SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

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memory-27 「開戦」

 ゲルマニア皇帝、アルブレヒト三世と、トリステイン王女アンリエッタの結婚式は、ゲルマニアの首府、ウィンドボナで行われる運びであった。

式の日取りは、来月……、三日後のニューイの月の一日に行われる。

 

 そして本日、トリステイン艦隊旗艦の『メルカトール』号は新生アルビオン政府の客を迎えるために、艦隊を率いて、ラ・ロシェールの上空に停泊していた。

後甲板では、艦隊総司令官の、ラ・ラメー伯爵が、『国賓』を迎えるために、軍装に身を包み佇まいを正している。

その隣には同じく軍装に身を包んだ艦長のフェヴィスが口髭を弄っていた。

 

 アルビオン艦隊は、約束の刻限をとうに過ぎている。

 

「奴らは遅いな、艦長」

 

 眉間にしわを寄せ、やや緊張したような面持ちで、ラ・ラメーは呟いた。

 

「……本当に、仕掛けてくるのでしょうか、あのアルビオンの犬どもは」

 

 そうアルビオン嫌いの艦長が呟くと、ラ・ラメーは肩を竦めた。

 

「あの軍議に現れた、アルビオンから亡命してきたという男からの情報では、そういうことらしいな」

「はい、まさか不可侵条約がまやかしとは……未だ信じられませぬ」

「まだそうと決まったわけではない……が、奴らのことだ、在りえぬ話でもないからな、念には念を、と言うわけだ。艦の配備はどうなっている?」

 

 苦虫を噛み潰したような表情の艦長に、ラ・ラメーは尋ねる。

艦長はちらりと、ラ・ロシェールのある方角を見つめた。

 

「完了しております、艦は全て、ラ・ロシェールの桟橋に停泊中、こちらの合図ですぐにでも展開が可能です」

「……万一仕掛けてくることがあれば、対応が可能、か」

「不意打ち、ですな」

「それは向こうにも言えたことだ」

 

 ラ・ラメーがそう呟いた時だった、鐘楼に立った見張りの水兵が、大声で艦隊の接近を告げた。

 

「左舷より、艦隊!」

 

 なるほど、そちらを見やると、アルビオン艦隊が静々と降下してくるところだった。

その艦隊の最後尾には、他の艦と比べると、いささか見劣りする旧型艦が一隻、のろのろと着いてきていた。

 

「旧型艦を発見、情報通りだな」

「と言うことは、あの男の言っていたことは本当だったということですか」

 

 些か緊張したような面持ちで、艦長が呟くと、ラ・ラメーは後ろに控えていた士官に命令を下した。

 

「他の艦に戦闘準備と伝えろ、それと本陣にも伝達を」

「はっ!」

 

 敬礼し退出して行った士官を見送ると、ラ・ラメーと艦長は忌々しそうにアルビオン艦隊へと視線をもどした。 

 

「『ロイヤル・ソヴリン』級が見当たらんな」

 

 降下してくるアルビオン艦隊を見つめながら、ラ・ラメーは、少しばかり安堵のため息を漏らす。

ハルケギニア最強のフネと名高い、雲と見紛うばかりの巨艦である、しかし、降下してくる艦隊にそのような艦の姿は見当たらなかった。

 

「失った、という話は本当だったようだな」

「左様で、かのアルビオン人からの聴取によれば、たった一人の『アサシン』によって破壊された、とのことですが……」

「ふむ……、件のアサシンか、兵達の間で噂になっているそうではないか。聞いたことは?」

「建国と共に現れ、新政府の要人を次々暗殺した、謎のアサシン……。聞けば、かの裏切り者を暗殺したのも彼だとか」

「なんと、スクウェアのメイジすらも暗殺してのけるとはな……敵にはまわしたくないものだ。

何れにせよ、『ロイヤル・ソヴリン』級の相手をせずに済むのはありがたいことだ、そのアサシンに感謝してやろうではないか」

 

 艦長が鼻を鳴らしつつ、並走を始めたアルビオン艦隊を見つめながら言った、その時である。アルビオン艦隊が旗流信号をマストに掲げた。

 

「貴艦隊ノ歓迎ヲ謝ス。アルビオン艦隊旗艦『ゴライアス』号艦長」

「こちらは提督を乗せているのだぞ。艦長名義での発信とは、これまたコケにされたものですな」

 

 艦長は、トリステイン艦隊の陣容を見守りながら呟いた。

 

「これから攻め落とす相手に礼など不要ということか。よい、返信だ。『貴艦隊ノ来訪ヲ歓迎ス。トリステイン艦隊司令長官』、以上」

 

 ラ・ラメーの言葉を控えた士官が復唱し、それをさらにマストに張り付いた水兵が復唱する。するするとマストに、命令どおりの旗流信号がのぼる。

どん! どん! どん! とアルビオン艦隊から大砲が放たれた。礼砲である。弾は込められていない。

ラ・ラメーはゆっくりと深呼吸すると、軍人の顔になった。これから、戦が始まるのだ。

 

「答砲だ」

「何発撃ちますか? 最上級の貴族なら、十一発と決められております」

 

 礼砲の数は、相手の格式と位で決まる。艦長はそれをラ・ラメーに尋ねているのであった。

 

「そうだな……、四発にしておけ、少ない答砲に彼奴等がどう出るか見ものだ」

 

 そんなラ・ラメーを、にやりと笑って見つめると、艦長は命令した。

 

「答砲準備! 順に四発! 準備出来次第撃ち方始め!」

 

 どん! どん! どん! どん! と『メルカトール』号から、順次答砲が放たれてゆく。

やがて最後の四発目が放たれ、ラ・ラメーと、フェヴィス艦長、そして水兵たちは、じっとアルビオン艦隊を見つめた。

すると、アルビオン艦隊最後尾の……、一番旧式の小さな艦から、火災が発生した。

それを見たラ・ラメーと艦長は、思わず苦笑いを漏らす。タイミング的には丁度五発目が放たれる頃だろうか。

しかしこちらは撃ってはいない。はたから見ればその艦が、勝手に火災を起こしたように見えた。

 

「着弾したにしては、火災が起きるタイミングが遅すぎですな」

「奴らはどんな言いがかりをつけてくるのやら、楽しみだな」

 

 二人がそう呟いた瞬間、火災を発生させた艦に見る間に炎が広がり、空中爆発を起こした。

残骸へと変わったそのアルビオン艦は燃え盛る炎と共に、ゆるゆると地面に向かって墜落してゆく。

 

「さて、一応言い分は聞いてやらんとな」

 

 すると、『ゴライアス』号の艦上から、手旗手が、信号を送ってよこす。それを望遠鏡で見守る水兵が、信号の内容を読み上げる。

 

「『ゴライアス』号艦長ヨリトリステイン艦隊旗艦。『ホバート』号ヲ撃沈セシ貴艦ノ砲撃ノ意図ヲ説明セヨ」

「撃沈? あれを撃沈と言うか? なかなか笑わせてくれるではないか!」

 

 言葉とは裏腹に、ラ・ラメーは不愉快そうに唇を噛んだ。

 

「返信だ。『本艦ノ射撃ハ答砲ナリ。実弾ニアラズ』。……返信と同時に艦隊全速、右砲戦、及び対竜騎士戦用意、奴らが砲撃を開始した時点で作戦を開始する」

 

 すぐに『ゴライアス』号から返信が届く。

 

「『タダイマノ貴艦ノ砲撃ハ空砲ニアラズ。我ハ、貴艦ノ攻撃ニ対シ応戦セントス』」

 

 その返信が伝えられるのと同時に『ゴライアス』号が威嚇射撃を開始する。同時にトリステイン艦隊にゆるゆると接近を始めた。

新兵器の大砲を失った為、従来の大砲を積んだアルビオン艦隊は、トリステイン艦隊と同じ土俵に引きずり降ろされていた。

そのため、接近しなければトリステイン艦隊に砲撃は届かないのだ。

 

「来るか、アルビオンの畜生共め! 全艦隊に通達! 砲戦始め! 作戦開始だ! 撃て!」

 

 ラ・ラメーの号令と共に、トリステイン艦隊が一斉に砲撃を開始する。

 

 戦争が、始まった。

 

 

 トリステイン艦隊がアルビオン艦隊に向けて砲撃を開始した丁度その頃……。

初夏に変わりつつある日差しを浴びながら、エツィオとシエスタは、馬に跨ってタルブへと向かう街道を進んでいた。

遠く離れたここでは砲撃の音も戦場の喧騒も聞こえてはこない。

 

「急に行こうだなんて、無理言ったようで悪かったな、迷惑じゃなかったかな?」

 

 そうエツィオが尋ねると、シエスタは慌てて首を振った。

 

「迷惑だなんて! エツィオさんがわたしの村に来てくれるなんて、とってもうれしいです!

それに、コック長に『エツィオさんのお願いで』って言ったら、すぐにお暇を出してくださいましたわ」

 

 とてもうれしそうに答えるシエスタに、エツィオはなるほど、と納得した。

厨房を切り盛りするマルトーはエツィオの事を大変気に入っていた、おそらくシエスタの言うとおり、二つ返事で了承したのであろう。

 

「そっか……それを聞いて安心したよ」

 

 エツィオは小さく呟くとにこりとほほ笑む。

普段なら口説き文句の一つや二つ口を衝いて出るものだが、事情が事情だけにどうにもそんな気分になれなかった。

ちらとシエスタを見ると、まさに夢見心地といった様子でうっとりと笑みを浮かべている。

そんな幸せそうな彼女を見ていると、本題を切り出すことを躊躇ってしまう。

 

「さて、どうしたものかな……」

 

 誰にも聞こえないように小さく呟き、ふと街道の先へと視線を移した、その時だった。

街道の向こうから、大きな荷物を馬車に積んだ多くの人々が歩いてくるのが見える。

隊商か何かだろうか? とエツィオが首を傾げていると、馬に跨った護衛と思われる兵士が、こちらに気づいたのか、馬を走らせ、声をかけてきた。

 

「おい! そこの二人、止まれ!」

「ん? 俺達か?」

 

 急に呼びとめられ、二人は首を傾げる。

 

「我らはトリステイン警備隊の者である! お前達は、どこに向かっているのだ?」

 

 隊商の護衛かと思われたその兵士は、どうやらトリステインの衛兵らしい、エツィオは素直に目的地を告げた。

 

「タルブの村だが」

「タルブの村だと? 今現在タルブ方面への通行は許可していない、触れを知らんのか?」

「お触れですって?」

 

 それを聞いたシエスタが不安そうにエツィオを見つめた。

まさか……、エツィオは眉を顰め、衛兵の言葉を待った。

 

「聞いての通りだ、一般市民はラ・ロシェール、及びタルブ方面への通行を禁止するというお触れが王宮より出ているのだ」

「それじゃあ、あの人々は……」

 

 エツィオが避難民と思われる人々を指さすと、衛兵は頷いて見せた。

 

「近辺の住民たちだ、我らは今、彼らをトリスタニアへ一時避難させるために護送をしている」

 

 兵士がそう答えた、その時だった。

 

「あっ! お、お父さん! お母さん!」

 

 シエスタが、避難民の中に家族を見つけたのか驚いたような声を上げた。

馬から飛び降り、両親の元へと駆け寄ってゆく。

その声に両親も気が付いたのか、走り寄ってきたシエスタと、ひしと抱き合った。

 

「シエスタ! シエスタじゃないか!」

「ど、どうしてここに? 何かあったの?」

「それが、私たちにもなにがなんだか……、一昨日、急にお城の人たちが来て、戦になるかもしれないから、すぐに避難をしろって言われて……」

「ええっ! い、戦ですって!?」

 

 シエスタが驚いたように叫んだ。

エツィオも馬から降りると、シエスタを落ち着かせるために、優しく肩を叩いた。

 

「え、エツィオさん……、な、なにが起こってるんですか?」

 

 おろおろと不安そうに見つめてくるシエスタに、エツィオは目を伏せ、小さく首を振った。

 

「わからない……、でも、なにか良くない事が起ころうとしているのは確かみたいだ」

 

 口ではそう言ったものの、事情を全て察しているエツィオにとっては、この状況は非常にありがたかった、

トリステイン王宮が事前にラ・ロシェール近辺から住民を遠ざけてくれたお陰で、シエスタを危険に晒すこともなくなり、村人達を避難させる手間も大幅に省けたのだ。

 

「シエスタ、幸いきみの家族はこうして無事に避難できたようだ、きみはこのまま家族と共に、トリスタニアへ向かうといい。

家族を無事に送り届けたら、学院に戻ってオスマン殿にこの事を報告するんだ」

「で、でもわたし、ただのメイドですよ! オールド・オスマンにお目通りなんて……!」

「俺の使いだと言えば、すぐに通してくれる。念の為、学院から誰も出すなと伝えてくれ、いいね」

「は、はい……! あの、エツィオさんは……?」

 

 心配そうに見つめるシエスタに、エツィオはラ・ロシェールの方角を見やった。

 

「俺は残らなきゃ、まだやることがあるからな」

「そんな! 危ないです! 一緒に戻りましょう!」

「だめだ。何が起こっているか、調べないと。……心配するなって、すぐに戻るよ、これでも逃げ脚には自信があるんだ」

 

 エツィオはにっこりとほほ笑むと、シエスタを促し、馬へと乗せた。

シエスタは辛そうに俯くと、目に涙をためながら、エツィオを見つめた。

 

「……わかりました。あの、エツィオさん……、絶対に死なないでくださいね」

「わかってる、まだ死にたくはないからな。さあ、行くんだ」

 

 エツィオが促すと、シエスタは家族の元へと向かってゆく。

そんな二人の様子を見守っていた衛兵は、彼女を見送った後、後ろにいた筈のエツィオに視線を戻す。

 

「おい、お前はどうする……、ん? あ、あれ?」

 

 だが、衛兵がエツィオに話しかけようと振り向いた、その時。

エツィオの姿が、衛兵の前から、忽然と消えてしまっていたのである。

 

「あいつ、どこに……?」

 

 いつの間にか姿を消した男を探すために辺りを見渡すも、どこにも見当たらない。

衛兵は一つ首を傾げると、仕方ないとばかりに、護衛の列へと戻って行った。

 

 

「さて……」

 

 シエスタと別れ、街道から外れた場所へと姿を隠したエツィオは、デルフリンガーの柄頭に手を置いた。

そんなエツィオにデルフリンガーが声をかける。

 

「で、相棒、これからどうすんだ?」

「そうだな、手間が省けたのはいいが、まずは状況を確かめないと」

 

 エツィオは周囲を見回し、誰もいなくなったことを確認すると、街道へと姿を現した。

 

「どこに行くつもりだ?」

「ラ・ロシェールだ、前にワルドが言ってただろ? あそこは昔、アルビオン侵攻に備える拠点だったと。

降下予定地がその近くなら、トリステイン軍の本陣は、自ずとそこになるだろう」

 

 フードを目深にかぶりながら、ラ・ロシェール方面へと続く街道の先を見やり、エツィオは言った。

既に日は正午を回り、傾き始めている。

 

「もう始まってなければいいが……」

 

 小さく呟き、馬の腹に蹴りを入れる。エツィオの思いとは裏腹に、空は残酷なまでに晴れ渡っていた。

 

 

 さて一方、こちらはルイズの部屋、エツィオを追いだして三日が過ぎている。

その間ルイズは、気分が悪いと言って、授業を休んでベッドで悶々としていた。

 

 考えているのは追い出した使い魔の事である。キスしたくせにキスしたくせにキスしたくせに、と布団の中で何度も想う。

プライドを傷つけられて悔しくて悲しくて、ほんとにお腹が痛いくらいである。

 部屋の片隅を見ると、エツィオの使っていたクッションが置いてあった。

それを見ていると、ルイズは悲しくなった。捨てようかと思ったけど、捨てられなかった。

 そんな風にしていると、ドアがノックされた。またエツィオだろうか?

追い出してからというもの、あの男はまめに謝りに来ている。正直、ちょっとだけ許してあげようかな、なんて思う、

でも、まだ許さないんだから。もうしばらく反省してなさい。と再び毛布を被る。

 

 ドアががちゃりと開いた。

 ルイズはがばっと跳ね起きて、怒鳴った。

 

「ばかっ! なに入ってきてるのよ! まだ……! え?」

 

 入ってきたのはキュルケであった。燃えるような赤毛を揺らし、キュルケはにやっと笑った。

見ると手に杖を握っている、どうやら『アンロック』の呪文で鍵を開けたようであった。

 

「あたしで、ごめんなさいね」

「な、なにしに来たのよ!」

 

 ルイズは再び布団にもぐりこんだ。つかつかとやってきて、キュルケがベッドに座り込んだ。

がばっと布団をはいだ。ルイズはネグリジェ姿のまま、拗ねたように丸まっている。

 

「あなたが三日も休んでいるから、見に来てあげたんじゃないの」

 

 キュルケは呆れたような、ため息を吐いた、さすがに良心が痛む。

まさか、食事の現場を目撃したくらいで、ほんとに追い出してしまうとは思わなかったのだ。

ルイズの初心さ加減は、キュルケの想像を遥かに超えていた。

 

「で、どーすんの? 使い魔追い出しちゃって」

「あんたに関係ないじゃない」

 

 キュルケは冷たい目で、ルイズを見つめた。薔薇のような頬に、涙の筋が残っている。どうやら何度も泣いていたようだ。

 

「あなたって、嫉妬深くてバカで、高慢ちきなのは知ってたけど、そこまで冷たいなんて思わなかったわ、仲良く食事してたぐらい、いいじゃないの」

「それだけじゃないもん。よりにもよってわたしのベッドで……」

 

 ルイズは、ぽつりと言った。

 

「あらま、抱き合ってたの?」

 

 ルイズは頷いた、よほどショックだったようだ。

まぁ……エツィオならやってもおかしくはないか。とキュルケは納得したように頷いた。

 

「まぁ、好きな男が、他の女と自分のベッドの上で抱き合ってたらショックよねー。

でもあなた、エツィオがあたしを押し倒した時、そんなになるまで怒ってなかったじゃない」

「好きなんかじゃないわ! あんなの……! それに、あいつはただ、貴族のベッドを……」

「そんなの言い訳でしょ、好きだから、追い出すほど怒ったんでしょ?」

 

 いちいち図星なキュルケのセリフであったが、ルイズはなかなか認めない。

 

「しょうがないじゃないの、あなた、どうせなにもさせてあげなかったんでしょ? そりゃ他の女の子といちゃつきたくなるってものよ。

特にあのエツィオじゃね……。狼と羊を同じ柵の中に閉じ込めるようなものよね、即喰らいつくに決まってるわ」

「わたしはなんともないじゃない……」

「そりゃそうよ、やせっぽちな羊なら太らせてから食べるでしょうね。彼、ただの狼じゃないもの。その前に柵を飛び越えて他の羊を狩りに行っちゃうでしょうね」

 

 唇を尖らせ、黙り込んでしまったルイズに、キュルケはため息を吐いた。

 

「はっきり言ってね、エツィオは、あたしが今まで見てきた男の中で、ぶっちぎりでトップよ。

強くてハンサムで頭も切れて、その上誰にでも優しくて気品があって……。

その上なに? 正体は超凄腕のアサシンですって? ……ああ、なんだかムカついてきたわ」

「……なんであんたがムカつかなきゃなんないのよ」

 

 なぜか苛ついたような口調のキュルケに、ルイズはぼそっと呟く。

キュルケはキッとルイズを睨みつけると、肩を掴みがくがくと揺さぶった。

 

「あなたにムカついてんのよ! ただでさえ彼を使い魔なんかにしている時点で腹立たしいってのに! それをなに? クビにしたですって!?

ああもう! ほんっと信じらんない! あたしなら首に鎖巻いて絶対に逃がさないわ!」

 

 キュルケはそのままルイズをベッドに突き飛ばすと、腕を組んで、顔をしかめた。

 

「はぁっ……! 全く、彼みたいな男が、他にいると思ってんの? 彼の前じゃイーヴァルディの勇者だって裸足で逃げ出すわよ。

あたしが王様だったら、頭下げてでも、彼に仕えてもらうわね。そんなのを浮気程度でクビにするだなんて……、そりゃトリステインが衰退するわけだわ」

 

 ルイズはきゅっと唇を噛んだ。だがキュルケはそんなルイズを見つめながら、大きくため息をつき、呟いた。

 

「……悪いことは言わないわ、あなた、エツィオを恋愛対象として見ているなら、やめときなさい」

「なっ……! だ、誰が!」

 

 キュルケの言葉に、ルイズは思わず声を上げる。

だが、キュルケはルイズを無視して続けた。

 

「あのメイドもそうね、彼女もこの先、絶対痛い目を見るわ」

「だからわたしはっ……!」

「あなたじゃ彼と釣り合えないわ、ヴァリエール。彼とあなたじゃ、あまりにも差がありすぎる。もちろん、それはあのメイドにも言えたことだけど」

 

 キュルケの言葉に、ルイズは思わず声を荒げた。

 

「あ、あたりまえじゃない! あいつはただのつ……! へ、平民じゃない!」

 

 使い魔、一瞬そう言おうとして、慌てて言い直す。だがキュルケは肩を竦めながら、続けた。

 

「そりゃ身分で言えば、あなたの方がずっと上よ。あなたは公爵家、その点、彼はメイジでもなんでもない、ただの平民だもの。

でも人間的にはどうかしらね、……あたしは彼の方がずっと上だと思ってるわ。悔しいけど、あたしたちの周りにいる誰よりもね。

彼と話してて感じない? 妙に惹きこまれるのよ……カリスマっていうのかしらね、ああいうの。とても同年代とは思えないわ」

 

 キュルケにしては珍しい、惚れた男を語っているとは思えない程、淡々とした口調。

そんなキュルケの様子に、ルイズは思わず押し黙ってしまった。

 

「ま、それは置いといてね、あたしがホントに言いたいのは、恋愛経験の差よ」

「ど、どういう意味よ……」

「あなた、初心すぎるのよ、キスもさせてあげない男のために、泣いたり怒ったり……。一方のエツィオは、生まれついての女たらし。

そんな彼とあなたじゃ、勝負にすらなりゃしない。ヒヨコがグリフォンに挑むようなものよ」

 

 つまらなそうにそう言うと、キュルケは立ち上がった。

 

「魅力と才能に満ち、使い魔としても有能。それなのに彼の忠誠に応えるような事もろくにせず、

浮気しただのどうだのでクビにするようなあなたじゃ、どう頑張ったって釣り合えないのよ」

 

 ルイズはきゅっと唇を噛んだ。

 

「それに、使い魔はメイジにとってパートナーよ。それを大事にしないあなたは、メイジ失格ね。まあ、ゼロだししかたないのかもね」

 

 キュルケは去って行った。ルイズはなにも言い返せなかった。

ルイズは悔しくて、切なくて、ベッドに潜り込んだ。そして、幼いころのように、うずくまって、泣いた。

 

 

 ――その夜。いつかの強行軍の時のように、一日中馬を疾駆させていたエツィオは、夜も更ける頃にはラ・ロシェールに辿りつくことが出来た。

夜間であるためか、街中には篝火がたかれ、トリステイン軍の兵士達が警邏をし、次の戦に備えている。

エツィオの予想通り、現在、ラ・ロシェールの街はトリステイン軍の本陣として利用されているようだった。

 陣地と化したラ・ロシェール、その中にまんまと忍び込んだエツィオは、数多くいる傭兵達の中に紛れ込み、街の中を歩いていた。

今のエツィオを見れば、この戦に雇われた傭兵だと誰もが思うだろう。その中に紛れ、存在が希薄になったエツィオを気にとめる者など、誰もいなかった。

 

「……悪い予感が当たったな」

 

 街の中を歩きながら、エツィオは苦い表情で呟いた。

上を見上げると、遥か遠くの空にアルビオンの艦隊が見えた。街中には負傷した傭兵やトリステインの兵隊たちで溢れている。どうやら戦争が始まってしまったようであった。

今は夜中であるため、両軍とも一時的に戦闘行動を中止していたが、相手もいつ攻めてくるかわからない、

故にこうして、夜通し街中で篝火を焚き、寝ずの番が警邏をしているのであった。

 

「戦争……か」

 

 負傷し、苦痛に声を上げる兵士達を見つめながら、エツィオが表情を曇らせ、小さく呟いた。

 

「ここまで来たはいいが、これからどうするよ?」

「俺に出来る事はするつもりさ。……正直、俺には彼らを直接支援するだけの力なんてない、だが、勝機を得る手助けならしてやれるはずだ」

 

 そのためにはまず、情報を集めなければ、そう考えながら、デルフリンガーの柄頭に手を置き、街の中を歩いていた……、その時である。

 

「……ん? あれ?」

「どうした?」

 

 突然立ち止まり、目を擦り始めたエツィオに、デルフリンガーが尋ねる。

 

「あ、いや、今何か……見えたような……」

「見えた? こないだのアルビオンみたいなアレか?」

「いや……違う……、これは……」

 

 エツィオは呟くと、再び両目に精神を集中させる。その時、どういうわけか左手のルーンが淡く光りはじめた。

道を歩く兵士たちとは別に、実体のない幻が、エツィオの目の前を通過し、通り抜けてゆく。

その幻として視界に現れた人物に、エツィオは見覚えがあった。

 

「……ヘンリ・ボーウッド?」

 

 通り過ぎる幻を目で追いながら、エツィオは呆然と呟く。

 

「ボーウッドっていやあ、相棒が亡命させたアルビオン人だっけか? そいつがどうかしたのか?」

「今、そこを歩いて行った……そこの路地を曲がって……」

「は? 何言ってんだ? こんなとこ、誰も通ってないぞ」

 

 呆れたような声を出したデルフリンガーを無視し、エツィオはタカの眼に浮かび上がる、ボーウッドの幻影を追い、歩き始めた。

そうやってしばらく道を進んでゆくと、ボーウッドの幻影は、かつてエツィオ達が宿泊した宿屋、『女神の杵』亭へと入って行った。

 

 

「こちらが用意されたお部屋になります、ミスタ・ボーウッド」

 

 護衛の兵士が、直立不動の姿勢のまま、ボーウッドを部屋の中へ案内する。

 戦時下のため、トリステイン軍の高官用兵営として利用されている『女神の杵』亭の一室。

軍議を終え、ここまで案内されたヘンリ・ボーウッドは、兵士に振り向いた。

 

「ありがとう、面倒をかけてすまないね」

「いえ、あなたの護衛が我々の任務ですので。では、何か御用があればお声をかけてください、我々は外で待機しておりますので」

「わかった、ではよろしくたのむ」

 

 そう言うと、兵士は部屋を後にする。

それを見送っていたボーウッドは、小さくため息をつき、呟く。

 

「護衛……か、実際は監視だろうに」

「でしょうね」

 

 不意に背後から聞こえてきたその声に、ボーウッドは飛び上るほど驚いた。

まさか、暗殺者か? そう考え、即座に振り向き、身構える。

しかし、そこに立っていた人物を見て、ボーウッドは心底安心したかのように、大きく息を吐いた。

暗殺者、その予想は半分は外れで、半分は当たっていた。

 

「アウディトーレ!」

「シニョーレ」

 

 果たして、そこに立っていたのは、ボーウッドをトリステインまで導いた張本人、エツィオ・アウディトーレであった。

エツィオと握手を交わし、ボーウッドは、へなへなと椅子に腰を下ろした。

 

「はあっ……! 全く、驚かさないでくれ……、驚きのあまり死ぬかと思ったよ」

「これは失礼を」

「いや……。きみのことだ、来るとは思っていたよ。とはいえ、こうして突然目の前に現れるとは思いもしなかったがね」

 

 ボーウッドは苦笑しながら首を傾げる。

 

「しかし、どうしてぼくがここにいると?」

「……偶然です、たまたま街を歩いていたら、連行されるあなたが見えましてね、尾行したというわけですよ」

 

 ボーウッドの質問を、エツィオは適当にはぐらかした。

タカの眼にあなたの幻が視えた、なんてことを説明しようにも、首を傾げられるだけである。

エツィオの答えに、ボーウッドは肩を竦めて苦笑する。

 

「連行か……、それは間違っていないかもな。

ぼくは彼らからしてみれば未だ敵国人だからね、助言者として軍議に参加してはいるが、それ以外の時は、見ての通り、ほぼ軟禁状態さ。ほら、この通り杖まで取り上げられてしまったよ」

 

 まぁ、こればかりは仕方のないことだがね。とボーウッドは笑った。

 

「どうか、お堪えの程を。それより、軍議に参加しているとの事ですが、戦況は?」

 

 エツィオが尋ねると、ボーウッドは真面目な表情になり、ラ・ロシェールの周辺の地図を取り出し、机の上に広げた。

 

「きみの考案した作戦が功を奏したよ、あらかじめラ・ロシェールに商船に偽装した艦隊を配置し、合図と共に攻撃を開始する。

お陰で、相手の出鼻をくじき、先手を取って大打撃を与える事が出来た……。しかし、腐っても無双と名高いアルビオン艦隊ということか。

今は正直なところ、あまり芳しくないようだな。トリステイン艦隊もよく持ちこたえているとは思うのだがね……。地上部隊の降下を許してしまったそうだ」

「総司令官は?」

 

 ボーウッドはニヤリと笑い、小さく首を振った。

 

「すまないが、まだ判明していないんだ。なにしろ、僕の知る前任者はきみが消してしまったからね。

しかし、後任の総司令官は、やはり貴族議会の議員の一人だと予想できる。とはいえ、前任者と同じく、彼もまた名ばかりの司令官だろう」

 

 そういう組織なのだからな。とボーウッドは言った。

 

「旗艦は『ゴライアス』号だ、『ロイヤル・ソヴリン』には遠く及ばぬが、それでも強力なフネだ、艦長はおそらく、ホレイショの奴だろう、実質指揮を執っているのは彼だろうな」

「ホレイショ?」

「ホレイショ・ネルソン、ぼくの同期だ、艦隊の動かし方で大体わかるさ」

「旗艦の艦長か……。消すのは難しいな……」

「上空三千メイルだ、周囲には艦隊と竜騎士隊、羽根が付いていても無理だな」

 

 顎に手を当てながら、エツィオは考え込んだ。

指揮を執っている人物を暗殺し、軍全体の士気を挫き、統制を失わせる……。戦場における暗殺の常とう手段である。

しかしその標的が空に、しかも船の中にいるとなると、地上にいるエツィオには手も足も出ない。

 

「その降下した部隊は?」

「現在、草原の近くにある村を制圧したようだな。そこの防衛に当たっていた傭兵達が捕虜になってしまったと報告があった。彼らは現在、そこを司令部としたようだ」

「村ですって?」

「ああ、タルブの村、と言ったかな? もっとも、住民は既に避難しているがね」

 

 地図を指さしながら、ボーウッドが呟いた。

 

「地上部隊に動きは?」

「まだ動いてはいない、きみも知っての通り、このラ・ロシェールは天然の要害だ、空からの援護がなければ攻め込むのは難しいだろう。

しかし、空にはまだトリステインの艦隊が残っている。十分な援護が得られるようになるまで、彼らは動かないだろうな」

「なるほど……では決まりだ」

「どうするのかね?」

 

 エツィオは小さく頷き、フードを目深に被ると、椅子から立ち上がった。窓を開け、ボーウッドに振り向く。

 

「タルブの村へ、地上部隊を率いる指揮官に死を」

「待て! 少数とはいえ、アルビオン軍のど真ん中だぞ! その中に突っ込む気か! 危険すぎる!」

「しかし、得られる成果も大きい。地上部隊とはいえ、指揮官を失えば必ず混乱が生じる、トリステインにも勝機が生まれるはずです。

幸い、村の周囲は森に囲まれています、夜陰に紛れれば歩哨もやり過ごせるでしょう」

 

 淡々と答えるエツィオを、ボーウッドはじっと見つめた。

 

「何故……、何故きみはこの国の為にそこまでするのだ? なにがきみをそこまで駆り立てる?

きみはトリステインの人間でも、アルビオン王家の人間でもないのだろう?

たった一人を殺すために、そこまでの危険を冒すとは……。こんなことは言いたくはないが、とても正気とは思えない。……きみに恐怖はないのか?」

 

 エツィオは口元に僅かに笑みを浮かべた。

 

「主人の前なら、少しは余裕を見せていたでしょうが……。はは、情けないことに今も震えが止まりませんよ」

 

 自嘲気味な笑みを浮かべながら、エツィオは左手を掲げて見せた。

恐怖を感じているのか、その手は僅かに震えている。

 

「ですが……」

 

 小さく呟き、エツィオは窓の外を見つめる。遠くの夜空には、アルビオンの艦隊が見えた。

 

「今はそれ以上に、私は奴らを許せない。聖地の奪還、再征服……、私には『聖地』がどんなところで、『エルフ』がどんな人々なのかは知らない、

しかし、そのために無分別に戦火をまき散らし、死者の魂まで冒涜する。そんなことは決して許されることではない」

 

 エツィオは静かに、だが力強く答えた。

 

「そんな下劣な連中を、野放しなどにしておけるか」

 

 その言葉と共に、掲げていた左手から、アサシンブレードが勢いよく飛び出した。

いつの間にか、腕の震えは収まっていた。

 

「わかった……、最早きみを止められる者はいないようだ」

 

 ボーウッドは、諦めたように小さくため息を吐く。

それから、地図を指さし、平原を大きく迂回するルートを指でなぞって見せた。

 

「少々遠回りだが、行くならこのルートを勧める。森の中だ、夜陰に紛れてゆけば敵と遭遇する確率もぐっと低くなる。

ましてやきみは単独だ、部隊とは違い、動きを察知される心配もない。まぁ、多少の歩哨はいるだろうが……、きみならば問題はないだろう?」

 

 ボーウッドはそれだけ言うと、窓の縁へと足をかけたエツィオをじっと見つめた。

 

「きみの刃に幸運が宿らんことを祈っている。……きみはここで死ぬべき人間ではない、絶対に無理はするな」

「ええ、ここで死ぬつもりはありません、危なくなったら、さっさと逃げますよ。では、また生きてお会いしましょう」

 

 エツィオはニヤリと笑みを浮かべると、古びたマントをはためかせ、窓から身を躍らせる。

その姿を見送っていたボーウッドは、椅子に深く腰かけると、天井を見上げながら小さく呟いた。

 

「やれやれ……。これで彼が戦の流れを変えでもしたら……。ハルケギニアの戦史がひっくりかえってしまうな」


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