SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

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memory-06 「そして彼らはいなくなった」

 決闘騒ぎも終わり、学院に普段と同じ平穏が戻る。

なんとかルイズをなだめ、教室へ送り届けたエツィオは、傷の手当てをすべく、水汲み場へと向かった。

エツィオが水汲み場へ向かっていると、ふと視線を向けた先に見知った顔が一人、おろおろとしているのが見えた。

 

「おや? シエスタ?」

「エツィオさん!」

 

 エツィオがその人物、シエスタに声をかける、彼女はエツィオを見るとすぐに駆け寄ってきた。

 

「さっきはどうしたんだ? 急に逃げ出して……」

「エツィオさん! 私っ! 心配してたんです! 貴族の方と決闘だなんて!」

「あぁ、あれか、何、たいしたことじゃないさ」

「その怪我っ……! あぁっ、あの時私が止めていれば……こんな……」

 

 エツィオの口元の傷を見てシエスタがぽろぽろと涙を流し始めた。

自分のせいでエツィオがひどい目に遭わされてしまった、と言わんばかりである。

 

「ごめんなさい……私、怖くなって、逃げてしまったんです。本当に、貴族は怖いんです、私のような魔法が使えないただの平民にとっては……だからっ……!」

「おい、なんだよ、まるで俺が負けたみたいな言い草だな」

「だって貴族の方とっ! ……え?」

 

 シエスタはきょとん、とした表情でエツィオの顔を見る。

エツィオは肩をすくめると、笑いながら言った。

 

「決闘を見ていてくれなかったのか? それはひどいな!」

「えっ!? う、うそっ! そんなっ!」

 

 シエスタは両手で頬を押え、顔を真っ赤にしながらうろたえる。

エツィオの勝利が信じられないと言った様子だ。

 

「決闘なら俺の勝ちで終わったよ、誓って本当さ、なんならギーシュでも呼んでくるか?」

「えっ……? ほ、本当に?」

「何度も言わせないでくれよ、それともそんなに俺が信用ならないか?」

「や、やだっ、私ったら何かとんでもない勘違いをっ!?」

 

 耐えきれなくなったのか顔を両手で覆い、シエスタがしゃがみ込む。

それを見たエツィオはわざと落胆した様子で呟いた。

 

「なんだ……見ていてくれなかったのか、せっかくこの勝利を君に捧げようとしていたのに……残念だ」

「わわっ、私のためにだなんて! とっ、とんでもないです! それにエツィオさんを信じ切れなかった私が悪いんです!」

「いや……いいんだ、勝利の女神に浮気した俺が愚かだったんだ、いっそ負けてしまえば、君という女神が俺に慈悲を垂れてくれたかもしれないのに……」

「そっ! そそそ、そんな! そんなこと言わないでください! お願いします!」

 

 エツィオのいちいち芝居がかった台詞にシエスタがいちいち大仰に反応する。

それが楽しくてエツィオの調子がますますエスカレートする。

 

「決闘に勝って、勝負に負けるとはこのことか……胸にぽっかりと穴があいた気分だよ」

「ごっ、ごめんなさい! エツィオさん! 私! なんでもしますからっ! どうかそんな事を言わないでくださいっ!」

「なんでも?」

 

 からかわれ半泣きになったシエスタがエツィオの身体にすがりつく。

エツィオはフードの中でニヤリと笑うと、シエスタの腰に片手を回し、きつく抱きよせた。

突然の出来事にシエスタが目を白黒させる。

 

「えっ? あぇっ? そ、その……え、エツィオ……さん?」

「そうか……なんでもか。なら、今から君は俺の専属メイドだ」

「ふぇっ!? せっ、専属! ……ですかっ!?」

 

 突然の要求にシエスタが素っ頓狂な声を上げた。

エツィオは空いた手でシエスタの顎をしゃくり、瞳の中を覗き込む、シエスタの胸の鼓動が益々早くなるのを感じる。

シエスタは面白いほど動転している、そんな彼女にトドメを刺すべくエツィオが耳元で囁いた。

 

「よろしいかな……? シエスタ」

 

 蕩けそうなほどの、情熱的で甘い声、みるみる顔が赤くなり、かくん、とシエスタの全身から力が抜ける。

毒牙にかかった瞬間だった。

 

「よ……喜んで……」

「決まりだな」

「はひ……」

 

 うっとりとした表情でシエスタが頷く。

エツィオはにっと笑うと、腰にまわした手を離した。

シエスタはそのままぺたんと地面に座り込んだ。

その様子はもはや心ここに在らずといった感じだ。

 

「おいおい、大丈夫か?」

 

 ちょっとやりすぎたかな、とエツィオが苦笑しながら手を差し伸べシエスタを引き立たせる。

シエスタはふらふらと立ち上がると、ぺこりとお辞儀をした。

 

「はっ、はい、あのっ……ふ、ふつつか者ですがどうぞよろしくおねがいします!」

「あぁ、これで君を他の男に取られる心配はなくなったわけだな」

「あの、呼び方はどうしましょう?」

「呼び方?」

「はいっ! 私は専属メイドなので、やはりエツィオさんじゃ何かと……その……、ですからご主人様とかっ!」

「いや、いつも通りに接してくれ、万が一ルイズに知られたら大変だ。あの子はそう言うのに一々うるさくてね。

主人に対し、配慮をするのもメイドの仕事、そうだろ? この関係は二人だけの秘密、いいかな?」

「秘密のカンケイ……、わかりました、ちょっと残念ですけど、いつも通りエツィオさん、ってお呼びしますね」

「よろしい、さてシエスタ、早速で悪いが、ちょっと傷の手当てをしたいんだ、薬があったら分けてくれないか?」

「はいっ、それじゃあ、厨房へ行きましょう、あそこなら薬箱もありますから」

「よし、では行こうか」

 

 エツィオは小さく笑みを浮かべると、シエスタを連れ、厨房へと向かった。

 

「おいシエスタ! どこに行ってたんだ!」

「あっ、マルトーさん!」

 

 二人が厨房へ足を踏み入れると、一人の恰幅のいい中年男が現れた。

服装からしてこの厨房のコックであろう。

マルトーと呼ばれた男は、呆れたように言った。

 

「まったく、まだ話の途中だったろうが、すぐに逆転したって言おうとしたら、

急に顔を青くして走って行っちまうんだからよ……」

「す、すいません……」

 

 シエスタが恥ずかしそうにうつむく。

どうやら、途中経過だけを聞いてエツィオが負けたと早とちりして厨房を飛び出したようだった。

エツィオは小さく笑い、シエスタの肩に手を置く。

 

「だろう? 君の勘違いさ」

「は……はい……」

「ん? お前さんは……おおっ!」

 

 シエスタの横に立っていたエツィオに気がついたマルトーは頓狂な声を上げる

 

「誰かと思えば『我らの刃』じゃないか! なんだシエスタ! 連れてきてくれたのか!」

「『我らの刃』?」

 

 突然出てきた言葉に首をかしげる、まるでセンスのない吟遊詩人がつけたようなネーミングだ。

 

「おうよ! お前さんはもう学院じゃ有名人だぜ! 高慢ちきな貴族を打ち負かした、我ら平民の希望! 『我らの刃』だ!」

「ははっ、それはどうも……」

 

 肩を竦め、なんとも微妙な反応を返す。

それを謙遜と受け取ったのか、マルトーはエツィオの肩を力強く叩いた。

 

「なぁに! 謙遜することは無いぞ! さぁ『我らの刃』よ! こっちに来てくれ!」

「なっ、おい、ちょっと……」

「おおい! 『我らの刃』が来たぞ! 英雄の凱旋だ!」

 

 マルトーが厨房に響くように怒鳴った、それを聞いた若いコックや見習い、メイド達がどっと押し寄せる。

 

「おおっ! この人が!」

「貴族を打ち負かしたってホントか!」

「俺は見たぞ! 蝶のように舞い、蜂のように刺す! 次々ゴーレムを切り裂いていったんだ!」

「素敵な方……」

 

 厨房中から歓声が沸き起こる、もみくちゃにされながらエツィオが苦笑する。

 

「お、おい、まずは落ち着いてくれ、俺はただ……」

「え、エツィオさんは傷の手当てをしたいそうなので! そのっ、後でお願いします!」

「おおそうか! おい! 何やってる! 早く救急箱持ってこい!」

 

 エツィオの言葉を引き継ぐようにシエスタが進み出る、

それを聞いたマルトーが見習いを怒鳴りつけ救急箱を取りに行かせた。

エツィオは厨房の奥にある椅子に腰かけると、小さく息を吐いた。ギーシュを倒したくらいで大変な騒ぎである。

 

 救急箱を受け取ったシエスタが手際よくエツィオの傷口を消毒し、手当をした。

そうして手当てを終えたエツィオにマルトーが話しかける。

 

「いやぁ、悪かったな『我らの刃』よ、お前が貴族を打ち倒したもんだから、あいつらみな興奮してんだ、って、俺もなんだけどな!」

「いや、別に気にしてはいないさ、えぇと、ミスタ・マルトー」

「おいおい、『我らの刃』よ、ミスタ、だなんてつけてくれるな! そのまま呼んでもらってかまわんよ!」

 

 マルトーはエツィオの首に太い腕を巻きつけた。

 

「そうか、俺はエツィオだ、そちらも『我らの刃』だなんて呼ばずに、名前で呼んでくれ」

「どうしてだ?」

「他人行儀で寂しいじゃないか、俺は君らと同じ平民だ、仲間だろ?」

 

 エツィオはマルトーと肩を組むと、人懐こい笑顔で語りかける。

その言葉に感極まったマルトーが大声を上げ、さらにエツィオの首を締めあげた。

 

「なんて奴だ! お前みたいないい奴見たことがないぞ! エツィオ!」

「ぐぉっ、く、苦しいって!」

「おぉすまんな! ははっ! つい感激しちまってな! 俺はお前の事が益々気に入った! どうしてくれる! お前の額に接吻するぞ!」

「おい、勘弁してくれ! 俺の身体は女の子の物だ!」

「言ってくれるじゃねぇかこの野郎!」

 

 マルトーが豪快に笑い飛ばし、シエスタの方を向いた。

 

「おいシエスタ! 俺の代わりにこの勇者にキスしてやれ!」

「はい! って、えぇっ!?」

 

 そんな二人の様子をニコニコしながら見守っていたシエスタが元気よく返事を返したが、

とんでもないことをさらりと言われていたことに気がつき、顔が真っ赤になった。

 

「ええっと、その! あの、私! まだ初めてでそのっ! で、でもエツィオさんなら! よ、よろしくおねがいします!」

 

 しどろもどろになりながらシエスタはエツィオに口づけをすべく、目をつむった。

エツィオは小さく笑うと、人差し指を立てシエスタの唇にそっと触れる。

驚いたシエスタが目を開けた。

 

「ファーストキスか、なら君の口元を血で汚すわけにはいかないな、キスはお預けだ、シエスタ」

「は、はぁ……わかりました」

 

 果たしてどちらに対しての『お預け』なのか、エツィオはそう言うと軽くウィンクした。

どことなく落胆した様子のシエスタが小さく肩を落とす。

 

「まぁそう気を落とすなシエスタ! なら、せめて我らの勇者にアルビオンの古いのを注いでやれ!」

 

 すぐに気を取り直したシエスタは、満面の笑みになると、葡萄酒の棚から、言われたとおりのヴィンテージを取り出してきて、

エツィオのグラスに並々と注いでくれた。香りを愉しんだあと、まずは一口ワインを口にする。

 

「へぇ、うまいな、朝にもワインを頂いたが、あれとは大違いだな、かなりいいワインじゃないのか?」

「その味がわかるか! 貴族のガキ共に出すよりお前に飲んでもらった方がそのワインも幸せってもんだ!」

 

 一気にグラスを傾け、飲み干したエツィオを、シエスタは、うっとりとした面持ちで見つめている。

マルトーは社交的で機知に富んだエツィオの人柄を気に入り、惚れ込んだようだ。

 

 

「ごめんなさい、エツィオさん、マルトーさんがはしゃいじゃって……」

「なに、気にしてはいないさ、少し驚いたけどな」

 

 しばしの談笑を楽しんだエツィオは、ルイズのいる教室へ向かうべく、厨房を後にする。

これから夕食の準備だと言うシエスタは厨房の入口までエツィオを見送った。

彼女も学院に勤めるメイドである以上、学院での仕事はきちんとこなさなくてはいけない。

専属とエツィオは言ったが、彼女を拘束するつもりは毛頭なかった。

 

「それじゃあ、私は仕事に戻ります、何かあったら言ってくださいね、お力になりますので」

「ありがとう、また寄らせてもらうよ」

 

 教室へ向かうエツィオの後ろ姿をうっとりとした表情で見つめていたシエスタは、

緩んだ頬を引き締め、仕事に戻るべく厨房へと戻る。

その時、柱の陰にいる影に気がついた。

 

「あら? 何かしら?」

 

 赤い影はきゅるきゅると鳴くと、消えていった。

 

 

 

 エツィオが召喚されてから一週間ほど経とうとしたある日。

午後の授業を全て終え、教室から出てきたルイズと合流したエツィオは、例によって彼女を食堂までエスコートする。

常に彼女の歩調に合わせ、半歩後を歩く、その姿はまさしく、お姫様につき従う騎士のようである。

 

「さ、どうぞ」

 

 エツィオが椅子を引きルイズが腰かける。相も変わらず、見事なエスコートであった。

テーブルにはやはりというべきか、豪勢な食事が並んでいる。

エツィオが視線を下に向ける、するとそこには、いつもと同じスープが置いてあった。

 

「なぁルイズ……」

「なに?」

「やっぱり、なんとかならないのか?」

「なによ、ギーシュに勝ったご褒美に食事抜きの罰を帳消しにしてあげたんだから、ありがたく思いなさいよね」

 

 エツィオがつらそうな表情で言うと、ルイズがすました顔で言った。

 

「はぁ……、外で食べてくるよ、君らの食事を眺めながらだとつらいものがある」

 

 エツィオは大仰に肩を竦めると、大きくため息を吐く。

そして退出しようと踵を返した時、ルイズに呼び止められた。

 

「待ちなさい」

「ん? 何か?」

「ワインとグラス、置いて行きなさい」

「……ばれてたか」

 

 流石に気付いたか……エツィオは苦笑しながら懐からワインボトルとグラスを取り出し、ルイズのテーブルに置いた。

 

「次やったら本当に食事抜くわよ? いいわね?」

「はいはい、肝に銘じておくよ」

 

 ルイズが静かに睨みつける、エツィオは手のひらをひらひらと振りながら食堂を後にした。

 

「まだ甘いな……」

 

 食堂の外に出たエツィオは小さく呟くと、懐からスプーンとフォーク、ナイフ等の食器を取り出す。

全てルイズの手元に置いてあったものだ、今頃彼女は慌てふためいているだろう。

その顔を見る事が出来ないのが残念だ。

溜飲が下がったエツィオは、薄く笑みを浮かべ、厨房へと向かおうとした、その時。

 

 咄嗟に振り向き、手に持っていたナイフを振り向きざまに投げる。

一瞬左手のルーンが光り、投げたナイフは恐ろしい速度で石柱に当たりぽっきりと折れてしまった。

 

「……さて、かくれんぼは終わりにしようか、いい加減飽きただろ?」

 

 一週間ほど前からずっと感じていた視線に対し声をかける。

警戒しながら、石柱付近を注意深く観察する、すると、きゅるきゅると鳴き声が聞こえてきた。

聞いたことのある鳴き声にエツィオが首をかしげると、柱の陰から赤い影がのっそりと現れた。

キュルケのサラマンダーである、どうやら今までの視線の正体はこのサラマンダーであるようだった。

 

「あれ? お前は確か、キュルケって子の……あっ、おい!」

 

 エツィオが声をかけると、サラマンダーは尻尾を振り、口から僅かに炎を上げて、去って行ってしまった。

 

「……まぁいいか」

 

 今までの視線の正体が、サラマンダーであることに拍子抜けしたのかエツィオが肩を竦めた。

 

 

 

 その日の夜……。

ルイズはエツィオの毛布を廊下にほっぽり出した。

 

「なんのつもりだよ」

「手癖の悪い使い魔が何か盗んだら困るでしょ?」

 

 食器類を掠め取ったことを根に持っているらしい。

 

「これじゃ何かあったときに君を守れないぞ?」

「そう、なら何か起きないように外で見張っておいて」

 

 ルイズは眉を吊り上げて言い放った。

つくづく根に持つ少女だ。今夜はどうあっても部屋では寝させてくれないようだ。

エツィオは諦めたように外へと出る、中からガチャリと鍵をかける音が聞こえてくる。

試しにドアノブを捻るがやはりというべきか、うんともすんとも言わない。

 

 

「やれやれ、締め出されたか……」

 

 小さく呟きながら、壁に寄り掛かる。

窓から風がびゅうと吹いてエツィオの身体を凍えさせた。

シエスタの所にいって温めてもらうかな、なんてことを考えていると、キュルケの部屋の扉がガチャリと開いた。

 

 出てきたのは、サラマンダーのフレイムだった。

燃える尻尾が温かそうだ。

エツィオはフッと笑うと、手を差し伸べる。

 

「お前は……、あぁ、さっきは悪かったな、ちょっと気が立ってたんだ、仲直りしよう」

 

 エツィオが優しく語りかけると、サラマンダーはちょこちょこと近づいてきた。

きゅるきゅる、と人懐こい感じで、サラマンダーは鳴いた。

 

「へぇ、なかなか人懐こい……ん?」

 

 サラマンダーはエツィオのローブの袖を咥えると、ついてこい、というように首を振った。

 

「まてまて、大事な形見なんだ、燃やさないでくれよ」

 

 エツィオは言った。しかし、サラマンダーはぐいぐいと強い力でエツィオを引っ張った。

キュルケの部屋のドアは開けっぱなしだ。どうやらそこに引っ張り込むつもりらしい。

 

「入れってことか?」

 

 エツィオがサラマンダーに尋ねると、肯定の意味なのか、きゅるきゅる、と鳴いた。

サラマンダーが自分を監視していた事が腑に落ちないが、どうやら害意は無いらしい。

エツィオはキュルケの部屋のドアをくぐった。

 

 入ると、部屋は真っ暗だった。サラマンダーの周りだけ、ぼんやりと明るく光っている。

暗がりからキュルケの声がした。

 

「扉を閉めて?」

 

 エツィオは扉を閉めた。

 

「ようこそ、こちらにいらっしゃい」

 

 その一言だけでエツィオは全てを察したらしい。

口元に微笑を浮かべ、一歩一歩ゆっくりと歩を進めていく。

キュルケが指をはじく音が聞こえた。

すると、部屋の中に立てられたロウソクが一つずつ灯っていく。

エツィオの近くに置かれたロウソクから順に火は灯り、キュルケのそばのロウソクがゴールだった。

まるで道のりを照らす街灯のように、ロウソクの火が灯っていた。

 

 ぼんやりと、淡い幻想的な光の中に、ベッドに腰かけたキュルケの姿があった。

ベビードール一枚というなんとも悩ましい姿である。

 

「お招きいただき光栄だ、ミス・キュルケ」

 

 エツィオは優雅に腰を折り一礼する。

キュルケはにっこりと笑って言った。

 

「座って」

「では失礼」

 

 エツィオはキュルケの横に腰かける。

彼女の目的は大体察しているが、あえて問いかけた。

 

「さて、本日は何の用があって俺を呼び出したのかな?」

 

 燃えるような赤い髪を優雅にかき上げて、キュルケはエツィオを見つめる。そして大きくため息をつき、悩ましげに首を振った。

 

「あなたは、あたしをはしたない女だと思うでしょうね」

「……」

「思われても仕方がないの、わかる? あたしの二つ名は『微熱』……」

 

 キュルケは切なげな声でフードの中を覗き込む、エツィオは優しい笑みを浮かべ彼女の顎を持った。

 

「あたしはね、松明みたいに燃え上がりやすいの、だからこんな風にお呼び立てしてしまうの。わかってる、いけないことよ」

「なるほど、だからあの子を俺の監視につけたのか」

 

 エツィオが部屋の隅のサラマンダーを顎でしゃくる、キュルケは潤んだ瞳でエツィオを見つめ、すっと顎にあてられた手を握る。

そして一本一本、エツィオの指を確かめるようになぞり始めた。

 

「監視だなんて……! あたしはただあなたのことをもっと知りたかっただけ……。

あなたがギーシュを倒した時の姿……とってもかっこよかったわ。まるで伝説のイーヴァルディの勇者みたいだった」

「それで? 俺の何がわかったのかな?」

「誰よりも紳士的で、それでいて野性的、その上こんなにもハンサムだなんて……。知ってるんだから、あなた、一人メイドを誑し込んでるみたいね、

その子はもうあなたの事ばかり見てる、ずるいわ、そのメイドに嫉妬しちゃう……。でも仕方ないわ、貴方の魅力に惹かれない女なんていないもの……あたしもその一人。

あの日からあたしはぼんやりとしてマドリガーレを綴ったわ、マドリガーレ、恋歌よ。あなたの所為なのよエツィオ。

あなたが毎晩あたしの夢に出てくるものだから、フレイムを使って様子を探らせて……」

「お褒めいただき光栄だ、キュルケ……、でも君だけが俺の事を知っているだなんて、ちょっと不公平じゃないか?」

「そうね……恋の駆け引きはいつも公平であるべき、だからあたしはあなたをお呼びしたのよ? エツィオ。あなたにあたしをもっと知ってもらいたくて……」

「あぁ……是非とも君の事を知りたいな、マドリガーレ、聴かせてくれるんだろう?」

「もちろんよ、エツィオ……」

 

 キュルケは、エツィオの口元の古傷を指でなぞり、ゆっくりと目をつむり、唇を近付けてきた。

エツィオがキュルケと唇を重ねようとしたその時、窓の外が叩かれた。

 

 そこには、恨めしげに部屋の中を覗くハンサムな一人の男の姿があった。

 

「キュルケ……。待ち合わせの時間に君が来ないから来てみれば……」

「ペリッソン! ええと、二時間後に!」

「話が違う!」

 

 ここは三階、どうやらペリッソンという男は魔法で浮いているらしい。

 キュルケは煩そうに、胸の谷間に差した派手な魔法の杖を取り上げると、

そちらの方を見もしないで杖を振った。

 ロウソクの火から、炎が大蛇のように伸び、窓ごと男を吹き飛ばした。

 

「うるさいフクロウね」

「それだけ君が魅力的だという証拠さ」

「彼はただの友達、勘違いしちゃってて困ってるの」

 

 まったく動じないエツィオも流石である、悲鳴を上げ落下していく男を気にも留めずに、再び目をつむったキュルケへと唇を近付ける。

 すると……今度は窓枠が叩かれた。

 見ると、悲しそうな顔で部屋を覗き込む、精悍な顔立ちの男がいた。

 

「キュルケ! その男は誰だ! 今夜は僕と過ごすんじゃなかったのか!」

「スティックス! ええと、四時間後に!」

「そいつは誰だ! キュルケ!」

 

 怒り狂いながら、スティックス、と呼ばれた男は部屋に入ってこようとした。

キュルケは煩そうに、再び杖を振る。例によってロウソクの火が太い炎へと変化し、男を外へと吹き飛ばした。

 

「随分な扱いだな、友達にそんなことしていいのか?」

「彼は、友達というより知り合いね。とにかく時間をあまり無駄にしたくないの。夜は長いだなんて誰が言ったのかしら! 瞬きする間に太陽はやってくるじゃないの!」

「それについては同感だ」

 

 キュルケとエツィオは再び唇を近付ける。

窓だった壁の穴から悲鳴が聞こえた。

またまたキスを中断されたエツィオはうんざりしながら振り向いた。

 

 窓枠で、三人の男が押し合いへしあいしている。

 三人は同時に同じセリフを吐いた。

 

「キュルケ! そいつは誰なんだ! 恋人はいないって言ってたじゃないか!」

「マニカン! ギムリ! エイジャックス! ええと、六時間後ね」

 

 キュルケはめんどくさそうに言った。

 

「朝だよ!」

 

 三人が仲良く唱和した。

キュルケはうんざりした声でサラマンダーに命令した。

 

「フレイムー」

 

 きゅるきゅると部屋の隅で寝ていたサラマンダーが起き上がり、

窓際で争っている三人に向かって炎を吐いた。

三人は仲良く地面に落下して行った。

 

「今のは?」

 

 エツィオは意地悪な笑みを浮かべながら尋ねる。

 

「さあ? 知り合いでもなんでもないわ。 とにかく! 愛してるわエツィオ!」

 

 キュルケはエツィオの顔を両手で挟み、まっすぐに唇を奪った。

エツィオはそんな彼女の肩に両手を置くと、そのままベッドに優しく押し倒した。

 

「ふぅっ、荒っぽいキスだな、でも嫌いじゃない」

「……あなた、責めないの?」

 

 跨られる形になったキュルケがエツィオに尋ねる。

 

「責める? これからさ、じきに君は俺の事しか見えなくなる」

 

 サディスティックな笑みを浮かべ彼女の耳元で甘く囁く。

ゾクゾクゾクッ! っとキュルケの全身に電撃が走るのを感じる。

途端に心拍数が跳ね上がり、顔が火照ってきた。

 

「君は遊びのつもりで俺に手を出したんだろうけど……」

 

 エツィオに瞳を覗きこまれる、キュルケは思わず目をそらす。

甘く見すぎていた、ちょっと遊んでやるだけ、それだけのはずだったのに、心臓が狂ったように高鳴っている。

いつの間にか彼を直視することができなくなった、直視すればするほど、彼に惹きこまれてしまいそうで。

このまま彼に身を任せていたら、自分はどうにかなってしまいそうだ。

エツィオの手がキュルケのベビードールへと伸び、優しく、焦らす様に脱がしていく。

 

「あっ……」

 

 切なげな吐息を洩らし、キュルケはエツィオの成すがままになっていた。

 

「俺は彼らのようにはいかないということを、じっくりと君に教えてあげ――」

 

 最後の一枚にエツィオの手が伸びた、そのとき……。

 ドアが勢いよく開け放たれた。

また男か? いいところなのに……。と思ったら違った。

ネグリジェ姿のルイズが立っている。

 

「げっ……!」

 

 その姿を見たエツィオがキュルケから飛び退く。

幾多の死線を潜り抜けたエツィオが思わず身構えるほど、今のルイズからは怒気と殺気があふれ出ていた。

 

 ルイズは忌々しそうに部屋に立てられたロウソクを一本一本蹴り倒しながらエツィオとキュルケに近づいた。

 

「キュルケ!」

 

 ルイズはキュルケの方を向いて怒鳴った。

ぽー……っと上の空だったキュルケが、我に返り振り返った。

 

「……あら? ヴァリエールじゃない、いまいいところだったのに……」

「ツェルプストー! 誰の使い魔に手を出してんのよ!」

 

 ルイズの鳶色の瞳は爛々と輝き、烈火のような怒りを示している

 キュルケがシーツを手繰り寄せ胸元を隠した。

 

「あぁ……それね、うん……それが、好きになっちゃったの、本当に……」

 

 キュルケはうっとりとした表情で言った。

ルイズの手がわなわなと震える。

 

「エツィオ、来なさい」

 

 ルイズは窓だった壁の穴からこっそりと逃走を図ろうとしているエツィオを睨みつけた。

ビクっとエツィオの身体が硬直する、ルイズはずんずんと近づくと、エツィオの襟元をがしりと掴んだ。

 

「そ、それじゃキュルケ! また会おう!」

 

 ルイズに襟元を掴まれ、ズルズルと引きずられながら退出していく。

バタン、と部屋のドアが閉まる、その様子を上の空で眺めていたキュルケがぼんやりと呟いた。

 

「ふふっ……うふふふふ……ルイズ、彼はあなたの手に余るわよ……くしゅん!」

 

 窓だった壁の穴から吹き込む風に体を冷やしたのか、小さくくしゃみをする。

 

「はぁ……、この窓どうしましょ……」

 

 部屋に戻ったルイズは、慎重に内鍵をかけると、エツィオに向き直った。

唇をギュッと噛みしめると、両目がつりあがった。

 

「まるでサカリがついた野良犬じゃないの~~~~~~ッ!!」

 

 声が震えている。ルイズは怒ると口より先に手が動き、手よりも先に足が動く。

この一週間生活を共にして、その辺はエツィオも承知していたが。

もっと怒ると、声が震えるのは初めて知った。

 ルイズは顎をしゃくった。

 

「そこにはいつくばりなさい、わたし間違ってたわ、あんたを一応人間扱いしていたみたいね」

「この扱いで人間って、君にとって人間ってどんな存在なんだよ」 

「ヘラヘラ笑うなッ! ツェルプストーの女に尻尾を振るなんてぇーーーーーーッ! 犬ーーーーーーッ!」

 

 ルイズは机の引き出しから何かを取り出した。鞭である。

 

「ははっ、薄々感づいてたが、君にそんな趣味があるなんてね……ちょっと意外、でもないか」

 

 それを見てもエツィオは余裕の態度を崩さない、それが益々腹立たしい。

 ルイズは怒りにまかせピシッっと床を叩いた。

 

「ここここ、この、ののの野良犬! 野良犬なら野良犬らしく扱わなくっちゃね。いいい今まで甘かったんだわ」

「本気でそういう趣味なのか? 困ったな、俺はどっちかっていうと責める方が好きなんだけどな」

 

 エツィオはルイズの持った見事な鞭を見つめて茶化した。

いやぁ、立派な革製の鞭である。

 

「じょじょじょじょじょ、乗馬用よ! ソッチの鞭じゃないわよ! この馬鹿犬ーーーーッ!」

「おわっ!」

 

 ルイズは鞭を振りかぶりエツィオを叩こうとする、紙一重で回避し、テーブルを挟むように逃げた。

 

「おい、落ちつけよ! えっと、その、さっきのは彼女が困ってたんだって! ……多分」

 

 焦っているように見えて、口元がニヤついている、完全にナメている。

その態度がルイズの怒りにさらに油を注いだ。

 

「そこに直りなさい! 今日という今日はあんたに自分の立場ってものを文字通り叩きこんでやるわ!」

「ははっ、そればかりは……!」

「なによ! あんな女のどこがいいのよッ!」

 

 エツィオは振り下ろされた鞭を手甲ではじき、ルイズから奪い取る。

目にもとまらぬ早業、ルイズは何が起こったのかわからないと言った表情でエツィオを見つめた。

エツィオは小さく笑うと、鞭を振い、ルイズと同じようにビシッ! と床を叩いた。

これから何をされるのか察したのか、ルイズの顔がみるみる青くなる。

 

「かっ……返しなさいよ……ッ!」

「おや? 言葉使いがなっていないな、攻守逆転だぞ、ご主人様。いや、この場合、ご主人様は俺か」

「ひっ……、あ、あんた、な、何する気よ……! や、やめなさいよ! 何考えてるのよ!」

「君と考えてることは一緒さ、立場ってものを教えてあげようと思ってね」

 

 とってもサディスティックな笑みを浮かべたエツィオにルイズがへたり込む。

どうしよう……このままじゃ本当に……。

エツィオが手に持った鞭を振り上げ、ルイズを叩く、と思いきや。

そのまま後ろ手に鞭を放り投げた。

 

「なんてな、冗談さ、君相手にそんなことしたら俺は世界中の男どもに命を狙われるだろうな。五年後の楽しみとして取っておくよ」

 

 エツィオは、笑いながら肩を竦める。

そして腰を抜かし、床にへたり込むルイズに手を差し伸べた。

 

「なんだよ、この程度で怯えるだなんて、可愛いところもあるじゃないか」

 

 ルイズはエツィオの手を取り立ち上がる。

そしてぎゅっと、手を握り締め、目に涙をため、上目づかいにエツィオの事を見つめた。

今までの態度から一変してしおらしくなったルイズに少々驚いていると、

ルイズがぼそぼそと呟き始めた。

 

「あ、あの……その……エツィオ……」

「ん? 何だい?」

 

 僅かに自分の名前を呼ぶのが聞こえる、

エツィオは怪訝に思いつつもルイズに近寄った。

 

 それがいけなかった、逃がすまいと掴まれた手に力がこもりエツィオの動きを封じる。

 

「死ねッ!!」

 

 ルイズの右足が疾風のように動き、エツィオの股間を蹴りあげた。

 

「ぐっ……ぬぁ……」

 

 エツィオは地面に膝をつき悶絶する。

衛兵達を相手にしているときも何度かもらった事はあるが、

これほどまでに見事な金的は食らったことがない……。

やはり男性同士、どこかで遠慮というものがあったのだろう……。

 

「ふ、ふふふ、つ、捕まえたわよ……この馬鹿犬……!」

 

 ルイズは不気味に笑うと、床に落ちた鞭を拾い上げる。

もちろん手は握ったままだ。指が食い込んでいる、何があっても逃がすつもりは無いらしい。

 

「なっ……お、おい、やめろ……」

「ごごご、ご主人様をこんなに、かかか、からかうなんて、これは一から躾けないとだめなようね……!」

 

 息も絶え絶えなエツィオを見下ろし、ルイズが鞭を振り上げる。

それを見たエツィオの顔が青くなった。

 

「お……落ち着け……! は、話せばわかるって!」

「問答無用よこの馬鹿犬ーーーーッ!!」

 

 夜はまだ始まったばかり、ルイズのお仕置きは空が明るむまで続き……、

さらにその後、朝までヴァリエール家とツェルプストー家の長年の因縁についての講義が続いたという。


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