ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第51話  タバサの最後の冒険・ジョゼフからの挑戦状

 第51話

 タバサの最後の冒険・ジョゼフからの挑戦状

 

 超古代植物 ギジェラ 登場!

 

 

 深夜……ガリア王国の象徴である壮麗なヴェルサルテイル宮殿も、すべての公務が終了した今は、警護の兵士以外の気配がない。

 だがその謁見の間において、国王ジョゼフは思いがけない客人をもてなしていた。

「で、ロマリアの特命大使どのが、このガリアの無能王にどんなご用件かね?」

 ジョゼフは尊大さを貼り付けた笑みを浮かべて、段下にひざまずいているロマリアの使者を見下ろした。

 ここにいるのは玉座にどっかりと腰を下ろしたジョゼフと、時刻の無礼を無視してやってきた特命大使の二人のみで、人払いした室内は兵士の一人もいない。大使を迎えるにはあまりにもふさわしくない態度だが、ジョゼフは気にも止めていなかった。本来ならばこんな時間、いかに特命大使であろうと叩き出すところだ。それで受ける不名誉や悪評などは、もともと無能王と呼ばれている自分にとっては痛くも痒くもない。

 ただ、今回やってきたこの男に対しては、それに加えてせっかくの楽しみに水を差されたことも合わせても、例外とするに値するだけの興味をジョゼフは抱いていた。

 床に片膝をついた姿勢のまま、特命大使は答える。

「無能王とは、謙遜が過ぎるというもの」

「謙遜などではない。事実国民も、議会も、役人も、貴族も、この私を"無能"と呼んでさげすんでいる。内政をさせれば国が傾き、外交をさせれば国を売り渡すと唾棄している。城の奥でひとり遊びをさせておけばよいのだと、みなで口裏を合わせたように言い合っている」

「ですが、あなた様はご立派に王を務められていらっしゃる。幼少のみぎりから、その知力は天賦のものと噂されてきたジョゼフ一世陛下。ハルケギニア最大の王国の頂点を、凡人が勤め上げられるはずはありますまい」

 非常に特命大使はジョゼフを持ち上げた。もしも、ジョゼフが本当に愚王であったなら、ここでいい気になっておだてに乗ったであろう。しかし、ジョゼフは眉をわずかに動かしもせずに言う。

「それは、余の体に流れる血のためにすぎん。始祖の作った王国を受け継ぐものは、始祖の血を受け継ぐ王家のものでなければならんと、馬鹿正直に代々受け継がれてきた伝統がな。余は、たまたまその血を受け継いで生まれてきて、そして最終的にたまたま余しか後継者がいなくなったというだけのことだ」

 言葉は自嘲的に、表情はせせら笑うようにジョゼフは言う。気の弱い者であれば、そのアンバランスさから発せられる不気味さに身震いしたであろう。しかし彼は、先程ジョゼフが自分のおだてになんの反応も見せなかったのを仕返すように、端正な顔立ちに一切の変化を見せなかった。

「それは、始祖の血が陛下を選んだということでありましょう。始祖ブリミルの偉大なる意思は、六千年を経た現在も連綿と生き続けております。陛下が陛下でいらっしゃるのも、すべては神と始祖のご意思によるもの。何人にそれを否定する資格がありましょうか」

 こいつ……と、ジョゼフは内心で苦笑した。トリステインやゲルマニアがたまに送ってくるでくの棒であったら、つまらない世辞で機嫌をとり、少しおどしをかけてやれば愛想笑いを引きつらせるものだが、どうやらものが違うようだ。

 若いくせに、かなりの場数を踏んでいると読んで間違いあるまいと、ジョゼフは特命大使を吟味するように見下ろす。

 ともかく、第一印象は”美しい”と、ほぼ万民が口をそろえるような美少年である。見事な金髪と、絵画から抜け出てきたような整った顔立ち。それだけではなく、シャンデリアの明かりを受けて、それ以上に輝く彼の瞳は、左側はとび色だが、右は逆にサファイアを削りだしたような碧眼であった。左右で瞳の色が違う、月目と呼ばれる特異な眼色が印象を強くする。

 しかし、年恰好は成熟してはおらずに、およそ十七か八、もっと若いかもしれない。その残った幼さが、逆に飛びぬけた美少年の度合いをさらに増させている。

 だが、見てくれなどは些細な問題である。男の顔で虜になるのは小娘だけで充分で、ジョゼフが知りたいのは白磁器のような皮膚の向こう側にある、黒いものだった。

「ほほお、つまり余は神に選ばれてこの世に生を受けてきたというのか。それは身に余る光栄だな。しかしまた、そんなことを伝えにこんな時間にわざわざご足労くれたのかな? あいにくと、もう寝ようと思っていたから頭がぼんやりしてなあ。ありがたいお話もいまいち頭に入りそうもない。そろそろ目の覚めるような話をいただきたい」

「これはご失礼をば、では少し古いお話をお聞かせしましょう。ご存知のとおり、ハルケギニアの三つの王家の開祖は始祖ブリミルの三人の子からなり、あとひとり始祖の弟子がロマリアを作り、それが六千年間連綿と受け継がれて、現代までいたります。そして、始祖は三人の子と弟子に四つの秘宝と、四つの指輪を遺産として残しました」

「それがどうした? 各王家に伝わる四つの秘宝と四系統の指輪、そんなものハルケギニアの民なら誰でも知っている。我がガリアには、始祖の香炉と土のルビーが伝わっているな。なんなら、見せてくれようか?」

 そう言うと、ジョゼフは指にはめた指輪を手のひらを振って見せてやった。

「はい、それぞまさしく土のルビー。この世に二つとない宝です」

「だからどうした? さらに眠くなってきたぞ」

「申し訳ございません。ですが、前置きは必要ですのでお許しください……それら秘宝には、始祖の血と意志が込められているとロマリアでは言われておりました。そして、最近になって……とある予言が発掘されたのです」

「ほう、言ってみろ」

 ジョゼフは興味を持ったふうを装った。

「始祖の力は強大でありました。彼はその力を四つに分け、四つの秘宝と指輪に託しました。また、力を受け継ぐものもそれぞれの血筋に四人としたのであります。その上で、始祖はこう告げました。『四の秘宝、四の指輪、四の使い魔、四の担い手、四つの四が揃いしとき、我の虚無は目覚めん』と」

 それは、才人たちが虚無の祈祷書やデルフリンガーから聞いたものと、ほぼ同じ内容のものであった。

 ジョゼフは、内心は平静ではあるが表情には関心を持ち始めたような動きを、意識的に筋肉に命じた。虚無に関する大まかな知識はとうに持っている。彼はしばらく、特命大使に合わせて虚無の講義を受けたが次第に飽きてきた。

「なるほど、さすが数千年来始祖の研究をしてきたロマリアの方だ。始祖のしもべのひとりとして、大いに勉強になる。だが、そなたは余の信仰心を試すために来たのかな?」

 これ以上もったいぶるなら帰れと、言外に言っていた。事実、シェフィールドに用意させたゲームの時間がせまっているし、さっさと切り上げたい。おもしろい話が聞けるかもと思ったが、ジョゼフは子供のころから坊主の説教は嫌いであった。

 すると、ジョゼフの不機嫌を悟ったように、特命大使は一礼すると表情を改めた。

「教皇陛下のお考えはこうです。虚無の力は、四分の一に分かれていてもなお強大であり、野放しにしておくわけにはまいりません。そこで、虚無の担い手を見つけ出し次第、我が国に伝えていただきたいのです」

「ほう。さすがは平和と愛を象徴するロマリアの教皇陛下、ご懸命でいらっしゃるな。しかし、それを知っていかがなさるおつもりであるのかな?」

「ご安心ください。我が国には野心のかけらもございません。ただ、真の意味で始祖の御心に添いたい……その一心のみにございます」

「始祖の御心か。すまぬが、この無知な子羊にわかりやすく伝授していただけるかな」

「我らロマリアは、聖地を回復する。それ以外になにも考えてはおりませぬ」

 ジョゼフは目を細めて特命大使を見た。聖地を回復する以外に何も考えていないということは、民の平和や生命のこともか? そう尋ねたい思いでむずがゆくなってくる。と同時に、彼は特命大使に自分に似たなにかと、自分とはまったく違うなにかを感じ取った。

 例えるなら、人間という枠組みから踏み出してしまった者の発する生理的な違和感。ジョゼフは自分自身もまともではないと思っているが、こいつもどこか正気のまま狂っているようなそんな感じがする。ただ、単なる狂信者というには何かが違っている。その何かはわからないが……

「ふむ、始祖のしもべとしては協力せざるを得ないであろうな。しかし、余も民草の血税をもって政を為す立場。始祖の御心に添うために政をないがしろにしては始祖も悲しまれることだろう。教皇陛下にはおわかりいただけるものと思うが」

「おっしゃるとおりでございます。そこで、ロマリアからは見返りとして陛下の欲するものをご提供いたそうと考えております」

「ほお……それはなにかな?」

 瞳に本物の興味の光を宿してジョゼフは尋ねた。

「陛下の御心の空白をお埋めするお楽しみのための、ゲームのイベントを提供しようかと考えております」

「ほう? 余のゲーム、それはなんのことかな?」

「おとぼけにならずとも、教皇陛下はすべてをご存知でいらっしゃいます。かの、レコン・キスタの成立に何者の後ろ盾があったのかも、当初よりつかんでおりました。そして、陛下が今なにを求めているのかも、その上で我らは陛下のお味方になろうとしているのです」

「ふ、そこまで知っているのならば、そろそろつまらぬ腹の探り合いはやめるとするか。確かに、余にとってはガリアはおろかハルケギニアがどうなろうと知ったことではない。世界なぞ、せいぜい暇つぶしのためのおもちゃ箱くらいにしか思っておらん。そんな余に、聖なる神のしもべが手を差し伸べてくれるというのかね?」

「はい、それだからこそ我らは陛下を友としたいのです」

 王としては言ってはいけない言葉を平然と口にするジョゼフに、大使は動じたふうもない。さらに、試すようなジョゼフの視線に、彼は形のよい口元にわずかな歪みを作って見せた。

「我らロマリアは数千年間じっと待っていたのです。聖地を取り戻すために必要となる、真の神の使徒を。陛下こそ、我らの願い続けてきたその人、代わりはおりませぬ」

「解せんな。余の欲を刺激して懐柔しようにも、なぜ余でなければならん? 始祖の御心とやらに従うのならば、トリステインの小娘やアルビオンの小僧のほうが操りやすかろう。奴らは信仰心の一言においても余とは比較にならんだろう。おそらく、使命感に燃えて虚無を探すに違いあるまい。言ってみよ」

「彼のものたちはいけません。聖戦においては、エルフと我らのあいだに多くの血が流れるでしょうが、彼らはそれに耐えられますまい。おじけづき、虚無を隠そうとするやもしれません。その点、陛下ならば聖戦のための些細な犠牲などお気になさらないでしょう」

「まあな」

 なるほど、こいつは狂っているなとジョゼフは思った。目的のためなら手段を選ばず、というやからか。かつてエルフに大敗したときの記憶から、あきらめられかけてきた聖地奪還を再開しようとする身の程知らずはかつてからいたが、こいつらは虚無というおもちゃを見つけてはしゃぎたくなったというわけか。

「そういうことならば、余も協力を惜しむつもりはない。虚無でこの世界がよりおもしろいゲーム盤になるというならば、断る理由はなにもないからな」

「感謝いたします。教皇陛下もきっとお喜びいただくことでしょう」

 深々と頭を下げる大使を、ジョゼフは余もすばらしい友を持ててよかったとねぎらった。しかし、声色や表情とは裏腹に、視線は大使を冷ややかに見下ろしている。

 

 なにかがひっかかる……ジョゼフはそう感じていた。

 

 単に聖地奪回に狂奔する、愚かな狂信者ならばこちらが利用して楽しむ方法もあるだろう。聖戦に加担することになるのも別にかまわない。ビダーシャルとはすでに手が切れてしまっているし、奴からほしいものはだいたい手に入れた。

 ただ、本当に単純に聖地奪回だけが目的なのか? こいつの顔は、いわゆる人たらしの顔だ。人間とは浅はかな生き物であるから、毒草でも花を見れば美しいという。金髪に月目、象牙細工のような顔立ち、花に例えるにしても適当な花が見つからないほど美しい容姿を持つこの少年は、それでまだなにかとてつもない毒を隠しているのではないか?

 また、こいつの後ろのロマリアも、本当に重要なことはまだ隠しているだろう。

 物的証拠はない。ただ、話が自分に都合がよすぎるのも事実だ。奴らが破滅するのを眺めて退屈しのぎをするのも一興だが、パートナーのヘマで自分までゲームオーバーになっては様にならない。

 ジョゼフは一計を案じた。

「教皇陛下には、私が喜んでいたと伝えてもらいたい」

「必ずや。それで、まずは陛下にお願いしたきことがあるのですが」

「おっと待たれよ。ことはそう焦るものではない。余としても、友の頼みは聞いてやりたいとは思っているだが、いかんせん不信心であった余は神への奉仕の仕方にうとい。そこでだ、聖なる神の戦士であるそなたらに、神の威光を余に教えてもらいたいのだ」

「それは、具体的にはどのように?」

「なに、余は単純な男だからな。説教などを聴いても眠くなるだけで頭に入らん。見せて欲しいのだ、"奇跡"を」

「奇跡、でございますか?」

「そうだ。坊主どもは常日頃から神の奇跡を高らかに歌い上げておる。まして、ロマリアはブリミル教の総本山。さぞや人知を超えた奇跡の御業を持っているに違いない。そのような奇跡を目の当たりにすれば、きっと余にも不動の信仰心が芽生えるに違いない!」

 大仰に身振りを交えて言い放ったジョゼフは、内心で人が悪い笑みを浮かべた。

 さて、漠然と奇跡と申し付けてやったが、こいつはどうする? 無理難題を押し付けることなら自慢ではないが慣れている。くだらないことだが、こういうことは娘に受け継がれていると自覚もしている。もっとも、イザベラが押し付ける無理難題は一つ残らずシャルロットにつぶされてしまっているが、こいつにシャルロットほどの器量があるか? ないならば、自分のゲームの相手としては不適当、ただ覗きが得意なだけのネズミに過ぎない。

「わかりました。それでは、陛下に我々の持つ奇跡の一つをご覧にいれることにしましょう」

「ほお、それは光栄だ。して、どのような奇跡なのかな?」

「それは秘密です。あらかじめ教えては驚きが半減いたしますからね。それに、ここは狭いので少々準備させていただきたいのですが」

「奇跡に準備が必要なのか? それは初耳だな」

「いじわるを申されます。虚無の呪文も、その強力さと引き換えに長い詠唱時間を必要とするといいます。ましてや奇跡ともなれば、些少の時間はいただきませんと」

「まあよかろう。それで、いかほど必要としたいのかな?」

「なにせ、神の気まぐれもありますので未知数と。それでもさしてお待たせはしませんので、陛下は現在のゲームの続きをなさっていてください。終わる頃に、こちらからお知らせいたします」

 そう言うと彼は立ち上がり、一礼して退出しようとした。その背中へ向かって、ジョゼフは呼び止めた。

「待ちたまえ」

「ご心配めされずとも、私は逃げませんよ。なんなら、ご自慢の花壇騎士の方々を見張りにつけられてもけっこうです」

「いやいや、余はそんなに疑り深くはないよ。それよりも、肝心なことを聞き忘れていたことに気づいてな」

「はて、私はなにか語り忘れたことがありましたかな?」

 首をかしげる大使に、ジョゼフはそうではないというように手のひらを振り、口元に笑みを浮かべた。

「名前だよ。聞いたかもしれんが、寝不足ぎみだったおかげで覚えてなくてね。すまぬが、もう一度聞かせてくれぬか?」

 すると大使は人懐っこい笑みを浮かべると、歌うように答えた。

「ジュリオ・チェザーレ……そうお呼びください」

 それを最後に、彼はかろやかな足取りで去っていった。

 残ったジョゼフは、こみあげる笑いをこらえながら独語した。

「くっくく……ジュリオ・チェザーレか。偽名にしても、もう少しひかえめなほうがよいと思うがね。いや、古代のロマリアの大王の名を拝借するとは、なかなか大胆不敵。少しは期待してもいいかな」

 ユーモアと度胸のあるやつは嫌いではない。ジョゼフは笑いをかみ殺すと、シェフィールドを待たせてある寝室へと向かった。

 時計を見ると、話していた時間は十分ほどか。長話をしていたように思われたが、意外と短かったのはふざけた名前の大使の話術が長けていたからか。いずれにしても、寝室へ急ぐ足は自然と速くなる。

 

「待たせたな。どうだ? 具合のほうは」

「お待ちしておりました。ちょうど、今が一番よい時期でございます」

 シェフィールドが王の椅子の前に遠見の鏡をすえると、ジョゼフはどっかと椅子に腰掛けて足を組んだ。

 鏡には、美しい森林の中にたたずむ立派な屋敷が鮮明に映し出されている。それは過去、王位継承にもっとも近しいと言われたオルレアン公・シャルルの邸宅であった場所。三年前までは、彼を慕う大勢の貴族で賑わい、彼の家族が庭で遊んで、ジョゼフも少なからぬ数訪問した思い出のある風景だ。

 しかし現在は、王家の紋章には不名誉印が刻まれ、訪れるものもほぼ絶えた、時代の忘れ物のような寂しい場所である。

「懐かしい風景だな。この庭で、シャルルと乗馬の腕を競ったのも遠い思い出のようだ」

 感傷に浸るように、ジョゼフは目を閉じてつぶやいた。けれど、次に目を開いたときには、その瞳は残忍な光であふれていた。

 両手を広げて、ジョゼフは抱き寄せるようなしぐさをとる。まるでいとおしいものにするように、しかし心の内では抱きしめたものが締め上げられて苦しむ声を聞きたいと狂奔しながら。

「ふははは! ようやくやってきたかお前の家へ。シャルロットよ、待ちかねたぞ!」

 屋敷の庭に降り立った一頭の青い竜、その背から下りてきた青い髪の少女に、ジョゼフの視線は釘付けとなる。

 あの日、任務に失敗したときからジョゼフはタバサがもはや二度と自分のもとへは戻るまいと思ってきた。当然だ、飼い主の命令に反した犬がどういう目に合うかは子供でもわかる。そして、仲間を手にかけろと命じた自分に、シャルロットがもはや従うはずがないとジョゼフも理解している。

 だからこそ、首輪が外れてしまった犬は早めに処分しなければならない。しかも、ただ始末するだけではもったいない。一思いにするのではなく、じっくりと楽しまなくてはかいがない。

「よくぞ来たな。余からのゲームの招待、受け取ってくれたようでうれしいぞ。くくっ、といっても来さざるをえんだろうな。なにせ、勝利の報酬はお前の母親の命だ」

 鏡に映るタバサに話しかけるようにジョゼフは独語した。

 タバサが才人たちの元から去って少し後、ジョゼフはタバサにゲームへの招待状を送っていた。そこに記されていた内容は。

 

『シャルロット・エレーヌ・シュヴァリエ・ド・パルテル。右の者のシュヴァリエの称号と身分を剥奪する。追って書き。上記の者の生母、旧オルレアン公爵夫人の身柄を王権により拘束する。保釈金交渉の権利を認めるゆえ、上記の者は、一週間以内に旧オルレアン公邸に出頭せよ』

 

 これを代筆したのはシェフィールドだが、読んだとたんジョゼフも失笑してしまった。体裁は整えているものの、かいつまめば『母の命が惜しかったら、お前の家に来い』の一言で済む内容の薄さだ。当然、タバサもそんなことは百も承知で、罠があるのを覚悟してやってくるだろう。

 ただ、ジョゼフは本心でうれしかった。自分とは逆に、外面は凍りつかせていても、人としての心を強く持ち続けているあの娘が、仲間を失った衝撃から自決もせずによく来てくれた。よく見れば、シャルロットと並んで赤毛の娘の姿も見える。シャルロットが仲間の元から姿を消してからは、チャリジャの相手と奴の置き土産に夢中になっていて目を離していたが、恐らくその間にあの娘がシャルロットになにかしたのだろう。

「よい仲間を持ったようだな。誰からも嫌われる余と違い、その人望はシャルル譲りかな……まあ、死出の道連れが多いほうが、お前も寂しくなくていいだろう」

 ゲームに不確定要素は大歓迎だと、ジョゼフはキュルケの存在を意にも介さない。

 それにしても、母親を餌に娘をおびき出すという容赦のない仕打ちを実行するには、シェフィールドでもなければ到底従いようもない。

 彼らには良心が欠落しているのだろうか? いや、善悪以前のところ、人間としてなくてはならない何かが彼らにはないに違いない。

 庭を歩き、旧オルレアン公邸の門に向かうタバサとキュルケを、ジョゼフとシェフィールドは楽しそうに眺める。

「ジョゼフさま、いよいよゲームのはじまりでございますわね」

「ああ、シャルロットよ。お前の武勇談が今日で終わってしまうのは残念だが、まあ、仕方がないことだ。しかし、感謝してもらいたいな。本来ならば即座に処分するところ、これまで存分に働いてくれた恩がある。もしもこのゲームにお前が勝てば、母とお前は自由にしてやろう」

「ジョゼフさま、しかしそれでは飢えた竜を庭に放すようなもの。よろしいのですか?」

「かまわぬ。なにも叔父らしいことをしてこなかった余からの、せめてもの侘びだ。希望の一つも持たせてやるのが筋というものだろう。なにより、リスクのないゲームほどつまらないものはない。それでは余が楽しめないではないか」

「なるほど……御意に」

 納得したシェフィールドは、ジョゼフのかたわらに控えて、テーブルの上のグラスにワインを注ぐ。ジョゼフはそのワインを手に取り、高らかに掲げ上げた。

「シャルロットよ。お前の無事を祈って乾杯しようではないか。これがお前と余の最後のゲームだ。楽しませてくれよ!」

 ぐっと赤色の液体を喉に流し込むのと同時に、屋敷の門が開かれた。

 

 

 旧オルレアン公邸、タバサの家はしんと静まり返り、屋敷には一部屋たりとも灯の気配はない。

 ぎいと、年代を重ねた扉が開く音がし、屋敷の入り口が地獄の門のように口を開ける。

「真っ暗ね」

 邸内に一歩足を踏み入れたキュルケが、月光も届かない廊下の先を見てつぶやいた。

 以前来たときは、老執事のペルスランに迎えられた屋敷が、今では何十年も人を寄せ付けなかった幽霊屋敷のように変わり果てている。

 ペルスランや、ほかの使用人たちはどこへ行ったのだろうか。まさか、ジョゼフの使者がここに来たときにもろともに?

 不吉な予感に、老執事の誠実で温厚な人柄を覚えていたキュルケは、ぎゅっと手に持った杖を握り締めた。

 しかし、一瞬ためらいを見せたキュルケとは違い、タバサは邸内へと静かに足を進めていく。

「タバサ! 待って、罠があるかもしれないわよ」

 けれども、タバサは振り返りもせずに進んでいく。その恐れを知らない足取りに、キュルケは自身のおびえを笑い飛ばすようにつぶやいた。

「そうね。戦うって、決めたんですものね。待ってよ、わたしを置いていかないで!」

 走ってタバサと並んだキュルケは、頭一つ以上小さいタバサの髪の毛をぐしゃぐしゃとかき回してもてあそんだ。

 だが、タバサに嫌がるそぶりはまったく見せずに、むしろ自分からキュルケの手に合わせて頭を動かしているようにも見える。なによりも、その瞳はまっすぐと前を見据えて揺るがずに、才人たちの元から逃げたときの弱弱しさは微塵も残っていない。

 あの視線の鋭さは……目を離したわずかな時間になにがあった? 邸内に仕掛けられたマジックアイテムを通して覗き見、ジョゼフやシェフィールドがいぶかしんでいるのをタバサは知るよしもない。しかし、生半可な覚悟でここに来ているわけではないのは確かだ。生家といえど、今やここは敵地、なにが待ちうけているかわからず、しかも今度は本気で殺しにきているのが明白な罠の中に飛び込んでくるのは、自殺志願者か大バカか、でなければ罠など眼中にない鬼しかない。

 そのどれに値するのかをジョゼフが確信したのは、屋敷の中央の吹き抜けのホールに踏み入れたときだった。

 ホールに面した扉が一斉に開き、一階と二階のすべての扉と通路の奥から矢が射掛けられてきた。矢玉の数は少なく見積もっても二百を超え、ホールの中央に立つ二人の四方から隙間無く撃ちかけられてくるそれを回避する術はない。

 しかしタバサの反応は、沈着かつ冷静だった。軽く杖を振るだけで、彼女の周囲の空気に含まれる水分が凝結し、ガラスの壁のような氷の防御壁が築かれる。矢は薄く張られた氷の壁を射抜くも貫通しきれず、氷を串刺しにし尽くすと、役目を終えた氷の壁ごとホールのカーペットに舞い散った。

「やるぅ」

「次、鉄くずが五十ほど」

 口笛を吹きながら賞賛するキュルケに、タバサはじっと前を見据えながら言った。

 矢が飛んできた扉や通路から、今度は剣や槍を持ち、全身を鎧で固めた騎士が飛び出してきた。しかし、目には眼球の代わりに不気味に明滅する光が宿っており、それが人間でないのがわかる。

「ガーゴイルね」

 キュルケがつまらなそうに言う。意思を吹き込まれた魔法人形・ガーゴイル。人間以上の身体能力と、傷ついてもひるまずに、死を恐れないそれは、ときにメイジ以上の強さを発揮する。特に金属製のガーゴイルは、よほどの高熱を浴びせなければ倒せないので、火のメイジにとっては厄介な相手だ。

 しかしタバサが代わろうかとするのを制して、キュルケは優雅に杖を振った。

「わたしだって、あなたたちといっしょに色々冒険してきたのよ。まあ、あなたは精神力を温存してなさいって」

 軽口を叩いて呪文を唱えたキュルケは、タバサを小脇に抱えると『フライ』を唱えた。ふわりと二人の体が宙に浮き上がり、四方から襲ってきていたガーゴイルたちは、彼女たちの足の下で団子状態になる。ガーゴイルは自動で動くが、人間のような細やかな動きや、なにより他者に配慮して動くことができないので、互いの武器がからまりあって身動きがとれなくなってしまった。

 離れたところに飛びのいたキュルケは、彼らの頭上に向けて『ファイヤーボール』を放つ。ただし、直接ガーゴイルを狙うのではなく、その頭上の豪奢なシャンデリアの鎖を根元から焼き切る。

 するとどうなるか、落下してきた五百キロはあるシャンデリアの下敷きになり、ガーゴイルの軍団はあっさりと生き埋めになってしまった。

「いっちょあがりね。どうタバサ? わたしの手並みのほどは」

「邪道。火の本質は破壊と情熱じゃなかったの?」

「そうよ。でも、不調法な出迎えに本気出してやったら悔しいじゃない。あ、シャンデリア壊しちゃってごめんね」

 思い出したように謝るキュルケに、タバサはやれやれと視線をずらした。ガーゴイルたちは、シャンデリアの下敷きになったくらいでは壊れはせずにうごめいているが、間接部にガラスの破片でも混ざったのか立ち上がってくるものはない。

 タバサは、シャンデリアは別に惜しくないものの、キュルケらしくもないからめ手に、自分の影響を自覚せざるを得なかった。朱に交われば赤くなるというが、まあやりかたは彼女らしい豪快さではある。

「キュルケも……変わった」

「ん? まあね。ちょっと悔しいけど、タバサはわたしより強いじゃない。真正面から挑んで勝てなくても、知恵を使えば案外あっさりいけるって。なんか、肩はってたのがつまらなくなってきてね」

 からからと笑うキュルケは、タバサの肩をぽんと叩いて、「んじゃ、あのガラクタが起きてくる前にちゃっちゃと先行きましょうか」とうながした。タバサもうなずいて、二人はガーゴイルたちに背を向けると、屋敷の奥へと続く廊下を歩き始めた。

 もはやガーゴイルなど眼中にもない。豪胆というよりも、不敵と呼んでいい二人の少女の戦いぶりに、ジョゼフは鏡の向こうから拍手を送っていた。

「いやいや見事、あのガーゴイル軍団をあんなにあっさりといなしてのけるとは、我が姪ながらなんとも痛快よ。ミューズよ、あのガーゴイルは確かメイジ殺しと呼ばれた戦士たちの動きを写し取った特製であったそうだが、あいさつ代わりにもならなかったな」

「面目次第もありません。数の多さがかえってあだになってしまいましたようです。しかし、弁解をお許しいただけるならシャルロットさまの詠唱の素早さと防御魔法の威力を見るに、すでにクラスはスクウェアに相当するものに上がっているものと思われます」

 恐縮して、シェフィールドは頭を垂れた。しかし、ジョゼフはガーゴイルの敗退などは意にも介していない。

「まったく、シャルルのやつもあの世で鼻が高かろう。それに、ガーゴイルを仕留めた赤毛の娘も、あの状況でよくも平然と策をろうせたものだ」

「わたくしが調べましたところ、ゲルマニアのフォン・ツェルプストー家の令嬢にあるようです。クラスは火系統のトライアングルとのことですが」

「ふふ、場合が場合なら花壇騎士の隊長にでも招きたいところだな。東や西のぼんくらどもより、よほどものになるだろう。これはまた、予想に反しておもしろくなってきた……しかし、この先はメイジのクラスなどは役に立たんぞ。さあて、シャルロットよ、その先だ。その先に母はいるぞ、ふふふ……はーっはっはっは!」

 含み笑いから高笑いに変わるなか、鏡の中でタバサが母の居室の前に立ち、ドアノブに手をかけた。

 

「行く」

 ドアノブをひねったタバサの前で、扉はあっさりと二人を中へと招き入れた。

 明かりのない室内には、大窓から月光が差し込んでおり、見渡すのに不便はなかった。

 中の風景は以前と何も変わっていなかった。見慣れたベッドと小机が、そのままの形で置かれている。

 室内に人影はなく、タバサの母はベッドの上に変わらぬ形で寝かされていた。

「母さま」

 ベッドに駆け寄ったタバサは、すぐに母の様子を確かめた。呼びかけても返事はなく、静かに寝息を立て続けているところを見ると、薬かなにかで深く眠らされているらしい。念のためにディテクトマジックで調べてみるが、特に魔法をかけられているわけでもなさそうだ。

「タバサ、お母さんの様子は?」

「大丈夫、眠らされているだけみたい……よかった」

 ほっとした様子のタバサに、キュルケもほおの筋肉を緩ませた。しかし眼光は鋭いままで、部屋の中を油断なく見渡している。

 しかし、あっけなさすぎると、キュルケは内心でいぶかしんでいた。ここに来るまでは、腕利きの傭兵メイジでも大勢で待ち構えているかもと用心していたのだが、待ち構えていたのはガーゴイルだけとは少なすぎないか?

 仮にもタバサは北花壇騎士の一員、しかも三年ものあいだ、特に実行が困難と思われる任務ばかりを選んで押し付けられていたために、その実力のほどは敵も重々承知しているはずだ。もし自分がジョゼフの立場なら、可能な限りの戦力を結集して襲わせるだろう。

 もしかして、あのガーゴイルの攻撃だけで勝てると思っていたのか? 確かに、あれだけの数のガーゴイルに一斉に襲い掛かられたら、並の使い手では反応もできずに惨殺されてしまうだろう。以前の自分でも、パニックに陥ったあげくに血まみれの死体にされるのが関の山だ。

 だが、相手はタバサなのだ。仮に自分がいなくても確実にガーゴイルを退けることはできたに違いない。

 ならば、こんなに防備が薄いのはなぜか? タバサの母にこれといって仕掛けが施されている様子もない。考えられる策は、病気の母親という足手まといをあえて渡し、戦力を削ぐことにあるのかもしれない。

 だったら、ともかく長居は無用だ。窓の外を見ると、待機していたシルフィードがうれしそうに旋回しているのが見える。罠が待っているならば、敵が次の手を打つ前に引き上げるに限る。屋敷内を危険を冒して戻らなくても、窓を破ってシルフィードに乗り、速度を活かしてトリステインまで逃げ込めば敵も派手な手は打てまい。

「タバサ、ジョゼフがなにを企んでるか知らないけど、ここはお母さんを連れて逃げましょう」

 タバサは無言でうなづき、シルフィードを呼ぶと同時に母の体に『レビテーション』をかけて浮かせた。

 窓わくを破って、シルフィードが室内に飛び込んでくる。ガラスの破片が飛び散って、少々乱暴だがこの際言っていられない。

 

 ただ、ジョゼフと直接会ったことのないキュルケは想像できず、母の無事を確認して感情が高ぶっていたタバサは失念していた。ジョゼフには、"常識"というものが通用しないことを。

 そして、彼女たちは知らなかった。簡単すぎるほどに目的を達成できた今の状況が、先日にアーハンブラ城でティファニアを見つけたときのルイズたちと非常に似ているということに。

 

「タバサ、急いで」

「うん」

 タバサは母をシルフィードの背に乗せると、自分も飛び乗った。キュルケはその隙に奇襲を受けないか、注意深くあたりを警戒して、二人が乗ったのを確認すると、よしとうなずいた。

「いいわね。じゃあわたしも乗るわよ」

「待って、ベッドの隅の、あの人形をとって」

 キュルケはタバサの指差した先に、シンプルな形の女の子の人形が置いてあるのを見つけた。タバサの母が、運命が狂い出す前に我が娘に買い与えた人形だ。その人形に、娘は”タバサ”と名づけた。しかし、心身喪失薬を飲まされて心が狂った今では、母はその人形をシャルロットだと思い込み、シャルロットはタバサと名乗っている。

 ある意味では、母と娘をつなぐかぼそい糸ともいえる人形を、キュルケは駆け寄って半瞬だけ見つめると手を伸ばした。

「ボロボロね。きっと、三年間ずっとこれを誰にも触れさせずに守り通したのね」

 正気を奪われてなお、母の愛のなんと強いことだろうか。キュルケは、その壮絶なまでの意志の強さに畏怖さえ覚えた。

 人形を抱え込み、もう必要なものはないかと確認する。と、そのときであった。枕元の小机の花瓶に生けられている花がキュルケの目に止まった。

”見慣れない花ね。こんな種類、あったかしら?”

 黄色い大きな花弁を持つその花に、キュルケの目は釘付けになった。生けられている一輪の花、ただそれだけのはずなのに、個性の薄い室内で、その花だけが月光を浴びて強烈な印象を見るものの脳に送り込んでくる。

「キュルケ、どうしたの?」

「あ、うん。ちょっとね」

 呼びかけてくるタバサの声に、キュルケははっと我に返った。

 そうだ、今は花に見とれているときではなかった。しかし、なぜか気になってしまう。キュルケも女性である。花の種類に関しては並々ならぬ知識があり、ボーイフレンドから贈られてくる花の花言葉を当てるときなどに役立ててきたが、頭の中のどんな図鑑にもその花の名前はなかった。

 無意識に、手が花に伸びる。花瓶から引き抜いて間近で見る花は、大きな花弁の中央が不思議なオレンジ色に染まっており、覗き込みたくなる欲求が湧いてくる。

「キュルケ、急いで」

 タバサが呼んでいる。早く行かないと……でも、ちょっとくらいなら。

 意識の底にうったえかけてくる何かに誘われるように、キュルケは花に顔を寄せた。刹那、世界が黄色く染まる。

「キュルケ……? キュルケ!」

 どさり、と鈍い音がして床に倒れこんだキュルケに、タバサの悲鳴が重なる。

 慌てて駆け寄り、助け起こす。まさか、なにか毒でも盛られたのではあるまいか。

 しかし、抱き起こしたキュルケの表情は、毒を盛られたのとはまるで正反対に、心地よい形で歪んでいた。

「あははは、もーう、アランもクリックも慌てちゃだめよ。みんなまとめて相手してあ・げ・るから」

「キ、キュルケ?」

 目をつぶったまま、男を誘うような猫なで声をあげているキュルケに、タバサはとまどった。

 揺すっても、顔を叩いてもキュルケは目覚めない。これは尋常ではないとタバサは焦り始める。何かしらの魔法をかけられるか、強力な幻覚剤を投与でもされない限り、こんなことにはならないはずだ。

 だが、いったいいつ薬を盛られた? 見ていた限り、キュルケに何者かが近づいた気配はなかった。キュルケの周りにあったものといえば……

「この……花」

 タバサはキュルケのかたわらに落ちている、変わった品種の花を睨み付けた。この花が毒草で、キュルケはこれの毒花粉にやられてしまったに違いない。

 憎しみを込めて花を見下ろし、『発火』の魔法で焼いてしまおうと杖を向ける。

 それが、引き金であった。突然屋敷が激しい揺れに見舞われ、残った窓ガラスが細かく砕けて降りかかってくる。

「きゃっ! おねえさま!」

「シルフィード! お母さまを守って」

 刃物の雨と同じガラスの驟雨から、タバサはキュルケと自分を『エア・シールド』で、シルフィードはタバサの母を翼で隠して守りきった。

 しかし、ジョゼフの用意した本当の罠が始動するのはここからであった。

 窓の外に見える庭から、大木のような芽が飛び出して、みるみるうちに膨れ上がっていった。そしてそれが、葉を生やし、とげのついた触手のようなつるを伸ばし、とてつもなく巨大なつぼみを生やしたとき、タバサは月光をさえぎって立つそれを見て、思わずつぶやいていた。

「巨大な……植物!?」

 全高、目測で五十メイル超。ラ・ロシェールの世界樹とはさすがに比較にならないが、屋敷を軽く見下ろしてくる威容は普通の樹木のそれではない。植物なのに、まるで動物のように触手状のつるを揺らめかせているさまは、なんという禍々しい姿なのか。

 タバサは、これは明らかに自然のものではなく、何者かが意図的に庭の地中に仕掛けたものだと悟った。

「いけない! シルフィード、飛んで! 早く」

 罠にはまった。そう気づいて叫んだときには、すでに遅かった。

 メキメキと音を立てて巨大植物のつぼみが開く。五枚の黄色く毒々しい花弁があらわになり、その中央から、くちばしのような口が突き出してくる。その先端が自分たちを向いたとき、タバサは防御の魔法を唱えようとした。しかし、夢遊状態のキュルケの手が当たって杖を取り落としてしまう。慌てて杖に手を伸ばすが、そのとき巨大植物の口から黄色い花粉が、霞のように吹きかけられてきた。

「しまっ……」

 黄色い雲の中に飛び込んでしまったように、タバサたちは花粉の中に飲み込まれてしまう。口と鼻を押さえるも間に合わずに、体内に侵入してきた花粉が急速にタバサから意識を刈り取っていった。

 

 じゅうたんの上に倒れこむタバサ。シルフィードもよろめいて昏倒し、気持ちよさそうに寝息を立て始める。

 その様子を眺めていたジョゼフは、愉快そうに笑いながら、チャリジャが去り際に残していったカタログの説明文を思い返していた。

 

『これは、かつて地球という星に生息していたギジェラという植物を、遺伝情報からクローニング再生したものです。これの花粉が生物に与える効能は、強力な幻覚作用で心地よい夢の世界にいざなって、二度と帰ってきたくないほどの快楽におぼれさせます。ただし、あくまでもデッドコピーですので、オリジナルの持っていたような惑星すべてに影響を及ぼすことはできずに、せいぜい自身の半径数キロに幼体の花を咲かせることができるくらいです。けれど、オリジナルは夜間は活動が鈍りましたが、これは夜間でも能力は変わりません。きれいな花を咲かせますので、大切な人への贈り物にでもどうぞ』

 

 まったく、なにが贈り物にどうぞだ。説明の内容の半分は意味不明だったが、花束にするにしても、眠られては見られないではないか。

「さてシャルロットよ。余からの夢の世界の贈り物を存分に楽しむといい。どんな夢を見るかは知らぬが、果たして、帰ってこれるかな?」

 

 

 続く


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