ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第57話  闇に打ち勝つ選択

 第57話

 闇に打ち勝つ選択

 

 異形進化兵 ゾンボーグ兵 登場!

 

 

 地球とよく似た自然環境を持つ世界ハルケギニア。そこには、多くの生命が息づき、人々が様々な生活を営んでいる。

 アルビオン王国の内乱が終結して以降、世界は散発的に現れる怪獣の出現はあれど、平和と平穏を取り戻しつつあるように見えた。

 しかし、この世界を手に入れようともくろむ邪悪は決して滅んだわけではない。平和の光の足元にできる影の中で、邪悪はその力を蓄え、人々を陥れるために卑劣な策謀を練り続けていたのだ。

 

 世間がアンリエッタ王女の婚姻の祭りで賑わう中、伝説の虚無の力をめぐる争いに巻き込まれてしまったルイズたち。世界の命運をも左右するという大魔法の存在にとまどいつつも、虚無の力を狙う謎の敵の脅威は否応なしにルイズたちを望まない戦いの渦中へと引きずり込んでいく。

 運命か必然か、次第に姿を現していく虚無の真実と、かつてのハルケギニアに起きた災厄の歴史。

 そして事件の黒幕である、ガリア王ジョゼフによるティファニアの誘拐ではじまった冒険。エルフの少女ルクシャナとの出会いから、困難な旅路を経てたどり着いたアーハンブラ城。そこで待っていたビダーシャルとの存在をかけた意志の激突と、恐るべき敵フォーガスの戦い。想像を絶する苦難の旅は、ティファニアの奪還成功によってハッピーエンドで幕を閉じたと思われた。

 しかし、才人たちがこの世界が自ら生み出した闇と戦うあいだに、ハルケギニアを狙う最大の侵略者は目覚めていた。

 湧き上がる喜びの中で届いた最悪の凶報。

 長い沈黙を破って復活した異次元人ヤプール。怨念と、この世界に満ちるマイナスエネルギーを吸収して蘇ったその力はかつてを大きく上回り、強大な武力を誇るエルフの軍隊をも踏みにじり、彼らが守り続けてきた聖地を苦も無く占領してしまった。

 

 永遠に続いてほしいと思い続けてきた、休息の期間の終わりの鐘。

 

 さらに、ヤプールとの決戦に対するために準備されていた亜空間ゲートも、ヤプールの妨害によって閉じられた。

 最大の援軍を失い、意気消沈する才人だったが、ルイズのはげましで勇気を取り戻し、あらためてこの世界を守るために戦うことを決意した。

 急ぎ、トリステインへの帰路を目指す才人たち。

 だがそのころ、才人たちの知らぬはるかかなたで、ヤプールとも違う勢力が行動を開始していた。

 ガリア王ジョゼフと接触したロマリアの使者。彼はジョゼフと手を組むために、母親を救出しに来たタバサたち一行を強襲し、空に開いたワームホールにタバサを追放した上、キュルケたちを捕らえてしまった。

 ジョゼフから盟友と認められた彼らは、ジョゼフから”ある物”を譲り受け、なにかを企んでいる。

 新たなる脅威の誕生を知らぬまま、才人たちはトリステインへと急ぐ。

 

 しかし、この世界を狙って暗躍する勢力のひとつは、すでに陰謀を始めつつあった。

 

 トリステインを遠く離れた、ハルケギニア最南端の大都市ロマリア。ここは始祖ブリミルの弟子フォルサテが開いたと言われる、ロマリア都市王国の後身であるロマリア連合皇国の首都であり、ハルケギニアの人間たちが信仰するブリミル教の総本山である。

『光溢れる地』

 ロマリアは自らを神格化してそう呼び、聖地に次ぐ神聖なる場所と誇る。事実、過去には数多くの高僧や聖人がこの地で修行を積んで、迷える人々を救っていったと伝えられている。今でも、そうした伝説を信じる敬虔なブリミル教徒たちに巡礼地としてあがめられ、毎年何万という人間が訪れて繁栄している。

 ただし、過去の崇高なる理想は時代ごとに錆び付いていった。神官たちは救世よりも荘園の経営に腐心するようになり、現在ではお布施という名の莫大な収益で贅沢な生活を謳歌する修道士たちのそばを、各国から流れてきた貧民たちが一杯のスープを求めて炊き出しに並ぶ歪んだ姿となっていた。

 人間の持つ矛盾をそのまま具現化したようなバラックの都市。そこには、聖人たちの影に隠れるように多くの素性の知れない者たちも隠れ住んでいる。そしてその、日の当たらない貧民街のさらに奥……難民からすらつまはじきにされるような、犯罪者たちの巣窟で、一人の男が追われていた。

「くっ……まだ追ってくるか」

 男は人の気配の無い路地を、追手をまこうと右に左にと駆け回っていたが、背後からの気配は消えることはなかった。男の衣服は平民が着るようなみすぼらしいもので、しかもかなりくたびれてぼろぼろになっている。一見すると、そのへんの物乞いに紛れていてもわからないだろう。ただ、背格好は痩せてはいるものの筋肉質でがっしりとしており、元々はかなりよい生活をしていたのが察せられる。しかし、左腕のそでの中身はからっぽで、隻腕がただならぬ過去があったことをも語っている。

 彼はやや広い路地に出ると、行く手にも殺気を含んだ気配が待ち構えているのに気づいて立ち止まった。

「袋のネズミというわけか……ぐっ! ま、また発作がっ!」

 突然胸の痛みに襲われた男は、額から脂汗を噴出してうずくまった。

 そこへ、路地の陰から数人の人影が現れる。男は、長く手入れをしておらずぼさぼさになった長い髪のすきまから、その追跡者たちの姿を睨み付けた。

「人間ではないな……ガーゴイル、いや……人造人間の類か」

 男は荒い息の中で、銃を構えながら現れた敵の正体を吟味していた。敵は、人間と変わらぬ背格好で、鉄兜のような頭部に赤く光る目を持っている。男は長い間戦場に身をおいたこともある経験によって、そいつらから人間特有の殺気を感じず、かといってガーゴイルのような無機質さも感じなかったことから、生きている操り人形と判断した。

「確か、諜報の中にガリアが数年前、複数の生き物を掛け合わせる研究をしているという報告があったな。中には生き物の特性を持つガーゴイルの実験もあったそうだが、研究施設で起きた事故で凍結されたはず。何者かが再生させたのか……?」

 彼は仕事柄目にして記憶していた資料を思い出し、痛みを紛らわせるように内容をつぶやいた。

 そうしているうちにも、正体不明の兵士たちは銃口を向けながら規則正しい足取りで迫ってくる。銃そのものはハルケギニアの軍隊で一般的な、威力と命中精度に乏しいマスケット銃だが、前後からいっせいに撃たれたら避けるまもなく即死させられてしまうだろう。

「私を殺す気か……? ふっ、そのようだな」

 彼は胸の痛みを意識的に無視して、前後からの襲撃者に対して身構えた。敵との距離はおよそ六メイル強、道幅は三メイルほどで、この距離と狭さなら子供でも目標をはずすことはないだろう。

 対して男のほうは武器らしい武器は携帯しておらず、服装も銃弾を受け止められるようなものではない。なのに男は苦痛による発汗と呼吸の乱れはあるものの、腕をだらんとさせ、不敵さをさえ感じさせる態度で襲撃者たちを待ち構えた。

「どうした? こんな死にぞこないを殺すのになにを用心している。まさか、心臓の位置を知らないわけではあるまい」

 男は右手の親指で、ツンと突くように左胸を刺してみせた。そのあからさまな挑発の様子に、心を持たないはずの人造人間たちがいっせいに銃口を心臓へと向けて引き金に指をかけた。だが、彼らの指よりも早く男の右手が懐へと伸びて引き抜かれ、その手に握られていたみすぼらしい木の杖から雷光がほとばしった。

『ライトニング・クラウド!』

 強力なトライアングルクラスの電撃魔法が男を中心に雷撃を振りまき、銃弾が放たれる前に銃の火薬を爆発させ、襲撃者たちの体を高圧電流が貫く。男はメイジだったのだ。数秒後、襲撃者たちはすべて地面に倒れ伏し、仮面や服の隙間からブクブクと白い泡を吹き出しながらしぼんでいった。

「やはり、人間ではなかったか……ふぅ、それにしても、この閃光がこんなみすぼらしい杖を使わなくてはならんとは、我ながら落ちたものだ。まあ、元の杖では捕まえてくださいと言っているようなものだから仕方ないが……」

 男は自嘲げにつぶやくと、杖をしまって一息をついた。いつの間にか胸の痛みの発作もおさまっており、汗を拭いた袖が黒く染まる。

「しかし、こいつらは何者だ? いったい誰が、こんなものを使って俺の命を狙う?」

 男はこの汚れた町の住人たち同様、人目を避けて隠れ住む生活を続けていた人間だった。それが今日、食料品を買出しに出かけたところ、突然銃を突きつけられて、慌てて撒こうとしたあげくがこのざまだ。男は自分のことが母国の追っ手に知られたのかと考えたが、すぐにその可能性を否定した。あの連中はこんなものは使えないし、第一知ったら直接捕縛に来るだろう。なにせ現在の自分は第一級の国家反逆者、情状酌量の余地無く死刑台直行の身分だ。

 ならば、こんな人形たちを使って自分を襲わせる奴はと考えたが、心当たりは見つからなかった。

 そこへ、襲撃者たちのやってきた路地の奥から今度は生きた人間の声がした。

「申し訳ありません。少々、あなたの実力を試させていただきました」

「だれだ!」

 もう一度杖を引き抜き、油断無く声のしたほうへ構える。やがて路地の暗がりから、神官服を着た美々しい金髪の少年が姿を現した。

「杖をお下ろしになってください。私はあなたの敵ではありません。ロマリア法王庁より、あなたを迎えに参上した使者です」

「敵ではないだと? こんな得体の知れない人形を使って、人の命を狙っておいてか」

「それに関しては平に謝罪いたします。ただ、あなたの腕がなまっていないか早急に調べる必要がありましたので、やむを得ず強硬な手段をとらせていただきました。それにしてもすごいですね。この人造人間、ゾンボーグ兵というのですが、ガリア王ジョゼフ様からいただいた珍品なのにあっさりと撃破なさるとは」

「ガリア王だと?」

 ジョゼフの名に、男の眉がぴくりと動いた。

「おもしろい。ロマリア法王庁とガリア王が通じているとは知らなかった。どちらも、黒い噂には事欠かない連中だが、貴様らなにを企んでいる?」

「別に悪いことなどは考えていません。我らは忠実なる神の僕、その行動は常に善なるうちにあります。ただ、悪なるものたちに神の威光を知らしめるためには、時に力も必要なのです」

「ふん、貴様ららしい詭弁だな。しかし、貴様らに協力して俺になんのメリットがある?」

 少なくとも衣食住くらいは保障されようが、それ以上に危険な仕事をさせられることになったら割に合わない。ただでさえ社会的な立場から体調にいたるまで最悪なのだ。それならば、この掃き溜めの中で貧しくても安全に生きたほうが、まだ長生きできるというものだろう。

 ところが、使者の少年はその問いを待っていたとばかりに左右で色の違う瞳を光らせた。

「むろん、あなたにふさわしい報酬は用意させていただきます。ですがそれにも増して、この仕事はあなたに打ってつけでもあるのです。本来高貴な身分であるあなたを貶めた者たちへの復仇もなり、なによりあなたが望む、聖地へと近づくための助けとなることでしょう」

「聖地だと!」

 男は少年の言葉に強く反応し、少年は得たりとばかりに彼に頼みたい仕事の概要を伝えた。すると、懐疑的だった男の表情がみるみるうちに暗い喜びに満ちてくる。

「なるほど、それはいい。成功すれば一石二鳥が三鳥にも四鳥にもなる。しかし、こんなとんでもない陰謀をあのお方が企んでいようとは、世の人間たちは想像もしていまい」

「あのお方は、常にハルケギニア全体の幸福を考えていらっしゃるのです。そのためならば、涙を呑んで異端者や少数の者たちの犠牲を甘受なさります。さて、お返事のほうはいかに?」

「承ろう。まだ俺にもツキは残っているようだ。ふっふふふ、アンリエッタと手下の小娘どもめ、いまにみているがいいわ」

「感謝します。ではさっそく、あのお方がお待ちです。ご同行願いますか? ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド殿」

 それは、私欲のために信頼につばを吐いてすべてを失った男と、博愛と信仰を世に広めることを使命とする神官の小さな出会いであった。だが、神の威光と博愛を説く優しい言葉と笑顔が、本当に光溢れる未来を人々にもたらすのか証明できる者はいない。いたとしたら、それは異端者の烙印を押されて迫害される。それがこのロマリアという街の現在の真実……神は人を愛し、平和を望む。しかし、人間は神ではなく、この世には人間しかいない。

 

 

 才人たちが地球との交信をおこなったあの夜から五日後、彼らの姿はトリステインの港町ラ・ロシェールにあった。

「うわぁ! こりゃまた、トリスタニアがそのままこっちに来たみたいなにぎわいようだな」

 才人は以前来たときよりもさらに多くの人でごった返すラ・ロシェールの街を見て、感嘆したようにつぶやいた。

 ヤプールの復活と、新たに明らかになった虚無の真実、エルフの国の事情などをアンリエッタ王女に報告するために才人たちは学院にいったん帰ると、そのまますぐに出かけた。同行するのはルクシャナとティファニアの二人。エレオノールは調べたい資料があると、その足でアカデミーに直行した。ロングビルは、ウェストウッド村の子供たちにティファニアの無事を知らせるために別れた。本来なら、一番来てほしい人なのだが、いつまでも私が保護しているわけにはいかないからと預けられる形になった。ピーターは連れ歩けないから水槽に入れてメイドに世話を頼んできた。

 そうして、学院でアンリエッタがすでにトリスタニアを出発していると聞き、一路ラ・ロシェールを一行は目指した。しかし、前のように簡単にアンリエッタに会える環境では、どうやらなくなってしまっているようだ。

 今この小さな港町は、才人たちがガリアに行っていた間にトリスタニアでの行事をすべて終わらせて、これからアルビオンへと向かうアンリエッタ王女とウェールズ王。いや、今や夫婦となった二人の若き王族の姿をひと目見ようと望む人々によって、その歴史がはじまって以来の人口を達成していたのだ。

「弱ったな。これじゃいくらなんでも、姫様と会うのは無理っぽくないか?」

 才人が人の壁に圧倒されるようにぼやくと、ルイズもさすがに額に汗を浮かばせた。

「うーん……これはちょっと、簡単に考えすぎてたわね。いくらわたしでも、予約なしで姫さまと会うのは難しいわ。姫さまにお話ししなきゃいけないことはいっぱいあるのに……それよりもテファ、大丈夫?」

「は、はいなんとか……でも、こんなにたくさんの人を見たのははじめてなので、ちょっとフラフラします……」

 エルフであることを隠すための帽子をぎゅっと押さえながら、ティファニアは慣れない人ごみに押しつぶされそうな自分をなんとか奮い立たせた。今回の目的は、ティファニアをアンリエッタ王女に紹介して、人間の世界で生きていけるように慣れさせることもある。とはいえ、辺境の森の中からいきなり都会に放り込まれたらストレスは大変なものだろう。まあ、そのために同じエルフでも性格が正反対な前例についてもらっているのだが。

「うう、わたし本当にこんなところでやっていけるのでしょうか……?」

「気にすることないわよ。いくら人が多くたって、付き合うことになるのはせいぜい十人かそこら、あとはカカシが歩いてるとでも思えばいいの。気楽にいきなさいって」

 ルクシャナが、さっそく美貌に目がくらんで言い寄ってきた男たちを盛大に無視しながらティファニアの肩を叩いた。ティファニアは、「うう……自信ありません」と弱気に答えるのを、才人やルイズは苦笑しながら見守る。まったくもって、ルクシャナの環境適応力には驚かされる。いまさらだが、地球との行き来が可能になっていたとしたら、彼女は是が非でも来たがったことだろう。それどころか、ウルトラマンにひっついて光の国にまで行くことまで本気でやりかねない。亜空間ゲートのことは、彼女にだけはなんとしても秘密にしておこうと才人は思う。

 

 そうして一行は人ごみを避けつつアンリエッタ夫婦が宿泊している高級宿へと向かった。むろん、いくらルイズがヴァリエール家の一員で、姫の知人であってもおいそれと対面は認められなかった。現在夫妻は各種行事から式典の客の相手まで、一分の猶予もないだろう。こちらもそれに増した重大事なのだが、それを言うわけにもいかない。ルイズは怖いのを承知で、奥の手を使うことにした。

 

 やがて日も暮れて、街が夜の顔をのぞき始める頃、一行は宿の一室でアンリエッタと対面していた。

「そうですか……あの悪魔がエルフの国で……いつか来ると覚悟していましたが、まさかそんな方法を使ってくるとは考えてもおりませんでしたわ。ともかくルイズ、大冒険でしたわね。よくぞ無事で帰ってきてくれました」

 ねぎらいの言葉をかけるアンリエッタに、ルイズはひざをついて頭を垂れた。

 アンリエッタは式典用から部屋着の簡素なドレスを身にまとい、連日の祭典の疲れを少々見せながらも幸せのためであろうか元気な様子である。地球でいえば午後七時半あたりのこの時間、本来なら晩餐会の予定が入っているところ、わざわざ自分たちのために予定を裂いてくれた。理由は詳しく聞いていないものの、当然かなりの無理をしてくれたことは想像にかたくない。

 それでもウェールズは、「アンリエッタもそろそろ疲れたころだろう。友人と思い出話をして、休憩していてごらん。僕はそのあいだに出席できない領主や町長からの手紙をさばいているよ」と、怒った様子も無く席を外してくれたから、足を向けて眠れないというか、ありがたいというほかはない。

 だが、王族にこれだけ無理をさせたからには代償もともなった。ルイズが事のあらましを説明しきるのと同時に、気難しい顔でルイズの前に立ったブロンドの女性騎士。

「ルイズ、顔をお上げなさい」

「は、はい……」

 ルイズにとって、この世のなによりも恐れている存在がそこにいた。『烈風』カリン、現在はアンリエッタたちの身辺警護の総責任者を預かっているルイズの母親である。こうも早くアンリエッタとの対面がかなったのは、才人から警護役の銃士隊を通してカリーヌにルイズの伝言を伝えたからであった。

 ただ、覚悟はしていたことだが王族の予定に割り込んでもらうという無茶は、規律を重んじるカリーヌの気に触らないわけはなかった。それに、虚無のことをはじめ、これまで隠していたことが一気に露見してしまったことで、ルイズの心音は十六年の生涯中最大に上がっていた。

「まず、こまごました前置きは避けましょう。あなたがガリアへ行っている間に、おおまかなことは姫さまよりお聞きしました。虚無……かつて始祖が使ったという伝説の系統。信じがたくはありましたが、数々の証拠から私も信ずることにしました。秘密にしていたことは、事の重大さから目をつぶることにします。ですが……なぜ独断でガリアに乗り込んだりしたのですか?」

「それは……時間がなかったことと、トリステインに迷惑をかけたくなかったからで」

 圧殺するようなカリーヌの問いかけに、ルイズは勇気を振り絞って答えた。むろん、言い訳で許されるとは思っていないが、答えなければもっと早く殺される。

「ルイズ、あなたはまだ思慮が足りません。いくらあなたがトリステインと関係ない一個人として行動したつもりでも、相手はガリアの王なのです。その気になればヴァリエール家の人間がガリアに入ったということだけで、諜報活動の疑いでもなんでも疑惑のかけようはいくらでもあります。それはつまり、戦争の火種にもつながることになり、あなたの友達だけでなく、何万という人間を不幸にする結果になるのですよ」

「はっ、はいっ!」

 恐縮するルイズは生きた心地がしなかった。正直、あのときはそこまで考えていなかったが、ジョゼフがその気ならもっと恐ろしい結果になっていても不思議ではなかったのだ。この後はエア・ハンマーかウィンドブレイクで制裁か、ルイズが覚悟しかかったとき、止めてくれたのはアンリエッタだった。

「まあまあカリーヌどの、親としてお気持ちはお察ししますが、ここはもうそのあたりでおやめくださいまし」

「殿下、しかし国の大事にあるものが無断で国境を越えたるは重大な罪。これを容赦しては、国法のなんたるかの示しがつきませぬ」

「でしたらそれは、さらわれた要人を救助したことの功と相殺とすればいいではありませんか。それに、もしもルイズがガリア入りを躊躇して手遅れになっていたら、それはそれで貴女はお怒りになるでしょう? 不公平ですわ」

「う、それは……」

 的確なところを突かれて、さしものカリーヌも言葉につまった。確かに、行っても行かなくても怒るならば不公平だ。アンリエッタは、救いの神を見たように目を輝かせているルイズをちらりと見ると、駄目押しの一言を加えた。

「もちろん、国法を重んじる思いはわたしも王女として変わりませんわ。でも、今日はめでたい祝いの日、罪人にも恩赦があって当然ですことよ。年明けにはわたしの女王の戴冠も予定されていることですし、恩赦も二倍で手を打ちませんこと?」

「……そこまで言われるのでしたら、私は臣下として従わざるを得ません」

 カリーヌは根負けしたように杖をしまった。ルイズは助かったと知り、全身の力が抜けて倒れこみそうになるのをあやうく才人が支える。にわかに信じられないが、あの母が許してくれたらしい。いつもなら、よくて魔法で半殺しの目にあうのにこんなことは初めてだ。

「ただしルイズ、あなたはもう自分の一挙一足に大きな責任がともなう立場なのです。仕置きを恐れていられるうちはまだ幸せだということを、ゆめゆめ忘れてはなりませんよ」

「ひっ! あ、はいっ!」

 ルイズは再び緊張してひざまずいた。本当にこんな幸運は二度とあるまい、重ね重ね姫さまには頭が上がらない。このご恩は一生かけて返していこうと、ルイズはあらためて忠誠を誓うのであった。

 そうして一礼したカリーヌは再び部屋の隅で、直立不動の構えの姿勢に戻った。表情にはさきほどまでの怒りの色は微塵も無く、女神像が鎮座しているように一瞬才人は思った。見事な変わり身の早さというべきか、ルイズもいずれ成長したらこうなるのであろうか? 才人はルイズにはいつまでも変わらないままでいてほしいと、少々わがままな理由で思った。

 親子の問題が収まると、アンリエッタはルイズに視線でうながした。ルイズはこくりとうなずくと、後ろに控えていたティファニアに前に出るよううながした。

「わたし、ティファニアと申します。お、王女殿下にはお初にお目にかかります」

「ようこそ、トリステインへ。あなたのことは先ほどルイズから聞きました。ハーフエルフとのことですが、わたくしはそういったことを問題にするつもりはありませんのでご安心くださいな」

 アンリエッタは緊張しているティファニアに優しく声をかけると、手をとって彼女を立たせた。

「あなたも虚無の力を受け継ぐ使い手とのこと。そのために、ずいぶん大変な思いをなさったようですね」

「はい……わたしも正直、この力をどうやって使ったらいいかわかりません。エルフの血を引くわたしに、虚無だなんて」

 まだ自分のことに整理がついてない様子のティファニアに、アンリエッタは手を握ってゆっくりと話した。

「あなたも望まぬ運命を背負わされた者なのですね。わたくしもそうでした、王家の血筋をうとんじたことは数え切れません。でもいろんな人を見ているうちに、誰もが自分の運命の中でそれぞれの悩みや戦いを繰り広げていることを知りました。考えが落ち着くまで、焦ることはありません。あなたの周りの友が力になってくれるでしょう。わたくしも、せめてこのトリステインではあなたの引受人として力になりましょう」

「姫さま、わたしなんかのためにそんな」

「いいのですよ。命令しかできないわたくしが人助けをできる数少ない機会なのですから、むしろわたくしのほうがお礼を言いたい気分です。ガリアからまた狙われるかもしれず、心細いかもしれませんが、今はとりあえず自分の力が悪に働かないようにだけ心がけていてください。虚無は、エルフの国では世界を滅ぼす恐怖として伝わっているとのことですけれど、わたくしはルイズやあなたを見ている限りはそう思いません。いいですね?」

「ほんとうになにもかも……ありがとうございます!」

 ここに来るまでは、ジョゼフと同じ人間たちのボスだと警戒していたティファニアも、アンリエッタが信頼するに値する人間だと思ってくれたようだ。才人とルイズはほっとして顔を見合わせた。

 これでとりあえずはティファニアは身分的にはトリステインに住むことができる。エルフということさえばれなければ、つつましやかな生活くらいは保障されるだろう。第一関門を潜り抜けられたことで、二人は肩の荷の半分くらいは軽くなった気がした。

 のだが……

「よかったわねあなた! これでもう住まいに苦労することはないんでしょ。いやあ蛮人の世界はいろいろとめんどうくさくて大変ね。なんだったらアカデミーの私の部屋に来る? そしたら毎日楽しく研究できるしね!」

 より大きな頭痛の種が芽を出して、二人は肩の荷が三倍になったような気がした。

 ティファニアは素直でおとなしいからいいのだが、動く爆弾娘の処置に関してははっきり言って自信が無い。自分たちの倍くらいは生きているくせに、奔放さは子供のようだ。悪い娘ではないのだが、自分の興味最優先で、そのためには対人関係など薬にもしない。

 天然で他人に心労をかけるタイプのルクシャナは、才人たちのそんな心配には一切気づいた様子も見せずにアンリエッタと向かい合った。

「あなたが、エルフの国からやってこられたという方ですね。わたくしのお友達が大変お世話になったようで、まずはお礼申し上げますわ」

「はじめましてお姫さま、ルクシャナと申しますわ。貴女のことはお噂もかねがね、なかなかの名君の卵だとアカデミーのほうでも評判でしたわ」

 種族が違うとはいえ、一国の最高位にほとんど対等な態度で接せられるルクシャナの姿勢は無神経と呼ぶか豪胆と呼ぶかは判断に苦労する。おかげでルイズなどは冷や汗ものだが、アンリエッタは気にした様子はないようであった。

「ふふっ、あなたのことはわたしも前から少々は存じております。先日のトリスタニアの二大怪獣についての事後報告のレポートを、エレオノールさんが提出しに来たときにあなたのことを期待の新人だとほめていらしたわ。その何ページかはあなたが執筆したものでしょう。情報分析と考察のわかりやすさは、素人のわたしには助かりました」

「あら、先輩がそんなところで。これは今度、サハラのやしの木のジュースでも差し入れましょうかね。そうだ、よろしければ姫さまにもいくらかおすそ分けしますわよ。国の私の婚約者に頼めば、ラブレターがおまけについて送ってきてくれますから」

「それは楽しみにさせていただきましょう。それにしても、あなたの国にはハルケギニアでは見たことも無いような珍しいものがたくさんあるのでしょうね。いつか行ってみたいものですわ……」

 アンリエッタの瞳は、おてんばだった幼女時代の光をいまだ消すことなく宿していた。遠くを夢見るようなアンリエッタの表情と、ルクシャナの好奇心にあふれた顔はどことなく似ている。けれど、決定的に違うところもある。

「あなたたちエルフの社会は、王を持たずに入れ札でその時々の統領を選出するのでしたね。始祖の血統を重んじるわたしたちの世界では考えられないことですけど、王になるべき人がなれるという社会はすばらしいものと思います。わたくしも、そんな世界に生まれていたら……」

 それは、王の責任を放棄する気は無くとも自由にあこがれている気持ちの裏返しの発露だった。よりよい王でありたいとは思う、思っても自分より王にふさわしい人間はいるのではないのかという気持ちも常にある。自分で自由に飛びまわることはかなわないアンリエッタに宿ったさみしさに、ルクシャナは同類の情を感じた。

「姫さま、わたしの知る限りであなたより熱心なエルフの指導者は、そんな何人もいませんわ。テュリューク統領は立派な方だけど、ほかの議員の人たちは頭の固いおじいちゃんばっかり。入れ札で議員を選べるっていっても、候補者がバカばっかりだったら同じことなんだから……わたしも、蛮人の研究なんかやめろって何回邪魔されたことか」

「そ、そうなんですか? でも、エルフは人間よりずっと頭がよくて進んだ文明を持っていると聞きますが?」

「だからそれは過大評価ですって。もう、めんどくさいなあ……」

 ルクシャナは少々うんざりした様子ながら、以前才人やエレオノールにも語ったことを説明した。人間とエルフが遠い存在ではなく、同類に等しいほど精神的には近しい存在であること。それらを分けるものが、ほんの少しの力の差と、つまらない誤解があるだけだということを。

「お姫さま、あなたさっきティファニアにハーフエルフだということを気にしないって言ったわよね。でもそれって、まだエルフと人間が別のものだって思ってるってことでしょ? まあ生物的にはそうなんだし、私も本音はエルフと蛮人が同等ってのはしゃくにさわるところがあるんだけど、それってどこかおかしいわよね」

 アンリエッタはすぐに返す言葉が無かった。もっともルクシャナも自分で言っておきながら、柄にも無いことを言ってしまったなあという後味の悪さがある。ほんの一月くらい前の自分なら考えられもしなかったことだ。サハラを出て、自分の知識がまったく役に立たないほど大きな存在があり、広い世界があるのだと気づかされた。何度も命の危機にさらされたが、旅に出てよかったと思う。

 それからアンリエッタとルクシャナは、互いの好奇心を満たしあうかのように貪欲に会話をぶつけあった。人は砂漠に行かなければ砂の熱さはわからず、海に行かなければ海水のしょっぱさはわからないけれど、言葉からそれらを想像し、頭の中に作った擬似世界で体験することはできる。そしてその世界のリアルさは、より多くの情報を与えられることによって育っていく。

 エルフの国の人々、自然、制度、情景、さまざまなものが二人の心の中で形をなし、色づけされていく。そうした触れ合いの中で、アンリエッタはひとつの確信を抱くようになっていった。

「ルクシャナさん、これは思いついたばかりの私見なのですが、聞いていただけますか?」

「ええ、どうぞ」

「あなたとティファニアさんで、エルフと人間のあいだの架け橋になってもらえないでしょうか?」

「えっ……?」

 一瞬空気が凍りつき、ルクシャナも才人たちもアンリエッタの言葉の意味がわからずに絶句した。けれど、アンリエッタの目は真剣そのものだった。

「ルイズたちとあなたの叔父上との和解、虚無が見せたという太古のハルケギニアの争い。そして今のあなたとの話でわたしは確信しました。エルフと人間はけっして相容れないものではないことを。ですから、ふたつの種族の歪んだ関係をかつてのあった姿に戻し、エルフと人間の国がただの隣同士として行き来できるようにするために、力を貸していただけないでしょうか?」

「待って、話が飛躍しすぎるわ! どうして急にそこまで進むのよ」

 突拍子も無い依頼に、さすがのルクシャナも顔色を変えていた。エルフと人間の共存を考えた才人とルイズですら、いきなりそこまでは考えていなかった。段階でいえば、五つも六つも飛び越している。今日はじめて会った相手に対して言うことではないはずだ。だが、アンリエッタは考えなしで言ったわけではなかった。

「驚かせてしまったのは謝ります。ですがルクシャナさん、ティファニアさん、わたしは本気です。エルフの国と友好を結びたい……いいえ、敵対しあうのだけでもやめたいとわたしは切に願っています。あなたも、このままふたつの種族が戦い続けても、なにも得るものはないとわかっているでしょう」

「そりゃあまあ……考えてみたら、よくもまあ何千年も同じ事を繰り返したものよね」

「そう、過去幾年、ふたつの種族は聖地というたったひとつの場所をめぐって不毛な争いを繰り広げてきました。譲れないもののために必死になるのは大切なことですが、果てを見失った愚かさが、侵略者につけいられてしまったのです。悪賢いヤプールは、ふたつの種族のいさかいに目をつけたのでしょう。たとえエルフが攻撃されても、人間は手助けをすることはできませんからね」

 ルクシャナはアンリエッタの言いたいことがわかった。この世界がいくつもの勢力に分かれている以上、全体をいっぺんに攻め落とすよりも、ひとつずつつぶしていったほうが確実だ。ましてエルフはヤプールとの戦いに慣れておらず、すでに大損害をこうむっている。なによりも、サハラにはウルトラマンがいない。

「ですが、それは逆をいえばヤプールはエルフと人間が和合するのを恐れているという証です。わたしはヤプールがはじめて現れたときからずっと考えてきました。ヤプールは、なぜあれほどに強大なのか? ルイズ、あなたたちもヤプールの力の源を知っているのでしょう」

「はい、奴は人間の絶望や恐怖、憎悪といった暗い心から生まれる、マイナスエネルギーといったものを力とするそうです。で、いいわよねサイト?」

 才人がうなづくと、アンリエッタは言葉を続けた。

「そう、ヤプールが最初に現れたときもそう言っていました。そしてハルケギニアの人間にとって、潜在的に恐怖や憎悪の対象となるのは、聖地を支配し続けているエルフへのそれです。エルフにとっても、何度も攻めてくる人間への憎悪は強く蓄積されているでしょう。つまりエルフと人間が憎しみ合い続けるということは、ヤプールに無限に力を与え続けるということなのです」

 一同は、アンリエッタの性急さの理由を理解した。ウルトラマンAに一度倒されて、たった三ヶ月でエルフを圧倒するほど強大に復活したヤプールのエネルギー源は、この世界の生き物たちが延々と溜め続けてきた憎悪にあったのだ。

「もちろんそれだけではなく、貴族、平民問わずに個々人の問題はあるでしょう。しかし、今のわたしたちが見るべきなのはハルケギニアでもサハラでも、まして聖地でもなく全世界なのです」

 アンリエッタはそこでいったん言葉を切った。ルクシャナは、思いもよらぬ重大な話に戸惑っており、ティファニアはあまりのスケールの話についていけていない。才人とルイズにしても、今後のことを相談しにきたとはいえ、まさかアンリエッタからそのような話を聞くことになるとは思ってもおらず、圧倒されていた。

 しかし言うはやすしだが、課題は多い。いや、多すぎる。ハルケギニアの人間が一般に信仰しているブリミル教はエルフを敵だと教えているし、エルフにしても人間を蛮人と呼んでさげすんでいる。何千年にも渡って蓄積されてきた二つの種族を分ける壁の厚さは果てしない。

 そんなことが果たして可能なのか……一同の肩に、ティファニアを救い出そうとしたときすら軽く思えるほどの、とてつもない重圧がのしかかってくる。

 ルイズはアンリエッタに、どこまでを考えているのか問いかけようとした。ところが、その前にドアがノックされて、秘書官が次の行事の時間が迫っていると告げてきた。

「あらまあ、もうそんな時間ですか……皆さん、今日は貴重な情報をありがとうございました。そして、突然に無理を申し上げてしまってすみません。ただ、わたくしは本気でエルフとの終戦を考えています。そうでなければ、この世界はかつてのトリスタニアのように滅びてしまいます。どうか、馬鹿げたことと思わずに真剣に考えてみてくださいませ」

 会釈したアンリエッタの顔には、一点の淀みも無かった。エルフと人間の和解……恐らくアンリエッタ個人の考えではなく、カリーヌやウェールズの意見も入っているだろう。この三人はアルビオンでヤプールの人間体とじかに会っている。奴の持つ絶対的な邪悪さを身に染みて知っているからこその決断に違いない。

「では、失礼ですが今日はここまでで……わたくしたちはあと二日、この街に逗留いたしますので、次に会える時間がとれましたらこちらからお伝えします。それまでは、祭りをお楽しみください。魔法学院のみなさんも、夜を楽しんでいらっしゃるそうですよ。それと……ふふっ」

 そう言い残すと、アンリエッタは秘書官にせかされて、カリーヌをともなって立ち去っていった。最後の含み笑いが気になるのは、また真面目な顔の裏でいたずらを企んでいるような予感がするからだ。だがそれはともかくとして、ルイズたちはこの街が祭りの真っ最中だったことを思い出した。まだ夜は長い、これまで苦労の連続だったのだから今晩くらい遊んでもいいんじゃないか。

「よっし! ルイズ、遊びにいこうぜ」

「そうね。この際パーっと気晴らししましょう。テファ、トリステインの遊びを教えてあげるわ。ついてきなさい」

「あっ、はい! よろしくお願いします」

「あーっ! 私をのけものにする気!? 蛮人の祭りなんて珍しいもの、この私が見逃すと思ったの!」

 こうして四人は連れ立って、夜の街へと乗り出していった。ラ・ロシェールの街は、ゾンバイユの襲撃の陰も残さぬ賑わいで、平和の喜びを万人に提供している。

 

 

 その賑わいの中で、四方に目を光らせつつ、一般人を装って歩く四人ほどの女性たちがいた。

「だから、規制事実が大事なんですってば。がんばって一番に越えるところを越えてしまえば、あとは「責任とってね」の一言だけで、恋人だろうと婚約者だろうと、圧倒的に有利に立てますよ」

「だから、私はそういうやり方は嫌なんだって言っているだろうが。振り向かせるなら、力づくじゃなくて、正々堂々と勝負したい。汚いやり方じゃ心は手に入らないよ」

「もう、副長はそういう方面には潔癖なんですから。結婚はともかく慣れですって。それにそれくらいのことをしなけりゃ、貴族相手には太刀打ちできませんってば」

 会話の内容は年頃の女性らしく軽いが、視線だけは鋭く辺りに張り巡らせる彼女たちはむろんただの観光客などではない。銃士隊の副長ミシェルと部下たちが正体である。彼女らは以前と同じく、ラ・ロシェールの警備についていたが、今回は銃士隊の制服が威圧感があるということで、私服で一般客にまじって警備をしていたのだ。

 ともかく、こういう場所ではすりや置き引き、万引きは多い。彼女たちはそうした不心得者が祭りに水を刺さないように、怪しい者を探して祭りの中を練り歩き、女性と思って油断したすりを何人か捕縛した。また、祭りの混雑で困っている人がいないかと巡回していると、ある店の前でぐっと考え込んでいる初老の男性が目に付いた。

「もし、そこのあなた。なにかお困りごとですか?」

 ミシェルが話しかけると、男は振り向いて微笑を浮かべた。

「うん? あ、いや、帽子を買おうと思っているんだが、どうもいまいち迷ってしまってね。よかったら、君たちも選んでくれないかな?」

 男は五十代ほどで、厚手のジャケットを羽織ったたくましい肉体の持ち主だった。けれど顔つきは温厚で、ミシェルは牧場主のような人だなと思った。露天にはいくつかの帽子が飾られているが、この人の雰囲気に似合いそうなものとなると……ミシェルは考えた末に山高でつばの広い帽子を選び、男はそれを買うと、すぐにかぶって見せてくれた。

「どうかな? 似合うだろうか」

「ええ、とてもよく似合っていますよ」

 おせじではなく、男の雰囲気とあいまって見事にフィットしていた。これで馬に乗れば、そこらの多少顔がいい若者よりずっと絵になるだろう。男はまんざらでもない様子で微笑んだ。

「ありがとう。おかげでいい買い物ができたよ」

「それはよかった。ところで、どちらからおいでなのですか? 見たところ、珍しいお召し物ですけれど」

「なに、ごらんのとおりの風来坊さ。では、失礼」

 男は礼儀正しく礼を述べると、雑踏の中に消えていった。

 

 

 続く


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