SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

22 / 37
memory-22 「王権剥奪」

 アルビオン空軍工廠の街ロサイスは、首都ロンディニウムの郊外に位置している。

革命戦争の前からここは、王立空軍の工廠であった。したがって、様々な建物が並んでいる。

巨大な煙突が何本も立っている建物は、製鉄所だ。その隣にはフネの建造や修理に使う、木材が山と積まれた空き地が続いている。

そして、一際目立つのは、赤レンガの塀に囲まれた大きな建物、そこは空軍の発令所であった。

そこには誇らしげに『レコン・キスタ』の三色の旗が翻り、そのすぐ横に併設された造船所では天を仰ぐばかりの巨艦が停泊している。

雨よけの為の布が、巨大なテントのように、改装工事を終えたばかりのアルビオン空軍本国艦隊旗艦『レキシントン』号の上を覆っている。

全長二百メイルにも及ぶ巨大帆走戦艦が、これまた巨大な盤木に乗せられ、明日の演習に備え、装備の点検と物資の搬入、整備が行われていた。

 

「アルセナーレか、随分とでかいんだな」

「アルセナーレ?」

 

 そんな造船所を囲む赤レンガの塀を見上げていたエツィオが呟いた。

 

「俺の国の言葉で、こういう場所を差すのさ。兵器工廠とか、こういった造船所とかな。

ヴェネツィアのが有名なんだが……生憎、まだ行ったことがなくてね、こうして見るのは初めてだ」

 

 デルフリンガーの問いに、エツィオはそう答えると、中へと続く正面の門を見つめる。

……やはりというべきか、門の前には衛兵の一団が睨みを利かせている。

出入りを許されている筈の荷物持ちの人夫や作業員にすら厳重なチェックを行っているため、

人込みに紛れて侵入、というわけにはいかなそうだ。

 

 エツィオは少し考えると、他に出入り口は無いか探すために塀を沿う様に歩きはじめる。

革命戦争時の傷痕だろうか? 塀は所々崩れている場所がある、よじ登ることはできないことは無いが、

塀の上には歩哨が巡回しており、乗り越えての潜入は少々難しいだろう。

そうやって塀の外側を歩き、やがて人通りの少ない通りに入る。

建物の西側に位置しているために日中でもあまり日が差さないその通りに、エツィオの望んでいたものがあった。 

裏口である。扉の前には、メイジの衛兵が一人、通りを歩く人物に不審な人物がいないかどうか監視していた。

 裏口の警備を担当していたメイジの衛兵は、こちらをちらと見ると、腰に下げた杖に手をかけた。

手配書にある王家のマントが見えないように背にかかっているとはいえ、人通りの少ない路地に現れたエツィオは、やはり彼から見て不審人物なのだろう。

 衛兵は直立不動のまま、口の中でルーンを唱え、何時でも呪文を放てるようにこちらを意識している。

だがエツィオは、衛兵に一瞥するわけでもなく、ただの通行人を装い、彼に近づいてゆく。そして何食わぬ顔で彼の目の前を素通りしたその時だった。

――ちりん……と、衛兵の目の前に一枚の金貨が落ちた。

 気がついていないとみた衛兵は、にんまりと笑みを浮かべその金貨を拾い上げた。その瞬間――

 

「ぐぉっ……!?」

 

 エツィオは衛兵の心臓に左手の隠し短剣を叩きこみ、開いた右手で即座に背後の扉を開け、

そのまま死体と共に造船所の中に飛び込んだ。

 

 読みは当たっていたようだ、裏口だけあってか、周囲に人の気配は無く、この騒ぎも感づかれた様子は無い。

まんまと造船所への潜入に成功したエツィオは、空の大樽を見つけると、その中に先ほど殺害した衛兵の死体を放り込みふたを閉める。

 

「さて……」

 

 エツィオは物陰に潜み、巨艦『レキシントン』号へと近づいてゆく。

どうやら監視が厳しいのは正門だけのようだ、造船所内部は見張りがぽつぽつといるだけで、後は多くの整備兵が『レキシントン』号の整備に勤しんでいる。

さらに都合のいいことに、改修も終わって間もないためか、『レキシントン』号の周りには資材や貨物が人の背丈よりも高く積まれたままになっており、

身を隠すために手ごろな物影が多く存在していた。

物持ちの人夫や整備兵達の合間を縫い、時には物陰に隠れながらエツィオは『レキシントン』号へと歩いてゆく。

 

「おお、これはこれは、なんとも大きく、頼もしい艦ではないか!」

 

 エツィオが『レキシントン』号に近づこうとしたその時であった、この場には似つかわしくない、快活な声が聞こえてきた。

 エツィオはすぐさま物陰に身を隠し、声がした方向を覗き見る。

共の者を引き連れた一人の男が、『レキシントン』号を見上げ、仰仰しく声を上げているのが見えた。

 

「余も近くで見るのは初めてであるが……。この様な艦を与えられたら、世界を自由にできるような。そんな気分にならんかね? 

艤装主任……いや、今は艦長であったな、ミスタ・ボーウッド」

「我が身には余りある光栄ですな、皇帝閣下」

 

 もう一人の男が、気のない声で答えるのを見て、エツィオは目を細めた。

 

「閣下……? なるほど……奴がクロムウェル……」

 

 エツィオは思いがけず現れたレコン・キスタの首魁、神聖アルビオン共和国皇帝クロムウェルを身を潜めながらじっと見つめる。

年の頃は三十代の半ば、高い鷲鼻にカールした金髪が特徴的な聖職者風の男だ。

なんの変哲もない、ともすればどこにでもいそうな男だが、これでもアルビオン共和国の皇帝のようだ。

しかしマチルダによれば、彼こそが失われた系統『虚無』を操り、死者をも蘇らせる力を持っているという。

だとすれば、計り知れない力を秘めたメイジなのだろう、そう考えていたエツィオであったが、やがて妙な事に気がついた。

 

「ん……? あいつ……」

 

 エツィオはクロムウェルを見て、妙な違和感を覚えた。

確かに腰には確かに杖らしきものを下げている。しかし、エツィオはその杖にあるべきものが見えない事に気がついた。

いや、それどころか、メイジならば見えるはずのものが、クロムウェルからは全く見る事が出来なかった。

 

「あいつ、メイジじゃないのか……?」

「は? メイジじゃない? クロムウェルがか?」

 

 思わず呟いたエツィオに、腰に下げたデルフリンガーが尋ねる。

エツィオは首を傾げると、クロムウェルから目を離さずに言った。

 

「『虚無』がそういうものなのだ、と言われたら反論はできないが……、俺が"見る"限り、奴はメイジではない、あの杖はただの棒きれだ」

「ああ、例の"タカの眼"か……ってオイ、そりゃ本当か?」

「……あれは」

 

 エツィオはさらに何かに気がついたようだ、懐から『風のルビー』を取り出し、クロムウェル……いや、正しくは彼の指先を交互に見比べる。

ここからでは僅かにしか確認できないが、クロムウェルの指に、何かが光っている。果たしてそれは、小さな指輪であった。

エツィオから見て、その指輪には強い魔力が宿っているのが見えた。何かのマジックアイテムなのだろうか?

 

「あの指輪……なんだ? 『風のルビー』とは大分違うみたいだが……ん?」

 

 そこまで言ったエツィオはクロムウェルの傍らに控える、フードを目深に被った男を見た。

あの男……、とエツィオは小さく呟く、その男がメイジであることはわかる、だが、何かがおかしい。

エツィオのタカの眼には、クロムウェルの指先に光る指輪……それと同質の魔力に覆われているのが見える。

クロムウェルの持つ力に関係しているのだろうか? そう考えながら、注意深くその男を観察する。だが、生憎ここからでは顔は見えなかった。

 

 とにかく今は様子を見るべきだ。そう考えたエツィオは、見つからないように注意しながら、クロムウェル達の会話を見守った。

 

 

「見たまえ。あの大砲を!」

 

 クロムウェルは舷側に突き出た大砲を指さした。

 

「余のきみへの信頼を象徴する、新兵器だ。アルビオン中の錬金魔術師を集めて鋳造された、長砲身の大砲だ! 設計士の計算では……」

 

 クロムウェルの傍に控えた長髪の女性が答えた。

 

「トリステインやゲルマニアの戦列艦が装備するカノン砲の射程の、およそ一・五倍の射程を有します」

「そうだな、ミス・シェフィールド」

 

 ボーウッドは、シェフィールドと呼ばれた女性を見つめた。冷たい妙な雰囲気のする、二十代半ばくらいの女性であった。

細い、ぴったりとした黒いコートを身に纏っている。見たことのない、奇妙ななりだった。マントも付けていない、ということはメイジではないのだろうか?

 クロムウェルは満足げに頷くと、そんなボーウッドの肩を叩いた。

 

「彼女は、東方の『ロバ・アル・カリイエ』からやってきたのだ。エルフより学んだ技術で、この大砲を設計した。

彼女は未知の技術を……、我々の体系に沿わない、新技術をたくさん知っておる。きみも友達になるがよい、艦長」

 

 ボーウッドはつまらなそうに頷く、彼は心情的には、実のところ王党派であった。

しかし彼は、軍人は政治に関与すべからずとの意思を持つ生粋の武人であった。

 上官であった艦隊司令が反乱軍側に付いたため、仕方なくレコン・キスタ側の艦長として革命戦争に参加したのである。

アルビオン伝統のノブレス・オブリージュ……、高貴なものの義務を体現するべく努力する彼にとって、アルビオンは未だ王国なのであった。

彼にとって、クロムウェルは忌むべき王権の簒奪者なのであった。

 

「これで、『ロイヤル・ソヴリン』号にかなう艦は、ハルケギニアのどこを探しても存在しないでしょうな」

 

 ボーウッドは、間違えたふりをして、この艦の旧名を口にした。その皮肉に気付き、クロムウェルはほほ笑んだ。

 

「ミスタ・ボーウッド。アルビオンにはもう『王権(ロイヤル・ソヴリン)』は存在しないのだ」

「そうでしたな。しかしながら、たかが結婚式の出席に新型の大砲をつんでいくとは、下品な示威行為と取られますぞ」

 

 トリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式に、国賓として初代神聖皇帝兼貴族議会議長のクロムウェルや、神聖アルビオン共和国の閣僚は出席する。

その際の御召艦が、この『レキシントン』号なのであった。その親善訪問に新型の武器をつんで行くなど、砲艦外交ここに極まれり、である。

するとクロムウェルは、何気ない風を装って、つぶやいた。

 

「ああ、きみには『親善訪問』の概要を説明していなかったな」

「概要?」

 

 また陰謀か、とボーウッドは頭が痛くなった。

 クロムウェルは、そっとボーウッドの耳に口を寄せると、二言、三言口にした。

 ボーウッドの顔色が変わった。目に見えて、彼は青ざめた。そのくらいクロムウェルが口にした言葉は、ボーウッドにとっての常軌を逸していた。

 

「バカな! そんな破廉恥な行為、聞いたことも見たこともありませぬ!」

「軍事行動の一環だ」

 

 こともなげに、クロムウェルは呟いた。

 

「トリステインとは不可侵条約を結んだばかりではありませんか! このアルビオンの長い歴史の中で、他国との条約を破り捨てた歴史は一度たりとて無い!」

 

 激昂してボーウッドは喚いた。

 

「ミスタ・ボーウッド、これ以上の政治批判は許さぬ。これは議会が決定し、余が承認した事項なのだ、

きみは余と議会の決定に逆らうつもりかな? いつからきみは政治家になった?」

 

 それを言われると、ボーウッドはもう、なにも言えなくなってしまった。

彼にとっての軍人とは物言わぬ剣であり、盾であり、祖国の忠実な番犬であった。誇りある番犬である。

それが政府の……、指揮系統の上位に存在する者の命令ならば、黙って従うより他はない。

 

「アルビオンは……、ハルケギニア中に恥を晒す事になります。卑劣な条約破りな国として、悪名を轟かすことになりますぞ」

 

 ボーウッドは苦しげにそう言った。

 

「悪名? ハルケギニアはレコン・キスタの旗の下、一つにまとまるのだ。聖地をエルフどもより取り返した暁には、

そんな些細な外交上のいきさつなど、誰も気にもとめまい」

 

 我慢ならなくなったボーウッドはクロムウェルに詰め寄った。

 

「条約破りが些細な外交上のいきさつですと? あなたは祖国をも裏切るおつもりか!」

 

 クロムウェルの傍らに控えた一人の男が、すっと杖を突き出して、ボーウッドを制した。

フードに隠れたその顔に、ボーウッドは見覚えがあった。驚いた声でボーウッドは呟いた。

 

「で、殿下?」

 

 果たしてそれは、討ち死にしたと伝えられる、ウェールズ皇太子の顔であった。

 

「艦長、かつての上官にも、同じセリフが言えるかな?」

 

 ボーウッドは咄嗟に膝をついた。ウェールズは手を差しだした。その手にボーウッドは接吻する。刹那、青ざめる。その手はまるで氷のように冷たかった。

 それからクロムウェルは、共の者を促し、歩き出した。ウェールズも従順にその後に続く。

その場に取り残されたボーウッドは、呆然と立ち尽くした。

あの戦いで死んだはずのウェールズが、生きて動いている。ボーウッドは『水』系統のトライアングルメイジであった。

生物の組成を司る、『水』系統のエキスパートの彼でさえ、死人を蘇らせる魔法の存在など、聞いたことがない。

ならばゴーレムだろうか? いやあの身体にはきちんと生気が流れていた。

『水』系統の使い手だからこそわかる、生前の、懐かしいウェールズの体内の水の流れが……。

 なんにせよ、未知の魔法に違いない。そして、あのクロムウェルはそれを操るのだ。かれはまことしやかに流れている噂を思い出し、身震いした。

 

 神聖皇帝クロムウェルは、『虚無』を操る、と……。

 ならば、あれが『虚無』なのか?

 ……伝説の『零』の系統。

ボーウッドは震える声で呟いた。

 

「……あいつは、ハルケギニアをどうしようというのだ」

 

 呆然と立ち尽くすボーウッドに、一人の整備兵が駆け寄り、敬礼をする。

 

「サー。報告いたします、『レキシントン』号、物資の搬入が完了いたしました」

「あ、ああ……ご苦労だった」

 

 その声に我に返ったボーウッドは、声の震えを隠す様に眉間を指で抑えながら答えた。

その弱弱しい艦長の様子に、整備兵は心配そうに首を傾げた。

 

「どうかなされましたか? 顔色が優れないようですが……」

「いや……少し疲れただけだ。ぼくは少し休む、最終点検が済み次第、きみたちも休むといい」

「アイ・サー」

 

 整備兵は敬礼をすると、踵を返し、持ち場へと戻って行く。

ボーウッドはそんな彼を見送った後、一つため息を吐き、自身も一旦休息を取るべく歩き出した。

 貨物区画を抜け、資材置き場に差しかかる。

いつものこととはいえ、まるで迷路だ。と背丈よりも高く積み上げられた資材を見て、ボーウッドが一人ごちた、その時であった。

ぞくり、とボーウッドの背中に悪寒が走った、杖に手をかけ振り返ったその刹那、

 

「むごっ――っ!?」

 

 いつの間に背後に立っていたのであろうか、フードを目深に被った、白のローブに身を包んだ男に口を塞がれる。

ボーウッドの表情が驚愕に歪む、その一瞬の隙を逃さず、エツィオはボーウッドの手から杖を奪い取ると、

ぐいとボーウッドの顎をつかみ、袋小路となっている場所へと引きずり込むと、肘や膝を様々な急所に叩きこんだ。

堪らずボーウッドはがくりと膝をついた。

 

「ぐ……お……」

 

 エツィオは、地面に倒れ伏し苦悶の声をあげるボーウッドの胸倉をつかんで無理やり立ち上がらせると、

資材の壁に叩きつけ、喉元にアサシンブレードを滑り込ませた。

 

「ぐっ……! き、きみは……」

 

 叩きつけられたせいか、朦朧とする意識の中、ボーウッドはエツィオの肩にかかった王家のマントを見て、絞りだすような声で呻いた。

 

「そのマント……、そうか……きみが『死神』……、なるほど、とうとうぼくの所に来たというわけだ」

 

 手配書通りのアサシンの姿にボーウッドは得心したようだ、それからフードの中のエツィオの顔を見て、少し驚いたように呟いた。

 

「随分と若いのだな……。まあいい、殺す前に一つだけ教えてくれ、きみは一体何者だ? 王家の人間ではあるまい」

「そうだ、俺は王家の人間でもなければ、王党派でもない」

「王党派ではないなら、きみは一体……」

「アルビオンが、友の愛したこの国がこれ以上辱められるのを、看過するわけにはいかない」

「そうか……ならば殺すがいい。ぼくは……仕方がなかったとはいえ、王家を裏切り、同胞をこの手に掛けてしまった。

戦に勝ったとはいえ、ぼくは薄汚い裏切り者だ……。そして今、ぼくはこの愛する祖国を、更に辱め、地獄に突き落すところだった。

これ以上あの簒奪者に手を貸す位ならば、今ここできみに首を切り裂かれ、地獄に堕ちた方が幾分かマシというものだ」

 

 死を前にしたボーウッドは全てを吐露すると、安堵の表情を浮かべ肩の力を抜いた。

エツィオはそんなボーウッドの胸倉を強く締めあげ詰問する。

 

「その前に答えてもらおう、新兵器とやらの設計図はどこだ」

「……それなら『ロイヤル・ソヴリン』……いや、今は『レキシントン』号か、その中にある」

「実物は?」

「実物だと? そんなことを聞いてどうするつも――がっ!?」

 

 ボーウッドの鼻にエツィオの頭突きが突き刺さる。

鼻骨を折られ、激痛に顔を歪ませるボーウッドに、エツィオは冷たい表情のまま尋ねた。

 

「質問に答えろ」

「ぐっ……、き、きみの望む物は全てあの『レキシントン』号にある、製造された実物はそれで全てだっ……」

「わかった、……最後の質問だ、先ほどお前に杖を突きつけたフードの男、あれは誰だ」

「それはっ……」

 

 その質問に、ボーウッドの顔が青くなった。まるで信じがたい物を見てしまったと言わんばかりの表情だ。

ボーウッドは震える声で自分が見た物をエツィオに説明した。

 

「あれは……殿下だった。ウェールズ・テューダー皇太子殿下……」

「殿下だって?」

「そうだ、あれは決してゴーレムなどそういうものではない、ぼくは『水』の使い手だ、だからこそわかるのだ、あの方は殿下その人だと」

 

 それを聞いたエツィオはやや驚いた表情になった。眉を顰め、情報を整理する。

クロムウェルの指に光っていた魔力を帯びた指輪、ウェールズの身体を覆っていたそれと同質の魔力。

そして、クロムウェルの死者を蘇らせる『虚無』

瞬間、エツィオの中で点と点が繋がった。

 

「そうか……そういうことか」

「もう一発殴られる物と覚悟したが……信じるのかね?」

 

 何やら納得した様子のエツィオに、ボーウッドは戸惑ったように首を傾げる。

エツィオは唇をかみしめると、やがて皮肉と憐れみが混じった笑みを浮かべた。

 

「ああ、おかげで奴の『虚無』の正体がわかった。……とんだペテン師だな、あの男は」

「ペテンだと? 一体それはどういう……!」

 

 エツィオの言葉に、ボーウッドの顔色が変わった。

まさか、殿下を蘇らせた力は、『虚無』ではないとでもいうのか。

だがエツィオは、小さく首を振ると、ボーウッドの喉元にアサシンブレードを突きつけた。

 

「お前にとって、この事実は残酷な物だ、聞かずに逝った方がまだ救いがある」

「待て! 待ってくれ! 教えてくれ! 奴は一体何者だ! ペテンとはなんだ!

もし、奴の虚無がペテンだとしたら! ぼくは……! ぼくはっ……! 一体何のために……!」

「……いいだろう」

 

 エツィオはアサシンブレードを納めると、ボーウッドを突きとばした。

今まで締めあげられていたせいか、解放された後もしばらく咳き込んでいたボーウッドだったが、

やがて落ち着きを取り戻したのか、エツィオをまっすぐに見据えた。

 

「お前は先ほど、クロムウェルと謁見していたが、その時、奴は右手に指輪を嵌めていたことに気がついたか?」

「指輪? あ、ああ、細かくは見てはいないが……していたように思う」

「その指輪が奴の『虚無』の正体だ、奴自身、なんの力も持たぬただの平民に過ぎない」

「なっ、なんだと!? ど、どこにそんな証拠が!」

「俺にしかわからないことだ、殿下の死体を動かしている力は、奴が身につけている指輪の持つ力と全く同じ物だ」

 

 激昂するボーウッドに、エツィオは淡々と言葉をつづけた。

 

「馬鹿な! 死者を動かす指輪だと? そんなもの、伝説の中にしか存在しないのだぞ!」

「クロムウェルが掲げる『虚無』とやらも伝説のようだが?」

「っ……! そ、それ……は……」

「伝説のマジックアイテム……、長い間姿を現すことのなかった虚無の担い手が突然現れるより、信憑性は高いんじゃないのか?」

「…………」

 

 エツィオの話術に嵌まってしまったボーウッドは言葉を失ってしまった。

そのままへなへなと脱力し、地面にへたりこむ。

 

「騙されていたのか……? 我々は……」

 

 ボーウッドは俯き、地面に拳を打ちつけると、絞り出すような声で呻いた。

 

「なにが……軍人は物言わぬ剣だ……なにが誇りある番犬だ……。

ぼくのやったことは、操られるがままに主人の首を噛みきっただけじゃないか……」

 

 呆然とした表情で呟くボーウッドを見て、エツィオは持っていた杖を投げ捨てるとくるりと踵を返した。

それに気がついたボーウッドは驚いたように顔を上げた。

 

「ま、待て! ぼくを……殺さないのか?」 

「悔いている人間を殺すほど、俺は傲慢じゃない。それに、俺がここにいる目的は、奴の手で歪んだ『王権(ロイヤル・ソヴリン)』ただ一つだ」

「この杖できみを攻撃するとは思わないのか?」

「その時は、改めてお前を殺すだけだ。……衛兵を呼びたければ好きにしろ」

 

 冷たく言い放つエツィオを見て、ボーウッドはゆっくりと立ち上がると、服についた埃をはたき落し、力なく微笑んだ。

 

「いや……ぼくは何も見なかった、何もないところで転んでしまうとは、……軍人失格だな」

「……感謝する、サー」

「待ちたまえ」

 

 振り返らずに立ち去ろうとしたエツィオをボーウッドが呼び止める。

 

「『ロイヤル・ソヴリン』を葬るなら、今が好機だ。明日、大規模な演習がある。

そのために、あの艦には今、大量の火薬と弾薬が積載されている。それを利用すればあるいは……」

「……なぜそれを俺に?」

「なぜかな……、自分でもよくわからない。せめてもの償い……いや、これで許される筈もないのだがな……。

きみの話が本当なら、もはやこの国に、『レコン・キスタ』に未来はない……ぼくは、どうすればいいのだろうか……」

 

 自嘲的な笑みを浮かべ、悲しそうに呟くボーウッドに、エツィオは振り返る。

 

「ならば、亡命をする気はないか?」

「亡命?」

「お前は、『親善訪問』に難色を示していたな」

「あ、ああ、条約破りなど、恥知らずもいいところだ……」

「軍属のお前が亡命しトリステインに知らせれば、奴の企みは大きく躓く事になる」

 

 エツィオのその言葉に、ボーウッドは少しだけ迷ったような表情になった。

自分は誇りあるアルビオン軍人だ、亡命などあってはならないことだ。と、少し前の自分ならそう言っていただろう。

しかし、今は違う。アルビオンの王位を簒奪し己の意のままに操っているのは、虚無を騙るペテン師だ、

そんな者にこれ以上肩入れすること自体、アルビオンを裏切ることになるのではないか。

そう考えたボーウッドは、顔を上げると力強く頷いた。

 

「わかった、その申し出を受けよう。これ以上あの簒奪者に仕えるのは、もう我慢ならない」

「協力感謝する、サー・ボーウッド」

 

 エツィオとボーウッドは固く手を結んだ。

 

「亡命手段はこちらで用意しよう、それまで連絡を待て」

「わかった。それよりも急ぎたまえ、今は兵達の休憩時間だ、今なら警備が手薄なはずだ」

「ありがとう。サー、貴方も今すぐここから離れることだ、もうすぐここは灰になる」

「そうさせてもらうよ。……アサシンであるきみに、こんなことを尋ねるのは変な話なのだが……よければ、きみの名前を教えてくれないか?」

 

 ボーウッドは頷くと、踵を返し『レキシントン』号に向かおうとするエツィオに尋ねた。

 

「エツィオ・アウディトーレ」

 

 立ち止まり、振り返らずにエツィオは名乗りを上げる。

ボーウッドはにっこりと笑みを浮かべ、頷いた。

 

「エツィオ……なるほど『鷲』か、この空の国(アルビオン)を駆けるに相応しい、よい名だ。我が胸に秘めておこう。

……頼む、エツィオ・アウディトーレ。奴の歪んだ『ロイヤル・ソヴリン』を葬ってくれ」

 

 真剣な表情で語りかけるボーウッドに、エツィオは小さく頷くと、『レキシントン』号に向かい、歩を進めてゆく。

その姿を見送ったボーウッドは、杖を拾い上げると、自身に『治癒』の呪文を唱え、顔の傷を癒すと、

腕に付いた『レコン・キスタ』の一員で示すことを表す腕章をむしり取り、兵器工廠を後にした。

 

 

 一方その頃……、造船所の離れに備え付けられた赤レンガの空軍発令所にて、共の者を下がらせたクロムウェルはとある貴族と談笑をしていた。

発令所の一室から『レキシントン』号の雄大な姿を眺めながら、これからの計画について話し合っている。

 

「……と、いうわけだ、きみには期待をしているよ、艦隊司令長官」

「ハッ! お任せ下さい閣下! このジョンストン、閣下の理想のため、微力を尽くさせていただきます!」

 

 トリステイン侵攻軍総司令官に任命されたばかりのサー・ジョンストンは感激した面持ちを浮かべた。

貴族議会議員でもある彼は、クロムウェルの信任厚い人物である。

クロムウェルはそんな彼を見つめ、にっこりとほほ笑むと、肩を叩き、窓の外の『レキシントン』号を指さした。

 

「見たまえ、最新鋭の大砲を積んだ最大最強のフネだ。それを筆頭としたハルケギニア最強の空軍艦隊を指揮するのだ、まったく、余から見てもうらやましいことだな」

「わ、我が身にあまる光栄でございます閣下」

 

 クロムウェルは満足そうな笑みを浮かべ、大きく頷く。

 

「議員、明日は演習だ、きみにも『レキシントン』号に乗り込んでもらいたい、戦場の空気に慣れてもらうためにもな」

「心得ております、いやはや、私ごときがあのような立派なフネに乗りこめるなど……光栄の極みですな」

「そう思ってしまうのも無理はない、実を言うと余もあのフネには圧倒されっぱなしなのだ」

 

 クロムウェルとジョンストンは『レキシントン』号を眺めながら、満面の笑みを浮かべた。

 

 その時だった。

整備を終え、造船所に停泊している『レキシントン』号の舷門の一つが突如として光を放った。

瞬間、ロサイス全体を揺るがす轟音と共に、耳をつんざくような爆発音が発令所全体に響き渡った。

 

「な! な! な! なぁ!?」

「な、何が起こった?! なにが!」

 

 もはや発令所は大混乱である。

クロムウェルとジョンストン議員は天地がひっくり返ったかの如くパニックに陥り、何が何だか分からないと言った様子で窓の外を見つめる。

そうこうしているうちに、『レキシントン』号の舷門が轟音と共に次々火を噴いていった。

 

 

「なるほど、流石は新兵器、大した威力だな」

 

 『レキシントン』号の砲列甲板、一枚の羊皮紙を広げながら、エツィオは呟いた。

足元には警備の為に艦内を警邏していた衛兵達が、皆一様に鋭利な刃物で首を切り裂かれ、或いは急所を貫かれた無残な死体となって転がっている。

ボーウッドを解放した後、まんまと『レキシントン』号の内部に潜入したエツィオは、警備の衛兵を皆殺しにした後、

新兵器の大砲の設計図を奪取し、全ての砲門に大砲を装填し、最初の一発をぶっ放したのであった。

そんなエツィオに腰に差したデルフリンガーがカチカチと音を立てて尋ねる。

 

「で、今のはどこ狙ったんだ?」

「製鉄所だ、さて次は……」

 

 エツィオはいたずらを仕掛ける子供の様な笑みを浮かべると、あらかじめ狙いをつけていた次の大砲に火を入れる。

ぼこんっ! と船内に轟音が響く、同時に造船所をぐるりと囲んでいた立派な赤レンガの壁が豪快に吹き飛び、一瞬でがれきの山と化す。

最新鋭の大砲から発射された砲弾は、赤レンガの壁をぶち抜くだけにとどまらず、とある建物に突き刺さった。

同じく赤レンガでできたその建物は、豪快に消し飛び、中にいたであろう人間の怒号と悲鳴がきこえてきた。

 

「今のは?」

「衛兵駐屯地」

 

 エツィオは淡々と答えながら次の大砲に火を入れる。すると今度は、隣の港に停泊する一隻の軍艦に突き刺さった。

どうやら火薬庫に着弾したのだろう、『レキシントン』には遠く及ばないが、それでも立派な造りの軍艦は盛大な炎を吹き上げると爆沈していった。

それをみたエツィオは、しめたとばかりに軍港方面に面した大砲に次々火を入れてゆく。

ぼこんっ! ぼこんっ! ぼこんっ! と腹の底に響くような大砲の炸裂音が連続で鳴り響く。

『レキシントン』号から放たれた砲弾は空中で散弾となり、雨あられと化しロサイスの軍港に降り注ぐ。

多くの戦列艦が停泊していた軍港は一瞬で炎上し、まさに地獄絵図と言っても過言ではない様相を呈していた。

 

「……すごい威力と射程だ……既存の大砲とは比べ物にならないな……」

 

 あらかた大砲を打ち尽くしたエツィオは、そのあまりの威力に苦い表情で呟くと、手にした羊皮紙を見る。

どうかこれ一枚であってほしい……、エツィオはそう祈りながら、照明用の松明に羊皮紙を投げつける。

 

「すまないな、ミス・シェフィールド」

 

 口元に皮肉な笑みを浮かべながら、エツィオが呟く。

炎はあっという間に燃え上がり、アルビオンが誇る最新兵器の設計図を灰へと変えた。

 

「おい! 貴様! そこでなにを――がっ……!」 「あ、お、おま――かっ……」

 

 『レキシントン』号の異常に、おっとり刀で駆け付けた衛兵達が、エツィオのいる砲列甲板へと踏み込む。

その瞬間、二人の首に、深々と投げナイフが突き刺さる。

どさり、と二人の衛兵はまるで糸の切れた操り人形のように、甲板に横たわる死体の仲間入りを果たす。

 

「そろそろ頃合いだな」

 

 エツィオは、衛兵達が集まりつつあることを悟ると、

階段を下り、『レキシントン』号の心臓部……、風石が満載された機関部へと降りて行った。

 

 一方その頃、『レキシントン』号の甲板では、砲撃を免れ、なんとか生き残った衛兵達が、船内に突入すべく集ってきていた。

 

「生き残りはこれだけか?」

「はっ、現在戦闘可能な人員はこれだけであります、他は負傷者の搬送や消火作業で手がふさがっている状況です」

「くっ……なんということだ……、中で何が起こっている……!」

 

 衛兵隊長が、甲板に集った衛兵達を見つめて、苦い顔で呟いた。その数は僅かに十数名。

駐屯地や詰所、それらを砲撃され、ロサイスに駐屯していた兵は、まさに全滅と言ってもよい程の被害をこうむっていた。

 

「くそっ! 総員突入準備! 侵入者を生かして帰すな!」

 

 衛兵隊長が命令を告げた、その時だった。

甲板と船内を繋ぐ、唯一の入口である両開きの扉が、ぎぃっ……と、軋むような音を立てて開いた。

そこから現われた人物をみて、衛兵達は一瞬、言葉を失った。

開かれた扉から現われたのは、白のローブに身を包んだ、フードを目深に被った若い男だった。

左肩には、もとは鮮やかな紫色だったのだろう、血で赤黒く変色したアルビオン王家のマントを纏っている。

 その男は、甲板に集まった衛兵たちなど、最初から眼中にないとばかりにゆっくりと歩を進めてゆく。

左右に分かれた衛兵達の間を悠然と歩いてゆくその姿は、まるでモーゼが別った紅海を進んでゆくようだ。

しばし呆然とその男を見つめていた衛兵達であったが、やがて我に返った一人の衛兵が叫んだ。

 

「アサシンだ!」

 

 その言葉に他の者達もようやく我を取り戻したのであろう。

メイジであるものは杖を引き抜き、そうでないものは、槍や剣を構え、アサシンを取り囲んだ。

円を描くよう周囲を取り囲まれたアサシンは、やがてゆっくりと足をとめた。

 

「この騒ぎの首謀者は貴様か! アサシン! ただで済むと思うな!」

 

 衛兵隊長が杖を突きつけながら、アサシンを睨みつける。

目深に被ったフードから覗くアサシンの口元に、僅かに笑みが浮かぶ、その時だった。

アサシンの右手が、すっと差し出される、そしてその手に持っているものをみて、衛兵達は目を丸くした。

手にすっぽりと収まる大きさの球体。

 

「ば、爆弾だ!」

 

 衛兵のうちの誰かが叫んだ、衛兵隊達がひるみ上がる、その瞬間、アサシンがその球体を力いっぱい地面に叩きつけた。

 

「――ッ!? なっ!」

 

 ボンッ! という破裂音と共に球体から勢いよく煙が立ち昇る。

アサシンがもっていた物は、爆弾ではなく煙幕弾であった。辺り一面が真っ白な煙が包み込む。

それを吸い込んだ衛兵達は思わず咳き込んでしまう。

一人の『風』のメイジが、なんとか呪文を唱え、風を巻き起こす。煙が吹き飛ばされ、辺りを包んでいた煙が晴れた。

ようやく視界が確保された衛兵達はアサシンがいた場所を睨みつける。

しかし、そこに立っていたアサシンは、やはりというべきか忽然と姿を消していた。

 

「いない! ど、どこに!」

「ぐっ……や、奴はどこだ!」

「くそっ! どこに消えた!」

「まだ遠くに入っていない筈だ!探し出せ!」

 

 まるで小馬鹿にするようなアサシンの手口に、衛兵達は怒りに顔を真っ赤に紅潮させながら周囲を見渡す。

そして一人の衛兵が、『レキシントン』号の船首に立つアサシンを見つけた。

 

「いたぞ! 船首だ!」

 

 船首の先端に立ち、こちらを見下ろすアサシンを再び取り囲む。

アサシンの背後は地面が待ち受けている、『レキシントン』級の大きさともなると、その高さは優に数十メイルにも及ぶ。

メイジでもない限り、落ちたらまず命はないだろう。

 

「残念だったな、逆にお前は袋のネズミになったわけだ」

 

 下を覗き込んでいるアサシンに、油断なく杖を突きつけながら衛兵隊長は言った。

 

「さてアサシン、お前が選ぶべき道は三つだ、ここで我々の魔法の矢に貫かれるか、吊るし首になるか……」

 

 隊長がそう言った時だった、アサシンはぷいと顔をそむけ、遥か遠くの空軍発令所を見つめた。

それから何か小さく呟いたと思うと、今度はくるりとこちらを向いた。

 

「ここから飛び降りるか……か?」

 

 するとアサシンは、にやっと笑うと聖人のように両手を大きく広げた。

 

「ま、待て! 何をする気だ!」

「何を? 決まっている、飛び降りるのさ」

 

 嫌な予感がした隊長は、すぐさま呪文を放とうとアサシンに向け振おうとする。

だが、それよりも早くアサシンは一歩後ろへ足を踏み出した。

 

「Adieu!」

 

 耳慣れぬ異国の言葉と共に、アサシンの姿が眼前から消えた、その時だった。

『レキシントン』号に凄まじい激震が轟音と共に襲いかかった。

瞬間、内部で巻きあがった巨大な爆風が甲板を突き破り、衛兵達を吹き飛ばした。

 

 その爆発を皮きりに『レキシントン』号の内部から次々と同じような爆発が巻き起こる。

機関部に仕掛けられた大量の爆薬に火が付き、一際巨大な爆発がフネ全体を嘗めてゆく。

巨大なマストは根元からへし折れ、甲板や舷側には大きな穴が開いた。

一瞬でロサイスの軍港を地獄に塗り替えた『レキシントン』号が、自ら吐きだした炎に焼かれてゆく。

明日の演習に備え、船倉で待機していた竜達が、為すすべもなく爆発に巻き込まれ、或いは崩れ落ちる瓦礫に押しつぶされ死んでゆく。

やがて一際大きな爆発が巻き起こる、瞬間、最後の断末魔を上げるように『レキシントン』号は、船体の真ん中から真っ二つにへし折れ……。

造船所に炎をまき散らしながら、轟沈していった。

 

「安らかに眠れ、『王権(ロイヤル・ソヴリン)』……生まれてきた地獄に帰るがいい」

 

 『レキシントン』号と共に爆発、炎上する造船所を背に、アサシン……エツィオが弔う様に呟いた。

 

 

「あ……あ……へぁ……」

 

 気の抜けた声でぺたりと空軍発令所の床にへたりこんだのは神聖アルビオン帝国初代皇帝、クロムウェルその人であった。

からん、と乾いた音を立てながら、手にしていた遠眼鏡が床を転がってゆく。

目の前で爆発炎上する『レキシントン』号を目の当たりにしたせいもある、

だが、最も彼の心胆を寒からしめたものは、その轟沈する直前『レキシントン』号の船首に立っていた白衣の『アサシン』であった。

あのアサシンは、飛び降りる直前、確かにこちらを向いた、そして奴の口は、こう動いていた。

 

――『次は、お前だ』

 

 クロムウェルは、自分の身体が震えていることに気がついた。

それは恐怖から来る震えであることにすぐに気がついた。

ワルド子爵のみならず、政府高官たちを次々闇に葬っている謎のアサシンが、遂に自分を捉えたのだ。

間違いない、奴は自分の命を狙っている。ようやくその実感がわいた途端、恐怖で歯の根が合わなくなった、ガチガチと歯が音を立てる。

 

「ひ、ひぁああっ!」

 

 情けない悲鳴を上げながら、たまらず机の下にもぐりこみ、頭を抱える。

ガタガタガタとクロムウェルは恐怖に打ち震えた。そこにいるのは、虚無の担い手でも、ましてや神聖アルビオン共和国初代皇帝でもない……。

ただの、無力な男の姿であった。

 

 

 翌日……。

ロサイスが壊滅的被害を被ったとの報せを受け、貴族議会の緊急招集が、深夜にも関わらず唯一無事だった施設、空軍発令所にて行われていた。

本来はロンディニウムのホワイトホールで行われるものであるが、クロムウェルが指令室にこもり一歩も外に出ようとしない有様であったため、

仕方なくここ、空軍発令所で行われていたのであった。

無論、議員達には、ロサイスにはまだアサシンが潜んでいる可能性があり、皇帝の御身第一という説明がなされていた。

 

 発令所の指令室では、ホワイトホールの椅子に比べると遥かに座り心地の悪い木の椅子に腰かけ、

これまた使い古された長方形の木のテーブルを囲みながら、神聖アルビオン共和国の閣僚や将軍達が激論を戦わせていた。

本来戦時中に用いる指令室であるためか、灯りは必要最低限のものしかなく、テーブルの上の燭台だけが、辺りを僅かに照らしていた。

 

「……以上が、ロサイスの被害状況です」

「ふ、ふざけるな! 警備は一体何をしていたのだ!」

 

 報告を聞いた年若い将軍は、力強くテーブルを叩いた。

 ロサイスの被害は甚大だった、旗艦『レキシントン』号を筆頭に空軍の一艦隊を丸ごと叩きつぶされた揚句、衛兵駐屯地、果ては製鉄所まで、

あのアサシンはありとあらゆる軍の主要施設を完膚なきまでに破壊して行ったのだ。

 

「何故捕らえられない! たった一人だぞ! たった一人のアサシンによって、なぜ我らがこうまで混乱せねばならないのだ!」

「全てはあのアサシンの仕業だ! 奴のお陰で我が軍は大損害だ! 『レキシントン』号だけでも、搭載されていた新兵器に、貴重な竜が三十騎!

駐屯していた兵達は一網打尽にされ、街は瓦礫の山! もはや損害は計りしれん!」

「それだけではない、見ろ! 我らの中にも犠牲者が出ているのだぞ! ワルド子爵を始め、もう三人も我ら貴族議会の同志が奴の手にかかってしまった!」

 

 議員がテーブルを見渡す、最初に議会を開催した時には十五人程人数がいたはずだが……、その人数は彼の言うとおり十二人に数を減らしていた。

一人の肥えた将軍が、怯えるような声で呟いた。

 

「奴は本当に人か? 兵たちの間にも不安が広がっている、中には奴は『死神』だと噂をする者も……。

不遜にも始祖の末裔たる王家を滅ぼした我々に対し、お怒りになった神が遣わした死の天使だと……」

「なんだと! そんな筈があるものか! 閣下こそが始祖に使わされし『虚無』の担い手であることを忘れたか!」

 

 興奮と怒りに目を血走らせた年若い将軍がどん! と再び力強くテーブルを叩いて立ち上がり、肥えた将軍を非難する。

 

「あくまで兵達の噂を言ったまでだ! 私の発言ではない!」

「そしてそれを鵜呑みにしているというのか? 冗談ではないぞ! 始祖の加護は我らにある!」

 

 年若い将軍は、熱っぽい目で上座に座るクロムウェルを見た。

クロムウェルは内心恐怖に震えながらも、精いっぱいの威厳を保つために、必死で笑顔を作った。

 

「……だがそれでも、奴の為に受けた損害は計り知れぬ、奴を止めようとしたが、既に多くの命が失われてしまった……。

一個小隊がたった一人に全滅させられるなど、誰が信じる! 我等『レコン・キスタ』の旗はもはや、あのアサシンにとっては狩るべき獲物の目印でしかないのだぞ!」

「なんとしても奴を止めなければ……このままでは軍団の再編もままなりませぬ」

「ではどうする? 一人の敵に軍勢でも派遣するかね?」

「ぐっ……!?」

「じょ、冗談ではないぞ! たった一人のアサシンを倒すために軍団が動かせるか!

それに、奴の居場所も、行動も、素性も! どこに属しているのかすらもわからん! しかもこれからトリステインに攻め込もうとしているというのだぞ!」

「トリステインへの侵攻はどうなる! 予定では一ヶ月後だが、軍団の再編は間にあうのか? 期を逃したら厄介なことになるぞ!」

「資金も人手も足りません! 艦隊の再編が急務かと、資金はどうなっているのですか?」

「我々に融資をしていた銀行家の内何人かは、先日奴に消されたよ……、お陰で、他の銀行家連中は奴を恐れ、我々に融資の打ち切りを申し出てきおった!

税を引き上げようにも、これ以上国民の反感を買うわけにはいかん! どうやってこの損害の穴埋めを行おうというのだ!」

「再編を行ったとしてだ、現存の艦隊だけで、トリステインを制圧できるのか?」

「閣下の『虚無』がある!」

 

 白熱してゆく議論の中、議員の内の誰かがそう叫んだ、全員がクロムウェルを見つめる。

クロムウェルははっと顔を上げると、こほん、と気まずそうに咳をした。

 

「い、いやなに、諸君らも知っての通り、強力な呪文はそう何度も使えるものではない。

余が与えられる命には限りがある故……そうアテにされても困るのだ」

 

 クロムウェルがそう言うと、どこからともなくため息が漏れた。

さすがにクロムウェルはまずいと思ったのか、立ち上がると、取りつくろう様に言った。

 

「と、とにかくだ、余も『虚無』の全てを理解しているとは言い難い、余は暫し『虚無』について考えたいと思う。

安心したまえ、『虚無』の担い手たる余が宣言しよう、始祖は必ず、我らをあの薄汚いアサシンから必ずや守ってくださるだろう。

今日のところはこれで閉会としよう。諸君らはいつも通り軍務に励みたまえ」

 

 将軍や閣僚達は、起立すると、クロムウェルに向け一斉に敬礼した。

だが、一人だけ席を立たない人物がいた。

クロムウェルの丁度真向かいの席に座っていた、議論の場で最も興奮していた、年若い将軍であった。

 

「きみ、どうかしたのかね?」

 

 クロムウェルが、その将軍を見て首を傾げる。

そう言えば、彼は先ほどから急に口を噤み、ずっと俯いてしまっていた。

なにやら身体が小刻みに震えている、何かあったのだろうか?

他の閣僚や将軍達もそれに気がついたのだろう、皆がその年若い将軍を一斉に見つめる。

 

「……なぜ立ち上がらない?」

 

 誰かがそう呟いた、その時だった。

年若い将軍は、テーブルに両手をつくと、ゆっくりと立ち上がり、俯いていた顔を上げる。

 

 その時だった。

 

「……ぁ――」

 

 中腰の体勢まで立ち上がった途端、年若い将軍は、ぐるん、と白目をむく。

そのまま糸が切れるように、ばたりとテーブルに倒れ伏した。

彼の背中には、一本の短剣が柄の部分まで深々と突き刺さっていた。

 

「アサシン!」

 

 議員の誰かが叫んだ。

その瞬間、指令室は大混乱に陥った。

 

「どっ……どこだっ! どこに……っ!」

「ひっ、ひぃいいいい……!」

「しっ……死神だ……奴はやはり死神だったのだ! あぁ……し、始祖ブリミルよ! お、お許しください! 罪に塗れし我らをどうかっ……!」

 

 悲鳴と嗚咽が混じる中、ある者は杖を引き抜き、ある者は神に助けを乞う。

そんな中、ようやく内部の異常に気がついたのか、外で警備をしていた衛兵が飛び込んできた。

 

「な、なにが――あ!」

 

 中に飛び込んだ見張りは、テーブルの上に倒れ伏した将軍の死体に言葉を失った。

議員達のほとんどはパニックに陥り、指令室はまさに混乱と恐怖に支配されていた。

とにかく落ち着かせよう、そう考えた衛兵は、杖を振り回り狂乱状態に陥っている一人の議員に近づいた。

 

「ど、どうか落ち着いてください! 我々が付いています! ここは安全です!」

「安全? 安全と言ったか! この無能め! 現にここで一人殺されたのだぞ! それもたった今! 我々の目の前でだ!」

 

 衛兵に諌められ、激昂した議員……、トリステイン侵攻軍総司令官、サー・ジョンストンは喚きながら衛兵に掴みかかった。

 

「どうか冷静に! ここでパニックを起こしては奴の思う壺です!」

「冗談ではないぞ! すぐにここから出せ!」

「ま、まだ危険です! ここにいてください! あとは我々がアサシンを追いかけます!」

 

 その言葉に、ジョンストンは益々激昂したのだろう、振り回していた杖を衛兵に突きつける。

 

「もしや貴様があのアサシンを手引きしたのか! そうなのだな!」

「っ! 一体何を言っているのです! なぜ私がそのような真似を!」

「ええい黙れ! そこをどけ!」

「な、何を――! ぐぁあっ!」

 

 ジョンストンの杖から魔法の矢が放たれる。

至近距離でそれを受けた衛兵は、胸板から血を垂れ流し、ばたりと倒れ伏す。

半狂乱になったジョンストンは、そのまま指令室を飛びだすと、一目散に走り出した。

 

 

「ど、どこへ行かれるのです!」

「決まっておろう! 逃げるのだ! この中にアサシンがいるのだぞ!」

 

  ジョンストンが向かった先は、発令所の外に設けられた馬留めだった、

馬に跨ったまま、再び衛兵たちともみ合っている。

 

「お待ちを! 危険です! ここは我々と共に行動してください!」

「黙れ! 貴様もアサシンか! ならばここで成敗してくれるわ!」

 

 馬に跨ったまま杖を振い、魔法の矢で衛兵の胸を貫く。

倒れ伏した衛兵をみて、邪魔がいなくなったジョンストンは、馬に鞭を入れ、馬首を上げると、

空軍発令所から夜の闇へ向け、一目散に駆けだした。

 

 

「はぁっ、はぁっ、はぁっ……」

 

 どれくらい馬を走らせただろうか、一心不乱に馬を駆りロサイスから脱出したジョンストンは、ちらと周囲を見まわした。

周囲はひらけた街道である。深夜だからか、あたりには人の気配はなく、聞こえるのは自分の呼気と馬の蹄の音だけだ。

頭上に輝く二つの月だけが、明るくジョンストンを照らしている。

 

「た、助かった……」

 

 ジョンストンは安堵のため息をつくと、馬の首にもたれかかった。その時だった。

自分の背後、はるか遠くから、馬の蹄の音が聞こえてくる。

心配した衛兵が追ってきたのだろうか? 丁度いい、その者にロンディニウムまで護衛してもらおう。

幾分か冷静さを取り戻した頭でそう考えながら、後ろを振り返る、そして、驚愕した。

 

 その人物は、衛兵の制服を着てはいなかった、代わりに白のローブを身にまとい、同じく白のフードを目深に被っていた。

その左肩には、今は亡き王家の紋章が刺繍された赤黒いマントが風に翻っている。

二つの月を背にこちらへ馬を走らせてくるその姿は、まさに冥府から来たりし『死神』を連想させた。

 

「ひィッ! ひぃいいいいい!!!」

 

 その姿をみたジョンストンは、再び恐怖に半狂乱になり、馬に拍車を入れ、再び街道を掛けた。

杖を引き抜き、背後から迫る死神に向け魔法を放つ。

だがそのどれもが当たらない、死神は絶妙な馬さばきで魔法をかわし、徐々に距離を詰めてくる。

 

「あ、あぁ……か、神よ! 神よ! どうか! どうか助けて! 助けて! 助けてぇ!!」

 

 迫りくる死の恐怖に、顔を涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら、必死に馬を駆る。

だが死神はジョンストンの恐怖を煽る様にゆっくりと距離を近付け……、そして遂に並走を始めた。

死神は馬上で立ち上がると、まるで軽業師のように、並走するジョンストンの馬に飛び移る。

そのままジョンストンの跨る馬に飛び乗り、ジョンストンの肩を掴むと、無防備になった頸椎目がけ、アサシンブレードを叩きこんだ。

 

 

「去れ! 悪魔め!」

「……死神には敬意を払ったらどうだ?」

「頼む! 助けてくれ! し、死にたくない!」

「いや、ダメだ」

 

 死に瀕したジョンストンは涙を流しながらエツィオに懇願する。

だがエツィオは、彼を見下ろしたまま、冷たく言い放った。

 

「汝が死は無為には非ず――眠れ、安らかに」

 

 

 エツィオは死体となったジョンストンの頸椎からアサシンブレードを引き抜くと、無遠慮に馬上から街道に放り投げる。

そのままジョンストンが乗っていた馬に跨ると、エツィオは一陣の風のように街道を駆け抜けていった。

今までの追跡劇がまるで嘘だったかのように、真夜中の街道に静寂が戻る。

無残に打ち捨てられたジョンストンの死体を、二つの月が優しく照らしていた。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。