SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence- 作:ペンローズ
「なんてこと……」
白昼に行われた暗殺、大混乱に陥ったスカボローの広場、
ワルドが暗殺されるまでの一部始終を見ていたマチルダは、思わず呆然と呟いた。
エツィオを甘く見ていたわけではない、だが、ここまで鮮やかに、それも正面から突っ込んで殺しに行くという方法で
スクウェアのメイジであるワルドを暗殺してのけるとは思ってもいなかったのだ。
マチルダは小さくため息をつくと、ワルドの亡骸が転がる絞首台へと登ってゆく。
ワルドの周りには水のメイジ達が集まり必死に治療を施している、
マチルダはそんな彼らに近づくと、肩に手を置き、小さく首を振った。
「もうだめだ、あんたらもわかってるんでしょ? もう死んでる……諦めな」
水のメイジ達は、悔しそうに唇をかみしめると、やがて頷いた。
「ここはわたしに任せて、あんたらはあのアサシンを追いな」
「ハッ!」
マチルダのその言葉に衛兵たちは敬礼で返すと、アサシンを追うため、処刑台から降りてゆく。
そんな彼らを見送ったあと、まるで眠っているかのように横たわるワルドを見つめる。
一声、声をかければ目を覚ますんじゃないか? そう思わずにはいられないほど、ワルドの死に顔は安らかなものであった。
あの水のメイジ達が必死に治療を施したくなる気持ちも、わからないでもない。
だが、一撃で頸椎を絶たれ、即死に至らしめられたワルドは、二度とその目を開くことは無かった。
「公開処刑の場で暗殺される、か……皮肉ね」
たった一人の、それも平民のアサシンによって、衆人環視の中、白昼堂々喉を貫かれ暗殺される。
『革命戦争の英雄』のあまりに情けなく、あまりにあっけない最期は、瞬く間にアルビオン全土に、いや、ハルケギニア全土に広がるだろう。
これじゃクロムウェルに蘇らされても、ワルドはすぐに自殺してしまうんじゃないだろうか?
そう思うと、なんとなくこの男に同情してしまいそうになる。
「敵じゃなくて、本当によかったよ……」
無知は至福、とはよく言った物だ。
エツィオを敵に回したら、気の休まる瞬間なんて、それこそ死ぬまで訪れることは無いだろう。
マチルダは苦笑いを浮かべると、処刑に立ち会っていた僧侶を一人呼び止め、ワルドの遺体を教会に安置するように指示を出す。
今処分すれば怪しまれる、事態が落ち着いたあと、改めてワルドの死体を盗み出し、処分すればいい。すべてはエツィオの指示であった。
僧侶は何も疑うことなく、ワルドの死体をかつぎあげると、処刑台から去っていった。
「さて……後は任せときな」
マチルダは小さく呟くと、ワルドの死体をかついだ聖職者の後について行った。
『ワルド子爵、暗殺さる』
この衝撃的な報せは、瞬く間にアルビオン全土に広がった。
それはここ、神聖アルビオン共和国首都、ロンディニウムも例外ではなかった。
「なっ、なんだと! ワルド子爵が暗殺!?」
ロンディニウムの南側、ハヴィランド宮殿の執務室、報告を受けたクロムウェルは信じられないと言った様子で立ち上がった。
「い、一体彼に何があったのだ!」
「はっ、報告によりますと、一昨日の正午、スカボローにて行われた演説の最中にアサシンの襲撃を受け暗殺されたとのことです」
「アサシンだと!? そ、それでどうなったのだ、捕まえたのか?」
「そ、それが……、アサシンは、ワルド子爵を暗殺後、逃走を開始、衛兵隊の追跡も虚しく、見失ったと……」
「馬鹿な! 衛兵隊はなにをしていた! そのアサシンは一体何者なのだ!」
「アサシンについての報告ですが、アルビオン王家のマントを羽織っていたことから、王党派の残党であるという見方が有力視されております。
それと……これは信じがたいことですが……その……」
伝令はそこで言葉を切ると、報告すべきかどうかためらうような表情になった。
「どうしたのかね、まだ報告があるのならば早くしたまえ!」
「は、目撃者からの聴取によりますと、ワルド子爵を暗殺したアサシンは……メイジではない可能性が極めて高いという報告が届いています」
「へ、平民だと! 平民に暗殺されたのか!? 彼はスクウェアのメイジだぞ!」
「はい、アサシンは一切魔法を使わずに、短剣で暗殺を実行しました。
それと、追跡していた衛兵の証言では、ディティクト・マジックに全く反応しなかった、との事です」
「なんということだ……」
クロムウェルがへなへなと腰かけていた椅子に再び座り込む。
兵士の士気を高めるためのプロパガンダにしていたワルド子爵が、よりにもよって王党派の、しかも平民のアサシンに暗殺されるとは……。
これでは国の士気が根底から揺らいでしまう、これからトリステインやゲルマニアに攻め込もうとしているのだ、それだけはどうしても避けなくてはならない。
脱力しながらも、なにか士気を高める方法はないかと、必死に考える、そしてちらと自分の手に光る指輪を見つめた。
そうだ、自分にはこの力があるじゃないか。多用はできないが、今が使う時だ。
クロムウェルは一つ咳払いすると、落ち着き払ったように伝令に尋ねた。
「ワルド子爵が暗殺されたことは残念だ、しかし悲しむ必要はない。彼は余の虚無によって再び息を吹き返す。
勇敢なるアルビオン共和国の英雄は、決して薄汚い暗殺者風情の刃では倒れることは無いのだ」
クロムウェルはにっこりとほほ笑んだ。
「では、彼の亡骸をここに、余の虚無で早速彼を蘇らせるとしよう」
「あ、あの……それが……」
余裕の笑みを浮かべるクロムウェルに、伝令は困ったように呟いた。
「ワルド子爵の遺体ですが、教会に安置されていたところを、何者かに奪取された模様です、おそらくは……処分されたのかと……」
「なんだとぉっ!?」
その報告に、クロムウェルは再び表情を変え立ち上がる。死体がなければ蘇らせることはできない上に、
革命戦争の英雄たるワルドが、平民のアサシンにあっけなく暗殺されたという、アルビオン軍にとっても不名誉な事実を覆すこともできなくなったのだ。
目論見が大きく外れたクロムウェルはがちがちと爪を噛んだ。
そして目を見開くと叫ぶように伝令に伝えた。
「これはアルビオン共和国の士気全体に関わる由々しき事態である!
この混乱を他国に悟られるわけにはいかぬ! 直ちに緘口令を引け!
かのアサシンを必ずや捕らえ、処刑するのだ!」
「ハッ! 了解いたしました!」
伝令は頷くと、すぐに執務室から退出してゆく。
その様子を見送っていたクロムウェルは、拳を握りしめ、忌々しそうに呟く。
「くっ……! 伝説を気取るつもりか? 狂ったアサシンめ……!」
クロムウェルが、そう呟いたときだった、執務室のドアが、慌ただしくノックされる。
「入りたまえ」
「し、失礼いたします!」
クロムウェルが促すと、上ずった声をあげ、執務室に今度は別の伝令が飛び込んできた。
「何事かね?」
「申し上げます! スカボロー郊外にて、硫黄を輸送していた馬車が襲撃を受け、護衛をしていた部隊が壊滅!
物資を破壊されたという報せが入りました!」
「なっ……!」
「尚、襲撃犯は、ワルド子爵を暗殺したアサシンであるとの証言が得られております!」
「な……あ……」
その報せを聞き、クロムウェルはまるで酸欠の魚のように口をぱくぱくと開いては閉じている。
アルビオンの英雄の次は、戦争物資、まるで内部の士気を挫かんとしているようだ。
「か、閣下? どうかなされましたか?」
そんなクロムウェルをみて、伝令が心配そうに声をかけた。
すると怒りに顔を真っ赤にしたクロムウェルは喚くように叫び出した。
「あ、アサシンの首に懸賞金をかけろ! 共和国の威信にかけ、必ず奴を捕らえるのだ!」
「聞け! アサシンだ! あの恐るべきアサシンが、このロンディニウムに潜入したとの報せが入った!
先日、ロンディニウム近辺にて、衛兵隊が何者かの襲撃を受け、壊滅に追い込まれたとのことだ!
生存者の話から、奴はスカボローにて現れたアサシンであるとの証言が得られている!
これが事実なら、由々しき事態である! 市民皆で協力し、アサシンを捕らえようではないか! 奴は王党派の亡霊と言う、戯言に惑わされてはならない!」
道をゆく人々の群れに、街の先触れががなりたてる。
それを聞いていた街の人々は口々に噂話をし始める。
「ワルド子爵を暗殺したアサシンが、この街にいるだって?」
「あぁ……そういえばさ、実は俺、見ちまったんだ……、あのアサシンに子爵が暗殺されるところを……」
「本当か! スカボローで、一体何があったんだ? どうやって子爵は暗殺されたんだ?」
「それが……」
「おい! それ以上口にすれば、反逆者として捕らえるぞ!」
「ひっ、す、すいません!」
ワルドの暗殺から数日たった後も、ロンディニウムの街はその話題で持ちきりだった。
緘口令が敷かれているとはいえ、人の口に戸は立てられぬもの、
魔法を使わず、スクウェアのメイジを暗殺してのけた、アルビオン王家のマントを羽織った謎のアサシンの噂は、瞬く間にアルビオン全土に広がってしまっていた。
街中にはアサシンの手配書が張られ、先触れもアサシンについて街の人々に向け報せを叫んでいる。
駐屯するアルビオンの兵士たちは、皆血眼になってそのアサシンを探したが、一向に見つからない。
ロンディニウムの街はいま、厳戒態勢とも呼べる物々しさを醸し出していた。
兵士たちは隊伍を組み、怪しい人物がいないか、街を巡回している。
そんな彼らの様子を、上から見下ろす一つの影があった。
「ピリピリしてんなぁ」
「いろいろ騒ぎを起こしたんだ、この位にはなるさ」
「いいのか? この街にいることがバレてるみたいだぞ」
「別にかまわないさ、フィレンツェでもお尋ねものだったしな」
腰に差したデルフリンガーがカチカチと音を鳴らす。
屋根の上から道を見下ろしていたエツィオは笑みを浮かべると、懐から一枚の紙を取り出し広げた。
それは、先日マチルダの鳩から受け取った手紙であった。
そこには合流場所に指定された宿屋の部屋番号とロンディニウムの簡単な地図が書いてあった。
「地図だとこのあたりだが……、あれか」
エツィオは、裏通りに面した一件の建物を見つめ、呟く。看板から察するに木賃宿の様だ。
見ると窓の一つから、中から灯りが漏れている、どうやらあの部屋のようだ。
エツィオは壁を伝い、窓ガラスを数回ノックすると、何食わぬ顔で窓を開け、部屋の中に侵入する。
突然窓から侵入者が現入り込んできたというのに、部屋の中にいた人物は動じる様子もなく呆れたように肩を竦めた。
「やあマチルダ」
「エツィオ……あんたね、どっから入ってきてるのよ」
「どこって、窓からさ、お尋ねものなのに正面切って入るわけにはいかないだろ?」
呆れてため息をつくマチルダをよそに、エツィオは椅子の一つに腰かけた。
「それで、首尾はどうだ?」
「ん? ああ、ちゃんと処分しといたわよ、はいこれ」
マチルダは懐から一枚の羽根を取り出し、テーブルに置いた。
元は純白の羽根なのだろうが、なにやら赤黒く変色してしまっている。
「これは? ワルドの血か?」
「そうよ、処分したっていう証拠にね、死体ならスカボローの郊外に埋めといたわ」
「なるほど……恩にきるよ」
エツィオは納得したように頷くと、その羽根を受け取り、大事そうにしまい込んだ。
「それより、これからあんたはどうするの? そろそろトリステインに戻った方がいいんじゃない?」
「そうだな……そろそろ戻らないと、ルイズが癇癪起こして……いや、もう遅いな。……部屋が散らかってなければいいけど」
戻った時の部屋の様子を想像したのか、エツィオは苦笑いを浮かべながら、両掌を上に向ける。
そんなエツィオを見て、マチルダはテーブルに肘をつきながら、にやっと笑みを浮かべた。
「あら、ご主人様には随分と甘いみたいね」
「ああ、彼女は、俺がいないと顔も洗えないからな」
「ふぅん……」
「おや? 嫉妬かな?」
「ふん、何言ってんのよ、この女たらし。あんたに嫉妬なんて感じてたら、まず身がもたないわよ」
同じようににやっと笑うエツィオに、マチルダは呆れたように鼻で笑った。
「ま、冗談はさておき、トリステインに戻るなら、船の手配をしとくけど?」
「いいのか? それは助かるな」
さすがは元秘書官、オールド・オスマンが優秀だと言っていただけはある。
やはり味方に引き込んでおいて正解だった。エツィオは満足そうに頷いた。
「きみが味方で本当によかったよ、マチルダ」
「お互いさまさ、こっちはあんたを敵に回さなくて本当によかったと思ってるからね。
船の事だけど、盗賊時代の闇ルートを用意するわ、ちょっと時間がかかるかもしれないから、その時になったらまた連絡するよ」
「頼んだ」
エツィオはそう言うと、皮の袋を取り出し、それをテーブルの上に置く。どさり、と重そうな音がした。
「これは報酬だ、活動費も含まれている」
マチルダが袋の中を検める、その中身は、やはりというべきか金貨がぎっしりと詰まっていた。
そのあまりの量にマチルダは目を丸くした。
「こんなに? あんたこれどうしたのよ」
「奴らから拝借したのさ」
「拝借って……そういえば、こないだ現金輸送車が襲撃されたって聞いたけど……」
「ああ、俺だな」
「はぁ……道理で、あんたの首に賞金がかかるわけだわ……」
さらりと言ってのけたエツィオに、マチルダはやっぱり、と言いたげにため息をついた。
自分の首に賞金がかかっているというのに、エツィオは悪びれた様子もなく肩をすくめて見せた。
「まあ、あれだけやればな」
「あんたわかってんの? 5000エキューよ? 国中の衛兵と傭兵、それに賞金稼ぎがあんたの首を狙ってるわ」
「てことは、きみもか?」
「……安心しな、金目当てにあんたを殺したりしないわよ」
エツィオのその言葉に、マチルダはにっこりとほほ笑んだ。
……殺す時はあの子と会ってしまったその時よ、と小さく呟くのが聞こえる。
あの子とは一体誰だろうか、疑問に感じたが口に出すのはやめておいた。聞いたが最後、本当に殺されそうだ。
「なるほど……気をつけよう」
「ええ、是非そうして」
ひきつった笑みを浮かべるエツィオに、マチルダは殺意のこもった笑顔のまま、ゆっくりと頷いた。
「ああ、それとエツィオ」
「ん?」
「クロムウェルの次の狙いがわかったわよ」
マチルダのその言葉に、エツィオの目が鋭くなった。
「……教えてくれ」
「今のハルケギニアの情勢だけど、クロムウェルはトリステインとゲルマニアに特使を派遣して不可侵条約の締結を打診したわ、
トリステインもゲルマニアも条約の締結に同意、今のところは平和そのものね」
「だがいずれ攻め込むだろうな、奴らの狙いはハルケギニア全体の統一だ」
マチルダは一つ頷くと、話を続けた。
「一ヶ月後、あんたも知っての通り、トリステイン王女とゲルマニア皇帝の結婚式が行われるわ、
その結婚式にさきがけ、トリステインに対してアルビオンは大使を派遣して親善訪問を行うの」
「それで?」
「問題はその『親善訪問』の中身よ」
マチルダは肩を竦めると、エツィオに二言、三言、口にする。
それを聞いたエツィオの表情が、途端に険しくなった。
「正気か? 不可侵条約はどうなる、いきなり破る気か?」
「そう、騙し打ちもいいとこね。でもクロムウェルが言うには軍事行動の一環らしいわよ。
なんでも、『議会が決定し、余が承認した事項だ』って、得意顔で言ってたわ。
今、水面下ではトリステイン、ゲルマニアへの侵攻計画が着々と進んでる、
ロンディニウムの近くに、ロサイスって軍港があるんだけど、そこではそれに向けて戦艦の改装を行っているみたいだし……。
もう総司令官の任命まで済んでるみたいね」
「同盟がまとまりきる前にトリステインを潰す気か……」
それを聞いたエツィオはがっくりとうなだれると、大きくため息をついた。
拳を握りしめ、ゆっくりと首を振り、険しい表情で呟いた。
「だが、そうはさせない」
「どうする気?」
マチルダはテーブルに肘をつき、頬杖をつくと、どこか楽しそうにエツィオに尋ねた。
エツィオは顔を上げる、その瞬間、陽気な青年の面影は掻き消えていた。
代わりに現れたのは、三百年前、ハルケギニア全土を震え上がらせた伝説のアサシンの技術と信条を全て受け継いだ、若きアサシンの姿だった。
「奴らの資金源と戦力を絶つ、奴らの好きにはさせるものか」
一方、こちらはトリステインにある魔法学院、ルイズの部屋。
魔法学院に帰還したルイズは、アルビオンから戻ってからと言うもの、数日間もの間、自分の部屋でずっとぼんやりとしていた。
今や敵地であるアルビオンに取り残されたエツィオの事を思うだけで、不安と恐怖がルイズの胸を苛んだ。
そんなわけで、アルビオンから帰還してからというもの、ルイズはずっと授業を休み、食事と入浴の時以外はずっと部屋にこもりきりであった。
そして今日もルイズは膝を抱えてベッドの上に座り、部屋の隅に積まれたエツィオの寝床であるクッションの山を見つめていた。
コンコン……と、部屋がノックされた。
開いてます、とルイズが答えたら、がちゃりと扉が開いた。
ルイズは驚いた、現れたのが、学院長のオールド・オスマンであったからだ。
ルイズは慌ててガウンを纏いベッドから降りた。
「ああよい、楽にしなさい。……失礼するよ」
オスマン氏は柔和な笑みを浮かべ、ルイズを手で制した。
それから椅子を引き出すと、それに腰かけた。
「随分長く休んでいると聞いたものでな、旅の疲れは癒えたかね?」
「ご心配をおかけしてすいません、わたしは大丈夫です」
「ふむ……ならばよいが。じゃが、まだ顔色があまり良くないようじゃな、もうしばらく休むとよい。
きみらの欠席は公休という形で既に処理しておる、あとはきみからの報告で受理と言う形にはなるが……
任務の報告は、落ち着いてからでかまわんよ」
オスマン氏の言葉に、ルイズははっと顔をあげた。
そういえばオスマン氏への任務の報告がまだであった、ルイズは学院に帰還してから、すぐに部屋に戻ってしまっていたのだ。
「申し訳ありません、ご報告を忘れてしまいました」
「よいよい、今は体を休めることに専念しなさい、大体の報告ならグラモンから聞いておるよ。
思い出すだけで辛かろう、しかし、お主たちの活躍で同盟は無事締結され、トリステインの危機は去ったのじゃ」
それからオスマン氏は部屋の中を見回した。
「大鷲は……アルビオンに残ったようじゃな」
「……はい」
力なく呟いたルイズを見て、オスマン氏は髭を撫でながら言った。
「心配かね?」
ルイズはきゅっと唇を噛むと、黙ったまま頷いた。
オスマン氏は微笑を浮かべた。
「なに、心配しなくともよいぞ、ミス・ヴァリエール。私が確信をもって言おう、彼は必ず生きて帰ってくる。
実はな、大鷲がアルビオンに残ったと聞いた時、私は胸が躍ったのじゃ」
落ち込んだ表情のルイズをよそに、オスマン氏は笑って見せる。
そんなオスマン氏をルイズは首を傾げて見つめた。
なぜこの老人は、そこまでエツィオの事を信じているのだろうか。
そう言えば、初めてエツィオをオスマン氏に会わせた時も、まるで彼の事を以前から知っているかのような口ぶりだった。
「あの……オールド・オスマン」
「なんじゃね?」
「オールド・オスマンは、エツィオの事を知っているんですか?」
「彼の事というよりも、彼のルーツを知っていると言った方が正しいかの。彼は、私の師の弟子と言ったところかのう」
「師の弟子?」
「そう、私の恩人でもあり、師でもある、唯一無二の友じゃ、ずっと昔のな。言ってみれば、私は彼の兄弟子にあたるワケじゃな」
「その、オールド・オスマンの先生って、どんな人だったんですか?」
その質問に、オスマン氏は困ったような表情になった。
「あー、それはじゃな……その前になんだが、きみは、彼の事をどこまで知っているのかね?」
「えと、元貴族である、ということしか……」
「ふむ……明かしてはいないか、まぁ仕方なかろうな」
「明かしていないって……教えてください、オールド・オスマン。エツィオは一体何者なのですか?」
その言葉を聞いたルイズは身を乗り出してオスマン氏に尋ねた。
だがオスマン氏はそんな彼女に首を振って答えた。
「すまぬが、彼が明かしていない以上、私の口から説明するわけにはいかぬ」
「でもっ……」
ルイズはそこで言葉を切ると、再び俯いた、オスマン氏の言うことは尤もである。
エツィオが言わない事を、第三者であるオスマンが勝手に明かすわけにはいかないだろう。
するとオスマン氏が静かに口を開いた。
「……三百年前の聖地奪還運動を知っているかね?」
「え? ……はい、歴史の授業で習う程度なら。確か、最後に行われた聖地奪還運動で、当時の教皇が急死したため瓦解したとしか……」
「うむ、その通りじゃ。ここだけの話じゃがな、私の師は、それに関係する人物じゃ」
「関係? そのオールド・オスマンの先生がですか?」
「そう、そして私は彼と共に見た、歴史が変わる瞬間をな」
オスマン氏は目を細めると、昔を懐かしむように言った。
それからにっこりとほほ笑むと、椅子から立ち上がった。
「ほほ、私から言えるのはここまでじゃな。
兎も角じゃ、そんな彼の遺志を継ぐ彼だからこそ、私は確信を持って言える。
大鷲は必ず、きみの元に帰還するとな」
それからオスマン氏は扉のノブに手をかけると、椅子に腰かけたまま呆然とするルイズに振り向いた。
「おおそうだ、彼が戻ったら学院長室に来るように伝えておいてくれんかの」
「あっ、は、はい、わかりました……」
エツィオが戻ってくることは当然の事だと言わんばかりにオスマン氏は言伝を伝えると、実に楽しそうに笑って見せて言った。
「ミス・ヴァリエール、今アルビオンで何が起こっているか、知っているかね?」
「え?」
「その様子では知らぬようじゃな、なに、いずれきみの耳にも届くじゃろうて……。
では、失礼するよ、ミス、ゆっくりと体を休めたまえ。あぁ……帰還が楽しみじゃのう……」
戸惑うルイズをよそに、オスマン氏は鼻歌交じりに扉を開け、ルイズの部屋から去って行った。
翌朝……、窓から差し込む日の光にルイズは目を覚ます。
ベッドからむくりと起き上がると、からっぽのクッションの山を見つめる。
学院に帰還してからと言うもの、それがいつもの習慣になってしまっていた。
「エツィオ……」
しかし、やはりというべきか、そこにエツィオがいるはずもなく、ルイズは悲しそうに俯き、エツィオが使っていたクッションの一つをぎゅっと抱きしめる。
しばらくそうやってぼんやりとしていたルイズであったが、そろそろ朝食の時間であることに気がつく。
もそもそとベッドから降り、制服に着替え始める。
そういえば、と、ルイズは着替えながら、昨日オスマン氏が言っていたことを思い出した。
『今、アルビオンで何が起こっているか、知っているかね?』
もちろん、ここ数日の間、食事や入浴以外は部屋にこもりっきりだったルイズに、それを知るすべは無い。
しかし、オスマン氏が言うには、今、アルビオンで何かが起こっているらしい、それも、口ぶりから察するに、まるでエツィオがそれに関与しているかのようだ。
一体、何が起こっているというのだろう?
制服に着替え終えたルイズは疑問に感じながらも、朝食を取るべく部屋を出て食堂へと向かった。
アルヴィーズの食堂についたルイズは、自分の席に着くと、心ここに在らずと言った様子でぼんやりと座っていた。
その時である、思いがけない人物がルイズの隣の席に腰かけた。
ぼんやりとしていたルイズも、その人物を見て、少し驚いたような表情をする、
燃えるような赤い髪に豊満なバスト、果たしてその人物とは、キュルケであった。
「……なによ、あんたの席はそこじゃないでしょ?」
「いいじゃないの、ルイズ、あなたに聞かせたい話があってここに来たって言うのに」
「話?」
キュルケは足を組むと呆れたような表情で言った。
すると、いつもそこに座っているマリコルヌが現れて抗議の声を上げた。
「おい、ツェルプストー! そこは僕の席だぞ、君はそこじゃないだろう?」
「今日だけよ、ルイズに話があるの、あたしの席を使わせてあげるから今日はそこ座んなさい」
キュルケはそれだけ言うと、マリコルヌをきっと睨みつける。
有無を言わせぬその迫力に冷や汗をかいたマリコルヌはすごすごと引き下がって行った。
「まったく、話が逸れちゃったじゃないの」
「……それで、何よ話って」
「知ってる? アルビオンの噂」
アルビオン? その言葉を聞いたルイズははっと顔を上げ、キュルケを見つめた。
昨日、オスマン氏が言っていた件の噂話だろうか?
「噂?」
「昨日の事なんだけどね、あたし、用があって街まで買い物に出かけたのよ、そこで聞いたんだけど……」
キュルケがそこまで言った時だった、食事の前の祈りが始まった。
こんな時に……! ルイズは唇を噛みながら、祈りを唱和する、僅かな時間で終わるはずなのに、ルイズにとってはとても長い時のように感じられた。
祈りが終わり、朝食が始まる。ルイズは逸る気持ちを抑え、キュルケに尋ねる。
「それで?」
「あたしたちと旅をした、ワルド子爵っていたでしょ? あなたの婚約者だった」
「……うん」
その名前を聞いたルイズの表情が曇る、それを見たキュルケは目を伏せると言いにくそうに呟いた。
「裏切ったって話は、あの時エツィオから聞いたわ、気に障ったらごめんなさいね」
「……別にいいわ、それで……ワルドがどうしたの?」
「彼、殺されたそうよ」
「えっ!?」
その話を聞いたルイズは驚いたように椅子から立ち上がる。
それを見た周囲の生徒達は、何事かとルイズを見つめた。
「な、なんでもないわよ、お、おほほ……、座って、ルイズ」
キュルケが誤魔化す様に笑い、ルイズを落ち着かせる為に椅子に座らせる。
ルイズは椅子に再び腰かけると、小さい声でキュルケに尋ねる。
「殺された? どういうことなの?」
「あたしも酒場で聞いた程度だから、詳しくは知らないんだけどね。なんでも、王党派の『アサシン』に暗殺されたんですって。しかも、衆人環視のど真ん中で、剣を使ってよ」
「うそ……」
「それだけじゃないわ、今、アルビオン新政府の有力貴族たちが、その『アサシン』に次々暗殺されているんですって。
ワルド子爵と同じように、街のど真ん中で暗殺されるってケースがほとんどらしいわ、お陰でアルビオンは今、大混乱に陥っているそうよ」
「暗殺……って」
ルイズは思わず言葉を失う、まさか、オスマン氏が言っていたアルビオンの噂とは、これの事だろうか?
「……なんでそれをわたしに?」
「うん……それがその、『アサシン』の事なんだけど……」
キュルケはそこまで言うと、少し言いにくそうに口を噤んで見せる。
それからややあって、打ち明けるように言った。
「目撃者の話によると、その『アサシン』は、白のローブにフードを目深に被った若い男らしいわ、
左肩に、血塗れのアルビオン王家のマントを纏っているそうよ」
「まさか! そ、それって……!」
ルイズも同じ結論に達したらしい、そんな特徴のある姿をした人物は、自分達が知る限りただ一人しかいない。
二人は顔を見合わせると、信じられないと言った様子で、同時に呟いた。
まさか、その『アサシン』は……。
「「エツィオ……?」」
「――眠れ、安らかに」
街をゆく人々の合間を縫い、アサシンの冷たい刃が、哀れな犠牲者の背に埋まる。
断末魔の悲鳴も、腹からこみ上げる血と泡に邪魔をされ、ただ意味のない音を発するだけ。
そして、街をゆく人々にも、護衛をしていた兵士たちにも気づかれることもなく、絶命する。
――どさっ、と何かが倒れるような音に、護衛をしていた二人の兵士が気付き、後ろを振りかえる。
その瞬間が、彼らの最期となった。振り返ると同時に、護衛をしていた貴族の男が、膝を地面につき、口から血と泡を垂れ流しながら、ばたりと倒れる。
その背後に立っていた白衣の男に、驚く間も与えられずに口を塞がれ、同時に袖口から飛び出した刃によって喉を貫かれた。
「かっ……はっ……」「ごっ……」
声にならない断末魔を上げ、苦悶に喉をかきむしる護衛達の間を、アサシンは何事もなかったかのようにすり抜け、大通りの中へと消えてゆく。
やがて力尽きたのか、二人の衛兵は、護衛をしていた貴族の男に寄り添うように、ばたりと地面に倒れ伏した。
「ひっ……!」「しっ、死んでる!」
「さっ、殺人だ! 衛兵! 来てくれ! 衛兵!」
突如、道端に現れた三つの死体に、人々が悲鳴を上げ始める。
やがてその声は大きくなり、街に騒ぎが広がってゆく。
街を警邏していた警備隊が現場に駆け付け、なにやら怒鳴りながら犯人を捜し出すべく、道行く人を捕まえ情報提供を呼び掛けている。
「いやぁ、相変わらず見事だなぁ、相棒」
「それはどうも……」
そんな中、騒ぎの中心から離れ、街の中を何食わぬ顔で歩いていたエツィオに、デルフリンガーが楽しそうに声をかけた。
エツィオは気のない返事で答えながら、肩をすくめて見せる。
「で、今の奴はなんだ?」
「レコン・キスタに資金を融資している貴族だ、銀行家はこれで三人目だな」
「ふぅん、で、いつになったらクロムウェルを消すんだ?」
「クロムウェルを消すのはまだ先だよ」
エツィオはそう答えると、ふと足を止め、目の前に立つ巨大な宮殿を見上げた。
それは神聖アルビオン共和国の中枢、ハヴィランド宮殿であった。
門の前には屈強そうな衛兵が睨みを利かせており、ネズミ一匹入り込む余地のない厳戒態勢を敷いていた。
「今奴を消しても、次の指導者が現れたら意味がないだろう?」
エツィオは人込みに紛れ、そんな彼らを見つめると、ニヤリと口元に笑みを浮かべた。
「こういう連中は、王手(チェック)だけではダメだ、王手詰み(チェックメイト)にしてようやく終わる。要はチェスみたいなものさ」
宮殿を一瞥し、エツィオはデルフリンガーの柄頭に手を載せると、そのまま人の流れに身を任せるように再び歩きはじめる。
「なるほどね……それで? 次は何をする気なんだ?」
「それは秘密だ」
デルフリンガーの柄頭から手を離す、肩にかかっていた王家のマントが、はらりと降りた。
「次は派手にやるぞ、デルフ、奴らの士気を根元からへし折るつもりでな」
それだけ言うと、エツィオは血塗れのマントを翻し、ロンディニウムの街の中へと消えて言った。