ウルトラ5番目の使い魔   作:エマーソン

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第3話  タバサの冒険  群青の狩人姫 (前編)

 第3話

 タバサの冒険

 群青の狩人姫 (前編)

 

 変異昆虫 シルドロン 登場!

 

 

 シルフィードは唖然としていた。

 

「ごちそうさま、おいしかったよ、ジル」

「あいかわらずシャルロットはよく食べるねえ。こりゃ、はりきって野豚を狩ったかいがあったってものだ」

 ファンガスの森の一軒家で、こぢんまりとしたテーブルを囲んで、タバサが皿に山盛りにされていた料理の数々を残さず平らげたのは、いまさら珍しい光景ではない。しかし、食べ終わってニコニコと笑っているタバサは前代未聞だった。

「やっぱりジルの料理はおいしい。この味はほかの誰にも出せない」

「ありがとさん。でも野豚の丸焼きと、保存食とムラサキヨモギやハシバミ草のサラダでそんなに喜んでもらうと、ちょっと後ろめたいかな」

「おせじじゃない。わたしはジルの作ったものが一番好き」

 いつもであったら、タバサはいただきますからごちそうさままで、一貫して無口無表情を貫いて終わる。大食で食べ物の好みもはっきりしているが、何をどこで食べても眉一つ動かさないのに、今はまるで別人みたいだ。

「ふふ、シャルロットはやっぱり優しいね。それに、ずいぶんとたくましくなったし、おまけに友達まで連れて来るようになるとは、魔法学院ってとこも、けっこう楽しいとこみたいだね」

「シルフィードは使い魔。でも、友達……今はいるよ」

「へーえ、そりゃ気になるなあ。聞かせなよ、ていうか聞かせたくて来たんだろ」

「うん、赤毛のこーんな大きな子なんだけど……」

 タバサと、ジルと呼ばれていた女が、まるで家族のように会話をしている姿には、夢でも見ているんじゃないかと、何度ほっぺたをつねってみたことか。

 おまけに、それだけならただの仲のよい知り合いですませられるだろうが、タバサはいつもであったら絶対考えられないようなことを、今シルフィードにさせていた。

「で、この韻竜のシルフィードが、そのキュルケって子とあんたを乗せて今はハルケギニア中を飛び回ってるってわけなのね。あんたってば、すごいすごいとは思ってたけど、なんとまあしゃべれる竜を使い魔にできるとは、もうびっくりだよ。けど、体格はあんたと正反対だねえ、特にこのでっかいお乳とかさ」

「ひゃっ! さ、さわらないでなのね!」

 つんっと、自分の胸を突っついてきたジルの指先から、シルフィードは慌てて両手で胸を隠して逃げ出した。

「あはは、大人びた見かけと違ってうぶだねえ。シャルロット、どうやりゃこれがあんたの妹に見えるんだい?」

「一応、人前で人間に化けさせてるときは、わたしの妹にしてるんだけど、変かな?」

「あんたたちさ、鏡に並んで映ってみなよ。あんたって、昔っから頭は切れるくせにどっか抜けてるんだから、変わらないねえ」

 なんと、驚いたことにいつもは他人にはシルフィードが韻竜であることを決して明かさせずに、しゃべることすら絶対させないタバサが、ジルの目の前では人間に化けさせて、うれしそうに紹介しているではないか。

 

”いったい何がどうなっているのね?”

 

 シルフィードは、さっきから何十回となく自身に問いかけた問題を、頭の中を整理してもう一回最初から考え直してみた。

 

 まず、自分はこのファンガスの森におねえさまのお知り合いがいるということでやってきた。

 それで、このジルという若い人間の女が、そのお知り合いの人で、おねえさまとはすっごく仲がいいらしい。

 

 以上、十も数えないうちに回想は終わった。

 いやいや、そんなことは最初からどうでもいいのだ。問題は、あの寡黙で、口の悪い従姉妹姫からは人形とまで言われてるほど無愛想なタバサが、まるで幼い子供のように楽しそうに話している、このジルという女が何者かということだ。

「最近はもう、のんびり本を読んでる時間もないほど、いろんなことが起こるよ。ジルは、何か変わったことはあった?」

「いいや、最近はもうこの森に出るのもせいぜい狼や熊程度だから平和なものさ。変わったことといえば、こないだ道に迷った旅人を泊めたくらいかな」

 シルフィードは、楽しそうにタバサからキュルケのことや学院でのこと、数々の戦いや冒険の思い出話を聞いているジルを、じいっと見つめて観察してみた。

 

”とりあえず、悪い人ではないみたい。でも、こんな人里離れたぶっそうなところに女の人が一人で住んでるなんて、どういうことなのかしら?”

 

 部屋の壁には、斧や肉厚の短剣、槍や弓などがいつでも使える状態で掛けられて、足元にはなめした熊の毛皮がじゅうたんの代わりに敷いてある。

 それに、ジル自身も引き締まった全身にはぜい肉の欠片もなく、日焼けした横顔にはいくつもの傷が刻まれていて、相当な戦いを潜り抜けてきたことが察せられた。

 

”軍人……いえ、猟師……”

 

 そのどちらかで悩んだが、並べられている武器に人間相手に使うものがほとんどなかったので、シルフィードはそう判断した。

 けれど、女性の猟師は珍しくはないとはいえ、一人で、しかもこんな辺境の地で暮らしているなんて、なにか事情でもあるのだろうか? そして、おそらくは自分を召喚するよりずっと前から、いったいタバサとどんな関係があったのだろうかと、シルフィードはもう少し二人の会話に耳を傾けた。

「そうかい、あんたの母親の心を治す方法は、まだ見つからないか」

「うん、でも……きっと見つける」

「そうだな。しかし、もうあれから三年か、早いもんだ。あたしも、あとちょっとでおばさんって呼ばれる歳だな」

「ごめん」

「あんたが謝ることじゃないさ。これは、あたしが決めた約束だからね。だけど、こんな森の奥にいると、世間からは遠くなるが、ヤプールに、怪獣、超獣、宇宙人、世界の危機なんて、とても信じられないよ……」

「ぜんぶ現実、今は世界中の人々が未知の脅威と戦ってる。ジルにも、わかるでしょう」

「ああ、あのときのことは忘れられないよ。あんたと初めて会った、あのときのことはね」

 タバサとジルは、そこで会話をとぎると、遠い目をして天井を見上げた。

 

”三年前、約束、あのとき……いったい、この二人の過去に、なにがあったのね? うーん! 考えれば考えるほどわからないのね!”

 

 シルフィードは、二人の会話の中に出てきた単語を抜粋してみたが、断片的な情報は、ますます未熟な彼女の脳を混乱させるだけだった。

 ただし、三年前といえば、確かタバサが北花壇騎士に任命されて、危険な任務に従事させられるようになったころのはず、ということはそのころのどれかの任務で知り合ったのか? でも、自分の知る限りにおいて、タバサが任務内で知り合った人と親密な関係をもったことなど一度もない。

 ひょっとして、遠い親戚? いや、全然似ていないし、近しい匂いはまったくしない。じゃあいったい何? この二人は何を隠しているの?

 表情をぐるぐるとめまぐるしく変えたシルフィードは、頭が爆発しそうになるにいたって、とうとう考えるのをやめて、一番簡単な方法をとることにした。

「おねえさま、この人といったいどういう関係なのね?」

「うん? シャルロット、あんたあたしのことをこの子に話してなかったのかい?」

「うん、あのときのことは、ジルと二人で話してあげたかった」

「ふーん。なるほど、信頼されてるね、シルフィードちゃん」

「ち、ちゃんはいらないのね!」

 野性的な色っぽさを持つジルに笑いかけられて、シルフィードは種族が違うというのに一瞬どきりと心臓が鳴ったように思えた。

「ふふ、可愛いねえ、食べちゃいたいくらいだよ」

「ひっ! シ、シルフィーはおいしくないのねー!」

 妖しく視線を向けられて、シルフィードは脱兎のように壁際まで逃げ出して、それを見たジルは腹を抱えて笑った。

「あっははははっ! 冗談に決まってるだろ。いくらあたしが猟師だからって、シャルロットの使い魔を食べたりはしないさ。それにあたしは、ドラゴンってやつが嫌いでね。おっと、あんたは別さ……さてと、それじゃあ少しばかり昔話を聞かせてあげようか、シャルロット」

「うん、三年前のあのとき、わたしがまだ一二歳だったころ……あの、夢のような不思議なときのことを……」

 手作りの木の椅子に背を預けて、ジルとタバサはシルフィードと、それから自分たちに語りかけるように、ゆっくりと、静かに物語りはじめた。

 

 

 それは、今から時をさかのぼること三年前。

 

 当時、ガリア王国には二人の王子がいた。

 長男で、現ガリア王のジョゼフと、その弟で、当時十二歳だったシャルロットの父親であった第二王子のオルレアン公シャルルである。

 この二人は、兄弟でありながら、まったく対照的な存在として世間に認知されていた。

 ジョゼフは生来魔法の才がなく、成人した後でもドットの力すらなく暗愚と呼ばれ、対してシャルルは頭抜けた才覚を発揮し、幼年にしてライン、トライアングルと昇格を続けて、天才との賞賛をほしいままにしていた。

 それは、魔法が使えることが貴族の証とされるハルケギニアでは、人格やその他の才覚をおいて絶対的な評価の差となって現れ、誰もが時期国王はシャルルがふさわしいと考えていた。

 しかし、先王はジョゼフを時期国王にすると遺言を残して、この世を去った。

 それからすぐのことである。シャルルが狩猟会のさなかに、何者かに毒矢で暗殺されたのは。

 犯人は、捜すまでもなかった。シャルルが死んで一番得をするのは、いまだに圧倒的な指示を集めるシャルルに対して、孤立無援に等しい無能王子ジョゼフ。

 だが、残されたシャルロットの母は国が二分される内乱になるのを恐れ、はやる貴族たちを抑えると、罠と知りつつジョゼフの誘いに応じてシャルロットと二人だけで王宮へ出かけて。

 

「わたくしだけでご満足ください。なにとぞ、娘だけはお救いくださいますよう」

 

 それが、シャルロットと母の別れの言葉となった。

 母は心を狂わす毒で正気を失い、娘を認識することさえできなくなった。

 しかも、残されたシャルロットも無事にすむはずはなく、目付け役にされたイザベラから、残酷な命令が与えられた。

 

「ファンガスの森へ行って『キメラドラゴン』を退治してきな。言っておくが、逃げ出したら母親の命は保障しない」

 

 そうして、送り込まれたのがファンガスの森……当時、この森はキメラと呼ばれる凶暴な合成獣たちの巣窟であり、ジョゼフが、イザベラが自らの手を汚さずにシャルロットを抹殺しようと考えていたのは、幼い彼女にも簡単にわかった。

 よだれを垂らし凶悪なうなり声をあげて向かってくる双頭の巨大狼。対抗するにはあまりにもシャルロットは非力だった。

”もうだめだ”

 そのころのシャルロットの稚拙な魔法では傷もつけることはできず、恐怖に支配されたシャルロットは絶望の中で死を覚悟した。

 だがそのとき、絶体絶命のシャルロットを救ったのが、この森を狩場にしていた猟師のジルだったのだ。

 

「どうして、この森をほっつき歩いてたんだい? あんただって、この『ファンガスの森』が、どうなっているんだか知っているんだろう?」

 連れて行かれた、彼女が隠れ家にしている洞窟の中で、シャルロットはうつむきながらジルの話を聞かされた。

 数年前、この森にはとある貴族が魔法生物を研究していた塔があったという。

 その貴族が、何を目的にしてキメラを研究していたのかはもはや知る術もない。だが、研究は失敗して貴族は自ら生み出したキメラたちに殺されて塔は破壊され、解き放たれた異形の怪物たちは野生化し、今やこの森を我が物顔で跳梁跋扈している。

「馬鹿な連中だよ。何がしたかったのかは知らないけど、人間が生き物を簡単に作ったりできるわけないだろうに……それに、さっきの狼なんて序の口だよ。ここにはね、もっとでかい、元がなんだったのかわからない化け物や、キメラドラゴンなんてのもいるんだ」

「キメラドラゴン……」

 倒すべきと命じられた標的の名を聞いて、沈んでいたシャルロットの顔が少し上がった。

 キメラドラゴン、それは火竜をベースにしていくつかの生物を融合させた、キメラたちの中でも最大クラスの大物。ジルも実物は遠巻きに見たことがあるだけだというが、別のキメラさえ餌食にする、とても人間が敵う相手ではないそうだ。

「だから悪いことはいわない、帰りな。見たところ貴族みたいだけど、遊びでどうこうなる相手じゃあない」

 そんなことはわかっている。いいや、キメラどころかただのキツネ一匹にだって、シャルロットは勝てる自信などは微塵もなかった。

 それでも、母の命がかかっている以上、逃げ帰ることはできないシャルロットは「武者修行」と、とっさに言い訳を口にしたが、ジルは大笑いすると彼女に奥から一冊の古びた本を取り出して手渡した。

「この本……怪物たちの、図鑑?」

 それは、ジルがこの森で見つけたという、かつてキメラたちを生み出していた研究者のノートのようだった。

「う……っ」

 ページをめくるたびに、スケッチされたおぞましい姿の怪物たちが目に飛び込んできて、シャルロットは吐き気がこみ上げてくるのを感じた。さっき襲われた双頭の狼の他にも、腕が六本ある熊、尻尾も頭になっている蛇、馬の足を持った虎、おとぎ話で出てくるような怪物たちが紙面を埋めて、その一ページにキメラドラゴンはいた。

 

”こんなの、勝てるわけがない……”

 

 どうすることもできない虚無感がシャルロットの胸を支配した。火竜はただでさえハルケギニアで最強の幻獣とされているのに、それに無数の生物の利点を移植し、強化改造したその姿は、もうごちゃまぜの『何か』としか言いようがない。しかも、ジルの言うところによれば、キメラドラゴンは他の動物やキメラを捕食することによって、遭遇するたびに大型化していっているという。

「な、だから言っただろ? それに、キメラドラゴンさえも、このイカレきった森じゃあ王者じゃあない。あんたみたいな子供には十年早いんだよ。どうせ本当は家出してきたってところだろ? 親父さんやおふくろさんが心配してるよ。森の外まで送っていってあげるから、おとなしく帰りな」

「……いません、父も、母も……」

「なに?」

 そこでようやくシャルロットは、自分の身に起こったことを説明した。

 父が殺され、母も薬で心を奪われて一人きりになってしまったこと、キメラドラゴンを倒せと一人きりで送り込まれてしまったことを。

 ジルはシャルロットの血を吐くような独白をじっと聞いていたが、彼女が話し終わってすすり泣きながら押し黙ると、胸くその悪さといっしょに大きく息を吐き出した。

「ったく、貴族ってのはえげつないことを平気でするね。血を分けた兄弟が、誰がお家の跡取りになるかで殺し合いか。にしても、あんたがこの国のお姫様だったとは、驚いたよ」

「……」

「まったく馬鹿馬鹿しい! 下々の下の下の身分のあたしにはわかんないけど、王様ってのは、そこまでしてなりたいもんなのかい?」

「……」

「ふん、そのあげくがこんな子供を化け物のエサになってこいって、人質までとって森に放り出すとは、どいつもこいつもイカれてる。あんたの親父も、無様な死に方をしたもんだ」

「父を悪く言わないでください!」

 それまで黙っていたシャルロットが、目を赤く腫らしながら叫ぶと、ジルは怒鳴り返すでもなく、つまらなさそうに答えた。

「同じさ、あんたの親父がどんな善人だったかは知らないけど、そんな魑魅魍魎が跋扈する汚い世界にいるってことを知りながら、あんたたちを守りきれなかった負け犬ってことに変わりはない。本当にあんたたち家族を一番に思うのなら、さっさと跡継ぎなんかから引いて、保身をはかってればよかったんだ」

 言われてみれば、返す言葉は幼いシャルロットからは浮かんでこなかった。

 確かに、ジョゼフはシャルルに比べて暗愚と言われてきたが、それは魔法の才に限ってのことであって、知能・体力などの能力は勝る点も多々あった。また、長子が家督を継ぐのが当然とされる習いの中で、無理に次男であるシャルルが競争をする必要が、ガリアの未来のためにあったとはいいがたいだろう。

「な、あんたの親父もどっかでは王様になりたいって野心があったのさ。けど、欲望ってのは強いほうが勝つんだ。中途半端な善人ほど始末に悪いものはない。だがまあ……すんでしまったことはいい。あんた、これからどうするんだい?」

「……」

 しばらくの沈黙の後に、シャルロットが出した答えは、ジルをさらに暗然とさせた。

 

「わたしを、殺してください」

 

 シャルロットは、もう何も考えたくないほど生きることに絶望していた。どうせ、母は助からない、そうすれば今度こそ天国で親子三人楽しく暮らすことができる。

 心の底から疲れきったシャルロットの言葉に、ジルはこんな幼子にそこまでのことを言わせるとはと、多少の同情を覚えなくもなかったが、はっきりと首を横に振った。

「やなこった。人殺しなんて冗談じゃない。死にたければ、勝手に出て行って、あいつらに食われればいい」

「それはいや、あんな化け物に食べられるなんて……せめて、痛くない方法で……」

「はっ、なんて贅沢だい、死に方にまで注文をつけるなんて……」

 ジルが一考だにせず笑い捨てると、シャルロットは小さな声で泣きはじめた。

 

 それから、どれだけの時間が流れたのだろう。

 洞窟の外をカモフラージュする草戸の隙間から漏れこんできた紅い日の光が消え去って、焚き火の灯りだけが薄暗く洞窟の中を照らす中で、二人はじっと焚き火のそばに座り込んでいた。

 ジルは無言のままでシャルロットに毛布をほうり、干し肉をわけてやった。

 それは、シャルロットにとって、はじめての粗末な食事であったが、疲れ果ててからっぽになった胃袋は贅沢を言わずに飲み込んでいき、やがて食べ終わったころを見計らって、ジルはシャルロットに尋ねた。

「あんた、まだ死にたいかい?」

 シャルロットはこくりとうなずいた。

「……わかったよ。そこまで言うなら殺してあげる。あたしは毒にも詳しいんだ。眠ったまま楽に死ねる毒を調合してやる。ただし、ひとつ条件がある。あたしの仕事を手伝ってほしいんだ」

 

 翌朝から、シャルロットはジルについて狩りに出かけるようになった。

 どうしても狩りたい獲物がいるから、それを狩るのを手伝ってくれれば薬を調合してやるというのが、ジルが出した条件だった。

 昨日まで着ていた貴族の服から、ジルの用意してくれた狩猟用の服を着込んで、杖を構えてシャルロットは森の中を歩いていく。

「怖い……でも、がんばらなきゃ」

 勇気を奮い起こして、シャルロットはキメラの潜んでいる洞穴に向かって呪文を唱えながら忍び寄る。杖の先には小さな氷の鋭い塊ができていた。『氷の矢』という、シャルロットが唯一使える攻撃魔法であった。

 ただし、それは普通の動物はまだしも、キメラ相手に使うにはあまりにも小さく非力だったので、目的はキメラを倒すことではない。

 

「いいかい、キメラの皮膚の分厚さと生命力はドラゴンにも匹敵する。なにせ元々そういうふうに作られてるんだからね。だから、あんたはその魔法をぶち込んで、奴を怒らせておびき出してくるんだ。とどめは私がやる」

「つまり、囮ね。でも、そんな相手に、ジルはどうするの?」

「ふっ、安心しな。あたしは魔法は使えないが、それなりに知恵は働くからな」

 

 そうして、シャルロットはなんとかキメラを穴から引きずり出した。

 出てきたのは、昨日のノートにもあった、真っ赤な毛で全身を包み、角を生やした巨大なヒヒだった。怒りに燃えたヒヒのキメラは、シャルロットを見つけると、激昂して襲い掛かってきた。

”イル・フラ・デル・ソル・ウィンデ”

 フライの魔法で、キメラの攻撃をかわしてシャルロットは待ち伏せ地点までキメラを誘導した。

「ジル、今!」

 あとはあっけなかった。トラップにはまって身動きがとれなくなったキメラは、ジルの特製の爆薬を仕込まれた矢を頭にぶち込まれて、頭部を粉々にされてひとたまりもなく絶命したのだった。

「その矢、すごい威力ですね。わたしの魔法なんか、足元にも及ばない」

「私が考えたのさ。キメラを相手にするには大砲でもほしいところだが、こちとらただの人間である以上、知恵をしぼらないとね」

 はじめて共同でしとめた獲物を前にして、二人は顔を見合わせて笑いあった。

 父が死んでから、シャルロットが見せる初めての笑みであった。

 

 それから四日間、シャルロットは見事に囮役を勤め上げた。

 二人の連携も回を追うごとに密になっていき、倒したキメラの数も両手の指に余るほどになっていった。

 また、シャルロットの魔法の実力も実戦を繰り返すうちに次第に磨かれていき、フライの飛翔能力の速度と瞬発力、氷の矢もキメラに手傷を与えられるほどには強力になっていた。

 けれど、幸か不幸かその間に肝心のキメラドラゴンには一度も遭遇する機会はなかった。

「おかしいね。これだけ動き回ってれば、気配くらいは感じてもいいはずなんだけど……」

 キメラドラゴンは、遠目からだが観察を続けた経験上、この森を獲物を求めてある一定の周期で徘徊しているのがわかっている。なのに、うなり声はおろか足跡や糞すら発見することはできず、最初は単なる偶然かと思ったが、さらにそれから三日が過ぎても遭遇がなかったので、ジルもさすがに不審がりはじめた。

「もしかして、森の外に逃げ出したんじゃ」

「いや、キメラも異形になってしまったとはいえ動物としての本能は残ってる。奴にとってテリトリーであるこの森から、出て行くとは考えられない」

 考えてみれば、火竜山脈の火竜だって、よほどエサに窮したときくらいしか住処である山脈から離れていくことはない。それに対して、いくら自分とジルが大量のキメラを倒したとはいえ、キメラドラゴンにとってファンガスの森にはまだ充分な数の獲物がいるはずだ。

 その後、二人は狩りの範囲を広げていったが、それでもキメラドラゴンと遭遇することはなかった。

 

 いつの間にか、狩りを始めてから二週間の時が流れていた。

 

「まいったね。ここまで来ても、足跡も見当たらないとは」

 すでに三十体ものキメラを共同でほふったジルとシャルロットは、隠れ家の洞窟を遠く離れて、ファンガスの森の中で唯一開けた空間にいた。

 ここは、最初のジルの話にも出てきたキメラを研究していた貴族の塔があった場所だった。むろん、キメラが脱走した際に崩壊し、現在は跡形もなく瓦礫が散らばるだけの廃墟となっている。

「ここで、キメラたちが生まれた……」

「ああそうさ、あんたに見せたノートを拾ったのもここだった。まあ見てのとおり、今じゃあ何があったかすら見当もつかない、岩と鉄くずの山だがね」

 涼しげな風が、シャルロットの何倍もある巨大な岩塊の山のあいだをすり抜けて、ジルとシャルロットのほてった肌を優しくなでていった。

 二人は、遠出の疲れから瓦礫の上に腰を下ろすと、用意してきた乾パンや干し肉の遅い昼食をとった。

 この時期になったら、シャルロットも粗食にもすっかり慣れ、積み重ねた戦歴と比例するように、猟師の服も倒したキメラの返り血が、勲章のように全身を染めていた。

 それから二人はしばらく無言で、それぞれの分の弁当を口にしていたが、半分ほど食べ終わったところで、シャルロットは尋ねた。

「あの、ジルさん」

「なんだい?」

「そろそろ、薬を……」

 するとジルは呆れたようにため息をつくと、乱暴に干し肉を食いちぎって言った。

「まだ死にたいの? そろそろ諦めたと思ってたよ。あんたもけっこう強情だねえ」

 シャルロットはぐっとこぶしを握り締めた。

「約束したじゃないですか」

「あんときは、ああでも言わなきゃ、あんた納得しなかったろ。それに、第一あんたはあたしとの契約を果たしていない。それじゃあ是も非もない」

 正論だった。約束を果たした後でなら、強行に出ることもできるが、そもそもジルとした約束を果たしていない状態なら、ジルも約束を守る筋合いはない。いや、それ以前に、幼いシャルロットは、ジルのターゲットそのものを聞いていないことに、今頃気がついた。

「ジルの、倒したい相手って……どのキメラなの?」

 すると、ジルは残っていた乾パンを水で一気に流し込むと、吐き捨てるようにその名を口にした。

「キメラドラゴン……」

「えっ?」

 一瞬、聞き違いかと思った。けれど、ジルは憎憎しげな眼差しで、乾いた廃墟を睨みつけると、足元に転がっていたなにかの破片を拾い上げて、遠くに投げ捨てた。

「いや、キメラドラゴンだけじゃない。この森のキメラすべてを殺しつくすまで、あたしはこの森を出るつもりはない」

 今まで一度も見たことのない、触れれば切れるほどに鋭い目つきのジルがそこにいた。そして、ジルのその峻烈ともいえるほどに殺意に満ちた決意の源泉が、憎悪にあることは、シャルロットにも肌で伝わってきた。

「ジル……」

「シャルロット、あんたの身の上に起きたことは同情する。けど、やっぱりあんたは甘えてるんだと思う。心を狂わされたって、あんたのお母さんはまだ生きてるんだろ? だったら戦いな、戦って、お母さんを奪い返してみなよ!」

「でも、わたしの力なんかじゃあ」

「そんなことはないさ。あんたには、あたしなんかよりずっと強い”矢”がある。今じゃあキメラさえ倒せるようになった。昨日使えるようになったの、なんていったっけ?」

「ウィンディ・アイシクル、水蒸気を氷結させて、氷の矢を無数に作り出す魔法」

「そう、そんなすごいのをあんたはたった二週間で使えるようになった。だから、できるさ。こんなところで地をはいずってるあたしよりも、あんたはきっといつかもっと高いところを飛べるようになる」

 その、物悲しげで、どこかうらやましそうなジルの眼差しに、シャルロットは自分と同じものを感じて、尋ねてみた。

「ジル、ジルはどうしてキメラを……?」

「……三年前、あたしが十六歳のころのことさ」

 だが、ジルの告白は第一小節から先に進むことはなかった。そのとき、瓦礫を通して彼女たちの足元から突き上げるような衝撃が襲ってきて、続いて森全体が突風に吹かれたかのように揺らいだのだ。

 

「これは……まさか!」

 

 ジルの表情が凍りついた。衝撃は、その一度だけで終わらずに、二度、三度とおよそ一秒ほどの間隔をおいて規則的に伝わってくる。

「なに? まるで、足音みたい」

「ちぃっ! よりにもよって、隠れるよ!」

 血相を変えたジルは、シャルロットの手をつかむと、痛がる彼女を無視して強引に手近な瓦礫の影に伏せさせた。

「なに? なんなの?」

「しっ、隠れてな。来るよ、この森のボスが」

「ボスって……キメラドラゴン!?」

「いや、違う! そんな生易しいものじゃない」

 今のジルの顔には、ありありと恐怖の色が浮かんでいた。そう、絶対にかなわない天敵と出会ったときの、獲物になるしかない動物と同じ目。

 足音は、次第に大きくなりながら廃墟のほうへと近づいてきて、森の影からその持ち主の姿が現れたとき、シャルロットはジルにしがみついてがたがたと震えていた。

「な、なにあれ……」

 最初に見えた顔は、例えるならばカマキリの顔を鋭角にしたような、肉食昆虫のようなもので、鋭い牙と緑色に光る複眼がついていた。

 しかし、昆虫ではありえないことに、そいつは直立して二足歩行をし、普通の昆虫についている六本の足のうちの中央の二本がない代わりに、人間の腕のように前に突き出た前足の先には鋭いハサミがついている。

 いや……それだけならば、この森のキメラのほうがもっと異形と呼んでよく、そいつは全身を鎧のように覆った外骨格と合わさって、洗練された姿と呼べなくもない。異常なのは、そのサイズであった。

 目測でも、その怪物の全長は少なく見積もっても六十メイルは軽くある。ノートで見たキメラドラゴンでも全長は十メイルに満たず、スクウェアクラスの土メイジが作る最大級のゴーレムでも、二十から四十メイルが限度とされていることからしても、文字通りケタが違いすぎる。

「ジル! なんなのあれ? あれもキメラなの?」

「わからない……けど、絶対に見つかるな。森のキメラも、あいつにだけは手を出さない」

 巨大な昆虫の怪物は、森の木をへし折りつつ廃墟の中に足を踏み入れ、岩塊を踏み潰しながら二人のすぐそばを通り過ぎていった。

「大きい……まるでお城が、動いてるみたい」

 これまで見たキメラたちとは威圧感の格が違った。震えるシャルロットに背を向けて、怪物は廃墟の一角を前足で掘り返すと、そこから出てきたパイプを破って、中から湧き出してきた緑色の液体を飲み始めた。

「何かを飲んでる?」

「ああ、あいつはたまにここに来ては、あの液体を飲んでるんだ。多分、やつのエサなんだと思うんだが……これを見てみな」

 ジルは懐から、先日のものとは違う本を手渡した。

 それには、キメラたちとはまったく違う怪物たちが無数に描かれた、一種の図鑑のようなもので、驚くほど精巧な絵が描かれていた。ざっと見ると、だいたい前編と後編に分かれており、前編はまだら模様を体にあしらった二足歩行の竜とワイバーンから始まって、どす黒い巻き貝から逆さまになった頭と巨大なハサミを生やした怪物で終わり、後編は全身が岩でできたクモから始まり、背中に鋭いとげを無数に生やした見るからに凶暴そうな竜で終わっていた。

「それも、ここで拾ったものなんだけど、どうやら奴らはキメラとは別になにかの研究をしていたらしい。それの、後編の最初のあたりだよ」

「うん……あっ、これね」

 言われたとおりにページをめくると、そこには例の恐ろしく精巧な絵とともに、この昆虫の怪物が確かに載っていた。ただし、説明文はガリア語ではない見たことのない言語で書かれていて読み解くことはできなかったので、シャルロットは短くスペルを唱えて、もう一度そのページを眺めた。

 魔法の光がシャルロットの目を覆い、彼女の目には不確かな記号にしか見えないその文字を、ハルケギニアの意味にして脳へと伝達していく。

「変異昆虫……シルドロン。高純度液体エネルギーを好んで飲み、全身を強固な外骨格で覆い、さらに両腕の装甲を盾の様に使って攻撃をかわす怪獣って書いてある」

「えっ! あんた、読めるのかい!?」

「いいえ、リードランゲージっていうコモンスペル。読めない文字を解読できるの」

「はあ、まったく魔法ってのはすごいものだね」

「ジル、どうしよう?」

「どうしようって、相手が悪すぎる。逃げるよ、こっそりとな」

 普通のキメラだって、入念に作戦を練って、罠を用意して戦うというのに、十倍以上の巨体の怪物に、無準備で戦えるわけはない。第一、キメラと違ってあれは戦うべき相手ではない。

 

 しかし、彼女たちは知らなかった。

 

 この瓦礫の数十メートル下……地下ではまだ研究所の施設の一部が生き残っており、度重なるシルドロンのエネルギーパイプからの吸収に、ついにエネルギー欠乏をきたした機械群が、非常システムを作動させていたのだ。

 

”高純度エネルギーパイプ破損、研究所内エネルギー、レッドラインまで降下……緊急避難エノメナシステム作動、補助動力ネオマキシマオーバードライブ作動開始。これより本研究所は三百秒後に半径三十キロメートル四方を亜空間転移して撤退します。転移座標ザリーナポイント001、転移計算開始……エラー、エラー、計算に失敗、転移座標算定不能……”

 

 ハルケギニアにあるはずのない機械が、電子のうなりをあげて始動し、時空間に膨大なエネルギーを注ぎ込んで歪めていく。それに、シャルロットとジルも、シルドロンも、森に残ったキメラたちも気づいていない。

 

「音を立てるなよ。奴が食い物に夢中になってるうちに、森の中に隠れるんだ」

「うん……」

 

 勝負にならない敵から逃げるのは恥ではない。自分の牙が届く範囲もわきまえず、銃口の前に飛び出す狼は豚となんら変わりはない。二人は息を殺して一歩一歩瓦礫の中を忍び足で進んでいく。

 

 だが、そのときにはすでに手遅れで、この世界で作られた、この世界のものではない技術の産物の装置は、製作者が万が一の場合には研究所ごと逃げられるようにとプログラムして、結局役に立たなかった最後の命令を今になって果たそうと、エラーを出し続ける座標計算を続けながらエネルギーチャージを続け、そして最後のカウントの時が刻まれた。

 

”5、4、3、2、1、ワープします”

 

 そのとき、ファンガスの森全体を光が包み込んで、一瞬で消えた。

 

「今、なにか光った?」

「ああ……気のせいか」

 

 このとき二人にもう少し余裕があれば、空が曇り空から晴天に変わっているのに気がついただろう。けれども、すぐにジルとシャルロットは大変な危機に見舞われて、その余裕を失うことになった。

 

「……っ! やばい、見つかった!」

 パイプからたっぷりと高純度エネルギーを飲み干したシルドロンはむくりと起き上がると、食後のひと運動と、手ごろなおもちゃとばかりに二人に向かって襲い掛かってきたのだ。

「走れ!」

 瓦礫を飛び越え、森の道なき道を二人は必死で逃げた。けれども、怪獣は逃げ隠れする二人をまるで森の木をすかして見えているように、いくら隠れても見つけ出してきた。

「ジル、なんであいつはわたしたちが見えるの!」

「わからない! 匂いか音か。でも、やろうと思えばすぐにあたしたちを殺せるはずなのに、あいつ、あたしたちで遊んでやがる」

 実は、シルドロンの頭部には、第三の目のような発光器官が備わっていて、これが極めて鋭敏なレーダーの役割を果たす。しかも、大量のエネルギーを吸収したためか、奴はまるで疲れを見せない。

 

 そして、日が地平線上に傾き、森を紅い光が照らす時間になるまで、二人は追ってくるシルドロンから逃げ続けた。

 

「はあ、はぁ……ジル、もうわたし走れないよ」

「弱音を吐くんじゃない。畜生、虫けらなんかに踏み潰されるなんて、あべこべじゃねえか」

 心身ともに疲労しきった荒い息の中で、ジルは倒れそうになっているシャルロットを助け起こしながら毒づいた。

 腹を満たした猫はネズミをすぐに殺さずに手の中で死ぬまでもてあそぶというが、いざ自分がその立場に立つとうれしいものではない。それに、四、五時間に及ぶ逃避行で、さしものジルの体力も尽きてきた。

「こうなったら、二手に分かれよう。あんたは魔法でさっさと飛んで逃げな!」

「そんな、ジルを置いていけないよ!」

「バカっ! そんなこと、危ない! 前」

 ジルが叫んだときには遅かった。シャルロットは森の木々のあいだに密集していたつたに正面から突っ込んで、完全に全身をからめとられてしまっていた。

「う、動けないよ」

「ああもうっ! 動くなよ、すぐに助けてやるからな」

 舌打ちすると、ジルはブーツからナイフを取り出して、シャルロットをからめとっているつたを切り裂いていった。しかし、つたは硬い上に数が多く、ナイフが刃こぼれするばかりで作業がいっこうにはかどらない。

「畜生、こいつが」

「ジル、怪物が来るよ、もういいよ。逃げて!」

「バカ! あたしよりずっと小さいくせに何気を使ってるんだい。絶対に助けてやる、助けてやるからな」

 鬼気迫るとさえ言えるジルの表情に、シャルロットは見ず知らずの自分のためにどうしてそこまでしてくれるのかと思った。

 けれど、ジルがつたを切り裂くよりも早く、もう遊びにも飽きたのかシルドロンの巨大な足が迫ってきた。

「きゃあっ!」

「くそっ!」

 とっさにジルがシャルロットを守るように覆いかぶさった。けれど、そんなものではあの何万トンという巨大怪獣の重圧から守りきれるはずがない。シャルロットは思わず死んだ父親に向けて祈った。

 

 そのときだった! 突然シルドロンの額についている発光器官が光って、奴が反射的に上げた左腕の装甲に光り輝く青い球体が飛んできたかと思うと、装甲ではじき返されたそれは強烈な衝撃波を呼び、つたを引きちぎって二人を地面に叩き付けた。

「きゃあっ!」

「うっ……」

 激しく背中を打ちつけたジルはそのまま気を失い。シャルロットも、咳き込んで薄れゆく意識の中で、わずかな気力を奮い起こして顔を上げて……見た。

 

 連射されてきた無数の青い光球を、シルドロンは両腕の装甲を使ってガードし、立ち向かってきた何者かと戦いに望んだ。

 だが、勝負は一瞬だった。

 鋭い刃のような光が二回閃いたかと思うと、シルドロンの自慢の強固な両腕が肩口から切り裂かれて宙を舞っていた。

 悲鳴をあげたシルドロン。そして青く輝く光の束がその腹に打ち込まれたとき、シルドロンは爆発を起こして粉々に吹き飛び、その爆風にあおられてシャルロットは、最後に自分たちを見下ろしてくる何者かの視線を感じながら、完全に意識を失った。

 

 

「う……」

 それからどれだけ時間が過ぎたのだろうか。意識を取り戻したとき、シャルロットはすっかり闇のとばりに覆われた森の、どこかの場所に寝かされていた。

 うっすらと目を開けて周りを見渡すと、目の前には焚き火がたかれており、ジルは少し離れた場所に寝かされていて、シャルロットはほっとしてさらに周りを観察すると、一人の人影が視界に入ってきた。

”誰……?”

 まだよく動かない体の中で、瞳だけを動かしてシャルロットはその人影の動きを追った。

 こちらに背を向けているので顔は見えなかったが、黒髪の長身の男性らしく、ジルに負けないくらい引き締まった体格が目を引いた。

 ただ、こんな危険な森にいるというのに、彼は武器どころかほとんど手ぶらの状態で、服装も街中で身につけているような極めて軽装なものだった。

”王家の、回し者?”

 シャルロットはそう考えたが、すぐにその答えを否定した。もしも、ジョゼフかイザベラの息がかかった者であったら、自分を生かしておくはずがない。即座に始末して、キメラの仕業としてしまえば全部片がつく。

 けれど、味方だとしてもこの森には自分やジルのような人間以外は近づかないし、オルレアン派の貴族は全て抑留されるかしたはずで、助けに来てくれるはずがない。

 でも、答えはわからなかったがシャルロットは安心した。自分とジルの傷には、彼が巻いてくれたのであろう包帯が白い肌を見せており、彼が悪意の人間ではないということがわかっただけで充分だった。

 あの怪物はどうなったんだろう? 自分たちはどこまで逃げてきてしまったのか? ガリアは今どうなっているんだろう? 安心したとたん、様々な疑問が頭の中に浮かんできたが、ほっとしたとたんにまた襲ってきた睡魔に次第にまぶたが重くなっていく。

”いいや……目が覚めたら、聞いてみよう……”

 

 まぶたを閉じ、シャルロットは彼の持っていた銀色の箱から聞こえてくる不可思議な声を子守唄にして、また眠りの中へ落ちていった。

 

 

”AAB・アルバータ州総合ラジオ放送、臨時ニュースを申し上げます。先日、日本・東京に出現しました地球外生体兵器は、コードネームを【コッヴ】と呼称することが発表されました。それと並行し、世界各国政府は、現在地球へ迫りつつある脅威から地球を守るべく、秘密裏に地球防衛連合G.U.A.R.D.を設立していたことを発表しました。これについて、本国政府の対応は……”

 

 星空と、たった一つの月の下で、過酷な運命を背負わされた少女の最初の冒険は、幸せな小休止を迎えていた。

 

 

 続く


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