ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第14話  傷の記憶

 第14話

 傷の記憶

 

 うろこ怪獣 メモール 登場

 

 

 六千年間、ハルケギニアという土地は大きく分けて五つの国によって統治されてきた。

 アルビオン、ガリア、ロマリア、ゲルマニア、そしてトリステイン。

 始祖ブリミルの血を引く王家の治めるアルビオン、ガリア、トリステイン。

 都市国家の集合体であるゲルマニア、もっとも小国ながら始祖の教えを伝えることで宗教的に四国の上に立つロマリア。

 それらの国が様々に絡まりあうことで平和が保たれてきた。

 けれども、どんな世界のどんな国であろうと統治するのが人間である以上、その暗部でなされることには地球と比べてもなんら変わりはしない。

 ゲルマニアでは、現皇帝アルブレヒト三世が親族すべてを幽閉して皇位につき、アルビオンではレコン・キスタの内乱が集結したばかり、ガリアでも現国王ジョゼフ一世が弟を暗殺したことは公然の秘密となっている。それはむろん、トリステインも決して例外ではない。

 現在でこそ王女アンリエッタの手腕の元で権力の集約と浄化がおこなわれているが、数十年前、名君と呼ばれた前々王フィリップ三世の死後は、ひとつの暗黒時代といってよかった。たがが緩んだ中で賄賂、脅迫、裏切りが貴族のあいだで日常のようにおこなわれ、その中で大勢の人が地位や財産、あるときは命までも失ってきた。

 だが、そんな醜い争いの影で犠牲にされてきた罪のない人々を、いくら闇に葬ったとしても、彼らはそれを忘れることは決してない。

 ある日突然、父を、母を、家族を奪われた子供は、いったい誰を憎み、どうやって生きていけばいいのだろう……

 

 

 夏の終わりの冷たい雨が降るある日、コルベールの研究室の掃除を手伝っていた才人は、突然やってきたミシェルを迎えていた。

「えっと、とりあえずこれで体を拭いてください」

 才人はコルベールの荷物の中から取り出したタオルを、ずぶ濡れのミシェルに差し出した。

「ありがとう」

 受け取ったミシェルは、それを使って濡れた顔や体を拭いていった。本当は着替えるのが一番なのだろうが、あいにくこの小屋にそんなものがあるはずがないので、掃除の最中に見つけた小さなストーブに火を入れた。

「これでよしっと……それにしても、よくおれがここにいるってわかりましたね」

「正門で会った教師に尋ねたら、ここにいると聞かされた」

「ああ、コルベール先生と会ったんですか。いや、それよりもアルビオン以来ですね。お元気……」

 そこまで言いかけて、才人は自らの配慮のなさに失望を覚えた。このひどい雨の中、銃士隊の制服でもないぼろを着て、雨具もなしにやってきたミシェルがただならぬ状況にあるのは、少し考えればわかることだ。

「なにか、あったんですか?」

 尋ねると、ミシェルは才人に向かって小さくうなずいた。

 ともかく、濡れた服のままでは体に悪いので才人が毛布を手渡すと、ミシェルは羽織っていたぼろを脱いで、その下に身につけていた質素な肌着の上から毛布をまとった。そのとき、わずかに触れたミシェルの手は、まるで氷のように冷たかった。

 才人は、すぐにでも話を聞こうと思ったのをやめて、椅子を引いて彼女をテーブルにさそった。ミシェルは黙って椅子に腰掛け、才人もその小さな木製のテーブルの反対側に座ると、ついさっき自分が飲もうとしていたお茶でもてなした。

「えーっと……どうぞ、粗茶ですが」

「……」

 テーブルに二つ置かれたティーカップから、温かな香りが立ち上って鼻腔を快く刺激する。

 とはいっても、女の子を自分の部屋に招きいれたことなんかない才人は、お茶の香りなんかわからないくらいに内心どぎまぎして、心臓の音が大きく高鳴っていた。

 

 やべ……この人こんなにきれいだったっけか?

 

 間近で顔を見ると、アルビオンで彼女を背負ったときのちょっと恥ずかしい記憶が蘇ってくる。なにせ普段はコルベールが研究台として使っているテーブルなので、二人が向かい合って座ったら、軽く手を触れ合えるくらいに顔が近づいてしまうのだ。

 

”ルイズやシエスタもそうだけど……女の子って、いい匂いだよな”

 

 そんなことを考えている場合ではないのはわかっていても、男というのは悲しい生物である。第一、才人より年上といってもミシェルもまだ少女と呼んで充分な若々しさがある。おまけに、それでもうミシェルの吐息が顔にかかりでもしたら、初心な才人が我を失うには充分すぎるくらいであった。

 どうしよう、時間が経ったからお茶は苦くなってるんじゃないか? というか、お茶菓子でも出したほうがいいのか? いやそんなものないし、というよりもなんと言って話を切り出せばいいんだ? ああ、思えばルイズやキュルケやシエスタは黙っていてもあっちから好き放題しゃべるから苦労しなかったけど、こっちから話しかけるにはどうしたらいいんだろうか。

 才人は久しぶりに自分がなぜ地球にいた頃もてなかったのかを思い出した。

 でも、本当の男と女……いいや、本当の信頼というものはそんな上っ面だけのものではない。

 ミシェルは才人の淹れたお茶を無言で口に運んでいたけれど、やがて中身を飲み終わるとティーカップをおいて、口元に微笑を浮かべた。

「ありがとう。おかげで体が温まったよ」

「あっ、はい!」

 その一言で才人はようやく我に返ると、自分もお茶を飲み干した。でも慌てて飲んだせいでむせてしまい、それで笑われてしまうと、ほんの少しなごんだ空気が二人のあいだに流れた。

「よかった。てっきりしばらく会わないうちに人が変わったのかと思いましたよ」

「変わらないさ。いや、曇っていたわたしの目を覚まさせてくれたのはお前だ。もうわたしは昔のわたしに戻る気は無いよ」

 両者は顔を見合わせると、ようやくそろって微笑みを浮かべた。

「お茶、もう一杯いかがです?」

「いただこう。こんなものを飲むのも久しぶりだ」

「あの……アルビオンのあとで、アニエスさんのところに帰ったんじゃなかったんですか?」

 才人が尋ねると、ミシェルはもう一杯注がれたお茶の温かさを確かめるように答えた。

「いや、形式上私は戦死したことになっているからな。銃士隊でも私の生存を知っているのは隊長しかいない。私は、死んだことになって密かにトリステインに残ったレコン・キスタの残党や、王家に不満を持つものたちの動向を調査していた」

「それで、そんな格好を?」

「そうだ。この姿なら貴族どもは汚いものと目を逸らすからな。それに、これが私の本当の姿のようなものだ……」

 自嘲的につぶやいたミシェルに、才人は以前聞いたミシェルの過去の話を思い出すと、苦しげに首を振った。

「昔は昔、今は今でしょう。少なくとも、おれは今のミシェルさんがどんな人なのかを知ってます。格好なんか、どうだっていいでしょう」

 たとえ相手がどんな姿をしていようと、変わらない態度で接する。そうでなければ、地球人はいつまで経っても宇宙の仲間入りを果たすことはできない。かつてババルウ星人は、人間は相手を外見で判断する愚かな生き物と言ったという。才人は、正しい答えになったかはわからないが、少しでもミシェルを元気づけたかった。

「おれたちの部屋に行きましょうか? もう少し経てばルイズたちも帰ってくるし、なにか困ったことになってるんなら、キュルケやタバサも力になってくれると思いますよ」

 けれどミシェルは静かに首を横に振った。

「いい、わたしはお前に……お前だけに、会いに……会って、別れを言いに来たんだ」

「わ、別れ!?」

 思いもよらない言葉に仰天した才人に、ミシェルは事のあらましを説明した。

「ああ、我々が内偵していた不平貴族たちの一団が、今晩あたりにでも決起するとの情報がはいった。これをつぶせば、もうトリステインに王女殿下に反抗する勢力は無くなる。けれど、それだけに奴らも窮鼠と化してくるだろう。手だれのメイジや傭兵を相手に、生きて帰れる自信は無い。だから、その前に一目お前に会いたかった」

「なに言ってるんですか! だったらなおのこと、助太刀させてもらいますよ」

 テーブルを強く叩き、上半身を乗り出した才人の目には強い闘志が宿っていた。あのときと同じ、苦しんでいる人を放っておけないウルトラの誓い。でも、ミシェルはそれを受け入れることはできなかった。

「いや、これはレコン・キスタを利し、不平貴族たちを肥えさせてきたわたしがケリをつけなければいけないことなんだ。お前たちを巻き込むことはできない」

「そんなこと関係ねえよ! おれたちは、何度もいっしょに戦った仲間だろ!」

「すまない。でも決めたことなんだ……それよりも、死地に赴く前に、お前にだけは話しておきたいことがあるんだ」

「おれに、だけ?」

 不思議な顔をした才人に、ミシェルは胸に手を当てて少し照れくさそうにした。

「アルビオンで、裏切りが発覚して処刑されるわたしを、お前は……お前だけは血を流してまでかばってくれた。もう生きる価値もない、ゴミクズのようだったわたしに、生きる希望をくれた。あのときから、お前の存在はわたしにとって太陽だった」

「そんな……おれなんか、ただ自分の気に入らないことのために暴れただけです。最後に生きる決断をしたのは、ミシェルさんの勇気ですよ」

 誰かを救いたいとは思っても、自分を救世主だなどとは才人は考えたことはなかった。他者への愛は崇高でも、それに快感を覚えては他者愛は自己愛になり、醜悪なエゴイズムに転落する。

 でも、才人はミシェルに頼ってもらえたことは素直にうれしかった。ルイズがそばにいるときと同じように、胸がカァッと熱くなり、どこか幸せな気持ちになってくる。

 ミシェルは、そんな邪心の一欠けらも無い才人の照れ顔に、心の鍵を外した。

「勇気か……でも、その勇気をふるいおこしてくれたのもサイトだよ。お前は遠い国から来たそうだが、お前の国の人はみんなそんなに優しいのかな?」

 才人は軽く首を横に振った。

「おれの国にだって、いい奴も悪い奴もいますよ。ただおれは、小さいころから何度も世界を救ってくれたウルトラマンたちにあこがれて、あんなふうに人を助けられるヒーローになりたいなと思ってきただけです」

「ヒーローか……わたしにとってそれはまさしくお前だったよ。闇に沈んでいっていたわたしを引きずりあげてくれた……サイト、わたしにとってお前こそがウルトラマンだよ」

 ミシェルはそう言うと、手を伸ばして才人の手を両手のひらで包み込んだ。すると、手のひらを通じて才人の体温が冷え切っていたミシェルに伝わっていく。

「サイトの手はあったかいな……」

「えっ! あっ、え!」

 こんなときにどう反応すればいいのかわからない才人は、無様にうろたえるしかなかった。

 でも、二人っきりで心の扉を開いて、はじめて会ったときとは比べ物にならないくらい穏やかな笑みを浮かべられるようなったミシェルは、この上なく優しく才人に語り掛けた。

「自覚がないなら何度でも言うぞ。サイトは、わたしにとって本物のヒーローだよ。こうして、わたしの手のひらを暖めてくれるように、サイトはわたしの心に火を灯してくれた。だから、もっと誇りを持て、お前は本物の……ウルトラマンだよ」

「ミシェルさん……」

 才人の心にとまどいに代わって、じんわりとした温かさが染み入ってきた。

 そうか、おれはこれまでウルトラマンAの力を借りてみんなを守ってきたつもりだったけど、ちょっとだけ……ウルトラ兄弟と同じことができていたのか。

 才人は、ミシェルにとって自分が特別な存在であることを自覚したのと、少しだけ夢がかなった思いで、ささやかな幸福感をミシェルと共有した。

 けれど、才人の笑顔に小さな勇気をもらったミシェルは、才人の手を離すと目を閉じて、ゆっくりと……静かに言葉をつむぎはじめた。

「なあ、サイト……わたしが昔、貴族だったということを覚えているか?」

「はい。確か、十年前に」

「ああ、そうだ……十年前、あのころのわたしは十を少し超えただけの、子供だったな……」

 とつとつと告白をはじめたミシェルの話を、才人はじっと黙って聞いた。

 

 十年前、それまでは法務院の参事官だった父のもとで、何不自由なくすごしていた。けれど突然父に身に覚えのない罪が着せられ、地位は剥奪されて財産も失い、両親は失意の中で自ら命を絶ち、あとには一人自分だけが残された。

「ここまでは、前にも話したな」

「はい」

「その後はひどかった。屋敷から追い出され、自分の杖まで奪われて、魔法も使えなくなったわたしは、国中をさまよった……人のものを盗み、ものごいをし、ゴミをあさったり……生きるためにはなんでもやったさ」

「……」

 才人は何も言うことはできなかった。それを体験したこともない者の慰めやはげましが、なんの効果もないことぐらいは知っていたからだ。

「でも、子供がいつまでも一人でそんなことで生きていけるはずもない。やがて官憲に捕まって牢獄に入れられることになった。いや、牢屋の中で出た食事のほうが、ゴミの中のパンよりもうまくて、情けなくて涙がでたのを覚えているよ」

 才人は聞きながら、できる限りの想像力を動因してその情景を思い浮かべようとした。腐肉をあさる野良犬のような生活、町の人からは石を打たれて追われ、夜は物陰で一人震えて眠る……自分なら、一週間も耐えられそうもない。

「でも、牢屋に入れられたってことは、そこで働かされるようになったということじゃないんですか?」

 日本の刑務所をイメージして才人は尋ねた。だが、ミシェルは首を横に振ると、さっきよりもさらに苦しそうな様子で話を続けた。

「いや、わたしにとって本当の地獄はそこからだった……知っているかサイト? 牢獄というところは、いつなんどき囚人が死のうと事故や自殺で片付けられる。それを利用して、その監獄の署長はある商売をしていたんだ」

「商売?」

 なんのことかわからないと怪訝に問い返す才人に、ミシェルは皮肉な笑いを浮かべて答えた。

 

「奴隷売買だよ」

 

 その瞬間、才人の体温は零下にまで下がった。「えっ?」と、聞き返そうとした言葉も凍りついた喉から発せられることはない。

 奴隷……現代日本ではすでに絶滅したはずの、忌まわしすぎる単語。才人は何度も聞き間違いではないかと、自分の耳を疑って記憶を推敲するが、ミシェルは愕然としている才人へ追い討ちをかけるように、小さな唇を動かしていく。

「いまから七、八年ほど前……勢力を伸ばしつつあったガリアの人攫いたちは、この国の役人と結託して人身売買をやっていたんだ。それでわたしも売られ、トリステインのある豪商のもとで働かされることになった……」

 それから先の告白は、才人にとって何度耳を塞ごうかと思ったほどの壮絶な告白だった。

「子供の奴隷は大人と違って、安くて言うことを聞かせやすいから、そこではわたし以外にも大勢の子供が働かされていた……そこは、いわゆる金貸しだったのだが、借金のかたに取り立てられてきた荷物を運ぶために昼夜を問わず駆り出される日々……できないものや失敗したものは容赦なく殴られ、食事もわずかなパンとスープしか与えられず、みんなやせ衰えていた」

「……」

「当然、脱走するものもいたけれど、弱った体で、しかも子供の足で逃げ切れるはずもなく、みんな捕まった。それで、奴らはほかの子供たちが逃げようなんて気を起こさないよう見せしめとして皆の前で拷問にかけるんだ。生爪をはがしたり、焼けた鉄棒を押し付けたり、手足をしばって犬をけしかけたり。それで死んだものも大勢いる」

「ひどい……ひどすぎる」

「朝起きたら、隣で眠っていた子が冷たくなっていたこともある。いっしょに働いていた子が、突然倒れて血を吐いて、そのまま死んだことも何度もあった。そのたびに、やつらはゴミを扱うようにつまんで捨てると、また子供を買ってきて働かせるんだ」

「狂ってる! 人間のやることじゃねえ!」

 怒り、怒りしかありはしなかった。人間は欲のためにそこまで残酷になれるのか、そしてなぜそんなクズのために、なんの罪もない子供たちが犠牲にならねばならないのか。身を焼くような憤怒の中で、才人は歯を食いしばった。

 過去の世界を闇から引き出すように、ミシェルの独白は続く。

「そんななかで、わたしは生き残った。生きていたのかどうかわからない毎日だったが、体だけは生きていた……けど、わたしが十六歳のころ、店に運ばれてきた荷物の中に、偶然わたしの屋敷で使われていた家具や美術品が混ざっていたんだ」

 当然、自分は必死になってその荷物をあさったとミシェルは言った。ただ懐かしさにとりつかれたから……だけではない。そこに、もしかしたらあるかもしれないと思ったからだ、貴族だったころの自分を象徴していたもの、魔法の杖が。

「結果をいえば、あったよ。荷物の底に紛れるようにしてな。そのままだと、間違いなくゴミとみなされて処分されていただろう。わたしはこっそりと、懐に隠して持ち帰り、記憶を頼りにして魔法を試した」

「それで……?」

「できたよ。時間は経っても、わたしの杖はわたしの杖のままだった。でも、魔法が使えたとしても、当時のわたしはドットに過ぎず、逃げ出したとしても生きていく術などはなかった……でも、それからしばらくしてのことだった……」

 そこまで語ると、ミシェルは口をつぐんで、テーブルの上でうつむいてしまった。

 才人は口を閉ざしたミシェルの顔をじっと眺めていた。こんな顔は自分もしたことがある。例えて言えば、小学校のころにクラスメイトにいじわるをされたことを両親にうったえようとしたときか……あのとき、言うべきかどうか迷っていた自分を、両親は決意がつくまでじっと待っていてくれた。だから才人もせかしてはいけないと思い、黙ってミシェルのティーカップにお茶を注いで、自分もじっと押し黙って待った。

 それから、時間にすれば多くて数分だろうけど、二人にとっては数時間に匹敵した沈黙が流れた後で、ミシェルはティーカップを掴むと、すっかりぬるくなってしまっていたお茶をぐっと飲み干した。

 どうしようか……ミシェルはこのとき、才人に続きを話そうかと迷っていた。心を許していても、これから先の話を語るのは、身を切るような苦しみがともなうだろう。

 だから、ミシェルは最後に才人の気持ちを確かめることにした。

「サイト……頼みがあるんだ」

「なんです? おれにできることなら、なんでも言ってください」

 才人はにっこりと笑って答えた。そこに一切の他意はなく、ミシェルは才人のそんな純粋な優しさを感じ取って、最後の決意を固めて立ち上がった。

「ミシェルさん?」

 突然自分の横に立ったミシェルを、才人ははっとして見上げた。そして、差し伸べられた手を握って立ち上がると、まっすぐに目と目を合わせて見つめあった。

「これから先のことは、隊長にも、誰にも話したことはない。お前がはじめてだ……おぞましい、吐き気がするような……それでも聞いてくれるか?」

「はい」

 強く、一点の曇りもない返事を才人は返した。

「ありがとう……なら、これから見せるものを、決して目を逸らさずに見てほしい。わたしの、本当の姿を……」

「え……?」

 ミシェルは、怪訝な表情をした才人から離れると、後ろ向きに一歩、二歩と歩いて立ち止まった。

 マントのように羽織っていた毛布がスルリと床に落ち、灰色の粗末な肌着を肩からまとっただけの肢体があらわになる。

「えっ!? ちょっ」

 才人はとまどい、つばを飲み込んで見入ってしまった。ルイズの着替えは手伝うし、キュルケに下着姿で迫られたこともあるけれど、彼女たちとはまた別に、薄布一枚に包まれただけのミシェルの体は贅肉の欠片もなく、かといって筋肉で固まっているというわけでもなく、女神像のような崇高さを漂わせていた。

 しかし、恥らうように才人に背を向け、肌着の肩紐に手をかけたとき、ミシェルは目をつぶり、強く歯を食いしばった。

「見てくれ……これが、わたしだ」

 そして、最後に残った薄布が床に落とされ、一糸まとわぬ姿となったミシェルの裸体がさらされたとき、才人は息を呑んで目を見開き……言葉にならないうめきをもらした。

「あ……な……」

 それは、才人の想像したようなものではなかった。

 薄明かりの中で、ぼんやりと浮かび上がったミシェルの後姿はシルエットだけで見れば、均整のとれた芸術品のようなプロポーションを持っていた。

 しかし、灯りに照らし出された背中……本来なら、純白のキャンバスのように彩られているはずのそこは、到底数えきるなどはできないほどの傷跡で、ズタズタに埋め尽くされていたのだ。

「う……その、傷は……」

 あまりのむごたらしさに、才人は思わず口を覆い、額に大粒の汗を浮かばせた。

 それまで肌着で覆い隠されていたが、ミシェルの肩から臀部にまでいたる無数の傷跡は、銃士隊の訓練や戦闘による負傷などでは絶対になかった。才人もハルケギニアで何度も剣をとって戦ったからわかる。ほとんどの傷は刃物による裂傷や刺し傷ではなく、ひも状のもので強く殴られたことによるみみずばれの痕……つまり。

「鞭の傷……?」

 自分にもルイズに乗馬鞭で叩かれた傷跡があるのですぐわかった。しかし、ミシェルの背に刻まれたそれは、深さや大きさが才人のものよりはるかに大きい。

 ミシェルは、才人の言葉にこくりとうなづくと、背を向けたまま苦しそうにしゃべりはじめた。

「これが……わたしが生き残った代償さ……実はな、奴隷になってから数ヶ月経ってから後のことは、あまりよく覚えていないんだ。考えるのをやめて……人形にならなければあの地獄では生きていけなかった」

 才人は歯軋りした。心を殺さなければ生きていけないほどの地獄……それがどれほどのものだったのか、想像の及ぶ余地などなかった。

「でも、今でもときどきふっと思い出すんだ。背中を炎で焼かれているような痛みを、わたしを怒鳴って、嬉々として鞭を振り下ろす男たちの顔を……はは、はははは」

「……」

「だが、そんな地獄のある日……仕事を終えて奴隷小屋に戻ろうとしていたわたしを、その商家の息子が呼び止めた。自分の部屋に来い、そう言われたらしいが、疲れきっていたわたしはそのままふらふらと、言われるままについていった。そこに……なにが待っているかなんて想像もせずにな」

「え……」

「ふふふ、男が女を部屋に連れ込む。だったらすることはわかるだろう? なあ!」

「ミシェルさん?」

 突然ミシェルの声が抑揚を失ったことに、才人は背筋に冷たいものを感じた。

「ひひひ、その息子も例に漏れない下種野郎だったよ。部屋に入るなり、わたしの手を掴んでベッドに押し倒したんだ! あははは」

「ミシェルさん! どうしちゃったんですか!?」

「ああ、あのときのことは今でも夢に見るよ。なんでも、いつのまにか十六歳になっていたわたしのことを、前々から狙っていたらしい。ひっひ、笑っちゃうだろ。脂ぎった顔を上から近づけて、よだれを垂らして笑うのさ」

「ミシェルさん! ミシェルさんってば!」

 慌てた才人が駆け寄り、肩をつかんで激しく揺さぶってもミシェルはいっこうに反応する様子を見せない。才人は気づいた。このときの記憶は、ミシェルにとっても心の中に固く封印されていた、開けてはならないパンドラの箱だったのだと。

「もちろんわたしは暴れたよ。でも、やせ衰えて疲れきった体じゃかなわない……奴隷の服を破り捨てられて、さんざん殴りまわされたあげくに奴は言ったのさ。「奴隷のくせに主人に歯向かうな、お前はモノなんだ。いくらでも代わりがきくんだから、せいぜい壊れる前にボクを楽しませろ」ってな!」

「もういい……もうやめてください」

 狂ったようにわめき散らすミシェルのあまりの痛々しさに、才人はとうとう耐えられなくなった。しかし、才人の必死の呼びかけも、今のミシェルには届かない。

「あはは……そのとき、わたしの中の何かが壊れた……隠し持っていた杖を取り出して……あとは、あとは」

「言うなーっ!」

「……気がついたら、わたしは血の海の中に一人で立っていた……馬鹿息子はもう形も残ってなくて、周りにはわたしを苦しめてきた男たちの死骸も転がってた。それからわたしは、奴隷の仲間たちのところに帰って行ったんだけど、あの子たちは、全身に血を浴びた、裸のわたしを見て言ったのさ……化け物ってね!」

 あとはもう、壊れた楽器のようなけたたましい音がミシェルの喉から流れ続けた。

 才人はどうすることもできずに、ただ自分の無力を歯を食いしばって嘆いていた。だが、突然ミシェルは笑うのをやめると、才人に向かって大きく手を広げて、自分の裸身を正面から見せつけた。

「なあサイト、見てくれよ。わたしの体はどこもかしこも傷だらけさ。あのごみための中で、ボロボロに汚されきってしまって、おまけに血を浴びたにおいも全身に染み付いてる。わたしは、お前の考えてるような女じゃない……こんな醜い女なんていないだろ?」

 それが、ミシェルの心を今でも縛っている錆付いた鎖だと才人は知った。

 ミシェルの全身には、普通の女の子ならば大切に守られていなければならない乳房からへその周り、太ももにまで傷がまだらのように刻まれている。だが、それにも増して深い傷、奴隷だったころの記憶が亡霊のように彼女を苦しめている。

 だから、才人はこぶしを握り締めた。彼女の苦しみに気づいてやれなかった無力な自分、何の罪もない少女にこうまで残酷な運命を押し付けた世の中と悪党ども、そして……過去の鎖に縛られて未来に手を伸ばせないで、必死で助けを求めに来たミシェルに向けて、ありったけの怒りを込めてこぶしを振り下ろした。

 

「この、バカ野郎ーっ!」

 

 才人のパンチはミシェルの顔面をとらえ、大きくはじけた音を部屋に響かせた。むろん、才人の腕力程度では鍛えぬいたミシェルには通じないけれど、才人の気迫はミシェルをよろめかせ、床の上に崩れ落ちさせた。

「誰が、ミシェルさんを醜いって言った! 誰がミシェルさんをバカにした!? そんな傷が何百何千あったって、ミシェルさんが別の何かになったりはしない! もしそんなことを言う奴がいたら、おれは絶対にゆるさねえ。たとえ、ミシェルさん自身だったとしてもな!」

 痛むこぶしを握り締めながら、才人は思いのすべてをぶっつけた。そうして、魂のすべてを叩きつけるしか、できなかった。この人は、もう一生分の不幸を使い果たしている。過去に囚われていてはいけない。未来に幸せを見つけなければいけないんだ。

 ミシェルは、床に腰をついて、殴られたほおを抑えながらぼんやりと才人の顔を見上げていたが、やがて相貌を崩すと、大粒の涙と大きな声をあげて泣き始めた。

「うっ、うわぁあん! あああっ!」

 うずくまって、幼児のようにミシェルは泣いた。過去のすべてを、自分の中の闇を全部涙に変えて流してしまいたいかのように泣いた。彼女にとって、一番恐ろしかったのは自分の隠してきた姿を知られて、才人に嫌われてしまうことだったのだ。たった一人、闇の中に手を差し伸べてくれた才人がいなくなったら、また一人ぼっちになってしまう。

 でも、そんな心配は無用だった。才人は、確かに力も技も、人格もなにもかも未熟な少年である。けれど、たった一つ、どんなことがあろうとも苦しんでいる人を見捨てることはできないという、ウルトラ兄弟が地球に残していった心の遺産を受け継いでいる、ミシェルが願っていたとおりの、本当のヒーローだったからだ。

 泣きじゃくるミシェルを、才人は今度は守るように優しく抱きしめた。生まれたままの姿のミシェルの体は、まるで蝋人形のように冷たく、手を離したら、そのまま崩れ落ちてしまいそうにもろく才人は感じた。

「あなたにどんな過去があろうと、おれはあなたを卑下したりしない。あなたを傷つける奴がいたら、おれがぶっとばす。だからもう、自分で自分を傷つけるのはやめてください」

「ぐっ……ひぐっ……ほ、本当にいいのか? こんな、血と泥に汚れきった奴隷のわたしを、サイトは……」

「ミシェルさん、血で汚れてるんだったらおれも似たようなものですよ。でもね、血で汚れたものを、唯一きれいにできるものがあるとしたら、それは涙だとおれは思います。悲しい過去に苦しむのに、おれに真実を打ち明けてくれたのは、おれを信じてくれたからでしょう? 人を信じる。こんな貴いことができる人の流した涙が、血の汚れなんかに負けることは絶対にないですよ」

「サイト……」

「もうあなたは鎖につながれた奴隷なんかじゃない。今度は、おれが言いますよ。自覚がないなら何度でも、ね。ミシェルさんはきれいです。誰よりも、おれが保障します」

「サイト……ありがとう……ありがとう」

 ミシェルは才人の首に手を回すと、ぎゅっと抱きしめた。才人もそれに応えて、ミシェルの背中を強く抱きしめる。すると、ミシェルの瞳からまた涙がぽろぽろとこぼれだした。でも、今度のそれは悲しみの涙ではない。喜びの、安堵の、感謝の、愛の涙だった。

「サイト……お前に会えて、本当によかった」

「おれも、あなたに会えてよかった」

 それは、ミシェルの心を長年に渡って縛りつけ、苦しめてきた鎖がついに朽ち果てて切れた瞬間だった。

 やがて、才人の体温が移って温まってきたミシェルから、ほのかな甘い香りが漂ってきて、才人は顔を赤らめた。冷静になると、今生まれたままの姿のミシェルが腕の中にいるとわかると心音が高鳴ってくる。

 同時にミシェルも、才人の温かさをさえぎるもののない全身で受け止めると、今度はそれを才人に返したくなって、才人の腕の中から離れると、決心したように言った。

「なあサイト……アルビオンでの夜で、トリステインに帰ったらキスの続きをしようって言ったのを覚えているか? これが最後になるかもしれないなら……わたしの、わたしの初めて、もらってくれるか?」

 ミシェルは才人の手を取ると、自分の胸元へといざなった。才人は、一瞬衝動にかられたが、腹に力を込めて手を引っ込めると、ゆっくりと首を横に振った。

「いや、遠慮しておきます」

「どうして? わたしは、わたしじゃあ駄目なのか!?」

「違います。そんな、現実から逃げるような理由で、ミシェルさんの大切なものをもらうわけにはいきません。それに……おれはルイズが好きだ。あいつを裏切るようなことはできない」

 ミシェルは悲しそうな顔を浮かべ、しばらくするとやや寂しげな笑みを浮かべた。

「お前は、本当に優しいな。ミス・ヴァリエールよりも早く、お前に会いたかった」

「すみません」

「謝ることはないさ。わたしは、お前のそんなところに救われたのだから。でも、大好きだよサイト……この世の中の誰よりも、お前が、一番」

 切ない声で思いを告白したミシェルの思いに、才人は応える術をもたなかった。だから、せめて最後にと二人はどちらからともなく唇を重ねあい、離れた。

「サイト……ありがとう」

 ミシェルは穏やかに笑うと服を身につけ、才人と並んでベッドに腰掛けた。

 そして、過去の出来事の最後を語った。

「あのあと、屋敷を逃げ出したわたしは、裏町を転々としながら魔法で脅したり、奪ったりしてなんとか生き延びた。しかし、やがて衛士の手が伸びてわたしは捕らえられ、主人殺しのとがで牢獄に入れられた」

 ミシェルの口調は今度はしっかりとしていて、才人はじっと黙って聞いていた。

「あとは裁判を受けて……といっても、主人殺しは死刑に決まっているから裁判など形だけのものだ。だが、そのとき裁判長だったのが、高等法院長のリッシュモンで、奴はわたしの素性を知ると助命を申し出てきたのさ」

 それから先のミシェルの話し方は、まるで吐き捨てるかのようだった。

「当然、わたしは喜んださ。はじめて父の無実を信じてくれる人に巡り合えたのだからな。そしてわたしは奴に引き取られた。温かい食事も、普通の人間が着るものも、風雨にさらされずに眠れる場所も与えられてわたしは有頂天だった。そして奴は言ったのさ。「今この国は腐っている。君の父上の無実も、君が奴隷に落ちたのも、全部国が悪いからだ。実は私は有識ある人々と国境を超えて手を組んで、腐った王政を打倒する組織に組している。どうかね? 共にご両親の仇を討ってみないかね」とな!」

 才人は、激昂するミシェルの手をぐっと握り締めた。

「……もちろん、わたしは一も二もなく喜んで従ったさ。体と魔法を鍛え、学を身につけて、騎士としてアニエス隊長にとりいった……あとは、知ってのとおりさ。だが、今にして思えばはじめからわたしを道具にするつもりだったのだろう。それに、あとから知ったことだが、お前が以前に銃士隊に報告してつぶさせた人身売買組織の元締めもリッシュモンだった! わたしから家族を奪い、わたしの人生をめちゃめちゃにしたのは、誰でもないリッシュモンだったのだ!」

 怒りと、悔しさからミシェルはベッドにこぶしをつきたてた。

 なにも知らないうちに道具にされ、操り人形にされ、自分にとって本当に大切なものを奪う手助けをさせられそうになっていたのだ。

 

 才人は、ミシェルの境遇を聞いて、地球で過去に起こったある事件を思い出した。

 それはドキュメントZATに記載されている。あまりに悲しい出来事。

 

 今を去ること五十数年前、地球から一人の幼い少女が姿を消した。

 けれど数十年のときが流れたある日、その少女は幼馴染であった宇宙科学警備隊ZATの北島隊員の元に成長した姿を現した。

 北島隊員とその少女・マリは短い時間だが幸せなときを過ごした。

 しかし……実は、マリは地球侵略を狙う惑星帝国ドルズ星の凶悪宇宙人ドルズ星人によって拉致され、ZAT基地を破壊するための尖兵として改造されていたのだった。

 北島隊員にとりいってZAT本部へ侵入を試みようとするマリ。だが本部の厳しい警備の規則に阻まれて入場を拒否されても、信じようとしてくれる北島隊員やZAT隊員たちの優しさに触れて、すんでのところで我に返ることができた。

 だが、ドルズ星人の埋め込んだタイムスイッチは容赦なく、彼女を醜いうろこ怪獣メモールへと変えてしまう。

 火炎を吐き、暴れまわるメモールはもう以前のマリではなくなっていた。

 立ち向かうZAT隊員たちや、ウルトラマンタロウ。

 メモールは火炎や長い尻尾、吸盤状の右腕から放つ赤い煙幕を使ってタロウと五分の戦いを繰り広げる。対してタロウもアロー光線で隙を作り、反撃に転じて形勢を有利に展開するものの、必殺のストリウム光線を撃つことはできなかった。

 なんの罪も無い少女を、侵略のための生物兵器に変えてしまうとは、戦いながらタロウは卑劣なドルズ星人に怒りを感じたが、憎きドルズ星人はM88星雲の星に隠れて、決して自分は姿を見せることはない。メモールを元の姿に戻してやることはできず、かといって殺してしまうこともできない。やるせない思いを抱きながら、ただただ宇宙のかなたに送り出してやるしか、タロウにもしてやれることはなかった。

 それは、数ある怪獣事件のなかでも、どうしようもなく救われなかった悲劇として記憶されている……

 

「似てるといえば、似すぎてる……」

 才人はミシェルに聞こえないようにぽつりとつぶやいた。何の罪も無い人間を道具にし、自分は決して手を汚さない奴は、悪党の中でも最低の部類に入る。ミシェルも、真実に気がつくのが遅れていたら、メモールのように使い捨ての道具として終わっていたかもしれない。

 でも、まだ間に合う。そんなクズのいいようにさせてはならない。メモールの悲劇を繰り返してはならないと、才人は強く決意した。

「どうしても、復讐はするんですか?」

「ああ、恨みや憎しみだけじゃない。わたしや、なんの罪もなく死んでいった奴隷の子供たちのような存在がこれ以上生まれないためにも、あの男だけは始末しなければならないんだ」

 復讐はなにも生まない。才人はそう思ったけれど、顔も見たこともないリッシュモンという男に、自分でさえ激しい怒りを覚えるのを思えば、きれいごとを言う気にはならなかった。

 それに、奴隷貿易の元締めであるリッシュモンと一味を倒せば、その機に乗じてトリステインから奴隷制を一掃できるかもしれない。奴隷……人が人を物として扱う、これほどおぞましいことはない。だが、才人の故郷である日本だって、太平洋戦争時くらいまでは貧しい農村が娘を女郎に出す人身売買が横行していた。また、つい近代になるまでアメリカが黒人奴隷を使っていて、そのときの差別が今でも強く尾を引いているのは誰もが知っている。決して、ハルケギニアが、トリステインが特別なわけではないのだ。

 しかし、そのためにミシェルが命を落としてはなんにもならない。だからこそ、才人はウルトラマンA、北斗星司の記憶も借りて、ひとつの昔話を静かに語りだした。

「昔、おれの国でも超獣に父親を殺された少年がいたんです」

 そして、二人はしばらくのあいだ穏やかに語り合い、やがてトリスタニアに戻らねばならない時間がやってきた。

「じゃあサイト、わたしは行くよ」

「わかりました。アニエスさんによろしく」

 くどくどしい別れの言葉はなく、ミシェルは着てきたぼろに才人から借りた雨具をかぶせて、なお強く降り続く雨の中に消えていった。

 

 

 才人は、小屋の軒下からしばらくミシェルの去っていった方角を見つめ続けた。

 だが、閉じたドアに寄りかかって物思いにふけっているところに、横合いから声をかけられて振り向くと、そこには桃色の髪の少女が立っていた。

「ルイズ……いたのか」

「ええ」

 才人はルイズの声色で、ここでなにがあったのかルイズは知っていることを悟った。

「どこから見てた?」

「さあ、想像にまかせるわ」

「そうかい……」

「言い訳はしないのね」

「ああ、煮るなり焼くなり好きにしてくれ」

 二人だけで会っていたことは事実なのだから、どう言おうと無駄だ。それに、たとえ相手がルイズでも、ミシェルの過去の秘密は絶対に言えない。

 でも、ルイズは表情を変えずに、鞭も杖も取り出すことはなかった。

「怒らないわよ。あんたの性格くらい知ってるわ。言い訳しないってことは、あんたは自分のやったことや言ったことに、なんの負い目も感じてない。後ろめたいことがないからでしょう。なら、わたしが怒るのはお門違いってもんだわ」

「へぇ、こりゃ雪でも降るかな」

「馬鹿なこと言ってんじゃないわよ。さぁ夕食にいくわよ。ミスタ・コルベールも、この雨で退去期間が伸びたから、片付けの続きは明日でいいそうだからね」

 けれど才人はルイズの言葉には従わず、雨具をとるとルイズに背を向けた。

「わりいけど、晩飯と明日の朝飯はいらないってシエスタに言っておいてくれ。ちょっと野暮用ができた」

「どこへ行く気?」

「世間一般で言うところの、大きなお世話ってやつかな」

 才人の言葉が何を意味しているのか知ったルイズは、軽くため息をつくと止めても無駄だと思った。

 授業が終わって寮に戻ってみたら、才人がいなかったのでデルフリンガーに行き先を聞いてみて来たのだが……まったく、こいつはどこまでも優しすぎる。ほうっておくと、すぐに別の誰かのところに行ってしまう。

 でも、そんな才人だからこそ、ルイズは誇らしさで胸が熱くなるのを感じていた。

 

 

 続く


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