SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence- 作:ペンローズ
キュルケは昼前に目覚めた。今日は虚無の曜日である。
窓を眺めると、あったはずの窓ガラスはなくなり、代わりに大きな穴があいている。
そして、窓のことなどまったく気にも留めずに起き上がり、化粧を始めた。
今日はどうやって彼を口説こうか、考えるだけで身体の芯から疼いてくる。
今回の獲物……エツィオは今までの男どものような、誘えば寄ってくるような容易い相手ではない。
昨夜、まさか自分があそこまで手玉に取られるとは思ってもいなかった。
あの時、ルイズが入ってこなかったら、自分は今頃、彼に身も心も屈服させられていただろう。
生まれついての狩人であるキュルケだからこそわかる、彼も同じ狩人だ、それも知恵も経験も豊富な、百戦錬磨の。
化粧を終え、部屋から出て、ルイズの部屋の扉をノックした。
そのあと、キュルケは顎に手を置いて、考える。
エツィオが出てきたら抱きついてキスをする、まずは先制攻撃だ。でももしルイズが出てきたら……どうしようかしら?
そんなことを考えながらドアが開くのを待つ、しかしいくら待てども、ノックの返事はなく、ドアが開くことはなかった。
試しに開けようと試みるも、案の定鍵がかかっていた。
キュルケはなんのためらいもなく『アンロック』の呪文をかける、鍵が開く音がした。
開けてみると、やはりというべきか、部屋はもぬけの殻だった。二人ともいない。
キュルケは部屋を見回した。
「相変わらず色気のない部屋ね……」
ルイズの鞄がない。虚無の曜日なのに鞄がないということは、どこかにでかけたのだろうか。窓から外を見回した。
門の前に二頭の馬が繋がっている、その横で話をしているのであろう二人の姿が見えた。目を凝らす。
果たしてそれはエツィオとルイズであった。
「なによー、出かけるの?」
キュルケはつまらなそうに呟いた。
それから、ちょっと考え、ルイズの部屋を飛び出した。
「なぁ、本当に行くのか?」
学院の校門前で、エツィオが馬の腹を撫でながらルイズに尋ねた。
「なによ? 剣が欲しくないの?」
もう一頭の馬に跨ったルイズがエツィオを見下ろした。
二人がこんなやり取りをするのにはもちろん理由がある。
昨日……というより、今さっきまでルイズによる、ヴァリエール家とツェルプストー家の長年にわたる因縁の歴史の講義が行われていたのだが。
その話の最後に、キュルケに手を出したということが学院中の男どもに知れ渡った場合、命がいくつあっても足らない、
仮にも傭兵ならば、降りかかる火の粉は自分で払え、とのことで、身を守る為の剣を買いに行くことになったのである。
「それはそうだけど、別に今すぐ必要ってわけでもない、今日でなくてもいいじゃないか」
「言ったでしょ? 今日は虚無の曜日、授業は休みよ、今日行かないと忘れちゃうかもしれないでしょ」
「虚無の曜日……つまりは安息日だろ? 神様だって寝てるってのに……。まぁ、君がそう言うならお供するけどさ……眠くないのか?
君が寝かせてくれないものだから俺はもう眠くて……」
「誤解を招くような言葉は慎みなさい、それに、何言ってんの? 全然眠くなんかないわ。見なさい、お肌がぷりっぷりのつるつるよ、積年の恨みを晴らした気分ね!」
「……それはなにより。わかった、折角のデートのお誘いだ、喜んでお供するよ」
絶好調! と言わんばかりのルイズに対し、既に疲労困憊と言わんばかりのエツィオは苦笑交じりに馬に跨った。
ルイズとエツィオが馬に乗ってトリステイン城下町に向かった数分後、キュルケは学院のある生徒の部屋に転がり込んだ。
部屋の中では青みがかかった髪と、ブルーの瞳をもった少女が一人、読書を楽しんでいる。
そんな彼女から本を取り上げ、自分に対しかけられていた『サイレント』の魔法を解除してもらってから言った。
「タバサ! 今から出かけるわよ! 早く支度してちょうだい!」
「虚無の曜日」
タバサと呼ばれた青い髪の少女は短く理由を告げ、拒否の意を表明する。
それだけ言えば十分とばかりに、タバサはキュルケの手から本を取り返そうとした。
キュルケは本を高く掲げた、背の高いキュルケがそうするだけで彼女の手は本に届かない。
「わかってる。あなたにとって虚無の曜日がどんな日なのだか、あたしは痛いほど、よーく知ってるわよ。でも、今はね、そんなこと言ってられないの。恋なのよ! 恋!」
それでわかるでしょ? と言わんばかりのキュルケであるが、タバサは首を振った。
「そうよね、あなたは説明しないと動いてくれないのよね。ああもう! あたしね、恋をしたの! ほら、使い魔のエツィオ・アウディトーレ!
で、その人が今日、あのにっくきヴァリエールと出かけたの! あたしはそれを追って、二人がどこに行くのか突きとめないとならないの!
馬に乗って行ったから、貴方の使い魔じゃないと追いつけないのよ! だから助けて!」
エツィオ・アウディトーレ……、使い魔として召喚されたというあの男か、キュルケの説明を聞き思い出す。
記憶が正しければ、フードが付いた白のローブに質素なマントを纏った、教室などでよく目にする男だ。
普段他人には興味を持たないタバサであったが、平民でありながらメイジに勝利したという彼の噂は彼女の耳にも入ってきていた。
大方、先日の決闘騒ぎを見物していたキュルケが一目ぼれでもしたのだろう。
そう見当をつけた彼女は、仕方ない、と言わんばかりに小さく頷いた。
「ありがとう! じゃ、追いかけてくれるのね!」
もう一度タバサが頷く。キュルケは親友だ、そんな彼女が自分にしか解決できない頼みを持ち込んだ、ならば受けるまでである。
ピューっと、甲高い口笛の音が青空に吸い込まれる。次いでタバサは窓枠によじ登り、外に向かって飛び降りた。
キュルケも全く動じずに、それに続いた。ちなみに、彼女の部屋は五階である。
ここ最近のタバサは、外出時にドアを使わなくなった。この方が早いからである。
落下する二人を、その理由が受け止めた。力強く両の翼を陽光にはためかせ、二人をその背に乗せて、ウインドドラゴンが飛び上がった。
エツィオが召喚されたその日に目撃したドラゴンである。
「いつ見ても、あなたのシルフィードは惚れ惚れするわね」
その背びれに腰掛け、キュルケが感嘆の声を上げた。そう、タバサの使い魔は、幼生のウインドドラゴンなのだ。
タバサから風の妖精の名を与えられた風竜は、器用に上昇気流を捕らえ、一瞬で二百メイルも空を駆け上った。
タバサは短くキュルケに尋ねる。
「どっち?」
キュルケがあ、と声にならない声をあげた。
「わかんない……。慌ててたから」
タバサは別に文句をつけるでなく、ウインドドラゴンに命じた。
「馬二頭。食べちゃだめ」
ウインドドラゴン、シルフィードは短く鳴いて了解の意を主人に伝えれば、上空へと羽ばたいた。
竜の視力を持ってすれば、高空から馬の姿を捉えるなど、たやすいことだ。
自分の忠実な使い魔が仕事を開始するのを確認したタバサは、キュルケの手から本を奪い取り、使い魔の背びれを背もたれにしページをめくり始めた。
トリステインの城下町を、エツィオとルイズは歩いていた。
魔法学院から乗ってきた馬は町のそばにある駅に預けてある。
「あんた、乗馬も出来るのね」
ルイズが感心したように言った。
乗馬が得意な彼女が素直に褒めるほど、エツィオの乗馬の腕は大したものであった。
「まぁね、見直したか?」
「別に見直してなんかないわ、貴族ならその位出来て当然よ」
「ははっ、それもそうだな、しかし、乗馬の腕なら、君も大したものじゃないか」
ルイズはぷいっとそっぽを向いた。エツィオはそんな彼女をみて笑いかけると周囲を見回す。
学院から街まで馬で三時間だった。経験から推測するとモンテリジョーニからフィレンツェまでの距離にあたるのだろうか。
そんな事を考えながらエツィオは注意深く街中を観察する。
大通りを多くの人々が行き来する、活気にあふれた街だ。
家などの建造物はほぼ石造であり、フィレンツェの街並みと比べるとやや簡素な造りになっている。
道端に露店を構え、声を張り上げ果物や肉、籠などを売る商人たちの姿が見え。
広場には先触れの姿もあった。この辺はフィレンツェでも最早見慣れた光景である。
「ちょっと、エツィオ?」
鐘楼を見上げていたエツィオの袖をルイズが引っ張った。
「ん? 何だ?」
「あんた、まさかアレに登ろう、なんて考えてないでしょうね」
どうやら学院で本塔によじ登ったときの事を言っているらしい。
……実のところ、路地と地形を手っ取り早く覚えるにはこれが一番効率がいい。
半ば図星を指される格好になったエツィオはごまかすように笑った。
「まさか! 君をほっぽってそんなことするわけないだろ!」
「てことはあんた、わたしがいなかったら登ってたってこと?」
慌てるエツィオをみてルイズが笑う。
それに釣られて、エツィオも笑った。
「ねぇ、あんたの住んでいたとこ……フィレンツェだっけ? そこってどういうところだったの?」
しばらくそうやって街を歩いていると、ルイズが不意に口を開いた。
「おや? 君が俺の事を聞いてくるなんて珍しいな、もしかして俺のことを知りたくなったのか?」
「ばっ! 馬鹿じゃないの! そんなんじゃないわよ! あんたねぇ! ご主人様が聞いてるんだから、少しはまじめに答えなさいよ!」
茶化した態度を取るエツィオをルイズが怒鳴りつける。
エツィオは小さく笑い、空を見上げた。
「悪い悪い。……フィレンツェか、いいところだよ、学問と芸術が栄える、イタリアでも有数の都市国家さ」
「都市国家……昔のゲルマニアみたいなところってこと?」
「うーん、ゲルマニアがどういうところかは知らないが、多分そんなところだろうな」
「ふん、成り上がりの国ね」
辛辣な感想を述べたルイズを見て、エツィオは笑い声をあげた。
「はははっ、成り上がりか、確かにそうかもしれないな、事実、フィレンツェは二百年前まで小さな都市にすぎなかったからな」
「ふぅん……そこであんたの家は銀行を営んでいた、ってワケね」
「そうさ、その街で俺は銀行家の息子として何不自由なく暮らしてた。フェデリコ兄さんと一緒に馬鹿やったりしてたよ、喧嘩したり、女の子と遊んだりね。
……幸せだった。ずっとそんな日が続くと思ってた……」
「それって……」
空に浮かぶ雲から視線を落とし、悲しそうに呟くとエツィオは小さく首を振った。
「あ……いや、すまない、どんな街か、って話だったな」
エツィオは困ったように笑うと、頭を掻いた。
「うん、さっきも言った通り、学問と芸術が栄える、素晴らしい街さ。もし機会があったら案内してあげるよ、
会わせたい奴もいる、レオナルドって奴だ、俺の親友でこれがまた変わった奴でさ……っと」
「な、なによ、どうしたの?」
そこまで言ったエツィオの目が急に鋭くなり、ルイズの腕を掴むとぐいと引きよせた。
突然エツィオの様子が変わり、困惑するルイズに静かに耳打ちした。
「なぁルイズ……尾行されている」
「はぁ?」
突然出てきた言葉にルイズが素っ頓狂な声を上げる。
そしてあたりをきょろきょろと見回した。
辺りは人通りが激しく、誰が尾行しているのか全くわからない。
「尾行って……誰によ」
「今はわからない、だけど……視線は二人だな。狙われる心辺りは?」
「ない……けど」
「そうか、ルイズ、先に行っててくれ、……そうだな、そこの路地を曲がったところでいいだろう、そこで待っててくれ」
「あ、あんたはどうするの?」
不安そうにこちらを見るルイズにエツィオは軽くウィンクをした。
「そういうのを始末するのが俺の役目だろ? なに、任せておいてくれ」
それだけ言い残すと、エツィオは人込みの流れに紛れ込んでいく。
するとどうだろう、かなり派手な格好をしているにも関わらず、彼の姿が気配と共に人々の中に溶け込み消えてしまったのである。
「あ、あれっ? エツィオ?」
完全にエツィオの姿を見失ったルイズは、きょろきょろとあたりを見回した。
しかしいくら探せど人込みに完全に溶け込んだエツィオを探し出すことはできず、やがて諦めたのか
エツィオに言われた場所へと渋々歩き出した。
「あれっ?」
ルイズと同じように驚いた声を出したのは、キュルケであった。
「いつ見失っちゃったのかしら? 目を離した覚えはないのに……」
その言葉にキュルケの横にいたタバサも小さく頷いた。
難なくルイズとエツィオを見つけた一行はここまで後をつけていたのであるが……
ルイズと同じように人込みに紛れこんだエツィオを完全に見失ってしまったのであった。
「ルイズもどっか行っちゃうし……まかれちゃったのかしら?」
キュルケが困ったように呟く、まさかここまで来て見失うなんて……。
ルイズと離れた最大のチャンスであるにもかかわらず見失ってしまった自分の迂闊さが憎らしい。
このまま諦めるのも彼女の主義に反するし、何より、ここまで連れてきてくれたこの小さな友人に申し訳が立たない。
キュルケは意を決したように振りかえる。
「タバサ、急いで探すわよ!」
「その必要はないな」
「ひゃっ!!」
「――ッ!?」
その声と共に、突然背後から肩を掴まれた二人は軽く悲鳴を上げる。
不意を突かれた二人は即座に後ろを振り返る、するとそこに立っていたのは、今まで二人が尾行していた男……エツィオ・アウディトーレその人であった。
「やぁ、キュルケ。もしかして俺を追ってきていたのは君達だったのかな?」
驚きのあまり目を白黒させているキュルケにエツィオはおどけた様子で話しかける。
「ミ、ミスタ! はぁっ! まったく、驚かさないでほしいわ!」
キュルケが豊満な胸を抑えつつ、大きく息を吐く。
「ははっ、これは失礼、しかしよかった、追っていたのが君たちのようで安心したよ」
エツィオはそう言うと、キュルケの隣にいる少女……タバサに視線を向けた。
「それはそうと……こちらの可愛らしいお嬢さんは?」
「あぁ、この子? あたしの友達のタバサよ」
キュルケがつられてタバサに視線を向ける、
するとタバサは、何やら顔を青くしながら、首筋を押え、杖をしっかりと握りしめている。
まるで目の前の男を警戒しているかのように、その顔は硬くこわばっていた。
「……タバサ? どうしたの?」
いつもと様子が違う友人にキュルケが声をかける。
すると我に返ったのか、タバサは首筋から手を離すと、小さく「何でもない」と答えた。
その様子を知ってか知らずか、エツィオは社交的な笑みを浮かべ軽い口調でタバサに話しかける。
「やぁ、ミス・タバサ、俺はエツィオだ、よろしくな」
「……」
にこやかに自己紹介をするエツィオを、タバサはじっと見つめる。
自然と、手に握る杖に力がこもる。間違いない、彼がその気なら殺されていた。
今こうして、へらへらと笑ってはいるが、肩を掴まれた瞬間に感じたそれは、極限まで研ぎ澄まされた殺気だった。
尾行している間はともかく、彼を見失ったとき、真っ先に周囲を警戒していた。
にもかかわらず、彼は自分たちの背後にまんまと回り込み、あまつさえ身体に触れる瞬間までまったく気配を感じさせなかったのだ。
「うーん、これは嫌われちゃったかなぁ……」
「あぁ、気にしないで、この子は誰にでもこうだから」
困った表情で頭を掻くエツィオにキュルケが軽くフォローを入れる。
「それよりエツィオ? ヴァリエールなんかと街で何をする気だったのかしら? もしよろしければ、あたしと一緒に街を歩かない?
いろんなところ、案内してあげるわよ」
キュルケが誘惑するようにエツィオの下顎を指でなぞる。
エツィオはその手を優しく包む込むように握ると、ゆっくりと首を振った。
「すまない、今日は先約があるんだ、あの子が剣を買ってくれるって言うんでね、なんでも、君を狙う男どもから身を守るためだとか……」
「あら、そんなものなくたって、あたしが貴方を守ってあげるわ」
「それはうれしいな、しかし、自分の身も守れないような男が、君に釣り合うわけがない、そうだろう?
なに、学院中の男どもを敵に回したって、俺は君を手に入れて見せるさ」
エツィオはそこまで言うと、キュルケの指に軽く唇を落とす。なんとも情熱的な男である。
「さて、ルイズを待たせてる、そろそろ行かなくっちゃ、あの子は怒らせると怖いんだ」
「エツィオ? あたし達もご一緒してよろしいかしら?」
「もちろんだ」
両手に花、エツィオは上機嫌でキュルケと腕を組むと、ルイズの待つ通りへと歩き出した。
「エツィオ! おそ――なっ! ツェルプストー! なんであんたがここにいるのよ!」
エツィオと腕を組み、共に歩いてきたキュルケを見て、ルイズが眉を吊り上げる。
「あぁルイズ、尾行していたのはこの子たちだった……ぐあっ!?」
とてもいい笑顔のエツィオの股間をルイズが力いっぱい蹴りあげた。
「な……なにを……」
「ああああ、あんた! 昨日言ったこともう忘れたの! あれだけ! 口が! すっぱくなるほど!
キュルケに尻尾を振るなって! 言ったでしょうが! この馬鹿犬!!」
あまりの激痛に地面にうずくまるエツィオをげしげしと蹴りながらルイズが怒鳴り散らす。
その様子を見ていたキュルケが勝ち誇ったように言った。
「あら? もしかして嫉妬? みっともないわよヴァリエール」
「嫉妬? 誰が嫉妬してるのよ! この馬鹿使い魔がツェルプストーの女なんかに尻尾を振ることが気に入らないだけよ!」
苦痛に悶え、未だ起き上がれないエツィオをよそにルイズとキュルケが口論を始める。
と言うよりは、キュルケはルイズをからかっているだけなのだが……。
「そう言えばヴァリエール? あなた、エツィオに剣をプレゼントするんですって?」
「あんたには関係ないでしょ! ちょっとエツィオ! いつまで寝てんの! キュルケなんてほっといて、さっさと行くわよ!」
「ぐっ……わ、わかった! わかったからそんなにひっぱるな!」
怒り心頭のルイズはエツィオの耳を掴むと、キュルケ達を無視するように大通りをずんずんと進んでいく。
耳を引っ張られ無理やり引き立たされる形になったエツィオは、情けない悲鳴を上げながらルイズに引きずられ、人込みの中に消えていった。
「追うの?」
「当然じゃない、後を追うわよ!」
その様子を眺めていたタバサが、キュルケに尋ねる。
キュルケは大きく頷くと、再びルイズ達を尾行すべく大通りを歩き出した。
「……やっと撒けたようね、まったく、無駄な時間を過ごしたわ!」
「はぁ、だからって、あぁまで邪険に扱わなくなっていいじゃないか……」
ルイズが念入りに背後を確認しながら、怒りに地面を踏みならす。
エツィオは赤くなった耳を擦りながら、呆れたように呟いた。
「あんたね、本当に話聞いてたの! 我がヴァリエール家とツェルプストー家は不倶戴天の敵なの!」
「わかったわかった! それはもう散々聞いたって! まったく……」
「……それよりあんた、財布は無事でしょうね?」
ルイズは財布は下僕が持つものだ、と言って財布をそっくりエツィオに持たせていたのである。
中にはぎっしり金貨が詰まっており、ずっしりと重い。
「あぁ、大丈夫だ、……ここらへんはスリが多いみたいだな」
「む……、なんでそれがわかったの?」
「なに、見ればわかる、それに、俺から言わせれば彼らはまだまだだ」
エツィオはいたずらっぽく笑うと小さな袋をいくつか取り出した。
ルイズの財布ほどではないが中には小銭が入っていた。
「ちょっと! それどうしたの!?」
「これかい? 俺に近づいてきたスリから逆にスッたのさ。彼らは今頃、慌てふためいているだろうな」
「呆れた……」
「なに、授業料、ってやつさ。俺だって堅気の人からはスッたりしないよ」
そう言うとエツィオは"戦利品"の袋の中から一枚金貨を取り出す、見たことのない貨幣である。
「そういえば、俺も一応金の持ち合わせがあるが、ここの通貨はなんだ? 見たことがない」
「エキューよ、その金貨がそれね、あとはスゥ、ドニエね」
「エキュー? フランス……のか? うーむ、参ったな、てことは通貨が違う。俺が持っているのはフローリンだ」
エツィオは自分の財布から金貨を一枚取り出した。
それを手に取りルイズがしげしげと眺める。
「初めてみる貨幣ね、残念だけど、あんたの持ってるお金はここじゃ使えないわ」
「やっぱりダメか、両替も期待できないだろうな」
「ま、剣の代金くらいわたしが持ってあげるわ、そのつもりで来たんだし」
「すまないな」
ルイズは狭い路地裏に入って行った、悪臭が鼻につく。ゴミや汚物が道端に転がっている。
「路地裏っていうのはどこも同じなんだな」
「あんまり来たくはないわ、治安もあまりいいとは言えないし……」
四辻にでた。ルイズは立ち止まると、辺りをきょろきょろと見回した
「ピエモンの秘薬屋の近くだったから、この辺だったと思うんだけど……」
「あれじゃないか?」
「あ、あそこね」
エツィオが指さす、見ると剣の形をした銅の看板が下がっていた。
どうやらそこが武器屋のようだった。
ルイズとエツィオは、石段を上り、羽扉を開け、店の中に入って行った。
店の中は昼間だと言うのに薄暗く、ランプの灯りがともっていた。
壁や棚に、所狭しと剣や槍、槌が乱雑に並べられている。立派な甲冑もあった。
店の奥でパイプをくわえていた五十がらみの親父が入ってきたルイズを胡散臭げに見つめた。
紐タイ留めに描かれた五芒星に気付く。それからパイプを放し、ドスの利いた声を出した。
「旦那、貴族の旦那、うちはまっとうな商売してまさぁ、お上に目をつけられるようなやましいことなんかこれっぽっちもありませんや」
「客よ」
ルイズは腕を組んで言った。
「こりゃおったまげた。貴族が剣を! おったまげた!」
「どうして?」
「いえ、若奥様、坊主は聖具をふる、兵隊は剣をふる、貴族は杖をふる、そして陛下はバルコニーから手をおふりになる、と相場は決まっておりますんで」
「使うのはわたしじゃないわ、使い魔よ」
「忘れておりました! 昨今は使い魔も剣をふるようで」
店主はお愛想を言うと、エツィオをじろじろと眺めた。
「剣をお使いになるのはこの方で?」
ルイズは頷いた。エツィオは先ほどから棚の上の商品を手に取り、なにやら考え込んでいる。
ルイズはそんなエツィオをちらと見て言った。
「わたしは剣のことなんかわからないから。適当に選んでちょうだい」
店主はいそいそと奥の倉庫へ消える。彼は聞こえないように小声で呟いた。
「……こりゃ、鴨がネギしょってやってきたわい。せいぜい高く売りつけてやるとしよう」
店主が奥に引っ込んだ時、棚を物色していたエツィオがルイズに話しかけた。
「なぁ、ルイズ、ついでに欲しいものがあるんだ、買ってもらえると助かるんだが」
「なによ」
「まずはそうだな、短剣と……投げナイフが数本欲しいな。ついでにこれも」
エツィオはそう言うと、棚にあった短剣やナイフをカウンターに次々積んでいく。
そして最後に、なにやら鉄のプレートが縫いこまれた皮の手袋を置いた。
ルイズは首を傾げる。
「なにこれ」
「セスタスさ、ギーシュのようにゴーレムを使う奴がいるかもしれないだろ? これなら殴っても手を傷めないで済む」
「ふぅん、わたしも一つ買おうかしら、あんたへのお仕置き用に」
「おいおい、勘弁してくれ! 君の怖さは十分思い知ったって!」
ルイズとエツィオが笑いあっていると、丁度店主が奥の倉庫から一メイルほどの長さの細身の剣をもって現れた。
随分華奢な剣である。片手で扱うものらしく、短めの柄にハンドガードが付いていた。
主人は思い出したように言った。
「そういや、昨今は宮廷の貴族の方々の間で下僕に剣を持たせるのがはやっておりましてね。
その際にお選びになるのがこのようなレイピアでさあ」
なるほど、きらびやかな模様がついていて、いかにも貴族好みしそうな、綺麗な剣だった。
「貴族の間で、下僕に剣を持たせるのが流行ってる?」
ルイズは尋ねた。主人はもっともらしく頷いた。
「なんでも『土くれ』のフーケとかいう盗賊が、貴族のお宝を散々盗みまくってるって噂で。
貴族の方々は恐れて、下僕にまで剣を持たせてる始末だそうで、へぇ」
ルイズは盗賊には興味がなかったので、じろじろと剣を眺めた。
しかし、これではすぐに折れてしまいそうである。
エツィオは確か、両手で扱うような斧や剣を軽々と扱っていた。
「もっと大きくて太いのがいいわ」
「これよりも大きい剣ですかい? なら奥に店一番の業物がありまさぁ、やっこさんならそれも扱えるでしょうな」
「そう、ならそれを持ってきて頂戴」
ルイズがそう言うと、店主がぺこりと頭を下げ、奥に戻ろうとする。
その様子を後ろから眺めていたエツィオが引きとめるように声をかけた。
「いや、このくらいでいいんじゃないか?」
エツィオはそう言うと、レイピアを手に取ってフェンシングのように構えた。
その構えは流石と言うべきか、洗練され一部の隙もない。
「それに、これより大きいとなると、取り回しが難しくなるんだよな」
「じゃあ……それにする?」
剣の事はさっぱりなので、エツィオがそう言うならと、ルイズもこれでいいんだろうな、と思った。
しかし、エツィオは小さく頭をふった。
「だけど、これじゃ派手すぎる。もっと地味で安いのはないか? 見たところ高そうだ」
エツィオはあっさりそう言うと、レイピアをカウンターの上に置く。
剣に必要なものは切れ味であり、無駄な装飾でも、付加価値でもないのだ。
だがルイズは、このレイピアを気に入ったようである、貴族はこの位の派手な装飾がある物が好みなのだ。
「わたしは貴族よ、エツィオ、これでいいじゃない。これ、おいくら? 新金貨で百まで出せるわ」
「なっ……おい!」
その言葉を聞いたエツィオはずるっと肩を落とす。まさかのっけから財布の中身をバラすとは思っていなかったからだ。
流石は貴族のお嬢様、ルイズは買い物の駆け引きが下手くそだった。
それを聞いた店主が話にならないと言うように手を振った。
「まともな剣なら、どんなに安くても相場は二百でさ、そればかりじゃあこの短剣類を買っておしまいですぜ」
ルイズは顔を赤くした。剣がそんなに高いとは知らなかったのだ。
「まぁ、仕方ないな、こればかりは。それじゃ親父、これをくれ」
エツィオが慰めるようにルイズの肩に手を置く。
剣が買えなかったのは残念だが、最低限の装備は整えられた。
武器はいざとなったら敵から奪えばいい。そう考えて勘定をしようとした、その時……
乱雑に積み上げられた剣の中から、声がした。
低い、男の声だった。
「へっ! 百しかねぇのに剣を買いに来たのかよ! 舐められたもんだな!」
ルイズとエツィオは声の方を向いた。店主が、頭を抱えた。
「それっぽっちで剣が買えるとでも思ったのか? 貴族の娘っ子!
世間知らずもいいところだ! わかったらさっさと家に帰りな!」
「失礼ね! どこ! 出てきなさい!」
ルイズはいきなり悪口を言われ腹が立った。
しかし聞こえてくる方向には人影はない。ただ、乱雑に剣が置いてあるだけである。
エツィオはつかつかと声のする方に近づいた。
「誰もいないな……一体なんだ?」
「おめえの目は節穴か!」
驚いたエツィオは思わず後ずさる。
なんと、声の主は一本の剣だった。錆の浮いたボロボロの剣から声は発されていたのであった。
「うわっ、剣がっ! しゃべった……?」
エツィオがそう言うと店主がどなり声を上げた。
「やい! デル公! お客様に失礼なこと言うんじゃねぇ!」
「デル公だって?」
エツィオは恐る恐る剣を引き抜き、もう一度、その剣をよく"見た"。先ほどのレイピアよりも長く、分類としては大剣に当たるだろう。
刀身が細い、薄手の長剣である。ただ、表面には錆が浮き、お世辞にも見栄えがいいとは言えない。
しかし、エツィオの目は、他の剣にはない"何か"を捉えた。うまく言い表せないが、これが魔力というものなのだろうか。
「お客様? 金も持ってねぇのにか? そんなの客って言えるのか?」
「それって、インテリジェンスソード?」
ルイズが当惑した声を上げた。
「そうでさ、若奥さま、意思を持つ魔剣、インテリジェンスソードでさ。いったいどこの魔術師が始めたんですかねぇ。
剣を喋らせるなんて……とにかく、こいつは口は悪いわ、客に喧嘩を売るわで閉口してまして……。
やいデル公! これ以上失礼があったら、貴族に頼んでてめぇを溶かしちまうからな!」
「おもしれ! やってみやがれ! どうせこの世には飽き飽きしてんだ、溶かしてくれるなら上等だ!」
「やってやらあ!」
店主が歩き出した。しかし、エツィオはそれを遮る。
「まぁ、待ってくれ。なかなか興味深い、溶かす前に少し見せてくれないか」
レオナルドに見せたらどんな反応をするのだろうか?
エツィオはそんなことを考えながら、その剣に話しかける。
「お前、デル公って言うのか?」
「違うわ! デルフリンガーさまだ! いい加減離せ!」
「名前だけは一人前でさ」
「へぇ、俺はエツィオだ」
剣は黙った。じっと、エツィオを観察するかのように黙りこくった。
それからしばらくして、剣は小さな声でしゃべり始めた。
「おでれーた。……おめえ、ただもんじゃねぇな。相当修羅場をくぐってやがる」
「お、わかるか? これでも女性関係には苦労しているんだ」
「そっちじゃねぇよ! ったく、しかし……『使い手』か、それも相当な技量だ、まあいい、てめ、俺を買え」
「おいおい、売り込みか? わかった、相談してみよう」
エツィオは軽く言った。すると剣は黙りこくった。
「ルイズ、これにしよう、親父、こいつに苦労させられてるんだろ? 厄介払いってことで安くしてくれよ」
ルイズはいやそうな声をあげた。
「え~~~。そんなのにするの? もっと綺麗で喋らないのにしなさいよ」
「まぁいいだろ? なかなか面白いじゃないか」
「それだけじゃないの」
ルイズはぶつくさ文句を言ったが、他に買えそうな剣もないので、店主に尋ねた。
「あれ、おいくら?」
「あれなら、そこの短剣類とあわせて百で結構でさ」
「安いじゃない」
「兄ちゃんの言うとおり、こっちにしてみりゃ厄介払いでさ」
主人は手をひらひらと振りながら言った。
エツィオはルイズの財布を取り出すと、中身をカウンターの上に置いた。
店主は慎重に枚数を数え、やがて頷いた。
「毎度」
「ありがとう、では貰って行くよ」
剣を手に取り、鞘に収めエツィオに手渡した。
それからエツィオはカウンターに置かれた短剣や投げナイフを手慣れた手つきでローブの中に収納してゆく。
セスタスを手にはめ、投げナイフを腹当のナイフベルトに差していく、小ぶりの短剣をブーツについた鞘に入れ、もう一本の短剣を腰当てに下げた。
カウンターの上にあれだけあった武器の束をあっという間に収納すると、最後にデルフリンガーを肩に背負った。
「これでよし。さ、行こうか。世話になったな」
「その前に、なにかわたしに言うことあるんじゃない?」
「あぁそうだった、わたくしのために剣をお与えいただき恐悦至極に存じます、ご主人様」
「よろしい」
つんと胸をはるルイズに、エツィオはにっこりと笑い恭しく礼をする。
それを受け、満足そうにルイズが頷いた。
「やっと出てきたわね……」
武器店から出てきたエツィオとルイズを見つめる二つの影があった、キュルケとタバサである。
キュルケが路地の陰から二人を見ていると、エツィオと目があう。
彼は隣にいるルイズにバレないように軽くウィンクをすると、再びルイズに向き直った。
やはりというべきか、彼は彼女らが再び自分を尾行していることなど承知の上のようだった。
「はぁ……やっぱり素敵ね、彼……」
キュルケは頬に手を当てると、うっとりしたように呟く。その横でタバサが、黙々と読書に耽っていた。
「まったく、ゼロのルイズったら、剣なんかプレゼントしてあの人の気を引こうだなんてね、
こうしちゃいられないわ、あの子が買った物より、もっといい剣を彼にプレゼントしなくちゃね」
自信たっぷりにそういうと、彼女は今しがた二人が出てきた武器屋へと入って行った。