4月14日、土曜日。
学校が完全週休二日制のため休日のミズキは、カナコに連れられて観光名所を見て回る事になった。ミズキが高千穂を訪れたのは、まだ幼い頃――タタリガミが観測される以前――に来て以来数年ぶりだ。
まずは〈タカマガハラ〉を地下に持つ、高千穂神社からという事になり、ふたりは境内に居た。
高千穂神社は垂(すい)仁(にん)天皇時代に創設され、二千年以上の歴史を持つ神社である。平安朝期には高千穂八十八社の総社となり、武神、農産業、厄払い、縁結びの神として広く信仰を集めた。
高千穂のパワースポットといえば、まずここだろう。
「う~ん……良いね。なんか神社って空気が澄んでる気がする」
大きく深呼吸をして、周囲を見渡すミズキ。
敷地自体はそう広くないが、本殿があり、樹齢千年の巨木・株父杉があり、小さな売店もある。
本殿に立ち、鈴緒を振ると、がらんがらんと鈴が鳴った。
隣に立つカナコは目を閉じ、祈りを捧げている様に見える。
「何をお願いしたの?」
「別に何も。ミズキは?」
「良い事がありますように――って」
「ずいぶんと漠然としてるわね。神様も大変だわ」
そう言うとカナコは本殿を離れ、ミズキもそれに続いた。
本殿の裏手に回ると木の柵(さく)で四方を仕切られた、一辺は一メートルもない小さなスペースがあった。その中心には平たい石が安置されるように置かれている。
「『鎮石(しずめいし)』よ」
ミズキが不思議そうに眺めていると、カナコが教えてくれた。
「この石に祈ると人の悩みや、世の乱れが鎮められる――らしいわ」
「へえ。どうして?」
「さあ? この手の言い伝えすべてに納得出来る理由なんてないわよ」
カナコは興味なさそうに言った。
「――で、あれが悪神・鬼八を退治した三毛入野命(ミケイリノミコト)の像」
本殿の東側には剣を持った男が、鬼を踏みつけている場面が彫像で表現されている。
「あとは夫婦(めおと)杉ね。三周回ると末長く暮らせるそうよ」
淡々と、カナコは手短に解説をしていく。
地元の人間である彼女にしてみれば、珍しいものではないのだろう。
しかしミズキは、そんなそっけない言葉にも楽しそうに反応する。
「よし、回ろう!」
「私はいいわ。長生きしたいなんて思ってないもの」
「え~? なんで?」
「……ミズキはどうして長生きしたいの?」
ミズキの疑問に、カナコは疑問で応えた。
本当に判らない――そんな口調だ。
「どうしてって……」
「あなたは幸せね。何の疑問も持たずに、そう思えるんだから」
言ってしまってからカナコは自己嫌悪に陥った。
またやってしまった。いつもこうやって他人を遠ざけてしまう。
自分の性格が嫌になる。
だが、言わずにはいられなかった。
ミズキの当たり前の感覚が、うらやましかったから。
――死にたい。
気持ちが落ち込む度に、そんな衝動に襲われるカナコにしてみれば、ミズキの疑問は無自覚な悪意にすら思えた。
「――そうだね」
ミズキが呟く様に口にした。
「あたしは何も不自由なく今まで生きてきて、たいした不幸も知らずに育った。たぶん、これからもずっとそうなんだと思う。だったら良いなと思ってる」
「…………」
「だって、そうじゃなきゃ――生きるのって辛いと思うんだ」
ミズキの表情は常と変わらない。
なんでもない話をする様に、その口調には悲観も楽観もない。
「カナコがどんな生き方をしてきたのか、あたしは全部を知ってる訳じゃない。だけど、これからは一緒に知っていける。知っていきたい。少しでも一緒に。少しでも長く」
だから――
「だから――一緒に回ろう?」
そういってミズキはカナコの手をにぎった。
そっと。
自然に。
そしてカナコの返事も聞かず、夫婦杉に向かって歩を進める。
返事を聞くのが怖かったからではない。
言葉にしなくても、表情でカナコの想いを感じ取れたから。
† † †
ふたりは無言で夫婦杉を回った。
その沈黙は重たいものではなく、どこか居心地が良いとカナコは感じた。
同時に罪悪感で死にたくなった。
心無い言葉をミズキに言ってしまった。あれは単なるひがみだ。
(みっともないな、私……)
あっという間に三周回り終えると、カナコはつないでいた手を離した。
「――?」
不思議そうにミズキが小首を傾げる。
「どうしたの?」
「……私にはミズキと手をつなぐ資格が無い」
「どうして?」
「…………」
応えられない。
何を言っても自虐的で、ミズキを困らせるだけだと判っているから。
言葉に詰まり、カナコは顔を伏せた。
しかし――
「資格なんて要らないよ」
その言葉にカナコが顔を上げると、ミズキは少し困った顔をして笑っていた。
「もし資格が要るなら、あたしがあげるよ――なんていうのは偉そうだね」
あはは、と苦笑するミズキ。
その困った様な笑顔がカナコにはまぶしかった。
違う。
自分にはそんな笑顔を向けられる資格も無いのだ。
こんな自分には……。
「――あ、またネガティブ・モードに入ってるでしょう? だんだん判るようになってきたよ、カナコの思考」
「……ごめんなさい」
「謝らないで。カナコは悪くないよ」
違う。
悪いのは自分だ。
ネガティブな思考しか出来ない、ネガティブな自分なのに。
「……どうして、ミズキはそんなに優しいの?」
「え?」
「どうして、私なんかに優しくしてくれるの?」
「……カナコ――」
ミズキの表情が一瞬曇った。
判っている。
『私なんか』という言い方が悪いのも。
少しの間、考えをまとめるように沈黙すると、ミズキはゆっくりと自分の考えを口にした。
「あたしがカナコに優しいんだとすれば、それは、あたしも優しくされたいからなんだと思う。誰かに優しくしておけば、それはいつか自分に返ってくる。『情けは人のためならず』って、本来はそういう意味なんだよ。結局は自分のため。自己満足もいいところだよ」
そう言って、あはは、とまた苦笑する。
「――そんな事ない」
「え?」
「たとえミズキが自己満足のつもりでも、私は嬉しかった。優しくされて――嬉しかったわ」
「……そっか」
「ええ、そうよ。だから……ありがとう」
「あはは。どういたしまして、でいいのかな?」
そうして言葉を重ねるうちに、カナコは重かった心が少しずつ軽くなっていくのを感じた。
「じゃあ、最後に売店見て次に行こう?」というミズキの言葉を潮に、二人は夫婦杉を離れた。
せっかくだからと、ミズキは天然石の付いたお守りストラップを買った。
黒い天然石で『オニキス』というらしい。形は勾玉(まがたま)を模している。
「カナコのブレスレットと同じ色にしてみた」
ミズキの言葉にはっとし、カナコは右腕に巻いている鈴と黒い天然石のブレスレットを見つめた。
ミズキとおそろい――それはとても魅力的な響きに思えた。
だから――
「私も買う……」
ミズキと同じストラップを買い、携帯電話に取り付ける。赤い紐(ひも)の先に天然石と鈴が付いたシンプルなものだ。袋には『高千穂神社限定』とよくある売り文句が書かれていたが、地元の人間にはありがたみはあまりない。
それはすでに住人になっているミズキも同じはずなのだが、彼女はやけに嬉しそうに、ストラップを揺らしている。
その理由が判らないほどカナコも鈍感ではない。
おそろいのストラップ。
そんな他愛のない事で喜んでいるミズキ。
それがカナコも嬉しかった。
† † †
高千穂神社につながる階段を降り、歩道に出る。少し歩けば参拝客用の駐車場があり、そこには紀藤(きとう)ヤヒロが待機していた。
三十路手前のいい大人のはずだが、長めの黒髪とラフな私服姿のためか、どこか飄々とした雰囲気を纏っている男性だ。
今日はカナコとミズキの運転手役である。
「やあ。どうだった、高千穂の名所巡りのスタート地点は?」
「最高でした!」
ヤヒロが訊(たず)ねると、ミズキは満面の笑みを浮かべてそう答えた。
「そいつは結構。夜は『神楽(かぐら)舞(まい)』もやってるから、今度は夜に行くといいよ」
と、ヤヒロは何故かカナコに視線を向けた。
「ヤヒロさん……」
対するカナコはどこか困った様な表情を見せた。
それを疑問に思っていると、
「カナコちゃんはね、神楽舞の舞手なんだよ」
「そうなんだ! あたし、見たい! いつ見られるの?」
ヤヒロの言葉にミズキが目を輝かせる。
対してカナコは『余計な事を』と言わんばかりに苦い顔をして言う。
「……今夜よ」
† † †
今夜の予定が確定した後、天岩戸(あまのいわと)神社、槵觸(くしふる)神社、荒(あら)立(たて)神社を巡って、高千穂峡の近くにある食堂で休憩がてら昼食を摂る事になった。
「あー、お腹空いた」
席に着くなり、ミズキが大きく息を吐いて言った。
主な移動は車なのだが、天岩戸神社の天安(あまのやす)河原(かわら)など、徒歩も多かったので身体的にも疲労が溜まっていたようだ。
「おつかれさま、ミズキちゃん。この後も少し歩くから、しっかり休んでね」
そう言うのは本日の運転手・ヤヒロだ。彼は終始、運転手に徹しており、観光には加わらなかった――カナコとミズキをふたりきりにしようという配慮だ――のだが、昼食くらい一緒に摂ろうというミズキの意向で、同席している。
「今日は車を出してくださって、ありがとうございます」
「いえいえ。お役に立てて恐悦至極だよ」
ミズキの礼に対し、ヤヒロはそう言っておどけて見せた。
注文を終え、雑談に興じる。
ヤヒロは高千穂の出身ではなく、外部から〈タカマガハラ〉に参加したと言う。
彼の口調や表情は常に穏やかで、人当たりの良さを感じさせる。
気さくなお兄さん――というイメージがミズキの中で強まる。
違和感を覚えたのは、その時だった。
カナコが妙に静かなのだ。
元々、無口な少女だ。それはこの一週間で判っていた。
だが、今のカナコの様子には緊張感の様なものを感じる。
「……カナコ、どうかしたの?」
「え? いえ、別に――」
反応もどこか、ぎこちない。
「もしかして体調が悪いとか? 大丈夫?」
「は、はい。大丈夫です」
ヤヒロが心配そうに訊くと、ミズキの時とは少し違う反応が返った。
その原因がなんとなくミズキには判った気がした。
「ねえ、カナコ」
小声で声をかける。
「ひょっとして……ヤヒロさんが居るから緊張してる?」
「――――っ!」
カナコの顔が薄く朱に染まる。
彼女にしては珍しいくらい判りやすいリアクションだ。
「あ、その……違うの、そういうのじゃなくて――」
言いよどむカナコ。
その様子が、年齢相応の女の子に見えて、ミズキには微笑ましかった。
† † †
高千穂峡の名物に貸しボートがある。
『せっかくだから、二人で乗っといで』というヤヒロの提案で、カナコとミズキは自然の絶壁に挟まれた川をボートで渡っていた。
生い茂る緑の中を進むのは神秘的な光景だった。
「――ヤヒロさん、格好良いもんね」
ふいのミズキの言葉に、向かい合わせでオールを漕いでいたカナコの手が止まった。
「やっぱり、そうなんだ」
顔を伏せてしまったカナコを見て、ミズキは確信した。
カナコがヤヒロを異性として意識している事を。
やはり微笑ましい。
普段は無口で他人を寄せ付けない孤高の存在。
それが年頃の少女には当たり前にある思春期特有の悩みを抱えている。
普段は趣味(ロボット)にしか反応しないミズキの乙女センサーがびんびんに反応する。
追求したい。
だが、相手はカナコだ。
下手な事を言って機嫌を損ねたら、大変な気がする。
「……ミズキが思っているような事じゃないから」
どうしようか考えあぐねていると、呟く様にカナコが言った。
オールを漕ぐ手は止めたまま、伏目がちに。
「あたしが思ってるような事って?」
少し意地が悪いと自覚しつつ、ミズキは内心でにやにやしながら、カナコに続きを促した。
「だから……ヤヒロさんの事が好きだとか、そういうのじゃないの」
「でも、気にはなってるんだよね?」
「…………」
無言の肯定。
そう受け取ったミズキは焦らず、じっくりと話を聞き出す事にした。
† † †
「三年前――私が中学一年生の時の話よ」
わずかな沈黙を挟み、カナコはヤヒロとの出会いを話し始めた。
「学校に行けなくなって、家で引きこもっていた私を〈タカマガハラ〉にスカウトしに来てくれたのがヤヒロさんだった。最初で最後ね、ヤヒロさんがスーツを着ているのを見たのは」
それを聞いたミズキは『スーツを着ているヤヒロ』という図がイメージ出来なかった。
カナコ曰く、就職活動をする若者そのものだったらしい。
飄々としているために年齢不詳な感があるヤヒロだが、三年前といえば二十五歳のはずだ。今とそう変わっているとは思えないので、余計にスーツ姿が想像しにくい。
「正直に言って、似合ってなかったわ。けど、それが良かったのかもしれない。真っ当な『大人』には見えなかったし、かといって『若者』っぽくもない。この人は何をしている人なんだろう――そう思ったの」
だからヤヒロと話をする気になったとカナコは言った。
† † †
三年前の5月。
一ヶ月で中学校を不登校になったカナコは、降りしきる雨の音を聴きながら、ぼんやりとした表情で目の前のスーツ姿の青年を見ていた。
青年の名前は紀藤ヤヒロというらしい。
彼は自己紹介を終えると、『とある国家プロジェクトに参加してほしい――ただし、命の保障は出来ない』と本題を切り出した。
「――え?」
カナコは耳を疑った。
一介の女子中学生――しかも不登校――に向かって何を言っているのだろう?
カナコは次に青年の正気を疑った。
「……どういう事ですか?」
当然の疑問を言葉にしたのは父だった。
このところ、まともに口を利いていないカナコにしてみれば、久しぶりに聴く声だった。
「…………」
同席している母も同じ気持ちなのだろう。
無言でヤヒロの発言を待っている。
「〈技術の停滞(テクニカル・スタグネーション)〉はご存知ですね?」
ヤヒロの言葉にカナコと両親は頷いた。
小学生でも知っている。
約二百年前から続く、人類の衰退の始まりだ。
「それが起こった年、ここ高千穂にもうひとつの事件がありました――機神の降臨です」
ヤヒロの口から語られたのは、その『神』は〈スサノオ〉と呼ばれる巨大な人型の物体である事と、〈スサノオ〉と共に送られたメッセージについてだった。
メッセージ。
それは〈スサノオ〉のコクピットの記憶装置(メモリ)を解析し、出力されたもので、〈タカマガハラ〉内では『古事記』――実際に『本』の形に装丁されている――と呼称されているらしい。
そこに記されていたのは『タタリガミ』と呼ばれる脅威の出現の予測についてであり、情報は段階的に開示される仕組みになっているそうだ。
「そして先日、ようやく〈スサノオ〉の搭乗者が『古事記』によって指名されました。それがカナコさん――あなただ」
ヤヒロはどこか飄々とした態度は崩さず、カナコに視線を向けた。
「つまり、こういう事ですか? カナコにその〈スサノオ〉とかいうのに乗って戦えと?」
父の言葉にヤヒロは頷いて返答とした。
父も母も言葉をなくしていた。そもそもヤヒロの話を信じていなかっただろう。
それが普通だ。
だが、カナコは〈スサノオ〉という響きに不思議な感覚を覚えた。
惹かれたといってもいい。
鬱屈とした現状。変わらない日常。
それを壊したい。
それが出来るなら――死んでもいい。
カナコの中にそんな想いが沸き起こる。
そこへ――
「カナコさん、君は今の人生に満足しているかい?」
「…………」
ヤヒロの質問に、カナコは答えられなかった。
「どうしようもない世界に抗ってやりたいと思わないか?」
ヤヒロの言葉がどこか官能的な響きを以て、カナコの耳朶を打つ。
「誰のためでもない。世界のためでもない。自分自身のためでいい――君の力を貸してほしい」
その言葉が決定打だった。
† † †
「そんな事があったんだ」
カナコの話を聞いたミズキは、ヤヒロらしい口説き文句だと感じた。
「お父さんとお母さんには反対されなかったの?」
「私がそうしたいなら、そうすればいいって」
カナコの口調からは、両親の気持ちは判別出来ないが、彼女の自由意志を尊重しての事だとミズキは思う事にした。
話が一段落すると、カナコはオールを再び漕ぎ始める。
ひとときの静寂。
この『間』にも、もう慣れた。
普段なら会話がないと間が持たない性格のミズキだが、カナコと居る時は不思議と落ち着く。
オールを漕ぐカナコの表情は無表情というより無心で、どこか凛々しく見える。
そんな彼女の表情に見惚れていると――
「――見て、ミズキ」
ボートが進むと、カナコが指をさして言った。
彼女が示す方向に慌てて顔を向けると、断崖から流れ落ちる滝が目に入った。
「真(ま)名井(ない)の滝よ」
カナコが言うと、ミズキはその光景に歓声を上げた。
落差十七メートルの高さから流れ落ちる滝――『日本の滝百選』にも選ばれたその絶景は見る者を圧倒する。
「すごい……」
しばし真名井の滝の絶景に目を奪われるミズキ。
その表情は無邪気で、カナコにはまぶしく見えた。
ミズキには本当の事を言いたい。
知っておいてほしい。
だから――
「……ヤヒロさんはね、私の憧れなの」
呟くようなカナコの言葉で、ミズキの意識が彼女に向く。
「憧れ?」
「そう。プライベートな事は話せないけど、ヤヒロさんも私と同じような生き方をしてきたそうよ」
飄々としている、どこかつかみどころがない印象のヤヒロにも、当然、彼の人生があった。
今は気の良いお兄さんに見えるが、過去にはカナコのようだった時があったという事だろうか。
「生きる事にうんざりしていた私に、ヤヒロさんは〈スサノオ〉という可能性をくれた」
ミズキは黙って続く言葉を待つ。
「判ってるの。ヤヒロさんが私を選んだ訳じゃない。だけど、スカウトに来たのがヤヒロさんじゃなかったら、私は拒否したかもしれない。世界を護るために戦え――そんな類の事を言われたら、私は絶対に戦わない。こんな世界、壊れてしまえばいい……そう思っていたから」
淡々と語るカナコ。
「けど、ヤヒロさんは違った」
世界に抗え。
誰のためでもなく、自分のために戦え。
「ヤヒロさんは私みたいな人間の『痛み』を知っている。だから私を救ってくれた。実際、〈スサノオ〉に乗ってから私の世界は変わったわ」
「そうなんだ」
「ええ。だからヤヒロさんには感謝してる。だけどそれは、恋愛感情じゃない」
「でも、ヤヒロさんと居ると緊張するんでしょう?」
「……上手く話せないだけよ」
それを緊張しているというのではないだろうか。
ミズキがそんな事を考えていると、
「私はミズキがうらやましかったのかもしれない――」
と、カナコはやはり呟くように言った。
「え? どうして?」
「私は、ミズキみたいにはヤヒロさんと話せない」
「カナコ……」
「何を話せばいいか判らないの。ヤヒロさんに限った事じゃないけど」
そう言ってカナコは少しだけ俯いた。
滝が落ちる音だけが静寂の中で響く。
「――でもさ」
沈黙の中、ミズキが声を上げた。
「あたしとは話せてるよね?」
「……そうね。ミズキは例外だわ」
「特別って言って欲しいな」
口を尖らせるミズキだが、悪い気はしていない。
例外。
それはカナコの照れ隠しだろうと思うことにしたから。
「じゃあ、これからはあたしをヤヒロさんだと思って練習してみよう、『カナコちゃん』?』
「――――」
ミズキの言葉に、カナコが半目になる。
「馬鹿じゃないの?」
「え? あれー? 想像以上に冷たい反応!?」
ミズキが傷付いたと言わんばかりにリアクションをする。
その大げさな反応がおかしくて、カナコは小さく笑った。
それが嬉しくて、ミズキも笑う。
普段は無表情で綺麗なカナコが、笑うとこんなに可愛い――その事実を知る者が自分を含め、ほんの少ししかいないのは、もったいない気がするとミズキは思う。
「話せるようになれるといいね、ヤヒロさんとも」
「……ええ、そうね」
カナコは他人事のように答えた。
そっけないその反応を、ミズキは照れ隠しなのだろうと思う事にした。