カナコの涙を見た翌日も、ミズキは〈タカマガハラ〉に来ていた。
昨日は泣きつかれた彼女をカヤに預け、帰宅の途に就いた。ヤヒロが代わりに〈スサノオ〉の格納庫まで案内をしようかと提案したのだが、それは断った。理由はカナコに案内して欲しかったからだ。
そして今、ミズキはカナコと並んで格納庫へと続く廊下を歩いていた。
「昨日はごめんなさい。その……取り乱してしまって」
ふいにカナコが呟いた。出逢った頃と変わらぬ無表情のはずだが、どこかよそよそしいのは、人前で泣いてしまった事を恥じているからだろう。
「ううん。気にしなくていいよ、そんなこと」
対するミズキの返事はあっさりしたものだった。カヤなら面白がって話を混ぜっ返すところだろう。
だが、ミズキはそれをしない。
基本的に真面目なのだ。
『好きな子をいじめる』より、『好きな子には好きだとアピールしたい』タイプとも言える。
ともあれ、カナコにしてみれば追及されないのはありがたかった。
だから――
「――ありがとう。その、色々……」
口をついて出てしまった感謝の言葉に、カナコ自身の気持ちが追い付いていけていない。言葉尻が途切れてしまう。
「…………ごめんなさい。上手く伝えられなくて」
足を止め、俯(うつむ)いてしまうカナコ。
そんなカナコを、ミズキはどうしようもなく愛(いと)おしいと感じた。母性本能をくすぐられるなどといった甘いものではない。
(なんだろう、この気持ち?)
ミズキは己に問いかける。カナコに対して感じる感情の正体を。
(友情?)
それは微妙に違う気がする。
(愛情?)
近い気がする。
誰かを大切にしたいというこの気持ち。それはすなわち――
(――恋?)
† † †
自己嫌悪。
恐らく、自分にもっとも似合う言葉のひとつだろう。
まったくもって嫌になる――カナコは心の底からそう思う。
ありがとう。
ただ、ミズキにそう伝えたかっただけなのに、余計な事を言ってしまう。
ごめんなさい。
どれだけ消極的(ネガティブ)なのかと、自分の思考が嫌になる。
こういう自分が嫌いだ。
根暗で。自虐的で。マイナス思考で。
ほとほと愛想が尽きる。
それでも、これが自分だ。
やめる事も、棄(す)て去る事も出来ない。
一生付き合っていくしかないのだ。
いつしかカナコは、そんな風に、諦めて生きてきた。
だが……。
(もう、やめよう。こんな風に考えるのは――)
だって――
(ミズキが居てくれるのだから)
俯いていた顔を上げる。そうして見えたのはミズキの笑顔だった。
言葉にはせず、ただ気遣う様に、ぎゅっとカナコの手を握ってくれている。
それが嬉しかった。
それだけで立ち向かえる様な気がした。
嫌いな自分に。
だから――
「……ありがとう――」
もういちど、そう言った。
今度は無粋(ぶすい)な言葉で終わらせないために、ぐっと唇を引き結んで、じっとミズキの目を見つめる。小動物を思わせる黒く大きな瞳を。
見様によっては睨んでいる様に見えるかもしれないが、それは仕方ない。ミズキなら判ってくれる。そんな勝手な希望を込めた。
「……うん」
ミズキの返事は簡潔だった。
しかし、カナコにはたくさんの想いが込められた一言に思えた。
伝わったのだ、カナコの想いも。
それが嬉しくて、カナコはミズキとつないだ手を、ぎゅっと握り返した。
無愛想なままなのは仕方ない。
今はこれが精一杯だから。
† † †
そんな小さなやり取りを終え、ふたりは〈スサノオ〉の格納庫に到着した。
そこに控えていたのは、人と同じ四肢を持った全高九・五メートルの巨人だった。
対タタリガミ戦用機神〈スサノオ〉。
白を基調にしたカラーリングに、ヒロイックでスマートなデザイン。頭部は小さく、『目』がふたつある。
「…………すごい――本当に〈スサノオ〉だ」
たっぷり三十秒は見上げたままの姿勢で、ミズキはようやく、それだけ言葉にした。
カナコも改めて自分の愛機を見上げてみる。
確かにミズキの様なロボット好きにしてみれば『格好良い』のかもしれない。
カナコにしてみれば、もう二年以上、共に戦った戦友だ。それが憧憬のまなざしで見られるのは誇らしくはある。
が、ミズキの興味が別の対象に移ってしまった様で、それはそれで面白くないとも感じる。
「……コクピットも見てみる?」
それでもミズキが喜ぶなら――そう思って提案すると、
「いいの!? 見たい見たい!!」
予想以上の食い付きに、カナコは内心で少しだけ引いていた。
† † †
それから小一時間ほど――ミズキは〈スサノオ〉のコクピットに搭乗し、操縦桿(レバー)を引いたり、ペダルを踏んだりしては、興奮して嬌声の様なものを上げていた。
何が楽しいのかは正直、理解に苦しんだが、ミズキが満足ならそれでいい。
そう自分を納得させてカナコは、コクピットから出るのを惜しむミズキを連れて昇降機を操作する。床に降り、ミズキはもういちど〈スサノオ〉を見上げる。
「あたし、〈スサノオ〉に乗っちゃった――」
どこか恍惚(こうこつ)とした表情を浮かべるミズキ。
それを呆(あき)れ顔でカナコが見ていると、
「――よう。もういいのかい、新人のお嬢ちゃん?」
と、声を掛けられた。
声のした方にふたりで振り向く。そこに居たのは五十代くらいの年齢に見える男性だった。
「野口さん。〈タカマガハラ〉の整備関連のチーフをしている人」
「よろしくな」
カナコの簡潔な紹介を受け、野口はミズキに握手を求めた。
だが、ミズキがそれに応じようとすると――カナコが制した。
「駄目よ、あまり近づいたら。無害そうな中年に見えるけど、実際はセクハラ親父だから」
「――へ?」
カナコの言葉の意味が一瞬では理解出来ず、ミズキが間の抜けた声を出す。
すると、野口は短く舌打ちし、
「いいじゃねえか、カナコちゃんよぉ。女子高生の手を握るくらい?」
と、のたまった。
「そういう思考だから駄目なのよ。セクハラをするならカヤさんにしてください。あの人なら、ええ――何の問題もありませんから」
「はあ? 二十代の女なんかに興味はねえ。おじさんは十代の女の子が好きなんだよ」
「――行くわよ、ミズキ。ここは危険だわ」
「まあ待て。ミズキちゃん、〈スサノオ〉の解説とか聞きたくないかい? おじさんが色々、教えてやるぜ?」
野口の言葉にミズキのロボット好きセンサーが反応した。
「聞きたいです!」
「そうこなくっちゃな! まあ、立ち話もなんだ。飲み物でも奢ってやるから、ゆっくりしていきな」
そう言って野口はミズキを自販機に誘導していく。
「…………はあ」
カナコは盛大にため息を吐(つ)いた。
† † †
買ってもらった緑茶の缶を片手に、ミズキは野口の声に耳を傾けていた。カナコは『セクハラ親父だ』と言っていたが、〈スサノオ〉の解説をしてくれる彼には、悪い感情は抱かなかった。
「とまあ、そんな感じだ。なんか質問があれば訊いてくれていいぜ?」
やはり気の良いおじさんに見える。先ほどの『十代の女の子が好き』発言はどうかと思うが。
「じゃあ――〈スサノオ〉って動力は何なんですか?」
「さすがはロボット好きだな。普通、女子高生がメカの動力なんぞに興味は持たんぜ?」
「えへへ、やっぱり変ですかね」
「いや、実に素晴らしい。ちなみに――核融合炉だ」
ミズキの質問に、野口は真顔で答えた。
「ええっ!? 核融合炉って実現化してたんですか!?」
「いや、すまん。冗談だ」
それを聞いてミズキはがっくりと肩を落とした。核融合炉といえばロボットアニメの代名詞とも言える作品で使われている動力機関だ。それだけに冗談である事が惜しい。
「じゃあ、何で動いてるんですか? もしかして蓄電池(バッテリー)ですか? まさかガソリンじゃないですよね?」
ロボットアニメ史上、ロボットがガソリンを燃料に動いていた作品もある。あまりSF的ではないが、それが味があるという声も聞く。
「あー……」
「?」
野口がカナコの方を向いて窺う(うかがう)様な表情をした。それに対してカナコは『了承』という様に頷(うなづ)いた。
それで相談は済んだのだろう。野口はミズキの方に向き直ると、
「――判らん!」
と口にした。
「……判らない?」
「そうだ。〈スサノオ〉がどうやって動いてるのか、俺達には判ってないんだよ」
野口の言葉に耳を疑いながら、ミズキは缶コーヒーを啜(すす)っているカナコの方を見た。
「本当よ。〈スサノオ〉がどういった理論で動いているのか、誰も知らないわ」
そういってカナコは、〈スサノオ〉が〈タカマガハラ〉で運用されるに至った経緯を話し始めた。
† † †
西暦2012年。
今から二百年前にそれは起こった。
否、劇的な変化が起きた訳ではなかった――むしろ、その年を境に変化は起こらなくなった。
具体的に言うと、技術の進歩が止まった。
理由は判らない。
ただ、科学技術と呼ばれるものの発達が見られなくなった。
日進月歩などという言葉は過去のもので、衰退こそしないものの、人類は新たな技術を生み出せなくなった。
〈技術の停滞(テクニカル・スタグネーション)〉。
それを『人類の進化の袋小路』だと言う者も居た。
それでも人は今日まで生き続けた。
それは緩慢な滅びへと向かう日々でもあった。
知恵を得て、文明を築いた人間は、システムを造り、それを維持し続けなければならなかった。
それは走り続ける事だ。
より豊かに、より便利に、より良い未来のためにと。
それが止まる事は許されない。
止まるという事は、衰退する事と同義なのだろう。
少しずつ、確実に、人類はその生物としての活動を縮小させていった。
結果的にこの二百年、人類は長い歴史から見れば驚くほどに『何もしていなかった』。
携帯電話の形や機能は変わらず、車も相変わらず地面を走っている。ネットワーク技術もインターネットを超えるシステムは開発されず、連絡手段には未だに『紙』を使っている。宇宙進出など夢のまた夢だ。
ただひとつだけ喜ぶべき事があるとするなら、『戦争』と呼べる規模の争いが起こっていない事かもしれない。
そう、この二百年――戦争は一度も起こらなかった。
それに引きずられる様に、紛争やテロ行為すらも発生件数が激減した。
無論、ゼロにはならない。だが、確実にゼロに近付いていた。
誰もが待ち望んでいた『世界平和』は、誰もが思いもよらない方法で実現されつつあったのだ。
しかし、戦争の無い世界で多くの人が途方に暮れた。
誤解を恐れずに言えば、それまで人は戦争によって生きながらえてきた。
兵士として戦う事で。
もしくは戦争に直接、あるいは間接的に関わる物資を供給する側として。
誰もが戦争と無関係ではない。自分が口にしている食糧は、どこかで誰かを犠牲にして得られている。
ただ無自覚なだけで――いや、気付いていない振りをしているだけだ。
気付いていながら、気付いていない振りをする。
そうでなければ――生きていけないから。
しかし、戦争の無くなった世界はその現実を人々に突き付けた。
ああ、自分達は戦争をして、その犠牲の上に生きてきたのだと……。
戦争の無い世界で、人は少しずつその数を減らしていった。
平和なはずの世界で、しかし人は生きていけなかった。
技術の停滞が戦争を無くしたのか。
戦争の終結が技術の進歩を止めたのか。
それは今になってはどうでもよかった。
ただ人類が緩慢な滅びへの道へ向かっている事だけは間違いない。
そんな、人類の衰退が進む、ある日。
「二百年前――西暦2012年に〈スサノオ〉はここ、高千穂に降臨したの」
教科書通りの講釈を述べた後、カナコは厳かな口調で言った。
「降臨?」
オウム返しに口にするミズキ。
「言葉通りの意味よ。〈スサノオ〉は空から降りてきたらしいわ」
二百年前の話だ。当然、カナコがその時の事を知っているはずがないのだが、ミズキは他に訊くべき相手もおらず――野口も知っていそうにない――彼女に「それで?」と続きを促(うなが)す。
しかしカナコは、
「それだけよ。これ以上の事は私も知らない」
と、さじを投げる様に言った。
ミズキは混乱した。〈スサノオ〉は日本政府が開発したと発表されている。しかしそれが空から降りてきた?
「空って、宇宙っていう意味……?」
ミズキの疑問に、しかしカナコは「いいえ」と答えた。
「その日、大気圏外から日本上空に突入するコースに正体不明な物体(アンノウン)は観測されていなかったそうよ」
「それじゃあ、つまり――」
「〈スサノオ〉は高千穂(ここ)に突然現れた事になるな」
それまで黙っていた野口が、ミズキの考えを代わりに言ってくれた。
「だからって、馬鹿正直に『〈スサノオ〉は突然現れたんです。私達にもよく判りません』じゃ、人は不安になるわ。それに、〈スサノオ〉には役目があった」
「役目って?」
「詳細は知らないけど、〈スサノオ〉が現れた時に、他にもメッセージらしいものもあったの。〈スサノオ〉という名前はそれに記してあったそうよ」
野口がカナコの言葉を継いだ。
「そして、それにはタタリガミの出現も予測されてた訳だ。二百年前の日本政府はそれを信じて〈タカマガハラ〉を組織した」
ちなみに、技術解析のために分解しようと試みたが、〈スサノオ〉の装甲にはメンテナンス用の分割線(パネル・ライン)すら無く、内部構造は不明のままだそうだ。故に動力機関は元より、関節機構(アクチュエーター)すら見る事が出来ない。
「じゃあ、〈スサノオ〉は整備出来ないんじゃないですか?」
ミズキがもっともな疑問を浮かべた。
対して野口は、
「出来ないというか、要らないんだよ。完全に整備要らず(メンテナンス・フリー)。壊れたら自動で修復してくれるんだわ、これが」
と、それでいいのかと疑いたくなるくらいきっぱりと言ってのけた。実際に今、〈スサノオ〉の左腕は完全に修復されていた。
これが自己修復というならまさにSFだ――ミズキは驚きを通り越して感動すらしていた。
「本当にたいしたものだわ。〈スサノオ〉を造ったのは、本当に神様かもしれない」
どうして人間を乗せる必要があるのかは謎だけどね――とカナコは、どこか自嘲的に呟いた。
「どういう事?」
「巨大な人型……私はロボット工学の事は知らないけど、〈技術の停滞(テクニカル・スタグネーション)〉以前の技術では実現出来なかった訳でしょう? そんなすごいものを造れるなら、人を乗せなくても動く様に出来たんじゃないかって思わない?」
ミズキの問いに、カナコはそう答えた。
「いわゆる自律稼働ってやつだな。まあ、安全面での配慮もあるんだろうが、俺が思うに〈スサノオ〉は人類に託されたんじゃねえかな?」
「あ――そういう考え方、あたし好きです」
「?」
野口の意見にミズキが賛同する。それに対し、今度はカナコが首を傾げた。
「まあ、メカニックに興味がないカナコには判らねえだろうが、ロボットアニメだと、そういうパターンもあるんだよ」
と、野口は苦笑しながら言った。どうも、野口もミズキと同じ趣味の持ち主らしい。
「だからね――『力を貸してやるから、あとは自分達でなんとかしろ。自分達の未来は自分達で切り開け』的なパターンだね」
ミズキは非常に楽しそうだ。
「……理解に苦しむわ」
そう言いながら、カナコは無言で佇(たたず)む巨大な人型を見上げた。
物言わぬ機神は、ただ虚空を見つめるだけだ。
† † †
まだ〈スサノオ〉を見たいと愚図(ぐず)るミズキを多少、強引に連れ出して、カナコ達は食堂に移動していた。
気付けばもう夕飯時になっていた。放っておいたら、何時間でも格納庫に居ただろう。
自分も連れて行けと言う野口に、カナコが絶対零度の視線を向けて拒絶したのは言うまでもない。
「野口さん、全然悪い人には見えなかったけど?」
ミズキがのほほんとした口調で言う。
まったくもってお気楽な性格だとカナコはため息を吐いてみせた。
「そこがあの人の油断ならない処なの。今日は〈スサノオ〉の話で盛り上がっていたからいいけど、普段は本当にセクハラ親父よ。だから、私と居ない時には近づいては駄目」
「そうなんだ……」
カナコの熱の無い淡々とした口調に、どこか怒気が混じっている気がしてミズキは反応に困った様に曖昧に笑った。
「…………」
カナコはそんなミズキを無言で見つめる。
本当に判っているのだろうか。
いや、この人の良い少女の事だ。判っていても、他人を悪く言えない性格である事はすでに知っている。
そんな事よりも、カナコには話したい事が別にあった。
「――ねえ、ミズキ」
「ん、なに?」
注文したステーキ肉を咀嚼しながら応えるミズキ。その様は口いっぱいにヒマワリの種を頬張ったハムスターを連想させる。
(やっぱり小動物系ね)
カナコは内心で再認識する。
「?」
無言で何かを納得しているカナコに対し、ミズキは疑問符を浮かべた。
「ミズキ――出身は?」
「え?」
カナコの唐突にも思える問いに、ミズキはまた疑問符を浮かべる。
「その……私、ミズキの事を何も知らないなと思って」
「うん」
「だから、今日はあなたの事を聞かせてくれると……嬉しいというか。迷惑でなければだけど」
「うんうん! いいよ、何でも訊いて! 迷惑なんかじゃないよ!」
カナコのうかがう様な問い掛けに、ミズキは満面の笑みを浮かべて応えた。
その無邪気なまでの嬉しそうな表情に、カナコはほっとする。
「あたしね、この春に東京から来たの。それまでは東京で生まれて、ずっと向こうで暮らしてた」
「どうして高千穂に?」
カナコが疑問に思うのも無理は無い。高千穂といえばタタリガミが出現する土地として世間的には認知されている。〈スサノオ〉の存在によって被害は最小限に抑えられているが、それでも皆無ではない。わざわざ危険な土地に引っ越してくるには、それ相応の理由があるはずだ。
しかし――
「あのね――〈スサノオ〉をこの目で見たくて」
「…………」
カナコは無言。
絶句している訳ではない。むしろ予想出来ていた答えだ。
しかし、実際に口にされるとやはり言葉が出なくなる。
「馬鹿だって言われるかもしれないけど、あたしね、本当に〈スサノオ〉が好きなの。どうして、こんなに心惹かれるのかは判らない。ロボットが好きだからっていうのもあると思う。けど〈スサノオ〉は何か違うの。自分でも理由は判らないんだけど、特別な感じがするの。だから、少しでも近くに行きたくて、高千穂の高校を選んだんだ」
そういってミズキはまた曖昧な笑みを浮かべてカナコの反応を待った。
「……あなた、馬鹿じゃないの?」
この少女は――馬鹿だ。
カナコは率直にそう思った。
だから、思ったままを口にした。
言葉を選ぶ間もなく、口をついて出てしまった。
しかしミズキは、
「あはは。やっぱり言われちゃった」
と、気を悪くした様子はない。
そう言われる覚悟があったのだろう。
「お母さんと、お父さんにも、反対されたんだ。高校は東京の学校に行きなさい――って」
「…………」
「だけどね、お婆ちゃんだけが『ミズキの好きにしたらいい』って言ってくれたんだ」
ミズキの話によると、彼女の母方の祖母が高千穂に住んでおり、ミズキの受け入れ先になってくれたらしい。余談だが、ミズキの父親は婿養子らしく、母親と祖母に頭が上がらないそうだ。
「じゃあ、ミズキは今はお婆さんと?」
「うん。お爺ちゃんはもう亡くなってるから、ふたりで暮らしてるよ」
ちなみに西暦2212年の現在も首都は東京にある。〈技術の停滞(テクニカル・スタグネーション)〉以後も日本でもっとも大規模な都市である事に変わりはない。
それに対し、高千穂は二百年前に始まった大規模な区画整理計画により、中心部の人口は減り、一般家屋はドーナツ状に分散して再建築されていて交通の便はすこぶる悪い。
本来は都市の発展の要となる中心部が空白地帯なのである。必然的に様々なものが分散してしまい、結果――都市としての発展はしにくくなる。
要は辺鄙(へんぴ)な土地なのだ。
田舎と言われても仕方ない。
それに加えて、被害規模は小さいとはいえ、タタリガミの様な化け物が出る様な土地に住みたがる――ミズキの様な例外を除き――物好きはそう居ない。高千穂を離れる住民も少なくないのだ。
それでも『神話の里』としては有名で、いくつもある神社はパワースポットとして知られており、観光名所としては有名だったりする。
ちなみに、区画整理によって一般家屋は中心部から遠ざけられたが、学校や神社など、動かす事が不可能な施設に関しては元の場所に残っている。タタリガミの出現範囲内に高千穂高校があるのはそのためだ。
「そう。大都会東京から、好き好(この)んでわざわざこんな田舎に引っ越してくるなんて――物好きにもほどがあるわ」
「うん、だって〈スサノオ〉が好きだから」
「――――」
あきれて言葉がないカナコに、ミズキは「それにね」と続けた。
「――ここに来なかったらカナコにも出逢えなかった。だから、来て良かったって思うんだ」
朗らかに言うミズキ。
その笑顔がまぶしくて、カナコは目を逸らした。赤面しているであろう顔を見られたくなかったから。