SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

15 / 37
memory-15 「暗夜の礫」

「エツィオがいない?」

 

 その日の夜……。

二階の部屋でくつろいでいたワルドが驚いたように言った。

 

「さっきからずっと探してるんだけど……、何か知らないかと思って……」

 

 困ったように首を傾げるのはルイズである、

夜になってから、エツィオを探していたのだが、部屋を訪ねても誰もいない。

階下で酒を飲んでいたギーシュ達に訊ねても心辺りがないと言う、そのためワルドにも聞きに来ていたのであった。

 

「いや、知らないな、部屋にもいないのか?」

「うん……話があったんだけど……」

「困ったな、何をやってるんだ、こんな時に……」

 

 ワルドは少々憮然とした表情で腕を組む。

 

「……もしかして」

「ん?」

 

 ルイズははっとした表情になると、ワルドを見つめる。

 

「もしかして、あいつ、ワルドに負けたことがショックで逃げ出したんじゃ……」

「ははっ……まさかそんな……」

「部屋に行った時、あいつの荷物もなかったの、あいつ……あれで結構プライド高いところがあるから……、

やっぱりあの時わたしが声をかけていれば……、ねぇ、どうしよう、ワルド」

 

 それを聞いたワルドは苦笑いを浮かべる。やがて優しくほほ笑むと、肩に手を置いて顔を覗き込んだ。

 

「大丈夫、心配いらないよ、一人になりたい時もあるものさ、きっと街を散策しているのだろう。

それに、もし彼が逃げ出したんだとしても、君には僕がついているじゃないか」

「それは……」

 

 ルイズはそこまで言うと、言葉を詰まらせる。

確かに自分にはワルドがいる、でもエツィオがいないことがこんなにも不安になるなんて考えたこともなかった。

ルイズは俯き、しばらく考える、やがて決心したかのように頷いた。

使い魔を放っておくなんてできない、どんなにバカでも、あいつはわたしの使い魔なのだ。

 

「ワルド、やっぱりわたし、エツィオを探してくる! まだ街の中にいるかもしれない!」

「待つんだ! ルイズ! ……むっ!」

 

 部屋の外へと向け駆けだしたルイズを引きとめようとワルドが叫んだその時だった。

部屋に差しこんでいた月明かりが、巨大ななにかによって遮られ、不意に部屋の中が暗くなる。

驚いたようにワルドとルイズが窓の外へと視線を送った。

月明かりをバックに、巨大な影の輪郭が動いた。目を凝らしてよく見ると、その巨大な影は、岩でできたゴーレムだった。

こんな巨大なゴーレムを動かせるのは……。

巨大ゴーレムの肩に、誰かが座っている。その人物は長い髪を、風にたなびかせていた。

 

「フーケ!」

 

 ルイズが怒鳴った。肩に座った人物がうれしそうな声で言った。

 

「感激だわ、覚えていてくれたのね」

「どうしてここに……! 牢屋に入っていたんじゃないの!」

 

 ルイズは杖を握り締めながら言った。

 

「脱獄したのよ、割と簡単に抜け出せたわ」 

 

 フーケはそういうと、小さく笑う。まさか脱獄の手引きをしたのは自分の使い魔だとは、この子は夢にも思わないだろう。

 

「そんなわけで、私は今や貴族派の一味、ってワケ」

 

 フーケは嘯いた。暗くてよく見えないが、フーケの隣に黒マントを着た貴族が立っている。

あの男がフーケの脱獄を手引きしたのだろうか? その貴族は喋るのをフーケに任せ、ずっとだんまりを決め込んでいる。

白い仮面を被っているので顔はわからなかったが、どうやら男であるようだった。

 

「ここまで言えばわかるでしょ? あんたらの邪魔をしに来たって」

「くっ! 引くぞ! ルイズ!」

 

 フーケの目がつり上がる、巨大ゴーレムの拳がうなり、ベランダの手すりを粉々に破壊した、

その瞬間、ワルドがルイズの手を掴み、駆け出した。部屋を抜け、一階へと階段を駆け下りた。

 

 下りた先の一階も修羅場だった。

いきなり玄関から現われた傭兵の一団が、一階の酒場で飲んでいたキュルケ達を襲ったらしい。

ギーシュ、キュルケ、タバサの三人が魔法で応戦しているが、多勢に無勢、どうやらラ・ロシェール中の傭兵達が束になってかかって来ているらしく

手に負えないようであった。

 キュルケ達は、床と一体化したテーブルの足を折り、それを盾にして、傭兵達に応戦していた。

歴戦の傭兵達はメイジとの戦いに慣れているらしく、まず緒戦でキュルケ達の魔法の射程を見極め、その射程外から矢を射かけてきた。

暗闇を背にした傭兵達に、地の利があり、屋内の一行は分が悪い。

魔法を唱えようと立ち上がろうものなら、矢が雨のように飛んでくる。

 

 ワルドとルイズはテーブルを盾にしたキュルケ達の下に、姿勢を低くして駆けより、フーケがいることを伝えた。

しかし、巨大ゴーレムの足が、吹きさらしの向こうに見えていた。伝える必要はなかったようだ。

 

「参ったな」

 

 ワルドの言葉にキュルケが頷く。

 

「まさかフーケまでいるなんてね」

「脱獄か……この襲撃、背後にアルビオン貴族がいるとみて間違いないだろう」

 

 キュルケが杖をいじりながら呟いた。

 

「奴らはこちらの消耗を狙ってるわよ、精神力が切れたら突撃してくるつもりね。そしたらどうすんの?」

「ぼくのゴーレムで防いでやる」

 

 ギーシュが青ざめながら言った。

キュルケは淡々と戦力を分析して言った。

 

「ギーシュ、あんたのゴーレムじゃ、一個小隊が関の山ね、相手は手練の傭兵達よ?」

「やってみなくちゃわからない」

「あのね、ギーシュ、あたしは戦の事なら、あなたよりもちょっとばかし専門家なの」

「ぼくはグラモン元帥の息子だぞ。卑しき傭兵ごときに後れを取ってなるものか」

「ったく、トリステインの貴族は本当に口だけね。だから戦に弱いのよ」

 

 ギーシュは立ち上がって魔法を唱えようとした。ワルドがシャツの裾を引っ張り、それを制した。

 

「いいか、諸君」

 

 ワルドは低い声で言った。ルイズやキュルケ達は、黙ってワルドの次の言葉を待った。

 

「このような任務は、半数が目的地にたどり着けば成功とされる」

 

 こんな時でも本を広げていたタバサは本を閉じてワルドの方を向いた。

自分とギーシュとキュルケを杖で指して「囮」、ワルドとルイズを指して「桟橋へ」と呟いた。

 

「時間は?」ワルドがタバサに尋ねる。

「今すぐ」とタバサは呟いた。

「聞いての通りだ、ルイズ、裏口へ行こう」

「え、え? ええ!」

 

 ルイズは驚いた声を上げた。

 

「今から彼女達には囮になって敵を引きつけてもらう、その隙に僕らは裏口から桟橋に向かう、以上だ」

「で……でも……エツィオが! エツィオがまだ戻ってきてないわ! それに……」

「彼を待っている余裕などない、置いていこう」

「でもっ……!」

「でもじゃない、君には君の成すべき任務があるのを忘れたのか? 僕を困らせないでくれ」

 

 ワルドはルイズを見つめ、ぴしゃりと言った。

ルイズは困ったようにキュルケ達を見た。

キュルケが魅力的な赤髪をかき上げ、つまらなそうに言った。

 

「ま、仕方ないわよ、あたしたちあんたがなにしにアルビオンに行くのかしらないし……」

 

 ギーシュは薔薇の造花を確かめ始めた。

 

「ううむ、ここで死ぬのかな? もし死んだら姫殿下やモンモランシーに会えなくなってしまうな」

 

 ルイズ達に向かってタバサが頷く。

 

「行って、彼は必ず来る」

「エツィオが?」

 

 タバサはこくりと頷く。

 

「行って」

「ほら、さっさと行きなさいな、エツィオなら心配ないわよ、多分裏で何か企んでるのよ、きっと」

「わ、わかったわ……」

 

 迷っていたルイズは、やがて決心したかのようにキュルケ達にぺこりと頭を下げた。

 ルイズとワルドは低い姿勢で、歩き出した。矢がひゅんひゅんと飛んできたが、タバサが杖を振り、風の防護壁を張ってくれた。

 

 酒場から厨房に出て、ルイズ達が通用口に辿りつくと、酒場の方から派手な爆発音が聞こえてきた。

 

「……始まったみたいね」

 

 ルイズが言った。

ワルドはぴたりとドアに身を寄せ、向こうの様子を探った。

 

「誰もいないようだ」

 

 ドアを開け、二人は夜のラ・ロシェールの街へと躍り出た。

 

「桟橋はこっちだ」

 

 ワルドがルイズを導く、月が照らす中、二人の影法師が、遠く、低く伸びた。

 

 

 巨大ゴーレムの肩の上、マチルダはぼんやりと傭兵達の動きを見ていた。

今しがた、突撃を命じた一隊が、宿の中から噴き出してきた炎にまかれて大騒ぎになっている。

どうやら『女神の杵』亭に残った連中が、厨房の油か何かを用いて傭兵達を火だるまにしたらしい。

 

「あらら、情けない連中だね、戦場から真っ先に逃げてきた連中はこれだからダメね」

「あの程度の連中でもかまわぬ、この奇襲は戦力を分散させる事が目的だ」

「あっそ、で? あんたは目的を果たせそうかい?」

 

 仮面の男は答えず、耳を澄ます様に立ち上がると、マチルダに告げた。

 

「……ああ、俺はラ・ヴァリエールの娘を追う」

「わたしはどうすんのよ? ここで傍観してればいいの?」

「好きにしろ、足止めさえできれば、残った連中はどうしようとかまわん。……合流は例の酒場で」

 

 男はひらりとゴーレムの肩から飛び降りると、暗闇に消える。

まさに闇夜に吹く、夜風のように柔らかく、それでいてひやっとする動きであった。

 

「ま、せいぜい背中に気をつけるんだね……って、もう遅いか」

 

 男がいた暗闇を見つめながら、マチルダは小さく呟く。

それから『女神の杵』亭の入口をため息交じりに見つめた。

 

「さて、それじゃ、適当に相手して、さっさととんずらするかね」

 

 

 

「動いたな……よし、やろう」

 

 ゴーレムの肩から仮面の男が飛び降りるのを見て、物陰に潜んでいたエツィオが追跡を開始する。

男に気取られぬよう、月光の下、屋根の上を風と共に走り抜ける。

その高低差を物ともせず男との距離を詰めるエツィオであったが、ふと妙な事に気がついた。

 

「なんだ、あいつ……? ゴーレム……? じゃないな」

「どうした? 相棒」

 

 なにやら呟いたエツィオに背中のデルフリンガーが声をかける。

うまく説明できないのか、エツィオは小さく首を傾げる。

 

「いや……わからない……、でも、あいつ、なんか変なんだ、体の周りをなにかが覆っているように見える……」

「何言ってるんだ? どうみたってゴーレムにゃみえないぜ? 考えすぎだろう」

「だといいけど……」

 

 釈然としないものを感じつつも、エツィオは追跡しながら、仮面の男を注意深く観察した。

背格好はワルド子爵と同じくらい、翻るマントの下から腰に差した黒塗りの杖が見える、情報通りのメイジであるようだ。

しなやかな身のこなしで、風のように素早く街の中を駆け抜ける仮面の男をみて、エツィオは一目で手ごわい相手だと悟った。

少なくとも、生け捕りにさせてもらえるほど、甘い相手ではないことは確かである。

 

「一人か、よほど腕に自信があるのか……参ったな……結構な実力者みたいだぞ」

「情けねぇ、怖気づいたのか?」

 

 相手の実力を察し、小さく呟いたエツィオに、背中のデルフリンガーが茶々を入れる。

エツィオはニヤリと口元に笑みを浮かべると、とある建物の屋根の上で立ち止まった。

下を覗き込むと向かいの建物の間に階段が伸びている。その階段を仮面の男が駆けこみ、上へ上へと登って行く。

その様子を見て、エツィオはおどけたように両手を上に向け、肩を竦めた。

 

「ああ、怖いな、だから彼にはここで……」

 

 エツィオの顔から笑みが消え、左手のアサシンブレードが飛びだし、ルーンが光る。

男を見つめていたエツィオの目が鷹のように鋭く、冷たくなった。

 

「――消えてもらおうか」

 

 遂に訪れた、必殺の機会。

屋根の上、壁から突き出た看板の梁を足場に、男の頭上目がけ、大鷲が獲物を捕らえるかの如く飛びかかる。

不意に頭上に影が差し、仮面の男がエツィオの存在に気がつく事が出来たのは、首元を深く抉られ、地面に叩きつけられる、その瞬間であった。

 

 

「なにっ……!」

 

 驚きのあまり、エツィオは始末した仮面の男を……いや、仮面の男が倒れていた場所をじっと見つめていた。

 

「消えた……」

「おでれーた、ほんとに消えちまいやがった」

 

 何がなんだかわからないと言った様子で、エツィオが呟く。

仮面のメイジの男は、エツィオが倒したその瞬間に、幻のように姿がかき消えてしまったのだ。

 

「幻だったっていうのか? でも確かに手ごたえはあった、なんなんだ一体……」

 

 確かに殺したはず、エツィオはその手に残る感触を確かめるように左手のアサシンブレードを見つめた。

アサシンブレードは血の一滴すらもついておらず、月の光を浴び、一点の曇りなく光を放っていた。

 

「ああ、こりゃ遍在だな」

「遍在?」

 

 デルフリンガーがそう答えると、エツィオは首を傾げる。

 

「あぁ、有体に言えば、実体を持った幻みたいなものさ、風の魔法の一つだな」

「実体をもった幻だって? なるほど……感じた違和感はそれか……くそっ」

 

 デルフリンガーの説明に、エツィオは納得したように頷き、周囲を警戒する。

あれが幻なら、他にいても不思議ではない。すぐにその場を離れ、再び屋根の上へと登り辺りを見回した。

 

「どうだ? 他にいそうか?」

「いや、追手はあいつだけみたいだ。……全く、つくづく魔法ってものは恐ろしいな、ローマが弾圧に動くはずだよ」

 

 気配と視線がない事を確認したエツィオは、大きくため息をつくと、呆れたように呟く。

そして、港のある巨大な樹を見上げる。あの男が追っていたと言うことは……手紙を持ったルイズが追い立てられていた可能性が非常に高い。

 

「明日まで船は出ないって言ってたな……港は行き止まりだ。挟み撃ちも考えられる、桟橋に急ごう」

 

 小さく呟き、エツィオはすぐさま桟橋のある樹の根元に駆け寄り、そこに大きく空いた桟橋へと続くホールを覗いて、上を見上げた。

どうやら間にあったらしい、アルビオン、スカボロー行きの船のある枝に続く階段を登り始める、ルイズとワルドの姿が見えた。どうやらまだ敵には襲われていないようだ。

エツィオは少し安心したように、ほっと溜息を吐くと、何を考えたのかそのままホールには入らず、樹の外側へと歩き出す。

 

「ちょっと高いが……ま、なんとかなるかな」

 

 はるか上空に伸びる大樹の幹を見上げ、小さく呟くと、スカボロー行きの桟橋に向け、大樹の幹をよじ登り始める、

腰のナイフを引き抜き、ルーンの力を引き出しながら、熟練の軽業師のように軽やかに、そして素早く大樹を登って行く。

 

「なぁ相棒」

「ん?」

 

 そんな風にして、大樹の幹をよじ登っていると、背中のデルフリンガーが訊ねてきた。

 

「なんで幹なんざのぼってるんだね? 階段使えばいいじゃねぇか、さっき合流できただろ?」

「わかってないな、先回りしてルイズをお迎えするために決まってるだろ? そうしないと格好がつかないじゃないか」

「なんだよ、カッコつけるのにここまでするのか? 呆れたぜ……」

 

 エツィオが当然のように答えると、デルフリンガーは心底呆れたように呟く。

するとエツィオは小さく笑みを浮かべると、急に真面目な顔になった。

 

「なに、半分は冗談さ、目的は先行だ、あの階段にルイズの足、どんなに急いでたって、登り切るには時間がかかる。

追手は消したが、桟橋に先回りしている奴もいるかもしれない、だから俺が先回りして偵察、偏在がいればそいつを消す、そんなところさ」

「……へぇ、一応考えてるってワケか」

「相手の出方を待つ必要はない、先を読み、相手の裏をかけ……昔、父上がそう教えてくれたんだ」

 

 今は亡き父を思い出し、少し誇らしげに、そして少し悲しそうに、エツィオが呟いた。

 ヴェネツィア、サン・マルコのカンパニーレよりも遥かに高い大樹を、あっという間に登りつめたエツィオは、

すぐに目的地である、スカボロー港行きの枝へと視線を落とす。周囲を見渡すと、枝に沿って、一艘の船が停泊していた。

その船には、明日の出発に備えてだろう、甲板で船員達が寝込んでおり、桟橋は静寂に包まれている。

 

「船員以外は誰もいない……遍在とやらの姿もないな」

「……すげぇな相棒、なんでわかるんだ?」

 

 エツィオは小さく呟くと、周囲を警戒しながら、桟橋となっている枝の上へと降り立つ。

すぐに階段へと駆け寄り、中を覗き込んだ、上からホールを見下ろす。

遥か下の階段を、上へ上へと登る二つの人影が見えた、どうやらあれがルイズとワルドのようだ。

そしてその上の階段を下へと歩く、もう一つの影……。

 

「おっとっ!」

「どうしたよ、相棒」

「遍在だ、やはり挟み撃ちが狙いか」

 

 その姿を確認したエツィオは手すりの影に身を顰め、様子を伺う。

先ほど消した白仮面の偏在が、ルイズとワルドに向け、ゆっくりと歩を進めている。

幸いホールの中は足場を照らす程度の僅かな灯りのみであり、薄暗く視界が悪い。

まだ男とルイズ達との間には距離がある、消すなら今だ。

 

 エツィオは手すりの上に足をかけると、懐から一枚フローリン金貨を取り出し、仮面の男の背後に向け放り投げる。

チリンッと音を立てながら金貨が跳ねた、その音を聞いた仮面の男は、すぐさま杖を引き抜き、背後を振りかえった。

呪文の詠唱しつつ音が聞こえた方向に向け杖を構え、臨戦態勢に入る。

先ほどの襲撃が頭に刷り込まれているのであろう、男は闇の中、音が聞こえた方向に全神経を集中し、見えぬ襲撃者の影を警戒していた。

その時であった、今度は背後から、ぎしり……と、階段がきしむ音と共に、不意に冷たい風が吹く。

迫りくる気配に気がついた男が呪文を放とうと、即座に振り返る。

その瞬間、急に勢いよく首元を叩かれた。何が起こった? よろけながら目の前の襲撃者に杖を振ろうと試みた。だが腕が動かない。

それどころか、全身から力が抜け、声すら出ないことに気がついた。

目の前には、ここにはいるはずのないヴァリエールの使い魔の男が左手をこちらに向かって真っすぐ伸ばし、フードの下の口元に薄く笑みを浮かべている。

なぜ奴がここにいる? 一体何をされた? 思考を巡らせるも、今度は急速に意識が遠のき、目の前が真っ暗になった。

まさか、奴に殺されたのか? 二度も? そう理解した瞬間、偏在の身体はまるで糸が切れた操り人形のように崩れ落ち、消滅した。

 

「おでれーた、喉を一突き、見事なもんだ」

「よせよ、褒められたことじゃないさ」

 

 暗殺の一部始終を見ていたデルフリンガーが感心したように呟いた。

エツィオは表情一つ変えずに言うと、アサシンブレードを納め、小さく息を吐いた。

 

「しかし、早く元を絶たないとならないな……だけど、顔が検められないんじゃな……」

 

 呟きながら身をかがめ、先ほど放り投げた金貨を拾い上げようとしたその時、不意に背後から強い殺気を感じたエツィオは、跳ねるように振り向く。

立ち上がる際にブーツの鞘から短剣を引き出し構える、だが、杖を構える人物を見て、エツィオはすぐに構えを解いた。

 

「ルイズ! 下がれ!」

「子爵殿! 私です! ……どうか杖をお納めに」

 

 ルイズをかばう様に立ち、エツィオに杖を突きつけていたのは、他ならぬワルド子爵その人であった。

エツィオはすぐに両手を広げ、敵ではないことを示す、それを見たワルドもやや驚いたように杖を納めた。

 

「君は……なぜそこに?」

「エツィオ!」

 

 ワルドが首を傾げると、彼の影に隠れていたルイズが飛び出してきた。

 

「やぁ、ルイズ、遅かったじゃないか、心配したんだぞ」

「エツィオ! あんた今までどこにっ……! っていうかなんでここにいるのよ!」

「君こそ、子爵殿と二人で抜け駆けか? 俺を置いていこうったってそうはいかないな」

「ふ、ふざけないで! 真面目に答えなさいよ! こっちは心配してたのよ!」

 

 からかうように様に答えるエツィオに、ルイズは足を踏みならして怒りをあらわにする。

そんなルイズの前にワルドが進み出ると、まるでエツィオから遠ざけるように自分の背後へと押しやり、首を傾げた。

 

「使い魔君、君は港にいたと言っていたが……敵はいなかったかね?」

「敵ですか? さて、一体何のことやら?」

 

 エツィオは何の事だかさっぱりだと言わんばかりに肩を竦め、しれっと答える。

それを聞いたワルドは顔をしかめ、険しい表情でエツィオを睨みつけた。

そのワルドの無言の圧力に対し、エツィオは小さく首を傾げる。

無論、彼らが襲撃を受けたことは知っている、その場に居合わせず、単独行動をとっていたことを責められているのだろうか?

いや、それにしては、何かが違う、鋭い視線に混じる僅かな違和感、それは叱責ではなく、敵意に近い。

咎められるのは当然とはいえ、なぜ敵意まで向けられなければならないのか? 

エツィオは疑問に感じつつもワルドにあえて訊ねてみた。

 

「何かあったので?」

「先ほど、敵の襲撃を受けてね、予定変更だ、僕たちはこのままアルビオンへ向かう」

「なるほど、その場に居合わせることができず、ご心配をおかけして申し訳ない……しかし明日まで船は出ないのでは?」

「それについては後で説明する、話は以上だ、急ぎ桟橋へ向かうぞ。……行こう、ルイズ、僕から離れるな」

 

 ワルドはそう言うと、再び階段を駆け上り始めた。

ルイズはエツィオに何か言おうとしていたが、階段を登り始めたワルドを見て、すぐにその後を追い、エツィオもそれに続いた。

その時である。自分の前を進んでいるワルドに、不意にエツィオが声をかけた。

 

「子爵殿」

「むっ、何かな?」

 

 声をかけられ、ワルドが小さく振り返る。エツィオは怪訝な顔で首を傾げる。

 

「何故呪文を放ったのですか? 敵はいないようですが」

「っ……! なぜ呪文を放ったと?」

「呪文?」

 

 エツィオのその言葉にワルドは思わず立ち止り驚いたように振り向いた。

ルイズも驚いたように立ち止まる、どうやら彼女はワルドが詠唱し呪文を放っていたことに気がついていなかったらしい。

 

「えぇ、うまく説明はできないのですが、見えるのです。詠唱している時、それを放とうとしている時が、その……何となくですが」

「驚いたな……だからあの時、エア・ハンマーを……」

 

 エツィオが説明すると、昼間の決闘の際、エア・ハンマーを逸らされそうになった理由が分かったのか、ワルドは得心したように唸った。

 

「……念のため、上に小さな風を送ったんだ、索敵の様なものさ」

「なるほど、引きとめてしまったようで申し訳ない」

「もういいかな? では急ごう、桟橋まですぐだ」

 

 エツィオが頭を下げると、小さく笑みを浮かべたワルドは再び階段を登り始める。

そして、誰にも見えぬところで、険しい表情でギリと唇を噛むと、小さく杖を振り、呪文をかき消した。

 

 

 桟橋に辿りついた一行は、すぐさま停泊していた一隻の船に乗り込んだ。

ワルド達が船上に現れると、甲板で寝込んでいた船員が起き上がった。

 

「な、なんでぇ? おめえら!」

「船長はいるか?」

「寝てるぜ。用があるなら、明日の朝、改めて来るんだな」

 

 男はラム酒の壜をラッパ飲みにしながら、酔いで濁った眼で答えた。

ワルドは答えずに杖をすらりと引き抜いた。

 

「貴族に二度同じことを言わせる気か? 僕は船長を呼べと言ったんだ」

「き、貴族!」

 

 船員は驚いて立ち上がり、船長室へすっ飛んでいった。

しばらくすると、寝ぼけ眼の初老の男を連れて戻ってきた、帽子を被ったその男こそがこの船の船長のようだった。

 

「何の御用ですかな?」

 

 船長は胡散臭げにワルド達を見た。

 

「女王陛下の魔法衛士隊隊長、ワルド子爵だ」

 

 船長の目が丸くなる。相手が身分の高い貴族と知り、急に言葉遣いが丁寧になる。

 

「こ、これはこれは、して、当船にどのような御用向きで……」

「アルビオンに今すぐ出向してもらいたい」

「無茶を!」

「勅命だ、王室に逆らうのか?」

「あなた方がアルビオンに何をしに行くのかは存じませんが、朝にならないと出航できませんよ!」

「なぜだ」

「アルビオンがここ、ラ・ロシェールに近づくのは朝です! その前に出航しては風石が足りませんや!

当船はアルビオンへの最短距離分しかありません、それ以上積んだら足が出ちまいます。

従って、今は出航できんのです、途中で地面に落ちちまいます」

「風石が足りぬ分は、僕が補う。僕は『風』のスクウェアだ」

 

 船長と船員は顔を見合わせる、それから船長がワルドの方を向いた。

 

「ならば結構で。料金ははずんでもらいますよ」

「積荷はなんだ?」

「硫黄で。アルビオンでは今や黄金と同等の値段がつきますので、

新しい秩序を建設なさっている貴族のかたがたは、高値をつけてくださいますから。

秩序の建設には火薬と火の秘薬は必需品ですのでね」

「その運賃と同額を出す」

 

 船長はこずるそうな笑みを浮かべて頷いた、商談が成立したので、船長は矢継ぎ早に命令をくだした。

 

「出港だ! もやいを放て! 帆を打て!」

 

 ぶつぶつと文句を言いながらも船員達は訓練された動きで命令に従い、手際よく出向の準備をする。

枝から船をつり下げるロープをはずした瞬間、船は一瞬空中に沈んだが、発動した『風石』の力で宙に浮かんだ。

帆と羽が風を受け、ぶわっと張りつめ、船が動き出す。

 

「おわっ!?」

 

 初めての感覚に、エツィオが思わず声を上げる。

舷側に駆け寄り、地面を見た。『桟橋』……、大樹の枝の間から見える、ラ・ロシェールの灯りが、ぐんぐん遠くなっていく。

結構なスピードのようだ。

 

「すごいな! 船が宙に浮いた! 飛んでるぞ!」

「え、エツィオ、恥ずかしいわ、そんなにはしゃがないでよ」

 

 子供のように目を輝かせてはしゃぐエツィオをルイズが近寄り窘める。

だがエツィオはお構いなしにルイズの肩を持って引き寄せると、楽しそうに地面を指さした。

 

「ルイズ! 見ろよ! 地面があんなに小さく! ははっ!」

「ちょ、ちょっと! 離しなさいよ! もうっ! 変な所で子供っぽいんだからっ……!」

 

 エツィオの腕の中でルイズが恥ずかしそうにじたばたと暴れる。

そんな彼女に気がついたのか、エツィオは意地悪な笑みを浮かべ、ぱっと手を離した。

 

「おっと済まない、君は新婚だったな」

「ま、まだ違うわよ!」

 

 ルイズが顔を真っ赤にして反論する、エツィオは小さく笑うと、舷側に腰かけ、頭上に輝く巨大な月を見上げる。

瞬く星の海の中、赤い月が白い月の後ろに隠れ、一つだけになった月が青白く輝いている。

その月を見上げ、エツィオは呟いた。

 

「……月が、綺麗だな」

「……そうね」

「こうして見ると、フィレンツェを思い出すよ……」

 

 故郷を思い出しているのか、どことなく哀愁を感じさせるエツィオの表情に、ルイズは思わず惹きこまれる。

そんな自分に気がついたのか、ルイズはブンブンと頭を振り、呟く。

 

「わ、悪いとは……思ってるわ」

「おいおい、本当か? だったらもっと扱いを良くしてくれよ、例えばそうだな……君のベッドで寝かせてくれたりとかさ」

「ばっ! バカ言ってんじゃないわよ! こ、このエロ犬!」

「ははっ! 冗談さ。第一、もうそれは無理だろう? 君は結婚するのだから」

「っ……!」

 

 エツィオに言われ、ルイズは息をのむ。

何故だろう、エツィオのその言葉が、胸に突き刺さった。

 

「うーむ、しかしどうしようか、君が結婚したら……俺はお役御免かな?」

「バカ言わないで、……その時は、ちゃんと面倒見るわよ」

「おい、面倒見るだけじゃダメだぞ? ちゃんと俺をイタリアに戻してくれないと」

「わ、わかってるわよ! この任務が終わったら、ちゃんと探してあげるわよ」

 

 明るく笑うエツィオを見て、ルイズは俯いた。

この馬鹿は、どうしてこんな顔をするのだろうか、どうしてこんなに明るく振舞ってくるのか?

まるで婚約そのものを祝福するかのようなエツィオの笑顔を見て、ルイズの胸はなぜかキリキリと痛んだ。

ルイズは目を瞑ると、気を取り直すように言った。

 

「と、とにかく、ハルケギニアにいる間は、あんたはわたしの使い魔なんだから、

わたしが結婚しようがなにしようが、わたしを守ってもらうわよ。あと洗濯、その他雑用」

「はいはい……君はよほど俺を逃がしたくないみたいだな。この分だと無事にフィレンツェに帰れるか不安になってくるよ」

 

 ルイズは頬を赤く染め、口元をへの字に曲げ再び俯いた。

ルイズはしばらく黙っていたが、やがて決心したように、口を開いた。

 

「ねぇ、その……あんたがフィレンツェでやらなきゃならないことって、そんなに大事な事なの?」

「なんだよ、そんな事聞くなんて、そんなに俺を引きとめたいのか?」

「真面目に答えなさい」

「参ったな、きみ、もしかして俺に惚れたのか? だったらもうちょっと素直に――」

「からかわないで! 真面目に答えてよ! あんたは一体何者なの! フィレンツェでなにをしなくちゃいけないの?」

「おぉ怖い……悪かったよ」

 

 ルイズの剣幕にエツィオはおどけるように肩を竦める。

やがて、エツィオの表情から笑みが消え、俯いた、フードの中に深い闇が差し込んだ。

 

「……復讐だよ」

「復讐?」

 

 ややあって、エツィオが絞り出す様に呟いた。

 

「いや……これはもはや宿命だ、それが生き残った俺に課せられた義務だからだ。俺は、必ず暴かなきゃならない、"奴ら"が何を企んでいるのかを」

 

 エツィオは俯いたまま、そこで言葉を切った。拳を握りしめ、まるで呻くように呟く。

 

「何のために……一体何のために、父上達は処刑されなければならなかったんだ……。

俺は奴らを許さない……一人残らず地獄に送ってやる……」

「エツィオ……?」

 

 エツィオの口から出てきた処刑という二文字。静かな、だが底知れぬ殺意と怒り、

ルイズが凍りつく、本当に触れてよかったのか? そんな不安がルイズの胸の中に広がった。

 

「……俺が何者なのかは……すまない、それはまだ言えない」

「なんで……ダメなの?」

 

 悲しそうに呟いたエツィオにルイズは恐る恐る尋ねた。

すると、エツィオはニヤリと笑い、ウィンクして言った。

 

「……なんてな! こう言っておいた方がカッコいいだろ? ミステリアスでさ」

「も、もうっ! あんた本当いい加減に! もしかして今の全部嘘なのっ!」

「さあ、どうだろうな? 別に信じなくたっていいさ、俺は君の忠実な使い魔だ、それでいいだろう?」 

「あんたね! 人の事バカにするのもいい加減にしなさいよ!」

 

 エツィオが優しくほほ笑むと、今までつっかかっていたルイズも自然と笑みがこぼれる。

そんな二人の元へ、ワルドが寄ってきた。

 

「船長の話では、ニューカッスル付近に構えた王軍は、攻囲されて苦戦中だそうだ」

 

 ルイズがはっとした表情になった

 

「ウェールズ皇太子は?」

「わからん。生きてはいるようだが」

「どうせ、港町は全て反乱軍に押さえられているんでしょう?」

「そうだね」

「どうやって、王党派と連絡を取ればいいのかしら?」

「陣中突破しかあるまいな。スカボローから、ニューカッスルまでは馬で一日だ」

「反乱軍の間をすり抜けて?」

「それしかないだろうな、まあ、反乱軍も公然とトリステインの貴族に手出しはできんだろう。

隙を見て包囲線を突破し、ニューカッスルの陣へ向かう、ただ、夜の闇には気をつけなければならないが……」

 

 ルイズは緊張した面持ちで頷き、そして訊ねる。

 

「そういえば、ワルド、あなたのグリフォンはどうしたの?」

 

 ワルドは微笑んで口笛を吹く。下からグリフォンの羽音が聞こえてきた。そのまま甲板に着陸し船員達を驚かせた。

 

「子爵殿、あのグリフォンでアルビオンへの先行は出来ないのですか?」エツィオが訊ねる。

「竜じゃないんだから、そんなに長い距離は飛べないわ」ルイズが答えた。

 

「さて、スカボローへの到着は明日の昼すぎだ、今のうちに休んでおくといい、僕はもう少し船長に話を聞いてくる」

「わかりました、では先に休ませていただきます」

 

 エツィオは船室に向かうワルドに一礼すると、舷側に座り込み目を閉じる。

ワルドは船室に向かうふりをしながら、ちらと後ろ目にエツィオを見た。

 

――この男は一体、何者だ?

ワルドは内心、エツィオの実力を測りかねていた。手合わせをして、勝利した時は、ルイズの言うとおり力任せの技で戦う、ただの平民出の傭兵だという印象だった。

確かに、あのスピードに、常人離れした腕力は脅威だ、呪文の詠唱を見破るという特殊能力も想定外ではあったが、

所詮は魔法を使えない平民、スクウェアクラスメイジである自分に敵うはずもない。

第一、手合わせでは殺傷力が高い呪文すら封印して勝利したのだ。呪文の詠唱を見破れるとは言え、それで何ができると言うのであろう。

だが、この男こそ、最も警戒すべき相手であると、本能がそう告げている。

手合わせの際、不意を打たれ彼に打突をもらっていたが、もし彼が、その手に短剣を握っていたら? あの剣で胴をそのまま薙いでいたら?

もしこの男の前で隙を見せようものなら、即座につけ込まれ、首を掻き切られる……。現に、自分は二度も彼に『殺されて』いるのだ。

そこまで考えたワルドは、思わず首に手を添える。同時に嫌な汗が噴き出た。不意を狙い、襲い来る、『アサシン』……そんな言葉が、脳裏に浮かんだ。

ワルドの胸中には、エツィオに対する慢心など、一片たりとも残されてはいなかった。


▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。