SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

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memory-24 「信条告白」

「おお、大鷲よ! ようやく戻ったか!」

「お久しぶりです、オスマン殿。只今アルビオンより帰還いたしました」

 

 胸に手を当て、エツィオが一礼する。

魔法学院に帰還し、ルイズとの再会を終えたエツィオは、オスマン氏に報告を行うため、学院長室を訪れていた。

オスマン氏はうれしそうに立ち上がると、この来訪者を心から歓迎した。

 

「帰還が遅れ、申し訳ない、任務の後始末をしていたもので」

「いやいや、無事で何よりじゃ」

 

 オスマン氏はエツィオと握手を交わし、エツィオに席を勧める。

エツィオは再び一礼し、オスマン氏が勧めたソファに腰を下ろした。

 

「ニューカッスルでは、ミス・ヴァリエールを窮地から救ってくれたそうじゃな」

 

 オスマン氏が向かいのソファに腰掛け、エツィオを見つめた。

 

「よくぞ、生徒を守ってくれた、お主には礼の言葉もないくらいじゃ」

「どうか顔を上げてください、オスマン殿、私は当然のことをしたまでです。

それに、あの時ギーシュ・ド・グラモン達が助けに来なければ、私も主人も、帰還することは叶わなかった。

この任務の真の功労者は主人のラ・ヴァリエールであり……彼らです」

 

 頭を深々と下げたオスマン氏にエツィオはにこりとほほ笑む。

オスマン氏は目を細めて頷くと、髭を撫でながら呟いた。

 

「ほっほっ、まったく、お主の様な男を使い魔にしておるとは、ミス・ヴァリエールは幸せ者じゃて。

……さて、それはそうと大鷲よ。今、トリステインで、とある噂がささやかれているのを知っているかね?」

「さて、それはどういったもので?」

「『アルビオンの死神』……聞いたことはあるかね?」

 

 オスマン氏は口元に笑みを浮かべ、エツィオを見つめた。

 

「ええ、今までアルビオンにいたものですから、小耳に挟むくらいならば」

 

 エツィオは肩を竦めた。紛れもなく自分の噂である。

どうやらこの二つ名はトリステインにも伝わっているようであった。

オスマン氏はソファの背もたれに深く身を沈めると、言葉をつづけた。

 

「神聖アルビオン共和国建国と同時に突如として現れ、新政府の要人を次々に葬る、正体不明にして神出鬼没のアサシン……。

初めに死神が現れたのは、スカボローの港街。その最初の犠牲者は……」

 

 オスマン氏の目がタカの様に鋭くなった。

エツィオを見つめ、まるで物語を聞かせるように語って見せた。

 

「ウェールズ殿下を討った、レコン・キスタの英雄、元トリステイン王国魔法衛士隊グリフォン隊隊長、ジャン・ジャック・フランシス・ド・ワルド子爵……。

斯くして彼の名は命と共に失墜し、レコン・キスタの貴族どもは突如現れた死神の影におびえる事となった……」

「私が聞いた話とほぼ同じの様だ。……最も、トリステインにまでその名が知られているとは思いもしませんでしたが」

 

 エツィオはニヤリと笑みを浮かべると、オスマン氏と同じようにソファに深く腰掛ける。

オスマン氏はどことなくうれしそうな表情でエツィオを見つめた。

 

「あのワルド子爵を暗殺するとは、流石じゃな、大鷲よ。これならば、アサシンは安泰じゃ。マスター……、アルタイルも鼻が高かろうて」

「まだ修行中の身です。それに彼はあの時、片目と片腕を失っていました、もし彼が万全の状態なら、実行は困難を極めたでしょう」

「しかし、その片目片腕を奪ったのは、他ならぬお主ではないか。それに、いかな強力なメイジとは言え、常住坐臥戦に備えておるわけではないからのう。

仮に彼が万全の状態であったとしても、演説の真っ最中なんぞに襲われたらひとたまりもあるまいて。相手がお主ならばなおさらじゃ」

 

 その言葉に、エツィオは左手の甲に刻まれたルーンを掲げ、オスマン氏に見せた。

 

「このルーンのお陰である部分が大きいですよ。せめて過信に繋がらぬよう、肝に銘じておかなければ」

「良い心がけじゃ、それを忘れるでないぞ、若きアサシンよ」

 

 神妙に呟くエツィオに、オスマン氏は満足そうに頷き、言葉をつづけた。

 

「……ワルド子爵は、衛士隊の隊長という国防上重要な役職についておった、これ以上の情報漏えいも防ぐという意味では、お主はトリステインを救う働きをして見せたのだ」

「救うなどと……。私はただ、裏切り者を消したまでです。それに、彼の企みを早期に見抜けなかった……私の失態です。故に彼を始末いたしました」

「気にすることはない、きみの失態であるものか。全ては王宮の連中の責任じゃ。それを言い出したら、私にも非がある。

ともあれ、きみの働きにより、同盟破棄の危機は去り、ミス・ヴァリエール、そしてお主までもが無事にアルビオンより帰還した、これほど良い知らせはあるまいて」

「はい。……とはいえ、我ながら少々派手に動きすぎたようだ、まさかここまでその名が伝わっているとは、これでは、彼女の追及は免れないでしょう」

 

 彼女には何も話してはいませんでしたから、と、エツィオが肩を竦めながら呟く。

オスマン氏は顎髭を撫でながら、ふむ、と呟いた。

 

「じゃろうな……、そういえば以前、彼女の元を尋ねた際、きみのことを聞かれたよ。何者なのか、とね」

「……彼女にはなんと?」

「何も話してはおらんよ、きみが明かしていないことを私が勝手に言うわけにはいくまいて」

「御配慮、感謝いたします、ご迷惑をおかけして申し訳ない」

「なに、きみが明かさなかったのも仕方のないことじゃて。まさか『私はアサシンです』、だなんて素直に言うわけにはいかんじゃろ」

「ええ。ですが、明かしていたとしても、信じてもらえないか、平民のアサシンなどメイジにとって取るに足らないものだと一蹴されてしまいそうですけどね」

「ほほ、今ならお主に消されたワルド子爵が、その言葉を否定してくれるじゃろうな」

 

 肩を竦め苦笑いを浮かべたエツィオに、オスマン氏は冗談めかしてそう言った。

エツィオは小さくため息をつくと、左腕のアサシンブレードをじっと見つめる。

 

「しかし……、元の世界に帰還するまでは『アサシン』として動くことはないと思っていたのですが……どうやらそうも言っていられないようだ」

「『我らが力は鞘の中の刃』、……アルタイルの言葉じゃ。本来ならば、お主のその刃、振われることが無ければよかったのじゃがな」

「……はい、この国には『レコン・キスタ』の影が迫ってきている。そのために私は、奴らの企みを食い止めるために、今までアルビオンに残っていたのです」

「うむ、死神の噂はそれだけでは終わってはおらぬからな」

 

 オスマン氏は膝をぽんと叩くと、本題はここからだとばかりに、身を乗り出す様にしてエツィオを見つめた。

 

「この老いぼれに聞かせてくれぬかな、若きアサシンよ。私は君の話が聞きたくて仕方がなかったのじゃからな」

 

 その姿はまるで、大好きな英雄譚の続きをせがむ子供の様だ。

エツィオはオスマン氏に事の次第を報告した。

 

 ワルド暗殺の際、レコン・キスタによるトリステイン侵攻計画を掴んだこと。

 侵攻を遅らせるために、レコン・キスタの資金源、物資、および戦力を削り、士気を挫くために数々の暗殺を実行したこと。

 アルビオン空軍の切り札、『レキシントン』号、それに搭載された新兵器と設計図、及び周囲の軍事工廠を破壊し、その艦の艦長をトリステインに亡命させたこと。

 臨時で開かれた貴族議会会議に侵入し、議員の一人を暗殺、その後、逃走したトリステイン侵攻軍総司令官を暗殺したこと。

 そして、トリステインに帰還後、アルビオンで得たほぼ全ての情報をアンリエッタ姫殿下に報告したこと。

 

 それら全ての報告を聞いたオスマン氏は、驚嘆とした様子でエツィオの働きを褒め称えた。

 

「素晴らしい! 見事な働きじゃ、大鷲よ。正直、そなたを見くびっておった、まさかここまでとは思っていなかったわい」

「ありがとうございます。……ですが、侵攻計画自体を頓挫させたわけではありません、油断はできぬかと」

「確かにのう……、しかし宮廷の連中も馬鹿ではない、お主が亡命させたという男、ヘンリ・ボーウッドだったか、彼のもたらす情報により何かしらの対策が立てられるじゃろう」

 

 オスマン氏は髭を捻りながら言った。

それからエツィオは、言うか言うまいか、少しだけ迷ったような表情になったが、ややあってオスマン氏に尋ねた。

 

「それとオスマン殿、お聞きしたいことが」

「何かね?」

「死者を蘇らせる力を持った指輪に心辺りは?」

 

 オスマン氏は何かを思い出しているのか、腕を組みながら少し考える。

それから、思い当たるものがあったのか、ぽんと手を打った。

 

「あるにはある、『アンドバリの指輪』がそうじゃな」

「それはどういったもので?」

「『水』系統の伝説のマジックアイテムじゃよ。伝承によれば死者に偽りの生命を与えるそうじゃ。どうしてそんな事を?」

 

 なぜそんな事を聞くのだろう、と疑問に思ったのか、オスマン氏がエツィオに尋ねる。

エツィオはオスマン氏に、アルビオン皇帝クロムウェルがウェールズ殿下を蘇らせたということを報告した。

それを聞いたオスマン氏は驚愕したように座っていたソファから立ち上がった。

 

「なんと……! お主もそれを確認したのかね?」

「はい、レキシントン号破壊の際に、クロムウェルに随伴する殿下をこの目で確認しました。

彼の身体は、クロムウェルの持つ指輪と同質の魔力に覆われているのが見えました」

「それは姫殿下には報告したのかね?」

「いいえ、今は興入れの時、姫殿下の御心を乱すわけにはいきません」

 

 その報告を聞いて、安堵したのか、オスマン氏はほっと胸をなでおろした。

 

「お主には感謝してもしきれんな、大鷲よ。この事を知れば、まず間違いなく姫殿下は御心を乱されただろうな。同盟もどうなっていたか……」

 

 オスマン氏は再びソファに腰を下ろし、小さくため息を吐いた。

 

「しかしお主、もしかして、特別な"眼"を持っておるのか?」

「はい、"タカの眼"と呼んでいますが……それがなにか?」

 

 エツィオが首を傾げると、オスマン氏はエツィオの目をじっと見つめた。

 

「ふむ……実はな、アルタイルもお主と同じ眼を持っておったことを思い出してのう。なんでも見えぬものが見えるとか。

お主の血筋をたどれば、もしかすると、かのアルタイルと同じ所に行きつくのかもしれぬな」

「私が……アルタイルと……」

「なに、仮定の話じゃよ。それは兎も角、奴も運がないのう、まさかよりにもよって、アルタイルと同じ、タカの眼を持つお主に見られるとはな。

真実を見抜く目、幻を払うお主たちに相応しい力じゃ」

 

 オスマン氏はくつくつと笑った。

 

「オスマン殿は、その『アンドバリの指輪』を見たことは?」

「いや、何しろ伝説の品じゃ。本来はトリステインとガリアの国境にあるラグドリアン湖、そこに住まう水の精霊が守っている、そう伝えられている」

「精霊?」

「人ならざる先住民、私たちとは違う先住の力を持った、大いなる存在、といったところかの」

「なるほど……。しかし偽りの生命か……」

 

 顎に手を当て、エツィオが考え込む。

もしや、クロムウェルが持っていたのは、そのアンドバリの指輪だろうか? それを使い、ウェールズを蘇らせた?

とはいえ、これ以上考えても所在の確認など出来ようもない、ただ、そのような指輪が存在することは確かのようだ。

エツィオは小さく肩を竦めた。

 

「偽りの生命を与える……、とんでもない力だ。もしや、それもエデンの果実の一つなのでしょうか?」

「ふむ、現時点では何とも言えぬが、私に言わせてもらえば、その可能性は薄い。秘宝がもたらす力は決まっておるからな」

「と、いいますと? そういえば、以前触れたことがあるとおっしゃっていましたが、秘宝の働きを御存じなのですか?」

 

 エツィオのその問いに、オスマン氏は顔を俯かせると、少々苦い表情で、左の頬を撫で始めた。

 

「……うむ」

「教えてください、オスマン殿、一体、エデンの果実とは何なのですか?」

「アレは……、誘惑そのものじゃ」

「誘惑?」

 

 エツィオが首を傾げると、オスマン氏は、打ち明けるように話し始めた。

 

「以前、お主に話したな、アルタイルは今の私ですら足元に及ばぬくらい、多くの知識を身に着けていたと。

その知識に強く惹かれた私は、彼がとても大事そうに持っていた銀の塊になにか秘密があるのではないかと目星をつけた」

「銀の塊? それがエデンの果実?」

「うむ、掌ほどの大きさの球体じゃ。それでな、彼に気付かれぬようにこっそりと"眠りの雲"の呪文をな……」

「眠らせたと言うのですか!」

 

 エツィオは思わず声を荒げ立ち上がる。

オスマン氏はビクッと身体を震わせ、顔を青くしながら慌てたように両手を振った。

 

「う、うむ……、も、もう過ぎたことじゃよ!? だから落ち着くのじゃ!」

「……それで、どうなったのですか?」

「私がそれを手に取った瞬間、それがどんなものなのかを悟った。これを使えば、私が望む事、全てが思い通りになる、そう確信した。

アレは神の言葉じゃ……。どんな者であれ、それこそエルフでさえ、あの秘宝の幻に抗える者はいない。誰もが味を占め、虜になる。

私はすぐに『リンゴ』の虜になった。私が頭に思い描いたものを、あの銀の塊は全てを教え、与えてくれたのじゃ。そんな誘惑にどうして抗うことができよう?」

「幻……」

「そう、幻じゃ。あの秘宝が持つ力は単純じゃ、幻を見せ、その者の精神を意のままに操る事が出来る。その気になれば世界中の人間をな」

「そんな事が……」

「幸い、大事に至る前に、アルタイルが私を止めてくれたがの。もうぶん殴られたよ、思いっきり」

 

 殺されなかっただけマシだったんじゃろうけどな……と、オスマン氏は苦虫を噛み潰したような表情で左頬を撫でながら、呟いた。

当時のことを思い出してしまったせいか、心なしか顔色が悪いように見える。

 

「というわけじゃ、エデンの果実は、共通して『人間を意のままに操る』という力を有しておる。

もしクロムウェルが持っている指輪がエデンの果実ならば、ボーウッドという離反者を出していない筈じゃからな」

「なるほど……。しかし疑問も増えます、そのエデンの果実を持っていないのだとしたら、奴はどのように勢力を拡大させたのでしょうか?

聞けば奴は、反乱が起こるまでは、無名の司教に過ぎなかったそうです。

死者を蘇らせるという力を虚無と称するだけで、どうやってあそこまで支持を集め、上り詰めることができたのか……、不思議なことです」

 

 オスマン氏はうむ、と頷くと、しばらく顎に手を当て思案する。

目を細め「これは推測じゃが……」、と口を開いた。

 

「人を従わせるのは、上に立つものなら当然じゃ、それができなければ指導者にはなれん。

言葉で無理なら金じゃ、それで足りなければ汚い手段もある。賄賂に脅迫……そして魔法を使う。

『水』系統の力は、傷を治したり、精神を操ったりと身体と心の組成を司っておってな、『制約』、『魅了』。これらがそれにあたる。

いずれも秘宝の力には遠く及ばぬが、人を意のままに操ることができる呪文じゃ」

「しかし、奴はメイジではない、魔法は使えないのでは?」

「そこでその指輪じゃよ。死者に偽りの生命を与え、意のままに操る事ができる『アンドバリの指輪』。

それを奴が使ったとするならば、生きた人間を操ることくらい、造作もないことではないかね?」

「そうか……筋は通るな……」

 

 エツィオは拳を握りしめ、唇を噛んだ。

 

「クロムウェル……、奴にはいずれ、報いを受けさせねばなりませんね」

 

 怒りに満ちた目で、小さく吐き捨てる。

人々の意思を奪い、戦乱を招こうとしている、

死者の魂すら冒涜するそのやり方に、エツィオは強い怒りを覚えた。

 

「私もアルタイルを師と仰いだ身……そなたの気持ちはわかる。じゃが、既にお主は打つべき手を全て打った、今は連中の出方を待つべきじゃ」

「しかし奴は……」

「忍ぶときは忍べ、アサシンよ。ここはハルケギニアじゃ、お主のいた世界ではないのだぞ? 

それに、今のお主の身分では、再びアルビオンへ赴くことは難しいじゃろうて」

 

 オスマン氏は静かにエツィオを見つめ、たしなめるように言った。

オスマン氏の言葉にも一理ある、エツィオは俯き、思案する。

 

「アルビオンでの働き、真に見事であった。お主はしばらく身体を休めるとよい、よいな」

「わかりました、そうさせていただきます……ですが」

「だが、何かね?」

 

 エツィオはそこで言葉を切ると、顔を上げオスマン氏を見つめた。

 

「彼女に、主人に危険が及ぶのであれば、私は刃を振るうことにためらいはありません、脅威となる者は消すまでです」

「よろしい、まさにそれこそ、そなたの使命」

 

 その言葉に、オスマン氏はにっこりとほほ笑んだ。

それからエツィオはニヤリと口元に笑みを浮かべると、わざとらしく肩を竦めた。

 

「とはいえ、彼女に命じられるのは雑用ばかりでしょうけどね」

「ほっほっほ、アサシンを雑用扱いとは、ミス・ヴァリエールは将来大物になるに違いないわい」

 

 オスマン氏は、一しきり大声で笑うと、再びエツィオを見つめ、首を傾げる。

 

「それよりもじゃ、彼女には明かすのかね? お主の身分を」

「……そのつもりです、もう隠し通すことは難しいかと」

 

 エツィオは、呟きながら、ちらと廊下へ続く扉へと視線を送る。

そんなエツィオを見つめながら、オスマン氏はふむ……、と頷いた。

 

「それがよかろう、秘密は時に不和を生む、しかし共有する秘密ならば、それは強い繋がりになるじゃろう」

「受け入れてもらえるか、それが一番の問題な気もします」

「心配するでない、彼女ならばきっと受け入れてくれるじゃろうて。なにせ、ここ数日間、帰らぬお主を心配して泣いておったのじゃからな。若いっていいのう」

 

 オスマン氏はからかうようにエツィオを見つめた。

ところがエツィオは、ああやっぱりなと、澄ました表情でニヤリと笑って見せた。

 

「やれやれ、使い魔思いのご主人様に仕えることができて、使い魔として幸せですよ」

 

 

 一方その頃、学院長室の扉に貼りつき、オスマン氏とエツィオの対談に聞き耳を立てている一人の少女がいた。

桃色がかかったブロンドの髪に、大粒の鳶色の瞳、ルイズであった。

その手には、インテリジェンスソードのデルフリンガーがいた。

エツィオにオスマン氏の元へ報告に行くように伝えたルイズであったが、こっそり彼の後をつけ、こうしてオスマン氏との話を盗み聞きしていたのであった。

デルフリンガーは、アルビオンでエツィオと共にいたために、いろいろ聞くために持ってきていたのであった。

 

「アサシン……? 暗殺者? ……エツィオが?」

 

 学院長室の扉に貼りつき、オスマン氏との会話を途中まで盗み聞きしていたルイズはぽつりと呟いた。

扉から耳を離し、手元のデルフリンガーに視線を落とす。

 

「……本当に?」

「聞いての通りさね。あいつはアサシンだよ。とびっきり凄腕のな」

 

 恐る恐る尋ねるルイズに、デルフリンガーはあっさりと答える。

あまりにあっさり答えられたので、ルイズはかえって反応に困ってしまった。

 

「えっと、その……、そんなにすごいの? その……あいつは」

「すげぇもなにも、話聞いてたろ?」

「『アルビオンの死神』……だっけ?」

「ああ、その名前を聞いただけで『レコン・キスタ』の連中が震えあがるな」

「震えあがるって……」

 

 ルイズが信じられないといった様子で呟く。

そんなルイズを見透かしてか、デルフが尋ねた。

 

「信じられないかね?」

「……」

「まぁ、普段の相棒を見る限りじゃ、娘っ子が見抜けないのも無理はないさね。大体、あんな奴がアサシンだなんて誰も信じないわな」

「そ、そうよ……あんなバカみたいなあいつが……」

 

 デルフのその言葉に、ルイズは呆然と呟く。

それからルイズはキュルケから聞いたアルビオンの噂を思い出した。

手元の剣を見つめ、尋ねてみた。

 

「ねえ、ほんとにワルドを殺したアサシンって、あいつなの? あんた、それを見てたの?」

「ああ、頸動脈と一緒に頸椎を一突き。一瞬さね、苦しむ間も無かっただろうよ」

「そんな! どうやって? だってワルドは……!」

「スクウェアのメイジ、か? 子爵だって人間さね、油断もすれば、身動きの取れない瞬間だってある。

相棒はそこを突いたんだよ、演説中の子爵に躍りかかってそのまま……」

 

 あとはわかるだろ? と、デルフリンガーはそこで言葉を切った。

 

「ま、そんなわけで、今や相棒はアルビオン一の有名人だ。懸賞金かかってるくらいだからな」

「しょ、賞金ですって!?」

「お、おい、声でけぇって! なんのためにコソコソしてんだよ!」

 

  デルフのその言葉に、ルイズは心底驚いた。

エツィオの首に懸賞金がかかっている? 何かの冗談ではないのだろうか?

ルイズは声を潜めながらデルフリンガーに尋ねた。

 

「う、嘘でしょ? 嘘よね? い、いくら? いくらかかってるの?」

 

 デルフリンガーが短く答えた。

 

「ごまん」

 

 ……今、このボロ剣は何と言った? ルイズはひきつった笑みを浮かべながら、大きく深呼吸をする。

 落ち着け、落ち着くのよ、今のはきっと聞き間違いね、絶対そうよ。このボロ剣がいきなり変なこと言うんだもん、わたし混乱してるんだわ。

だって桁がおかしいもん、なによ『ごまん』って、こんな時に聞き間違いだなんて、いやだわ、もう。

百歩譲って『ごまん』と聞こえたとしても、このボロ剣は『ごまんといる小悪党どもとかと同じくらいだぞ』って言いたかったのよね、ええ、きっとそうよ。

 

 ルイズはこほん、と一つ咳払いをし、気を取り直して手元のデルフに尋ねる。

 

「あの、ごめんなさい、よく聞こえなかったわ、もう一回言ってくれない?」

「だからごまん」

「……はい?」

「だから五万エキューだっつってんだろ」

 

 その言葉にルイズは『硬質』の呪文がかかったかのように固まった。瞬きどころか呼吸一つしていない。

静寂に包まれる廊下をよそに、学院長室からはオスマン氏の笑い声が聞こえてくる。

 

「お、おーい、娘っ子……?」

「はっ!!」

 

 見かねたデルフリンガーが声をかけると、呼吸の仕方を思い出したのか、ルイズが息を吹き返す。

そして、廊下に響き渡らん程に絶叫した。

 

「ごっ、ごごごご、ごおおおお!?」

「だぁから、声でけぇっつうの!」

「ななな、なによそれ! あ、あああ、あいつアルビオンでなにをやったの! なにをしたらそんなデタラメな懸賞金がかかるのよ!」

 

 デルフの警告を無視し、ルイズはガクガクとデルフリンガーを振って問い詰めた。

五万エキュー……、国家予算クラスの金額である、それだけあれば領地と城を買っても余裕でお釣りがくるだろう。

過去、ハルケギニア全体で見ても、たった一人のお尋ねものに、そこまで莫大な懸賞金がかかったなんて事、聞いたことが無い。

一体全体、エツィオはアルビオンで、なにをしでかしたのだろうか?

 

「な、なにって言われてもよ……そりゃ、あの子爵を殺ったろ? 他には金貸しの銀行家を数人暗殺して……」

 

 不安に慄くルイズに、デルフリンガーは仕方ないとばかりに答えた。

だが、デルフリンガーの言う、エツィオの"仕事"っぷりは、ルイズの想像を遥かに上回っていた。

 

「ああそうだ、えーっと『レキシントン』号だっけか、あれ爆破したんだった。んで、そのついでにロサイスに停泊していた艦隊を軍港ごと灰に変えて」

「かぅは……!」

 

 ルイズは、肺の中の空気を全部出すかのような、うめき声を上げた。

 『レキシントン』号……、『イーグル』号の甲板から見た、あの禍々しい巨艦の名前だった筈……。それを沈めた? エツィオが? たった一人で?

っていうか、ロサイスって、アルビオンでも有数の軍港じゃ……。それを艦隊ごと灰に変えたって? 

気が付けば、ルイズの膝は笑っていた。驚愕のあまり、声すら出ない。というか、この先聞くのが怖い。

 だが、そんなルイズに気がつかないデルフリンガーは次々に言葉を続けた。

 

「そうそう、貴族派の親玉連中、貴族議会って言うのか? そいつらを暗殺したんだったな、えーっと確か……全部で十五人いて……」

 

 ああやめて、お願い、やめて、もういい……、それ以上言うな。

 

「その中の五人消したんだっけか。おでれーた、たった一人相手に半壊してやんの」

 

 ああ……。ウソ……。

そこまで聞いて、ルイズは仰向けにぶっ倒れた。

 

「おい、おい! 娘っ子! どうしたよ、おいっ!」

 

 デルフリンガーは慌ててルイズに声をかける。

しかし全く反応を見せない。呼吸はしているので死んではいないようだ。

 

「あーあ、気絶しちまってら……」

 

 そんなルイズをみて、デルフリンガーが呆れたように呟いたその時……。がちゃりと学院長室の扉が開いた。

 

 

「はっ!」

 

 意識を取り戻したルイズはがばっと跳ね起きる。

あわてて周囲を見渡すと、そこは学院長室のソファの上であった。

どうやら自分は気を失ってしまい、ここに運び込まれたようであった。

ルイズが目を覚ました事に気が付いたのか、窓の外を眺めていたオスマン氏が振り向き、にっこりとほほ笑んだ。

 

「目が覚めたかね?」

「あっ……!」

 

 オスマン氏に声をかけられたルイズは、慌ててソファから立ち上がり頭を下げる。

 

「も、申し訳ありません! えと……」

 

 オスマン氏は、そんなルイズに軽く手を掲げながら制止すると、髭を撫でながら笑い声を上げた。

 

「ほっほ、驚いたぞ、扉を開いたらお主が倒れておったものじゃからな」

「お、お恥ずかしい限りです……」

 

 気恥ずかしそうに、ルイズは俯く。

オスマン氏はそんなルイズに、にっこりとほほ笑みながら話しかけた。

 

「ミス、私の言った通りじゃったろう? 大鷲は無事にそなたの元へ帰還したではないか」

「は、はい……」

 

 まぁ座りなさい、と、オスマン氏に促され、ルイズはおずおずとソファに腰掛けた。

気が付くと、持っていたはずのデルフリンガーが無かった。どうやらエツィオが回収し、共に部屋に戻ってしまっていたようであった。

 

 オスマン氏は、同じように向かいのソファに腰かけ、ルイズを見つめた。

 

「さて、その様子から察するに、話を聞いていたようじゃな」

「えと、その、エツィオがアサシンだというところまでですけど……」

 

 ルイズはこくりと小さく頷いた。

俯き表情を曇らせたルイズに、オスマン氏は、諭す様に話しかけた。

 

「ミス・ヴァリエール、彼のこと、どうか責めんでやってくれぬか?」

 

 オスマン氏は髭を擦りながらため息を吐くように言った。

 

「彼にとっても、仕方のないことだったのじゃ。『アサシン』などと、軽々しく人に明かせるものではないからのう」

「それは……わかっています」

 

 ルイズは呟くようにして頷いた。

ルイズも心のどこかでは納得はしていた、エツィオが自身に付いてあまり多く語らなかった理由が、身分によるものならば、それも理解できた。

アサシン……暗殺者……、確かにこんなこと、どんなに親しい間柄であっても、明かせるようなことではないだろう。

しばらく俯いていたルイズであったが、ややあって顔を上げると、オスマン氏を見つめた。

 

「あの、オールド・オスマン」

「なにかな?」

「この間おっしゃっていた、オールド・オスマンの先生って……やっぱり……」

 

 ルイズがそう尋ねると、オスマン氏は重々しく頷いた。

 

「うむ、そなたが思っている通りじゃ、我が師は『アサシン』であった」

「その……どんな暗殺者だったんですか?」

「どんな、とは?」

「えと、やっぱり、お金で雇われて人を……」

 

 ルイズが問うと、オスマン氏は首を横に振って応えた。

 

「それは違うぞ、ミス。彼は……いや、彼ら『アサシン』は、そなたが考えているような、金で殺しを請け負う殺し屋ではない」

「彼ら? ではどのような……」

 

 オスマン氏はソファから立ち上がると、机の引き出しから一枚の羊皮紙を取りだし、ルイズに手渡した。

 

「これに見覚えはあるかね?」

「は……はい、エツィオがいつも身につけているので……」

 

 それを手に取ったルイズは頷いた。

見覚えもあるもなにも、エツィオが普段身につけているローブの所々にあしらわれている紋章だ。

なぜオスマン氏がこれを持っているのだろう?

首を傾げるルイズにオスマン氏はゆっくりと口を開いた。

 

「その紋章は、とある『教団』のシンボルでな」

「教団……ですか?」

「そう、ここではない、遥か遠くの世界の話じゃ」

 

 オスマン氏は窓辺に立つと、外の景色を眺める。

窓の外には、一羽の大鷲が、夕陽を背に、翼を広げ悠然と空を舞っている。

それを見つめながら、遠くの世界に思いを馳せるように目を細め、語り始めた。

 

「彼らの起源は三百年程前に遡る。そこでは『キリスト』と『イスラム』、この二つの宗教が、一つの『聖地』を巡り、長い間争っておった。

キリスト教徒は度々『十字軍』と呼ばれる軍隊を結成し、イスラム教徒から聖地を奪還せんと遠征を繰り返していたそうじゃ」

 

「十字軍?」と、ルイズが首を傾げる。

 

「キリスト教を信仰する国々が結成した軍隊じゃよ、我々で例えるなら、ロマリアを筆頭としたハルケギニアの連合軍じゃな。

ついでに言えば、イスラム教徒はエルフ、といったところかの。

我々とエルフの関係と同じく、キリスト教徒にしてみれば、イスラム教徒は聖地を占拠する異教徒であり、

イスラム教徒にしてみれば、キリスト教徒は侵略者であり、仇敵であるというわけじゃ。……なんだかどこかで聞いたような話じゃないかね?」

 

 オスマン氏は皮肉な笑みを浮かべる。

キリスト教徒とイスラム教徒、ブリミル教徒とエルフ、聖地を巡る対立関係にしろ、まるでそっくりだ。

オスマン氏は話を続けた。

 

「聖地の目前にまで差し迫った十字軍に、迎撃の準備を万端に整えたイスラム軍、聖地はいつ戦火に包まれてもおかしくない、まさに一触即発となった。

戦で苦境を強いられるのはいつだって民草じゃ。再び罪なき民の血が流されようとしたその時、彼ら……『アサシン教団』が動き出した」

「アサシン……教団……?」

 

 聞きなれぬ名に再び首を傾げるルイズに、オスマン氏は大きく頷いた。

 

「うむ、イスラムにもキリストにも属さぬ第三の勢力。

『真実は無く、許されぬことなどない』を信条とし、『全ての平和』の実現を至上目的とする、暗殺集団。それが『アサシン教団』じゃ。

『アサシン教団』は、両勢力の存在こそが聖地に混乱をもたらす存在と考え、それぞれの幹部を排除するために、一人のアサシンを送り込んだ」

「アサシン……それがオールド・オスマンの?」

 

 ルイズが尋ねると、オスマン氏は頷いた。

 

「うむ、名を『アルタイル』と言ってな。若くしてアサシンの最高位、『マスターアサシン』の地位に昇りつめる程の実力を持った、優秀なアサシンじゃった。

彼が暗殺を命じられた標的の数は九人、そのいずれもがイスラム軍や十字軍の重要人物であり……、権力を笠に民を苦しめる悪党じゃったそうじゃ」

「それで……どうなったんですか?」

「簡単に言えば、アルタイルは見事、両勢力の幹部九人、そして裏で手を引いていた黒幕すらも暗殺してのけた。

首脳部を失い、混乱し、疲弊しきった両軍は遂に休戦協定を結び、聖地にはつかの間の平和が訪れた……。

と、このようにじゃな、『アサシン教団』の暗殺対象はただ一つ、平和を乱し、民を虐げる者じゃ。

歴史の闇にて撥乱反正を行う存在、それが彼ら、『アサシン』じゃ。彼らが刃を振うは、世の安定の為であり、人々の自由の為なのじゃよ。

彼……、そなたの使い魔であるエツィオ・アウディトーレもまた、その信条を受け継いだアサシンの血盟の一人というわけじゃ」

「そんな……」

 

 ルイズは口元を押さえながら、信じられないとばかりに小さく呟いた。

たった一人のアサシンが、戦を終わらせる、そんな馬鹿げた話、どうしても信じられなかった。

だが、なによりも信じられなかったのは、平和の為に人を殺す、『アサシン』の存在だった。

 

「で……でも、アサシンが……、エツィオがやっていることはっ……!」

「殺人、かね?」

 

 愕然としながらも、ルイズはやっとの思いでその疑問を口にする。

 だが、オスマン氏はそれの一体なにが問題なのか? と言わんばかりに首を傾げて見せた。

 

「確かに、人の命は、貴賎問わず何物にも代え難い尊い物だ。そんなことは、ブルドンネ街の乞食ですら知っている。成程、それを奪う彼の行為は、我々から見れば悪なのだろうな。

じゃがな、戦が起き数千数万もの罪なき人々の命が失われるくらいなら、たった数人の、それも悪人の命など取るに足らないものとは思わんかね? 

それが戦を引き起こそうとする者どもの命ならば、なおさら安い物だ。僅かな犠牲で多くを救う。大いなる善の為の、ささやかな悪じゃ。

確かに、お主の言うとおり、彼の行ったことは殺人じゃ。そしてそれは紛れもなく罪じゃ。

では聞こう、その罪を罰する法は、誰が創ったのかね? 天に座す神か? いや、『人間』じゃよ。

法は神ではなく人の理性より生まれしもの。故にこの世には『真実は無く、許されぬことなどない』のじゃ」

「だからって……」

「無論、この教えは自由を意味するものではない。この世をあるがままに見よ。若きメイジよ、賢くあれ」

 

 その言葉に、ルイズが呻くように呟く。

確かに、オスマン氏の言うことにも納得できる部分はある。

戦を引き起こそうとする原因を取り除き、平和をもたらす。少数の悪人の死で、数千、或いは数万の人々の命が助かるのだ、そこになんの問題があるのだろうか?

しかし、やはり心のどこかで、殺人という禁忌に対するわだかまりがあった。

 

 そんな彼女の心境を見透かすかのように、オスマン氏は目を細め、頷いた。

 

「割りきれぬ気持ちもわからんでもない。

だがな、ミス、残念なことに、この世には話が通じぬ者もおるのじゃよ、『レコン・キスタ』の連中がまさにそれじゃ。

無知による過ちなら救いようがある。しかし、心まで毒され、魂が穢れているのであらば、それは打ち倒さねばならん」

 

 オスマン氏は力強く言い切ると、ルイズをじっと見つめた。

 

「そなたの使い魔は、ただそれを遂行した。全ては、トリステイン……否、ハルケギニアの平和の為に、そして何より、そなたを戦火に晒さぬために」

「平和の、わたしの為……」

 

 ぽつりと呟きながらルイズは押し黙ってしまった。

オスマン氏は、俯きながらじっと考え込むルイズを見守っていたが、ややあって、小さな笑みを浮かべながら呟いた。

 

「私に言えるのはここまでじゃ、あとは、そなたの問題じゃて。今夜にでも、彼とよく話してみることじゃな」

 

 

 その夜……。

 ルイズが部屋に戻ったのは日もとっぷりと暮れた夜だった。

 オスマン氏との話を終えたルイズは、学院長室を出た後、そのままエツィオのいるであろう部屋に戻ることができなかった。

話をしてみろ、とオスマン氏に言われていたものの、エツィオの正体を知ってしまった今、どう話かけていいかわからなかったのだ。

中庭のベンチに腰掛け、どうエツィオに話を切り出すべきかと、あれこれ考えているうちにすっかり夜になってしまっていた。

結局、なんの考えも浮かばずに、仕方なくルイズは部屋に戻ることにしたのだった。

 

「おかえりルイズ、随分と遅かったじゃないか、もう寝る時間だぞ」

 

 ルイズが部屋の扉を開けると、使い魔であるエツィオがにこやかに迎え入れてくれた。

違いといえば、いつも身につけている白のローブではなくシャツを着ているという所だけであろうか。

こうしてみると、どこにでもいる品のいい青年、と言った感じである。

今まで片づけていたのだろう、下着や食器が散乱していたはずの部屋は綺麗に片付いている。

それどころか、ベッドの上にはルイズの着替えまで置いてあった。帰ってきて早々この仕事っぷり、相変わらず気の利く男である。

久しぶりに見る、いつも通りの陽気なエツィオ。そんな彼を見ていると、本当にこいつはアサシンなのだろうか? と首を傾げたくなってくる。

 

「どうしたんだ? 悩み事か? なんなら相談に乗ってやるぞ」

「な、なんでもないわよ!」

 

 そんな風にルイズが考えていると、エツィオが顔を覗きこんでくる。

相変わらずの、人をからかうような仕草にルイズは頬を僅かに赤くしながら怒鳴りつける。

 

 ルイズはベッドに行くと、そこに置かれた着替えを手に取った。

エツィオの言うとおり、そろそろ寝る時間だ。随分長い間悩んでいたものだと考えながら、着替えを始める。

だが、何を思ったか、着替えようとしていたルイズの手がはたと止まった。それから、はっとエツィオの方へ振り向いた。

エツィオはというと、机の上に置かれた装具類を点検している。こちらを見てはいないようだ。

それをみたルイズは、いそいそと外していたブラウスのボタンを留め、ベッドのシーツを掴むと、それを天井に吊り下げ始めた。

 

「ん? 何をしてるんだ?」

 

 ルイズのその行動に、流石に気が付いたのか、エツィオが尋ねる。

しかしルイズは頬を赤く染めたきり答えずに、シーツでカーテンを作り、ベッドの上を遮った。

それからルイズは、シーツのカーテンの中に入り込む。ごそごそとベッドの中から音がする。ルイズは着替えているようだ。

 

 エツィオは小さく首を傾げた、いつもだったら、堂々と着替えていたはずなのに……。とそこまで考えが至った瞬間、ニヤっと、口元に小さな笑みを浮かべた。

 ああ、そういうことか。ようやく俺のことを男として見始めたな。

とにかく鋭いエツィオは、ルイズの行動の原因として、即座にその答えをはじき出した。

さて、これからどう接してやろうか。と考えていると、カーテンが外された。

 

 ネグリジェ姿のルイズが月明かりに浮かんだ。髪の毛をブラシですいている。

煌々と光る月明かりのなか、髪をすくルイズは神々しいほど清楚に美しく、可愛らしかった。

 

「へえ、これは驚いたな、カーテンの中からウェヌスが出てきたぞ」

「ウェヌス?」

 

 聞きなれぬ名に、ルイズは首を傾げる。

そう言えばそうだった、ここは異世界だ、彼女がローマの神を知る筈はない。

 

「俺のとこの、美の女神さ」

 

 エツィオがそう教えると、ルイズの頬に、さっと朱が差した。

 

「なな、何冗談言ってるのよ! あんたは!」

「冗談じゃないさ、きみは美しい」

「ば、バカ言ってないで、さ、さっさと寝るわよ!」

 

 まっすぐにそう言われ、ルイズの顔が益々赤くなった。見るとエツィオはにやにやとほほ笑んでいる、こちらの反応を楽しんでいるようだ。

ルイズはベッドの上に置いてあったクッションをエツィオに投げつけた。コイツと話をしていると、ホントに調子が狂ってしまう。

 ぐったりとした様子で、ルイズはベッドに横になり、机の上に置かれたランプに杖を振って消した。

灯りが消え、窓から差し込む月の光だけが、部屋を照らしだした。

 

 装具の点検を終えたエツィオも、睡眠をとるべく、部屋の隅に置かれたクッションの山に体を預けた。

クッションが敷かれているとはいえ、寝心地は最悪である、これならアルビオンに滞在中に眠った安宿のベッドのほうが幾分かマシである。

 

「あいたたた……」

 

 久しぶりの寝床の寝心地の悪さに、思わずエツィオは爺くさい声をだす。

そんな風にして学院に戻ってきたという事実をしみじみと感じていると、ルイズがもぞもぞとベッドから身を起こし、エツィオに声をかけた。

 

「ねえエツィオ」

「ん?」

 

 返事をすると、しばしの間があった。

 それから、言いにくそうにルイズは言った。

 

「いつまでも、床っていうのもあんまりよね。だから、その、ベッドで寝てもいいわ」

 

 思わぬルイズの提案に、エツィオは顔を輝かせた。

 

「おい、いいのか? きみのこと襲っちゃうかもしれないぞ?」

「勘違いしないで、へ、変なことしたら、殴るんだから」

 

 エツィオは手をわきわきと動かしながら、冗談めかして笑った。

 

「殴るだけか? ……なら試す価値はあるかな」

 

 そう嘯くと、エツィオは即座にベッドの中に潜り込み、ルイズに寄り添う様に隣に寝転んだ。

ルイズが許可を出してからこの間、わずか数秒。

一切の迷いもためらいもない、あまりのその自然な行動にルイズは何も反応できずに、固まってしまった。

 

「さて、どうしてやろうか」

「ちょ、ちょっとやめてよね! 変なことしたら殴る……っていうか殺すわよ!」

 

 顔を赤くしながら、震える声で叫ぶルイズに、エツィオはからかうように笑って見せた。

 

「冗談さ、嫌がる子を無理やりってのは好きじゃないんだ。だから……」

「だ、だからなに……?」

「きみが俺を求めるまで、俺は手を出さないことを誓ってやるよ」

 

 ニィっと、口元に笑みを浮かべてエツィオが笑う。

その言葉が意味するところを知ったのだろう、ルイズは羞恥と怒りを爆発させる。

 

「こ、この……! 馬鹿にするのもいいかげんにっ……!」

「はいはい、悪かったよ。きみには刺激が強すぎたかな」

「ぐっ……、やっぱり呼ぶんじゃなかった……!」

 

 悔しそうに歯ぎしりするルイズを見ながら、どれだけ耐えられるか、見ものだな……と、エツィオは内心ほくそ笑んだ。

プライドの高いルイズのことだ、そうやすやすと落ちはしないだろう。だからこそ、落とし甲斐があるというものだ。

 

 ……しかし、しかしである。もしもルイズに手を出した場合……、なんだかすごく面倒なことになりそうな気がしてならないのも事実だ。

それこそイヴの誘惑に負け、エデンの果実を口にしたアダムのようになりかねない、そんな予感がする。世に言うめんどくさいタイプだ。

そう言う意味では、彼女は創世記にある禁断の果実そのものなのだろう。俺はもっと楽しみたい、だから最高の楽しみは、最後に取っておく。

自分の魅力に落ちない女性はいない、そんな絶対の自信を持っているエツィオだからこそ出来る、邪な考えであった。

 

 しばしの間、そんな二人の間を沈黙が支配する。

そして、しばらくたった後、エツィオはぽつりと呟くように口を開いた。

 

「アルビオンでは……すまなかったな」

 

 ルイズは答えない。

もう寝てしまったかな? と思ったが、寝息は聞こえてこない。エツィオは続けた。

 

「きみに辛い思いをさせた上に、危険な目にも合わせてしまった、……使い魔失格だな」

「そ、そんなことっ……!」

 

 その言葉に、ルイズは思わず身を起こし、エツィオを見つめた。

エツィオは口元に笑みを浮かべ、言葉の続きを促す様に首を傾げて見せる。

 

「そんなこと?」

「な……ない……」

 

 ルイズはエツィオから顔をそむけ、僅かに頬を赤くしながら小さな声で答えた。

ほんとなら、ちょっとは文句くらい言おうと思っていた、しかし、エツィオに先手を打たれ、思わず本音が出てしまったのである。

再びベッドに横になり、エツィオに背を向ける。そんなルイズを横目で見つめながら、エツィオは小さく笑い、言った。

 

「二度ときみを傷つけさせない、約束するよ」

「あたりまえじゃないの」

 

 それからルイズは決心したように口を開いた。

 

「でも、わたしも、あんたに謝らなきゃ。ごめんね、勝手に召喚したりして」

「本当だよ、まったく」

「んなっ!?」

 

 エツィオがあっさりそんな事を言う物だから、ルイズは再び体を起こし、今度はエツィオを睨みつける。

 

「ど、どういうことよ!」

「イタリアに帰りたくなくなるってことさ」

 

 エツィオは、うー、と睨みつけてくるルイズにニヤリと笑みを浮かべてみせると、ルイズの頬に手を伸ばし、愛おしそうに撫でた。

 

「俺は今、毎日が充実してる、きみのおかげだ」

「か、からかわないでっ!」

 

 かぁっ、とルイズは顔を赤くすると、その手を取り払った。

ぼふっとベッドに横になると、再びエツィオに背を向けてしまった。

 

「もう! 謝らなきゃよかった!」

「ははっ、でも本当さ、出来るならずっときみの傍にいたい、そう思ってる」

「っ……!」

 

 耳元で囁かれ、どくん、とルイズの胸が高鳴った。

並みの女性なら、それだけでノックアウトされてしまいそうになる程、憂いを含んだ甘い囁き。

 ひどい、エツィオひどい。そんな事言われて、平常心なんて保っていられるわけないじゃない。

今、自分がどんな顔をしているのかまるで想像が出来ない、きっと酷い顔になっている。

エツィオに背を向けていてよかった、こんな顔見られたら、ますますからかわれてしまう。

 そんなルイズの様子を知ってか知らずか、エツィオは続けた。

 

「でも……それはできない。いつかは帰らなきゃ……」

「し、心配しなくても、きちんと帰る方法を探すわよ……」

「おい、本当か? ……まあ、期待せずに待つとするさ」

 

 エツィオは笑いながらそう言うと、それきり黙ってしまった。

しばしの沈黙の後、ルイズはもぞもぞと動き、エツィオの方を向いた。

寝てしまったのかな? と思っていたが、エツィオはまだ起きているようだ。

話をしなきゃ……と、ルイズは意を決してエツィオに話しかけた。

 

「ねえ、あんたのいたイタリアって、魔法使いがいないのよね」

「いない、概念はあるけどな」

「月は一つしかないのよね」

「生憎、二つ浮いているのは見たことがないな」

「へんなの」

「ははっ、そうだな、月はともかく、魔法が無いなんて、不便なものさ。お陰で空も飛べやしない」

「あんたは向こうでは……」

 

 ルイズはそこで言葉を切った。

それからエツィオの横顔を見つめながら、ためらう様に尋ねた。

 

「あんたは……『アサシン』なのよね」

「……」

「オールド・オスマンから聞いたの、あんたが『アサシン』だってこと」

 

 ルイズがそう言うと、エツィオは天井を見上げたまま、厳かに口を開いた。

 

「……アウディトーレ家は銀行家だった、っていうのは話したよな」

「うん」

「それは本当だ、事実、俺は父上の後を継ぐべく勉強してたよ、あまり真面目じゃなかったけどな」

 

 エツィオは小さく笑う。しかし、すぐに真面目な顔になった。

 

「銀行家、俺もそう思っていた。だけど、それはあくまで表の顔だった。アウディトーレ家には、もう一つ、隠された裏の顔があったんだ」

「それって……」

「そう、フィレンツェにとって脅威となる存在を排除する、――『アサシン』。要はフィレンツェの暗部さ。

祖先がそうであったように、父上もまた、アサシンだった」

 

 『アサシン』の家系……、あらかじめオスマン氏から聞いていたとはいえ、

本人の口から言われると、やはり重みが違う。改めて真実を突きつけられた気分になり、ルイズは思わず息をのんだ。

 

「俺がそのことを知ったのは二年前、フィレンツェを追放され、伯父上のところに匿われた時だった」

「追放……?」

「そう言えば前にも聞かれたな、何故貴族の地位を剥奪されたか……」

「あ……、い、言いたくないなら別に言わなくてもっ!」

「いや、聞いてくれ、いつかは言わなきゃならないことだ」

 

 ルイズは慌ててエツィオを止めようとする。

だがエツィオはゆっくりと首を横に振り、口を開いた。

 

「……罪状は国家反逆罪、もちろん濡れ衣だ。父上は、アウディトーレ家はハメられたんだ、奴らに」

「奴ら?」

「テンプル騎士団。世界の支配を目論み、陰謀を企てている連中だ。

俺達アサシンと数百年にもわたって戦い続けている、それこそ因縁の相手ってやつだよ」

 

 きみとキュルケの因縁には負けるかもしれないけどな。とエツィオは笑って付け足す。

だがそれは、我ながらあまりに笑えない冗談であることにすぐに気づいた。

すまない……。と小さく呟き、話を続けた。

 

「……二年前、父上はとある事件を調査していた。ミラノ公国、そこを治める大公が暗殺された事件があった。

その事件が起こるより前、暗殺計画を事前に察知していた父上は、それを阻止すべく動いていた。しかしそれは叶わず、大公は暗殺されてしまったんだ。

表は反乱分子による暴発、そう言うことになっている。しかし、その裏ではフィレンツェの支配を巡るテンプル騎士の陰謀が隠されている事に気が付いた父上は、

騎士団からフィレンツェを守る為に調査に乗り出した」

 

 ルイズは固唾を呑んで、エツィオを見つめた。

天井を見つめるエツィオの横顔からは、先ほどまでの陽気な青年の面影は掻き消えていた。

ぞっとするほど冷たい表情、おそらくは、これこそが『アサシン』、エツィオ・アウディトーレの素顔なのかもしれない、とルイズは思った。

 

「父上は事件に関わった者たちを狩り出し、始末した。だけど、悔しいが奴らの方が一枚上手だった、

父上はその事件の真相に至る前に、その事件の濡れ衣そのものを着せられ警備隊に兄弟共々捕らえられてしまったんだ。

運よくそれを免れていた俺は、父上が掴んだ陰謀の証拠を手に、父上の親友でもある判事の家へと走った、それが皆を救うものと信じてね」

「……」

「判事は言った、この証拠を翌日の裁判で提出すれば父上への嫌疑は晴れ、必ず助かると、それを聞いて俺は心から安堵した、これで元の生活に戻れるってね」

「それで、どうなったの……?」

 

 ルイズは恐る恐る尋ねる。

エツィオは目を細め、苦しそうな表情を作った。

 

「……次の日、俺は裁判が開かれているシニョーリアの広場まで走った、今頃父上の無罪が証明され釈放されるところなのだろうと。だが……違った……。

そこで見たものは……絞首台にかけられる父上と兄上、そして……弟の姿だった」

「そんなっ! 証拠も提出したのにどうして!」

「簡単なことさ、判事が裏切ったんだ、判事もあいつらの仲間だった……そして俺が見ている目の前で……父上達はっ……!」

「エツィオ……」

 

 唇を噛みしめ、怒りに満ちた声で吐き捨てる。

普段の彼からは想像もできないほど声を荒げ、感情を露わにするエツィオに、ルイズは言葉を失ってしまう。

いつもの冗談と思いたかった、しかし、それにしてはタチが悪すぎる。

 

「俺はシニョーリアの刑場から必死で逃げた、吊るされた家族を見捨てて。あの姿は今でも忘れられない……忘れてはならない……」

 

 掌で顔を覆い、エツィオが呻くように呟く。怒りと悲しみ、そして悔恨がないまぜになった、苦悶の表情。

そんな自分を呆然と見つめるルイズに気が付いたのか、エツィオは小さく息を吐き、目を閉じる。

 ルイズは思わず言葉を失ってしまった。

いつも陽気で不敵なエツィオとは思えないほど、弱弱しい表情。

この男が、こんな表情をするとは夢にも思わなかったのだ。

唖然としたままのルイズをよそに、エツィオは淡々とした口調で、言葉を続けた。

 

「全てを失った俺は、残された妹と心を壊した母上を連れ、伯父上の下に逃げ込んだ。そこで俺はアウディトーレ家の歴史とテンプル騎士団との宿縁を知った。

俺は父上の後を継ぎ、奴らに復讐を誓った。父上の死に関わった者共を全員狩り出し、一人残らず地獄に送ると」

 

 復讐、その言葉にルイズははっとする。

いつか、アルビオンへ向かう船の上で聞いた、エツィオがイタリアに戻らねばならない理由。

エツィオの戦いは、まだ終わってはいないのだ。

 

「その、裏切り者の判事は……?」

「……殺したよ、この手でね。奴を前にした時、怒りで目の前が真っ赤に染まった……、

気が付いた時には、俺は判事の腹を貫き、切り裂いていた……、何度も……何度も……」

 

 エツィオは顔を覆っていた左手を掲げ、じっと見つめる。

 

「俺の手は、もう奴らの血で真っ赤だ……。俺はただ、平和に暮らしていたかっただけなのに。

兄上と一緒に馬鹿やったり、恋人と愛し合ったり……、ただ自由に、普通に暮らしていたかっただけなのに……」

 

 不意に、エツィオが首を傾げ、ルイズを見つめる。

そのエツィオの顔をみたルイズはぎょっとした。

エツィオの双眸から、一筋の涙が流れている。泣いているのだ。

唖然とするルイズの前で、エツィオは表情を歪ませながら震える声で呟いた。

 

「もう……もう何も戻らない。父上も、兄上も、弟も……。……どうして、どうしてこうなったんだ?」

 

 それは、家族を失ってから、誰にも明かすことのなかった、胸の内の苦しみ、悲しみ、悔恨。

それら全ての感情を全部、ルイズに打ち明けるように、エツィオは心情を告白する。

使い魔の語る、想像を絶するほどの、悲惨な過去。陽気さの裏に隠された、悲壮な覚悟。

ルイズは思わず、涙を流すエツィオを掻き抱いていた。

いつか、ニューカッスルの廊下で、エツィオが泣きじゃくる自分にそうしてくれたように、今度は自分がエツィオを支える番だと思ったのだ。

 

「父上……、兄さん……、ペトルチオ……、ごめん……。ごめん……俺は……!」

 

 エツィオの双眸から、堰を切ったように涙があふれ出す。

 気が付けば、ルイズも涙を流していた。彼の境遇に同情したわけではない。同情など、軽々しく出来るはずもない。だが、不思議と涙があふれてきたのだ。

しばらくの間、ルイズの胸に顔を埋め、静かに涙を流していたエツィオだったが、やがて離れると、涙を拭いた。

 

「……カッコ悪いところを見せたな……でもお陰で楽になった」

「エツィオ……」

「俺の弱い心は、ここに置いて行く。もう泣き言は無しだ」

 

 そう言ったエツィオの表情は、いつもの笑顔が戻っていた。

強い意思を感じさせる瞳に、余裕と自信に満ちた不敵な笑顔。

ルイズの目じりに溜まった涙を指先で拭ってやりながら、エツィオは微笑む。

 

「……酷い顔だ、きみに涙は似合わないな」

「あっ、あんたのせいよ! あんたがあんな話を――」

「ありがとう、最後まで聞いてくれて」

「っ……!」

 

 エツィオにそう言われ、ルイズは何も返せなくなってしまう。

もにょもにょと口を動かすルイズにエツィオはにやっと笑って見せた。

 

「それに、貴重な体験もできたしな。ああルイズ、出来ればもう一回……んがっ!」

 

 そう言いながら顔を近付けてきたエツィオの鼻っ柱にルイズの拳が叩きこまれた。

 

「ちょっ、調子に乗るなっ! このエロ犬!」

「わ、悪かった! 悪かったよ!」

 

 ルイズは羞恥に顔を真っ赤にしながら、枕でぼこぼことエツィオを叩いた。

エツィオは笑いながらルイズにされるがままになっている。その様子は、はたから見るとまるでじゃれあっているようだ。

 一しきりそうやってエツィオを叩いていたルイズは、荒い息を吐きながら、ごそごそと布団の中に潜り込んだ。

 

「次やろうとしたら、もう一回殴るわよ」

「はいはい……でも殴られるで済むならもう一回くらい……あ、いや! なんでもない!」

 

 再び握りこぶしを作ったルイズに、エツィオは慌てて口を噤む。

調子いいんだから……。と、恨めしそうに見つめてくるルイズに、エツィオは小さく微笑み、ぽつりと呟いた。

 

「……もしかしたら俺は、ただ怖かっただけなのかもしれないな……、いや、やっぱり怖かったんだろうな」

「なんのこと?」

 

 神妙な面持ちで呟くエツィオに、ルイズは首を傾げる。

 

「身分を明かせなかった事さ。きみに拒絶されるのが怖かった、だから明かせなかった」

「そ、そんなこと……するわけないじゃない」

 

 ルイズがぽつりと呟く。

僅かに顔を赤くし、上目遣いにエツィオを見つめながら、言いにくそうに言った。

 

「だ、だって、あんたはわたしの使い魔だし……、それに……」

「それに?」

「な、なんでもないわよ!」

 

 ぷい、と顔をそむけてしまったルイズを見て、素直じゃないな……。エツィオは苦笑する。

まぁそこがかわいいんだが……。と内心ほくそ笑んでいると、どうやらその笑みは表に出てしまっていたらしい。

ルイズは再びエツィオに恨めしげな視線を向けていた。

 

「なに笑ってんのよ……」

「あ、いや、安心したらつい……な」

 

 また殴られてはたまらないと、エツィオは誤魔化す様に笑って見せた。

そんなエツィオを見つめていたルイズであったが、ややあって、ちょっと真面目な表情で呟いた。

 

「……どうして」

「ん?」

「どうしてあんたは、わたしにそこまでしてくれるの?」

「さて、なんでだと思う?」

「からかわないで。……わたしが魔法を使えないの、知っているでしょ?

いつもいつも失敗ばかりで……、こんなダメなわたしに、どうしてあんたはそこまでしてくれるの?」

 

 ルイズは口をへの字に曲げながらエツィオに尋ねた。

エツィオは、凄腕のアサシンであることを差っ引いても、とにかく有能な男だということを、ルイズは嫌というほど実感していた。

何をやらせてもそつなくこなし、マナーも礼節も完璧。魔法が使えないという点を除くと、およそ貴族に求められる物全てを兼ね備えていると言っても過言ではなかった。

アルビオンで、ウェールズ殿下がいたく気に入っていたところを見るに、是非とも彼を配下に欲しいと思う貴族は数多くいるだろう。

そんな彼が、何故ゼロと呼ばれ続ける自分の傍にいてくれるのか、疑問に思ったのだ。

 

「あのワルドが言ってたわ、あんたは伝説の使い魔だって。あんたの手の甲に現れたのは『ガンダールヴ』の印だって」

「……らしいな、デルフもそう言ってる。あいつは昔、その『ガンダールヴ』に握られていたそうだ」

「それってほんと?」

「さてね、なにしろデルフの言うことだからな」

 

 エツィオはちらと部屋の隅に置かれたデルフリンガーを見つめる。

聞こえているぞ、とでも言いたいのか、ぷるぷると震えていた。

 

「でもまぁ、本当なんだろうな、実際このルーンにも、デルフにも助けられた」

「だったら、どうしてわたしは魔法ができないの? あんたが伝説の使い魔なのに、どうしてわたしはゼロのルイズなのかしら。いやだわ」

「きみは伝説と呼ばれるような、そんな偉大な存在になりたいのか?」

 

 エツィオが問うと、ルイズは首を横に振って見せた。

 

「違うわ、わたしは立派なメイジになりたいだけ。別に、そんな強力なメイジになりたいとかそういうのじゃないの。

ただ、呪文を使いこなせるようになりたいだけなの。得意な系統もわからない、どんな呪文を唱えても失敗なんてイヤ」

 

 心情を吐露するルイズに、エツィオはただ黙って聞いた。

 

「小さいころから、ずっとダメだって言われ続けてた。お父さまも、お母さまも、わたしには何も期待していない。

クラスメイトにもバカにされて、ゼロゼロって言われて……。わたし、本当に才能ないんだわ。

得意な系統なんて、存在しないんだわ、魔法を唱えてもなんだかぎこちないの。自分でわかってるの。

先生やお母さまやお姉さまが言ってた。得意な系統の呪文を唱えると、体の中に何かが生まれて、それが体の中を循環する感じがするんだって。

それはリズムになって、そのリズムが最高潮に達した時、呪文は完成するんだって、そんな事、一度もないもの」

 

 ルイズの声が小さくなった。

 

「そんなダメなわたしなのに……どうして?」

 

 落ち込んだ様子でルイズが尋ねると、エツィオは澄ました表情であっさりと答えた。

 

「きみの事が好きだからさ」

「は、はあ!?」

 

 あまりに唐突に、しかも真顔でそう答えられ、ルイズの顔がずどん、と火を噴いたように赤くなった。

暗闇の中でもわかるくらいに顔を真っ赤にし、滑稽なほどルイズは慌てふためいている。

 

「すすす、好き、好きって! どど、どういう……!」

「言葉の通りさ、俺はきみを気に入ってるんだ」

「こ、こんな時に冗談はやめてよ! ばっ、ばっかじゃないの!」

 

 そんなルイズの反応を愉しむかのように、エツィオは意地悪な笑みを浮かべる。

ルイズが反応に困っていると、すっと、エツィオの手が伸びる、そしてルイズの顎を持つと、優しく自分の方へと向けた。

 

「ルイズ」

「なっ! なに……よ……」

「俺はいつだって、きみの味方だ」

 

 その言葉に、ルイズはビクンっと身体を震わせ、エツィオを見つめた。

 

「きみが信念を捨てない限り、俺は喜んできみの力になる」

「えっ……あ……」

「俺は決してきみを見捨てないし、裏切らない。苦難あれば共に乗り越え、道誤ればそれを正そう」

 

 ルイズの頬を優しく撫でながら、エツィオは誓いを立てるように、呟いた。

 

「きみに二度と、辛い思いをさせるものか……」

 

 いつにないエツィオの真剣な眼差し、憂いを含んだ情熱的な囁きに、ルイズの心臓が、狂ったように警鐘を鳴らす。

いつかの、ラ・ロシェールで掛けられたワルドの言葉とは、まるで比べ物にならないほどの熱量を秘めた情熱的な甘い言葉。

それはまるで麻酔の様に、ルイズの頭の芯を、じんわりと痺れさせた。気が付けば、ルイズはエツィオから目が離せなくなっていた。

本当は気恥ずかしくて、エツィオの顔なんてまともに見れたものじゃない、だけど一時も目を離したくない。そんな気持ちがルイズの中でせめぎ合っていた。

 

「それに……」

 

 そんなルイズを知ってか知らずか、エツィオはぽんと、ルイズの肩を叩いた。

 

「今は魔法が出来なくても、人は決して負けるように出来てはいない。今の境遇に、死ぬまで甘んじなければならないという法はないさ」

 

 力強いエツィオの言葉に、ルイズは胸が熱くなるのを感じる。ちょっと涙まで出てきた。

それを隠すためにルイズは、エツィオの手を慌てたように振り払うと、毛布をひっかぶり、エツィオに背を向けた。

 

「す、すす、好きとか、な、なな、何言ってるのよ! も、もう!」

「おや? これじゃ不服かな? 困ったな、他に理由が見当たらない」

「ば、ばかなこと言わないで! この話はもうおしまい!」

 

 ルイズは気恥ずかしさを隠すかのように、無理やり話を中断させる。

それから仰向けになると、毛布から顔を出し、ちらとエツィオを横目で見つめた。

 

「で、でも、お礼はいわなきゃね。……あ、ありがとう……」

 

 消え入りそうなほど、小さな声でそう言うと、ルイズは目を瞑ってしまった。

礼を言われるとは思っていなかったのか、エツィオは少し驚いたようにルイズを見つめた。

 

「なに、気にすることはないさ、俺が好きでやってること……っと」

 

 ニィっと笑みを浮かべ、ルイズの顔を覗き込む。

そこでエツィオは言葉を切った。どうやらルイズはそのまま寝入ってしまったらしい。なんともまぁ、寝付きのいいことだ。

僅かに首を傾げ、あどけない寝顔を見せている。

手は軽く握られ、桃色がかったブロンドの髪が月明かりに溶け、キラキラと輝いている。

 うっすらと、開いた小さな桃色の唇の隙間から、寝息が漏れていた。

 

「くー……」

 

 エツィオはルイズの寝顔を見つめ、優しい笑みを浮かべると、ルイズの唇に自分の唇を重ね合わせた。

 

「……おやすみ、ルイズ」

 

 唇を離し、エツィオは小さく囁きながら、ルイズの頭を撫でる。

それからエツィオも仰向けになると、目を瞑り、眠りの世界へと落ちて行った。

 

 

 寝たふりをしていたルイズは、エツィオの寝息が聞こえてきた瞬間、がばっと跳ね起きた。

 

 キス、された。

 

 思わず唇を指でなぞる、心臓が狂ったように早鐘を打っている、顔はもう真っ赤っかだ。

おそるおそる、隣で眠るエツィオに視線を送る。もしかしたら、こいつは自分と同じように寝たフリをしていて、

あのからかうような笑みを浮かべるのではないかと、気が気ではなかったが……。どうやら本当に眠っているらしい。

「寝てる……」と、ルイズは少し安心したかのように呟いた。

 ルイズは枕をぎゅっと抱きしめて、唇を噛んだ。

意味分かんない、何を考えているのか、さっぱりわからない。

 ルイズは胸に手を置いた、やっぱり、そばにいると胸が高鳴る。

となると、この前、確かめたいと思った気持ちは本物なのだろうか?

同じベッドで眠ることを許したのは、今まで離れ離れになっていたのが寂しかったから……、というわけではない。

そう、アルビオンに残ってまで、自分に対する脅威を人知れず排除していた使い魔の献身へのご褒美のつもり……。でも、それだけじゃない。

異性に対するこんな気持ちは初めてで、ルイズはどうしていいかわからなかったのだ。

着替えそのものをエツィオに見せなくなったのはそのせいだ。意識したら、急に肌を見せるのが恥ずかしくなった。

ほんとだったら、寝起きの顔すら見せたくない。

 いつごろから、エツィオにこんな気持ちを抱くようになったのだろう? エツィオは本当に自分に好意を寄せてくれているのだろうか?

キスしてきたのだから、やっぱりそうよね。……正直に言うと、エツィオに『好き』とはっきり言われ、嬉しかった。

しかし、同時にみんなに言ってるんじゃないの? いや、絶対言ってるだろ。という確信にも似た疑念を生んだ。

なにせギーシュがかわいく思えるくらいの女たらしである。それに先ほどのキス、初心なルイズにでもわかる、あれはもう慣れてるキスだ。

やっぱり、他の女の子にもしていることなのだろうか? 怒りと喜び、二つの感情がルイズの胸の中でごちゃ混ぜになる。

あの言葉は、先ほどのキスは、本心からでたものなのだろうか? それが知りたい。

ルイズは、自分でもなんだかよくわからなくなって、う~~っと唸って、エツィオを枕で叩いた。起きない。

 

 その時だった。その様子を黙って見ていたデルフリンガーが不意に口を開いた。

 

「寝かせてやれ、相棒はこれまでロクに寝てないんだ」

「っ! あ、あんた、見てたの!」

 

 思わぬところから声をかけられ、ルイズは思わず叫んだ。それから慌てて口を閉じる、今のでエツィオが起きたらどうしようと思ったのだ。

だが幸いなことに、エツィオは起きる様子もなく、安らかに寝息を立てている。

そんな二人を見て、デルフリンガーは呆れたような口調で言った。

 

「俺はお前らが何しようと知ったこっちゃないね、何せ剣だからな」

「じゃ、じゃあ口出ししないでよ、それに、この事はエツィオにはぜーったい言わないでよ!」

「言わねぇよ……。それに娘っ子、お前さんはしらないだろうが、相棒はいつも、娘っ子が寝付くまで眠らないんだ。それがこれだ、よほど疲れてたんだろうな」

 

 そのデルフリンガーの言葉を聞いて、ルイズはぐっと顔をしかめ、エツィオを見つめた。

 ああもう、エツィオのこういうとこ、ホントムカツク。なによなによ、カッコつけちゃって……これじゃ、文句のつけどころがないじゃない。

ルイズは口の中で小さく呟くと、デルフリンガーをきっと見つめ、「誰にも言わないでよ……」と釘を差した。

それからルイズは、思い切ってエツィオの顔に自分の顔を近付けた。

鼓動のリズムが、さらに速度を増してゆく。そっと、エツィオの唇に、自分のそれを重ね合わせる。

ほんの二秒、触れるか触れないかのキス。エツィオは寝がえりをうった。

 ルイズは慌てて顔を離し、ばっと毛布の中に飛び込んで枕を抱きしめた。

 なにやってるのかしら、わたし。使い魔相手に。

 バカじゃないかしら、どうかしてるわ。

 寝ているエツィオの顔を見た。

控えめに見ても、エツィオは世に言う美形と呼ばれる部類の人間だ。その上、誰より知的で紳士的、どんなことでもさらりとこなし、常に余裕の笑顔を絶やさない。

フィレンツェという所から来た、普段はおちゃらけた陽気な青年。だがその実体は、アルビオン全土を震えあがらせる超凄腕のアサシン。そしてルイズの使い魔、伝説の使い魔……。

どうなんだろう、やっぱり、好きなのかな。これって好きなのかしら?

心の中でそう呟きながら、ルイズはそっと唇をなぞった。そこだけ、熱した鉄に押し当てたように熱い。

 どうすれば、この答えは得られるのだろう。

結局分からなくなって……、いやだわ、もう……と呟いて、ルイズは目を瞑る。

今夜は……なかなか寝付けそうになかった。


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