして以前ラ・ロシェールで放たれた光こそが虚無の魔法の目覚めに違いないと語った。それはここ半月ほどでアンリエッタが探し回った知識を誤りなく、さらに上回るものであった。これを聞かされては、ヴィットーリオの言うことが嘘ではなく、本気であることを信じざるを得なくなった。

 が、今日はじめて虚無のことを知ったばかりのウェールズとは違い、アンリエッタはそのまま受け入れるわけにはいかなかった。四人の虚無の担い手のうちの一人は自分の無二の親友で、もう一人はその友人であり、争いごとにはまったく向かない穏やかな性格の持ち主だ。

「聖下……聖下の言うその力が虚無だとして、目覚めたばかりで四分の一にしか過ぎないのに、我らの持つあらゆる魔法や兵器を上回るそれを、果たして扱いきれるのですか?」

「力とは、色のついていない水のようなものです。白にするも黒にするも、人の心しだいです」

「過ぎたる力は人を狂わせます。わたくしは母からそう教わり、少ないながらも実例を見てきました。ましてや虚無の力が黒く染まった場合に、それを止められるのですか? できることならば、そっとしておきたいのです」

 恐れることを悪いことだと彼女は思わなかった。ルイズが虚無に目覚めてからというもの、まるでそうなるようにあらかじめ仕掛けられていたかのごとく、次々に恐ろしい事件がルイズとその周りを襲っている。今のルイズは火事の中の爆弾のようなものだ。

 しかしヴィットーリオは、アンリエッタのそんな恐れも見越していたかのように言う。

「その状態で、いったい何年我々は無益な争いを繰り返してきたのですか?」

「それは……」

「アンリエッタ殿の言うことは正しい。ですが、黒く染まることを恐れていたのでは平和を築くことはできませんよ」

「そうかもしれません……ですが、我々は非力でも平和を取り戻すために努力し、幾度とない試練を克服してきました。いまでも大勢の者が必死に力を磨き、この国は変わりつつあります。それでも不足なのですか?」

「試練を克服? 人頼みでようやく持ちこたえられているあなた方に、そのような言葉を使う資格があるのですか?」

 はじめて出た教皇の冷たい言葉に、アンリエッタは声を失った。

 人頼み……それは、アンリエッタにとって非常な屈辱を強いる一言だった。確かに、ヤプールがこの世界に現れて以来、対抗するための努力を怠ってきたことは無い。しかし、怪獣や超獣の力はほとんどの場合に自分たちの努力を上回って、倒してくれたのはウルトラマンばかりだった。

「お恥ずかしながら、聖下の言うとおりですわ。わたしたちはいまだに自力で脅威を跳ね除けられるだけの力を持ち合わせていません。だからこそ、聖下は虚無を目覚めさせようというのですね」

「そうです。なにより虚無は元々始祖が子孫である私たちのために残した、私たちの力です。私たちはその力を目覚めさせ、正しく使うことこそ使命。そうすれば、侵略者や怪物の脅威に怯えることもなく、ましてウルトラマンなどという不条理な存在に媚を売ることはありません」

 その言葉に、アンリエッタとウェールズは少なからず不快感を覚えた。

「お言葉ですが、私たちは何度もウルトラマンに救われています。しかし、同時に助けをあてにしたこともありません。私たちは常に全力を尽くし、その過程で彼は助力してくれるだけです」

「ですがそもそも、ウルトラマンが何者であるのかは誰も知りません。そんなものに世界の運命をゆだねるなど、正気のさたとは思えません」

「それは……」

 アンリエッタは答えあぐねた。エースとヤプールが敵対関係にあることは、アルビオンでヤプールが直に話している。だがそこまで言ってもいいものか? そのときウェールズがアンリエッタの肩に手を置いた。

「私たちはアルビオンでの最後の戦いにおいて、絶体絶命のところを彼に救われています。彼は私たちと言葉こそかわしませんが、私たちの味方に間違いありません。私は彼をこの世界の救世主だと思っています」

「それはまた、たいした信頼の深さですね。ではなぜ、ウルトラマンは最初から現れて戦ってはくれないのです? なぜ負けそうなときになって、ようやくやってくるのですか?」

「それは、私にもわかりません。けれど、考え続けたうえでひとつだけ思うことがあります。今の世界の危機が神の与えた試練だとしたら、人はその中で最大限の努力をすべきなのだと思います。悪魔の侵略に対して、人は漫然と救いを求めるだけではいけない。彼は人がそれを見せたとき、助けに来てくれるのではないかと」

「そうでしょうか? むしろ劇的な登場を印象づけることによって人々の信頼をえて、自分をこそ神と思わせる。そうしておいて土壇場で軍の解散や王国の支配権を要求してきたらどうします? もしかしたら、ウルトラマンこそもっとも悪質な侵略者なのかもしれませんよ」

 ウェールズとアンリエッタは、ぐっと言葉に詰まった。まさか、教皇聖下からそんなうがった見方を聞かされるとは思っていなかった。しかし、自分たちもウルトラマンの真意は推測するしかない以上、恩人を汚されるような思いがしても、二人とも不快感が強くなっていくのを我慢するしかない。

 だがそれ以上に、特にアンリエッタはヴィットーリオに最初感じた清廉さ以外のものを感じ始めていた。彼のウルトラマンに対する、この奇妙な悪意のようなものはなんだろうか? 確かに彼の言うこともわかるし、為政者に現実的な見方が必要なのもわかる。しかし、まるでウルトラマンへの不信感を植え付けようとでもしているような。慈愛に満ちた美しい顔の下にある形容しがたいなにか……そのなにかに、アンリエッタはわずかな身震いをした。

「まあそれはよいでしょう。不確定なことをいくら論じても、納得いく結論が出るとは思えません。現実的なことを話し合うといたしましょう」

 アンリエッタとウェールズは納得してはいないものの、これ以上の水掛け論の愚を悟ってうなづいた。

 ヴィットーリオもうなづくと、口調を穏やかに戻して語り始める。

「まずは、この分裂した世界を正しい形に統一すること、我らハルケギニアの民が心のよりどころとする土地を回復し、人々の心を集めてこそ無益な争いも消えるでしょう。元々始祖はそのために虚無の力を残されたのです」

「それは、聖地のことですか?」

 エルフが守る、始祖ブリミルが光臨した地。ハルケギニア中の王国が結束し、何度も奪還しようとしながら、その影すら見れなかった土地。

「聖地は我々にとって、ただの土地ではありません。心の拠り所、いうなれば故郷なのです。故郷が異教の掌中にありながら、真の平和などはありません」

「ですがエルフは人間の武力をはるかに超えた先住魔法や、脅威の技術を持っています。たとえ始祖の虚無を完全に手に入れたとしても、その完全な力を持っていた始祖ブリミルでさえなしえなかったことではないですか」

「私もアンリエッタに賛成です。聖下、不敬を承知で申し上げますが、エルフは人間との戦いにおいて一度も本気を出したことがないと言っても過言ではないでしょう。仮に勝てたとして、我らの側にも膨大すぎるほどの犠牲が出るのは必定。民を死に絶えさせて勝ったとしても、それこそ無益な戦の極ではありませんか」

 ウェールズもアンリエッタに同調した。アルビオンにおいて、敵味方の死を嫌というほど見てきた彼にとっても、かつての内乱の非ではない聖地奪還など、呑めたものではない。けれどもヴィットーリオの用意していた答えは、二人の予想を超えるものであった。

「そうです。あなた方がそうして怯えるように、エルフたちも生じる犠牲の量には怯えるでしょう。そうして、互いが争いあうことの愚に気づけば、戦いは未然に防げます。強い力は使うためのものではありません。見せるためのものなのです」

「見せる……ため」

「互いが絶滅するまで戦うなど、神の御心にもっとも背くものです。しかしエルフが我らを蛮人と呼び、見下している限りは交渉の余地がありません。平和的に、彼らと交渉するためにはぜひとも始祖の虚無が必要なのです」

 教皇の熱弁に、二人は反論する言葉が浮かんでこなかった。平和的に相手と交渉し、無血で聖地を返してもらう。それは確かに理想的だ。だが、平和のために武力を強化するというのは本末転倒ではあるまいか? むろん、非武装無抵抗の完全平和主義者のような極端さは除外するとして、ある程度の武力が必要悪なのがわからないほど子供ではないつもりだ。が、まかり間違えば自らを絶滅させうるほどの力が、本当に平和のために必要なのだろうか?

 もしも交渉が失敗したとき、互いが全面衝突することになったとしたら……

 悲劇は悲劇ですむ域を超える。いや、それ以前にアンリエッタだけが知っている事実として、現在の聖地はエルフの手中にすらない。以前よりはるかに強力かつ凶悪になり、エルフをも退けたあの悪魔とどう戦う? まして、その前面に立たされるのはルイズなのだ。

「聖下のお話は壮大すぎて、人の身であるわたしには容易に判断がつきかねません。いま少し、時間をお与えいただけないでしょうか?」

「私も……考える時間をいただきたく存じます」

「そうですね。私も、今日明日に答えがいただけるほど簡単な問題とは思っておりません。それに、めでたきこの日々にこれ以上水を差すのも無粋というもの、後日ゆっくりとお話いたしましょう」

 ヴィットーリオはそう言うと、退室しようとドアに足を向けた。アンリエッタは彼の背に話しかける。

「聖下、わたくしどもたちも聖地を回復しようとする意思に変わりはありません。ですが……」

「わかっていますよ。意思だけが先行し、無計画に進軍する愚行は多くの先例が証明しています。兵士たちにもそれぞれ人生があり、家族がある。あなたの立場はよく存じているつもりです。始祖も、おほめになることでしょう」

 ドアが閉まる音が短く切れ、夫妻は夢を見ていたかのように放心してソファーに身を沈めた。

 

 

 夜は更け、ラ・ロシェールは眠りにつく。翌日は夫妻がいったんトリステインを離れるための最後の祝賀会が開かれ、いよいよアルビオンに向けて出港する。寝ぼけ眼をさらさないために、特に用事がない者以外は早めの眠りについていった。

 だが、盗人とそれを追う者だけが動き回っている時間、不穏な企みの声がこの街の中でかわされていた。

「ご苦労様でした。仕掛けのほうは、きちんと取り付けられましたか?」

「重々完了していますよ。街の人間たちの目は、ほとんど教皇聖下のご威光に目がくらんでいましたから、街のどこも手薄もいいところでした。子爵も用意万端で合図を待っています。それよりそちらのほうはどうです? 両陛下は我々のご友人としてふさわしい方々でしたか?」

「むずかしいところですね。お二方とも信仰の深さは疑いありませんが、いかんせん若すぎますね。躍らせるのはさして問題ないでしょうが、すぐにおじけずいてしまいそうです」

「では、手はずどおりに?」

「はい、彼らには神の忠実なる僕となるよう、新たな洗礼を受けていただくことにいたしましょう。この世界がどの神のものであるのか、遅まきながらすべての者たちに知らしめるためにも……」

「まずは第一歩、途中参加の挨拶代わりということで……まあ、ジョゼフ殿に笑われない程度にはいけましょう」

 陰気さは無く、内容を聞かなくては、まるで友人と明日の天気についてでも話しているように思える口調だ。けれども、会話の中に混ざる単語をひとつずつ拾っていけば、全体は把握できなくとも、これが市井の平民や貴族のするような会話でないことは容易に判断がつくだろう。

 この街でなにが始まろうとしているのか? 人々が世界の危機を一時でも忘れ、祭りの享楽に心を癒し、体の疲れを静かな闇にゆだねて眠るこのとき、優しい闇の眠りに忍び寄る新たな闇の勢力は動き出していた。

 

 夜間巡回中の銃士隊員、彼女たちの耳に飛び込んできた悲鳴が、長い夜のはじまりであった。

「うわぁーっ! ば、化け物ぉーっ!」

「なんだ! おい、いくぞ!」

 鍛え上げた雌鹿のような足で駆け、二人の銃士隊員は悲鳴のした現場に急行した。

 走ること、およそ十数秒、駆けつけた両名のランプの明かりに照らし出されたのは、盗人と思われる黒尽くめの怪しい男。そして彼に襲い掛かる、全身を炎のようなたてがみで覆った巨大な狼人の姿だった。

「な、なんだこいつは!? コボルド、いや大きすぎる!」

「くそっ! くるぞ、抜刀しろ!」

 男を怪力でねじ伏せていた獣人は、二人の姿を認めるやターゲットを即座に変えて襲い掛かってきた。ランプを放り出し、長刀を抜いて身構える二人の銃士隊員。闇夜の遭遇戦では発射炎で目がくらんでしまう銃よりも剣のほうがいい。訓練で体に叩き込んだ動作が二人に頭で考えるより速く全身を機能させる。

 鋭い爪と牙を振りかざした獣人が迫り、爪の一撃を一人が剣で受け止める。

「ぐっ! 重いっ」

 並の男よりも鍛え上げた全身のばねが軋みを上げる。耐えられないパワーではないが、はじき返した腕がしびれて、反撃を繰り出す余裕がない。だが、彼女のかせいだ一瞬の隙に、もう一人が俊敏に動いていた。剣を腰だめに構えての突進攻撃、通常の戦闘では突きは相手に刺さった剣が抜けなくなるので禁じ手だが、獣人の筋肉の鎧は斬撃では致命傷を与えられないだろうと彼女は読んだのだ。

「うぉぉっ!」

 横合いからの一撃は、見事に獣人のわき腹を貫通した。手ごたえ、あり! 急所を貫いたことを彼女は確信した。しかし傷口から血は漏れ出さず、獣人は断末魔のうめきを残すと、泥水のようになって一瞬で溶けて消滅してしまったのだ。

「き、消えた……? なんだったんだ、こいつは」

 呆然と立ち尽くす二人の隊員は、獣人が消えた石畳の道をしばし見つめていた。

 しかし、またも街のどこかから聞こえてきた悲鳴が彼女たちの意識を呼び戻し、続いて響いてきた複数の狼の遠吠えのような声が、二人にこの事件がまだ始まったばかりなのだということを告げた。

「まさか、街中にあの怪物が!」

「まずい、これは私たちだけでは手に負えないぞ。隊長に連絡だ」

 隊員のうちひとりが、常用しているフリントロックの銃を取り出し、その先端に特殊な筒を取り付けた。これは銃の発射のガス圧で打ち出される信号弾で、平たく言えば打ち上げ花火だ。垂直に発射された弾は、数十メイルの高さで炸裂し、乾いた音と一瞬白い閃光を放つ。

「ようし、これで、宿で待機している味方には伝わったはずだ」

「喜ぶのは早いよ。教皇聖下の護衛に借り出された部隊を除いても、まだ五個小隊は動けるはずでも、敵の正体はわからないじゃない」

「ああ、まだ街の人間は気づいてないが、長引けば街中がパニックになる恐れもある。ちっ! 聖下がおいでのこんなときに、何者か知らんが余計なまねを」

 一人が舌打ちをする間にも、狼の声は前後左右から間断なく聞こえてくる。どうやら現れたのは五匹や六匹といった生易しい数ではないらしい。

「ともかく、少しでも多く片付けておこう。いいか?」

「ええ。やれやれ、酒場に出る狼の退治ならお手の物なんだけどね」

 苦笑しつつ、二人の銃士隊員は泡を吹いて気絶している盗人を放り出して駆け出していった。

 

 街中に散らばった獣人と、銃士隊をはじめとする人間たちの戦いははじまった。

 一方そのころ、戦いの場を離れた路地を、聖堂騎士の鎧をまとった男がよろめきながら歩いていた。

「ぐっ……また発作がはじまったか……これは、俺ももう長くないな。だがその前に、なんとしても聖地に足を……そのためなら、もう手段は選ばん」

 痛む心臓に電撃の魔法を与えて発作を抑えつつ、ワルドはある場所へと通じている道を進んだ。顔の肉はトリステインにいたころより剥げ落ち、皮膚も乾いているが、目の光だけはギラギラと油を塗ったように輝いている。今のワルドを動かしているのは、ただ執念の二文字のみ。すでに死期が近いことを悟っている彼の狂気にも近い一念は、未来を失った者の絶望が道連れを求めるかのように黒く燃え滾る。

 だがその背後から、真新しいテンガロンハットをかぶった男がつけてきていることを、彼は気づいていない。

 

 

 続く


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