ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第42話  囚われのティファニア

 第42話

 囚われのティファニア

 

 深海怪獣 ピーター 登場

 

 

「虚無の担い手が、さらわれたですってえ!」

 ウェストウッド村での事件から三日後、魔法学院に帰ってきたルイズたちを待っていたのは、ルイズの部屋にけたたましく響き渡るエレオノールの怒声であった。

 虚無の担い手であるかもしれないティファニアにもう一度会うために、アルビオンへと向かったルイズたちを待っていたのは思いもよらなかった罠であった。怪獣マグニアの出現と、怪獣に操られたウェストウッド村の子供たち、それらすべてがティファニアをさらったシェフィールドがルイズたちの目を逸らし、時間稼ぎをするための陽動でしかなかったのだ。

 そのため、気がついたときにはティファニアははるか遠くに運び去られた後で、すでに手の出しようがなくなっていた。

 しかも、勝ち誇ってあざ笑うシェフィールドの幻影からは、ティファニアの心を操って、虚無の魔法を使う人形にするという恐るべき企みが伝えられた。

 ルイズたちはそのことを、ティファニアが虚無の担い手だったことも含めてエレオノールには秘密にするべきか悩んだが、結局は正直に伝えることにした。なぜなら、すでにティファニアも虚無に関わる争いに巻き込まれてしまったからで、今更存在を隠したところでいずれ知れる。それに、正直自分たちの手に余る事態になってしまい、エレオノールの知恵がどうしても必要になったからだ。

 ただし、そのためにはまず怒れる女神の鉄槌を、甘んじて受ける必要があった。

「それであなたたちは、なにも果たせないままおめおめと帰ってきたというの?」

「も、もうしわけありません、おねえさま」

 エレオノールの鬼でも睨み殺せそうな弾劾に、ルイズたちはただ縮こまることしかできなかった。むざむざ敵の策略にはまったのは事実であるし、なによりティファニアをさらわれてしまったというのは、言い訳のしようがない。ルイズと才人だけでなく、今回ばかりはキュルケやタバサも、エレオノールの怒りの雷鳴を間近で聞き続けた。

「まったくあなたは、目的を忘れて敵の罠を見抜けないなんて洞察力が足りない証拠よ、恥を知りなさい! それにツェルプストーのあなた。ヴァリエールの宿敵のくせにまんまとルイズと同じ罠に落ちるなんて、ご先祖さまが泣くわよ。もう、どいつもこいつも最近の若いのはふがいないんだから。いい、まずは先代のヴァリエール侯爵と……」

 話がどうやらそれてきているようだけど、注意する勇気はキュルケにもなかった。それにしても、思い切り地が出ている今の姿、花婿募集中とはとても思えない。学院の生徒たちは式典でもうしばらく戻ってこれないけど、戻ってきたときに淑女を演じることができなくなっていたらどうなることか。

 お説教はそれから三十分ほども続き、エレオノールが喉をかれさせてようやく終わった。

「はぁ、まあ過ぎてしまったことはもういいわ。それで、その子は虚無の担い手で間違いないのね」

「一度だけ見ましたけど、あの記憶を奪う魔法の力のありえなさを考えたら……それに、シェフィールドの勝ち誇った様子からして、まず間違いないかと思います」

「そう……ともかく、これで虚無の担い手は二人まで判明したことになるわね。あとの二人が誰かはまだ不明だけど、記憶を操れるなんて能力、ルイズの『爆発』よりも敵にまわすと怖いわね。なんとか奪回したいものだけど」

 無理よね、とエレオノールはため息をついた。そんな簡単に後を追わせてくれるほど、シェフィールドは馬鹿ではあるまい。

 それに、エレオノールの言うとおりにティファニアの魔法が悪用されたときの脅威は『爆発』よりも恐ろしい。人間の人格は過去の記憶の積み重ねでできている以上、それを動かせばどんな変化が起きるか想像もできない。さらに、使い方によっては恐るべき洗脳手段としても使える。たとえば火を熱いという記憶を消せば、火中の栗を拾わせることもできるし、悪いことをしてはいけないという記憶を消せば、罪悪感のない人間を生み出すというおぞましいことも可能だ。

 むろん、ティファニアは優しい子だからそんなことは間違ってもしないだろう。しかし、系統魔法にも高等なものになれば洗脳を可能とできるものがある。シェフィールドが言い捨てていったように、ティファニアを単なる魔法道具としてやつらは使うだろう。

「ルイズ、あなたのほうはなにか進展はないの? なにかしら、役に立つ魔法が使えるようになるとか」

「いいえ……できることが増えてないかと、確認は怠ってないのですが、始祖の祈祷書にはいまだにエクスプロージョン以外の魔法は現れていません」

「残念ね。こんなときにこそ、伝説の力にすがりたいものだけど」

 エレオノールはまたため息をついたけれど、こればかりはどうにもならない。虚無の魔法は強力すぎるため、その教本である始祖の祈祷書には幾重もの制限がついている。デルフリンガーによれば、必要なときになれば自然と見れるようになるというが、今のところそれはひとつもない。ルイズは、せっかくアンリエッタから水のルビーまでも貸してもらったのに、いまだになんの進展もないことに焦りを感じ始めていた。

 ただ、才人は場合によっては命をも削るという虚無の力に、ルイズが目覚めてほしくはないと思っていた。前にアンリエッタに言われたことでもあるけれど、人間は慣れやすい生き物である。強大な力を持てばそれに頼る。そして力におぼれたものには相応の報いが待っている。歴代のウルトラマンたちが人類から正体を隠し、人間が全力を尽くしたときにだけ現れるようにしていたのにも、そのあたりに大きな理由がある。

 才人は、力というものの危うさを思って、虚しげにつぶやいた。

「始祖ブリミルって人は、いつか来るかもしれない厄災に備えるために祈祷書を残したって書いてた。つまり、虚無の力は本来はみんなのため、正義のために使うべきものなんだ。でも、いつの世でも馬鹿野郎はいるってことか」

 ブリミルの善意を、その子孫たちが踏みにじる。天国のブリミルには本当にすまないことだ。

 でも、ルイズなら虚無の魔法を正しい方向に使ってくれるだろうと才人は思う。いろいろと今でも問題は多いけれど、奪う・騙す・殺すという三つだけは絶対にやらない。それはルイズの貴族としての誇りでもあり、人間として正しく生きれているという誇りでもある。だからルイズを、虚無を悪用しようとするものたちから絶対に守ろうと才人は決意している。

 もちろんティファニアも、彼女だけでなく、彼女の姉代わりとして育ててきたロングビルや、彼女をしたう子供たちのためにも絶対に助け出さねばならない。

 

 ウェストウッド村の子供たちは、あのまま村に置いておくことはできないので、やむを得ずトリステインまで連れてきた。アルビオンはだいぶ平和で安全になってきているとはいえ、まだ野盗や人攫いがいなくなったわけではなく、子供たちだけでは万一のときにどうしようもない。

 トリスタニアにある、修道院を改修した孤児院に彼らを預けたとき、才人たちは院長の神父さまに念を押して頼んだ。

「子供たちを、くれぐれもよろしくお願いします」

「神に誓って、お引き受けいたしましょう。ここにいる子供たちは、みな不幸な災いで親を失い、絆の尊さを知っている子ばかり、きっとあの子たちも温かく受け入れてくれるでしょう。あなた方がお迎えにきてくれる日まで、彼らを飢えさせることはしません」

 落ち着いた様子の壮齢の神父の答えに、才人たちはほっとした。この孤児院はトリステインが、ベロクロン戦で大量に出た孤児たちを受け入れるために拡張したもので、今では国中から身寄りをなくした子供を引き受けて、引き取り手を探したりする活動をおこなっている。

 しかし、ずっと辺境の村で閉鎖された暮らしをしていた子供たちが、まったく環境の異なる場所で暮らしていけるかは心配だった。それでも、彼らは気丈に胸を張って、一番年長のジムが皆を代表して才人たちに言ったのだ。

「ぼくたちなら心配いらないよ。テファおねえちゃんは、ぼくたちよりもっと大変なんだ。だから、おねえちゃんが帰ってくるときまで、ぼくたちもがんばるから、おねえちゃんをお願いします」

 才人たちの半分、やっと生きてきただけの年齢しかない彼らの言葉は深く心に染み入った。必ずティファニアは探し出してくる。それまで待っていてくれと、涙ながらに彼らと別れた。

 

「みんな、大丈夫かな」

「心配要らないわよ。あの子たちは、みな強い芯を持っている。このくらいのことで負けはしないわ。それに、あそこは国の直轄の孤児育英施設、人攫いとか悪党のつけいる隙はないわよ」

 不安そうな才人を、キュルケが肩を叩いてはげました。以前は人身売買組織などが根を張っていたトリスタニアも、現在ではその手の組織は大元締めだったリッシュモン興の死亡以来、ほぼ壊滅状態になっている。子供が安心して育つことのできない国に未来などないというアンリエッタと、人身売買を心から憎むミシェル以下銃士隊の徹底した掃討の成果だった。

「子供たちのことは心配しないで、今はティファニアを助け出すことだけ考えましょう」

「ああ、でもまったく手がかりがないんだ。どうしたもんかな……」

 居場所さえわかれば、すぐにでも飛び出していけるのにと才人はデルフリンガーで壁を叩いた。「いてえよ、やつあたりすんなよ」とデルフリンガーが文句をつけてくるけど、相手をする気にはならない。なにせハルケギニアは広いのだ。トリステイン、ゲルマニア、ガリア、ロマリア、国の数は少なくても領土は広大であり、日本中を探すのにも匹敵する。

「まさか、怪しそうなところを片っ端から調べるわけにもいかないしねえ」

 キュルケがつぶやいた方法は、もちろん論外。そんなことをするには何千人も必要になり、まったく現実的ではない。

 考えに詰まった彼らは、エレオノールの提案で別のことから考えてみることにした。ティファニアがさらわれたことはもちろん重大だけれど、シェフィールドはどうやってルイズたちの先を越したのか。

「聞いた話では、そのティファニアって子が虚無かもしれないってことは、そのときはあなたたちしか知らないってことになるのよね。じゃあ、シェフィールドはなぜその子の存在を知れたのかしら?」

「それは、わたしも尋ねてみました、けど、しらばっくれられてしまって」

「ふん、肝心なところはきっちり隠しておくとはかわいげがないことね。しかし、タイミングから考えて、やつらが自力で見つけ出したとは考えにくいわ。こちらの情報が漏れた、としか考えられないわね」

「でも、虚無に関することは他人に聞かれないように注意していたのに、そこまで詳しいことがわかるなんて」

 虚無に関して重要なことを話すとき、誰かに『サイレント』の魔法を使ってもらって声が漏れないようにした。また、『ディテクト・マジック』で盗聴される危険も排除してきた。仮にどこかからガーゴイルないしを使って監視していたとしても、遠巻きからでは得られる情報はたかが知れているはずだ。

 ところが、答えに窮しているルイズに対して、エレオノールは想像もしていなかったことを言った。

「内通者でもいるんじゃないの?」

「え……」

 一瞬、言葉の意味がわからなかったルイズは絶句した。しかし、エレオノールは容赦なく続ける。

「秘密の漏れ方からして、私たちの近くに敵と通じてる人間でもいなきゃ説明がつかないわ。だいたいツェルプストーの人間なんて、最初から信用がおけないし、そっちの陰気な小娘だってなに考えてるんだか」

「いいかげんにしてください! それ以上はいくらお姉さまでも許しませんわよ!」

 ルイズは激昂して叫んだ。それでもエレオノールは、ルイズの反応くらいは予測していたように冷断に言う。

「へえ、許さないってどういうふうに? まさかこのわたしに魔法を使うとでも」

「そ、それは……」

 口ごもったルイズをエレオノールは尊大に見下ろす。怒りも、長年かけてつちかわれた姉への恐怖に押しつぶされそうになった。だがそこで、才人がルイズの肩を叩いて指の関節を鳴らしたのである。

「ルイズ、かまわないから吹っ飛ばしてやれよ。その後でおれもぶん殴るから」

「サイト……」

「へぇ、平民がずいぶん生意気なことを言うじゃないの。この私に対してその無礼、相応の覚悟があってのことでしょうね?」

 エレオノールは杖を取り出して才人に向ける。高位の土のメイジにとって、たかが平民の剣士ひとり、生き埋めにするもゴーレムで踏み潰させるもたやすい。しかし、才人はまったく臆することなくエレオノールを正面から睨み付けた。

「黙れよ」

「なんですって?」

 平民が貴族、メイジに対して侘びを入れるどころか命令してきたことにエレオノールは驚いた。

「いくらルイズの姉さんでも、言っていいことと悪いことがある。おれの友達を侮辱されて、生意気もクソもあるか! 覚悟すんのはあんたのほうだ」

「くっ!」

 このときエレオノールははじめて平民に気おされた。カトレアに勝ったことがあっても、まだ才人をただの平民だとあなどっていたのが、甘かったと思い知る。確かに、昔の才人ならエレオノールの威圧感にはなにを言われても対抗できなかっただろう。しかし、数々の冒険や戦いを経て才人の心は強く鍛えられていた。

 いや、それは才人だけではない。本来誰の心にでもある強さなのである。親が子を守り、兄が弟を守り、そして友を守る強さは特別なものではなく、誰にでも宿ることができる。そして、強さはひとりだけのものよりも、束ねていけば無限に大きくなる。才人の怒りが引火して、ルイズの心にも再び炎がついた。

「おねえさま、ルイズはずっとおねえさまの言うことには従ってまいりましたが、わたしにも譲れないものはあります。たとえ旧怨あるツェルプストーのものとはいえ、学友の名誉を踏みにじられてはわたしの誇りが許しません」

「ルイズ、あなた」

「謝ってください。キュルケとタバサに、でなければいくらおねえさまとて、虚無の威力をご披露することになりますわ」

 まっすぐに杖を向けてくるルイズに、エレオノールも虚無の威力を想像してあとづさる。

 だがそこで、姉妹の争いを静観していたキュルケが割って入ってきた。

「待ちなさいよルイズ、実の姉妹同士で争ってどうなるっていうの。そのへんでやめときなさい」

「ちょっとキュルケ! わたしたちは誰のために怒ってると思ってるの」

「だからこそよ。わたしたちのために姉妹で血が流れたら、それこそ後味が悪いわ。まあ、任せときなさいって」

 キュルケは、いきりたつルイズを平然とした様子でなだめると、エレオノールにわずかな微笑を浮かべて向かい合った。

「さて、ミス・エレオノール。内通者がいるかもというあなたの説、現状を客観的に見れば間違ってはおりませんわ。ですけれど、確たる証拠もなしに疑いの眼を向けられるのははなはだ不本意というもの。もしも、いわれなき侮辱を一時の気の迷いとなさらぬのでしたら、ヴァリエールからツェルプストーへの挑戦状とみなして、傷つけられた誇りを回復するために全力を行使させていただきますが、そのお覚悟はありますか?」

「ぐっ……」

 誇りを守るために全力を行使する。それはツェルプストーとヴァリエール、二大貴族による戦争を意味する。エレオノールはキュルケの目に、顔は笑っていても激しい怒りが内蔵されているのを感じて、本気だと悟った。たかが口げんかから戦争とはおおげさに思えるかもしれないが、この二つの家は何百年も前から争い続けてきた宿敵同士であるから、きっかけはわずかでも本気の激突になりかねない。そこまではいかなくても、たとえばキュルケがエレオノールに決闘を申し込んだりすれば、貴族同士の決闘は固く禁じられていることもあって、きっかけを作ったエレオノールは断罪され、母カリーヌの激怒を招くだろう。

 この小娘がと、エレオノールはキュルケを睨んだ。だが、いわれなき疑いを向けて侮辱した事実は変わらないので、分は圧倒的にエレオノールのほうが悪い。なによりも、ほんの軽口のつもりだったエレオノールには、キュルケの本気に対抗する覚悟がなかった。

「わ、わかったわよ。私が軽率だったわ。あなたたちの名誉を傷つけるような発言をしたことは謝罪するわ」

「ならけっこう。先の発言はこれ限りで水に流すことを誓約しますわ。それでいいわね、ルイズ、サイト、タバサ」

「ええ、いいわよ」

「おれもだ。さすがキュルケ」

 最後にタバサが無言でうなづき、キュルケはいつもと変わらない笑顔を見せた。

 ルイズも才人も、見事にしてやってくれたキュルケに、おおいに溜飲がさがったようだ。賞賛のこもった視線を受けて、生来の目立ちたがりであるキュルケも、充分な達成感を得れたようだった。

「ま、わたしたちがシェフィールドの一味と通じてるなんて、馬鹿馬鹿しいこと言うからよね。ねえ、タバ……あれ?」

 見ると、ついさっきまでキュルケのそばにいたはずのタバサが消えていた。

 はて? と思って見回してみると、いつの間にかタバサはシルフィードに乗って窓の外に飛んでいくところだった。

「どうしたのかしら? 突然出てくなんて」

「シルフィードのメシの時間かなんかだろ。タバサは真面目だからな」

 才人がなにげなく言ったことで、キュルケもうーんと考えてうなずいた。

 反面、エレオノールは少々気が抜けた様子で、気持ちを切り替えようとしているかのように眼鏡を拭いていた。

”まさか、この私がこんな小娘にやりこめられるなんてね。さすが、ツェルプストーの眷属というべきか……そういえば、コルベールも何かにつけて生徒の自慢をするけど……ふぅ”

 汚れを拭いた眼鏡を灯りに透かしてみて、エレオノールは落ち着いた心で自分のやったことを考え直してみた。

 虚無を奪われたということで、機嫌が悪くなっていたとはいえ、確かに言いすぎたかもしれない。かりそめとはいえ、教師として受け持った生徒を疑うとは醜い限りだ。怒ると物事が見えなくなる、ルイズにも共通する悪い癖だ。ただし、自己嫌悪する中でエレオノールは自分に歯向かってきたルイズや、平民のくせに噛み付いてきた才人に、ある種の敬意を覚え始めていた。

”私に、なんの躊躇もなく歯向かってくるとは、無謀なのか勇敢なのか。しかし、この無茶さ加減でこれまで数々の戦いを生き延びてきたのね……以前の地下書庫でも、彼らのクラスメイトたちは年齢に見合わぬほどの活躍を見せていた。普段はろくに授業を聞いていないくせに、私の目が曇っているのだろうか……?”

 答えを見出せないままで、彼女は眼鏡をかけなおした。レンズが陽光を反射し、彼女の知的な感じを強調する。

 そうして、一回咳払いをして場を仕切りなおしたエレオノールは、一同を見渡して話を再開した。

「あなたたち、シェフィールドの一味がどんな魔法なり薬なりを使って、虚無の担い手を洗脳しようとしているかはわからないけど、一週間くらいの猶予はまだあるはず、そのあいだに奪還するわよ」

「どうしてそんなことがいえるんですか?」

「洗脳といってもピンからキリまであるのよ。一時的に思い通りに動かすくらいなら、高等なメイジであればできるし、ご禁制の惚れ薬とかを使えば人格まで大幅に変えることができるわ。でもね、心を操るっていうのはそんな簡単なことではないのよ。ほんの数時間操れればいいとかいうならともかく、効果が薄れたり切れたりするときは必ずやってくる。そして、同じ魔法をかけ続ければ本人への負担も増していくのよ」

 簡単なところでは、酒を飲み続けてストレスをごまかし続ければ、次第に心にダメージが蓄積されておかしくなっていくようなものだ。魔法は使い手の精神状態に大きく威力を左右されるから、完全に心を壊してしまっては意味がない。ましてティファニアは換えの利かない虚無の担い手なのだ。

「なるほど、奴らにとってはティファニアはいわばジョーカーってわけか」

 才人がそう例えたように、失ったら二度と手に入らない切り札を、そう危険な手に使うとは思えない。ティファニアの心をある程度維持して、なおかつ自分たちの意のままに動かせるようにするためには、時間と手間が大量に必要になるだろう。魔法を使うならスクウェアクラスの上級メイジ、薬にしても希少な材料を精密に配合して熟成させなくてはならない。

 だが、それは裏を返すと、奴らはそれだけの準備をすることができるということに他ならない。そこに思い至ったルイズは、背筋にぞっとするものを感じた。

「シェフィールドの一味は、それほどの組織力と資金力を持っているっていうの?」

「もしかしたら、敵はわたしたちが思ってるよりはるかに大きな勢力なのかもしれないわね。また、レコン・キスタみたいなのが生まれようとしているのかも」

 キュルケの一言で、ルイズはアルビオンを二分した戦いを思い出した。そういえば、アルビオンでウェールズとアンリエッタの前にヤプールが姿を現したとき、奴はレコン・キスタを操っていたものは別にいて、それをさらに利用したに過ぎないと言っていたそうだ。世界の影に隠れて暗躍する謎の組織、目的はやはりハルケギニアの征服か? 国を動かすような相手に狙われているかもしれないと、息を呑むルイズ。しかし才人は、それがなんだといわんばかりに軽く言ってのけた。

「んなことはどうでもいいんだよ。どこのバカだか知らねえけど、テファをさらうなんて真似したやつらを許しておけるか。シェフィールドめ、テファになにかしたらただじゃすまさねえぞ」

「サイト、あんな不安はないの? 相手はレコン・キスタよりも強大な組織なのかもしれないのよ」

「だからなんだよ。テファをあきらめろってのか? 第一どんなご大層な目的があったとしても、女の子さらって言うこと聞かせようなんて考えるようなやつにビビれるか。どこの誰がボスでも、いつか必ずしばきたおしに行ってやる!」

 はぁ、とルイズは呆れた。まるで恐れてないどころか、敵をただの少女誘拐犯と言い切ってしまった。才人らしい無鉄砲な、青臭い正義感。それに考えてみたら、近いうちにヤプールとの決戦に臨まなければならないというのに、悪の秘密組織ごときにやられてはいられない。すると、ルイズもなんだか腰が引けていたことが馬鹿らしく思えてきた。

「そうね。わたしたちはもっと大きな目的のために働かなきゃいけない。エレオノールおねえさま、そういうわけなので、ティファニアを取り戻すためにお知恵をお貸しください」

「言わずもがなよ。さて、どこから調べたものかしらね」

 意気があがるルイズたちとは裏腹に、エレオノールは頼られても仕方がないのにと考え込んだ。元気がよいだけで勝てれば苦労はしない。だが、虚無の力が世界を揺るがすほど強大である限り、ルイズは今後も虚無にまつわる戦いに、否応なく巻き込まれていくということになる。そうなったとき、彼らのその無謀すぎるくらいの元気が困難を吹き飛ばす原動力になるかもしれない。

 エレオノールは意気あがるルイズたちに、なんとか力になってやりたいと思った。わらにもすがるような思いだけれど、望みはかすかに存在する。あの古代遺跡から発掘された碑文の残り、始祖ブリミルの時代の戦いの歴史を記録していたあの遺跡ならば、虚無に関するなんらかの手がかりが存在しているかもしれない。ちょうど、今ごろは壊れた碑文の復元と解読も終わっているころだろう。終わり次第、すぐに伝えに来てくれることになっていることになっているそれに、なんらかの希望があればよいのだが……

 

 

 一方、ウェストウッド村から連れ去られたティファニアが、そのころどこにいたのか。

 シェフィールドによって拉致されて、睡眠の魔法薬で深く眠らされたティファニアはそのままアルビオンから連れ出された。そしてそのまま飛行ガーゴイルによって輸送された彼女は、ガリアに運ばれてジョゼフに眠ったまま引き合わされた。

「これが次なる虚無の担い手か……ハーフエルフとは、始祖の血もなかなかおもしろい演出をしてくれるものよ。よい仕事であったぞ、余のミューズよ。これで余にはすばらしい手駒ができた」

 グラン・トロワの最奥の一室で、ジョゼフは床に転がされたティファニアを見下ろして高らかに笑った。シェフィールドは、賞賛の言葉を受けて極上の達成感を味わい、満面の笑みを浮かべた。

「お褒めいただき、感激にたえません。それでこの娘、いかがいたしましょう? 目を覚まさせて、お話になりますか」

「いや、無益であろう。無垢な乙女の顔を絶望に染めるのも一興かもしれんが、さすがに下品にすぎる。そうだな……おお! よいことを思いついたぞ。やはりエルフの処理はエルフにまかせるとしようではないか」

「はっ、ではビダーシャル興にお預けすると……しかし、彼奴らが蛮人と忌み嫌う人間との混血児が、彼奴らがもっとも恐れる虚無の担い手であったと知ったら、この娘を始末しようとするのではありませぬか?」

「ふふふ、できるならばそうしたいに違いない。しかしな、奴らにはそうしたくてもできぬ理由があるのだ。まして、奴は余との契約を反故にすることはできぬ。どうしても心配なら、見張りをつけても構わぬぞ。そんなことより、ビダーシャルがこの娘を見て、憎悪するか同情するかは知らぬが、どちらにせよ見ものであろう」

 蟻の巣を掘り返して楽しむ子供のように、無邪気だが残酷な笑顔がジョゼフの顔に現れる。シェフィールドはうやうやしく頭を垂れ、主人の楽しみに無条件で賛同するかのように微笑んでいた。

「では、さっそくビダーシャル興を呼んでご命令なさいますか?」

「まあ待て、ここでは人が多くてやつも仕事がしにくかろう。僻地で落ち着いて仕事ができるようにしてやれ。そうだな、この娘も自分の母親の故郷を一度は望んでから心を失いたいだろう。同胞としての、余のせめてもの慈悲だ」

 最後に、ジョゼフはティファニアの髪を優しくなで、「美しいものよ」と、つぶやくとシェフィールドに運び出させた。そうして、シェフィールドも扉の外に去ると、ジョゼフは先程とは違う、喉を鳴らすような含み笑いを浮かべた。

「さて、これで虚無の担い手は我が手に入ったも同然……と、誰でも思うであろうな。しかし、伝説の虚無ともあろうものが、そう簡単に一角を崩されるものかな? ふふふ……チェックメイトを目前に、どう運命のシナリオを描く。余を楽しませてみよ。始祖ブリミル?」

 まるで、自分を含めた世界のすべてがゲーム盤の上の出来事だとでもいわんばかりの笑い。ジョゼフはテーブルの上のチェス盤から、駒をひとつ掴み取ると、部屋にすえつけてある国宝の始祖の像に向かって投げつけた。

 

 グラン・トロワから連れ出されたティファニアは、再び空路をガリアの奥深くへと運ばれていった。

 そうして、さらわれた日から三日経ったとき、ティファニアは幼い日に戻ったような光景の中で目を覚ました。

「ここは……どこ?」

 はじめに目に入ってきた天蓋つきのベッドから身を起こし、部屋を見渡したティファニアの目に飛び込んできたのは、まるで夢の国だった。

 ベッドを中心に置いた広い部屋は白く清潔な壁紙と豪奢な調度品で彩られ、毎日寝起きしていた村の家とはまるで違う。自分の身なりを確認すると、やはり豪華な寝巻きを着せられていて、ティファニアははるか昔に母親といっしょに過ごしていた日々のことを思い出した。

「おかあさま、どこ……?」

 ウェストウッド村に住む前、アルビオンの大公だった父のもとで、なに不自由なく暮らしていた子供のころにティファニアは帰っていた。これは夢の中だと思い、床に素足をつき、夢うつつな眼で室内を歩き回り、母親を探し回る。

 しかし、窓際に立って外の風景を眺めた瞬間にティファニアは我に返った。

「これって……砂漠!?」

 そこに広がっていたのは、地平線の先まで広がり渡る黄色い世界であった。文献で聞きかじり、母の昔語りにのみ登場してきたものが、今目の前に現実として現れている。自分は、その砂漠の中にある丘に立てられた城の中にいるとわかったとき、ティファニアははっとして自分の身になにが起こったのかを思い出した。

「そうだ! わたし、森に落ちた燃える岩を見に行って、そうして霧に包まれて……ここはどこなの? みんなは? わたしどうしちゃったの!?」

 自分が理解不能な状況に立たされていると知ると、ティファニアはパニックに陥った。

 そのとき、部屋の扉が開く音がして振り向くと、そこには幅広の帽子を被った長身の男性が立っていた。

「目が覚めたようだな」

「あなた、誰ですか?」

 突然現れた見知らぬ男に、ティファニアは当然ながら警戒心を向けた。すると男は一瞬困ったような表情を見せ、部屋の中まで歩いてくると、おもむろに帽子を脱いだ。

「私は”ネフテス”のビダーシャルだ。出会いに感謝を、と普段なら言うところだが、今回に限っては難しいな」

「エルフ……!」

 あいさつをしたビダーシャルの耳が、自分と同じエルフの尖った形のものであってティファニアは驚いた。しかし、ビダーシャルは表面は平静とした様子で、慌てているティファニアに言った。

「驚くことはあるまい。君もエルフなのだろう……もっとも、君の場合は半分だけのようだが」

「えっ! 私のことを知ってるんですか?」

「ああ、おおまかなことはな。少なくとも、今君をどうこうしようというつもりはない」

 敵意はないと、ビダーシャルは部屋の隅のクローゼットに歩み寄った。その中から、ティファニアがさらわれたときにかぶっていた帽子を取り出してきて渡すと、受け取った彼女は帽子をぎゅっと抱きしめた。

「あなたが、わたしをここに連れてきたんですか……?」

 初めて見る母以外のエルフに、ティファニアはおびえながら問いかけた。

「その質問に対する答えなら、否だ。ここは、ガリア王国の東端の国境上にあるアーハンブラ城というところだ。我はただ、ここに来てお前の相手をしろと命じられたにすぎん」

「アーハンブラ……確か、何度もエルフと人間が争った場所ですね」

「そうだ。よく知っているな」

「母から、聞かされたことがありますから……教えてください。ウェストウッド村は、村の子供たちはどうなったんです? いったい誰が、こんなことをさせてるんですか?」

「質問には順に答えよう。最初のほうは、我は聞いていない。次のほうは、依頼人の名はガリア王ジョゼフという。その男が部下に命じて、お前をここに連れてきた」

「ガリアの……王様!?」

 想像もしていなかった答えに、ティファニアの目が丸くなった。それと同時に、ジョゼフのことを言うビダーシャルの口調に、露骨な嫌悪の色が浮かんでいたことに気がついて、彼女の困惑はより深くなる。

「どうしてガリアの王様が、私をさらうんですか。それに、どうしてエルフが人間に従ってるんですか?」

「質問は一つずつにしたまえ。我らの名誉のため、あえて後の質問から答えるが、我らにも事情というものがある。ハルケギニアで起きていることと同様のことが、サハラでも起きている。我はネフテスの代表として、異変の根源を突き止めなければならない。蛮人の王と契約をかわすのも、その一端だ。そしてもう一つ、この地で目覚めようとしている悪魔の力の復活を阻止しなければならない」

「悪魔の力?」

「人間たちは虚無の系統と呼んでいる魔法のことだ……世界を滅ぼすほどの力を誇り、かつてエルフの半分を死滅させたといわれている。その力は蛮人たちの聖者の血筋から現れ、いずれまた大厄災を引き起こすと我々は恐れてきた……しかし、まさか我らの同胞の血筋から、その担い手が現れようとは想像もしていなかった」

 ティファニアは、突然ビダーシャルの自分を見る目が鋭くなったのにびくりと怯えた。そして、彼の言った言葉の意味を吟味すると、その意味の持つ恐ろしさに身を震わせた。

「まさか……その悪魔の力の担い手って」

「そう、君のことだよ」

 ビダーシャルはそこで、ティファニアにすべてを明かした。記憶を奪う魔法が虚無であること、そのためにジョゼフが自分を欲していること、思い通りに操れるように心を奪わせようとしていることなど、一切を包み隠さず教えた。

「心を奪うって、そんなっ!」

「それが、我がジョゼフの協力を得るために必要なことなのだ。それに、悪魔の力が見つかったのなら制御する必要がある。本来なら、殺害するべきなのであろうが、そうすれば別の誰かが悪魔の力に目覚める。そういうふうにできているのだ。我としても、この条件は呑まざるを得なかった」

 淡々と告げるビダーシャルに、ティファニアはしだいに怒りが胸に湧いてくるのを抑えられなかった。

「わたし、ずっと思ってた。エルフは母のように優しい人たちばかりだって! なのになんで、そんなひどいことをしようとするんですか。わたしが、わたしが混じり物だからですか?」

「優しさ、というがそれにはいろいろな種類がある。我は、サハラの同胞たちの安全を第一に考える義務がある。ただし、個人的には君に対して深く同情している。生まれをどうするかを、選んで生まれてこれるものはいないからな」

 ビダーシャルの言葉はやはり淡々としていて、本心を告げているのかどうかティファニアにはわからなかった。

 ただ、どうしようもないということだけは嫌というほどわかった。ここは見も知らぬ異郷の地、逃げ出すところはない。また、当然ながら杖も取り上げられていて、唯一の頼りである『忘却』の魔法を使うこともできなかった。

 絶望して、カーペットの床にへたりこんでしまったティファニアに、ビダーシャルは少しのあいだ目を閉じてじっとすると、やがて踵を返した。

「水の精霊の力で、心を操る薬が完成するまで十日ほどかかる。それまでは城の中に限るが、自由にふるまうといい。望みがあれば使用人に告げれば、たいていはかなうようにしてある」

 それが、ビダーシャルのティファニアに対するせめてもの侘びだったのであろうか。ティファニアにはわからないし、意味のあることでもなかった。

 だがせめて、せめてエルフと会えたのなら言っておきたいこともあった。

「待ってください」

 扉を閉めていこうとするビダーシャルをティファニアは呼び止め、彼は扉を半開きのまま振り返った。

「なにかな?」

「ここは、人間とエルフの国境線だとおっしゃいましたよね。ということは、この砂漠の先に、エルフの住む場所……わたしの母の故郷があるのでしょうか?」

「そうだ。その砂漠を超えて、さらにその先に我らの故郷サハラがある。それがどうしたのだ?」

「お願いがあるんです。わたしの母は、最後までわたしに人間の世界に危険を冒してまでやってきた理由を教えてはくれませんでした。母がなぜアルビオンにやってこなければいけなかったのか、母はどういう人だったのかを知りたいんです!」

 必死に訴えるティファニアの言葉を、ビダーシャルは黙って聞いていた。だがやがて、わずかに憂えげな表情を覗かせると、扉を閉めなおしてティファニアに向かい合った。

「母君の名前は、なんというのだ?」

「普段は、世を忍ぶためにティリーという偽名を使っていましたが、父だけは母のことを”シャジャル”と呼んでいました」

 するとビダーシャルは、ふむと考え込む仕草を見せた。

「我らの言葉で、”真珠”を意味する名前だな。よろしい、調べてみよう。人の世界に出て行ったエルフはまずおらぬから、何かしらの記録が本国に残っておるかもしれぬ」

「本当ですか?」

 ティファニアの顔がわずかに明るくなると、ビダーシャルは視線をそらして背を向けた。

「保障はできかねるが誠意は尽くそう。しかし、結果がどうであれ、我はそのことを変化なく君に伝えることになる。その覚悟だけはしておきたまえ。そして、結果がどうであれ、十日後には我は君の心を奪うことになる」

 あとは何も言わずに、ビダーシャルは立ち去っていった。

 残されたティファニアは、ただ一人残された孤独感からしばらくの間すすり泣いた。

 それから何時間か経ったのだろうか、泣くことにも疲れたティファニアはなにげなく城の中を歩き回った。

 城内はきれいに整えられていて、砂漠の小城だというのに宮廷のような趣があった。しかし、人影はほとんど見えなく、生活観のなさが冷たくも感じられる。たかが少女ひとりを幽閉するのに兵士は必要ないということであろうか、城門までまったく邪魔されずに着いたティファニアは、分厚い鉄の壁にさえぎられた。

「やっぱり、逃げられっこないわよね」

 自分が籠の鳥だと思い知らされたティファニアは、なにをすることもなく城の中を散策した。途中、黒いローブをまとった男と会い、生活の世話は任されていると告げられた。ローブで深く顔を隠しているので容姿はわからないものの、きっと彼がビダーシャルが言っていた使用人なのだろう。

 その後は、ビダーシャルが薬の精製をしているらしい塔にだけは立ち入れなかったものの、ほかの場所にはすべて立ち入ることができた。

「ほんとうに、ここは夢の国ね」

 自嘲を込めて、ティファニアは城の中庭にある池のほとりに腰掛けてつぶやいた。ここでは、自分はお姫様だ。普通の女の子が望むような豪華な生活はすべてかなう。だが、自分がほしいものは何一つここにはない。夢の国の形をした悪夢の牢獄でしかないのだ。

「ジム、エマ、アイ、みんな大丈夫かな……」

 できることは、子供たちの無事を祈ることだけだった。

 そのとき、池の中から小さなトカゲのような生き物が浮いてきて、ティファニアがすくいあげると瞬時に子馬ほどの大きさに変わった。

「あなた、わたしを慰めてくれるの?」

 長い間、森の中で動物たちと過ごしてきたティファニアは、恐れることもなく、その大きなトカゲのような生き物をなでた。すると、その生き物は嫌がらずに気持ちよさげに鳴いて、ティファニアの手に顔を擦り付けた。

「あなた、不思議なにおいがするわね……そうか、この池は地面の中で外の世界とつながっているのね。うらやましいわ、わたしに水の中で息ができる力があったら、ここから逃げ出せるのに」

 自分が自分でいられるのは、あと十日。けれど、それが今すぐであったとしても別に変わりはないだろう。自分の人生は、こんなところで終わってしまうのか。ティファニアは運命の残酷を呪い、まぶしく照りつける砂漠の太陽を仰いで思った。

 

 塔の頂上の部屋から、ビダーシャルはたそがれるティファニアを見下ろしていた。

「すまないな」

 口をついて出た言葉は、ビダーシャルの本心であった。先に、ティファニアに言ったことのすべてにも嘘はない。

 人間とエルフの混血であるハーフエルフ。それは誇り高いエルフにとって忌むべき象徴であるが、ビダーシャルは無抵抗な00ものをいたぶる趣味は持ち合わせていない。

 しかし、感情と使命とは別個である。同情はしても、それで使命感までは曲がらない。

 ビダーシャルは部屋の隅に立てかけてある鏡に向かって、なにやら呪文を唱えた。すると、鏡がぼんやりと光って、部屋の

光景ではない別のものを映し出しはじめた。

「聞こえているか? お前の協力が必要になった。すぐにこちらに来てもらいたい」

「あら叔父様、なにかおもしろそうなことが起きたんですの? ふふっ、こちらに来てから毎日が刺激の連続ね」

 鏡の向こうから、まるでトラブルを楽しんでいるような若い女性の声が部屋に響いた。

 

 続く


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