ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第15話  悪夢との決闘

 第15話

 悪夢との決闘

 

 異形進化怪獣 エボリュウ 登場!

 

 

 豪雨の降りしきる闇夜のトリスタニアで、戦いは始まった。

 夢よもう一度と、国家転覆を企てる不平貴族の一団による反抗を阻止しようとする王軍は、アニエス率いる銃士隊を中心にして一斉摘発に乗り出したのだ。

「王家直属銃士隊である。リグヨン子爵、国家反逆の容疑で逮捕します」

 次々と有無を言わさず屋敷に突入して、隊士たちは次々と反逆計画に加担した貴族たちを捕獲していった。

 けれど、貴族たちは皆メイジであり、さらに反逆計画に備えて傭兵を従えていたものも大勢いたために、おめおめと捕縛されようとはしなかった。

「おのれ小ざかしい平民どもめ、貴族の力を見るがいい」

 屋敷の中で銃士隊と貴族、傭兵の戦いが繰り広げられる。だが、銃士隊は平民のみの部隊であるとはいえ、全員が対メイジの訓練を受けてきた猛者ばかりである。集団になっての屋内戦はお手の物であり、反抗した貴族たちは無情に切り伏せられていった。

 

 しかし、子ネズミをいくら退治したところで、丸々太った親ネズミを放置しておいたら子ネズミはいずれまた増殖してくる。不平貴族たちを束ねる大物、それを捕らえるか倒す、そうでなければ、トリステインは白蟻に蝕まれた木のようになってしまうであろう。

 アンリエッタ王女は、街を見下ろせる王宮の窓から、貴族の邸宅が集まる高級住宅街を見下ろして、貴族の邸宅のいくつかから火の手が上がったのを見ると、緊張してつぶやいた。

「はじまりましたわね」

「御意に」

 答えたのは、現在王女と王宮の護衛のすべてを一任されているマンティコア隊の隊長、ド・ゼッサール卿である。竜騎士隊や、トリステインの誇る三つの魔法騎士隊のうちのヒポグリフ隊がいまだ再建途上、グリフォン隊が隊長謀反で信頼を落とし、戦力はあるが新隊長がまだ部隊を統率しきれていない今では、マンティコア隊はまだ全盛期の半分程度の戦力だが、唯一統率のとれた優秀な部隊だ。

「作戦が完了するまで、殿下の身に不逞なやからが近づかぬよう、我ら一同身命に代えましてもお守りいたしますので、どうかご安心を」

「『烈風』カリン殿の愛弟子の貴方、信頼していますよ」

 今、トリスタニアに『烈風』はいない。いたら警戒させてしまって、地に潜られたらやっかいだからだ。少数のマンティコア隊と、平民のみの銃士隊なら敵も油断するだろうというのが、アンリエッタの目算であった。

「ご信頼にお応えできますよう、全力を尽くします。しかし、あの銃士隊というものの実力はたいしたものでありますな。正直わたくしも、平民の女のみということで、なにができるものかと思っていましたが……あの勇猛さ、戦えば私でも危ないかもしれません」

 ゼッサールは、遠見の鏡で見えてくる銃士隊の奮戦に、嫉妬や世辞のない率直な感想を述べた。

 銃士隊は、武器は剣やマスケット銃しかなく、確かに一対一で戦えばメイジに及ばない。けれど、それが二対一、三対一となれば連携と虚を突く素早さで、戦いなれていない貴族や油断した傭兵メイジなど物の数ではない強さを発揮できるのだ。

 眼下で燃えている屋敷は、火のメイジが炎を放ったのか。それとも照明の火が引火したのかは定かではない。だが、遠見の魔法で見たら、屋敷から出てくるのがおおむね貴族を捕縛した銃士隊員ばかりであることに、アンリエッタはほっと胸をなでおろした。

「子ネズミの一掃は、とどこおりなく進んでいるようですわね。ゼッサール卿、火災が広がらないように、ただちに消火の手配を」

「はっ、ただちに」

 ゼッサールはアンリエッタの命令を伝令するためにいったん室外に出て行った。それと入れ替わりに、アニエスが入室してきて、ひざをついて一礼した。

「反乱分子の捕縛は、ほぼ予定通りに進行中です。こちらの被害は軽微です」

「よくやってくれました。彼らの裁判は、後日あらためておこないましょう」

 アンリエッタの声に喜びはなかった。反乱を計画した貴族は、国家反逆罪で死刑はまず確定といっても、彼らにも家族はあるのだ。一族郎党皆殺しという残虐行為に手を染める気はなくても、彼らの恨みは残る。それらとの戦いを考えて憂鬱にならぬほど、アンリエッタは大人ではなかった。

 しかし、そういった情念を捨てなければならない巨悪も、またこの国にいるのだ。

「あとは、彼を捕縛するだけですわね」

「はっ、リッシュモン高等法院長……」

 その名が語られたとき、二人の顔に苦いものが伝った。

 この国の司法をつかさどる機関である高等法院。そこは主に貴族同士の揉め事を法と神の名の下に解決する、いわゆる裁判所としての役割を持つ。また、その他にも劇場でおこなわれる歌劇や文学作品などの検閲、平民たちの生活をまかなう市場の取締りなど、幅広い職権を有している。その権限の強さは、政策をめぐってしばしば行政をになう王政府と対立するほどであった。

 だが、強い権力には得てして悪意がつきやすいものである。リッシュモンもその例に漏れずに、自らの権力をもてあそび、さらに貪欲に強化しようとして数え切れない人間を泣かせてきた。

「わたくしは、幼いころから彼にはずいぶん可愛がってもらいましたが、あれは出世のための嘘の笑顔でしたのね」

「私の故郷、ダングルテールも奴の差し金で焼かれました」

「……彼をそこまで駆り立てる欲とはいったいなんなのでしょう? 国を売り、人を騙し、奪い、殺し、悲しませ……およそ人間としてあるべきものを全て捨ててまで、お金というものに魅力があるのか、わたくしには理解できません」

「私も、理解したくもありません」

 二人とも、リッシュモンのためにこれまで失ってきたものは大きかった。アニエスは故郷と人生を、アンリエッタは過去の思い出と愛した国に住まう大勢の善良な人々を。

 だが、これ以上奴の思い通りにいかせるわけにはいかない。罪人には、罪に合った罰を突きつけてやらねばならないのだ。

 アニエスは、アンリエッタも自分と同じ思いだと確信すると、立ち上がって一礼した。

「では、私は最後の始末に向かいます。彼の生死は、私に一任されてよろしいですね?」

「ええ、国の品位と権威を守るべき高等法院長が逮捕となれば、あとの始末が大変でしょう。不慮の事故ということにしておきなさい」

「御意」

 冷酷だが正しく、そしてありがたい命令だとアニエスは思った。アンリエッタはアニエスの過去については一言も触れなかったが、復讐の機会をくれたのだ。

 

 戻ってきたゼッサールと入れ替わりに、アニエスは室外に出て、マンティコア隊の隊員たちが固めている廊下を無言で歩いた。歩きながら、腰につった剣や、全部で五丁持っている銃に異常がないかを自然な動作で確認する。

 そして、正門へと続く王宮の中庭に差し掛かったときだった。道の真ん中に、今は全員が出払っているはずの銃士隊の制服を着た者が、アニエスを待っていた。

「隊長、わたしも連れて行ってください!」

「ミシェル……」

 かつて、アニエスの片腕として、銃士隊の副長として戦っていたときと同じ戦装束で、ミシェルはアニエスの前に立っていた。

「わたしも、銃士隊の一員です。隊長、お願いします!」

「ミシェル、お前……」

 言い掛けて、アニエスは口をつぐんだ。今のミシェルは、半日前の小動物のようなか弱さに支配されていた少女ではない。一本の芯を飲み込んで、一人で立つ力を手に入れた一個の戦士の表情をしていた。

「行ってきたんだな?」

「はい!」

 強く答えたミシェルの返事に、アニエスは満足そうにうなずき、そして思った。

 やはりサイト、お前はすごいやつだな。

 アニエスは、ミシェルの心の鎖を断ち切ってくれた才人に、心の中で強く感謝した。バカで、無謀で、弱いくせに勇敢で……だが、一つだけあいつは誰にも負けない強さを持っている。人を救うために必要な、金でも力でもない、人間の本当の強さを。

「もう心残りはないのだな?」

 最後の確認のつもりでアニエスは聞いた。けれど、ミシェルの答えはアニエスの想像とはまったく逆だった。

「いいえ! 心残りをもらってきました」

「……なに?」

 思わず抜けた声を出してしまったアニエスだったが、強い光を宿しているミシェルの瞳を見てその訳を理解した。なるほど、あいつならこの世に思い残すことなくなんて、間違っても認めるわけはないな。

 でも、考えてみたらそのほうが何倍もいい。

 とたんに愉快になったアニエスは、含み笑いを押し殺すとまっすぐにミシェルを見据えた。

「ようし、ならばゆくぞ! 目指すは、リッシュモンの首一つだ」

「はっ!」

 心を一つにしたアニエスとミシェルは、城門から豪雨降りしきる闇の中へと駆け出していった。

 

 

 リッシュモンの屋敷は、高級住宅街の一角にある二階建ての巨大な建物だった。最高法院長という身分のものにふさわしく、外壁は美しく塗られ、屋根や窓辺には見事な彫刻が飾られている。

 だが、アニエスとミシェルは建物の外観の壮麗さに、かえって憎悪を掻き立てられた。二人はリッシュモンがなにをして、このような豪奢な屋敷を建てられるほどの財力を手にしたのか、つぶさに調べ上げていた。柱の一本、レンガの一つ……奴は食い物にした人間の骨を柱に、肉をレンガに、涙を漆喰にしてこの屋敷を建てたのだ。

 それに、偶然だろうが周りにはかつてのベロクロンやホタルンガの襲撃で家を捨てていった貴族たちの廃墟が軒を連ねていて、アニエスとミシェルは憮然とした。まるで、どんな状況にあっても他者を身代わりに生き残るリッシュモンのこ狡さを象徴しているようだ。

 むろん、玄関は頑丈な扉で閉ざされていて、招かざる客に帰れと訴えている。

 が、今の二人にとって城門などはなんの障害にもならなかった。

「吹き飛ばせ」

 アニエスの指示でミシェルが杖を振り、高級木材でできた扉を粉々に粉砕する。

 邸内に足を踏み入れた二人は、まだ子供のような小姓が腰を抜かしているそばを足早に通り過ぎると、押し入ってきた賊を捕らえようとする衛兵や傭兵を蹴散らしていく。

「邪魔だぁ!」

「道を開けろ!」

 剣で突き、銃で撃ち、魔法で邪魔者がなぎ倒されていく。どいつも、リッシュモンが金にまかせて集めた一騎当千のつわものや、トライアングル以上の強力な使い手ではあっても、今の二人の敵ではない。

「は、はぇ……がっ」

 一人の傭兵メイジが杖ごと叩き斬られて倒れる。彼は何度も戦場をくぐった自分が、たかが平民の剣士、しかも女に負けるなどと信じられなかった。が、しょせんはそんなふうに敵をあなどっていた彼らが、はじめからこの二人に敵う道理などなかった。

 

 過去の呪縛から解放され、明日への希望を手に入れたミシェル。

 頼もしい右腕が帰ってきて、肩に背負っていた重荷を下ろせたアニエス。

 

 メイジの力は心の高ぶりに左右されるというが、それはなにもメイジに限った話ではない。強い心をもって互いに死角を補い合う二人は、それぞれの力を何倍にも増幅し、どんどんと奥へ進んでいく。

「おい、リッシュモンはどこだ!?」

 廊下で出くわした執事を捕まえて、アニエスが問いただすと執事はあっさりと「奥の執務室におられます」と答えた。所詮金の虫の家臣、主への忠義心など無きに等しいらしい。

 二人は微細な抵抗を退けつつ、ついに屋敷の一番奥にあるリッシュモンの執務室にたどり着いた。なんのためらいもなくドアを蹴破る。

 だが、中に飛び込んだ二人が見たものは、もぬけの空となった部屋の空虚さだけであった。

「しまった! 逃げられたか」

「いや待て、椅子が温かい……まだ遠くへは行っていないぞ」

「くそ、逃がしてなるものか!」

「落ち着け! あの尊大な男が雨中に一人飛び出していくはずはない。奴はまだこの屋敷のどこかにいる」

 あのリッシュモンがおめおめと捕縛されるはずはないと考えていたアニエスは、窓辺に駆け寄るミシェルを制して室内を調べ始めた。窓を開けているのは恐らく偽装だ。これまで散々したたかに生き延びてきた奴が、万一の際の逃亡手段を用意していないはずがない。

 丹念に室内に仕掛けがないか二人は本棚を蹴倒し、壁に剣を突きたてて探した。すると、床の一部、ちょうどリッシュモンの執務机の下の床を叩いたときの音が違うことにアニエスは勘付いた。

「ここか……よし、ミシェル」

 ミシェルに命じて床板を壊させると、その下からは正方形の形をした一辺二メイルほどの穴がぽっかりと暗い口を開けていた。

「隠し通路ですね……かなり深そうです」

「風が来るな。どこかに通じているようだ。奴は、この先か」

「追いましょう」

「当然だ。頼むぞ」

 穴は深く、どこまで続いているのかわからなくても、二人には迷いはなかった。アニエスがミシェルに抱きつき、二人は暗い穴の中へと飛び込んだ。

 絶対に逃がしはしないぞ。地獄の底まで逃げようとも、必ず追い詰めて決着をつけてやる。

 決意を胸に秘めて、二人の姿は冥府にまで通じていそうな漆黒の穴の中に消えていった。

 

 

 一方、暗い穴のその先は地下通路に通じていた。このトリスタニアには、昔から暗殺を恐れる貴族たちが、思い思いに築いた抜け道が縦横無尽に張り巡らされている。過去に銃士隊がつぶした人身売買組織の親玉が逃亡に使った抜け道も、この一つであった。

 その湿ってよどんだ空気の中を、豪華な法服に身を包んだ男が歩いていく。

「やれやれ、あの姫さまと跳ね返りどもにも困ったものだ」

 忌々しげにつぶやきながら歩く男の顔は、杖の先にともされた魔法の灯りを受けて、老いた顔に暗い影をささせている。こいつこそ、トリステインに残った反アンリエッタ派の最後の大物、リッシュモン高等法院長だった。

「やれやれ、先手を打つつもりがあんな小娘に裏をかかれるとはしてやられたわい。この調子では、ほかの貴族どもも全滅じゃろうが、私はそうはいかぬぞ」

 追い詰められた様子は微塵も見せず、リッシュモンは暗い笑みを濃くしていく。なぜなら、アニエスの予想したとおりに、リッシュモンは自分は絶対に捕まらないと自信をもっていたからだ。

「ふっふふふ。今頃、平民どももさすがに抜け道には気付いていよう。しかし、そこから私にたどり着くには少なくとも半日はいるだろう」

 その自信の一つが、過去数百年に渡って掘られた貴族の抜け道を調べ上げて、接続、延長したこの地下道であった。ここは、トリスタニア全体……それこそ彼の屋敷から高級住宅街の別の屋敷、チクトンネ街のなんでもない家の床下、国立劇場の地下から下水道まで迷路のような分岐点と長大さを誇っている。その道筋を熟知しているのは自分だけ。ほんの数十人ばかりが降り立ったところで、リッシュモンのところにまでたどり着くのは不可能といってよかった。

 しかし、リッシュモンには地下通路を通って国外逃亡をはかるつもりは毛頭なかった。この国には彼が長年に渡って蓄積してきた富が残されているし、自分をコケにした小娘たちをそのままにして逃げるほど、彼の自尊心は小さいものではない。

「くっくっく、今のうちにせいぜい勝ち誇っているがいいわ。あの方からいただいた切り札があれば、最後の勝利は私のものだ」

 リッシュモンは懐から一片の書簡を取り出し、それに書かれている図説を読んでほくそえんだ。そこに描かれていたのは、このハルケギニアのあらゆる設計思想に該当しない形をした、巨大な”あるもの”の説明書。彼がこの地下通路を延長しているときに偶然発見されたそれは、はじめは何に使われるものなのか皆目見当もつかずに放置されていた。けれどガリアから彼を支援したいと申し出てきたある男の使者としてやってきた女が、その使用方法を突き止めてくれた。それさえあれば……リッシュモンは最後の勝利を確信していた。

 だが、そんな想像をしながら歩いていると、リッシュモンは通路に反響する足音に、いつの間にか別の誰かのものが混じっていることに気がついて立ち止まった。

 追っ手か? 立ち止まってなお響いてくる足音に、リッシュモンは灯りをランタンに移すと、杖を構えて自分がやってきた道からやってくる何者かを待ち構えた。

 通路の曲がり角の先から、ぼんやりと灯りが近づいてくる。その中に現れた人影は、リッシュモンの姿を見て口元を歪めた。

「おやリッシュモンどの。近頃の高貴な方は、ずいぶんとかび臭い場所を好まれるようですな」

「貴様か……アンリエッタの飼い犬め」

 ほっとした笑みを浮かべ、リッシュモンは現れたアニエスを見据えた。二人は身分の違いで直接話したことはなくても、アンリエッタの御前で何度か顔を合わせている。しかし、彼は現れたのがメイジではないただの剣士ということで、最初から彼女を甘く見ていた。

「消えろ、貴様と遊んでいる暇はない。この場で殺してやってもいいが面倒だ」

 リッシュモンの言葉に対するアニエスの答えは銃口だった。

「よせ。私はすでに呪文を唱えている。あとは貴様に向かって解放するだけだ。二十メイルも離れれば銃弾など当たらん。命を捨ててまでアンリエッタに忠誠を尽くす義理などあるまい。貴様は平民なのだから」

 面倒くさそうにリッシュモンは続ける。

「たかが虫を殺すのに貴族のスペルはもったいないわ。去ねい」

 完全にこちらをなめきった様子のリッシュモンに、アニエスは絞り出すように言葉を切り出した。

「私が貴様を殺すのは殿下への忠誠からだけではない。私怨だ」

「私怨?」

「ダングルテール」

 リッシュモンは笑った。その地名を聞いたとたんに、ほとんど忘れかけていた記憶を懐かしく掘り返して、心底楽しそうに笑った。

「なるほど! 貴様はあの村の生き残りか」

「貴様に罪を着せられ……何の咎もなく我が故郷は滅んだ」

 アニエスとリッシュモンの、まったく対極に位置する光をはらんだ視線がぶつかり合う。

「ロマリアの異端審問『新教徒狩り』。貴様はロマリアの依頼を好機として、ありもしない反乱をでっち上げて踏み潰した。その見返りにロマリアの宗教庁からいくらもらった? リッシュモン」

 リッシュモンは唇を吊り上げた。

「さあな。金額を聞いてどうなる? 気が晴れるのか? 教えてやりたいが、二十年前のことなどいちいち覚えてはおらぬよ。まあ、当時のロマリアは今と違って新教徒狩りに熱気だったから、大金だったとは言っておこう。おかげで、あのときは随分うまい酒が飲めたよ」

 アニエスの食いしばった唇から、血が糸のように流れた。

「金しか信じておらぬのか。あさましい男よな」

「お前が神を信じることと、私が金を愛すること、いかほどの違いがあるというのだ? お前が死んだ肉親を未練たっぷりに慕うことと、私が金を慕うこと、どれほどの違いがあるというのだ? よければ講義してくれ。私には理解できぬことゆえな」

 話しているだけで、アニエスの全身に身の毛もよだつような悪寒と、煮えたぎった溶岩のような憎悪の熱さが駆け巡った。

 殺してやる。誰がなんと言おうと、こいつだけは生かしておくわけにはいかない。

 しかし、アニエスは爆発寸前の感情を抑えて言った。

「貴様を殺す前に、一つだけ聞いておくことがある。二十年前の、ダングルテールの虐殺に加わった実行部隊の記録を探しているが見当たらぬ。貴様なら、実行部隊の隊長が誰なのか知っているはずだ」

「なんとも執念深いことよ。確かにあの記録は公になるとまずい類の資料ゆえ、ある場所に厳重に保管してある。だが隊長の名前など、とうに忘れたわ」

「ならば言え! その資料はどこだ!?」

「はっ! 甘いわあ!」

 アニエスが激昂して吼えた。その一瞬の隙をついてリッシュモンは魔法を解放した。

 杖の先から巨大な火の玉が飛び、逃げ場のないアニエスに向かって一直線に飛ぶ。

 だが、火の玉はアニエスに当たる直前に、アニエスの前に突如出現した土の壁に当たって、粉々の火の粉となって四散した。

「なにぃ!?」

 相手は剣士、魔法など使えるはずがないと思っていたリッシュモンの口から驚愕のうめきが漏れる。土の壁は役割を果たすと崩れ落ち、その後ろで守られて無傷のアニエスの姿が再び浮かび上がる。

 そして、アニエスの背後の曲がり角から、杖を握って現れたもう一人の姿を確かめたとき、リッシュモンの顔にはじめて苦々しい歪みが伝った。

「リッシュモンさま……あなたとこうした形で再会するとは、まことに遺憾の極みです」

「ミシェル……お前、生きていたのか!」

 たっぷりの皮肉を込めて現れたミシェルを見て、リッシュモンは今アニエスを守った魔法と、そしてなぜこれだけの短時間でアニエスが自分に追いついてこれたのかを理解した。ミシェルは土系統のトライアングルメイジだ。風のメイジが空気の流れを読み、火のメイジが温度に敏感なように、土のメイジは土中を伝わる微細な振動を察知して、歩く振動だけでも人の動きを知ることができる。

 ミシェルはアニエスと並んで立つと、杖の先をまっすぐにリッシュモンに突きつけた。

「リッシュモン! 十年前に貴様に無実の罪を着せられて死んでいった父の恨み、今ここで晴らさせてもらうぞ!」

「ほぅ……ということは、もうすべてに気づいたと見えるな」

「信じたくはなかった。だが隊長と貴様の会話ですべてわかった」

「ふん! 親子そろって愚かなものよ。少し甘い言葉をかければすぐに信じ込む。貴様も黙って利用されていれば幸せな夢を見られていたものを」

 あざ笑うリッシュモンに、ミシェルの手の中に握られている杖がきしんだ音をあげた。

「確かに……わたしは愚かだった。しかし、貴様の作ったよどんだ悪夢からわたしを目覚めさせてくれた人がいるんだ。覚悟しろリッシュモン、今ここで殺してやる」

「ふん、平民や裏切り者ふぜいにやられる私ではないわ!」

 二人分の憎悪を一身に受けながらも、臆した様子もなくリッシュモンはさらなる呪文を唱えた。

 先よりも巨大な火球や、鋭い切れ味を持つ風の刃が飛ぶ。さっきの火の玉はアニエスを甘く見ていたために手加減していたが、今度は本気の攻撃だ。

 しかし、アニエスとミシェルも前に向かってためらいなく地を蹴った。

「いくぞ! ミシェル」

「はい! 隊長」

 剣と、杖を振りかざして二人の剣士は駆けた。その前に立ちふさがる放った火球や真空刃をミシェルの作り出した土の壁ではじき、はじかれた火の粉をアニエスがマントで振り払ってミシェルを守りながら進む。

「おのれっ!」

 リッシュモンも豪語するだけはあって、放つ魔法の威力は相当なものだ。だが、この地下道はミシェルにとって自分の系統を最大に活かせるフィールドである。それに、完全に息の合った二人のコンビネーションには一切の隙もない。

 二十メイルだった間合いが、じわじわと縮まっていく。十五メイル、十二メイル、十メイル。

 予想外の二人の進撃に、リッシュモンにも焦りが生まれ始めた。

「くっ、小娘どもがっ!」

「無駄だ。貴様の魔法の手の内はすべて調べ上げてある。せいぜい貴様の愛する金にでも祈れ」

「い、いいのか? 私を殺せば、貴様の望む資料の場所はわからなくなるぞ!」

「かまわんさ。あと何十年経とうが調べ続けてやる。貴様は一足先に、貴様が馬鹿にした平民の牙を受けて死ね。リッシュモン!」

「うぬっ!」

 後ずさりしながら魔法を打っていたリッシュモンと、アニエスとミシェルの距離が五メイルに迫ったところで、アニエスは疾風のように駆けた。

「死ねーっ!」

 ありったけの憎悪と殺気を込めて、その身そのものを一つの刃に変えてアニエスは突進する。

 目指すはただ一つ、憎き仇の心臓ただ一点!

 一度打ってから次の魔法を使うまでの、ほんの一瞬の隙をついたアニエスの突きをかわす術はリッシュモンにはなかった。

 必殺の間合いに飛び込み、剣の切っ先を無防備なリッシュモンの胸に向ける。

 あと半瞬、あと少し力を込めれば奴の命を取れる。アニエスは全身のばねを込めて剣を突き出そうとした、そのときだった。突然アニエスに圧縮された空気の塊、エア・ハンマーの魔法が打ち込まれて、アニエスの体はリッシュモンまであと数サントというところで、後方に向かって吹き飛ばされてしまったのだ。

「ぐあっ!」

「隊長!」

 投げ出されたアニエスにミシェルが駆け寄って抱き起こす。幸い、少し打っただけで打撲にはなっていない。しかし、今の攻撃はなんだ? あの瞬間、リッシュモンは完全に無防備だったはず。なら、まさか!? ミシェルがそう思った瞬間、リッシュモンの背後の暗闇から、暗い男の声が響いてきた。

「やれやれ、来るのが遅いから様子を見に来てみれば……困りますね。あなたは私を聖地に送り届けるのが約束でしょう」

「ワルド! 貴様か!」

 アニエスもミシェルも、その男の顔を忘れるはずはなかった。元グリフォン隊隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、国の栄誉をになう魔法衛士隊の重責にありながら、私欲のために国や仲間を売った卑劣漢。

「久しぶりだね。アニエスくん、ミシェルくん」

 往年と変わらない、魔法衛士隊の制服で現れたワルドに話しかけられて、アニエスとミシェルは背筋に怖気が走るのを感じた。こんな奴に名前を呼ばれるだけでも気持ちが悪い。しかし、ワルドの出現は感覚とは別に、現実的な脅威が出現したことを意味していた。

「貴様、リッシュモンについていたのか?」

「ああ、処刑を待っていたところを、その親切な御仁に救われてね。恩返しもかねてネズミ退治を請け負っているのさ」

 ネズミはどちらだと、アニエスとミシェルは思った。結局は自分の欲のために他人にへばりついていることには変わらないではないか。

 ワルドは、邪魔をした自分を憎憎しげに睨み付けてくる二人を見据えて不敵に笑った。

「さて、観念してもらおうか。ミシェルくん、君はトライアングルだろうがアニエスくんは平民だ。対してこちらはトライアングルとスクウェアの組み合わせ。いかに地の利があろうと、君たちに勝ち目はないよ」

「みだりに舌を動かすな。この薄汚い裏切り者が!」

「ふっ、ぼくの目的に比べたら、トリステインもアルビオンもとるに足りないことさ。それよりも、裏切り者というならば、そこの彼女もじゃないのかね?」

 ワルドはアニエスの弾劾にも動じずに、悠然とミシェルを杖の先で指した。だが、ミシェルがワルドに言い返すよりも早く、アニエスはワルドの汚らしいものを見るような視線から、ミシェルを守るように毅然として言った。

「ミシェルを、貴様のようなクズといっしょにするな。たとえやり方が間違っていたにせよ、お前たちにミシェルの苦しみのなにがわかる……過去になにがあろうと関係ない。ミシェルは、紛れもなく私の部下だ……我々銃士隊の仲間だ!」

 その言葉には、一辺の迷いもためらいも存在しはしなかった。

 アニエスの気迫に押され、ワルドは「うぬぅ」と思わず後づさった。

「酔狂な女だ。裏切り者を仲間とはね。ならば、その大切なお仲間といっしょに地獄に送ってあげよう」

「貴様ごときにできたらな」

「強がりはよしたまえ。確かにこの狭い空間では、僕の特技の偏在は役に立たないけれど、それでも君たちごときを倒すには充分だ。魔法衛士隊を、平民の寄せ集めの銃士隊といっしょに考えないでくれたまえよ」

「言ってくれるな……だが、貴様こそ我らをなめるなよ」

 再び剣を構えなおしてアニエスは立った。そんな彼女を見て、リッシュモンはあざ笑う。

「馬鹿な女だ。頭に血が上って平民は貴族に、トライアングルはスクウェアに敵わないことを忘れているらしい。ましてワルドくんは元グリフォン隊の隊長だぞ」

 すっかり自信を取り戻し、傲慢に笑うリッシュモン。だが、ミシェルはそんなリッシュモンに、喉から響く笑い声で答えた。

「ククク……」

「……なにがおかしい?」

「いや、さすがはわたしがバカだったころに従ってた人だ。以前のわたしと同じ、曇った目しか持っていない」

「なに?」

「戦いの勝敗を決めるのは、魔法の有無でも、メイジのランクでもない。そんなものは、見せ掛けの強さでしかないと、わたしはある男から教わった。本当の強さというものは、どんな強敵が相手でも、恐れず立ち向かえる勇気があるかどうかということ……いくら強力な魔法が使えようと、自分の力にうぬぼれた貴様らなど、恐れるに足らんさ!」

「ふっははは! どうやら貴様は英雄歌劇の見すぎのようだな。なんとも青臭い脚本だ!」

 引きつったように聞き苦しい笑い声をあげるリッシュモンに、しかし笑われたミシェルは哀れそうな表情を見せると、杖に続いて剣を抜き放った。

「どうかな? ……隊長」

「ああ、やるぞミシェル」

 同じ二人でも、自分たちと貴様たちでは二人の意味が違う。笑いたいならいくらでも笑え、それを今証明してやる。

 誰にも聞こえぬ開幕のベルが鳴り響き、アニエスとミシェルが走り、リッシュモンとワルドが呪文を詠唱する。

「ふふん、馬鹿め」

 リッシュモンは馬鹿正直に突っ込んでくるアニエスとミシェルを見て口元を歪め、隣にいるワルドと視線をかわして杖を振った。狙いは二人ともミシェルのほう、敵にとって唯一のメイジであるミシェルを始末すれば、残った平民の剣士など恐れるに値しない。

 たちまち放たれた風と炎がからまりあって、灼熱の熱波となってミシェルに向かう。得意の土壁で防御しようとも、スクウェアとトライアングルの融合のこの魔法は、そんな防御などは突き破ってしまうだろう。

 しかし、アニエスもミシェルも、リッシュモンたちがそういう戦術で来ることくらいはあらかじめ読んでいた。アニエスがミシェルにのしかかって地面に引き倒すのと同時に、

ミシェルは地面に錬金をかけて泥に変え、勢いそのままに飛び込んだ。一瞬後、アニエスの背中の上を摂氏数百度の熱風が通り過ぎていくが、火のメイジであるリッシュモンと戦うことを想定して、マントに水袋を仕込んでいたアニエスには熱波は

届かずに、そのまま素通りしていった。

 一方、攻撃を放ったリッシュモンとワルドのほうは勝利を確信していた。

「二人揃って燃え尽きたか、少し力を入れすぎてしまったようだな。あっけないものよ」

「苦しまずに死ねたのですから、幸せというものでしょう」

 強力すぎる魔法は二人から視界を奪い、目標に当たったときの手ごたえも失わさせていた。いや、それよりも先に今の攻撃に耐えられるわけはないという思い込みが、アニエスとミシェルの姿が消えたことへの警戒心を麻痺させた。

 その隙に、二発の銃声が闇を裂く!

「ぐわぁっ!」

「ぬおっ!?」

 肩を射抜いた痛みにリッシュモンとワルドが気づいたとき、そこには泥まみれの姿で、防水加工をした銃を両手に構えたアニエスがいた。

「きさっ」

 ワルドが反応するよりも早く、今度はミシェルが銃を撃ってリッシュモンの右手とワルドの腹に命中させる。命中率の悪いマスケット銃の片手撃ちでも、目標まで十メイル未満にまで接近すれば二人の腕ならば充分に当たる。

「だから言ったろう。自分の力にうぬぼれている貴様らなど、恐れるに足らんと」

「この距離なら、速攻性は銃のほうが勝る。平民の武器だからとあなどったな。その傷では満足に杖も握れまい。覚悟はいいか」

 弾切れの銃を放り出し、剣を握りなおした二人の剣士。

 リッシュモンとワルドは痛む傷口を抑え、「おのれ平民が、卑怯な手を使いおって」と毒ずくけれど、それこそ自分たちの敗因だということに気づいていない。

 そう、魔法も剣も銃も、威力こそ違えど戦うための武器でしかないことに変わりはない。そして武器である以上、それを扱う人間によって生きもすれば死にもする。あのとき、リッシュモンとワルドが油断せずに本気だったら、アニエスの奇襲に気がつく余裕があったはずだ。

 それでもワルドはこんな奴らに負けるはずはないと、撃たれていない腕で杖を握って呪文を唱える。しかし、二発銃弾を受けて精神の集中が乱れている状態では、抜き撃ちの早さではアニエスに敵わず、手の甲を撃たれて杖を取り落とした。

「ぐぁっ!」

「無駄な抵抗はよせ、晩節を汚すぞ」

 冷酷に言い放ったアニエスの剣が正確にワルドの喉元を狙う。

 リッシュモンも、落とした杖をミシェルの錬金で土に変えられ、魔法を使えなくされていた。

 抵抗する術を失ったワルドとリッシュモンに、アニエスとミシェルの剣が狙いを定める。

「ワルド、貴様には以前ミシェルを傷つけてもらった借りがあったな。ミシェル! リッシュモンはお前に譲る。両親の仇を討て!」

「はっ!」

 振り上げられたアニエスとミシェルの剣が、数え切れないほどの歳月で積み重ねられた憎悪の全てを込めて振り下ろされる。

 だが、追い詰められながらもリッシュモンは撃たれていない腕を懐に忍ばせ、内ポケットにしまった”ある物”を取り出していた。

 それは、内部に緑色の液体が込められた小さな筒状のガラスで、針とピストンがついている。すなわち注射器であり、リッシュモンはミシェルから見えないようにマントの影にそれを隠すと、針の先端をワルドの背に向けた。

 

”大口の割に役に立たない奴め、貴様ごときに使うのはもったいないが、やむを得ん”

 

 心の中で吐き捨てたリッシュモンは、力のままにワルドの背に注射器を突き刺した。

「ぬぁっ!?」

 突然背中に走った激痛にワルドはのけぞった。同時に、予想外の事態に驚いたアニエスとミシェルも反射的に後ろに飛びのく。

 ワルドは自分がリッシュモンに何かを打たれたことに気がつくと、すぐにリッシュモンを振り払った。しかしそのときにはすでに、リッシュモンは注射器の中身をすべてワルドに注入し終えていた。

「貴様! 俺になにをした!?」

「フフフ……」

 毒でも打たれたのかと慌てたワルドが問い詰めても、リッシュモンは薄ら笑うだけで答えない。しかし、変化は早急に、残酷に始まった。

「リッシュモ!? うっ、がぁぁぁっ!」

 突然襲ってきた激しい胸の痛みに、ワルドは胸を押さえて悶絶した。

「き、きさ……」

 しゃべろうとしても、痛みで喉も震えて声も出てこない。アニエスとミシェルは獣のような叫び声をあげてもだえるワルドを、なにがどうなっているんだと呆然として見つめた。

「あっ、がぁぁっ!」

 とうとうワルドの意識が苦痛に耐えられなくなってきたのか、人間のものとは思えない叫び声があがる。しかもそれだけではなく、ワルドの体が雷光のようなスパークに包まれだしていく。リッシュモンはそんな様子に戦慄しながらも、満足そうにつぶやいた。

「フフフ、さすがあの方のくださった薬だ。こんなに早く効き始めるとはな」

「薬だと!? リッシュモン、貴様ワルドになにを打ったんだ?」

 危険な予感にアニエスが叫ぶように問いただすと、リッシュモンは空になった注射器を見せ付けるように、得意げに説明した。

「私に力をお貸しくださっているあるお方からのプレゼントでね。君たちのようなネズミが目障りになったときに使えとおっしゃられたのだ」

「前置きはいい! 早く言え」

「クク……こいつの名は確か『濃縮エボリュウ細胞』とかいったな。これを移植された生物は、能力を飛躍的に増大させることができるが、ある副作用がある。これは、その副作用を特化して改良したものだそうだ。その副作用とは……ふはははは! これはすごい」

「な……」

 歓喜するリッシュモンと、愕然とするアニエスとミシェルの前で、ワルドは人の姿を失っていった。

 全身の皮膚が岩肌のように硬質化し、腕も四本爪の鍵爪に変化、さらに巨大な頭部と長い尻尾を持った怪獣の姿へと変身してしまったのだ。

 もはや人とは思えないうなり声をあげて、ワルドがエボリュウ細胞で変化してしまった怪獣は鍵爪を振り回して暴れ始める。

「ふははは! 打ち込んだ生き物を怪物に変えるというのは本当だったか。聞いていたより小さいが、まあ生まれたばかりならば仕方あるまい。役に立たない男だったけれど、捨て駒としては上出来だよ」

「リッシュモン、貴様というやつは!」

 哄笑するリッシュモンを、アニエスとミシェルは憎悪を込めた目で睨んだ。

 この男にはいったい、人の血は通っているのだろうか? ワルドも確かに憎むべき敵ではあったけれど、こいつは自分の安全のために平気で他者を怪物に変えてしまった。

 人の皮をかぶった悪魔というものがいるとしたら、まさにそれはリッシュモンのことだろう。そして奴は、自らが怪物に変えてしまったワルドに、犬にするように命じた。

「さあ、我がしもべエボリュウよ。お前は私の言うことだけは聞くようになっているはずだ。その虫けらどもを殺してしまえい!」

「リッシュモン……お前は、人間じゃない!」

 怒りを込めて、アニエスとミシェルは道を塞いでいるワルドの変異した怪獣・エボリュウへ切りかかった。

 だが、エボリュウの皮膚は鋼の剣さえ通らず、逆に鍵爪の一撃を受けてしまった二人は吹き飛ばされて土の床に転がった。

「ミシェル、大丈夫か!?」

「はい……しかし、あいつの体は剣では切れません」

「見かけ倒しではないということか。しかし、奴を倒さねばリッシュモンへは届かん。私が奴を引き付ける。その隙に魔法で仕留めろ」

 剣がだめであったら、それしか二人には打つ手はなかった。

 鍵爪を振りかざして襲ってくるエボリュウの攻撃を、アニエスは剣で受け止める。しかし、エボリュウのパワーは片腕だけでもアニエスの全力を上回っており、こらえきれずにアニエスは靴底を削って後ずさりさせられた。

「くぁぁぁっ!」

 まるで猛牛の突進を受け止めたようだ。アニエスの全身の筋肉がきしみ、鋼鉄の剣さえ曲がりはじめているかのように思える。

「隊長! あぶない!」

 アニエスの危機を見て取ったミシェルが助けに入ろうとする。エボリュウは片腕だけでアニエスを押さえ込んでおり、無防備なところを反対の腕で殴られたらひとたまりもない。だが、アニエスは加勢を跳ね除けて怒鳴った。

「馬鹿者! 今がチャンスだ。早く撃て!!」

 一時の情にほだされて機会を失うなと、軍人として冷静な部分がアニエスに叫ばせた。ミシェルははっとして、反射的に杖の先をエボリュウに向けて呪文を唱える。しかし下手に強すぎる呪文を使えばアニエスも巻き込んでしまうために、精神の集中は巧緻を極めた。

『錬金!』

 上下左右の土壁から鉄の槍が飛び出してエボリュウに突き刺さる。土系統のメイジはランクが上がるに従って、より希少価値が高く上質な金属を作り出せるがゆえに、トライアングルクラスのミシェルの作り出した鉄は単純な硬度と考えればチタニウムにも匹敵するだろう。

「やったか!?」

 動きの止まったエボリュウを、アニエスとミシェルは息を呑んで見上げた。さしもの異形進化怪獣も、三十本近い槍に貫かれたらこれまでかと思われ、じっと動く気配を見せない……だが。

 アニエスとミシェルが気を抜いたその一瞬の隙に、エボリュウは全身の槍を振り払うと、鍵爪の一撃で、二人をまとめてなぎ払ってしまった。叩きつけられて倒れたアニエスとミシェルの口の中へ、胃液とともに濃い鉄の味が広がってくる。

「うぁ……っ」

「ミシェル……しっかりしろ!」

 アニエスは壁に背中を打ち付けて激しく咳き込んでいるミシェルを助け起こした。

 なんという奴だ。あれだけの魔法を受けて無傷に近いとは、小さくてもあれはまさに怪獣だ。

 奴の後ろからはリッシュモンの高らかな笑い声が響いてくる。

 しかし、あきらめるわけにはいかない。アニエスに支えられ、立ち上がったミシェルは荒い息の中でつぶやいた。

「負ける……もんか」

 

 

 続く


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