ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第58話  ぬくもりは、あの人のそばに

 第58話

 ぬくもりは、あの人のそばに

 

 密輸怪獣 バデータ 登場

 

 

 才人とルイズが、ティファニアとルクシャナをともなってアンリエッタと会談してから一晩が過ぎた。

 朝日がラ・ロシェールの象徴である世界樹を照らし出し、天気は雨雲の影もない晴天。

 年末が押し迫り、放射冷却の刺すような寒気が空気に満ちる中で始まった朝。けれど、ラ・ロシェールの街はそんな寒さなどは涼しいとでも言わんばかりに、早朝から昨日といささかも衰えぬ賑わいを見せていた。

 露店は夜に繁盛していた顔をしまい、太陽の下で輝くものへと模様替えする。見世物小屋も、新しい出し物の看板を大きく立てて、順番待ちをする客は長蛇の列だ。

 

 才人たちはそんな中、銃士隊が仮宿舎としている宿で目を覚ました。いつもならみんな寝ている時間でも、軍人の朝は早い。「起床」の合図で強制的に叩き起こされて、有無を言わさず布団をあげさせられて、屋上での体操に参加させられる。

「うー、まだ眠いのに……」

 そう言いながらも、サボるとアニエスにどやされるので才人やルイズは見よう見まねで体を動かした。

 才人やルイズは寝ぼけ顔、ウェストウッドで子供たちの朝食を作っていたティファニアは平気なようだが、ルクシャナもさすがに眠そうだ。いくら街中の宿が埋まっているからって、ここを頼ったのは失敗だったかもしれない。なお魔法学院のとっている宿に戻らなかったのは、まだルクシャナやティファニアを衆目にさらすのは早いと判断したからである。昨日遊び歩いているうちに、ギーシュたちとも再会したが、ヴァリエール家の親戚筋とで忙しいとかごまかした。

「あーっ、疲れた」

「お母さまに連れられていった、深山の教会への巡礼以来ね。はぁー、暑いわ」

 真冬だというのに、終われば汗びっしょりである。けれどひととおり体を動かしたら朝食の時間が待っていた。食堂に集合して、セルフサービス方式でメニューをとり、長テーブルに座る。こういうところは地球の安ホテルとあまり変わりなく、才人には慣れ親しみやかった。

 逆にそわそわして落ち着かないのがルクシャナだった。女だけの軍隊である銃士隊に興味を持って、近場の隊員たちにあれこれと質問をしたりしている。才人たちは最初止めようと思ったが、ふとした思い付きから、おのぼりさんということにすれば多少の奇行も問題ないので今はほってある。

 やがて全員が席につくと、アニエスが音頭をとって祈りの言葉が唱和された。

「偉大なる始祖ブリミルと女王陛下よ。今朝も我らにささやかな糧を与えたことを感謝いたします」

 そうしてようやく穏やかな時間が訪れ、才人たちも食事をほうばりはじめた。魔法学院の食堂と違い、ほんとうにささやかな糧ではあったものの、体操で体を目覚めさせていたから驚くほどすいすい食べられる。才人は夏休みのラジオ体操の後の朝食が、妙にうまかったときのことを思い出した。

 と、そこへアニエスとミシェルが才人の隣の席の隊員をどけて座ってきた。

「おはよう。よく眠れたかサイト?」

「おはようございます。おかげさまで、健康的な目覚めをさせてもらいました」

 くたびれた様子を見て、皮肉げにあいさつをしてくるアニエスに、才人は無難なレベルで返事をした。それから、昨晩は急に押しかけて泊めてくれてありがとうございますと、ルイズたちといっしょに礼を述べ、そのまま食事に戻った。

「昨日は大変だったようだな。私はちょうど出張っていたが、夜間巡回中の隊員が、夜風にさらされてるお前たちを見つけたときは仰天したと言っていたぞ」

「あははは……いやあ、ほんと助かったぜ。調子に乗って夜店めぐってたら、いつの間にか開いてる宿が全滅だもんな。たまたま気づいてもらえなかったら、最悪寒空の下で野宿するはめになるとこだった」

 才人はばつが悪そうに頭をかいた。ティファニアに人間の街を案内するつもりではりきっていたら、あっというまにとんでもない時間になってしまっていた。ルイズのおかげで金にだけは不自由しなくても、泊まるところがなくてはしょうがない。もっとも調子に乗っていたのはルイズとルクシャナも同じで、才人を笑えない。

 行儀よく食事をとっているティファニア以外は、まともにアニエスの顔を見れない。アニエスはそんな彼らを見て、やれやれと笑うとバターを塗りつけたパンをかじった。

「それにしても、しばらく学院からも離れていたらしいが、どこへ行っていたのだ?」

「えっ? あ、それは」

「サイト!」

 答えようとした才人は、横からルイズにフォークでつつかれた。旅の内容は、まだアンリエッタ以外には秘密なのだ。そのことを思い出さされた才人は口ごもり、顔色が面白いように変化する。が、アニエスにはそれだけで充分だった。

「まあお前たちのことだから、大方私たちには想像もつかないような大冒険でもしてきたんだろう。またぞろ、世界でも救ってきたんじゃないか?」

 当たってる……と、才人とルイズは心の中で拍手した。さすがは銃士隊の隊長だけはあり、たいした洞察力だ。というよりも、アニエスも日常に怪事件が起きる環境に慣れてきている証拠か。それだけこの世界が、頻繁に危機に見舞われるように変わってしまったんだろう。

 アニエスは才人たちの顔色からほしいだけの情報を得ると、貝とじゃがいものスープをスプーンですくった。

「まあいいさ。お前たちのやることにいちいち首を突っ込んでいたら、驚きすぎてこちらの神経が持たん。ところで、そちらのお二人は初見だが」

 視線を向けられたティファニアは赤面し、ルクシャナはなにげなげに見返した。

「あっ、は、はじめまして。ティファニアと申します。サイトさんとルイズさんとは、その、お友達で」

「ルクシャナよ。魔法アカデミーで、客員研究員をしてるわ」

 対照的な自己紹介で、アニエスはとりあえず二人の人となりをだいたい理解した。魔法学院の生徒や自分たちも含めて、才人の交友関係は相当に広いが、また個性的な友人を増やしたなと思う。この様子では、ミス・ヴァリエールも安穏とはしていられないのではないか。まあ、心配してやる義理はないが。

「アニエス・シュヴァリエ・ド・ミランだ。二人ともトリステインの人間ではないようだが、少なくともこの国では我々がお前たちの安全の保証はする。ただし、ろくでもない騒ぎは起こすなよ」

「は、はい!」

「はーい」

 ティファニアはアニエスの睨みに恐縮し、ルクシャナは右から左に聞き流した。アニエスはその態度で、もしもトラブルを起こすとしたら、十中八九ルクシャナのほうだと確信した。初見でなめられてはなるまいと、睨みつけてみるものの、やはりルクシャナは涼しい顔。むしろルクシャナとアニエスの中間にいるティファニアがおびえてしまっている。見かねてアニエスの反対隣から声がかけられた。

「姉さん、もうそのくらいにしておいてあげましょう。ティファニアさん、もらわれてきた子犬みたいになってますよ」

「ん? そうか、すまなかった。どうも私は周りへの配慮がいまいち欠けるな。悪いな、ミシェル」

 ティファニアの表情にようやく気づいたアニエスは、まずティファニアに謝罪して、それからミシェルにわびた。ミシェルは、そんな自分の厳しさをもてあましているよう姉を穏やかに見つめる。

「いいですよ。そのくらいの迫力がないと、銃士隊の隊長なんかはつとまりません。すみませんティファニアさん、これも職務柄の勤めですので」

「い、いえお気になさらずに……ありがとうございました。あの、あなたは?」

「ミシェル・シュヴァリエ・ド・ミラン、銃士隊の副隊長です。アニエス隊長とは、義理の姉妹になります。よろしくお願いしますね、ティファニアさん」

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ティファニアはミシェルに頭を下げて、穏やかで優しそうな人だとほっとした。けれど、ほんの数ヶ月前ならばその評価は百八十度違っていたのは疑いない。ミシェルも自分と同じように、狂わされた運命から立ち直った一人だとティファニアはまだ知らないが、人間の世界で生きていくことに、また少し希望を強くした。

「お二人は義姉妹なんですか。そういえば、どことなく雰囲気が似てらっしゃいますね」

「ありがとう。でも、私たちも初めて会ったときはまったく違った方向を向いてました。けど、今では姉さんをはじめ、仲間たちとは強い絆を感じられています。銃士隊は私にとって、家であり家族のようなものなんですよ」

「すばらしいことですね。私も戦争で孤児になった子供たちを引き取っていますが、本当に救われてるのはむしろわたしのほうです。彼らがいなかったら、わたしは生きていられたかどうか。だからなんとなくわかります、ミシェルさん、とても幸せなんですね」

 するとミシェルは、心からうれしそうな笑みを浮かべた。

「ああ、幸せだ。だから、私を救ってくれたみんなに少しでも恩返ししようとがんばっている。姉さんからもらったミランという名前も、私の誇りだ。ちなみに、サイトのフルネームは、サイト・ヒラガ・ミランというのだが、知っていたか?」

 は? と、ティファニアはきょとんとした顔をした。が、脳が再稼動をはじめて、言葉の内容が吟味されると、とたんにすっとんきょうな声をあげた。

「ええっ! もしかしてお二人ってサイトさんのお姉さんなんですか!」

 ご名答とばかりにアニエスとミシェルは首をふった。才人は照れくさそうに頭をかく。

「よしてくれよ、ね、姉さん。恥ずかしいから黙ってたのに、ったく」

「照れるな。わたしたちとしても、お前と名前を共有できているのはうれしいんだ。ティファニアさん、よかったら私たちとサイトのなれそめでも語ろうか」

「だから、こっ恥ずかしいからやめてくれって!」

 才人は顔を真っ赤にして叫び、アニエスとミシェルはおもしろそうに笑った。でも、会ってすぐのころは二人ともとても堅苦しくて、めったにこんな笑顔は見せてくれなかった。才人は、多少からかわれても、この二人と消えない絆がつながっていることを誇らしく思っているのだった。

「ところでサイト、お前たちは今日はなにか予定は立ってるのか?」

 唐突にミシェルに尋ねられ、才人はそういえばとルイズと顔を見合わせた。

「ルイズ、今日はどうする?」

「そうね。姫さ……いえ、呼び出しが来るまではこれといってすることもないし……暇といったら暇ね」

 アンリエッタがいつ時間をとってくれるかは、まったく不明だと言わざるを得ない。というよりも、どう予定をいじったとしても昼間のうちは絶対に無理だろう。すると、最低でも日暮れまでは完全に時間が浮いてしまうことになる。アニエスとミシェルはそれを聞くと、ぶらぶらするくらいならとひとつの提案をしてきた。

「だったらサイト、よかったらまた銃士隊の仕事を手伝ってくれないか?」

「え? でもおれは……」

 世間に不慣れなティファニアのそばにいてやらなければならないし、ルイズをほっておくこともできない。まして以前に共に戦ったときと違い、ガンダールヴの力を失った現在はほとんど力になれないと才人は思った。けれどアニエスは大丈夫だというように手を振った。

「心配するな。そんな難しいことじゃなくて、一般客に混じってすりや置き引きを監視するだけだ。見つけたら捕縛は我々がやる。私は指揮のためにここを動けんが、ミシェルの部隊はなにせこの人の山だ、手よりも目のほうが欲しくてな。間食くらいは出してやるぞ」

 見ると、アニエスはいつもの軽装姿だが、ミシェルは中流の平民がよそ行きに着るような、白いワンピースに似たドレスを着ている。才人は平民にまじっての捜査だと聞かされて納得すると同時に、服装が変わるだけでけっこう変わるものだと感心した。

「へえ、よく似合ってますよ」

「そ、そうかな? あまり目立たないように、地味めのを選んだんだけど」

「いや、下手にけばけばしい服なんかよりも、なにかなあ……清楚さがただよってきて、きれいですよ」

「サ、サイト! そんな……その、ありがとう」

 才人は単純な性格だが、それゆえに嘘が下手だ。おせじがまったく混じっていない言葉でほめられて、ミシェルは不器用だがうれしそうに笑い、アニエスは幸せそうな妹のために一肌脱いでやろうと思った。

「そういうわけだ。お前は銃士隊全員と面識があるから、助っ人にはちょうどいい。斬りあいばかりが任務じゃないぞ、お前も経験を積む上でもいい機会だと思うが?」

「そういうことでしたら……いいかな? ルイズ」

「ふーん、まあ時間を無為にするのもなんだし、宿の借りもあるしねえ。わたしはテファと別のところをめぐってるわ。じゃあアニエス、遠慮はいらないから存分にこきつかってやって」

「あっ! こいつ!」

 ニヤリと笑って許可を出したルイズの目を見て、才人は自分たちだけ楽しむ気かと腹を立てたが、すでに手伝うと言ってしまった手前取り消すわけにはいかなかった。そういえばこいつは可憐な見た目に反して、完全に男を尻に敷くタイプだった。しかしその一言でルイズ以上に、なぜかアニエスがしたり顔をした。

「そうか、サイトを一日貸してくれるのか。ミス・ヴァリエール、感謝するが、まさか貴族に二言はあるまいな?」

「は? ヴァリエール家の人間が一度した約束を取り違えるようなことはないわ。始祖の名に誓ってもいいわよ」

 ルイズは胸を張ってきっぱりと宣言した。その風格たるや堂々たるものだが、次の瞬間凍りついた。

「いや、始祖ブリミルの名に誓っていただけるなら安心だ。これで遠慮なくサイトを借りられる。そういうわけだ、ミシェル、日暮れまでサイトとペアを組んで任務に当たれ、なんなら日が暮れても帰ってこなくてもいいぞ」

「んなっ!?」

 ルイズは青くなり、ミシェルは正反対に赤くなった。その光景を見て、ルクシャナは目を細めて「ふーん」と、これまでとは違う意味で興味深そうな表情を浮かべた。彼女も初心ではない、母国に恋人を待たせている身なので、そこのところの事情はよくわかる。

「なーるほど、あの金髪のお姉さんなかなかやり手ね」

「えっえっ!? なにがどういうことなんですか?」

「まあ見てなさいって、下手に見聞を広げるより、将来きっと役に立つわよ」

 とまどっているティファニアに小声で言うと、ルクシャナはワインをくいっと飲んで笑みを浮かべた。そうしているうちに、ルイズは椅子が倒れるほど激しく席を立って、アニエスに抗議している。内容は言うに及ばず、サイトとミシェルのデート……ではなく、任務に文句をつけているのだが、形勢は圧倒的にアニエスが有利だった。

「ミス・ヴァリエール、言いがかりをつけてもらっては困るな。サイトを貸してくれると明言したのはあなただろう? ならば、彼をどう使おうと指揮官たる私の自由ではないか」

「ぐっ! で、でもその……なんでその女とペアなのよ。ほかにいくらでも隊員はいるじゃない!」

「サイトはあくまで臨時の隊員だからな。一番腕が立つものをパートナーにするのは当然。それに最近、お前が連れまわしてばかりでミシェルはサイトと会う機会がなかったからな。妹のために、多少姉なりの気遣いをしてみた」

「それって職権濫用じゃない! 許されると思ってるの!?」

「そうかな? 隊員の精神面の配慮をするのも隊長の職務ではないか。嫌か? ミシェル」

「い、いえそんな……私としてはその……でも、私が一日開けると、隊の運営に支障が出るのでは」

「ふむ。では、こうしよう。おーいみんな! サイトとミシェルで今日の見回りに行ってもらおうと思うのだが、反対の者はいるか?」

 アニエスが食堂にいる隊員全員に向かって呼びかけると、即座に全員から反応が来た。内容は満場一致で一言。

「ありませーん!」

 銃士隊全員が、白い歯を見せてにこやかに笑っていた。銃士隊の仲間意識は強い、増して敬愛する副長の幸せのためなら団結力もひとしおだ。ルイズは完全に返す言葉を失って四面楚歌。才人はどっちの味方をしていいかわからない。

 こうしてルイズは自分で言った台詞で自縄自縛となり、才人を貸し出さざるを得なくなってしまった。

 その後、ほとんど強制的に隊員たちに引き出された才人は、いつものパーカー姿から平民の服に着替えさせられた。この格好でミシェルと並ぶと、本当に恋人同士に見える。アニエスはそんな二人を送り出すにあたって、ルイズとの間に隊員たちでバリケードを作らせて、気兼ねなく出かけられるようにした。

「うむ、二人ともよく似合っているぞ。サイト、ミシェルをよろしくな。西口に、新しい劇団のテントができてるそうだから行ってみるといい」

「あのー……おれは仕事を手伝うんじゃなかったんでしょうか?」

「こらこら、ここまで来て無粋なことを言うな。せっかくみんなが気を使ってるんだから、たまには姉孝行でもしてこい。この娘の気持ちは知ってるだろう? いまさら朴念仁のふりしてごまかそうとしても、そうはいかないから覚えておけ」

「は、はい」

 無駄だろうと思って意見具申してみたら、やっぱり無駄だった。それにしても、こういう女子グループっているよなと、才人は地球で学校に通っていたころを思い出した。小中高と一貫して、クラスの異性をくっつけようとおせっかいを働く女子グループは必ずいたものだ。そのときは、自分はクラスの中でもてる男子ではなかったから、蚊帳の外から眺めているだけだったが、まさか巻き込まれることになるとは夢にも思わなかった。

 弱ったなあ、おれはルイズ一途だと誓ったのにと、才人は悩んだ。あれよあれよという間に状況に流されてしまったけれども、ルイズに好きと告白したときの気持ちは忘れていない。ルイズを裏切るつもりはないと、ミシェルにもきちんと言ったけれど、周りがはやしたてる今の状況じゃどうしたものか。第一こんな強引なやり方ではミシェルも困るだろう。才人がそう思ったとき、ミシェルが顔を伏せたままで手を伸ばしてきた。

「ミシェルさ……姉さん?」

「サイト……て、てて……手をつないでくれないか」

「え?」

「し、仕事の話だ! 賊を油断させるなら、こ、恋人同士のほうがいいだろう。だから、ほら!」

 無理矢理任務とこじつけて、ミシェルは才人の手を握ってきた。すると、二人の距離が否が応でも近くなり、互いの顔がそばになる。才人の目に、自分と背丈がほとんど同じで、三、四ばかり年上の義姉の横顔が入る。うつむき加減で唇を強くつむいでおり、藍色の瞳はうるんで頬は赤く染まって、とても小さく儚げに見えた。

”か、かわいいっ!”

 心臓がありえないリズムを奏でて、過剰な血流が体温を一気に上昇させた。なんだ、この理性を超えて本能に直接訴えかけてくる感じは? うるんだ瞳など、まるで捨てられた子犬がダンボール箱の中から見上げてくるような抵抗しがたさを感じる。そうだ、ルイズを部屋の中を縦横に飛び回る子猫としたら、ミシェルのそれは甘えさせてほしいとすりよってくる子犬の魅力だ。

 これは応えなくては男じゃない。つかルイズごめん。今回だけはぶっとばされても文句は言いません。

 心の中で決意と謝罪と覚悟を述べて、才人はミシェルの手を握り返した。

「じ、じゃあとりあえず巡回に出かけましょうか」

「う、うん……」

 手をつなぎあったまま、仮称恋人同士の二人は街の雑踏に向かって歩き出した。

 アニエスと銃士隊の一同は、手を振って二人を見送る。隊内にはすでに既婚者や婚約者がいるものもいるために、娘がもらわれていくのを見送る母親のような心境の隊員もいた。もちろんアニエスもうまくいくように祈っている。そのとき、ようやく人の壁を突破したルイズが飛び出てきた。

「ぷはぁっ! はあ、はぁ、サ、サイトは!?」

「ん? 一足遅かったな。二人とも、もうとっくに出かけたぞ」

「な、なんですってぇ! ア、アニエス、あなたたちよくもやってくれたわねぇ! 人の使い魔に手を出して、ただですむと思ってるんじゃないでしょうねえ!」

 怒髪天を突くといった描写がぴったりの、鬼神ルイズの杖が魔力のスパークを帯びる。今のルイズの精神状態でエクスプロージョンを放てば、この宿くらい跡形も無く消し飛んでしまうだろう。

 だがアニエスは平然たるものだった。自らに恋愛経験はなくとも、人心を透かし見る洞察力はミシェルのような悲劇が二度と起きないように鍛えてきた。才人がかっさらわれたこの期に及んでも、恋人とは呼ばずに、照れて使い魔と表現してしまうようでは、惰眠のソファーから蹴落とされても仕方が無い。

「いいのかな、こんなところで時間を無駄にしてしまっていて? ラ・ロシェールは意外と広いぞ。こうしているうちにもふたりはどんどん遠くに行ってしまう。連れ込み宿も何百件とあるから、見失ったら探せまい」

「ぐ、ぐっ……お、覚えてなさいよぉー!!」

 個性の無い捨て台詞を残し、ルイズは全速力で雑踏に飛び込んでいった。

 アニエスたちは、土地勘のない者がどこまで探せるかなと、内心でかなり意地の悪い笑みを浮かべて見送る。そして、騒がしいのがいなくなると、アニエスは心の衣装を銃士隊隊長のものへと戻した。

「さて、それでは我々は通常の任務に戻るぞ。一番隊から三番隊は王家の宿泊する宿の警護。四番隊と五番隊は交通整理だ」

 矢継ぎ早に命令を出し、隊員たちは指示を受けると敬礼して受け入れていく。そしてあらかたの命令を出したところで、少しだけ相貌を崩した。

「八番隊は昨日の続きで私服警戒に当たれ。ただし、言わなくてもわかってるな?」

「わかってますよ。サイトたちに先回りして、邪魔になりそうなものを排除しておくんですね。それと、ミス・ヴァリエールの足止めをしておくと」

 もはや隊内全員公私混同もいいところだが、これで公務に支障が出ないところが彼女たちのすごいところだろう。

 ただ、解散を言いつけようとしたとき、アニエスに言いづらそうな感じで一人の隊員が進言してきた。

「あの隊長、今日はあのお方がやってくるために、私たちにも警護に参加するように命令が下っておりましたが、いかがいたしましょうか?」

「そうか……そうだったな。間が悪いが、こればかりは手を抜くわけにもいかんしな。仕方ない、待機予定の隊は予定を変更して、出迎えの式典に参加することにする。私も出よう、後の指揮はアメリーにまかせる。以上、解散!」

「はっ!」

 隊員たちは一糸乱れぬ敬礼をとると、次の瞬間にはいっせいに自分の任務に向かって駆けていった。

 一方で、そんな一連の流れを理解できずに、目を白黒させていたティファニアはルクシャナに尋ねた。

「あの、わたしずっと森の中にいたから世間のことにうとくて、ルイズさんはなんで怒っていたんですか?」

「ん? それはあれよ。肉をくわえて喜んでた犬が、いつまでも食べないままでいたから横取りされかかって焦ってるの。どっちも若いわよねえ。それにしても、貴族の娘が従者の平民を義理の姉とめぐって争うか……うふふ、これはまた願っても無い観察対象ができたわ。わたしたちも行くわよ。こんなおもしろそうなもの、見逃してなるものですか!」

 観察の意味が学者のそれとかなりずれているようではあるものの、ルクシャナも女性であったということか。エルフの二人組は、人間の女性とまったく変わらない好奇心を胸にして、後を追っていった。

 

 それからのサイトとミシェルの行動は、見るものが見れば呆れ、またはじれったく思ったか、もしかしたら爆笑したかもしれないような事柄の連続であった。

 まずは、渓谷地帯を下りたところにある開けた台地。そこではアンリエッタとウェールズのロマンスをテーマにした舞台劇(ほとんどが推測にもとずく創作である)が、大勢の観客を入れて上演されていた。もっとも、二人とも恋愛歌劇などまったく趣味でないのだが、出発前に狙いのスポットを仲間から吹き込まれていたミシェルが勇気を振り絞ったのだ。

「サ、サイト……ここ、今すごく人気があるんだってさ。よ、よかったら」

「う、うん。じゃ……」

 二人とも、人生でこれ以上なかったほどに緊張していた。ミシェルは男性と二人連れ立って出かけるなんて初めてだったし、才人はルイズと出かけた経験はあるものの、他に用事があったりとなんたりでデートという雰囲気ではなかった。今回は明白に自分に好意を向けてくれている女性であり、それも飛びぬきの美人だ。地球でのほほんと高校生をしているときにこんなシチュエーションを考えたら、「平賀、頭を冷やして鏡を見てみろ」と、クラスメイトに同情じみた目で諭されることは疑いない。

 劇団のテントの中は真っ暗で、わずかなランプが幻想的な雰囲気をかもしだしていた。

 手をつなぎあったまま並んで座り、歌劇が始まる。

「おおアンリエッタ、君はなんと美しい! まるで水の精霊が僕の前に姿を現したようだよ」

「愛しのウェールズさま、あなたさまの軍神のごとき勇敢な戦いぶりに、わたくしはいつも胸を熱くしておりました。ウェールズさまが声をあげれば兵は震え、正義の杖を振るえば凶悪なるレコン・キスタは逃げ散りましょう。どうかそのたくましい腕でわたくしを抱きしめ、お守りくださいまし」

 歌劇独特の大げさな台詞が飛び交い、ウェールズに扮した男優とアンリエッタに扮した女優が演技をかわす。彼らの一挙手一投足のたびに観客の女性から黄色い歓声が飛び、男女が愛をかわす言葉があちこちから聞こえる。よく見れば、どこもかしこもカップルばかりだ。

 なんか、とんでもない場所に入っちまったと、才人は軽率な行動を後悔したがもう遅い。あきらめて、歯の浮くような台詞と、見ているほうが恥ずかしくなる演技に集中する。いつもなら眠くなるところだが、今回はそうはいかない。

「い、いやあ、なんかひどいシナリオだよな。あんなの全然姫さまたちと似てねえよ」

「そ、そうだよな。でも、サイトはあんなふうに誰かと、その……愛し合ってみたいと、お、思わないのか?」

 姉さんそれは反則だ! と、才人は思った。そんなことを言われたら、男優と女優の姿に自分たちを重ねて見てしまって、彼らが言葉をかわし、体を触れ合わせるごとに強く意識してしまう。

”どうしよう……こんなとき、いったいどうすればいいんだ?”

 才人は召喚される前に、興味本位で登録していた出会い系サイトで使おうと思っていた男性向け雑誌の項目を必死で思い出そうとした。とにかく何もしないでいるのだけはまずい。ルイズにまずいのはすでにあきらめているが、男として情けない。

 こんなとき、GUYS JAPAN一の色男であるイカルガ・ジョージならば適切なアドバイスもしてくれるのだろうけど、あいにく才人のテレパシーは地球までは届かない。思い余った才人は、ままよ! と、直接的な行動に出た。体を横に傾けて手を伸ばし、ミシェルの肩を抱いたのだった。

「……っ」

「ん……」

 一瞬自分のやったことを後悔した才人は、ミシェルがそのまま自分に寄りかかってきたことで脳を沸騰させた。夢なら覚めてくれ、いや覚めないでくれ……すぐ後ろの席でルクシャナが必死で笑いをかみ殺しているのを、二人とも知る由も無い。

 そして劇は流れていよいよクライマックス。レコン・キスタとの戦争が終わり、二人がラグドリアンの湖畔で愛をかわすシーン。二人が平和の歌を歌い、抱きしめあい、そして顔を寄せ合って……

 歌劇が終わってしばらく……二人は席から立つことができなかった。

 劇団のテントを後に、ふらついた足取りで二人はまた街に出る。

「こ、今度はもう少し気楽なとこに行きましょうか……」

「う、うん、そうだな」

 常ならば何も感じないものの、今の二人にとっては刺激が強すぎた。

 男と女はあんなふうに愛し合うのか……他人事のときは笑うなり、またはじれったく思うなりしていたが、自分のこととなるとこんなに大変だとは思わなかった。こんななら、まだ一日中剣を振り回しているほうが楽だ。楽だけれども……なぜか早く終わってくれとは思わない自分がいる。

 

 いろんなことを考えたくないのに考えつつ、次に二人が向かったのは飲食店街だった。

「そろそろ腹減ったし、どっか入りましょうか」

「そうだな。さて、どこかすいてるところはと……」

 歌劇がけっこう長かったので、いつの間にか時間は昼になっていた。食べ物屋はすでに満席の店も多く、ガリアやゲルマニア風の料理を出す店もちらほら見える。空腹のおかげで心の動揺もいくぶんか収まった二人は、適当な店を探し歩いて、一件のこしゃれたカフェらしき店に入った。

 と、思ったら……

「いらっしゃぁーい! あらん、これはどこかで見た殿方とお嬢さまぁん」

「ぎゃあああっ! ス、スカロン店長ぉぉっ!?」

 あまり脳内に記憶容量を持たせたくない、よく知ったオカマが現れて才人は絶叫した。

 なに? なんでこんなところに店長が? よく見たら店内にはジェシカや魅惑の妖精亭の女の子たちの顔も見える。あまりの衝撃に頭が白紙に近くなっている二人に、スカロンは例によってくねくねしながら説明した。

「うふん。なによりもめでたい姫殿下のご婚礼に、王家ゆかりの魅惑の妖精亭が不参加なんていけないでしょ? でもね、抽選で残念ながらお昼のお店の場所しかとれなかったの。だから思い切って、この機会に流行のカッフェなるものを、うちでも試してみようってことになってね」

「はぁ、なるほど……そういえばジェシカたちもいつもと違って地味な衣装っすね」

「地味とはなによ。まぁ、いつもに比べたら露出は少ないけど、真昼間からアレはできないしね。でも、料理の味はいつもと変わらないわよ。さっ、こんなとこで会ったのもなにかの縁だから入った入った」

 二人が深く考える前に、ジェシカは二人をテーブルに案内した。むろん、知らん顔をしているが、スカロンたちはことの事情を知っている。先回りをしていた八番隊の隊員が事情を説明して、お膳立てしてくれるように頼んだのだ。スカロンたちの答えは二つ返事でYes、元々こういうことは大好きな連中な上に、お得意様の頼みとあっては断る道理が無い。

 通された席で、才人たちはさっそくジェシカから注文を受けされられた。

「んじゃ、何にする? 今日はめでたいし、私がおごっちゃうよ」

「じゃあ適当に見繕ってくれよ。とにかく腹減ったから肉が食いたい」

 やけくそ気味に才人は頼んだ。こんなところまで来て知り合いに出会うとは、案外世の中は狭いものだが、とにかく空腹は耐えがたい。ところが、注文を受けたジェシカは困ったようにうなった。

「んー、悪いけど肉は今のとこ切らしててね。ちょーっと、買出しに出たバイトがヘマやっちゃって」

 ジェシカはフォークで奥の厨房を指した。するとそこで繰り広げられていた世にも珍妙な光景に、才人とミシェルは目を丸くすることになった。拾われバイトの例の三人、カマ、ウド、ドルが、なにやら大きなトカゲのような生き物とドタバタと格闘していたのである。

「あいてていてて! いやん、あたしの髪が、ヘアーが台無しよ!」

「こらこの、おとなしくしろ!」

「おのれトカゲの分際で生意気な! わーっ! 尻に、尻に噛み付いたぁーっ!」

 なんだありゃと、呆然としてバカ騒ぎを見守っていた二人に、ジェシカが苦笑いしながら説明してくれた。

「肉の買出しを頼んだら、なにをどうだまされたのか、あんな生き物買わされてきてね。返品に行ったらもういないし、かといって見た目的に食えたもんじゃないし、捨てたらよそさまに迷惑がかかるし。こらあんたたち! こうなったらてなづけられるまでそいつの食費は給料からさっぴくから、しっかり面倒みなさいよ!」

「はいぃ!」

 三バカはいまでも三バカのようだ。はてさて、低賃のバイトがペットなど飼えるのだろうか?

「さて、バカ騒ぎは置いておいて、注文はどうする? 特にないんだったら私で見繕うよ」

「じゃあそれで、もう腹減った」

「まいど! それじゃオーダーはいりまーす! 本日一番のスペシャルメニューね」

「スペシャル?」

 なにやら意味ありげなオーダーとともにジェシカが去っていくと、才人とミシェルは何か嫌な予感がして顔を見合わせた。

 そうして数分後、悪い予感は見事なまでに的中した。

「おまちどぉさまー、ごゆっくりねー」

「ジェシカ……お前ら絶対確信犯だろ」

 並べられた料理を見て、才人はこの店に入ったことを後悔した。もっとも、二人がこの店に入ることも八番隊が周囲の人波を操作したのが原因なのだが、今の二人にそこまで考える余裕はない。あるメニューを指差して、ミシェルがやや引きつりながら言った。

「サイト、これって……」

「確かに、前に男女の連れ合いを呼び込むようなメニューがないかって聞かれたけどさ。よりによってこれはねえだろ……」

 かつての自分の軽率さを、才人は大いに反省した。酒の勢いもあったとはいえ、あんなことを言うんじゃなかった。日本で男女のペアがデートのときの定番といって、才人が連想したもの。メニューとしてはどこにでもある、ただのグラスに入ったワインである。しかし、ストローが一本だけ伸びており、それが二股に分かれている。要するに、両側からカップルで同時に吸わないと飲めない、あの飲料である。

 才人はいったいどこのバカップルだよ、と、顔から火が出そうな恥ずかしさを覚えた。しかし、料理を蹴って店を出ることもできない。才人はルイズの使い魔時代に粗末なものばかり食べさせられてきた習慣、ミシェルは囚われの身であったときの経験で、食べ物を残すことができないよう体に染み付いてしまっていた。

「と、とにかくいただこうか」

「そうですね。もったいないから、もったいないから……」

 二人とも涙目になりかかっている。怨念のこもった視線を犯人たちに投げかけてやりたいが、スカロンやジェシカがどんな顔をしてこっちを見ているかと思うと、それもできない。なお、店の窓の外ではティファニアが赤面し、ルクシャナが腹を抱えて爆笑していた。

 結局、どうにか残さずに料理を完食して店を出たとき、スカロンとジェシカの「また来てねー」という送り文句に、二人は「この恨み、いつか晴らす」と、空腹のときよりげっそりした様子で思っていた。

 

 そうして三番目に二人がやってきたのは、様々な露店が軒を並べている商店街であった。

 ガリア、アルビオン、ゲルマニアにロマリア、その他の地方や東方からの珍しい品物を売っている店もある。見渡せば、街道の左右のすきまというすきまは商人たちで占拠され、行き来する人々に声をかけている。

 よかった、ここでなら恥ずかしいこともなさそうだ。才人はやっと安心して胸をなでおろした。

 気を楽にした二人は、店店の商品をチラチラと見ながら、のんびりと歩いた。そろそろ慣れてきたので自然と腕組をしながらゆく二人は、あれこれと談笑しながら楽しそうにゆく。

「やれやれ、あの二人、ようやくいっぱしの恋人同士に見えるようになってきたわね」

 陰から見守るルクシャナや八番隊の隊員たちは、苦笑しながらも成果が上がってきていることに満足してうなづいた。ここでもあらかじめすりや痴漢の類は縛り上げて、縄張り争いする商店や不法操業の商人は叩き出しておいてあるから邪魔になる奴はいないはずだ。ルイズは別働隊が反対方向におびき出してある。気の毒な気もするが、これもサイトと副長の幸せのため、あの世間知らずのお嬢様より副長のほうが絶対いいお嫁さんになれる。

 外野がそんな身勝手なことを祈ってるうちに、二人はとあるアクセサリー屋の前で止まった。

「あっ、宝石も売ってるんだ。見てきませんか?」

「え? うん……」

 意外にも最初に目をつけたのは才人のほうだった。ミシェルは才人が宝石なんかに興味があるとはと、ちょっと驚きながらいっしょに覗き込む。けれど、才人は宝石そのものに興味があったわけではなかった。

「ダイヤにルビーに真珠……まあ露天商だからイミテーションだろうけど、こんだけあったら、みるもんが見たらよだれを垂らして襲ってくるだろうなあ」

 露天商が首をかしげている才人の台詞には意味がある。実は宝石は怪獣のエサとなることが多いのである。一九六四年に出現した宇宙怪獣はダイヤを捕食していたというし、真珠養殖を全滅させたガマクジラや、エサの宝石を追ってはるばるエジプトからきたジレンマなどがいるのだ。

 と、そうして才人が場違いな空想にふけっていると、露天商が才人に声をかけた。

「おやお兄さん、若い男が宝石に見とれるだけだなんてもったいない。せっかくこんなおきれいな彼女がいらっしゃるんだ。プレゼントのひとつもするのが男の甲斐性ってもんですぜ」

 商人の一言に、才人はどきりとし、ミシェルはそれ以上に赤面した。

「い、いやいやいや、いいって! 私みたいな無骨な女にアクセサリーなんてもったいない!」

「いや、そんなことはないですって! 自虐なんかしなくても、えっと、その……親父、ここにあるやついくらだ!?」

「はいはい、お安くしておきますよ。ここにあるやつなら、どれでも一個四十五スゥでございます」

 宝石にしてはずいぶん安い。やっぱりニセモノじゃねえかと内心で悪態をつきつつ、才人はポケットをまさぐった。めったに買い物をしたりはしないが、もしものための予備銭としていくらかは持ち歩いている。取り出した銀貨と銅貨を数えてみると、ギリギリ足りそうであった。

「じゃあ親父、これでひとつ選ばせてもらうけどいいかな?」

「はいはい、毎度ありがとうございます。どれでもお好きなものをどうぞ、どれもよそでは手に入らない掘り出し物でございますよ」

 愛想笑いする店主に銭を渡すと、才人は視線を商品に切り替えた。ミシェルはそんな才人に、「私なんかのために、そんな大金を使うことないのに」と、困惑したように言うが、才人は気楽そうに返す。

「いいですって、おれなんかが金を持っててもろくな使い道はないんだから、有意義な使い道のチャンスを活かさせてください」

「まったく……いいと言ってるのに」

 とはいえ、すねたようなしぐさとは裏腹にミシェルもまんざらでもなさそうだ。才人がどれをプレゼントしてくれるのか、気になって仕方ないように横目でのぞいて来る。

 さて、どれにしたものだろう? あまりけばけばしいのはミシェルの雰囲気に合わないし、例の宝石たちはあまり縁起がよくない。ないと思うが万一怪獣がらみのトラブルに巻き込んだらシャレにもならない。ならば……陳列してある商品の中から、才人はひとつのペンダントを取り上げた。

「どうぞ、似合うと思いますよ」

 ミシェルは才人からペンダントを受け取った。それは銀のロケットに銀の鎖がついた簡素なアクセサリーだった。宝石はひとつもついておらず、ほかの宝石がごてごてついたアクセサリーに比べればかなり地味だ。

 それでも、ミシェルはそのペンダントが気に入った。確かに派手さはないが、よく磨かれた銀が鏡のように光ってきれいであり、なにより才人が自分のために選んでくれたというのがうれしい。首にかけて才人に感想を聞くと、「あははっ。いや、おれの見立てもけっこう捨てたもんじゃないな」など、照れ隠しに遠まわしな言葉が返ってきて、ミシェルは微笑んだ。

「ありがとう。ずっと大事にするよ」

「あっと……ど、どういたしまして」

 ミシェルの胸元で、ペンダントのロケットの部分が才人の間抜け面を映し出している。その中身は今は空っぽだ。けれどいつかはミシェルはそこに誰かの肖像画を入れるのだろうか? それはおれ? それとも別の誰かか? 才人がミシェルの幸せを願う気持ちに嘘はない。ただ、いつかは自分のことを忘れられるときが来るかもと思うと、物悲しい気持ちがしないでもないのだった。

 

 

 続く


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