ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第5話  タバサの冒険  群青の狩人姫 (後編)

 第5話

 タバサの冒険

 群青の狩人姫 (後編)

 

 ハイパークローン怪獣 ネオザルス

 ウルトラマンアグル 登場!

 

 

 シャルロットとジルは夢を見ているような心地の中にいた。

 キメラドラゴンたちが……幼生体とはいえ巨大な体と、この世のものとは思えない凶悪な力を誇る怪物たちが、まるで赤子の手をひねるように倒されていく。

「あれ……は」

 しぼりだすような声を発したジルとシャルロットの前に、”彼”は陽炎のように現れた。

 深い青き体に、黒と銀色のラインをあしらい、鋭く冷たく輝く目を持った彼は、銀色のマスクを無表情に輝かせ、突然の乱入者に慌てるキメラドラゴンを悠然と見据える。

 ”彼”は、人ではなかった。かといって、亜人と呼ぶのも二人にははばかられた。

 どうしてかというならば、キメラどもによって汚染されたこの森の毒々しい空気の中で、彼のいるその場所だけは、まるで浄化されたように澄み切った空気が流れ、彼から沸き立つ風の匂いは、シャルロットに幼い頃両親に連れて行ってもらった、海原の潮風を思い出させた。

 

 そう、彼こそは多次元宇宙……無数にある異世界、パラレルワールドのその一つを守るべく、大いなる地球の海が遣わした光の化身。

 これは、その一つの世界にこれから起ころうとする巨大な戦いの序幕の、どこにも記録されることもない一幕。そこへ図らずも迷い込んでしまったジルとシャルロットは、これから起こることになる、自らの知識を超えた現象を、ただその身が有する感覚にのみ従って感じ、記憶していくことになる。

 

 彼は、自らよりも圧倒的に体躯で勝るキメラドラゴンを恐怖の欠片もなく見回した。それは相手を敵とさえ評価していない絶対の処刑宣告。そして両腕を下げ、手のひらのあいだに稲妻のようなエネルギーを放出すると、それを胸の前で合わせた手のひらの中で、輝く水の球のようなエネルギー球に変えて撃ち出した。

『リキデイター!』

 また一匹、光球の直撃を受けたキメラドラゴンが粉々に粉砕される。

 その、ハルケギニアには存在しない異質な力の前には、メイジとの戦いを想定して作られたキメラドラゴンなど、相手にもならない。

 

「わたしたちを……助けようというのか……?」

 だが、彼はジルの言葉を無視し、傷つき倒れている二人を助けるそぶりは見せずに、仲間を突然大量に失ってうろたえるキメラドラゴンたちの正面へと向かっていく。

 それを、酷薄さと見るかは、彼の内面を知るかによって変わってくるだろう。

 なぜならば、強大な力を与えられた超人といえども、その心までは変わることはない。

「もしかして……あの人?」

 シャルロットは、表情を映さない彼の顔からではなく、彼がまとった他者を寄せ付けない孤独をまとった威圧感から、彼の中に自分たちを助けてくれたあの青年と同じものを見た。

 そうだ、彼もまたあらゆる人々と同じように、怒り、悩み、苦しみ、葛藤の中で自問自答を続ける一人の”人間”であった。

 

 地球は、突如として与えた強大な力の持つ意味を、彼に教えなかった。

 その地球の真意も、また知る人間は誰一人としていない。

 ただ彼はその光をアグルと呼び、後に人々は大地の光の巨人と並び、彼をその名を冠して呼ぶようになる。

 

 ウルトラマン……ウルトラマンアグルと。

 

 そのときシャルロットは森の空気が急にどす黒く濁る感触を全身に感じ、次の瞬間森が揺らぎ、異形の群れが現れた。

「キメラドラゴン! まだ、あんなに」

 森にエサを求めて散っていたキメラドラゴンが、血の匂いをかぎつけて戻ってきた。その数は五体、生き残った三体を合わせると、総勢八体。奴らは、仲間を殺された怒りから凶暴なうなり声をあげ、数の優勢をたのんで四方からアグルを包囲した。

「まずい、いくらなんでもあの数では!」

 ジルの言うとおり、普通に考えたらこれだけの数のキメラドラゴンを相手にしたら、仮に軍の一個中隊をもってしても蹂躙されるのが落ちだろう。にも関わらず、二人を驚愕させたのは、アグルはキメラドラゴンに対して、構えるどころか悠然と直立して、片手でもって挑発するように手招きしたのである。

 怒り、屈辱……強大な力を生まれながらにして与えられ、自分以外のあらゆる生き物を恐怖させてきたキメラドラゴンたちに、はじめて他者から見下されるというあってはならない事態が、彼らから狩人としての冷静さを奪った。

 一匹が、森の中で数多い獲物を切り裂いてきた爪でアグルの首を狙って切りかかる。対してアグルは避けるそぶりさえ見せない。

 それでも、キメラドラゴンに勝利の女神は微笑むことはなかった。

 巨大な爪は、アグルの首からほんの三十センチばかり離れた場所で静止していた。むろん、爪の持ち主にそうさせる意思があったわけではない。渾身の力と、全体重に助走をかけた一撃は、確実に敵の首をとっているはずであった。ただ、そこにそえられている一本の腕さえなければ。

「あ、あの一撃を、片手で止めた!」

 防御どころか、よりつくハエを追い払う程度の無造作ぶりに、ジルは片足を失った痛みすら忘れて驚愕の叫びをあげた。が、それも続いてキメラドラゴンの巨体が突然重力から切り離されたように浮かび上がると、叫ぶことすら忘れてしまっていた。

 

「デヤァッ!」

 

 アグルが力を込めた瞬間、推定百トンはあろうかという巨体は、アグルの手の中で紙細工のように軽々と持ち上げられた。もはや、怪力などというレベルではない。

 驚愕するジルとシャルロット。いや、本当に驚いていたのは対峙しているキメラドラゴンたちであっただろう。奴らの一匹たりとて、自分がパワーで負ける、さらには持ち上げられるなど想像もしていなかったに違いない。

 ましてや、まるで風車のように振り回されたあげく無造作に投げ捨てられて、別の一匹を押しつぶし、折り重なった二匹にリキデイターが叩き込まれてとどめを刺されたときには、驚愕は狂騒へと変わっていた。

 精神の根源から湧き上がってくる恐怖を振り切ろうと、三匹が全身の頭から叫び声をあげて三方から同時攻撃をかけてくる。だがアグルはキメラドラゴンに向かって三度腕を振りかざしただけで、三匹を六つの肉塊へと変貌させた。

『アグルブレード』

 アグルの右手から伸びる光の剣。その恐るべき切れ味の前に、切られた三匹は自分が切られたということさえ理解せぬうちに、左右、または上下に両断された巨体を崩れ落ちさせた。

「強い……強すぎる」

 自然の理から外れた歪んだ生命が対抗するには、理そのものの存在であるアグルはあまりにも強大すぎた。あっという間に半数を蹴散らされたキメラドラゴンたちの生き残りには、もはや戦意などは残されておらず、これまで自分たちが恐怖させ、喜びながら喰らっていった獲物たちと同じように算を乱して逃げ出した。

 逃げられるはずなどはなかったが……

 残った三匹のうち、もっともアグルから近くにいた一匹はアグルブレードで両断された。

 二匹目は、背中からリキデイターで撃たれて粉砕された。

 三匹目のみが、アグルの手から逃れることに成功した。ただし、それは己と己の仲間が欲望のままに喰らってきた負債を一手に押し付けられて返済を強要されたような結末で……

 

 森を蹴散らし、地震と間違うばかりに大地を揺さぶり震わす、シルドロンのものとさえ比べ物にならない激震をともなう足音。

 樹海の影から姿を現す、あまりに巨大かつ凶暴な空気を撒き散らす二本足の竜の口の中に、噛み殺された最後のキメラドラゴンはいた。

 

”来たか……人間の愚かさの、その結晶め”

 

 アグルはこちらを見下ろしてくる凶悪な目を見上げて思った。

 全長七三メートル、体重七万五千トン。

 典型的なティラノサウルス型怪獣ながら、その圧倒的な筋肉質の巨躯はシルドロンさえ小さく見え、頭部に大きく張り出したとさかは暴君の冠のように猛々しく天を突く。

 かつて、異世界からハルケギニアに迷い込んだ一人の科学者が、一匹の怪獣に多数の怪獣の遺伝子を組み込み、妄念の末に完成させたものの、研究所の壊滅によって誕生を見ることなく封印されつづけてきた最強のクローン怪獣ネオザルスが、主なき世界に遠吠えをあげた。

「終わった……」

 大群を誇ったキメラドラゴンの幼生の、最後の一匹が噛み砕かれて、落ちてきたその肉片を間近で見たとき、ジルとシャルロットの心に今度こそ完全な絶望が覆った。これは、人間が敵うかどうかという問題ではない。

 だが、アグルは絶望に打ちひしがれる人間に語りかけることはなく、巨大なる敵に対しても小揺るぎもせずに数歩前に進むと、腕を胸の前でクロスさせ、気合を溜めはじめた。

「ヌォォ……」

 アグルの力が、その胸に輝くライフゲージに集中して青い輝きとなってあふれ出していく。

 そしてその輝きが最高潮となったとき、アグルは光とともに空高く飛んだ!

「トァッ!」

 舞い上がった光が天空で輝きを増し、一個の恒星と呼べるほどにまで膨れ上がっていく。あの怪獣を倒すために、これまでの人の体躯に合わせてセーブしたものではなく、アグルの力を最大限に発揮するために、光の中でアグルはパワーのリミッターを解除する。

 

 出て行け悪魔の知恵の申し子よ。この世にお前の居場所はない!

 

 光が急速に収束したと思った瞬間、真にウルトラマンとしての力を発揮できる、身長五二メートルの本来の巨体へと巨大化変身し、アグルはその中から再びその姿を現した。

 着地の衝撃で大地がめくれ、舞い上がった土砂がアグルの姿を一瞬隠す。しかし茶色いカーテンが晴れたとき、はじめて敵に対して構えをとるアグルと、アグルを本能的に倒さなければならない敵だと認識したネオザルスとの、大地を揺さぶる激戦の幕が切って落とされた。

 

「シュワッ!」

 キメラドラゴンを相手にしていた余裕に満ちた姿勢から一転し、素早く間合いに飛び込んだアグルの回し蹴りがネオザルスのあごに炸裂し、巨体をわずかに揺らがせる。しかし、製作者によって最強となることを想定されて改造されたネオザルスはその一撃に耐えて、凶暴な叫び声とともにつかみかかってくる。

 さしものアグルも、捕まればパワーでは敵わないが、組み合うことなく流れる水のように高速移動してかわし、離れた位置から飛び道具で攻撃をかける。

『リキデイター!』

 人間大のときの数十倍の大きさに拡大されたエネルギー弾がネオザルスに直撃する。けれども、キメラドラゴンならば原子にまで還元するほどに強化された攻撃も、ネオザルスの皮膚をわずかに焦がすだけでたいしたダメージにはなっていない。

 

 ファンガスの森を蹴散らしながら、アグルVSネオザルスの激闘は第一幕から第二幕にもつれ込んでいく。

 

「すごすぎる……」

 一進一退の攻防を続ける、ウルトラマンと怪獣の、どんな神話やおとぎ話にも出てこないような戦いに、シャルロットとジルは魂を抜かれたように見入っていた。

 超重量の巨体どうしがぶつかり、はたまた宙を舞って大地に舞い降り、圧倒的な破壊力を秘めた光線が乱舞する。まったく、人間の戦いなどはこれから見たら、昆虫が朽木の上で角をつき合わせているようなものだ。

 しかし、そんな小虫に等しい人間たちにも、危機はまだ去っていなかった。

 確かに、ウルトラマンアグルによってキメラドラゴンの幼生体はすべて倒された。洞窟に潜んでいたもの、森に散らばっていたもの、そのすべてを。

 ただし、子供が生まれてくるために絶対必要なものがなにか、そのことを誰もが失念していたそのときだった。暗い洞窟のそのさらに奥から、幼生体を全部まとめたよりもはるかに低くおぞましいうなり声が轟き、洞窟の入り口を岩の破片を撒き散らして破壊しながら、とてつもなく巨大なキメラドラゴンが現れた。

「キメラドラゴン! あれが親か」

「なんて大きい……図鑑と全然違う」

 二人の前に現れたキメラドラゴンは、幼生体とはまるで違った。全長だけでも図鑑にあった初期段階が十メイルだったのに、目測で二十メイル超にまで巨大化し、全身に生えた頭部の数も百では足りるまい。むろんネオザルスに比べれば小さいのだが、それはあくまで比較論でいうのであって、ここまでの巨体と異形は、もはや怪物の段階を通り越し、充分すぎるほどに”怪獣”と呼んでいいだろう。

 子供をすべて倒されて怒り狂うキメラドラゴンのオリジナルは、住んでいた洞窟を破壊しつくして外に出てきたあとで、無残に殺されつくされた子供たちの死骸を見て、一度悲しげに遠吠えをした。そして、当然のようにもっとも近くにいたシャルロットとジルに”お前たちがやったのか”といわんばかりに迫ってきたのだ。

「イル・フル・デラ・ソル・ウィンデ!」

 とっさに『フライ』を唱えたシャルロットはジルを抱えて飛びのいた。瞬発力も速度も、一人のときよりはるかに劣るが、キメラドラゴンの成体は体格が巨大で、体にいらないものをたくさんくっつけている分動きは幼生体に比べたら鈍く、二人にかわされた後も突進の勢いを止められずに、木々をへし折りながら森の中へと突っ込んでいった。

「なんて奴だ……はっ!」

 恐らく、森中の生き物を食らいつくしてここまで巨大になったのだろう。火竜は二十メイルを超えるまで成長することはできるが、それには何百年もの時間が必要とされる。成長速度まで奴は元となった火竜のそれを異常なほど凌駕している。

 シャルロットは、奴が反転して戻ってくる前に逃げようと思ったが、抱えたジルに強く襟首をつかまれて地面に落っこちた。

「げほっ! ジル、何するの?」

「あたしを置いていけ! あいつは、あたしが倒す!」

「えっ!?」

 シャルロットはジルが気が触れてしまったのではないかと思った。それは、あのキメラドラゴンこそがジルが三年間追ってきた奴に違いないが、あんな巨大な奴に、しかも切り札の”凍矢”もなしに、せめて出直すでもしないと無駄死にだ。

 しかしジルは爪で地面をかきむしりながら絶叫した。

「あいつだ! あいつがあいつが妹を食ったんだ! あいつの体から妹の首が生えてた! 殺してやる! あいつだけはあたしが殺してやるんだ!」

 シャルロットは絶句した。愛した家族をそんな無残な姿に変えられて、ジルの心がどれほど傷つけられただろうか。神という存在がいるとしたら、どうしてこんな悲劇を振りまくのだろう。シャルロットの心には、怒りよりもむしろ冷め切った悲しみが残り、変に冴え渡った頭の中で、彼女は巨体を引きずりながらこちらへUターンしてこようとしているキメラドラゴンを見据えた。

「悪魔……」

 ほかに表現のしようのない、ただこの世に存在するだけで誰かを不幸にし続ける存在。

 シャルロットは、もしこのキメラドラゴンが際限なく巨大化しつづけたらどうなるかと想像して、そら恐ろしくなった。生き物ならなんでも喰らい、頭抜けた破壊力と生命力を持ち、さらに桁違いの成長速度と、単体で繁殖する能力まで持ったこいつが、外の世界に解き放たれたら。

 あの巨人は、怪獣と戦うのに手一杯でこちらを気遣ってくれる余裕はない。いや、気遣ってくれるかどうかなんてわからない。なら、道は一つしかない。

「わたしがやる。ジルは、ここで待ってて」

「な、なにを馬鹿なことを言ってるんだい! あんたの魔法でもあれが相手じゃあ! それに第一、あれはあたしの仇だ、あたしが倒さなくちゃ意味がないんだ!」

「ううん、やる。ジルはわたしに戦い方を教えてくれた。だから、わたしがジルの矢になって、あいつを倒す!」

「シャルロット……」

 すでにシャルロットの目は、おびえ逃げる子供のものではなく、牙を持った猛獣に挑む狩人のそれとなっていた。

 

「いくよ! 化け物!」

 

 戦いの決意をその言葉に込めてシャルロットは飛んだ。

 小山のような巨体からありすぎるくらいの感覚器官でこちらを見つけ、攻撃対象に定めてくるキメラドラゴンに対して、一メイルちょっとの小柄なシャルロットは、まさに象に立ち向かう蟻同然。だが敵の見た目の恐ろしさよりも、今のシャルロットの心は大事なものを失うことへの恐怖が勝っている。その恐怖を勇気に変えて、シャルロットはキメラドラゴンの真上に飛翔し、こちらを見つめてくる数百の目へと氷弾の乱舞『ウィンディ・アイシクル』を叩き込み、奴を一瞬にして氷の剣山に変えた。

「あの子、いつの間にあれほどの魔法を!」

 驚愕にうめくジルの問いに答えることができるとしたら、その答えは『たった今』と言うしかないだろう。魔法の力は心の強さ。ジルを守るため、帰るべき故郷を守るために戦う覚悟を決めたシャルロットの力は、先におびえ、逃げようとしていたときとは同じ魔法でもその威力には雲泥の差があった。

 だがむろん、キメラドラゴンもこれしきでまいるほど甘い相手ではない。全身を覆っていた氷の刃を振り払うと、あっというまに傷口を粘土で塗りつぶすように自己再生を果たし、巨大な口から高圧の空気のブレスを吐きかけてきた。

「くぅっ!」

 吹き飛ばされそうになって、シャルロットは空中でなんとかふんばって耐えた。キメラドラゴンは火竜としての火炎のブレスを吐く能力は失われているが、この巨体であれば肺活量も絶大である。直撃されて木に叩きつけられでもしたら即死だ。

 正面からではかなわない。そう判断したシャルロットは奴の背中側に回り込もうとしたけれど、奴は全身に生えた頭の目で、常にシャルロットを捉えていて攻撃のチャンスをつかませてくれない。

 どうすれば……焦りがシャルロットの心によぎったとき、彼女の目にアグルとネオザルスの戦いが映りこんできた。

 

「セアッ!」

 アグルはそのとき自分よりもはるかに重量級のネオザルスを相手に、素早い動きで翻弄しながら戦っていたが、体格差によって格闘ではなかなか決定打を与えられずにいた。

 しかし、アグルはがむしゃらに攻撃をかけてくるネオザルスが、高い身長から重心も高いことを冷静に見抜いていた。そしてスライディングから足払いをかけて転ばせることでダメージを与え、起き上がってくる前にかかとおとしを食らわせて、さらに追い討ちをかけていく。

 

”そうか、大きいということは弱点にもなるんだ”

 

 そう気づいたシャルロットは、振り向いてこようとするキメラドラゴンの、回転の軸にしている足の腱を氷の刃で狙い撃ち、バランスを崩して倒した。

「やった! あれであいつの足も折れた」

 キメラドラゴンの肥大しすぎた体格を支えていた足は、過大な負荷に耐えられずにへし折れて、奴は左に大きく傾いて身動きがとれなくなっている。この程度の傷はあいつならばすぐに治癒してしまうだろうが、それでも攻撃するならば今だ。

『エア・カッター!』

 真空の刃がうなり、キメラドラゴンの表皮をえぐり、生えた頭を次々に切りとばす。

 傷口からは赤い血しぶきがほとばしり、返り血を受けたシャルロットの全身が青い髪を除いて真紅に染まるが、彼女はひるむことなく次のチャンスを探し、アグルの動きに呼応するように攻撃を放った。

 

『氷の矢!』

『アグルスラッシュ!』

 

 氷の矢がキメラドラゴンの喉元に、アグルの指先から放たれた小型の光弾がネオザルスの首筋に当たって火花を散らす。だが、この程度ではキメラドラゴンは無理矢理に矢を引っこ抜き、ネオザルスは軽く揺らいだだけで、ひるまずに反撃しようとしてくる。

 そのとき、シャルロットは氷の矢が効いたのかどうか確かめようとして、一瞬動きを停止させてしまっていたためにキメラドラゴンに次の行動の自由を許してしまったが、アグルは違った。アグルはアグルスラッシュが命中したのと同時にネオザルスに接近し、奴の尻尾をつかむと渾身の力で振り回して投げ捨てたのだ。

「トァァッ!」

 高速で地面に叩きつけられたネオザルスのとさかが折れ、筋肉から骨格にまで衝撃が浸透する。

 

”攻撃をかけるときには、悠長に時間をかけてはいけない”

 

 キメラを相手の狩りとは違う。力と力のぶつかり合い、狩人と狩人の戦いのルールを、また一つシャルロットは自分の頭に叩きこみ、それを実践して氷の矢で隙を作り、その瞬間にエア・カッターでキメラドラゴンの頭に深い切り傷を刻み込んだ。

 それでも、キメラドラゴンもネオザルスもまだ衰える兆しを見せない。

 アグルのジャブのラッシュ攻撃と、シャルロットの魔法の波状攻撃にいらだちを見せたネオザルスとキメラドラゴンは、腕と足、頭以上に強力な武器である、長く太い尻尾を鞭のように振り回して襲い掛かってきた。

「くっ!」

 尻尾による攻撃は恐竜型怪獣最強の打撃攻撃だ。これにはアグルもいったん引かざるを得ず、喰らえば全身粉砕骨折で即死のシャルロットも距離をとる。しかし、今度はシャルロットも慌てずアグルの次の一手を観察し、アグルの右手から光の剣が伸びたとき、自らも次の魔法を唱えていた。

 

『アグルブレード』

『ブレイド』

 

 光の剣が急接近してきたネオザルスの尾を両断したとき、シャルロットも初めて使う魔法で自らの杖を鋭利な剣に変え、キメラドラゴンの尾を切断とまではいかないまでも脊髄を傷つけて尻尾を振るう力を失わせた。

 

”接近戦での剣の威力は魔法より高い”

 

 さらに戦闘は激化し、どちらも様子見から本気で、本気から奥の手の戦いへと入っていく。

 ネオザルスの胸に青白く輝いている発光器官が光り、奴が大きく腕を広げた瞬間、光の帯が二本からみあったような光線をそこから発射した。

「ファッ!?」

 思わぬ飛び道具に、反射的にアグルは飛びのいてそれを回避した。けれどもその光線にはホーミング性能があり、外れたと思われた光線がアグルの後ろで引き返してくると、アグルの背中に直撃した。

「ヌワアッ!」

 死角からの一撃に、激しくダメージを受けてアグルのひざがくずおれる。

 また、シャルロットも、尻尾を深く傷つけられて激怒したキメラドラゴンから、生き残っていた足で激しく地面をかいて、土塊と石を飛ばす攻撃にさらされていた。

「痛っ!」

 ただの土塊や石といえど小柄なシャルロットにとっては砲弾と同じだ。彼女はフライを駆使して回避を続けるものの、石のうちのいくつかは樹木に反射して思わぬ方向から襲ってくる。

「シャルロット!」

「大丈夫! ジルは伏せてて」

 いくつかの小石が当たって体のあちこちが痛みながらもシャルロットは不思議と冷静であった。むしろ、こんな攻撃方法があったのかと感心さえしている。

 そして、敵の奥の手に対しての対処法も、すでに揃っていた。

 

『ウルトラバリヤー!』

『ウィンド・ブレイク!』

 

 アグルが両手を前にかざして作り上げた、渦を巻くエネルギーのバリヤーがネオザルスの光線を正面から受け止めて、シャルロットの放った風が飛んでくる石の軌道を変えて直撃を逸らす。

 

”無理に回避したりするよりは、対応しやすい正面から迎え撃ったほうがいいこともある”

 

 もうシャルロットには一個の石も当たることはなく、爪も牙も当たらない距離からシャルロットは悠然とキメラドラゴンを見下ろしていた。

 その森の木漏れ日を受けて浮かぶ勇姿は、まるで地獄に舞い降りた一人の天使。いや、武具をまとって悪鬼を狩る戦乙女の天使、ヴァルキュリア。あれが今日まで自分の胸の中で甘えていた子供かと、ジルは息を呑んで見ていた。

「あの子……戦いの中で成長している」

 まるで乾いた土が雨を吸い込んで芳醇な土壌となるように、シャルロットはアグルの戦い方を見て学び、実戦の中でそれを土台にすさまじい速さで強くなっている。まさしく天性の素質。いいや、そんな努力をないがしろにした安っぽい台詞ではなく、大切な母を失いたくない恐怖心、ジョゼフを倒さねばという使命感、生への執着、力への渇望、そしてジルを守り助けたいという優しさ、あらゆる心の力が一つとなって、シャルロットを一気にドットからラインクラスのメイジへと昇格させ、戦いの経験値が可憐な姫を無慈悲な狩人へと変えたのだ。

「これで終わり……今、眠らせてあげるからね」

 地面に降り立つと、シャルロットは残りの精神力をすべて杖に込めて、キメラドラゴンの首の中で、哀れにも死んだときの行動を繰り返すように、泣きじゃくる表情を続けるジルの妹の首へと話しかけた。

 だが、アグルのように絶対的なパワーを持たないシャルロットが、再生能力を持ったキメラドラゴンの息の根を止めるためには、一気に脳と心臓を破壊して生命活動を停止させるしかないが、今のシャルロットの全精神力をつぎ込んでもそれは不可能。

 ただし、一つだけ方法がある。冷たく冴えきった心で、以前家庭教師から教わった魔法の理のその一つを思い出したシャルロットは、懐からジルから借りていた短剣を取り出すと、ためらいもなく、長く美しく伸びていた青い髪の毛をバッサリと切り落としたのだ。

「わたしからすべてを奪っていった奴ら……なら、この髪もくれてあげる!」

 呪文を唱えた瞬間、シャルロットの髪を核にして巨大な氷の塊が生まれ始めた。

 古来より、血、爪、髪など人間の体の一部を媒介または触媒にした魔法は多い。それは人間の体には元々強い水の力、生命力が宿っているからで、それを引き出して使う魔法は禁忌とされるものも多いが絶大な威力を誇る。このとき、王家の強い魔力を受け継いだシャルロットの髪を使った魔法は、たった一回ではあるがシャルロットにスクウェアクラスの力を与えた。

 さらに、もう一つの戦いも終幕を迎えつつある。

 ネオザルスの攻撃をすべて受けきり、機と判断したアグルは全パワーを額にあるブライトスポットに集中させて、高く伸びる光の柱のようになったエネルギー体を作り出す。

 これで本当に終わらせる。愚かな人間の過ちも、生まれるべきではなかった生命の狂気も、そしてジルの悲しい復讐劇も、すべて終わらせて、未来へと足を踏み出すのだ。

「シャルロットーっ! 頼む、あたしの妹を、家族を眠らせてやってくれーっ!」

「わかった! 見てて、これがわたしとジルの最後の攻撃よ!」

 二人の思いを力に変えて、シャルロットの放った最強・最後の一撃がキメラドラゴンのブレスをも押しのけて飛翔し、同時にアグルの額から放たれた光線がネオザルスに突き刺さる!

 

『フォトンクラッシャー!』

『ジャベリン!』

 

 光子の奔流がネオザルスの細胞を分子単位まで焼き尽くし、奴の体は頭から順に粉々に砕け散り、爆発して跡形も残さず崩壊した。

 そして、口の中にジャベリンを打ち込まれたキメラドラゴンもまた、体内で全魔力を放出して膨れ上がり、シャルロットの髪一本一本を核にして作り出された何千本にも及ぶ氷の槍によって、内部から爆砕されて消え去ったのだった。

 

「やった……」

「シャルロット!」

 

 気力を使い果たして倒れたシャルロットに、ジルは残った足と手を使って、はいずるようにして彼女に駆け寄って抱き起こした。

「生きてる……よかった、本当によかった」

 ジルは、抱きしめたシャルロットが穏やかな息を吐き、心臓の鼓動が自分の体に伝わってくるのを感じて、大粒の涙を流した。

「本当にありがとう、あたしたち家族を救ってくれて……」

 復讐が完結したというのに、ジルの心には達成感はなく、ただ自分のために命を懸けてくれたシャルロットへの感謝と、彼女が無事だったことへの安心感のみがあった。

 ジルの腕の中で、シャルロットはあるだけの力をしぼりつくして泥のように眠っている。まるで赤ん坊のようだ。その無邪気で安心しきった表情を見ていると、ジルの中にずっとあった怨念が溶けるように消えていく。

「みんな……あたし……」

 そのとき、ジルの目の前に死んでいった家族の姿が浮かんだのは、彼女の疲労が生んだ幻影か、それとも家族の霊がかいま戻ってきたのかはわからない。ジルは父が、母が、そして妹が自分を見て微笑みながら天へと昇っていくのを見て、自分もシャルロットにかぶさるように安らかな眠りに落ちていった。

 

 けれども、物語はまだ終わってはいない。戦いの最中も地下でじっとカウントを刻んでいた時空転移装置は、その最後の時へと刻々と進んでいたのだ。

 

”最終カウントを開始します。三十秒前、二九、二八、……”

 

 元通ってきた時空の通路を逆にたどり、あるべきものをあるべき場所へ返す。

 その時間がやってくることを知っていたアグルは、一瞥してジルとシャルロットが生きていることだけを確認すると、その影響の及ばない空へと向かって飛び立った。

 

「ショワァッ!」

 

 飛び立ったアグルが、青い光となって空のかなたへと消えていってから数秒、異世界へと飛ばされていたファンガスの森は、再び白い光に包まれて、一瞬のうちにハルケギニアへと戻っていった。

 

 そして、ファンガスの森のあったカナダのアルバータ州から飛び立ったアグルは、人類のいかなるレーダーでも捉えられない速さで太平洋を渡り、数日後に、ある砂漠で金属生命体に苦戦するもう一人の巨人の前に、はじめてその姿を現すことになる。

 

 根源的破滅招来体……この世界に破滅をもたらそうとするものとの戦いの、その果てに何が待っているのか、今の彼には知るよしもない。

 ただ、絶え間なく起こり続ける事件と、戦いの日々の渦中に身を投じていくうちに、今日の日の出来事はそれらの戦いの中に埋もれて忘れられていった。

 

 ジルもシャルロットも、彼の名さえ知ることはなかった。それでも、救われた者たちはそのことを決して忘れない。

 

 けれど、一つの終わりは一つの始まりでもあり、それは一つの別れをもともなった。

 翌日、任務を果たしたシャルロットは、証拠品であるキメラドラゴンの爪を持って森を後にしようとしたところで、ジルから別れを告げられていた。

「いっしょに、行ってくれないの?」

「ああ、あたしはここに残って、家族やこの森で死んでいったものたちを弔うよ。それに、あたしはもう戦える体じゃない。あんたの足手まといにしかならない」

「そんな……」

 シャルロットの目には自然に涙が浮かんでいた。父も母もいなくなり、やっといっしょにいてくれる人が見つかったのに、また一人ぼっちになってしまうなんて耐えられなかった。

 しかし、ジルは松葉杖をつき、左足に包帯をきつく結んだ不自由な体で、シャルロットを優しく、ただし明確に突き放すようにして諭した。

「いいかい、よく聞きな。あんたはこれから帰っても歓迎される立場じゃあない。きっと、今回みたいな残酷な仕事が次々にまわってくることだろう。でも、あんたのお母さんが生きている限り、それに立ち向かっていかなきゃいけない。お母さんの心を、取り戻すためにはね」

「……」

「だから、これからあんたは狩人にならなきゃいけない。冷たく、容赦なく敵を狩る本当の狩人に。そのためには、もっともっと強くならないといけない。わかるね?」

「うん……」

「それにね、さっきあたしはあんたの足手まといにしかならないと言ったけど、それはただあたしが戦えないからだけじゃない。あんたの敵と戦うには、どんな悪意も跳ね飛ばし、どんな卑劣な罠も潜り抜ける心の強さが必要なんだ。そのためには、誰かにたよってちゃいけないんだ」

「わかった……わたし、一人で戦う」

 涙を拭いたシャルロットは杖を握り締め、ジルの目を見つめて答えた。だが、心を殺して生きていくということは並大抵のことではない。希望もなし、味方もなしの凍りつくような世界で、復讐だけを目的に生きていけるのだろうか。

「ふっ、そんな悲しそうな顔をするなよ。あたしだって、また一人になるのは怖いんだ。そうだな……一年だ」

「えっ?」

「一年、それが過ぎたらもう一度この森に来な。あたしは必ずここで待っていてやるから、そのときには、また会おう」

 ぱあっとシャルロットの顔が明るくなった。別れはある、けれどそれは永遠ではないのだ。

「また、ジルと会えるのね」

「ああ、だけどあんたは優しい。それはすばらしいことだけど、邪悪な敵と戦うときにはそれは命取りにもなる。だから、本当のあんたは心の中に凍りつかせて、これからは氷のように生きていけ。目的を果たすまでは、決して溶けない氷のように」

「氷……ジョゼフ……」

 シャルロットの心に、父を殺した憎い男の顔が浮かんでくる。あいつを殺して、母を奪い返すためならば、氷にでもなんでもなってやろう。

「わかった。でも、ジルも一つだけ約束して。もしわたしがすべてを取り戻して、平和にすごせるようになったら、いっしょに暮らそう」

「ああ、約束だ」

「うん……さよなら、ジル」

「さよなら、シャルロット」

 

 そうしてシャルロットはヴェルサルテイル宮殿に帰還し、思いも寄らぬ生還に驚くイザベラから、北花壇騎士として生きていくためのシュヴァリエの称号を得、王族としてのシャルロットという名前を捨てて、タバサという第二の名前を持つことになる。

 

 それが、三年前の真実だった。

「で、それから一年ごとにこの子はあたしのとこへ来て、話を聞かせてくれるのさ」

 たっぷりと数時間に渡って、思い出話を聞かされたシルフィードは、まさかそんな過去がタバサにあったのかと目を丸くしていた。

「驚いたのね。お姉さまったら、昔のことは全然話してくれないんだもの、シルフィーよりも前にお友達がいたなんて、もうびっくりとしか言いようがないのね」

「あはは、まあ好き好んで人に暗い過去をさらしたい人間なんていやしないさ。でもね、シルフィーちゃんとやら、あんたも含めて今のシャルロットには本当にいい友達ができたみたいだね」

「へっ?」

「ジ、ジル! よしてよ」

「いいじゃないか、これまでの二年間、いっつも死にそうな顔して帰ってきたシャルロットが、こんな生き生きした顔でやってきたことはなかったよ」

 果実酒を片手に、ジルは顔を真っ赤にしているタバサを見て楽しそうに笑った。

 それからジル、タバサ、シルフィードの三人は夜遅くまで、飲み、食い、笑い、歌い、楽しい時間を過ごして、せまいベッドの上で押し合いへしあいながら眠った。

 

 そして夜は明けて、ジルとすごした温かい時間はやがて終わりを告げていった。

「じゃあ、そろそろ行くね」

 竜に戻ったシルフィードの前で、タバサはまたやってくる戦いの時間のために、普段のように冷たく凍りつかせた表情で、ジルに別れのあいさつをしていた。

「気をつけていきな。シルフィーちゃんも、この子をよろしくな」

「まかせておいてなのね。お姉さまはこのシルフィーが、絶対にお守りするなのね。きゅいきゅい!」

 気合を入れるシルフィードの頭をなでてやると、ジルはもう一度タバサの前に立った。

「また、会うときまで死ぬんじゃないよ」

「うん、ジルも、約束覚えてる?」

「もちろんさ、早くこんな山奥の掘っ立て小屋から解放して、お城に住めるようにしてくれよ」

「うん、わたし、もっともっと強くなって必ず迎えにくるから、待っててね」

「ああ、待ってる」

 三年前から途切れぬ約束、それがタバサとジルをずっとつなぎとめていたことに、シルフィードは少々嫉妬さえ覚えた。タバサが強くなるのは、復讐や母を救い出すためだけではない。ジルとの約束を、一刻も早く果たすためでもあったのだ。

”三年も互いを思いあってるなんて、なんかロマンチックなのね”

 夢見がちなシルフィードは、別れを間際に見詰め合っている二人を見つめて悦にいっていたが、いきなりジルは腹を抱えて笑い出した。

「ぷっ、あっははは! いやそれにしても、森の中のお姫様を助けに来るのは、普通は王子様の役目のはずなのに、王女様がやってきたんじゃあどうにもしまらないねえ」

「しょうがないよ。わたしたち二人とも女なんだもの」

「そりゃそうだな。なら今度は恋人でも連れてきなよ。あんたがどういう男を好きになるか、非常に興味があるね」

「そんな、わたしは恋なんて、まだわからない」

「そうかい? こんなに素材がいいのにもったいないね。でも、ときどき思うけど、もしあたしが男だったらあんたを……」

「ううん、その気持ちだけで充分だよ。ジルは、わたしにとってかけがえのない人だもの」

「ありがとう……好きだよ、シャルロット」

「わたしも、大好き」

 二人は、どちらからともなく抱擁しあうと、目をつぶり、そのまま唇を重ね合わせた。

 ジルの野性的な美しさを備えた顔と、タバサの幼女のような愛らしさを備えた顔が一つになる。

「えっ! ええーっ!?」

 あまりに突然な出来事に、シルフィードは竜のくせにだらしなくしりもちをつくと、口をパクパクとさせて言葉に詰まった。

”ちょっ、おねえさま! 確かに恋人を作ってくれとは言ったけど、そういう方面はNGなのよねーっ!”

 言葉にならない悲鳴をあげたシルフィードだったが、シルフィードがなにをどう早合点しようと、そんなことは二人にはどうでもよかった。人がどう思おうと好きにすればいい。自分たちの絆は自分たちにしかわからないだろうし、わかってもらおうとも思わない。

 やがてジルとタバサは、唇から伝わってくる互いの体温と唾液の味、そして言葉にできない思いを交換しあうと、ゆっくりと離れて最後の別れを交わした。

「じゃあ、いってくるね」

「ああ、いってきな」

 

 数分後、タバサはシルフィードとともに空の上にいた。ジルの家はすでに後方に流れていって影も見えない。

「また、ここへ来るのは一年後なのね」

「そう」

 シルフィードの言葉に短く答えると、タバサは読みかけだった本を取り出して、しおりからページを開いた。これから向かう空には、遠からず次なる戦いが待っているだろう。そのときに備えて、少しでも知識を蓄えておかねばならない。

”おかあさま、ジル、待ってて……必ず迎えにいくからね”

 決意を胸に、ゆくべき道に迷いはない。

 ただ……タバサは同時に不思議と不安を感じてはいなかった。

 一年も経たないうちに、もう一度この森をおとずれることになるような、そんな予感が漠然としている。

 それはすなわち、自分の復讐劇の終焉を意味することであったが、根拠がないわけではない。

 今、世界は大きく動いている。異世界からの侵略者というかつてない事態に、すべての国が大きく動き、動乱の時代となりつつある。

 すでにトリステインもアルビオンも一度は滅んだ。滅んだが、若くて強く、正しい心を持つ者たちによって再建された。

 ひるがえって、ガリアはどうであろう? この世界を巻き込む動乱の中で、ガリアだけが、あのジョゼフだけが例外となりえるだろうと誰がいえるだろうか。

 遠からずチャンスはめぐってくる。そのときこそ、三年に及んだ自分の戦いを終わらせて、すべてのものを取り返す。

 いいや、王座や財産、権力などという馬鹿馬鹿しいものはいらない。

 ほしいものは一つだけ、母と、ジルと、シルフィードと四人で暮らして、キュルケたち友といっしょに、閉ざした心を解き放ち、なんの不安もなく笑い会える時間。

 それが、わたしの夢、それがかなうなら、わたしはどんな戦いにも臨んでみせよう。

 

 はるかかなた、敵が待つ空を目指して、群青の髪と瞳を持つ狩人姫は飛ぶ。

 戦いがすんで、武器を捨てるその日のために。

 たとえどんな敵が待っていようと引き下がりはしない。

 まだ見ぬ未来を目指して戦い抜こう。

 そう、あの名も知らぬ青い巨人のように、強く、孤高に。

 

 

 続く


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