SERVANT'S CREED 0 -Lost sequence-   作:ペンローズ

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memory-12 「古き友、来る」

 エツィオのチェルノボーグ侵入から数日後……。

学院内はなにやら、慌ただしい雰囲気に包まれていた。

話を聞くと、トリステイン王国王女であるアンリエッタ姫殿下が、トリステイン魔法学院に行幸されることが急遽決定したようだ。

そのためこの日の授業は全て中止になり、生徒や教師達は、歓迎式典の準備を大急ぎで進めていた。

 

 そんななか、エツィオはコルベールに呼ばれ、彼の研究室へと赴いていた。

ドアをノックすると、ややあって、中から「どうぞ」と声が返ってくる、エツィオはドアノブを捻り、中へと入っていった。

 

「失礼します、シニョー……レ……?」

「おお、エツィオ殿、お待ちしておりましたぞ」

 

 エツィオは中に入って絶句した、コルベールの部屋の中は、見慣れぬガラクタ……彼が言うには発明品、らしい……

によって、埋め尽くされており足の踏み場もない、テーブルの上には書類や本、実験器具などが多く散乱していた。

 

「あぁ、申し訳ない、散らかってまして」

「いえ、友人の部屋によく似ているもので、少し驚いただけです、

それで、コルベール殿、お話とは? 書物についてですか?」

「えぇ、それもそうなのですが、貴方にいくつかお聞きしたいことがあってお呼びしたのです、エツィオ殿」

「そんなに畏まらなくても結構ですよ、シニョーレ、エツィオで構いません、私にお答えできることならよいのですが」

「そうか、では、エツィオ君、まずはこれの報告からだな」

 

 コルベールはそう言うと、羊皮紙を数枚取り出し、エツィオに手渡した。

 

「これは?」

「翻訳した『写本』だよ、失礼だが、この世界の文字は読めるかね?」

「あぁ、それが……お恥ずかしい話なのですが、コルベール殿、生憎、私はまだこの世界の文字を習得していないのです。

暇を見てはルイズに文字の教えを乞うてはいるのですが……未だ単語を読み取るのが精いっぱいで」

「おお、そうだったのか、では私が代わりに読もう。このページには、アルタイルがこの世界に初めて来た日の事が書いてあった、貸してみたまえ」

 

 コルベールはそう言うことならと、エツィオから羊皮紙を受け取り、写本の中身を朗読し始めた。

掻い摘むと、『写本』の中身は、なるほど、アルタイルの日記と言ってもよい内容であった。

その断片にはアルタイルがこの世界に迷い込んだ時の事が書かれており、そこでオスマンと思わしき青年と出会っていたことが記されていた。

 

 読み終えたコルベールは息を吐くと、椅子にもたれかかった。

 

「と、言う内容だ、……ここでいう青年とは、オールド・オスマンのことで間違いないだろうね」

「なるほど、オスマン殿の話と矛盾もないようだ」

「とりあえず、暗号の手掛かりは掴めた、これから解読が進んでいく筈だよ、……暗号が複雑化しない限りはね」

「ありがとうございます、コルベール殿」

 

 エツィオが頭を下げ、礼を言う、するとコルベールは慌てたように両手を振った。

 

「いやいや、礼を言うのはこちらだよ! この書物には驚かせられてばかりだ!」

「と、言いますと?」

「これも翻訳した写本の断片なのだがね、見たまえ!」

 

 コルベールは急に興奮した口調になって、エツィオに羊皮紙をつきつけた。

 

「これは、新しい冶金法! これはあらゆる薬学について! そしてこれは天体について書かれているんだ!

すばらしいぞ! どれもこれも今まで発見すらされていなかった新たな知識だ、エツィオ君!」

「お、落ち着いてくださいシニョーレ!」

 

 唾を飛ばしながら説明するコルベールを必死で宥める、正直顔が近い。

女の子なら兎も角、中年男の顔はご遠慮願いたかった。

 

「も、申し訳ない、つい興奮して……、しかしだね、これはどれも世紀の大発見と呼べるものばかりだ、

三百年前に書かれた書物とは到底思えない……。エツィオ君、アルタイルとは一体何者なのだ? それにエデンの果実とは?」

「……実は、私もよくは知らないのです、『伝説のアサシン』と呼ばれるような偉大なるアサシンであったこと以外は何も……。

エデンの果実も、実際はよくわかっていません、私も元いた世界でそれを追っているのですが、情報があまりに少ないのが現状です……」

 

 エツィオが困ったように言った、アルタイルという人物は謎が多く、彼が活躍した第三回十字軍遠征から二百年以上の時がたった今、

彼に関する情報はほとんど残っていないに等しかった。

コルベールは「そうか……」と小さく呟くと、再び羊皮紙に視線を向け、一人の世界に入り込んでしまった。

 

「アルタイル……一体どれほどの知識を……、エデンの果実……エデン……楽園……? 果実とは一体なんだ……?」

「あの……シニョーレ?」

 

 エツィオに声をかけられ、コルベールははっと、現実に戻り、「あ、あぁ! これは失礼!」と頭をかいた。

 

「いえ、お気になさらず、私の友人に、貴方とそっくりな奴がいるので」

「はは、君のその友人に、是非一度会ってみたいものだな」

 

 コルベールは真顔になった。

 

「とまぁ、この『真理の書』はどうやら、ただの手記というわけではなさそうだ。

名前の通り、あらゆる知識が記されている可能性が極めて高い。学術書、と言ってもいいな」

「そのようで」

「読み解く者に『真実』を与える書……一体何が書かれているのか、いやはや、興味は尽きないよ」

 

 解読を楽しむのもいいが、こちらは急いでいることを忘れないでいてくれよ……と、

嬉しそうに話すコルベールを見て、エツィオは苦笑した。

その時、コルベールは何かを思い出したのか、もう一枚、羊皮紙をエツィオに見せた。

 

「おおそうだ、もう一つあった、エツィオ君、これに見覚えはあるかね? どうやら設計図の様なのだが、この図が君の籠手によく似ていてね」

 

 それを受け取り、中身を確認する、なるほど、その羊皮紙には、アサシンの紋章と見覚えのある籠手と短剣が記されていた。

コルベールの言う様に設計図の類のようである。

エツィオは首を傾げながら

 

「これは……籠手と短剣だ、でも、少し違うな……なんだろう……」

「短剣?」

「あぁ、これです……どうぞ」

 

 エツィオは左手の籠手を外すと、コルベールに差しだす、それを見たコルベールは目を丸くして驚いた。

 

「こっ、これはっ! ちょ、ちょっといいかな!」

 

 エツィオから籠手をひったくる様に受け取ると、コルベールは再び興奮した様子でそれを調べ始めた。

また始まった……と、エツィオが半ば呆れたようにそれを見守る。

エツィオの持っていた羊皮紙をこれまたひったくるように奪い、何度も確認する。

 

「これは……素晴らしい! 古びてはいるが、構造は極めて先進的だ! エツィオ君! これをどこで手に入れたんだね!」

「あ、いや、父上の形見です、なんでも先祖伝来の品だと……、しかしその時は壊れていたので、友人に修理してもらったんです」

「ふむふむ、なるほど……先祖伝来か……この『真理の書』にも書かれているということは……この原型は三百年前には既に存在していた……!

この素材は何だ……? 鉄のようで、鉄ではない……未知の合金? そうか! この冶金術で精錬された鋼か! なんと素晴らしい! これは未知の技術の固まりだ!」

 

 完全に一人の世界にもぐりこんでいくコルベールを見て、エツィオは肩を竦める。

まるでレオナルドだ、おそらく彼も知的好奇心が旺盛なのであろう。

子供の様にはしゃぐコルベールを見て、友人の姿と重ね合わせる。

これは長くなりそうだ……、そう呟きながら、エツィオは窓辺へと歩き、何気なく外を覗いた。

 

 正門付近で何やら生徒達が綺麗に整列しているのが見える。何かと思い、そちらの方をみると、

金の冠を御者台の隣につけた四頭立ての豪奢な馬車が魔法学院の正門をくぐってくるのが見えた。

正門の先にある、本塔の玄関先に、学院長であるオスマン氏らしき人物が立っていた。

どうやら姫殿下が到着したのであろう。

現在正門ではその出迎えの為の式典が執り行われているようであった。

 

「シニョーレ、あれは? もしかして、姫殿下が御着きになられたのでは?」

「……ん? あぁ、生徒達には伝えたから、今頃しっかりとお出迎えしているところだろうね……」

 

 エツィオが尚も籠手の構造を調べているコルベールに尋ねる、すると彼はそっけなく答えた。

 

「貴方はいいんですか? 貴方もここの教師でしょう、オスマン殿も出席しているようですが?」

「それどころじゃないだろうエツィオ君! こんなにも素晴らしい知識が目の前にあると言うのに、そんなことにはかまってはいられないんだよ!」

「そんなこと、ね……聞かなかったことにしましょう」

 

 貴族として明らかに問題発言を飛ばしたコルベールを見て、エツィオは苦笑しながら肩を竦めもう一度窓の外へ視線を送る。

馬車が止まり、召使たちが駆け寄り、馬車の扉まで深紅の絨毯を敷き詰めた。

馬車からお付きの者と思われる男が先に現れ、続いて降りてくる王女の手を取った。

 

「……あれがお姫様か」

 

 エツィオはどこか遠い目でそれを見つめる、是非とも御顔を拝見してみたいものだが、ここからでは遠すぎる。

かといって、近くまで目通り出来る身分でもないため、近くで見ることはできないだろう。

目も覚めるような美少女と聞いていただけに、お目にかかる機会を失ってしまったことが悔やまれる。

エツィオは切なげにため息をつくと、がっくりと肩を落とした。

 

 

「はぁ……やっと解放された……」

 

 結局、エツィオがコルベールの部屋から釈放されたのは、日もとっくに落ちた夜になってからだった。

 

「壊れてないだろうな……」

 

 ため息交じりに左手のアサシンブレードを見つめる。

今まで散々コルベールにいじくりまわされていたのだ、壊されたりしたら堪ったものではない。

念のため動作を確認すると、短剣が勢いよく籠手から飛び出し、きちんと固定された。幸いにも壊れてはいないようだ。

 

 ルイズの部屋がある寮塔へと歩いていると、その途中、エツィオはおかしな人影を見つけた。

本塔から出てきた真っ黒な頭巾を被った人物が、きょろきょろとあたりを見回しながら走っていく。

顔を隠しているため、誰かはわからないが、背格好から見て、女性、それも自分と同じか少し下の少女であると一目で判断する。

だとすればすべきことは一つである、エツィオは軽い足取りで少女に近づくと、明るい調子で話しかけた。

 

「こんばんは、シニョリーナ」

「あっ……」

 

 突然声をかけられた少女は、驚いたようにエツィオを見つめた、

エツィオは優しくほほ笑みかけると、頭巾の中を覗き込む。

これは……と、エツィオは思わず呟いた、目も覚めるような美少女である。

 

「ん……? 見かけない顔だな? 俺はエツィオ、君は?」

「あ、えと……わたくしは……その……」

 

 頭巾を被った少女はどこか困ったようにエツィオから目を逸らした。

そしてどこか落ち着きなく辺りをうかがっている。まるで人目を避けようとしている様子である。

その様子をみたエツィオは、肩を竦めてニヤリと笑った。

 

「ははぁ……君、もしかして泥棒さんかな? 参ったな、この間も賊に入られたばっかりだぞ、この学院は」

「なっ……! ち、違います! わたくしは賊などではありません!」

「おや、これは失礼! 君のあまりの美しさに心を奪われてしまってね、ついつい凄腕の泥棒かと思ってしまったよ」

 

 どこか怒った様子の少女に、エツィオはどこぞの盗賊に吐いたセリフをさらりと言ってのける。

そしてもう一度頭巾の中を覗き込み、首を傾げる。

 

「ところで、君、見ない顔だけど、ここの生徒じゃないな?

君の様な美しい女の子だったら一リーグ先でも見分けられるんだけどな……。どこから来たんだ?」

「え、えっと……そ、それは……その……」

「答えたくない……か、ならそれでいいさ、それじゃ、この学院は初めてかな?」

「あの……わたくし、そろそろ……」

「それなら俺が案内してあげるよ、とても素敵な場所があるんだ、君もきっと気に入ると……」

「わたくし、いそいでおりますので!」

 

 尚も口説き続けるエツィオをよそに、頭巾を被った少女は寮塔へ向け、そそくさとその場を離れて行く。

一人取り残されたエツィオは切なそうにため息をつく。

 

「やれやれ、フラれたか……」

 

 エツィオは肩を竦めると、ルイズの部屋へと戻るべく、足早に少女の向かった寮塔へと向かった。

そういえば、ルイズにはコルベールに呼ばれたということは話してはいるが、こんなに遅くなるとは思いもよらなかった。

急いで戻らないと文句を言われそうだ、そう考えたエツィオはそのまま寮塔の外壁を回り、ルイズの部屋の真下へと向かった。

 

 

「すまないルイズ、遅くなった!」

「あ……うん……」

 

 寮塔の壁をよじ登り、窓からルイズの部屋へと転がりこんだエツィオは、部屋の中にいたルイズに話しかける。

するとルイズはそんなエツィオを怒鳴りつけることもせず、一つだけ生返事をすると、ベッドに腰掛けた。

 

「ルイズ、どうしたんだ?」

「……」

 

 そんなルイズを見て、エツィオは首を傾げた、普段なら小言の一つや二つ、飛んでくる筈なのだが……。

ルイズは言葉を返さずに、ただぼんやりと枕を抱いてぼんやりとしている。

 

 エツィオは肩を竦めると、仕方なく寝床であるクッションの山に身体を預けた。

しばらくそうやって落ち着きのないルイズを見ていると、ドアがノックされた。

 

「誰だ? こんな時間に」

 

 エツィオは顔を上げる。

ノックは規則正しく叩かれた。初めに長く二回、それから短く三回……。

ルイズの顔がはっとした顔になった。急いで立ち上がり、ドアを開ける。

 そこに立っていた人物の姿を見て、エツィオが「あ」と声を上げた。

開かれたドアから現われたのは、先ほどエツィオが口説いた真っ黒な頭巾をすっぽりと被った少女であった。

 少女は辺りをうかがうように首を回すと、そそくさと部屋に入ってきて、後ろ手に扉を閉めた。

 

「……あなたは?」

「おや! 君はさっきの!」

「あっ!」

 

 ルイズが首を傾げるのと同時に、寝床のエツィオが勢いよく跳ね起きた。

少女もエツィオに気が付いたのだろう、驚いたような声を上げ、エツィオを見つめる。

 

「シニョリーナ! 俺に会いに来てくれたのか? まさか君の方から尋ねて来てくれるなんて!

これはもう運命だ……! これほどうれしいことは無いな!」

「あ、あなたは……!」

「なに? あんたの知り合い?」

「ち、違います! あぁルイズ! あなたまでそんな事を言うの!」

 

 ジト目で睨みつけるルイズに頭巾を被った少女は、少々大仰な口調で怒鳴った。

その声を聞いたルイズがはっとした顔になる。

それから少女は頭巾と同じ漆黒のマントの隙間から魔法の杖を取り出すと軽く振った。

同時に短くルーンを呟く、光の粉が、部屋に舞う。

 

「も、もう遅いでしょうが一応念の為です、どこに耳が、目が光っているかわかりませんからね」

「そ、そのお声は……まさか……」

 

 少女の声を聞いたルイズの顔がみるみる青くなる。

一通り部屋の中を確認した少女はようやく頭巾を取った。

ようやく頭巾の下の少女の素顔をみたエツィオは思わず息をのんだ。

頭巾の上からでも十分に美しいと感じてはいたが、もはやこれほどとは……。

そう考え口を開こうとしたその瞬間……。

 

「ひ、姫殿下!」

「お久しぶりね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 少女は涼しげな、心地よい声で言った。

 その言葉と共にルイズが慌てて膝をつく。

その光景にエツィオは我が耳と目を疑い、思考が一時停止する。

 

「え……? 姫……殿下?」

 

 エツィオは絞り出すように呟くと、膝をつくルイズと、姫殿下と呼ばれた少女を何度も見比べる。

停止した思考を無理やり働かせ、現状の把握を必死に行う。

どうやらさっきまで自分が口説こうとしていた目の前の少女は、現在この学院に行幸中のアンリエッタ姫殿下だったようだ。

そこまで理解した瞬間、エツィオは即座に目の前の少女に膝をついた。

 

「こ、これは失礼! 知らぬとは言え飛んだご無礼を! ど、どうかお許しを!」

「え、えええ、エツィオ! あ、ああああんた、姫殿下に、な、なななにしたのよ! さっき運命がどーとかいってたわよね!」

 

 その様子をみたルイズは即座にエツィオに掴みかかった。

胸倉をつかまれ、がくがくと頭を揺らされながらエツィオは必死に弁明する。

 

「あぁ、いや、それは……なんというか……姫殿下がお困りの様だったから……その……」

「口説いたのね?」

「えぇと……」

「口説いたな?」

「く……口説……いた……」

「こぉのぉ……馬鹿ぁーーーー!!!!」

 

 その言葉を聞いたルイズは、怒りにふるふると声を震わせ……、エツィオの顔面に渾身の鉄拳を叩きこんだ。

 

「ああ、ルイズ、ルイズ、懐かしいルイズ!」

 

 倒れ伏したエツィオの横で、アンリエッタ王女は感極まった様子で膝をついたルイズを抱きしめた。

 

「姫殿下、いけません。こんな下賎な場所へ、お越しになられるなんて……」

 

 抱きつかれながら、ルイズは未だ緊張しているかのように、かしこまった声で言った。

 

「ああ!ルイズ!ルイズ・フランソワーズ!そんな堅苦しい行儀はやめてちょうだい!

あなたとわたくしはおともだち!おともだちじゃないの!」

「もったいないお言葉でございます。姫殿下」

 

 態度を和らげるよう促すアンリエッタに、ルイズは堅い口調のまま返す。

 

「やめて! ここには枢機卿も、母上も、あの友達面をしてよってくる欲の皮の突っ張った宮廷貴族たちもいないのですよ! 

ああ、もう、わたくしには心を許せるおともだちはいないのかしら。

昔馴染みの懐かしいルイズ・フランソワーズ、あなたにまで、そんなよそよそしい態度を取られたら、わたくし死んでしまうわ!」

「姫殿下……」

 

 ルイズは顔を持ち上げた。

 

「幼い頃、いっしょになって宮廷の中庭で蝶を追いかけたじゃないの! 泥だらけになって!」

 

 はにかんだ顔で、ルイズが応えた。

 

「……ええ、お召し物を汚してしまって、侍従のラ・ボルトさまに叱られました」

「そうよ! そうよルイズ! ふわふわのクリーム菓子を取り合って、つかみ合いになったこともあるわ!

ああ、よくケンカになると、いつもわたくしが負かされたわね。あなたに髪の毛をつかまれて、よく泣いたものよ」

「いえ、姫さまが勝利をお収めになったことも、一度ならずございました」

 

 懐かしそうに言うルイズ。どうやら二人、すっかり思い出話に花を咲かせたらしい。

そんな中、いつの間にか倒れていたエツィオが起き上がり、赤くなった鼻を擦りながらそんな二人の様子を眺めていた。

二人の関係を察するに、おそらくルイズは昔、このアンリエッタ王女の遊び相手を務めていたらしい。

ルイズの家は公爵家、王族に近い地位である、ならばその二人の関係も頷けた。

 

「その調子よ、ルイズ、ああいやだ、わたくし、懐かしくて涙がでてきますわ」

「でも感激です、姫さまがそんな昔のことを覚えてくださっていて……、わたしの事など、とっくにお忘れになったとばかり思っていました」

「忘れるわけないじゃない。あの頃は毎日が楽しかったわ。なんにも悩みがなくって」

 

 アンリエッタはベッドに腰掛けると、小さくため息をつく。

 

「姫さま?」

「あなたが羨ましいわ。自由って素敵ね。ルイズ・フランソワーズ」

 

 深い、憂いを含んだ声であった。

 

「何をおっしゃいます。あなたはお姫様ではありませんか」

「王国に生まれた姫なんて、籠の鳥同然。飼い主の機嫌一つであっちへ行ったり、こっちへ行ったり……」

 

 悲しげな笑みを浮かべる。

 

「結婚するのよ、わたくし」

「……おめでとうございます」

 

 その声の調子に、なんだか悲しい物を感じたのか、ルイズは沈んだ声で答えた。

そこでアンリエッタは、ルイズの横で、黙して跪くエツィオに気が付いた。

 

「えと……ルイズ、その方は……」

「先ほどはとんだご無礼をいたしました、姫殿下。

わたくし、ルイズ・フランソワーズが使い魔、エツィオ・アウディトーレと申します、以後お見知りおきを」

「使い魔?」

 

 アンリエッタはきょとん、とした面持ちでエツィオを見つめた。

 

「人にしか見えませんわ、それも貴族の……」

「姫さま、これは人です、それも平民の」

 

 ルイズがつっけんどんにエツィオを見て言った。

 

「そうよね、はぁ、ルイズ・フランソワーズ、あなたって、昔からどこか変わっていたけど、相変わらずね」

「好きでこの馬鹿を使い魔にしたわけじゃありません」

 

 ルイズは憮然とした。

 

「そうかしら? 先ほど声をかけられたときは驚きましたが、こうして見るととても紳士的な方のようですが……」

「いえ、紳士だなんてそんな、もったいなきお言葉でございます、姫殿下」

「……ただの軽い男です、姫さま、どうかお気を付けくださりますよう……」

「面白い方ね、ルイズ」

 

 ルイズは頭を抱えながら言った。

アンリエッタは一しきり笑った後、再び憂いを含んだため息をついた。

 

「姫さま、どうなさったんですか?」

「いえ、なんでもないわ。ごめんなさいね……、いやだわ、自分が恥ずかしいわ。あなたに話せるようなことじゃないのに、わたくしってば……」

「おっしゃってください。あんなに明るかった姫さまが、そんな風にため息をつくってことは、なにかとんでもないお悩みがおありなのでしょう?」

「……いえ、話せません。悩みがあると言ったことは忘れてちょうだい。ルイズ」

「いけません!昔はなんでも話し合ったじゃございませんか!わたしをおともだちと呼んでくださったのは姫さまです。

そのおともだちに、悩みを話せないのですか?」

 

 ルイズがそう言うと、アンリエッタは嬉しそうに微笑んだ。

 

「わたくしをおともだちと呼んでくれるのね、ルイズ・フランソワーズ。とても嬉しいわ」

 

 アンリエッタは決心したように頷くと、語り始めた。

 

「今から話すことは、誰にも話してはいけません」

 

 それからエツィオの方をちらと見た、その視線を、退出を促す物と受け取ったエツィオはスッと立ち上がり、静かに一礼する。

するとアンリエッタは首を振った。

 

「いえ、メイジと使い魔は一心同体。席を外す理由がありません」

「……わかりました、私にも、お力になれる事であればよいのですが……」

 

 エツィオは再び一礼すると、ルイズの後ろに立ち、アンリエッタの言葉を待った。

 

「ありがとう、使い魔さん」

 

 そして、物悲しい調子で、アンリエッタは語りだした。

 

「わたくしは、ゲルマニアの皇帝に嫁ぐことになったのですが……」

「ゲルマニアですって!」

 

 ゲルマニアが嫌いなルイズは驚いた声をあげた。

 

「あんな野蛮な成り上がりどもの国に!」

「そうよ。でも、しかたがないの。同盟を結ぶためなのですから」

 

 アンリエッタは、ハルケギニアの政治情勢を、ルイズに説明した。

 アルビオンの貴族たちが反乱を起こし、今にも王室が倒れそうなこと。反乱軍が勝利を収めたら、次にトリステインに侵攻してくるであろうこと。

 それに対抗するために、トリステインはゲルマニアと同盟を結ぶことになったこと。

 同盟のために、アンリエッタ王女がゲルマニア皇帝に嫁ぐことになったこと……。

 

「そう……だったんですか……」

 

 ルイズが沈んだ声で言った。アンリエッタが結婚を望んでいないのは、口調からも明らかであった。

 

「いいのよ。ルイズ、好きな相手と結婚するなんて、物心ついたときから諦めてますわ」

「姫さま……」

「礼儀知らずのアルビオンの貴族たちは、トリステインとゲルマニアの同盟を望んでいません。二本の矢も、束ねずに一本ずつなら楽に折れますからね」

 

 アンリエッタは呟いた。

 

「……したがって、わたくしの婚姻をさまたげるための材料を、血眼になって探しています」

「もし、そのようなものが見つかったら……」

 

 ルイズは顔を蒼白にしてアンリエッタの言葉を待つ。返事は、アンリエッタの悲哀に満ちた首肯から始まった。

 

「おお。始祖ブリミルよ……、この不幸な姫をお救いください……」

 

 王女は顔を両手で覆うと、床に崩れ落ちた。随分と芝居がかった仕草である、

そんなアンリエッタを見つめながら、エツィオは何かを考えるかのように顎に手を当てた。

 

「言って! 姫さま! いったい、姫さまのご婚姻をさまたげる材料ってなんなのですか?」

 

 ルイズもつられて興奮した様子でまくしたてる。両手で顔を覆ったまま、アンリエッタは苦しそうに呟いた。

 

「……わたくしが以前したためた一通の手紙なのです」

「手紙?」

「そうです。それがアルビオンの貴族たちの手に渡ったら……、彼らはすぐにゲルマニアの皇室にそれを届けるでしょう」

「どんな内容の手紙なんですか?」

「……それは言えません。でも、それを読んだら、ゲルマニアの皇室は……、このわたくしを赦さないでしょう。

ああ、婚姻はつぶれ、トリステインとの同盟は反故。となると、トリステインは一国にてあの強力なアルビオンに立ち向かわねばならないでしょうね」

 

 ルイズは息せき切って、アンリエッタの手を取った。

 

「いったい、その手紙はどこにあるのですか?トリステインに危機をもたらす、その手紙とやらは!」

 

 アンリエッタは、首を振った。

 

「それが、手元にはないのです。実は、アルビオンにあるのです」

「アルビオンですって!では! すでに敵の手中に?」

「いえ……、その手紙を持っているのは、アルビオンの反乱勢ではありません。反乱勢と骨肉の争いを繰り広げている、王家のウェールズ皇太子が……」

「プリンス・オブ・ウェールズ? あの、凛々しき王子さまが?」

 

 アンリエッタはのぞけると、ベッドに体を横たえた。

 

「ああ! 破滅です! ウェールズ皇太子は、遅かれ早かれ、反乱勢に囚われてしまうわ! そうしたら、あの手紙も明るみに出てしまう!

そうなったら破滅です! 破滅なのです! 同盟ならずして、トリステインは一国でアルビオンと対峙せねばならなくなります!」

 

 ルイズは息を呑んだ。

 

「では、姫さま、わたしに頼みたいことというのは……」

「無理よ! 無理よルイズ! わたくしったら、なんてことでしょう! 混乱しているんだわ!

考えてみれば、貴族と王党派が争いを繰り広げているアルビオンに赴くなんて危険なこと、頼めるわけがありませんわ!」

「何をおっしゃいます! たとえ地獄の釜の中だろうが、竜のアギトの――」「では姫殿下、その手紙回収の任、どうか、私にお任せいただけぬでしょうか?」

「「えっ!?」」

 

 その時であった、後ろに控えていたエツィオが、ルイズの言葉を遮り、さも当然のようにその任務に名乗りを上げた。

 

「えぇっ! エツィオ! あんたいきなりなにを――!」「つ、使い魔……さん?」

 

 困惑の表情を浮かべる二人をよそに、エツィオは再び膝をつき、アンリエッタを見つめた。

 

「僭越な事とは存じますが、どうかお許しを、姫殿下。

しかし、聞かば我が主の故国トリステインの、そして姫殿下御身の危機、

ならばこのエツィオ・アウディトーレ、ルイズ・フランソワーズの使い魔として、とても見過ごすことなどできません」

 

 エツィオはそこまで言うと、恭しく頭を下げる。

 

「どうか、この私にお任せください、姫殿下、我が主であるルイズと、貴方の力になれるのであれば、このエツィオ、これ以上の栄誉はありません」

 

 完全に先をこされたルイズは、エツィオを押しのけ慌てたように膝をついた。

 

「そ、そうですわ姫さま! これはトリステイン全体の、そしておともだちである姫さまの危機でございます!

どうか『土くれ』のフーケを捕まえた、このわたくしめに、その一件、是非ともお任せくださいますよう!」

 

 その言葉にエツィオは驚いたように顔を上げた。

 

「ちょ、ちょっとまった! 君も行くつもりなのか!」

 

 ルイズはエツィオを見て目を吊り上げた。

 

「当然よ! あんたねぇ! ちょっとは主人の体裁ってもんを考えなさいよ! 何勝手に名乗りを上げてるの! これじゃわたしがカッコつかないじゃない!」

「そう言う問題じゃないだろう! 戦場だぞ! 盗賊を捕まえに行くのとはワケが違う! ここは俺にまかせて……」

「使い魔であるあんたが行くのに、主人であるわたしはここでじっと待っていろって言うの? 冗談じゃないわ!」

「……俺の手柄は君の手柄だ、そうだろう? だから俺が行く、君は……」

「二度も同じこと言わせないで、姫さまはあんたに頼みに来たんじゃないのよ? わたしに頼みに来たの、わたしも行くわ」

 

 きっぱりと、そして自信満々にルイズは言い切った、反論するだけ無駄ないつものルイズの剣幕に、エツィオは小さくため息をついた。

 

「わかった、だけど、行先は戦場だ、道中どんな危険があるかわからない、気をつけてくれよ」

「そんなの、あんたがなんとかしなさいよ、使い魔でしょ?」

「やれやれ……簡単に言ってくれるな……」

 

 エツィオは呆れたように肩を竦めた。

 

「このわたくしの力になってくれるというの? ルイズ・フランソワーズ! 懐かしいおともだち!」

「もちろんですわ、姫さま!」

 

 ルイズがアンリエッタの手を握って、熱した口調でそう言うと、アンリエッタはぼろぼろと泣き始めた。

 

「姫さま! このルイズ、いつまでも姫さまのおともだちであり、まったき理解者でございます! 永久に誓った忠誠を、忘れることなどありましょうか!」

「ああ、忠誠。これがまことの忠誠です! 感激しました。わたくし、あなたの友情と忠誠を一生忘れません! ルイズ・フランソワーズ!」

 

 俺には無しか! その様子をみてエツィオはガクっと肩を落とした。

芝居がかかっているとはいえ、ここまでのものは期待していなかったが、無視とはいささか寂しい反応である。

どんなに色男でも、やっぱり俺は使い魔なのか……、とエツィオは切なくなった。

 

「アルビオンに赴きウェールズ皇太子を捜して、手紙を取り戻してくればよいのですね? 姫さま」

「ええ、その通りです。『土くれ』のフーケを捕まえたあなたたちなら、きっとこの困難な任務をやり遂げてくれると信じています」

「一命にかけても。急ぎの任務なのですか?」

「アルビオンの貴族たちは、王党派を国の隅にまで追い詰めていると聞きます、敗北は時間の問題でしょう」

 

 ルイズは真顔になると、アンリエッタに頷いた。

 

「早速明日の早朝にでも、出発いたします」

 

 アンリエッタはそれから、エツィオの方を見つめた。

エツィオは黙して再び頭を下げる。

 

「頼もしい使い魔さん」

「はい」

「わたくしの大事なおともだちを、これからもよろしくおねがいしますね」

 

 そして、すっと左手を差し出した。それをみたルイズが驚いた声で言った。

 

「いけません! 姫さま! そんな、使い魔にお手を許すなんて!」

「いいのですよ、この方はわたくしの為に働いてくださるのです、忠誠には報いるところがなければなりません」

「ありがとうございます、姫殿下」

 

 エツィオは恭しく左手を取ると、手の甲に唇を落とす。

 

「このエツィオ、姫殿下のご期待に添えるよう、微力を尽くさせていただきます」

 

 エツィオは深く一礼し、アンリエッタにほほ笑みかけた。

 

「ルイズ・フランソワーズ、本当にいい使い魔を持ちましたね、メイジではないのが惜しいくらいです」

「とっ、とんでもございません! こいつは軽くて女好きでロクでなしで――」「勿体無きお言葉でございます、姫殿下」

 

 あたふたと反論するルイズをよそに、エツィオは一礼すると、ふとドアの方へ視線を向ける。

そして、ドアに呼び掛けるように声をかけた。

 

「さて……おい、そこにいるんだろ? 覗き見は趣味が悪いぞ?」

「え?」

 

 エツィオの突然の言葉に二人は驚いたようにドアを見つめる。

するとドアが開き、誰かが入ってきた。

 

「は、はは、し、失礼しま~す……」

「ギーシュ、ここは女子寮だぞ? 何をやってるんだよ、こんなところで」

 

 気まずそうに入ってきたのはなんと、ギーシュであった。

そんなギーシュにエツィオは呆れたようにため息を吐く。

 

「ギーシュ! あんた! 立ち聞きしてたの! 今の話を!」

「い、いやぁ、その、薔薇のように見目麗しい姫さまの後を付けてきてみればいつの間にかこんなところへ……、

それでドアの鍵穴から盗賊のように様子をうかがえば……、姫殿下!その困難な任務、是非ともこのギーシュ・ド・グラモンに仰せ付けますよう!」

 

 気まずそうに白状しだしたギーシュだったが、憧れのアンリエッタを前にしていることを思い出したのか、慌てて膝をついた。

 

「え? あなたが?」

「何考えてるのよ! ダメに決まってるでしょ!」

「いいや! 僕も仲間に入れてくれ! いいだろう! エツィオ! 友達じゃないか!」

 

 ルイズが慌てて止める、だが、ギーシュは諦めきれないとばかりにエツィオに助け船を求めた。

エツィオは今さら人数が増えても別にかまわないとばかりに肩を竦める。

 

「俺は別にかまわないが……」

「やった! さすがエツィオ!」

「どうしてそんなについてきたいのよ、戦場に行くのよ?」

 

 ルイズがギーシュに尋ねる、するとギーシュは頬を赤らめた。

 

「姫殿下のお役に立ちたいのです……」

 

 エツィオはそんなギーシュの様子で、感づいた。

 

「なるほど……でもギーシュ、ミス・モンモランシーはどうしたんだよ」

「あぁ、それが……まだ許してもらえてないんだ……」

 

 ギーシュは苦々しげに呟く。

 

「そうか、ま、そのうち時が解決してくれるさ、だけどな、ここで姫様に浮気はどうかと思うぞ?」

 

 エツィオがそう言うと、ギーシュは大きくため息をついて、エツィオの肩をポンと叩くと、いつにない真剣な表情で重々しく口を開いた。

 

「僕はね、男として、本当に君のことを心から尊敬しているんだよ、エツィオ。だからこそなんだが……浮気がどうこうとか、君にだけは言われたくないね」

「……すまん、失言だった、今度奢るよ、ギーシュ」

 

 こればかりは流石に言い返せないのか、エツィオがギーシュから目を逸らした。

 

「グラモン? あの、グラモン元帥の?」

 

 アンリエッタがきょとんとした顔でギーシュを見つめる。

 

「息子でございます。姫殿下」

 

 ギーシュは立ち上がると恭しく一礼した。

 

「あなたも、わたくしの力になってくれるというの?」

「任務の一員に加えてくださるのなら、これはもう望外の幸せにございます」 」

 

熱っぽいギーシュの口調に、アンリエッタは微笑んだ。

 

「ありがとう。お父様も立派で勇敢な貴族ですが、あなたもその血を受け継いでいるようね。ではお願いしますわ。この不幸な姫をお救い下さい、ギーシュさん」

「姫殿下がぼくの名前を呼んでくださった! 姫殿下が! トリステインの可憐な花、薔薇の微笑みの君がこのぼくに微笑んでくださった!」

 

 ギーシュは感動のあまり、後ろにのけぞって失神した。

 

「大丈夫なのこいつ?」

「彼が幸せならそれでいいんだろう」

 

 そんなギーシュをよそに、ルイズは気を取り直し、真剣な表情になって言った。

 

「では、明日の朝、アルビオンに向かって出発するといたします」

「ウェールズ皇太子は、アルビオンのニューカッスル付近に陣を構えていると聞き及びます」

「了解しました。以前、姉たちとアルビオンを旅したことがございますゆえ、地理には明るいかと存じます」

「旅は危険に満ちています。アルビオンの貴族たちは、あなたがたの目的を知ったら、ありとあらゆる手を使って妨害しようとするでしょう」

 

 アンリエッタは机に座ると、ルイズの羽根ペンと羊皮紙を使って、さらさらと手紙をしたためた。

アンリエッタは自分が書いた手紙をじっと見つめていたが、そのうちに悲しげに首を振った。

 

「姫さま? どうなさいました?」

 

 怪訝に思ったルイズが声をかける。

 

「な、なんでもありません」

 

 アンリエッタは少し顔を赤らめると、決心したように頷き、末尾に一文付け加えた。

それから小さな声で呟く。

 

「始祖ブリミルよ……。この自分勝手な姫をお許し下さい。でも、国を憂いても、わたくしはやはり、この一文を書かざるをえないのです……、

自分の気持ちに、嘘をつくことはできないのです……」

 

 密書だというのに、まるで恋文でもしたためたようなアンリエッタの表情だった。

ルイズはそれ以上なにも言うことができず、じっとアンリエッタを見つめることしかできなかった。

アンリエッタは書いた手紙を巻いた。杖を振る。すると、どこから現れたものか、巻いた手紙に封蝋がなされ、花押が押された。

 

「ウェールズ皇太子にお会いしたら、この手紙を渡してください。すぐに件の手紙を返してくれるでしょう」

 

 それからアンリエッタは、右手の薬指から指輪を引き抜くと、手紙とともにルイズに手渡した。

 

「母君からいただいた『水のルビー』です。せめてものお守りです。お金が心配なら、売り払って旅の資金に充ててください」

 

 ルイズは深々と頭を下げた。

その様子をじっと見つめていたエツィオだったが、『水のルビー』を見て小さく首を傾げる。

なんだろうか、とても不思議な力を感じる指輪である。少なくともエツィオの"眼"にはそう映った。

しかし、一国の王女が持つものである、この世界で言う由緒あるマジックアイテムのようなものなのかもしれない、

そう考えたエツィオはとりあえず保留することにした。

 

 ルイズに手紙と『水のルビー』を手渡したアンリエッタは真剣な表情で口を開いた。

 

「この任務にはトリステインの未来がかかっています。母君の指輪が、アルビオンに吹く猛き風から、あなた方を守りますように」

 

――写本の断片を入手

 

『気がつけば、薄暗い森の中だった、何が起こったのだろうか? 私は『リンゴ』の研究をしていて……、

それからの記憶がかなり曖昧だ。周囲には見たことのない木々や植物が入り乱れている。

アナトリアにこのような場所があっただろうか? 或いは別な場所へと瞬間的に転送させられたのか?

だとすれば『リンゴ』の新たな力によるものだろうか。

不幸中の幸いと言うべきだろうか、手元には『リンゴ』があった、紛失と言う最悪の結果は回避できたようだ。

とにかく、現在の位置を確認するべきだ、そう考えた私は森の中を歩いていく。すると、聞きなれぬ巨大な咆哮と人の叫び声が森の奥から聞こえてきた。

何事かと、声がした方向へ向かう、すると驚くべき光景が広がっていた、一人の青年が巨大な大トカゲの化け物に追いかけられていたのだ、

なんだ、この化け物は? まるで伝承に現れるドラゴンだ。現実離れした光景に呆然とする私の前で、追いかけられていた青年が倒れてしまった。

このままでは彼はあの化け物に殺される、そう考えた私は、剣を抜き放ちドラゴンに戦いを挑んだ。

ドラゴンは想像以上に強く、かなり手こずった、このままでは私も殺される、やむを得ず『リンゴ』を使い、ドラゴンを屈服させる。

怒り狂っていたドラゴンは暴れるのをやめ、恭しく頭を垂れた。成功だ。

人間ではないドラゴンに通じるか、ある種の賭けであったが、どうやらうまくいったようだ。

伝承の存在であるドラゴン、非常に興味深いが、支配が解けない保証はない、相手は人間ではないのだ。

私が森の中へ帰るよう指示を出すと、ドラゴンは巨大な翼をはためかせ、去っていった。

戦いの最中、不覚にも傷を負ってしまっていた、致命傷ではないが、出血がひどい。

木にもたれかかり、休んでいると、気を失っていたのであろう青年が起き上がり、感謝の言葉を述べ、治療を施してくれた。

薄れかかっていた意識の中、私が見たものは、なにやら杖を振う彼の姿だった、何かのまじないだろうかと、考えていると、不思議なことが起こった。

なんと、みるみる痛みが引き、傷が癒えていくのだ。一体彼は何をしたのだろうか?

不思議な力だ、興味は尽きないが、今は異国の出会いに感謝をしよう』

 


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