ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第13話  涙雨の日

 第13話

 涙雨の日

 

 宇宙調査員 メイツ星人

 巨大魚怪獣 ムルチ

 巨大魚怪獣 ゾアムルチ 登場

 

 

 いやな雨……

 いったい、いつまで降り続けるんだろう……

 雨が、やまない……いつまでも……いつまでも……

 

 

 その日、トリステインは夏の終わりを告げる長雨にさらされていた。

 太陽は朝から黒く立ち込めた雲にさえぎられ、いつもは高台に聳え立つトリステイン王宮が壮麗な美しさを誇る首都トリスタニアも、行き交う人はまばらで、王宮のバルコニーから街を見下ろす王女アンリエッタの顔にも、笑みはない。

「まるで、この世界が死んでしまったようですわね……」

「殿下、風雨が強くなってまいりました。お体にさわりますので、室内にお入りください」

「ええ……」

 アンリエッタはその声に従って、自らの執務室に戻るとガラス戸を閉めた。

 室内は薄暗く、ときたま差し込んでくる雷光が、部屋の中でアンリエッタにひざまずいている二人の人影を照らし出していた。

 一人は、鎧と鎖帷子に身を包み、貴族のマントを羽織った金髪の女騎士アニエス。もう一人は、頭からすっぽりとかぶったぼろで全身を覆い隠し、わずかにすきまからのぞく口元の形で、それが女性であるということだけはわかる奇怪な風貌の持ち主であった。

 アンリエッタは、ひざまずいたままじっと自分の次の言葉を待っている彼女たちに話しかける前に、ディテクト・マジックで念入りに部屋に盗聴が仕掛けられていないかを確認すると、さらに声をひそめながら口を開いた。

「それで……その情報に誤りはないのですね?」

「はい。きゃつは、我々の捜査が身辺に及ぶにいたって、公職から追放された幾人かの貴族と連絡を取り合っているのが確認されました。近日……早ければ、今日、明日にでも行動を起こすでしょう」

 アニエスの返答に、アンリエッタは肩をすくめた。

「悲しいことですわね。わたくしはこの国を愛しています。ですから、この国を支えてきた貴族も、この国を愛していると思っていた……いいえ、思いたいと思っていたのですが」

「彼らは、なによりもまず黄金を愛するものたちです。この国が売り物になると思ったら、より高く売ることしか考えますまい」

「残念ですが、仕方ありませんね。できれば、この日が来てほしくはないと願っていましたが。しかしこの国の未来を座視して、このような者たちの手にゆだねることはできません」

 机の上に置いてあった書簡を取り上げて、アンリエッタはそこに書かれている貴族の名前を憎憎しげに読み連ねた。それは、このトリステイン王国からアンリエッタ王女を放逐し、ある高貴な身分の人物を押し頂いて新たな国を作ろうという、反乱計画の概要書だった。

 アンリエッタは書簡から目を上げると、それまでの悲しげな表情から一転して、苛烈さと冷徹さを併せ持つ目に代わって命じた。

「アニエス、この報告書に名を連ねた貴族をすべて捕縛しなさい。容赦はいりません、反抗するものは手打ちにしてかまいません」

「御意に、しかしこの首謀者に限りましては、まだ不明な点が残っていますので、あと少々泳がせたく存じます」

「不明な点?」

「はい、こやつが不平貴族どもを糾合するために用意した金銭は、彼の所得はおろか、どう賄賂を集めたとしてもまかなえるものではありません。それに」

 アニエスが言葉を止めると、今度はぼろの女が軽く頭を下げて報告した。

「わたしは、ここ一ヶ月間、きゃつの身辺を徹底的に洗いました。すると、レコン・キスタの崩壊を境に、きゃつの下へ出入りしていたアルビオン人の姿が消え、代わってガリアなまりのある人物が現れるようになったということです」

「ガリア……それが、新しいパトロンだと?」

「それはまだ不明です。ガリアと一口に言いましても、様々な組織が入り乱れております。奴は、レコン・キスタ以前からもガリアの人身売買組織と通じていました。その節での線で洗っておりますが」

「人間を売り買いする……人として、もっとも恥ずべきことですわね。わたくしは、わたくしの治世のうちでどれほどのことができるかはわかりませんが、少なくとも人身売買だけは、トリステインから一掃しようと考えています」

「ご立派なお考えです。どうか、もうこれ以上あの男のために不幸になる人が増えないように、お願い、いたします……」

 そのとき、ぼろの女の声がかすれ、顔を覆ったフードの下の絨毯に雨粒がこぼれたようなしみが落ちると、アンリエッタは彼女の前にかがみこんで、その肩を抱いた。

「あなたには、つらい役回りばかりをさせてしまって、本当にごめんなさい」

「いいのです。これは、わたしの人生で、つけなければならないけじめなのですから……」

「それは、あなたのご両親の……?」

「はい、わたしの父と母は、奴のために命を奪われました。そして、残されたわたしの人生をめちゃめちゃにした、あの男が生きている限り、両親は安心して眠れないでしょう」

 体裁を整えてはいたが、その言葉にははっきりとした憎悪と決意が込められており、アンリエッタはその意思の強さを悟った。だが、同時にそれは極めて危うく、彼女自身をも焼きかねないどす黒い炎であることも見抜いていた。

「命を粗末にしてはいけませんよ。前にも言いましたが、たとえ仇を討てたとしても、あなたが命を失えば、それ以上の親不孝はないのですから」

「は……」

 彼女は小さく答え、そうして彼女はアニエスに続いて、我々は準備がありますのでまた後刻と言い残して、執務室を退室していった。

 その後ろ姿を見送ると、アンリエッタはまた窓際に歩を進め、まるで城が海の底に沈んでしまったかのように水を流す窓に手をつくと、悲しげにつぶやいた。

「深く愛するがゆえに、逆に憎しみを捨てることができないとは、人の心とは、なんと残酷な仕組みで作られているのでしょうか……」

 王女である自分の権力をもってしても、たった一人の人間の心さえも救ってあげることができない。人の心とは、愛とはいったいなんなのだろうか……アンリエッタは、自らの知識をはるかに超えた難題に心を痛め、もし自分も愛する人を失ったら復讐に狂った人間になってしまうのだろうかと、今ははるか遠くの空で自分を思っているに違いない愛しの人の笑顔を、まぶたの裏に思い浮かべた。

 

 雨はなおも降り続き、日はとっくに昇っているはずだというのに夜のように暗い。

 普段は数多くの貴族が豪華な衣装をきらびやかに輝かせて歩く廊下も、今は人の絶えた古城のように生気がなく、そこを歩くアニエスともう一人の姿も、あたかも妖怪のような陰影さえまとっている。

「まもなく、私のはなった斥候が帰ってくる。その報告しだいだが、おそらくは今晩あたりで決着をつけることになるだろう。覚悟しておけよ」

「……」

「つらいか? いつわりだったとはいえ、お前にとって育ての親だった男だ。迷いがあるのだったら、ここで降りてもいいんだぞ」

「いいえ、迷ってなどはおりません」

「嘘をつくな。これでも人を見る目には多少自信がある。お前はまだ迷っている。だまされていたことが嘘であってほしいと、心の底でそう願っているだろう」

 ぼろの女は返事を言わず、じっとうつむいたままだった。

「気持ちはわかる。しかし、迷いはためらいを生み、命取りとなる。お前一人で死ぬのならともかく、足手まといになられたらかなわん」

 突き放すようなアニエスの言葉に、ぼろの女は立ち止まると、つぶやくようにアニエスに尋ねた。

「隊長には、迷いはないのですか?」

「ない。私の故郷、ダングルテールを焼かれて二十年、復讐の一念だけが私を支えてきた。奴の心臓に剣を突きたてるのが、私の生きる意味だ」

「……二十年」

 それほどの長い時間、練り続けられてきた復讐の念とはどれほどのものだろうか。ぼろの女は、アニエスの中に隠されたその怨讐を理解していたつもりだったが、あらためて聞くと、その長さに慄然とせざるを得なかった。

「それにな、正直なところを言うと、私はお前には来てほしくはない。私はもう、二十年間ささげてきた復讐の人生から逃れることはできんが、お前はまだ引き返せる。今日までよくやってくれた。しかしもう戦いからは身を引き、一人の女として幸せを求めてもいいんだぞ」

「そんな……わたしにだって、もうほかに行くべき場所なんて、どこにもありません」

「なら、戦うか引くか、はっきりと覚悟を決めろ。ここにいる限り、我らの行く道は修羅道なのだから」

「……」

 答えはなく、その肩が小刻みに震えているのを見たアニエスは、フードの下に手を伸ばすと濡れていた彼女のほおを指でぬぐい、静かに告げた。

「作戦開始は今夜だ。日暮れまで休暇をやる。それまでに決めろ」

「……隊長」

「行って来い。お前が今、一番信じられる、会いたいと思っている人のところへ」

「……はい」

 小さくうなずいた彼女はアニエスに一礼すると、小走りに立ち去っていった。

 外はなおも豪雨が続き、暗くかすんだ街は死んだように静まり返っている。

 アニエスは城門から、彼女が馬に乗って雨の中へ溶け込むようにして走っていったのを見送ると、彼女を救ってやれない自分の無力を嘆くように、かつて唯一自分と引き分けた一人の少年に向かって、祈るようにつぶやいていた。

「あの子は、私では救ってやることはできない。だから頼む、あの子はもうこれ以上、不幸になる必要なんかないんだ」

 雨中に歩を進めていったアニエスの背を雷光が照らし出し、やがて彼女の姿は街の闇の中に染み込むように消えていった。

 

 

 低気圧はトリステイン全土を覆い、この魔法学院とても例外ではない。

「よく降るもんだ」

 才人は女子寮のルイズの部屋で、窓ガラスに叩きつけられる雨粒を見ながら一人でつぶやいていた。今日は平日なのでルイズは昼前の今は授業中で、才人は一人で留守番だ。

 トリステイン魔法学院は、ライブキングの騒動が引いていた尾もすでに薄れ、平常を取り戻して連日普通に授業が続いている。その間、授業に参加してもやることのない才人は、ルイズが帰ってくるまでGUYSライセンスの勉強時間をもらって、毎日地球で高校に通っていた頃とは比べ物にならないほど勉強にはげんでいた。もっとも、それも最近の雨のせいでパソコンの予備バッテリーも尽き、充電用のソーラー充電器も使えないので、今ははっきり言って暇をもてあましていたのだが。

「んったく、雨雲を吹き飛ばしたりできないもんかねえ」

「まぁ、しょうがねえよ。天気だけは、これまでどんな大魔法使いだってどうにかできた奴はいねえんだから」

 部屋の中で唯一の話し相手である、インテリジェンスソードのデルフリンガーが、つばをカチカチと鳴らしながら、憂鬱そうにしている才人の退屈を紛らわせようと話しかけてきた。

「空を晴らすのは魔法でも無理か。恵みの雨とは言うが、こうも長続きするとうんざりするな」

 空はどんよりと分厚い雲で覆われ、ときたま雷鳴がとどろく冷たい雨は、今日でもう三日も降り続けている。

「まあおれっちも、湿気はさびる原因になるから嫌いだね。たまには手入れしてくれよ相棒」

「自分からさび刀に変身してたくせによく言うぜ。しかし、やることがないってのも善し悪しだな」

 長雨のおかげで、ルイズが授業中に片付けておくことになっている洗濯や掃除といった雑用もしばらくは休みになり、体を休めることができているのはうれしいが、人間……特に日本人というのは不便なもので、仕事がないとどうしてかそわそわしてしまう。

「シエスタやリュリュも今ごろは仕事中だろうしなあ。この学院で、今暇なのはおれぐらいか」

「相棒もなんぎな性質だねえ。人は人、自分は自分だろ。暇なら寝てろよ、せっかくの休みじゃねえか」

「一年中夏休みみたいなやつに言われたくないぜ。ったく」

 才人はやれやれとぼやいた。まったくもって、仕事中毒の日本人からしてみればデルフリンガーほどうらやましい身分はない。なにせ学校もない試験もない。会社もないし仕事もない。死なないし病気だってない。さぞ楽しいことであろう。できないのはのんびり散歩するくらいか。

「馬鹿言っちゃ困るぞ相棒、俺だってお前みたいな奴ばっかりならいいが、俺を手に入れた大半はろくでもないのばっかりだった。お前と違って、俺は嫌いな奴から逃げたりはできねえんだからな」

「わかってるって、デルフには前からいろいろと世話になってきたからな。ツルク星人のときやテロリスト星人のとき。ちょっと前も、ワルドと戦ったときだって、デルフがいなけりゃ俺はどうなっていたか」

 スクウェアクラスの使い手であるワルドとの戦いで、魔法を吸収するというデルフの特性がなかったら、無事に戦えたかは疑わしい。いや、そうでなくとも、常日頃から色々なことで助言をしてくれたり、戦い方を教えてくれたりするデルフには世話になっているのだ。

「……剣に向かって頭を下げる持ち主ってのも珍しいな。さすがにそこまでされるとこそばゆいぜ」

「そうか? お前はおれよりずっと年上なんだろ?」

「もう正確に何歳かなんて覚えてねえよ。つか年寄り扱いすんな」

 その一言に、才人は白髪の老人姿のデルフを想像してしまって、思わず口元を押さえた。

「ぷっ……まぁ、なにはともあれお前には何度も命を救われたな。またワルドみたいな奴とやることになったらよろしく頼むぜ」

「任せときなよって。そういやあ、アルビオンから帰ってもう一ヶ月を過ぎたのか。早いもんだな」

「ああ……」

 才人は軽く相槌を打って、あの浮遊大陸であった数々の冒険や戦いの日々を思い出した。あれ以来、ヤプールの攻勢は知っている限り一つもなく、逃したバキシムのことは気になるが、しばらくは戦力の増強をはかっていると考えていいだろう。

 アルビオンも平和になり、ウェールズ皇太子も頑張っているだろうし、ティファニアや子供たちも元気にしているだろうか。それに……

「ミシェルさん、いまごろどうしてるかな……」

 才人の脳裏に、アルビオンで別れて以来、一度も会っていない銃士隊の副長の、最後に見た笑顔が蘇ってきた。アルビオンでの戦いが終わったあとでは、しばらく身を隠すと言っていたが、無事でいてくれるだろうか。

「なんだ相棒、もう浮気の画策か? ま、あの姉ちゃんも美人だったもんなあ」

「茶化すなよデルフ。そんなんじゃねえってば」

「照れるなっての、なんつったって相棒は思いっきり抱きしめて、チューしてもらったような仲じゃねーかよ!」

「お前……それルイズのいるところで言ったら、鉄くず屋に叩き売ってやるからな」

 すんだこことはいえ、ルイズに半殺しにされるネタを思い出させて得はない。才人はデルフに念を押して、余計なことを言うなよと脅しをかけておくと、はぁとため息をついてルイズのベッドに大の字になって寝転び、目を閉じた。

「もう怪我も治ってるだろうが……無茶してなきゃいいけど」

 ヤプールがアルビオンで暗躍しているのを知って、調査で乗り出したときに偶然アニエスと出会い、死に掛けていたミシェルを見たときはどういうことかと慌てたものだ。

 でも、本当にショックが大きかったのは、意識をとりもどしたミシェルから彼女の生い立ちを聞いたときのことだ。

 幼い頃に陰謀で父と母を失い、天涯孤独の身の上となったこと。かつての父の友人で、レコン・キスタの協力者に拾われて、その恩返しと国への復讐のために銃士隊に入った……つまりは、最初から裏切り者だったということ。

 だが、その父の友人こそが父を罠にはめた張本人であり、利用されていたのだということをアニエスから聞かされ、絶望に打ちひしがれたミシェルを、才人はどうしても憎むことができなかった。

 あのときは、ほとんど自殺に近い形で背信者として処刑されようとしていた彼女をどうにか思いとどまらせることができたが、復讐の対象が国からその男に変わっただけで、今でも復讐のために生きているということには変わりない……

 最後に話をしたのは、アルビオン最終決戦の前夜だったけれど、今考えてみたらあれで終わったと思ったのは甘かったかと才人は悔やんだ。あのときに見た笑顔が、今はまた曇っているかもしれないと思うと、やりきれない思いばかりがしてくる。

「……本当に、よく降るよな」

 雨の日というものは、思い出したくないことばかりよく思い出す。

「家族の復讐……か」

 才人は、豪雨の音を聞きながら、机の上に置いてあった地球防衛軍の全戦闘記録が記載された分厚い教本の中から、ごく最近……GUYSがボガールを倒し、ヤプールの第一次侵攻を撃退してから、少し経ったときの記録を選び出し、デルフに向かって独り言のように読み上げ始めた。

 それは、地球防衛軍にとって、いいや地球人にとって決して忘れてはならない愚行の記憶を呼び覚ました事件。才人にとっても、これまで黄金色に彩られていると思っていた防衛チームと怪獣・侵略者との戦いの中で、消えない血文字で記された記憶。

 

 ある日、宇宙のかなたからやってきた一機の宇宙円盤……当時、怪獣頻出期の再来、ボガールとヤプールという強敵を迎え、つい先日も謎の大円盤群によって送り込まれた円盤生物ロベルガーに襲われたばかりの地球は当然警戒し、対怪獣邀撃衛星をはじめとした防御網を発動させた。

「そのときおれは学校にいて、教室の備え付けのテレビで、非常警戒警報を見てた。また宇宙から侵略者が来たのかよってな……けど」

 その円盤から降りて語りかけてきた宇宙人の声は、侵略者のものではなかった。

 はるか宇宙のかなたにあるメイツ星から、地球と友好を結ぶためにやってきた使節、それが来訪した宇宙人の目的だった。

 しかし、彼は同時に地球とのあいだでどうしても解決しておかねばならない問題があるとして、CREW GUYSに、かつて地球で起こった地球人と、あるメイツ星人とのあいだに起きた事実を語って聞かせた。

 その事実とは……才人はページをさかのぼり、時代をさかのぼっていく。

「最初は嘘だと思った。でも、この事件のあとでGUYSの広報部から公式の説明が発表されて、みんなが事実だとわかったのさ」

 

 才人は、ドキュメントMATに記載されている一つの悲しい物語を読みはじめた。

 あれも、こんな冷たい雨が降りしきる日だったという。

 

 今を去ることおよそ四十年前の、昭和四六年。日本の高度経済成長期。

 当時の日本は、戦後の混乱期から脱して、ひたすらに上へ上へと働き続ける反面で、公害や経済格差などの問題が強く表面化してきており、厚くたちこめたスモッグの下で人々の心にも黒いすすがかかっていた。

 そんなとき、とある工業都市の一角の川原で、寄り添うように暮らしている老人と少年がいた。

 彼らはいつからかそこに住み、老人は身寄りをなくした少年を、まるで息子のようにかわいがり、少年も老人を本当の父親のように慕っていた。

 けれど、そんな彼らに近隣住民の目は必要以上に冷たく、いつの間にかあいつらは宇宙人だという、根も葉もない噂が広まっていき、悲劇は始まった。あからさまな村八分は序の口で、ほんの一例だけでも、抵抗する術のない少年に対して、近隣の少年たちが寄ってたかって、彼を首だけ出して生き埋めにしてリンチをかけるといった、およそ人間というものがここまで残酷になれるのかと思うくらいの凄惨ないじめが加えられたのだ。

 それを、当時のMAT隊員郷秀樹はなんとか食い止めようとしたのだが、とうとう暴徒と化した住人たちは大挙して二人の住んでいた廃墟に押し寄せ、少年をかばう老人を殺害してしまった。

 だが、老人が殺されたとたん、まるで人間たちの愚挙をとがめるかのように地底から一匹の怪獣が現れて、人間たちに襲いかかった。

 巨大魚怪獣ムルチ……実は老人の正体は、数年前に地球に環境調査の目的で降り立っていたメイツ星の宇宙人で、工場の吐き出す汚水によって変異した魚の怪獣であるムルチを、人々の害にならないようにと超能力を使って川底に封印していたのだった。しかし人間たちは愚かしくも、善意の宇宙人を勝手な思い込みで悪魔と信じ、本当の悪魔を自らの手で蘇らせてしまった。

 口から強力な火炎を吐き、暴れまわるムルチに人々は逃げ惑い、工場地帯はみるみる火の海と化していった。

 結果的に、ムルチはその後現れたウルトラマンジャックに倒された。しかし、この事件は人間の愚行が招いた怪獣災害の中でも、特に醜悪で忘れてはならないものとして、MAT隊長伊吹の意向で事実のまま記録され、三十五年後にGUYSの目に止まることになる。

 しかし、ミライ隊員とのあいだで交渉を成立させかけていたメイツ星人は、まだ状況を知らなかったリュウ隊員に誤って撃たれてしまい、激昂した彼は万一の際の武力手段として宇宙船に乗せてきた怪獣を出現させた。

 巨大魚怪獣ゾアムルチ……かつてのムルチの同族を強化改造したその怪獣は、メイツ星人の怒りを代弁するかのように街を破壊していく。

 そして、攻撃をやめるように言うリュウ隊員に、そのメイツ星人は告げた。

「殺されたメイツ星人は、私の父だ」

 ゾアムルチは豪雨の中で、まるで三十五年前を再現するように暴れまわり、食い止めようと立ちはだかったウルトラマンメビウスをも寄せ付けない勢いで破壊を続けた。

 それは、三十五年前に地球人の無知と恐れが生み出し、邪悪さによって増幅された、二度とあってはならない悲劇から続いた、あまりにも悲しい復讐劇だった。

 

 才人はそこまでを話すと、つらそうに息を吐き出して、立てかけてあるデルフに話しかけた。

「おれは人間ってのが、こんなひどいことをできるのかって、しばらく夜うなされたよ」

「相棒の世界も、人間ってのは大概バカなもんらしいな。三十五年前に戦ったっていうそのウルトラマンも、よくもまあそんなバカどもを助けようと思ったもんだぜ」

「……そうだな」

 才人はデルフの言葉を否定はしなかった。もし、自分がその場にいあわせたとしたら、メイツ星人を殺した人間たちを、絶対に助けようなどとは思わなかっただろう。赤の他人の自分でさえそうなのだから、その息子の憎しみは想像にあまりある。

 想像してみると、心が震える。ミシェルの両親は、利己的な人間の欲のために破滅させられた。犯人はそのとき、喜び笑っていただろう。一方で、メイツ星人と少年を虐待した人間たちも、恐れるほかに明らかに楽しんで弱者を痛めつけていたはずだ。

 考えてみるといい。自分の大切な人が、あざ笑われながら殺されたら、平然といられるだろうか。自分なら、死んでも許せないに違いない。

「でも、復讐して誰が幸せになれるっていうんだ」

 ほんの小さくつぶやいた才人は、だからこそ今でも復讐に走っているであろうミシェルのことを思うと、悲しくてたまらなくなるのだった。

 復讐をあきらめられない気持ちはわかる。それでも、そんなことより、あの人にはもっともっと似合うことがあるはずなのだから。

 教本を握り締め、無言で固まっている才人にデルフが言った。

「なあ相棒、その話さ、父親を殺されたっていうそいつのこと、最後はどうなったんだ?」

「ん? ああ……」

 才人は我に返ると、ウルトラマンメビウスとゾアムルチの戦い。そしてメイツ星人のその後のことを話そうとした。

 しかしそのとき、突然部屋のドアがノックされて鍵を開けると、そこには才人もよく見知ったつるっぱげ頭の教師が杖をついて立っていた。

「やあサイトくん、ちょっといいかな?」

「コルベール先生じゃないですか」

 思いもよらない訪問者に、才人は授業はどうしたのかと尋ねると、コルベールは今日は午前中は私の担当の授業はないのだと答えた。

「ミス・ヴァリエールのところや、食堂のほうにもいなかったのでここだと思いましてね。お邪魔でしたか?」

「いいえ、こっちも暇してたところです。なあデルフ」

「まあなあ、長雨ってのは気がめいるもんだ。ちょうどいいところに来てくれたな、先生」

「おや、なにか話し声がすると思いましたら、あなたでしたか。インテリジェンスソード、ほおこれだけ見事な刃ぶりのものは珍しい」

 コルベールは壁に立てかけられて、カチカチとつばを鳴らしている剣を珍しそうに眺めた。

「はじめましてと言っとくか。そういえば直接話したことはなかったが、相棒の背中でけっこう噂は聞いてたぜ。確か『炎蛇』って二つ名の火のメイジだっけな。そんでもって、授業中にいろいろと珍妙な機械を持ち出してくる変わり者って聞いてるよ」

「ほぉ、私もなかなか有名だね。このあいだ披露した、火と蒸気の力で動く愉快なヘビくんはぜひ君にも見せたかったな」

 剣に向かって楽しげに話すコルベールに、才人は苦笑してかるく肩をすくめた。この先生は基本いい人なのだが、この世界にしては珍しく才人たちの世界でいう機械を作ることに生きがいを感じていて、研究者気質というのか、それに没頭すると周りが見えなくなる癖がある。

「それで先生、わざわざ女子寮まで何かご用ですか?」

「おっとそうだった。サイトくん、ちょっと悪いんだが急いで手伝ってほしい仕事があってね。今、いいかな?」

「はい、ちょうど暇してたところですしいいですよ」

 コルベールなら変な仕事はもってくるまいと、才人は快く了承すると雨具を取り出して部屋を出た。

「悪いなデルフ、話はまだ今度な。ルイズが帰ったら、よろしく言っといてくれ」

 ドアがきしんだ音をして閉められ、鍵の閉められる音がカチリと鳴ると、デルフリンガーは何かを考え込むように鞘の中に納まって、そのまま静かに動かなくなった。

 

 それから数十分後、才人はコルベールが自宅にしている小屋の中でほこりに埋もれていた。

「うっ、げほっ! げほっ! 先生、こりゃいったいなんですか?」

「ん? ああ、そこにあるのは火の力を利用して自動的に動く装置の試作品、そっちのはある村に伝わっていた古代の秘薬の製造法の写しだよ」

 コルベールは粉塵にまみれて咳き込んでいる才人に得意げに説明した。

 周りには、木でできた棚に様々な色の薬品のビンやら試験管やらが雑然と並んでおり、ほかにも古びた本がぎっしりとつまった本棚や、才人からみたらわけのわからないガラクタとしか思えないものが詰まった木の箱がいくつも置いてあって、それこそ足の踏み場もない。

「先生、発明好きもけっこうですけれど、少しは部屋を整理してくださいよ」

「いやあ面目ない。男の一人やもめというのは不精になりがちでね。でも、明日までになんとかしないと、私のせっかくの研究成果が全部捨てられてしまうんだ」

 才人がコルベールから頼まれた仕事というのは、ずばり部屋の掃除であった。コルベールは一般の教師とは違って、本塔と火の塔のあいだに掘っ立て小屋を建てて、そこを自宅兼研究所としている。でも、最近異臭と騒音に続いてコルベールが夏期休暇のあいだにあちこちから集めてきたらしいガラクタでゴミ屋敷の体までなしてきたので、教師ということで大目に見てきた学院側からも、とうとう改善命令が来たのだそうだ。

「まあ、掃除はルイズので慣れてますからいいけど、この臭いは……目と鼻につくなあ」

「なあに、臭いはすぐになれる。しかし、ご婦人方には慣れるということがないらしく、このとおり私はまだ独身である」

 聞かれもしないことまでコルベールはつぶやきながら、足元の木箱の中から、これはいる、これはいらないとガラクタを振り分けていく。

「やれやれ」

 才人は嘆息したものの、普段から世話になっているコルベールの一大事であるのでと割り切って、気合を入れなおすとほこりとガラクタの山に向かっていった。

 

 そしてそれから数時間、正午を過ぎるころになってようやくと部屋の半分ほどが片付いた。

「ふぃー、疲れた」

「ご苦労様、これだけ片付ければとりあえずはいいだろう。私はこれから午後の授業の準備をせねばならんから、君も休んでいたまえ。三・四時間ほどしたら戻るから、後は一気に片付けてしまおう」

 そう言うとコルベールは雨具を着込んで外に出て行った。

 才人は、腹も減ったことだし食堂で残り物でももらおうかと考えたが、疲れてすぐに動くのがいやだったので、コルベールが使っている質素なベッドにごろりと横になった。

「十分ほど休んだら、メシを食いに、行く……か」

 そう思って目を閉じたとたん、疲れからか強烈な眠気に襲われて、才人は深い眠りに落ちていった。

 外に降る雨はなおも勢いを衰えさせず、屋根や窓ガラスに叩きつけられる雨粒は、小屋の中に規則正しい音響となって流れていく。

 

 やがて何時間か過ぎたころであろうか……ふと目を覚ました才人は、うすぼんやりした意識の中で壁にかけられた仕掛け時計の針を目の当たりにして飛び起きた。

「いっけね! 寝すぎた」

 見るとたっぷりと一時間半は過ぎてしまっている。才人は慌ててベッドから飛び降りて、雨具に手を伸ばした。しかし、扉に手をかけようとしたところで、今の時間ではもう残り物も処分されていると思い当たると、大きくため息をついて、コルベールの研究机の椅子に腰を預けた。

「失敗したなあ……」

 寝過ごしてメシを逃すとは不覚。こんなことならさっさと食べにいっておけばよかったと才人は悔やんだが、もはや後の祭りだった。

「しょうがない、せめて水っ腹でごまかすしかないか」

 やむを得ず妥協した才人は、片付けの最中に見つけたコルベールのティーセットを取り出すと、戸棚の中から茶葉を取り出してお湯を沸かし始めた。

 しばらくすると、アルコールランプで温められたやかんから湯気が漏れ始め、ティーポットにすくって入れた茶葉から緑茶とよく似たよい香りがただよってくる。

「この匂いも懐かしいな」

 ハルケギニアではお茶は高級品にはいるが、コルベールは研究のときの眠気覚ましとして利用していたらしい。勝手に飲んで悪い気もしたけれど、これくらいはお駄賃としてもいいだろう。いい具合に沸騰したやかんを火からおろし、ティーポットにお湯をつぐと、悪臭がたちこめていた小屋の中を、芳醇な香りが塗り替えていった。

「それじゃ、いただきますか」

 充分に色が出たことを確認した才人は、いよいよカップにお茶をそそごうとティーポッドを手に取った。だが、その直前に小屋の扉をトントンとノックする音が響いて、びっくりした才人は思わずティーポットを落としてしまいそうになった。

「やべっ! 先生帰ってきたか」

 盗み飲みしようとしていたのがバレると、才人は半分パニックになって、足りない頭で隠ぺい工作をしようとティーポットの隠し場所を探した。けど、相手がいつまで経っても中に入ってこないことに、ふといぶかしさを覚えて冷静に戻った。

 おかしいな、先生だったら自分の家なのだから普通に入ってくるはずだ。ならルイズか誰かか? いや、おれの知り合いにご丁寧にノックして返事が返ってくるのを待つようなのはいない。

 尋ねてくる人間に心当たりがなかったので才人が考え込んでいると、また同じようにドアがノックされたので、とりあえず才人は出てみようとドアを開けてみた。

「はい、今開けますよ」

 ドアを開けたとたんに、外から風雨が飛び込んできて入り口付近と才人のズボンのすそを濡らした。

 けれど、そこに立っていた人物を見て、才人は立ち尽くしたまま首をかしげた。

「あの……どちらさまでしょうか?」

 相手は才人と同じくらいの背格好だが、全身にボロボロのローブのような布を羽織っていて、顔はおろか服装すらまったくわからない。まるで街角で物乞いをするこじきのようだ。もちろん才人にはこじきに知り合いはいなかったので、「コルベール先生にご用事ですか?」と、できるだけ礼儀正しく尋ねた。

 しかし、相手はゆっくりと首を振ると、やがてぽつりとつぶやいた。

「サイト」

「えっ!?」

 才人が驚いたのは突然自分の名前を呼ばれたからではなかった。その相手の声が、よく聞き知っている……ここで聞けるはずのない人のものだったからだ。

「ま、まさか!」

 才人の心に、信じられないというのと同時に期待が湧いてくる。

 そして、フードをまくって現れた、短く刈りそろえた淡く青い髪と、同じ色の瞳を持つ顔を見て、才人は自分の予測が正しかったことを知って喜色を浮かべた。

「ミシェルさん!」

 はたしてそこに立っていたのは、アルビオンで別れて以来、ずっと才人が安否を気遣ってきたその人に間違いはなかった。

 だが、才人は喉の先まで出掛かっていた再会の喜びの言葉を飲み込んだ。

「どうしたんですか!? ずぶ濡れじゃないですか」

 気づいたのだ、今彼女が身につけているものは粗末なぼろだけで、雨具すら着込んでいないこと。それに……雨粒を受けて水を滴らせる彼女の顔には、アルビオンで最後に見たときの笑顔が微塵も残っていないことを。

 ミシェルは何も答えずに、ただじっと感情のこもっていない瞳で才人を見つめてくる。

「と、ともかくそんなところにいたんじゃ風邪ひいちゃいますよ。えと、とりあえず中にどうぞ」

 才人がうながすと、ミシェルは小さくうなずいて小屋の中に入ってきた。

 閉じられた扉にまた雨粒が当たり、激しく音を立てて跳ね返る。

 魔法学院に降る雨はさらに勢いを増し、嵐の様相を見せてきた。

 

 

 一方そのころ……トリステインをむしばもうとする勢力もまた、新たな一手を進めていた。

 同じく雨の降りしきるトリスタニアの街の一角にある、チェルノボーグの監獄。

 国中から、特に凶悪犯や政治犯などが集められる、この地上に現出した冥府ともいえる暗黒の牢獄の、さらに深部の死刑囚用の独房に、一人の男が拘禁されていた。

「さて……今日で、何日目になるんだっけかな」

 窓の一つもなく、一本のろうそくの灯りでかろうじてシルエットくらいはわかる、そのカビとネズミの臭いで満たされた狭苦しい牢獄の中で、手足を赤さびた鎖でつながれてその男はいた。顔は、垢と無精ひげにまみれて見る影もなく、以前の彼を知るものがこれを見たとしたら、その凋落ぶりをあざけるとともに、憎むべき裏切り者とののしっただろう。

 元トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド、自分の国を裏切って薄汚い暗殺に自ら手を染め、あげくの果てに侵略者に操られた道化と成り果てた男の、これが報いだった。

 だが、眼光だけはまだ死んではおらず、その視線の行く先は牢獄の石壁を超えて、はるかに見果てぬ先を幻視していた。

「いつか……聖地へ」

 この牢獄に入れられた時点で死刑が確定しているというのに、ワルドはときたま神への祈りの言葉のように、その単語を繰り返しつぶやき、生きていることを自分自身に確認させるようにからからに乾いた唇を動かしていた。が、あるとき、ふとおかしな気配を感じて視線を流すと、そこにはいつの間にか見慣れぬ人影が立ってこちらを見下ろしていた。

「誰だ……?」

 看守ではないことはわかるが、元々部屋が薄暗く、しかも逆光になっていて相手の顔は真っ黒くしか見えない。ならばいよいよ死刑執行人がやってきたのかと身構えたら、その相手は思いもよらないことを言ってきた。

「聖地に、行きたいかね?」

「なに……!?」

 突然切り出された言葉に、思わずワルドが反応すると、相手は自分は敵ではないと示すように、両手をひらひらとして、素手であることを教えて見せた。

「ふふふ……ワルド元グリフォン隊隊長……かつてはトリステイン最高の騎士とまでうたわれた勇者が、ずいぶんとみじめになったものだな」

「自分の才覚にうぬぼれて、世界がなんでも思うとおりに動かせると錯覚した男の、これが末路さ。誰かは知らないが、なかなか面白い見世物だろう?」

 いまさら自分のかっこうを取り繕う気はないのできっぱりと言ってやったら、相手は面白かったのか乾いた笑いを漏らした。

「ふはは、おやおや思ったよりも謙虚ではないか」

「多少は、反省というものはしているのでね」

「よい心がけだ。しかし、このままでは君は明日にでも斬首だ。それではその反省とやらも役に立つまい。どうだね? 我々に協力するというのならば、その暁には聖地でも世界の果てでも行けるようにしてあげようではないか」

「ふん。いまさらレコン・キスタの再建か? 張子の虎の担ぎ手はごめんだね」

「いいや、我々の後ろ盾はレコン・キスタなどとは比較にもならん。それに、我々は革命を起こそうなどというまどろっこしいやり方はとらん。まずは手始めにアンリエッタを廃し、トリステインを我が物とする」

 ワルドは内心で嘆息した。目の前のこいつはアンリエッタに恨みを持つ不平貴族だろうが、あまりにも無謀な計画だ。出してくれるのはありがたいけれど、そんなものに加担したところで、処刑されるのが明日から三日後に変わったとしてもあまり意味はない。

「いったいあなた様はどこの大貴族さまだい? 王権に反逆するなど、アルビオンのバカどもの最期を知らないのかね」

「ふふ、あいにくと私は奴らとは違う類の立場の人間でね。今名乗ってもいいが、まだ知らないほうが、君もいろいろと興味が湧いてくるだろう」

「ちっ、もったいぶるやつだ。いったい、どのような大義名分があると?」

「大義名分? ふふ、君ともあろうものが、そんなものは後付でいくらでも作れることくらい承知していよう。この国には、アンリエッタのおかげで閑職にまわされ、腐っている貴族が大勢いる。それらが共謀すれば、生み出せない濡れ衣などないよ」

 確かにそうだとワルドは思ったが、その反面アンリエッタには、下級貴族や平民から取り立てられ、彼女に忠誠を誓った味方も数多いし、大多数の国民はアンリエッタに味方するだろう。そのため、不平貴族が共謀したところで数では圧倒的に負けている。なにより力といえばアンリエッタには、絶対的なジョーカーが存在しているのだ。

「子供の空想だな。一国を相手取るにしては戦力が足りなさ過ぎる。それに、仮にアンリエッタを捕縛なり殺害なりできたとして、『烈風』はどうする? あいつがいる限り、反乱軍は即座に皆殺しにあって、それで終わりだ」

「はっはっはっ! そう言うと思ったよ。だが、我々の後ろ盾は一国を相手取るにふさわしい強大さを持っている。それに、我々にはあの『烈風』に対抗するだけの力もある。これを聞けば君も心変わりをするだろう。教えてあげるよ」

 男は嬉々として反乱計画の概要を語り、それが進むに連れて、ワルドの顔に驚愕と歓喜の笑みが満ち満ちてきた。

「なんと、俺が投獄されているあいだにそこまで……面白い。俺の考えていたよりは世界は広かったということか」

「どうかね? 我々に協力してくれる気になったかね」

「いいだろう。このまま処刑台の露と消えるよりかは賭けてみる価値はありそうだ。お前たちに協力しよう」

 男はワルドの口から望んでいた回答を得ると、袖口から牢獄の鍵を取り出して、鉄格子の鍵を開けて牢内に立ち入ってきた。すると、これまで逆光で見えなかった男の顔がぼんやりとだが視認できるようになり、それが自分もよく知るトリステインの要人だとわかると、口元をゆがめた。

「そうか、まだあなたがこの国にはいましたね。確かにあなたなら、不平貴族を糾合し、国法を利用して王権を弾劾することができる」

「長く表に出ず、雌伏のときを送ってきたが、さすがにあのぼんくら王女もそろそろ私を排除しようと動き出したのでな。こちらに手袋を投げてくるなら迎え撃つまでというわけだ」

 ワルドは数えるのも飽きてしまったほど長い時間自由を奪ってきた鉄枷が床に落ちると、足の感覚を取り戻すかのようによろめきながら立ち上がった。

「で、私になにをしろと?」

「なに、私の首を狙ってドブネズミが這い回っていてね。無視してもよいのだがなにかと目障りだ。とりあえずは、勘を取り戻すつもりでそやつらを始末してほしいのだ」

 そういって、男はワルドに彼の杖を手渡すと、やがて牢内に雷鳴がとどろくような音が響き渡り、牢の扉が閉まった音を最後に静寂が戻った。

 後には、溶けたろうそくのように溶解した鉄枷が二つ、薄く煙を上げて残されていた。

 

 

 続く


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