【習作】IS/C~Ichika the Strange Carnival   作:狸原 小吉

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特に話は進まない。

何故こんなに長くなったのか。

モコモコ捏造が入ってきておりますのでご注意下さい。


幕間1 「教師の日々」

 島を覆うようにして計画的に植樹された緑の木々。それに囲まれるようにして建つ白亜の色はIS学園のものだ。その教室棟の1階、よく清掃が行き届いた長い廊下を颯爽と歩く女性がいる。

 

 いるだけで場の空気が引き締まるような雰囲気を身にまとう女は1年1組担任である織斑千冬だ。

 

 片手に薄い出席簿――――のようにも見えるが、その実は学内のネットワークにリンクして様々な情報を引き出したり、学園内の設備を操作することも可能な教員用の情報端末――――を携え向かうの学園の教員室だ。

 

 初日の授業も無事終わり、廊下には千冬の他にも生徒の姿が多くある。入学式を終えたばかりだが早くもグループを形成している者たちもいれば、慣れない校舎に戸惑いながら視線を動かしている者などその動きは様々だ。

 

 彼女たちは急峻とも呼べるような学園の倍率を掻い潜って入学してきた才女たちだ。性格は人それぞれではあるが、それでもその立居振る舞いは他の一般的な同年代の少年少女と比べると隙の無いものだ。

 

 だが、そんな少女たちの姿を視界に留める千冬には、どの少女にも皆一様に浮ついた雰囲気があるのが読み取れた。

 

 そして、それも無理は無いことか、と千冬は思う。今日この日を迎えるまでに、彼女たちとその周囲が積み重ねてきたであろう努力は並大抵のものではない。学園に入学するためのテストは学力・体力だけではなく幅広く多岐に渡る。それでもまたこれらは本人の頑張り次第では身に着けることができる要素だ。ただ、ISにはそういったものの他に『適正』という要素がある。

 

 大抵は早いうちに適正の有無を判断してから受験勉強に臨むので受験生の中に『適正無』という者はいなかったが、他のテストの成績が同程度であるのなら最後に者を言うのがこの『適正』だ。

 

『適正』がより高いという事実が結果を左右する。こればかりは本人の努力ではどうにもならない先天的な『才能』の領域であり、恐らくこの少女たちは受験の際には、個人の信仰の有無に関わらず祈らずにはいれなかっただろう。

 

だからこそ、全てのテストをパスしてきた彼女たちは文字通りの『才』女と言える。

 

 そういった様々な障害を突破して制服に袖を通すまで至った念願のIS学園。その入学式を終えた後ということで少し気が抜けたのだろう。

 

――――妙に緊張しているよりはマシだが、ずっと気が抜けたままであれば困る……と、こう考えるのも毎年の恒例となりつつあるな。

 

 と、考え事をしていると、千冬に気付いた生徒たちが一斉に道を開ける。皆一様に目を輝かせ、続いて甲高い声が上がり『千冬様』だの『お姉さま』だのといった言葉が次々と耳に入ると、千冬は何とも言えない気持ちになった。

 

――――これもまた毎年の恒例だな……。

 

 やれやれ、と息を吐かずにはいられない。千冬はもはや現役を退いた身だ。それにも関わらず今だにアイドルの類を見たような反応には辟易していた。

 

 ISを扱えるのは女性だけで、各国の頂点である代表生の座に着くべく切磋琢磨する候補生は自然とうら若き女性となる。そのためか、候補生達は大企業や各国の広告塔としてメディアに露出する機会も少なくない。代表生にまでなればその回数はさらに増える。

 

 メディアへの露出を好む人間もいれば好まない人間もいる。結局は人次第であるのだが、千冬はどちらかというと後者だ。彼女はそれでも代表生の義務と考え(あきらめて)様々なメディアに出る羽目になったのだが、それにより千冬の知名度はぐんぐん上がっていき、一番酷い時期には少し買い物に出かけるのも一苦労だった。

 

 今の生活は教員なりの苦労がある。だがかつてを思えば気苦労が少なくて良い、と千冬には思えた。

 

――――そもそも豪州女と飲み比べなどしていた無骨者の容姿にどんな需要があったものか……世の中わからないものだ。

 

 当時はメディアからの写真撮影などの依頼も多かった。その頃の自分の様々な悪行――――もとい素行を思い出し、世間の求める『織斑千冬』像と実際の自分の両方を天秤にかけてみて何とも言えない気持ちになった。

 

――――あのゴリラ女も今では自国で後進の教育か……。

 

 時代は変わるものだ、と千冬は独り言ちる。ちなみに飲み比べも千冬の勝利だった。相手がゴリラ女なら、そのゴリラに勝つ千冬はいったい何なのか、とは一切思わなかった。

 

 手をついて落ち込む豪州女を見て腹を抱えて笑う英国女と、鉄面皮と言わんばかりに無表情のくせにやたら負けず嫌いな独逸女が自分もやると言って来たり、物腰穏やかなくせにジャイアニズム全開な米国女がナチュラルに喧嘩売ってきたりで色々と大変だった。

 

――――思い返すとヴァルキリーなどと呼ばれる連中は、第一回大会の頃から馬鹿ばかりだったな。

 

 負けた腹いせにやたら日本語で語尾に『ブリュンヒルデ』を付けて挑発してきたものだから思わずマジ殴りの喧嘩に発展したことを思い出した。

 

『ブリュンヒルデって日本語の発音だと何かひり出している感じがするわね? ええ、トイレとかに行って。具体的にはお尻から――――!』

 

――――とか最悪なことを言い出した女は宿泊していたホテルの窓からたたき出してやったが。

 

 ちなみに部屋は10階だった。途中途中でやたらベランダやらなにやらが突き出ていたので大丈夫だと思ってやってみたら案の定無事だった時に思わず舌打ちした自分の行動に矛盾は無いと思いたい。

 

 とにもかくにも、当時は篠ノ之束が無節操に様々な言語で論文や研究資料を書き散らかした弊害に頭を痛めながらも千冬は『あれが年頃の女のすることか』と思った。

 

 ちなみに朝起きたら半壊した酒場で全員下着姿で寝ていた残念集団の筆頭が自分であったが、千冬はその事実を意図的に無視した。

 

 ともあれ、馬鹿をやりながらも世界の頂点に君臨していた面々も、今ではそのほとんどが第一線を退いた。どいつもこいつもろくでもない狂人の群れではあったが、それでもIS操縦の技術は一級であった。

 

 ISの技術は日進月歩。第一世代や第二世代型のISでしのぎを削り合った自分の現役の頃から技術は更に発展し、今までにない第三世代型の装備が今後主流になっていくのだろうが、それでもISの基本的な動作は変わらない。

 

 自分がやるべきことは、あの時代に得た知識と経験を、卵の殻も取れていない新入生ひよっこたちに叩き込むことだ。既に候補生で専用機持ちという者もいるが、磨けば光りそうな優秀な者は他にもいる。彼女たちが三年間でどのように成長し、どのような光を放つのか。千冬は今からそれが楽しみだった。

 

 しかし、と千冬は考える。

 

 IS学園は入学したその日から授業が始まる。今日の入学式に備えて色々と駆け回ってきた千冬にしてみれば『忙しないことだ』と思わなくもなかった。

 

 何よりIS学園という特殊な場所では一般的な学校以上に気に掛けることが多い。ましてや千冬が今年担任を受け持つ1年1組は自分の実弟のことを差し引いても色々とややこしいクラスだ。心身とも強靭な千冬にしてみてもやや気疲れ気味だった。

 

 とはいえ、そんな様子をおくびにも出すわけにはいかない。自分は学園の教員であり、毅然とした態度で生徒たちの教育に当たらなければならないのだ。

 

 改めて気を引き締める千冬であったが、進行方向から千冬のほうへと歩いてくる人物を見て一気に脱力した。

 

 

 

 

 

 

 幕間1 「教師の日々」

 

 

 

 

 

 

「やあ織斑君じゃないですか」

 

 気さくに声をかけてくるのは初老の男だ。学園の廊下で年配の男というだけで場違いなのだが、頭にかぶった麦わら帽子と用務員然とした服装がその場違い感を緩和している。麦わら帽子の下で柔和な笑みを浮かべるその顔には年相応の皴が刻まれているが、それが見る者に『好々爺』といった印象を与える。

 

「……生徒の目がありますので『織斑先生』でお願いします轡木先生? 聞くものが聞けばややこしく思いますので」

 

 悩ましい、と言わんばかりに顔に手を当てる千冬に、轡木と呼ばれた初老の男は苦笑交じりに頬を掻いた。

 

「はは、すみません。つい癖でね。それと私はもう教師ではありませんよ。私はただの自称用務員の十蔵です」 

「自称用務員などという怪しい人物がいたら迷わず警備の人間を呼ぶのも我々教員の給料のうちなんですが?」

 

 怖いなあ、と眉尻を下げて頭を掻く轡木に千冬は追及するのを諦めた。千冬は1年生が生活する学生寮の寮長も兼任している。今日は授業が終わったとはいえ本格的に始まる寮生活の前に生徒たちが羽目を外しすぎないように初日のうちに釘を刺しておかなければならない。

 

 本来であれば千冬は忙しいの身の上のため同僚の数学教師に押し付けようとも思ったのだがじゃんけんで負けてしまったのだ。じゃんけんの勝敗で仕事が増えるなど真に不本意極まりなかったが、やるとなればしっかりと務めを果たさねば気が済まない性分である。よって今はあまり目の前の人物の追及に時間をとられるわけにはいかなかった。

 

「というより、そんな恰好でいったい何をしているんですか?」

 

 そんな姿? と首を傾げた轡木は自分の服装を確認すると、何かに気付いたのか『おお!』と驚いたように声を挙げる。

 

「軍手を忘れていました。素手で草むしりをすると爪に土が入ってしまいますからね。いやぁ耄碌耄碌。織斑先生ありがとうございます」

「……いやそうではなく、何故あなたがそんな雑務を……いや、もういいです」

 

 目の前の老人は一見すると穏やかで気弱なように見えるが、実際はそんな調子ですべてを受け流し学園の様々な権利をもぎ取ってきた男だ。ムキになって指摘したところで同じように受け流されるに決まっている。

 

 色々と堪えるようにしている千冬に、ところで、と轡木は変わらぬ口調で声をかける。

 

「更識くんがロシアに『淑女』のお迎えに行っていますが『生徒会』の活動で何か不備はありませんか?」

「それを見越して布仏の者に随分細かく指示を出していたようです。少なくとも現時点では問題はありません。お気遣い感謝します」

 

 表情はそのままに、しかし目を細めて言う轡木に淀みなく応える。裏の警備、のさらに裏を統括する少女は現在学園を不在にしている。そんな中で『世界で初めてISを動かした男』と『天才・篠ノ之束の妹』と、それより少し落ちるが『英国の令嬢』など身の危険にさらされそうな人物にことかかない現状である。世間では『ISコア強奪事件』など物騒な事件も起きている。轡木としては不足する部分があれば早期のうちに補うべくこうして声掛けしてきたのだろう。

 

 それを聞いて轡木はほうほう、と嬉しそうに笑う。

 

「はは、17代目は頼りになるでしょう織斑先生?」

「……そうですね」

 

 問いというより確認の響きの強い轡木の言葉を受け、千冬は素直に頷く。更識――――17代目と呼ばれる少女には千冬も一夏の身辺警護の件で頼み事をしていた。そんな彼女は今年で学園の2年。普通であれば高校の2年だ。その年齢にもかかわらず、彼女の両肩に載せられた重責は相当なものである。

 

 おまけに彼女の『家』の特殊な事情から時折こうして学園を不在にしてロシアという遠方に出向くこともある。今はロシアにいる千冬と旧知の女に『淑女』の『最終調整』と称してかなりしごかれているらしく、昨日連絡を入れてみたところ、いつも飄々としている少女の表情には隠しきれない疲労の色がみてとれた。

 

――――あの露西亜女に付き合わされるとは気の毒に。あの女の近接戦闘のえげつの無さは半端ではないからな。

 

 現役時代の『露西亜女』と呼ぶ人物とのIS世界大会モンド・グロッソ格闘部門での試合を思い出し、千冬はややげんなりとした。IS操縦もそうだが、そもそも本人の体裁きが極限まで洗練されており、千冬がどれほど追いつめても対応してくる驚異的な粘り強さの持ち主だった。

 

――――あれで民間出などとのたまうのだからお笑いだ。どう考えても堅気の出では無いだろうに。更識は合気道の他に色々と武術を身に着けているが、訓練や機体調整とはいえあの女と戦うぐらいなら普段の仕事のほうがずっと楽だろうな。まったく、あの年齢で苦労が絶えないなあいつも。

 

 自分が少女と同じ年頃にはどうであったろうか、と千冬は考え――――途中でそれをやめた。先ほどから昔を思い返してばかりだな、と苦笑する。

 

「そういえば織斑先生の弟の、一夏くんでしたか。それに篠ノ之姓の……そう、箒くん。二人の様子はどうですか? 特に一夏くんは昨日も護衛の人間を随分と振り回したと聞いていますが? はは、とても元気の良い子のようですね?」

 

 唐突に振られた身内に関する話題に千冬は微かに頬を引きつらせる。そう、確かに一夏が警備の人間を散々振り回した昨日の一件は報告した。だがこのタイミングでその話題が振られるとは千冬も思っていなかった。

 どう答えたものか、と僅かに思案する。脳裏に愚弟(いちか)の顔が思い浮かぶ。良い笑顔である。何故だか無性に腹が立ってきた。

 

 何とも言い難いので、とりあえず箒の様子を先に説明することにする。こちらはこちらで一夏とは別の意味で複雑だ。

 

「篠ノ之は……あまりよくはありませんね。一見すると新入生にありがちな新しい環境に対する緊張というものを抱いていないように見えます。ですが――――」

 

 千冬はそこで一度言葉を切る。篠ノ之箒――――かつて千冬自身も短時間ではあるが師事していた道場の娘にして実弟いちかの幼馴染と言える少女だ。会うのは6年ぶりとなるが、未だ直接会話はしていない。先ほどのSHRの際にそっと様子を観察していた。箒も千冬のことを忘れてはいなかったようであるが、向けられた視線には硬いものがあった。何よりその表情には6年前には見られなかった陰があった。  

 

 あれは憂いの陰だ。

 

 千冬と箒は長い付き合いであったとはいえないが、しかし古い付き合いと言える関係だ。だからこそ、自身がその行方を把握できなかったとはいえ、箒があのような表情を浮かべるようになるまで何もできなかったことに対する罪悪感が胸中に渦巻いた。

 

 箒のIS学園入学に際して政府側から提出された資料は事前に目を通している。彼女が抱える事情に関しても、少なくとも他の教師陣よりはよく理解しているつもりだ。幼い頃に両親と離れ離れになり、それからは要人保護プログラムにより様々な場所を転々としてきた。事情も解らないままISに、そして何よりも実の姉に振り回されることになった6年間だ。

 

 苦労してきた、と一言で片づけるのは容易い。だが箒は千冬にとってまったくの他人ではない。生真面目で真っ直ぐな娘だった。何故かたまに顔を合わせると妙に怯えられたような不本意な記憶があるが、基本的には裏表の無い純粋な娘だった。そんな彼女の表情にあのような陰がこびりつくようになるまで、どのような思いをしてきたのか。

 

「彼女の事情とこれまで置かれていた状況を鑑みますと、やはり何らかのケアが必要なように思います。元々純粋で、頑なな娘です。その気質が6年間で悪いほうへと向かってしまっているようです」

 

 千冬の言葉を聞き、轡木は眉を下げる。

 

「……痛ましいことです。庇うわけではありませんが、政府側の対応は間違いなく彼女とその家族を守るための措置でした。しかしそのことで失ってしまうものが多感な子供の心にどれほどの影響を与えるのか、そのことを深く気に掛けるだけの余裕がこれまで無かった。しかしこれからはそうであってはいけません。この学園での生活で彼女が何かを得られるように。そのためにできる限りのことをしましょう。それが私たちの責務です」

 

「無論です。ですが……」

 

 静かだが、後になるにつれて強くなる轡木の言葉を受けて千冬も頷いた。ただ同時に、千冬には轡木が言うこととは別の考えも浮かんでいた。

 

「何かあるのですか? 織斑先生?」

「私はこの件に関して我々にできることはあまりないと――――ただそれでも何とかなるかもしれないと、そんな身勝手なことを考えています」

 

 それは確証のない千冬の個人的な予想だ。自分自身、そんなことを思うのを身勝手だと考えるのだ。他人から責められても仕方がないとさえ思う。だが不思議と『そうなるだろう』と、強く感じられる。

 

 千冬の表情に僅かながら楽しげな色が混ざっているのを見てとった轡木は、はて、と思いながらも問いかける。

 

「ひょっとして一夏くんですか? そういえば彼の様子はまだ聞いていませんでしたが……」

「いちか……いえ、織斑一夏は相変わらずです。あの馬鹿は真面目な顔をして周囲を振り回して方々にご迷惑を……いや、その、本当に申し訳ありません」

 

 後になるにつれて言葉の勢いを失っていく千冬に轡木は苦笑した。眼前の人物の性格とその在り様はそれなりに良く知っている。優秀で柔軟な人物だが、聊か硬さが強すぎる。先ほど千冬は箒のことを『純粋で頑な』と評したが、轡木にしてみればそれは目の前の千冬にも当てはまることだと思った。

 

 そんな彼女が戸惑いながら、心底申し訳なさそうに頭を下げる姿は必ず彼女の実弟である『織斑一夏』が絡んだときだ。だがそれは普段の彼女の頑なさが緩む瞬間でもある。

 

 どこまでも公平なようでいて、その実身内には非常に甘いのが織斑千冬という人物であった。

 

 そのことを危ういと評する人間もいるかもしれないが、轡木にとっては織斑一夏という人間がいたからこそ、織斑千冬という人間が本質的に抱えた危うさを抑えられているのだと見ている。

 

 だとすれば、

 

――――織斑千冬くんと篠ノ之箒くん。書類を見ていたときも少し感じていましたが、二人は似た者同士なのかもしれませんね。これは一度箒くん本人と話をしたいものです……と考えるのは身勝手な野次馬根性かもしれませんね。

 

 己の考えに苦笑した轡木は千冬に問う。

 

「謝る必要はありませんよ織斑先生。それよりも私たちにできることはないと、それでも何とかなるかもしれないというその根拠を聞かせて欲しいのですが」

 

 

 それは、と千冬は口元に微かに笑みを浮かべる。

 

 

「篠ノ之箒という娘にとって、織斑一夏という男はいつだって、問答無用でその導火線に火をつける存在でしたから」

 

 

 

 廊下に面した窓の外で、少し強い風が吹いて木々を揺らした。 

 

 

 

 

 

 

▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ ▽▲▽ 

 

 

 

 

 

 

 IS学園に授業終了のチャイムが鳴り響く。授業を行っていた千冬が一足先に教室から出ていくと同時に、1年1組の生徒たちは皆僅かに戸惑いながらも『初めての』帰り支度を始める。

 

 それは織斑一夏も例外ではない。彼は授業内容を書き込んだノートや教科書を自分の机の上で揃えながら、本日の授業について思い返す。

 

 

 授業内容に関しては、彼は事前に配付されていた参考書に目を通していたため、初日からつまずくというようなことは幸いにして無かった。強いて問題点を挙げるとすれば、授業の途中で童顔の副担任――――山田真耶が『わからないところがあったら聞いてくださいね』と言ってくる場面があったので素直に『ありません』と答えたところ『ほ、本当ですかー?』と疑わしげな目で返してきたので、思わずSHRと同じ勢いで『この狸め‼』と叫びながら頬をつねって遊んでしまったことぐらいだろうか。

 

 最初は少ししたら止めようと考えていたのだが、ワタワタと涙目で慌てるタヌキ教師のリアクションに段々と止められなくなってしまい、最終的に嬉々として弄んでしまっていた。

 

 その後当然のようにクラス担任である実姉の出席簿の閃きの前に一夏は崩れ落ちることになったが。

 

 

 織斑一夏は『自分に夢中にさせて相手を破滅に追い込む、これが魔性の女か……』と考え愕然とした。

 

 

 山田真耶は、生徒である織斑一夏にとって自分という人間が教師ではなくいじりキャラとして定着しつつあるという事実を半ば確信して涙を拭った。

 

 

 

 そしてクラスの人間は、早くもこの状況に順応しつつある自分達の姿に気付き戦慄していた。

 

 

 

 一夏にとってはクラスの人間のそんな考えなど知る由も無いが、おおむねそのように推移した授業であった。その光景を思い出し、未だに教室に残って何やら端末の操作をしている副担任に目を向けると、あちらも視線に気付いたようでビクリ、と身を竦めて警戒するような姿勢をとった。

 

 まるで天敵を前にした野生動物のような反応に一夏は、ふむ、と一声もらす。自分とこの副担任の間には何か不幸な行き違い、誤解の類があるようだ。この副担任と自分との間には朝から色々とフレキシブルなコミュニケーションが展開されていたが、自分は何も山田真耶という教師が嫌いなわけではない。

 

 色々と疑問に思うところはあるが、少なくとも外見上は一生懸命な教師である。

 

 そうしてこのタヌキ娘をどうしたものかと考え、静かに自分の胸に手を当てた。聴こえるのは心臓の鼓動。そして静かだが熱く燃えたぎる芸人魂(こころ)が何の良心の呵責無く囁きかける『やれ』という言葉の二文字。

 

 そこで一夏は胸から手を放すと、何故かニヒルな笑みを浮かべながら思う。

 

――――今後の学生生活を考えるならば、こうした人間関係のしこりを残していても益は無い。

 

 ならば、

 

――――心に、従おう。

 

 

 やたら良い台詞だったが、意味していることは割と最悪だった。

 

 彼は一人頷くと、己の両の手を開いて自分の顔の高さまで掲げる。自然とクラスの人間の視線も一夏に集中する。

 

 それは目の前の副担任・山田真耶も例外ではなく、彼女は警戒しながらもその訳のわからない動作に表情を訝しげなものにする。

 

――――視線をひきつけることに成功した。

 

 一夏は事を成し遂げる前の第一段階が達成されたことに満足すると、ゆっくりと掲げた両の掌を握った。彼の手が拳を形成したことに、真耶の警戒が一層強くなるが一夏は特に気にしない。

 

 そのまま握る力を強めていく。ググ、という音が聞こえそうなぐらいに握られた拳は僅かに痙攣するように震えた。同時に真耶の体も同じぐらいプルプルと震えだす。心なしか目元に涙が浮かんでいるように見える。

 

 それすらも無視すると、己の表情を真顔で固定しゆっくりと目標へと近づく。両手の位置はそのままに、しかし親指と人差し指の腹を合わせると震える副担任へ向ける。同時に真耶の体の震えも最高潮に達しようとしていた。心なしか『ひ、ひぅ……!』などという小さな悲鳴が聞こえる。

 

 

 

 

 

 

 

 

 と、次の瞬間、

 

 

 

 

 

 

 

 

 ぽん、と音が鳴るようにして真耶の眼前に赤、青、白、黄――――色鮮やかな色彩が現れた。

 

 見るといつの間にか一夏の両手それぞれに小さな花束が握られている。そのことに一瞬遅れて、わ、と周囲のクラスメイト達が驚きの声をあげ、続いて歓声を教室に響かせた。

 

 予想外の展開に真耶は口を開けて呆けていたが、クラスの少女たちの声に押されるようにワンテンポ遅れて事態を飲み込み始め、自分の眼前にあるのが極彩色の凶器ではなく可憐な花々をまとめた花束だと認識した。それでも現状に理解が追いつかない真耶は目の前の花束を差し出している生徒(いちか)に視線を向けた。

 

 そこにいるのは先ほどまでこちらを野生動物か何かと思っているかのような冷酷な表情ではなく、微かにほほ笑みを浮かべた少年の姿があった。そのほほ笑みは同じクラスを受け持つ尊敬する人間に似ており、緊張して硬くなった肩から力が抜けていくのを感じた。

 

 その様子を見た一夏は、

 

――――相手の警戒を解くことに成功した。

 

 心の中で第二段階をクリアしたことを確認し密かに笑みを浮かべた。その笑みは擬音で表すとすれば『ニヤリ』という感じであり、どう考えても最後に碌な死に方をしないダークヒーローのような邪悪なものだった。

 

 同時に思い返すのは中学の頃――――男友達三人で作った『私設・楽器を弾けるようになりたい同好会』のアンプ担当をしていた男のことだ。

 

 彼は常に男と女が紡ぐハートフルな青春学園生活というものに憧れて色々と『恋の指南書』的なろくでもないハウツー本を読み漁っていた。

 

 そんな彼が常日頃言っていたことがある。

 

 

『――――女はプレゼントに弱い!!』

 

 

――――さすがだよ。それとごめん。中学時代お前が本から得た知識が役に立ったことなんて一度も無かったから、お前は虚飾で彩られた中身の無い文章に踊らされて貴重な小遣いを浪費する資本主義の犬ぐらいに思っていたよ。

 

 酷い言いざまだが残念ながら的を射た評価を向けていた友人を再評価しながらも、一夏は改めて自分の手にしている花束を前へと差し出す。

 

 その勢いに釣られた真耶は、躊躇いながもそれを受け取った。

 

「あ、ありがとうございます織斑くん。でもどうしてこんな……」

 

 言いかける真耶に一夏は黙って花束を指さした。

 

 その行動を疑問に思いながらも真耶は言われるがまま、目の前で咲き誇る花々を手折ってしまわないようそっと掻き分ける。

 

――――あ、バラの香り。生花なんですねコレ。

 

 そんなものをどこから、と考えずにはいられなかったが花束の中に小さく丁寧に折りたたまれた紙が挿まれているのを見て思考をストップした。

 

――――手紙、ですか?

 

 花束を落とさないよう脇に抱えるように持ち直すと、空いた手で紙を開く。紙が擦れる軽い音がして、中から手書きの文字が現れる。

 

 

 

 山田真耶先生。突然このようなことをされてさぞ驚かれていると思います。

 

 そのことについては本当にすいませんでした。

 

 ですが俺も口下手で、大人の女の人である先生に自分の気持ちを上手く言葉にして伝えることができませんでした。それで苛々してつい優しい山田先生にいじわるのようなことをしてしまいました。

 

 俺は本当に最低な人間です。

 

 

 文頭のその部分を読み、真耶はハッとなる。

 

――――お、大人の女の人……そうだったんですね。織斑くんも男の子ですから、私みたいに年上に素直に言葉にできなこともある……あるんでしょうか? あるんでしょうね? あ、あるんですとも!

 

 自身の男性経験の少なさから断言するまでには至らないが、話が進まないので真耶は気合いでとりあえずそういうことにして手紙の先を読む。

 

 

 どうすれば本当の気持ちを先生に伝えることができるのか、授業中ずっと考えていました。

 

 授業の内容なんてそっちのけで先生のことが頭の中から離れませんでした。

 

 結局、悩みぬいた結果がこんな方法です。先生は呆れているかもしれませんね。

 

 でも言葉を口にするのではなく、こうして手紙に書いていると口にしたくてもできなかった色々なことをちゃんと形として表すことができました。

 

 人間って不思議ですね。それとも俺が単純なだけなのでしょうか?

 

 

――――いえ、そんなことはありませんよ織斑くん。織斑くんの一生懸命な気持ちは先生にしっかり伝わってますよ!

 

 真耶は一度手紙を読むのを止めると、一夏に目を向けた。先ほどまで警戒していた筈の目の前の人物が、手紙を読んだ今では年頃の少年特有の悩みを抱える普通の少年に見える。

 

 自然と目が合い真耶は気恥ずかしくなり、それをごまかすように手紙へと視線を戻した。

 

 

 俺はどうしても先生に伝えたいことがあります。

 

 今日会ったばかりの生徒に突然こんなことを言われたら、きっと先生に迷惑をかけてしまうとわかっています。

 

 でも、それでも俺の心が、それを伝えずにはいられない。

 

 授業中に先生を見ていると湧き上がってくるこの気持ちをずっと隠しておくことなんてできない。

 

 こんな気持ちをずっと抱えたままでこれからの学園生活を続けるなんて、俺には耐えられない。

 

 自分勝手な俺を許してください。

 

 

 

――――え、ちょ、何を伝えようと……織斑くん!? というかこれはもうアレですよね! アレに間違いないですよね!? つまりは『千冬お義姉(ねえ)さん』と、そういうことで良いんですよね織斑先生!?

 

 真耶はそこで手紙を読むのを一度強制的にストップした。絶え間ない怒涛の展開の変化に真耶はただただ翻弄され、混乱により目が回ってきていた。

 

 続きが非常に気になるが、しかし果たしてこの続きを本当に読み進めて良いものだろうか。この先を見てしまうと色々とアンモラルというかインモラルというか背徳的というか、どれも意味するところは大きくは変わらないが兎に角そういう展開になりそうだという思いが彼女に先を読むことを躊躇わせる。

 

 全身に汗をかいているのを感じる。不快な汗、というのとは少し違う。ついこの手紙の送り主の方を見ると、そこには先ほどまでとは違い目をつぶり静かな表情の一夏がいる。

 

『たとえどのような結果となっても構わない。俺は先生を信じている』

 

 彼女の目には一夏がまるでそう言っているように見えた。

 

 

 そこには紛れもない、彼女が月曜の夜9時に見ている熱血教師ドラマ『ヤンキー大地に立つ』というタイトルに教師要素が微塵も感じられない番組内で見られる教師と生徒間の信頼のようなものが見えた。

 

 

 彼の気持ちを受け取った(と勝手に判断した)真耶は思う。教師として、一人の大人として、これを適当に流して済ますことはできない。

 

 先ほどは突然のことに混乱し、また仮にそういう事態になった場合に自然と付随してくる義姉特典に撹乱されたが今はきちんと応えを返すことができると――――そうしなければならないという気持ちが彼女の心中で固まった。

 

 

――――最後まで読みます。織斑くんの気持ちをきちんと受け止めて、誠実に返しますから。

 

 

 真耶は迷いを振り切った。

 

 手に汗が滲んでいるが、それでも何かに突き動かされるようにその先へと目を動かす

 

 

 

 俺は。

 

 

 

 先生のことを――――――

 

 

 

 

 

 ごくり、と唾を飲む。これはアレだ。アレに違い無い。告白だ。『変』という漢字ととよく似た形状で表される感情のカタチを相手に伝えるアレだ。学生の頃に同性の自分から見ても美人だと思うような友人が良く貰っていたアレだ。あれ? そういえばあの子は今は自衛官だっけ? 学生の頃から美人だけど男前だったからなぁ。そういえば同窓会の案内が来てたっけ。皆元気かな? 去年は色々あって出席できなかったけど、今年は出られるかな? 出席するとなるとちょっと服を新調しちゃおうかな? そういえば『ちゃんとした服装すれば真耶は凄い美人さんなんだから』とか言って世話を焼いてくれたっけ。あの子は美人で男前な上に、優しくてちゃんと女らしいんだからずるい――――――――って! いやいや、そんことを考えている場合ではない。読もう。読まなくては。読んで答えなければ。この手紙を。その先を――――!

 

 

 

 

 読む。

 

 詠む。

 

 手紙を握る手に力が入り、くしゃり、と音がする。

 

 よむ。

 

 ヨム。

 

 

 

――――キチント目ヲ開イテ、ヨム。

 

 

 

 副担任の鬼気迫る様子に何かただならぬ気配を感じたクラスの生徒たちが応援するように視線を向けてくるのを感じる。

 

 

 ヨシ。

 

 

 覚悟完了。

 

 

 真耶は一息に読んだ。

 

 

 それを。

 

 

 その最後の言葉を。

 

 

 

 

 

 

 

 先生。

 

 

 俺は。

 

 

 

 先生のことを―――――――――

 

 

 

 

 

 

――――先生のことを!?!?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 未だに同級生にしか見れません。本当に年上なんですか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

――――時間が止まったような感じ、というのはこういうことを言うんですね。ええ。

 

 

 と彼女は後に同窓会で再会した友人に酔った勢いで喚くことになる。

 

 

 真耶の手から手紙が落ちた。ひらりひらりと、蝶のように儚く宙を舞うそれは、やがて力なく教室の床に落ちた。

 

 諸行無常。

 

 盛者必衰。

 

 何故かそのような言葉が真耶の脳裏に浮かび上がる。

 

 それに続けて引きずられるように浮かぶイメージは真耶の学生時代。先ほども思い返していた、今は自衛官をしている友人の言葉だ。

 

 

『ちゃんとした服装すれば真耶は凄い美人さんなんだから。でもあまりサイズの合わない服を着るのはやめなさい。みっともないとか以前にあなたは童顔で本当に子供みたいに見えるんだから』

 

 

 

 

 あなたは童顔で本当に子供みたいに見えるんだから。

 

 

 本当に子供みたいに見えるんだから。

 

 

 子供みたいに見えるんだから。

 

 

 子供みたい。

 

 

 子供。

 

 

 子。

 

 

 ユーアーチャイルディッシュ。

 

 

 

 

 

 じわ、と一気に目元に涙が滲むのを止めることは、もはや真耶にはできなかった。

 

 IS学園という国際的な職場で、同僚のカナダ人の数学教師にも『アジア人は本当に若く見えるわね』と言われたものだから『アジア人は若く見える』というある種の虚飾で目を反らして楽な恰好を選んできた山田真耶――――忘れていた現実を数年ぶりに直視させられ彼女は、たただただ感情のままに叫んだ。

 

 

 

 

 

 

 

「わ、私は子供じゃありませんからーーーー!?!?」

 

 

 

 

 

 

 

 真耶はたぬーっと鳴いた。本日三回目だった。

 

 

 

 この日、一人の女教師の悲しみを代償に一つの誤解が解けた。

 

 

 だが、このことで幸せになった人間は誰もいなかった。

 

 

 真実は必ずしも人に幸福を与えない。

 

 

 これはそんな残酷な現実を象徴するかのような事件だったわけでは別に無い。

 

 

 

 

 

 

 

 




改めて話を作り直すようになってから真面目な話が多いよな、と思っていたらできた話。金髪さんと遭遇する筈だったのに。

昔『にじファン』様に投稿させてもらっていたときは、割と後半みたいなノリばかりの話でした。

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