第10話
小さなイザベラの大冒険!
誘拐怪人 レイビーク星人 登場!
「う……ここは……」
うすぼんやりした思考が徐々に覚醒していって、まぶたを開けたイザベラの目に最初に入ってきたのは、どんよりとした空間の上に、温室の天井のようなガラスのふたがかぶせられた見覚えのない場所であった。
「わたしは……?」
普通なら目が覚めたら見えるのは王族用の天蓋つきベッドの天井なのだが、これは夢の続きなのだろうか?
いや、目は覚めているはずなのだが、寝起きでどうにも頭がはっきりしない。
「えーっと」
落ち着いて、眠る前の自分の行動を思い返してみる。わたしは呼びつけた人形娘が来るまでの暇つぶしに裏町のカジノに出かけて、それで護衛とはぐれて帰れなくなって、アネットっていうなんかムカつく女と出会って……
「そうだっ!」
そこで完全に目が覚めたイザベラは、とっさに飛び起きようとした。しかし上半身も両腕も思ったとおりには動かず、がくんと反動を受けると頭を寝ていた場所に打ち付けてしまった。
「いたー……って、なんじゃこりゃぁーっ!」
自分の体を見渡したイザベラは愕然として叫んだ。なんと、自分は台座のようなところに寝かされていて、全身を透明なベルトのようなものでがっちりと固定されているではないか。
「あっ、イザベラさまも、目が覚められましたか」
「んっ? お前……アネットか」
目が慣れてくると、自分のすぐ隣にはアネットが同じように全身を拘束されて寝かされていた。
よく見たら、差し渡し三十メイルほどの半円柱状の場所に、総勢二十人ほどの人間が拘束されている。男女、子供に老人、大柄から小柄、立派な身なりのものもみすぼらしい身なりのものもいる。そこまで目に入れば、元々明晰な頭脳を持つイザベラには、それが誘拐されていた人たちなのだとすぐに理解できた。
「そうか、わたしたちはあのカラス人間に捕まって……ここはどこなんだ?」
「わかりません。周りの人も、さらわれてきてずっとここにつながれているそうで」
すまなそうに言うアネットも、イザベラよりもほんの数十分前に目覚めたらしく、ほとんど何もわからないようだった。気がついている人はほかにもいるようだが、長時間の拘束で衰弱しているのか、新入りの二人に話しかけてくるものはいない。
ならばと身をよじって暴れてみても、ベルトはびくともせずに、せいぜい手のひらで腰の辺りをまさぐるくらいしかできなかった。
「無駄ですよ。力自慢の人もさんざん試してみたそうですが、このベルトは皮みたいにしなやかで、鉄みたいに頑強なんです」
「ちっ、わたしとしたことがとんだヘマをしちまった。あいつら、絶対ぶっ殺してやる!」
体が動かない腹いせから、イザベラは思いっきり大声をあげた。周りの人間からは「やかましい」と抗議が出るが、そんなことで萎縮するようなイザベラではない。
だがそのとき、イザベラに向きかけていた周囲の人間のいらだちが、いっぺんに吹き飛ぶような悲鳴がこだました。
「うわあっ! また来た」
「なに? なにが来たって? う、うわぁっ!」
「きゃあぁーっ!」
驚いて上を見上げたイザベラとアネットは絶叫した。
そこには二人が気を失う前に見た、あの赤い眼のカラス人間が、ガラスの天井のいっぱいを占めるくらいの巨大な顔を覗かせて、こちらを見下ろしていたのである。
「ふっふっふ、誰が誰を殺すだと?」
奴は、イザベラたちが襲われたときの、人間と変わりない大きさではなく、まるで怪獣のような巨躯になっている。そのため、ささやくほどしか口を動かしていないはずなのに、カラス人間の声が内部に反響して人々の耳を痛めつけた。
そのカラス人間は、驚きとまどうイザベラたちを愉快そうな声を出して見回すと、天井をまるでふたを開けるようにして開いた。そして中に手を突っ込んでくると、イザベラの体を拘束台からひょいとつまみあげてしまったのだ。
「イザベラさまーっ!」
「うわぁっ! やめろっ! 離せぇーっ!」
襟首をつかまれて宙ぶらりんにされているイザベラは、今はカラス人間の手のひらにおさまる人形くらいの大きさにしか見えない。
「ふふふ、威勢がいいな。勇敢なお嬢さん。だが愚かだったな、我々のあとをつけたりしなければ、こんな目にはあわずにすんだものを」
「くっ……この化け物め」
普通の少女ならとても正気を保っていられず、とうに気を失うかしていただろうが、あいにくイザベラの気はそれほど弱くなく、毅然と顔を上げるとカラス人間の顔を正面からにらみつけた。
「ほお、気丈なものだな。元気があっていいことだ」
「わたしをなめるんじゃないよ。そんなにでかくなって脅したって無駄だからな!」
「カッカッカッ、まだ気づいてないのか。我々が大きくなったのではない。ほら、見てみるがいい」
すると、カラス人間はイザベラを床近くまで下ろして、壁のすきまの亀裂を覗き込ませた。
「な、なんだっていうんだ……っ! ひ……」
声にならない悲鳴がイザベラの喉から漏れた。洞窟のような石壁の隙間から現れた、赤い瞳に続いて、毛むくじゃらの不潔な体と長い尻尾を持つ動物。それは宙吊りにされているイザベラの姿を見つけると、大きく裂けた口の先から伸びた二本の前歯を覗かせてちゅうと鳴いた。
「ひゃあぁっ! ネ、ネズミ! ネズミぃ!?」
そこにいたのは、イザベラの身長ほどもある信じられない大きさのクマネズミだった。こうなるとイザベラとて女の子である。目の前に迫った生理的嫌悪感を刺激するおぞましい姿に、手足をじたばたさせて少しでも遠ざかろうとする。が、ネズミはイザベラに向かって長いひげを震わせると、牙を振り上げて飛び掛ってきた。
「いゃあぁーっ!」
しかしイザベラはネズミに食いつかれるより一瞬早く、カラス人間の顔の高さまで引き上げられて助かった。
「カッカッカッ、どうだわかったかね? 私が大きくなったのではない。お前たちが小さくなったのだ」
「て、てめぇ……いったいわたしたちになにをしやがった!?」
「カカカ、お前たちは我々の開発した物質縮小光線で、元のおよそ八分の一程度にまで縮小されたのだ。我々の重要なサンプルとしてな」
「サンプルだと……お前たちいったい何者だ。いったいわたしたちをどうしようっていうんだ!?」
カラス人間の口から聞こえてきた恐ろしげな単語に、イザベラはともすれば泣き出したくなるくらい恐ろしい気持ちを抑えて、虚勢を振り絞って叫び返すと、カラス人間は笑ったのか、喉を鳴らすと得意げに答えた。
「我々はP413星雲から来たレイビーク星人だ。いや、お前たちの文明レベルに合わせて言うなら、お前たちが一生かかってもたどり着けないような遠い土地からやってきたのだ。どうかね、わかるかね?」
こばかにするようなレイビーク星人の台詞に、イザベラは激しい怒りを覚えた。それでも小さくされたという恐ろしい事実は確かなので、ギリギリの線で理性を保って叫び返した。
「……その、レイビークセイジンが、このガリアに何の用だ!」
「カカ、我々の星にも実は君たちと同じような姿の生命体がいるのだよ。奴隷としてこき使っているがね……しかし、酷使しすぎて近く絶滅の危機に瀕している。だから、新しく労働力として、この星の人間に目をつけたのだよ」
「なんだと……」
イザベラは、気を抜いたら失神してしまうような恐怖の中で、なおも愉快そうに語るレイビーク星人を睨みつけた。
「我々はこうして様々な人間を採集して調査を続けてきた。その結果、ここの人間も奴隷として充分に使えることがわかった。この結果を報告すれば、大挙して奴隷狩りにやってくるだろう」
「ふざけるな! そんなことになればガリア軍が黙っちゃいないぞ」
「カッカカカ! お前たちの軍隊など、何万いても小さくしてしまえばいいのだ。それに、本国のほうでは奴隷狩りの調査船団の第一陣が失敗しているから焦っている。お前たちは、ある日突然空を埋め尽くす我々の大船団を見たときには、すべて終わっているのだよ」
「きさま……」
それ以上返す言葉をイザベラは失った。悔しいが、こいつらならばそれくらいのことはできるかもしれない。
「カッカカカ、では私はもう一仕事あるのでこれで失礼するよ。君たちはもうしばらく、その中で楽しんでいるといい」
そう言うと、レイビーク星人は再びイザベラを拘束台に固定して、笑いながら立ち去っていった。
残されたイザベラは、歯軋りしながら忌々しげに吐き捨てる。
「ふざけやがって、あのクソガラスども! 奴隷になんかなってたまるかってんだ!」
「ですがイザベラさま、わたしたちこのままじゃ、それこそ手も足も出ませんよ」
「うるさいっ! レイビークセイジンだかなんだか知らないが、わたしにあんななめた口叩きやがって、絶対許しちゃおかないからな」
手足が動かないので頭だけ起こしてつばを飛ばしながら、イザベラはわめきたてる。だがそれも身動きができないのでは、それこそ負け犬の遠吠えと思われても仕方がない有様である。周りに拘束されている人々からも口々に「うるさいぞ」と怒鳴られた。
「すみません皆さん。イザベラさま、皆さん気がたっていらっしゃるので、どうか」
「わたしに命令すんじゃない! 無駄口叩かず黙ってろ」
「あっ! は、はいっ!」
なんの罪も無いアネットを怒鳴りつけて黙らせると、イザベラは不貞寝するように拘束台に体を横たえた。
「この体さえ動かせれば……とにかく、元の大きさに戻らないとどうにもならないな」
しかし、イザベラにはまだ一つだけ賭けてみる価値のある手段が残されていた。
「悔しいが、あいつに頼るしか無いか……なんとか、外にこのことを知らせられれば……」
プライドが傷つくが、今この状況をひっくり返すことができるとしたらあいつしかいない。あいつに借りができてしまうのはしゃくでしかないが、このままどことも知れないところに連れ去られて奴隷にされるよりはまだましだ。
イザベラは、どうにか使えるものはないかとズボンのポケットをまさぐると、奥からカジノの景品でいただいた、あるものを引っ張り出してほくそえんだ。
一方同じころ、イザベラの行方を見失ったタバサは、最後にイザベラのにおいをかぎつけた袋小路の周辺を捜索していたけれど、足取りはぷっつりと途絶えてしまい、打つ手をなくしてシルフィードを無意味に旋回させ続けていた。
「きゅいー……お姉さま、もう帰りましょうよ。シルフィーおなかすいたのね。あのわがまま王女も、もう帰ってるかもしれないでしょー」
「だったら知らせのガーゴイルが飛んでくるはず。もう少し調べてみる」
地上を入念に見回すタバサの表情は不変だったが、内心には焦りが生まれ始めていた。イザベラの性格から、小細工をして自分を困らせようとすることはこれまで何度もあった。だが今回はいたずらにしては一人で危険な裏町を歩き回ったりと手が込みすぎている。
それに、カステルモールから聞いた誘拐事件のことも気になる。いまだに衛士隊ですら尻尾をつかめていない誘拐団、まさかとは思うがそんなものに遭遇していたら。いや、それでなくともこの一帯はリュティスでも特に治安が悪いのだ。
「もう一度最初から探しなおす」
タバサは「ええーっ!」と不満げな声を漏らすシルフィードを人目につかないところに着陸させて人の姿に変化させると、その先の道の道端で怪しげな薬の露店を開いているフードの男の前に銀貨をはじいて尋ねた。
「聞きたいことがある。わたしと同じような髪の色をした、若い女を見なかった?」
なめられないようにと、わざと杖をよく見えるようにしてタバサは尋ねた。あまり好きな方法ではないが、こういう場所では金と力がなによりものをいうからだ。
けれども店主の男は驚いたしぐさも見せずに喉からひっかかるような笑いを出すと、その質問には答えずに、売り物の中から一つの緑色の小瓶を摘み上げた。
「おや? 人探しかねぇ。それならいいポーションがあるんだが、十エキューでどうだい? トリステインの魔法アカデミーで作られたっていうやつの横流しで、探し人には極上だよ」
顔を見えないように目深にフードをかぶる男の手に握られている小瓶には、確かにトリステイン魔法アカデミーの、魔法の刻印が刻まれていた。
「……聞いたことに答えて」
「ひひ、信じるか信じないかはお客さんしだいですよ。お急ぎでしょう。こんな機会は二度とございませんよ?」
質問に答えようとせず、商品を売りつけようとする男にタバサはいらだちながらも、その視線は男の手の中の小瓶に吸い寄せられていた。
うさんくささはこの上なしだが、確かにトリステイン魔法アカデミーの名声は聞き及んでいる。もしも本物ならば十エキューは破格といえる。しかし、こんなところで油を売っている余裕は無い。どうするべきか……
そんなタバサを、物陰からじっと見つめる目があった。
「あの娘は……確か、アルビオンで……ずいぶん遠くまで来たつもりだったが、この星も案外狭いものだな」
珍しいものを見つけたかのように、ぽつりとつぶやいたその足元には、叩きのめされて、物質縮小光線銃も粉々に踏み壊されたレイビーク星人が数人、ぼろ雑巾のように横たわっていた。
タバサは、横からシルフィードにやめておいたほうがいいと忠告されながらも、買うべきか、買わざるべきかと迷っていて、その視線には気づいていない。
さて……タバサがそうして自分を探し回っているとは知らないイザベラも、そのころこのまま黙って捕まっていてはやらないぞと、脱出の算段をつけていた。
「さて……カジノの店主は本物だって言ってたが……頼むから動いてくれよ」
イザベラはズボンのポケットの中から、落とさないように慎重にそれを取り出した。出てきたのは、手のひらサイズの小さな騎士の青銅人形で、彼女はそれの背中についている盾の部分を、カジノの景品交換係に説明されたように押した。すると、騎士人形は一瞬電気が走ったように震え、イザベラの手から離れると、腰のとなりに待機の構えで生き物のように立ち上がったのだ。
「ようし、どうやら本物だったか! さあ、わたしの体を縛ってる、このベルトを切れ!」
命令が下ると騎士人形は言われたとおりに腰の剣を引き抜き、イザベラの腹の上に飛び乗って剣を振り上げ、達人のような見事な動きでイザベラの体を拘束していたベルトをバラバラに切り裂いた。
「よっし! まさか、人形娘を驚かせてやろうと思って手に入れたもんが役に立つとはね」
「イザベラさま、それは……ガーゴイルですか?」
あっけにとられているアネットに、イザベラは拘束台から立ち上がると得意げに説明してみせた。
このガリアは魔法技術が各国の中でも発達しており、特に魔法人形・ガーゴイルの製造では、貴族の子供のあいだで魔法で動く自動人形がおもちゃとして普通に流通しているくらいであるのだ。
「カジノのコイン五百枚は破格だと思ったが、さすが裏カジノだけはあるな。古代の王たちが戦争ごっこに興じたという伝説の魔法人形の複製とは、たいしたもんだ」
本当はこれを使って、タバサがやってきたらスカートを切り落としてやろうとかくだらないことを考えていたことを忘れて、手足をコキコキと鳴らすとイザベラは目の上のケースの蓋を見上げた。
「やっぱり出口なんてものはあるはずないか。だがこのくらいのガラスなら、わたしの魔法でも破れるかな」
タバサに比べたら、十分の一くらいしかないできそこないの『エア・ハンマー』でも、やってみると天井のガラスは意外にもあっさりとひび割れて、三回ほどで天井には直径五メイルほどの大穴が開いた。
「ふふん。杖を取り上げておかなかったのが、てめえらの落ち度さ。さあて……と」
これで脱走の準備は整った。天井の穴までおよそ五メイル、フライも下手くそだがあそこまで上がるくらいのことならそこまで難しくは無い。
しかし、飛び上がろうとしたところで、イザベラは必死な形相のアネットに呼び止められた。
「待ってくださいイザベラさま! わたしも、わたしも連れて行ってください」
「あん? お前なんか連れて行っても足手まといになるだけだろ。助けなら呼んできてやるから、おとなしくここで待ってろ」
ただでさえ、稚拙な自分の魔法では自分一人の身を守れるかどうかすら危ういのにと、イザベラは取り付くしまもなく、ひらひらと手を振った。だが、アネットはあきらめなかった。
「お願いです。ここから連れ出されたことのある人によれば、ほかにもこんな人間を保管しているケースはいくつもあるそうです。もしかしたらそこにぼっちゃまも……お願いです。外に出れたらあとは自分でなんとかします。囮に使っていただいてもかまいません。どうか!」
「囮ねえ……まあ、お前一人くらいなら抱えて飛べないこともないか。いいだろう、そいつのベルトも切ってやれ」
命令して数秒後には、騎士人形はアネットを拘束していたベルトも切り払っていた。
「あ、ありがとうございます」
「礼はいいからさっさと掴まれ。二人分の重さで飛ぶなんて初めてなんだ」
ぺこぺことおじぎをするアネットを黙らせると、イザベラは騎士人形をしまって、アネットに背中に掴まらせた。周りでは、「おい俺も連れてけ」と何人もが騒いでいるけれど、華奢なアネットでさえあまり自信がないのに、それより重そうな連中や、反面軽そうでも子供や老人などを連れて行っても役に立つわけが無いし、頭数が増えればそれだけ見つかる危険性も増大するので黙殺した。
「じゃあいくよ……えーっと、イル・フラ・デル・ソル・ウィンデ!」
呪文を唱えると、イザベラの体はアネットを背負ったままふわりと浮かび上がった。
おお、わたしだってやればできるじゃないかと心地よい高揚感に押し上げられるように、二人の体は天井の穴から外に出て、ケースを置いてあるテーブルのふちに立った。
「ひ、ひぇぇっ、た、高いですね」
八分の一サイズになってしまった二人にとっては、なんでもないテーブルも、高さ七、八メイルのがけっぷちと同じだった。これは魔法が使えなければロープでもなければ脱出は不可能だっただろう。イザベラは、たとえへたくそでも自分がメイジに生まれたことを感謝した。
「ぼっとしてる時間はないよ。あいつが戻ってくる前に、ここから離れないと」
イザベラはアネットを背負ったまま、テーブルの端から飛び降りた。上がるなら大変だが、降りるなら多少重力に逆らってやればいいので、数秒後には二人の体はふわりと硬い石畳の床の上に降り立った。
「よし、作戦第一段階は成功っと。ざまあみろクソガラスどもめ」
「お、お見事です。じゃあ、さっそくぼっちゃまを探しにいきましょう」
「ああん? あのな、わたしはお前が脱出を手伝うっていうから、わざわざ重い思いをして連れ出したんだぞ。なめてんのか」
「なめてなどおりません。ですが、入り口はどうせわたしたちには開けられませんし、どっちが出口かもわかりません。ならば、まずはぼっちゃまを探しながら別の出口を探すか、ぼっちゃまを助けながら脱出の方法を探すべきではありませんか?」
「お前、ぼっちゃまを探すってくだりが丸々いらないだろう。ったく、わかったよわかったよ」
うんざりしたけど、アネットのぼっちゃま第一主義はいやというほど思い知っていたので、いいかげんにしてくれと手を振って認めることにした。
まったく、聞く限りでは美点の一つも見当たらないダメ人間のくせに、こうまで献身的に尽くす人間がいるとは世の中間違っている。見つけたらとりあえず尻を蹴飛ばしてやろうと心に決めて、イザベラは歩き出した。
だが、歩き始めてしばらくも経たずに、後ろからひたひたと別の足音が大量に忍び寄ってくるのを感じて、二人はそおっと振り返ってみた。するとそこには今の二人にとって、レイビーク星人よりも恐ろしい悪魔が大挙して整列しているところだった。
「あ、そうだった。下には、こいつらがいたんだった……」
「きゃーっ! ネズミーッ!」
悲鳴をあげる二人に向けて、視界を埋め尽くす、飢えたネズミの大群がいっせいに襲い掛かってきた。人の足では逃げ切れるはずはなく、鋭く研ぎ澄まされた犬歯が、イザベラとアネットの柔肌を食いちぎろうと迫ってくる。
「ちぃっ!」
しかし、アネットは死を覚悟してもイザベラはあきらめていなかった。
『ウィンド・ブレイク!』
初歩の風魔法ながら、なにも知らないままに突進してきたネズミの口の中に飛び込んだ空気の塊は、三匹まとめてネズミを吹っ飛ばした。
「す、すごいですイザベラさま!」
「いや、やっぱりわたしの力じゃここまでだ。逃げるよ!」
アネットの襟首をつかむとイザベラは全力で走り出した。後ろからは、今吹き飛ばしたネズミも加えて、十匹くらいの凶暴な猛獣が追いかけてくる。
やっぱり、並以下の威力しかない攻撃魔法では、吹き飛ばすくらいが限界でネズミにさえ致命傷を与えることができていない。こんなことなら、もう少しまじめに魔法を習っておけばよかったとイザベラは思った。だが、今は魔力より体力がほしい。
「きゃーっ! きゃーっ!」
「うるせえ! ちっとは黙って走れ」
『ウィンド・ブレイク』や『エア・ハンマー』でどうにか時間を稼ぎながら、二人は必死になって床の上を逃げ回った。けれど、普通の大きさのときでもネズミのすばしこさには手を焼くのに、人形大ではとても逃げ切れない。
どこか、身を隠せる場所はないか? 逃げながらイザベラは必死で避難場所を探した。
なお、そのときのイザベラの姿は、皮肉にも任務の途中のタバサと極めてよく似ていた。でも必死の彼女はとにかくネズミの餌食になるのだけはごめんだと、かろうじて壁にすきまを見つけて、そこに飛び込んだ。
「イザベラさま、これじゃ逃げ場がないじゃないですか!?」
「広いところじゃ逃げ切れないよ。くそっ、もったいないが……」
穴に飛び込んだ二人に向かってネズミの大群が押し寄せてくる。イザベラは、とても自分の魔法では防ぎきれないと悟ると、騎士人形を放り出して、「この穴に入ってこようとする奴を迎え撃て!」と、命令した。
「いまだ、走れ!」
騎士人形は命令に従って、穴に入ろうとしてくるネズミを剣で切りつけて食い止めてくれている。しかし大きさも数も違う上に、第一あれはカジノの景品のおもちゃにすぎない。もって数分が限度というところだろう。
「イザベラさま、この穴どこにつながってるんですか?」
「知るか! 外であることを祈れ」
どうやらレイビーク星人はリュティスの廃屋をそのままアジトとして利用しているらしく、老朽化した石作りの建物に、ネズミが作ったものと思われるこのトンネルはけっこう長く続いていた。
二人はイザベラが杖の先に作り出す小さな灯りを頼りに、右へ左へ、ときには昇ったり降りたりと繰り返しているうちに、やがてひろびろとした部屋に出た。
「ここは……」
「しっ、奴らが大勢いる」
息を殺して、二人は部屋の片隅にあるなにかのパイプの陰に隠れた。
そっと顔を出して見渡してみると、ここは元は集会所かなにかだったのか、五十人ほどが収容できる広大なスケールがあり、そこに七人ほどのレイビーク星人が集まっている。彼らは、テーブルの上に乗せられているイザベラたちが捕まっていたのと同じケースの前で、なにやら作業をしているようだった。
「どうやらここがアジトの中枢だな……あっ、あの野郎」
そのとき室内に、さっきの赤い目のレイビーク星人が入ってくると、イザベラはいまいましさからちっと舌打ちをした。
赤目の奴はほかの黄色い目の奴らに、さっきの人間の言葉ではなく、鳥の鳴き声のような声でなにやら命令して働かせている。一匹だけしゃべれることから考えても、赤目が奴らのリーダーと考えて、まず間違いはなかった。
「まずいな。よりにもよって、とんでもない場所に出ちまったぞ」
これでは下手に動けないので、イザベラは顔を出したがるアネットの髪をつかんでひっぱり返しながら毒づいた。
唯一幸いといえば、部屋に充満するカラス……レイビーク星人の匂いに恐れをなしてか、ネズミたちも穴から出てこない。だが、物陰から出ればまず見つかってしまうし、もと来た穴の先にはネズミの大群が待っているので、引くも進むも完全に行き詰ってしまった。
「イザベラさま、どうしましょう?」
「お前な、人に聞くんじゃなくてちっとは自分で考えろ。その頭はかざりか? これだから平民は」
「はい……けど、あのケースの中にも捕まった人たちがいるんですよね」
「まあ、ケースの数から考えたら、さらわれた残りの連中全部いると思っていいだろうな」
「じゃあ、あのどれかにぼっちゃまも!」
喜色を浮かべたアネットだったが、イザベラは冷たく言い放った。
「かもしれないが、わたしたちに何ができるよ。のこのこ出て行って捕まるか? ええ」
「それは……」
うなだれてしまったアネットを置いておいて、イザベラはこっそりと物陰からレイビーク星人たちの様子をうかがった。
レイビーク星人たちは二人にはまったく気がついていないようで、せわしく部屋の中を行き来している。そのため、たえず誰かが二人の隠れている場所のそばにいるので、少しも身動きすることができなかった。
それにしても、こんな役に立たない平民、とっとと見捨てればよかったのに、なんで面倒な思いをしてまで世話を焼いてしまっているのだろうかと、イザベラは思った。
「おら、ぼっとしてる暇があったら、反対側を見張ってろ。見つかるようなヘマするなよ」
それに、なんでまた王女の自分がこそ泥の真似事のようなことを……
いや……心のどこかにひっかかっていたのだが、前にもこんなことをしたことがあったような。
”イザベラお姉さま、なんかドキドキするね”
”むっふふ、おじいさまの銀婚式のドラゴンケーキなんていっても、年寄りはケーキなんか食べないんだから、こっそりいただいちゃいましょう”
”でもお姉さま、盗み食いなんかして、お父さまや伯父さまに怒られないかな?”
”ばか、だからこっそりいくんだろ。それに今のわたしはお姉さまじゃなくて、団長とお呼び。名誉あるガリア花壇騎士の団長に、将来わたしはなるんだからね”
”はい、イザベラ団長さま!”
”よろしい。ではいざ厨房へ突入するぞ。続け、エレーヌ副団長!”
そう……思い出すのも大変なほど、幼かった頃に。
部屋の中のレイビーク星人たちは、リーダーの指示に従ってケースの前でなにかの機械を操作したり、ケースを機械の中に入れたり出したりを繰り返していた。なお当然、二人にはそれらがどういうことなのかについてはさっぱりわからなかったが、やがてしたっぱのレイビーク星人たちはそれらのケースの中から一つを選び出すと、リーダーの下へと持って行って、なにやら報告した様子だった。
「なにしてるんでしょうか?」
「しっ、黙ってろ」
もしかしたら逃げ出すチャンスが来るかもと、イザベラはアネットを抑えて赤目の動きを追う。
やがて赤目のリーダーは、部下に別の仕事を命令した後で、そのケースを部屋の広いところに持って来ると、ふたを開けて逆さまにし、乱暴に上下に振って、中のものを放り出した。もちろん、中身は人間であるからケースの中からはボタボタと人間が零れ落ちてきて、うまく受身をとれたり着地できたりしたものはよかったが、着地に失敗して半数が体を強打し、激痛でうめいている姿にアネットを顔をしかめた。
「さて、人間諸君、気分はどうかね?」
赤目のリーダーは床に転がってうめいている人間たちを愉快そうに見下ろすと、人間の言葉で彼らに話しかけた。
放り出された人々は二人が見る限りでは、でっぷりと太った貴族、やせた乞食、老いさらばえた老人などがほとんどで、不思議なことにイザベラたちが閉じ込められていたケースのような、若者の姿がほとんど見れなかった。
「ふふふ、やれやれ少々元気がないか。それは残念だが諸君、長いあいだ我々の調査に協力してくれてありがとう。おかげで、必要なデータはすべて確保できた、礼を言うよ」
明らかに感謝とは程遠い口調で言う赤目の言葉に、振り落とされた人間たちの中には虚勢をはって叫ぶ者もいるようであったが、石壁にキンキンと反響して二人には聞こえない。また、逃げ出そうとしている人も、通路には別のレイビーク星人が立っていて、逃げ場は完全に塞がれていた。
「予備調査もたった今完了し、この星の人間が我々の奴隷として最適だったことがわかり、本国の同胞たちもさぞ喜ぶことだろう。しかし、一つだけ悲しい知らせがあってね」
明白にあざ笑うような声に、不吉な予感が人々に走った。
「それはね。我々は君たち人間のことを、知力、体力、瞬発力、持久力など多岐にわたって調査し、どんな労働に適するかを区分していった。けれど、中にはどの分野をとってみても使い物にならない困った人材もあってね。そういうものは、できるなら報告したくないんだ……」
いやな予感が強烈になり、見下ろされていた人々の血の気が一気に引いた。
赤目の足がゆっくりと上がり、腰を強打して動けないでいた太った貴族に影がかかる。
そして、その足が振り下ろされて、身の毛もよだつ断末魔が響き渡ったとき、イザベラとアネットは思わず目を逸らしてしまっていた。
「使い物にならない道具は、早めに処分したいだろう」
それから先の凄惨な光景を見る勇気は二人にはなかった。
レイビーク星人たちは、労働力として不適格と判断された人間たちを次々に殺害……いや、彼らにとっては山で獲ってきたイノシシから毛皮と肉を取り出して、残りの骨を捨てるのと同じような感覚で、『処分』していった。
悲鳴と断末魔が連続してこだまし、アネットも、イザベラも虚勢を張ることも忘れて、ただただ悪夢が過ぎ去っていくのを待つしかできない。
「ひぁっ、あああっ……」
「あ、あいつら、なんてことを」
イザベラも、何度もタバサを死地に追いやってきたが、間近で人の死を目の当たりにするのはこれが初めてだった。頭では、他人が死ぬことなどなんとも思いはしないと思っていても、こうして人のつぶれる音を聞いたら、精神の根源的な部分から恐怖が湧いてくる。奴らは、最初の段階から、人間を自分たちより劣る、それこそ『道具』としか見ていないのだ。
そうして、どれほどの時間……おそらくは数分も経っていないだろうけれど、二人にとっての拷問にも等しい時間が過ぎ去り、後にはまた赤目のすっきりしたような声が響いた。
「ようし、これで本星のほうには質のよいサンプルを提供できる。我々の評価も期待できるぞ」
ゴミ掃除が終わると、嬉々として赤目は部下たちに命じてまた仕事にかからせた。
二人は、恐る恐る、やつらの足元だけは見まいとしながらも、どうにか首だけは出して様子をうかがう。機材を片付けているところを見ると、どうやら奴らは撤収の準備をしているらしかった。
「しめた。これなら奴らはもうすぐいなくなるぞ」
「でも、あの人たちも連れて行かれちゃいますよ。助けなくていいんですか」
「どうやって助けろっていうんだ。お前も今の連中みたいになりたいのか! あんなやつらよりまず自分の命のこと考えろ」
実際イザベラにほかの人々を救う手段などありはしなかった。彼女の考えていたことはひたすら、ここから逃げ出すことだけで、人助けをしようなどという気持ちはさらさらない。目の前で大勢が惨殺されるのを感じて、イザベラは正気を保つために、自分以外のものを意図的に意識から外そうとしていた。
ともかく、やつらに奴隷として連れて行かれるのだけはまっぴらごめんだ。それよりも、このことを外に知らせて、レイビーク星人を迎え撃つ準備をさせるほうが先決である。小さくされた自分という証拠もあることだし、国の危機を救った英雄としてあがめたてられる可能性もある。そうしたら、これまで自分を見下してきた連中も……
元の大きさに戻れないのは仕方が無いが、それはガリアにもある魔法アカデミーで、大きくなる薬でも研究させればいい。
そんな打算を胸に秘めて、イザベラはひたすらに奴らが立ち去っていくのを待った。
しかし、人間が収められているケースを片付けていた一人が、ふと赤目にさっきの空になったケースを持って行って見せると、赤目は喉で笑ってケースに手を突っ込んだ。
「カカカ……そんなところにしがみついて隠れていたか。虫けらめ」
引き出した赤目の手には、寝巻き姿の太った少年がつままれていた。身なりからして、恐らくはどこかの貴族の子弟なのだろうが、今は赤目の言ったとおりに虫けら程度の存在感しか有していない。
彼は離せ、離せとわめいているが当然赤目はあざ笑うばかりで気にも止めていない。
イザベラは、どこの貴族の馬鹿息子か知らないが、床に叩きつけられるか、踏み潰されるか、どちらにしてもあれは死んだなと、酷薄に思った。
だが、その少年の声にぴくりと反応したアネットが、偶然こちらを向いたその少年の顔を見た瞬間、イザベラのもくろみは雲散霧消して破滅した。
「オリヴァンぼっちゃま!」
なんと、今赤目に捕まっている少年こそが、アネットが捜し求めていたオリヴァン少年その人であった。
「やめろ! 行くな」というイザベラの命令も耳に届かずアネットは走り出し、たちまち一人のレイビーク星人に発見されたアネットは集団で追い回されて、あっけなく捕まった。
「きゃあっ! やめて」
「こいつめ、どうやって逃げ出したか知らんがこしゃくな真似を。まだほかにいるかもしれん、探せ」
赤目の指示が飛び、部下たちがわっと散らばって部屋中を調べまわりはじめる。
もちろん、イザベラの隠れている物陰にも一人の捜索の手が延びてくる。
「くるな、くるな……」
祈っても、そいつの足音はまっすぐにこちらに向かってくる。ああ、こんなことになったのも全部あの生意気な平民のおかげだ。ちくしょう、ちくしょうとイザベラの心に焦りと恐怖が染み渡ってくる。
そして、うずくまっていた物陰のすきまからレイビーク星人の黄色い目が覗いたとき、イザベラは物陰から飛び出して赤ん坊のように叫んでいた。
「いゃぁーっ!」
「イザベラさま! 逃げてください」
アネットの叫びと、赤目の「捕まえろ」という声が同時に響く。
「あ、あ……」
どうすれば、どうすればよいのかといいのかという声が頭の中で反響する。こんなこと、こんなときにどうすればよいのかなど、誰も教えてはくれなかった。
世界中の時間がゆっくりになったように思え、自分に向かって手を伸ばしてくるレイビーク星人の肩越しに、赤目の手の中で締め上げられているアネットが見える。
ああ、あんなに苦しそうに、そんなことをしたら窒息してしまうではないか。
死んでしまう、殺されてしまう。誰が? アネットが、いや自分が?
助けなければ、逃げなければ。
どうすれば、どうしたらいいの?
ぐるぐる、ぐるぐると心は回る。
「うっ……あーっ!」
レイビーク星人の手が触れそうなところまで近づいたとき、イザベラははじかれるように走り出していた。捕まえようとしていた手がすんでのところで空を切る。
「逃がすな! 捕らえろ」
赤目の声が背中に響き、イザベラはアネットに背を向けて逃げた。
わたしのせいじゃない、わたしが悪いんじゃない、あいつは逃げろと言ったじゃないか、わたしは何も悪くない……
必死で自分自身に言い聞かせながら、イザベラはほこりっぽい空虚な空間へと向かって駆けた。
しかしそれより少し前、イザベラとアネットが小さな大怪獣の群れに襲われていた頃、タバサは彼女たちが捕まっている建物へ向けて一直線に飛んでいた。
「きゅい、お姉さま。そのポーション、本当にあてになるのかね?」
「今はこれしか方法がない。それよりも、見失わないように飛んで」
今タバサはシルフィードに乗って、大通りから裏町のほうへと飛んでいた。彼女たちの目の前には、肉眼では視認しづらいが、ひらひらと小さくて長い糸のようなものが風に逆らって飛んでいる。
あのとき、イザベラを見かけなかったかどうかと聞いた露天商から売りつけられた薬は、「これを探し人の体の一部、例えば髪の毛なんかに振り掛けると、その人がどこにいても、その髪の毛はその人のところに戻っていきますよ」という効果のものであった。
もちろん、これにはシルフィードはあからさまに「インチキくさいのね」と疑ったし、タバサも八割方信用していなかった。が、刻まれている刻印は偽造のきかないアカデミーの本物であったし、封もしっかりしていたので、溺れる者はわらをもつかむと十エキュー払って購入すると、ホテルに飛んで帰ってイザベラがまだ帰宅していないことを確認し、ベッドに残されていた彼女の髪にそのポーションを使ったのである。
「やっぱり、裏町のほうへと向かってる」
タバサはあのとき引き返したことを後悔していた。やはり、イザベラはあの場所で何者かにさらわれたに違いない。魔法の反応がないからと、油断したのが間違いだった。
イザベラの髪は、タバサが予想したとおりにあの袋小路にまで飛んでくると、突き当りの壁に貼り付いて止まった。
「きゅいー、またここ? やっぱりなんにもないじゃない。あの商人、やっぱりインチキをつかませたのね」
シルフィードは、なんの変哲も無い石壁を口先でこずいてわめいているが、タバサはもう疑わなかった。「どいて」とだけシルフィードに向けて告げると、石壁に向かって杖を突きつける。
「な、なにするのねお姉さま? きゃーっ!」
強力なエア・ハンマーが炸裂し、古ぼけた石壁に突き刺さる。しかし、家一軒吹き飛ばすほどの威力のタバサの魔法を受けてもなお、石壁はわずかな亀裂を生じるだけで平然と聳え立っている。
やはり、ただの石壁ではない。巧妙にカモフラージュされているが、まるで鉄壁だ。
タバサは壁の亀裂へと、二発目、三発目のエア・ハンマーを打ち込み、五発目で、ついに壁に大穴を空けることに成功した。
破砕された壁の中には、薄暗い空間がずっと続いており、イザベラの髪は、まっすぐその中へと吸い込まれていった。
「行く」
「が、がんばってなのね」
シルフィードを入り口に残し、タバサはほこりとかび臭さが漂う廃屋の中を覗き込んだ。
中からは瘴気にも似た得体の知れない気配が漂ってきて、タバサは眉をしかめた。
杖の先に、ウェンディ・アイシクルの氷の矢を幾本か精製し、臨戦態勢を整える。
しかし、覚悟を決めて内部に突入しようとしたとき、突然タバサは後ろから肩を掴まれた。
「無策に入っても、返り討ちに合うだけだぞ」
はっとして振り返ると、そこにはいつの間に忍び寄られたのか、全身を黒い服で固めた、黒髪の女性が冷たい瞳で立っていた。
続く