SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

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memory-16 「空賊狂乱」

 船員達の声と眩しい光でエツィオは目を覚ました。青空がどこまでも広がっている。

舷側から下を覗き込むと、白い雲が広がっている。船は雲の上を進んでいた。

 

「アルビオンが見えたぞー!」

 

 鐘楼に立っていた見張りの船員が大声をあげる。

その声に下を流れる雲を見つめていたエツィオが顔を上げ、船の前方へと顔を向け、息をのんだ。

巨大な……まさに巨大としか言いようのない光景が目の前に広がっていた。

雲の切れ間から、黒々と大陸が覗いていた。大陸ははるか視界の続く限り延びている。

地表には山がそびえ、川が流れていた。

 

「驚いた?」

 

 いつの間にか横に来ていたルイズがエツィオに言った。

 

「はは……何と言えばいいのか……もう驚きで言葉が出ないな」

 

 エツィオは苦笑しながら呟いた。

 

「浮遊大陸アルビオン。ああやって、空中を浮遊して、主に大洋の上をさまよっているの。

でも月に何度かハルケギニアの上にやってくる。大きさはトリステインの国土くらいはあるわ。通称『白の国』」

「『白の国』?」

 

 ルイズは大陸を指さした。大河から溢れた水が空に落ち込み、白い霧となって、大陸の下半分を包んでいる。

その霧がやがて雲となり、ハルケギニアの大地に雨を降らせるのだとルイズは説明した。

 

 その時、鐘楼に上った船員が、大声をあげた。

 

「右舷上方の雲中より、船が接近してきます!」

 

 エツィオは言われた方向を見た。

なるほど、船が一隻近づいてくる。エツィオ達の乗り込んだ船より、一回りも大きい。

舷側に開いた穴からは、大砲が突き出ている。

 

 ルイズが眉を顰めた。

 

「いやだわ。反乱勢……、貴族派の軍艦かしら」

「……嫌な予感がする……ルイズ、俺から離れるな」

 

 

 後甲板でワルドと並んで操船の指揮を取っていた船長は、見張りが指した方角を見上げた。

黒くタールが塗られた船体は、まさに戦う船を思わせる。こちらにぴたりと二十数個も並んだ砲門を向けている。

 

「アルビオンの貴族派か? お前達のために荷を運んでいる船だと、教えてやれ」

 

 見張り員は指示に従い手旗を振った。しかし、何の返信もない。

副長が駆け寄ってきて、青ざめた顔で船長に告げる。

 

「あの船は旗を掲げておりません!」

「してみると、く、空賊か!」 船長の顔も、みるみる青ざめていく。

「間違いありません! 内乱の影響で、活動が活発化していると聞き及びますから……」

「逃げろ! 取り舵いっぱい!」

 

 船長は船を遠ざけようとしたが、時既に遅し。黒い船すでに並走を始め、脅しの一発を、エツィオ達の船の前方に向け放った。

ぼごん! と鈍い音がして、砲弾が雲の彼方へと消えてゆく。

黒船のマストに、するすると四色の旗色信号が登る。

 

「停船命令です、船長。」

 

 船長は苦渋の決断を迫られた。この船だって武装がないわけではない、しかし、 あの黒い船に比べたら役に立たない飾りのようなものだ。

助けを求めるように、船長は隣にたったワルドを見つめる。

 

「魔法は、この船を浮かべるために打ち止めだよ。あの船に従うんだな」

 

 ワルドは落ち着き払って言った。

船長は「これで破産だ」と呟き、停船命令を下した。

 

「裏帆を打て。停船だ」

 

 

 いきなり現れて大砲を放った黒船と、行き足を弱め、停船した自船の様子に怯えて、ルイズは思わずエツィオに寄り添った。

不安そうに、エツィオの後ろから、黒船を見つめる。

 

「空賊だ! 抵抗するな!」

 

 黒船から、メガホンを持った男が大声で怒鳴った。

 

「空賊ですって?」

 

 ルイズが驚いた声で言った。

黒船の舷側に弓やフリント・ロック銃をもった男達が並び、こちらに狙いを定めた。

鉤の付いたロープが放たれ、エツィオ達の乗った船の舷縁に引っかかる。

手に斧や曲刀等の得物を持った屈強な男達が、船の間に張られたロープを伝ってやってくる。

その数、およそ数十人。

 

「……マズいな」

 

 その様子を見つめて、エツィオが呟いた。

 

「大丈夫だ……君に手を出させはしない」

 

 不安そうに見つめるルイズに、エツィオは優しく声をかけると、再び乗り込んできた男達に視線を向ける。

得物を構える水兵に混じり、メイジの姿も散見される。そのうちの一人が呪文を放つのが見えた。

その瞬間、前甲板に繋ぎとめられ、ギャンギャン喚いていたワルドのグリフォンがばたりと甲板に倒れ、寝息を立て始める。

どうやら強制的に眠らせる呪文のようだ。

数十人の水兵達にメイジ、そしてこちらにぴたりと狙いをつけている数十門の大砲……、抵抗することはまずできないだろう。

 

「無事かね?」

「……子爵殿」

 

 エツィオが戦力を分析しているその時だった。後甲板にいたワルドが現れ、エツィオに声をかける。

 

「……状況はこちらが圧倒的に不利だ。抵抗はしない方が身のためだな」

「わかっています……ですが……」

「だが?」

「ルイズにもしものことがあれば、その限りではありません」

「エツィオ……」

 

 最悪の事態を想定したのだろう。エツィオが苦々しい表情で呟いた。

どすんと音を立て、甲板に空賊たちが降り立った。 その中から、派手な格好の一人の空賊が、一歩前に出た。

元は白かったのであろう、グリース油で汚れて真っ黒になったシャツをはだけ、そこから赤銅色に日焼けしたたくましい胸板が覗いている。

ぼさぼさの長い黒髪は、赤い布で乱暴にまとめられ、無精髭が顔中に生えている。

腰布に曲刀と小型のフリントロック銃を差し、ご丁寧にも左目に眼帯を巻いていた、いかにもといった風体のこの男が、空賊の頭のようであった。

 

「船長はどこでえ」

 

 荒っぽい仕草と言葉遣いで、辺りを見渡す。

 

「わたしだが」

 

 震えながら、それでも勢一杯の威厳を保とうと努力しながら、船長が手を上げた。

頭は大股で船長に近づき、顔をピタピタと抜いた曲刀で叩いた。

 

「船の名前と、積荷は何だ?」

「トリステインの『マリー・ガラント』号、積荷は硫黄だ」

 

 空賊たちの間からため息が漏れる。頭の男はにやっと笑うと、船長の帽子を取り上げ、自分が被った。

 

「船ごと全部買った。代金はてめぇらの命だ」

 

 船長が屈辱で震える。それから頭は、甲板に佇む、ルイズとワルドに気がついた。

 

「おや、貴族の客まで乗せてるのか」

 

 ルイズに近づき、顎を手で持ち上げた。

 

「こりゃあ別嬪だ、お前、おれの船で皿洗いをやらねぇか?」

 

 男達は下卑た笑い声をあげた。ルイズはその手をぴしゃりとはねつけた。

燃えるような怒りを込めて、男達を睨みつける。

 

「下がりなさい、下郎」

「驚いた! 下郎ときたもんだ!」

 

 男は大声で笑った。その時である、淡々と空賊を見つめていたエツィオが、何かに気がついたのか不意に首を傾げた。

 

「ん? お前……」

「あン? なんだ若いの」

 

 首を傾げるエツィオに頭が凄みながら近づく。

するとエツィオは小さく鼻で笑うと、腕を組んで言った。

 

「若いだって? おい、お前、俺と同じくらいだろう?」

「なっ……、何言ってやがる!」

「大体何だ? そのつけ髭とカツラは、全然似合ってないぞ、ちゃんと鏡でチェックしたのか? 地毛の金髪が覗いてるぞ」

「てっ、てめぇ! 黙りやがれ!」

「ぐぅっ! くっ……はっ……!」

 

 その言葉に激昂したのだろう、頭は怒りに顔を真っ赤にし、エツィオの鳩尾に拳を叩きこんだ。

エツィオはたまらずに身をかがめ、苦悶に表情を歪めながら跪く、それを頭が突きとばすと、エツィオは派手な音を立てて倒れ込んだ。

 

「エツィオ! ……あんた! な、なにするのよ!」

「よすんだ、ルイズ!」

 

 甲板に倒れるエツィオにルイズが駆け寄ろうとするも、ワルドに制止される。

空賊の頭はペッと唾を吐き捨てると、ルイズとワルドを指さして言った。

 

「てめぇら、こいつらも運びな、身代金がたんまりもらえるだろうぜ」

 

 

 捕らえられたエツィオ達は、船倉に閉じ込められた。

『マリー・ガラント』号の乗組員達は、自分達のものだった船の曳航を手伝わされているらしい。

エツィオは剣と短剣、その他の装備を取り上げられ、ワルドとルイズは杖を取り上げられた。

したがって、鍵をかけられただけで、もう何もできない、杖のないメイジはただの人である。ルイズはあまり関係なかったが……。

 周りには、酒樽やら穀物の詰まった袋やら、火薬樽、砲弾までもが雑然と置かれている。

ワルドは興味深そうにそれらを見て回っている。

そんな中、ルイズは、先ほど空賊に殴られたエツィオを見て、心配そうに呟いた。

 

「ねぇ大丈夫? エツィオ」

「ああ、すまないな、もう平気だよ、そこまでヤワじゃないさ」

「もう……なんであんな無茶したのよ……」

「はは……君に言われたくないな……」

 

 エツィオは苦笑しながら呟くと、苦い表情で腕を組む。

 

「なあ、ルイズ、気高いのはいいが、時と場合を選んでくれよ、

こんなことは言いたくはないが、相手はならず者達だ、辱めを受けた揚句、殺されてしまっても、文句は言えないんだぞ?」

「む……、わ、わかってるわよ……」

「本当にわかってるのか? どうにもアテにならないな……」

 

 エツィオは優しく微笑むと、ルイズの頭にぽんっと手を置いてくしゃくしゃと撫でる。

「や、やめなさいよ!」とルイズが怒ったようにその手を振り払った。

 

「ルイズ、ちょっといいか?」

「な、なに?」

 

 その時である、エツィオは突然、ルイズの右手を取り、まじまじと見つめはじめた。

困惑するルイズをよそに、エツィオは右手の薬指に光る『水のルビー』をじっとみつめ、呟いた。

 

「やっぱりな……同じだ……」

「同じ……って、姫さまの『水のルビー』じゃない、これがどうしたの?」

「ルイズ、この『水のルビー』っていうのは、どこにでもあるようなものなのか?」

「あのね、失礼なこと言わないで、この『水のルビー』はね、トリステイン王家に代々伝わる由緒ある秘宝の一つなのよ」

「なるほど……、ということは、『水』の他にあるのか? たとえば、『風』とか」

「え、えと、たしかアルビオンの王室に『風のルビー』が代々伝わっていると聞くわ」

「……その『風のルビー』というのは……これのことか?」

 

 それを聞いたエツィオは、苦い表情を浮かべると、懐から一つの指輪を取り出し、ルイズに見せた。

エツィオが取り出した指輪を見て、ルイズは目を丸くした。

 

「え? うそ……どうしてあんたが持って……っ!」

「しっ……静かに、外に聞こえる」

「どうしたんだルイズ?」

「子爵殿もこちらへ、相談したいことが」

 

 驚愕のあまり、ルイズが叫ぶ、エツィオはすぐにルイズの唇に人差し指を当て、追及を中断させる。

突然叫んだルイズの様子に気がついたのか、船倉の中を見て回っていたワルドが近づいてきた。

人差し指が唇から離れると、ルイズは小さな声で訊ねた。

 

「……っ! ど、どうしてあんたがそれを持っているの?」

「正しくは、持っていたのは奴らの頭さ、君の顎を持った時、彼の手に光るこれを見つけた」

「ふむ、どうやってそれを掠め取ったのかね?」

「突きとばされた時ですよ、まんまと引っ掛かってくれました」

 

 いたずらっぽく笑うエツィオに、ワルドとルイズは呆れたようにため息をついた。

この男、あの一瞬の隙を突き、頭の指から指輪を掠め取っていたのだ。

 

「なるほど、だからあんな挑発を……しかしよく気付かれなかったな」

「なに、逆上した人間ほど、注意力が散漫になるものです、今頃大騒ぎでしょう」

「しかし、それは本当に『風のルビー』なのか? そう思う根拠はどこにあるのかね?」

「あくまで推測です、私がこれに気がつくことができたのは、その『水のルビー』と同じに視えただけですので」

「なるほど、その眼か。……まるで君の眼は、何物も見逃さぬ"タカの眼"だな」

「"タカの眼"……ですか」

 

 呪文の詠唱に続き、ほんの些細なことすら見逃さぬエツィオに、ワルドが感心したように呟く。

 

「どうかしたのかね? おかしなことでも言ったかな?」

「いえ、そう呼び名を頂くのは初めてのことですので……ですが、気に入りました、これからはそう呼ぶことにしましょう」

 

 エツィオは、小さく笑みを浮かべた。

ワルドは腕を組むと、苦い表情で呟く。

 

「しかし、まだ確証がないとはいえ、奴らがこれを持っていると言うことは……少々雲行きが怪しくなってきたな」

「え……?」

「ともかく、今は様子を見るべきかと。幸いこちらの目的は奴らに知られていません、貴族派に引き渡されると言うことはないでしょう。

どちらにも属していない中立の立場だと言えば、少なくとも奴らは目先の利益……身代金の確保を優先するでしょう」

「だろうな」

「子爵殿は精神力の回復にお努めを、私は子爵殿の回復を待ち、杖を取り戻します」

「杖を取り返すと言うのかね? 君も武器を奪われているだろう?」

「いいえ、子爵殿、武器は奪われておりません」

 

 エツィオはそこまで言うと、左手を掲げ、小指のリングを引いた。

左手の内側から、鈍い光を放つ隠し短剣が、勢いよく飛び出し、固定される。

 

「それはっ……!」

「連中も、これには気がつかなかったようです」

「隠し短剣……そんなものを……」

 

 それを見たワルドとルイズが驚いたように見つめる。

 

「入ってきた人間を脅す位なら可能です、そいつに吐かせようと考えています」

「……なるほど」

「杖を取り返し次第、私が先行し出来る限り連中を消していきます、その後、子爵殿と共に船の制圧にかかる……。無論、ルイズを守りながらということになりますが。

戦闘員は少なく見積もっても三十人程度、さすがにこの船の中、強力な魔法を放つわけにもいかないでしょう、しかしこちらは違う、遠慮なく放てます」

「本当に成功するのかね?」

「……成功する保証はありません、しかし、状況が状況です、頭を押さえれば奴らを制圧することも可能かと」

「ふむ……君の言いたいことはわかった、……しかしな」

「待った、誰かが来る、とにかく、今は様子を見ましょう」

 

 ワルドがそう言おうとした、その時であった、扉の向こう側から誰かが近づいてくるのを感じたエツィオが、小さく手で制し、風のルビーをポケットにしまい込んだ。

ややあって、扉が開き、太った男が、スープの入った皿を持って入ってきた。

 

「飯だ」

 

 エツィオが立ち上がり、受け取ろうとしたその時、男は皿をひょいと持ち上げた。

 

「質問に答えてからだ、お前ら、アルビオンに何の用だ?」

「旅行よ」

 

 ルイズは腰に手を当てて毅然と答えた。

 

「トリステイン貴族が、いまどきのアルビオンに旅行? 一体何を見物するつもりだ?」

「そんなこと、あんた達に言う必要はないわ」

「へ、連れてかれる時は怖くて震えてたくせに、随分強がるじゃねぇか」

 

 ルイズは顔をそむけた、空賊は笑うと、皿と水の入ったコップを寄越した。

エツィオはそれを受け取り、ルイズの元へ持って行った。

 

「ほら」

「あんな連中の寄越したスープなんて飲めないわ」

 

 ルイズは機嫌を悪くしたのかそっぽを向いた

 

「食べないと、体がもたないぞ」

 

 ワルドがそう言うと、ルイズはしぶしぶと言った顔でスープの皿を手に取った。

ワルドとルイズの二人がスープを飲んでいると、エツィオは不意に扉に向かい、数回ノックする。

すると看守の男がむくりと立ち上がった。

 

「なんだ?」

「少し聞きたいことがある、今、アルビオンはどうなっている」

「そんな事聞いてどうするんだ?」

「ただの世間話さ、冷たくしないでくれよ」

「ふん、まだ戦争中さ、王党派の連中は国の端まで追い詰められている、風前の灯ってやつさ、貴族派の勝利は間違いないだろうな」

「まだやってるのか、……それで、お前達はその戦に参加したのか? みたところ貴族派に与しているようだが」

 

 エツィオが訊ねると、看守の男は笑いながら答えた。

 

「おいおい、俺達は空賊だぜ? 貴族派の皆さんのおかげで商売させてもらってるとは言え、

戦に参加するほど酔狂じゃねぇや、いわば対等な関係で協力しあっているだけさ」

「……。なるほどな、商売の調子はどうだ? なかなか儲かっているみたいじゃないか、やはり外国の商船が狙い目か?」

「あぁそうさ、なんてったって、今のアルビオンには戦争物資が大量に運び込まれてるからな、

その商船を狙って物資を頂戴すれば、俺達の懐は潤うって寸法だ。それに、今回みたく、お前らみたいな酔狂な貴族がいれば、身代金も取れるしな」

「そうか、時間を取らせて済まなかったな、暇つぶしにはなったよ」  

「へへ、お前らも運がなかったのさ」

「……かもな、おっとそうだ、もう一つあった」

 

 下卑た笑いを浮かべながら扉から離れようとする看守に、エツィオは思い出したかのように言った。

 

「お前らの頭、様子がおかしくなかったか?」

「あン? お前には関係ないだろうが」

 

 空賊の口調がドスのきいたものに変わる、エツィオは小さく鼻を鳴らすと僅かに笑みを浮かべた。

 

「それもそうだな、それじゃ頭に言伝を伝えてくれ『大事なものでもなくしたか?』ってな」

「お前……なにか知ってんのか?」

「さぁな、頭に聞いてみたらどうだ?」

「ちっ……、おい、ちょっとここを頼む、頭のところへ行ってくる」

 

 看守の男は一つ舌打ちすると、近くにいた空賊に見張りを頼み、足早に通路の奥へと消えていく。

 

「さて、どうでるかな……?」

 

 覗き窓からその様子を見ていたエツィオはドアから離れると、壁に背をついて腕を組み小さく呟いた。

しばらくの間、エツィオが事態の進展を待っていると、スープの入った皿をもったルイズが近づいてきた。

 

「ん? 好き嫌いは良くないな、まだ残ってるぞ」

「ち、違うわよ、あんたの分よ、あんた、まだ食べてないでしょ?」

 

 ルイズはそう言うと、むっとした表情で、エツィオにスープの入った皿を差し出した。

 

「なんだ、俺の分なんて気にしなくてもいいのに」

「そう言うわけにはいかないわよ、その……わたしの使い魔なんだし」

「おいおい、この間まで平気で食事抜きを宣言していた奴のセリフとは思えないな」

 

 エツィオがからかうと、ルイズは顔を真っ赤にして反論する。

 

「ち、違うわよ! 今はその……! こんな状況だし、いざとなったらあんたにも働いてもらわないとならないからでっ……!」

「そうだったな、では、ご主人様の寛大なお心に感謝を」

 

 笑みを浮かべ、ルイズから皿を受け取ろうとしたその時、扉が開いた。

先ほどの看守の男がエツィオを睨みつける。

 

「そこのフードの男、出ろ、頭がお呼びだ」

「……わかった、行こう」

 

 エツィオは、僅かに口元に笑みを浮かべ、壁から離れる。

 

「エツィオ……」

「大丈夫だよ、心配するなって」

 

 ルイズはエツィオのマントの裾を握りしめ、心配そうに見つめた。

エツィオはルイズの手を取ると、安心させるように優しく肩に手を置き微笑んだ。

 

「おい、早くしろ」

「……空気の読めない奴だな、わかったよ、それじゃ、行ってくる」

 

 せっつかれたエツィオはそれだけ言うと、空賊の男の後に続き、船倉から連れ出される。

扉がばたん、と音を立てて閉まり、船倉にはルイズとワルドだけが取り残された。

 

「エツィオ……大丈夫かな……」

 

 エツィオが連れて行かれ、途方にくれたルイズは、壁際まで歩くと、そこにしゃがみこみ、蹲った。

その様子に気がついたワルドが、近づいてきて肩を抱いて慰めてくれた。

 

「大丈夫、きっと無事だ、彼らも下手に手出しをしようとは思わないさ」

「うん……あなたがそう言うなら……きっとそうよね……」

 

 力なくルイズが呟いた。言葉ではそう言っているが、ルイズの胸中は不安で仕方がなかった。

しばらくそうしていると、再びドアが開いた。今度は痩せぎすの空賊だった。

空賊はじろりと二人をみると、楽しそうに言った。

 

「おめえらは、アルビオンの貴族かい?」

 

 ルイズ達は答えない。

 

「おいおい、だんまりじゃわからねぇよ。でもそうだったら失礼したな。俺達は貴族派の皆さんのおかげで、商売させてもらっているんだ。

王党派に味方しようとする、酔狂な連中がいてな。そいつらを捕まえる密命を帯びているのさ」

「じゃあ、この船はやっぱり反乱軍の軍艦なのね?」

「いやいや、俺達は雇われているわけじゃあねぇ、あくまで対等な関係で協力し合っているだけさ、で、お前達はどうなんだ?

貴族派なのか? そうだったらきちんと港まで送ってやるよ」

 

 その言葉にルイズはすっと立ち上がり、真っ向からその空賊を見据えた。

 

「誰が薄汚いアルビオンの貴族派なものですか。バカ言っちゃいけないわ、わたしは王党派への使いよ。

まだ、あんた達が勝ったわけじゃないんだから、アルビオンは王国だし、正当なる政府はアルビオンの王室ね。

わたしはトリステインを代表してそこに向かう貴族なのだから、つまりは大使ね、だから、大使としての扱いをあんたらに要求するわ」

 

 真っすぐに睨みつけるルイズをみて、空賊は笑った。

 

「正直ものだな、確かに美徳だが、お前達ただじゃ済まないぞ」

「あんたたちに嘘ついて頭を下げるくらいなら、死んだ方がマシよ」

 

 ルイズは言い切った。

ワルドはほほ笑むと、ルイズの肩を叩いた。

 

「頭に報告してくる、その間に、ゆっくり考えるんだな」

「考えは変わらないわ」

 

 空賊は去っていく。

 

「いいぞルイズ、さすがは僕の花嫁だ」

 

 ワルドがそう言うと、ルイズは少し複雑な表情をして俯いた。

再び、扉が開く、先ほどの痩せぎすの空賊だった。

 

「頭がお呼びだ」

 

 

 狭い通路を通り、細い階段を上り、二人が連れて行かれた先は、立派な部屋だった。

後甲板の上に設けられたそこが、頭……、この空賊船の船長室であるらしい。

がちゃりと扉を開けると、豪華なディナーテーブルがあり、一番上座に先ほどエツィオの腹を殴りつけた派手な格好の空賊が腰かけていた。

大きな水晶のついた杖を弄っている。どうやらこの格好でメイジのようだ。

頭の周りでは、ガラの悪い空賊達がニヤニヤと笑い、入ってきたルイズ達を見つめた。

 ここまでルイズ達を連れて来た痩せぎすの空賊が、後ろからルイズをつついた。

 

「おい、頭の前だ、挨拶しろ」

 

 しかし、ルイズはきっと頭を睨むばかり、頭はニヤリと笑った。

 

「気の強い女は好きだぜ、子供でもな、さてと、名乗りな」

「大使としての扱いを要求するわ」

 

 ルイズは頭の言葉を無視して、先ほどと同じセリフを繰り返した。

 

「そうじゃなかったら、一言だってあんたらと口をきいてやるもんですか」

 

 しかし、頭はそんなルイズの言葉を無視して、言った。

 

「王党派と言ったな」

「ええ、言ったわ」

「何しに行くんだ? あいつらは明日にでも消えちまうよ」

「あんたらに言うことじゃないわ」

 

 頭は歌う様に、楽しげな声で言った。

 

「貴族派につく気はないかね? あいつらは、今メイジを欲しがっている。たっぷり礼金も弾んでくれるだろうさ」

「死んでもイヤよ」

「そうか、死んでもか……おい」

 

 頭が合図を出すと、部屋の物陰から誰かが崩れ落ちるように倒れ込んだ。

それを見たルイズは一瞬息が止まりそうになった。

もとは白かったであろうローブをボロボロにされ、ぐったりと倒れ動かないその人物は、果たして自身の使い魔であるエツィオであった。

 

「え……エツィオ! エツィオ! いや! いやぁ!」

「よせ! ルイズ!」

 

 髪を振り乱し、エツィオに向かい駆けだそうとしたルイズを後ろに控えていたワルドが止める。

ルイズはなんとかワルドを振りほどこうと半狂乱になりながらもがいた。

 

「離して! ワルド! エツィオが! エツィオが!」

「落ち着くんだ! ルイズ!」

「あんた! エツィオになにしたの! わたしのっ……! わたしの使い魔に!」

「なかなか強情な男でな、貴族派につけと散々言ったんだが、なかなか首を縦に振らなくてな、仕方ないんで痛めつけたら、動かなくなっちまったよ」

 

 頭はニヤニヤと笑うと、倒れ伏したエツィオの頭を杖の石突で小突いた。

やはりというべきか、エツィオの身体はぴくりとも動かない。

 

「やめて! それ以上エツィオに酷い事しないで!」

「ふん、いいとも、もう死んじまってるしな。さて、なんの話だったかな、おおそうだ、貴族派につかないかって話だったな」

 

 頭は楽しそうに笑うと、エツィオから視線を外し、ルイズをじろりとにらんだ。

 

「こいつみたいになりたくはないだろう? ……これが最後だ、貴族派につく気はないかね?」

「イヤよ! 絶対にイヤ! エツィオを殺したあんたたちなんかに、絶対に、絶対につくものですか!

あんたたちにつくくらいなら、ここで舌を噛み切って死んでやるわ!」

 

 ルイズは流れる涙も拭かずに、きっと頭を睨みつけ、力強い声で答えた。

頭は笑った。大声で笑った。

 

「エツィオ! 君の言うとおりだったな。トリステインの貴族は、本当に気ばかり強くてどうしようもないな」

「やれやれ、その中でも、彼女はとびきり気が強いのです。困ったご主人ですよ、殿下」

「なに、どこぞの国の恥知らずどもより、何百倍もマシというものだ」

 

 頭は床に倒れ伏すエツィオに視線を送り、わっはっはと笑いながら立ち上がった。

頭の豹変ぶりに戸惑うルイズの前で、床に倒れていたエツィオがむくりと起き上がった。

ルイズは驚きのあまり口をあんぐりと開けたまま、エツィオを見つめた。

 

「エツィオ! え……? あんたっ……! なんで!」

「やあルイズ、俺がさっき言った事、もう忘れちゃったのか? そんなんじゃ、この先命がいくつあったって足りないぞ」

「え……ど、どういうこと……? あんた、殺されちゃったんじゃ……」

「それはこちらから説明しよう」

 

 突然の出来事に呆然とするルイズとワルドに、空賊の頭はニヤリと笑った。

周りにいた空賊達が、ニヤニヤ笑いをおさめ、一斉に直立した。

 

「いや、失礼した、貴族に名乗らせるなら、まずはこちらから名乗らなくてはな」

 

 頭は縮れた黒髪を剥いだ。なんと、甲板でエツィオが指摘した通り、それはカツラであった。

眼帯を取り外し、これまた作り物だったらしい、つけ髭をびりっとはがした。

現れたのは、凛々しい金髪の若者であった。

 

「私はアルビオン王立空軍大将、本国艦隊総司令長官……本国艦隊といっても、既に本艦『イーグル号』しか存在しない、無力な艦隊だがね。

まあ、そんな肩書より、こちらの方が通りがいいだろう」

 

 若者は佇まいをただし、威風堂々、名乗った。

 

「アルビオン王国皇太子、ウェールズ・テューダーだ」

 

 ルイズはあんぐりと口を開け、いきなり名乗った若き皇太子を見つめた。

ワルドは興味深そうに、皇太子を見つめた。

 

 ウェールズはにっこりと魅力的な笑みを浮かべると、ルイズ達に席を勧めた。

 

「アルビオン王国へようこそ。大使殿。事情は彼から全て聞いているが、こればかりは大使殿の口から、直接伺わねばな」

「ちょ、ちょっと待ってください……え、エツィオ、どういうことなの?」

 

 あまりのことに未だ混乱しているといった様子で、ルイズがエツィオに訊ねる。

すると、ウェールズは笑いながらルイズを見つめた。

 

「いや、空賊を装うのも致し方のない事だったのだ。金のある反乱軍には次々と物資が送り込まれる。

敵の補給を断ち、物資を奪うのは戦の基本だが、堂々と王軍の軍艦旗を掲げたのではあっという間に反乱軍に取り囲まれてしまうからね」

 

 ウェールズはいたずらっぽく笑って言った。

 

「大使殿には、誠に失礼をいたした。しかしながら、彼から花押付きの手紙と『水のルビー』を受け取るまで、王党派の貴族だと夢にも思わなかったのだ、申し訳ない」

 

 手紙と、『水のルビー』、そこまで言われて、ルイズは慌てて胸のポケットを探った。

だがいくら探っても手紙が見つかることは無かった。おまけに指にはめていたはずの『水のルビー』までもが無くなっている。

まさかと思い、エツィオを見つめた。

エツィオが船倉から連れ出される時、エツィオはわたしの手を取り肩に手を……、まさか……、あの時か!

 

「気がつくのが遅いぞ、ルイズ、君は隙だらけだな」

「エツィオ! あんたっ、い、いつの間に!」

 

 そのやりとりを見ていたウェールズはわっはっはと笑い声を上げた。

 

「なるほど、ラ・ヴァリエール嬢もやられたか、まったく、君という男は大したものだな、エツィオ」

「まったくお恥ずかしい限りです」

「いや。ラ・ヴァリエール嬢、君は随分と優秀な使い魔を従えているようだ」

「勿体無きお言葉です、殿下」

 

 ルイズに代わり、エツィオが優雅に頭を下げる。

 

「甲板では参ったよ、まさか真っ先に変装を見破ってくるとはね、しかもその上で王家の証たる『風のルビー』すらも掠め取るとは……。

そして、彼を部屋に呼び出して、話をしてみると、頭も回ることに気がつかされる、

それで、僕もつい地が出てしまってね、あれよあれよと彼に正体を見破られてしまったと言うわけだ」

 

 ウェールズが、感心したように言った。

あまりの展開に、ルイズは口を開けたままぽかんと立ちつくすばかり。

貴族派の空賊かと思っていたら、頭は目的のウェールズ皇太子だわ、

エツィオが殺されてしまったと思っていたら、実は生きていて、その上自分を思いっきり出し抜いているわで、頭の中がぐっちゃぐちゃに混乱していたのであった。

 

「おや? まだお疑いかな? まあ先ほどまでの姿を見れば、無理もあるまい、僕はウェールズだよ、正真正銘の皇太子さ、なんなら証拠をお見せしよう」

 

 そんなルイズを見て、ウェールズは笑った。

 

「エツィオ、『水のルビー』を貸して頂けるかな?」

「こちらにございます」

 

 エツィオが懐から『水のルビー』を取りだし、恭しくウェールズに差しだす。

その様子をぽかんと見つめていたルイズに、ウェールズは自分の薬指にはめた指輪を外しながら言った。

 

「そう言えば、まだ先ほどの非礼を詫びていなかったな。実は、彼とは話をしているうちに意気投合してね、

君が船倉で大使だと名乗りを上げたと報告を受けた時に、彼から君を試すように言われて、一芝居打つ事にしたんだ、いや、どうか許してほしい」

「え……? え、エツィオ! そうだったの!」

「げっ……、で、殿下、それは言わない約束だったでしょう!」

「はっはっは、散々僕らをひっかきまわしてくれた礼さ!」

 

 ウェールズは豪快に笑うと、二つの宝石を近づけた。二つの宝石は共鳴しあい、虹色の光を振りまいた。

 

「さて、察しの通り、この指輪は、アルビオン王家に伝わる『風のルビー』だ。君が持っていたのは、アンリエッタの持っていた『水のルビー』。

水と風は、虹を作る。王家の間にかかる虹さ、この事は、ごく限られた人間しか知らない」

「た、大変、失礼をばいたしました」

「いや、気にすることは無い、全てこちらに非があるからな。では、改めて御用向きを伺おうか、大使殿」

「アンリエッタ姫殿下から、密書を言付かって参りました」

 

 ワルドが、優雅に頭を下げて言った。

 

「ふむ、君は?」

「トリステイン王国魔法衛士隊、グリフォン隊隊長、ワルド子爵」

 

 それからワルドはルイズ達をウェールズに紹介した。

 

「すでにご存じかと思いますが、今一度ご紹介させていただきます。

こちらが、姫殿下より、大使の大任を仰せつかった、ラ・ヴァリエール嬢と、その使い魔の青年にございます、殿下」

「うむ、エツィオから聞いていた通り、きみは立派な貴族のようだな、子爵、

君の様な立派な貴族が私の親衛隊にあと十人ばかりいたら、このような惨めな今日は迎えていなかっただろうに! では、密書を受け取ろうか」

「ルイズ、これを」

 

 エツィオがルイズに先ほど掠め取った手紙を渡す。

ルイズはそれを受け取ると、ウェールズに一礼し、手紙を手渡した。

ウェールズは愛しそうにその手紙を見つめると、花押に接吻をした。それから慎重に封を開き、便箋を取り出し読み始めた。

 真剣な顔で、手紙を読み進めていたが、そのうちに顔を上げた。

 

「姫は結婚するのか? あの愛らしいアンリエッタが。私の可愛い……、従妹は」

 

 ワルドは無言で頭を下げ、肯定の意を示す、再び、ウェールズは手紙に視線を落とす。

最後の一行まで読むと、微笑んだ。

 

「了解した。姫はあの手紙を返してほしいとこの私に告げている。何よりも大事な姫からの手紙だが、姫の望みは私の望みだ。そのようにしよう」

 

 ルイズの顔が輝いた。

 

「しかしながら、今は手元にない、ニューカッスルの城にあるんだ。姫の手紙を、空賊船に連れてくるわけにもいかぬのでね」

 

 ウェールズは笑いながら言った。

 

「多少、面倒だが、ニューカッスルまで足労願いたい」


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