【習作】IS/C~Ichika the Strange Carnival   作:狸原 小吉

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改訂第一話。中学生時代の箒さんの生活を捏造しております。色々感覚がつかめないのでネタ少なめのまじめ話。


プロローグ 「恋する少女 Lv1」

 雪が僅かにちらつく灰色の曇り空。

 

 昼というには遅く、しかし、夕暮れ時にはまだ少し早い時間。未だ役目のこない街灯達が静かに並ぶ薄暗い道にさくさく、という音が響く。

 

 音の主はアスファルトの上に薄っすらと積もった雪を軽快に踏んで歩く学生服――――長い黒髪をまとめたポニーテールを揺らして歩く少女。その手には皮製の鞄と弁当屋の店名がプリントされたビニール袋が握られている。

 

 制服の上から胸元に学校の校章が入ったトッパーコートを羽織る彼女は、この日珍しく積もった雪に足をとられまいと注意しながら家路を行く。

 

 季節は冬。吐き出される息が真っ白になる気温にも関わらず凛と背筋を伸ばして歩く彼女は、どこか不機嫌そうな表情をしている。もし彼女と視線を合わせる人間がいたならば、その吊りあがり気味な目との相乗効果による重すぎる威圧感を与えられるのだろうが、幸いなことにこの十分ほどは誰ともすれ違うことは無かった。

 

――寒いな。

 

 まるで寒さを感じていないかのように姿勢良く歩いている彼女であるが、今は一月の終わりだ。まだまだ真冬の冷気が人々の身を縮こまらせている季節であり、その鼻先は薄っすらと赤く染まっている。少女は未だ遠い春の陽気を恋しく思いながら、早くこの寒さから逃れるべく家路を行く足を速めた。

 

 

 それからいくつかの道を曲がり、夕餉の香り漂う民家の間を抜けてさらにしばらく歩いた先、そこに一際背の高いマンションが姿を現す。周囲を睥睨しているかのような威圧感を感じさせる高層マンション、その最上階が現在の彼女の住居であった。

 

 

 

 

 大理石貼りの玄関床と廊下の先にリビングルームがある。白を基調としたその部屋には、広い室内空間にも余すところなく光を取り入れる巨大な窓がある。広い部屋に見合った大きな窓の外には、薄暗い灰色の空と遠方の雑多な街並みまでしっかり見える。

 

 それを横目にしながら彼女は水を入れた薬缶を火にかけた。買ってきた弁当は中の漬物だけを別皿に取り分け電子レンジにいれる。特に難しい作業は無い。だがその行動に一切の淀みが無い辺り、彼女が日々このような工程を繰り返していることが見て取れる。

 

 実際、彼女の食生活の大半はほぼ同じ店で購入される弁当に支えられていた。

 

 それは見る者が見れば、あまり健康的な生活では無いと眉をしかめるかもしれない。というか彼女自身、今の自分の生活を良いものだとは思っていなかった。

 

 彼女は幼い頃から剣術を学んでおり、成長期の身体を形作るのに食事がどのような役割を担うのかは理解できていた。それに物心ついた時には既に木刀を振るっていた彼女は、厳しくも尊敬できる父の指導と共に競い合う同門の少年の存在もあり昔から剣術一色の生活を送ってきた。その鍛錬で毎日腹をすかせていた彼女は、母の手料理を好き嫌いせず完食し、さらにはおかわりを要求する健啖家でもあった。

 

 よく動き、よく食べ、よく眠る。昔からそんな健康的な生活を送ってきた彼女にしてみれば、今の一人暮らしの食事事情は健全ではない。そこで自分で料理を――――と言いたくなるところだが、残念ながら一身に剣の腕を磨いてきた彼女は料理はあまり得意ではなかった。

 

 それでも幸いだったのは学校帰りに味の良い個人経営の弁当屋があったことだ。そして重畳なことにその店はチェーン店とは違い野菜の多いバランスのとれたメニューが豊富で、その濃すぎない味付けが彼女好みであった。当然、食事はそこを利用することが増えた。

 

 部活帰りに肩から竹刀袋をさげて入ることが多かった彼女は、何度も通ったお陰で年老いた店主夫婦に『生真面目な剣道少女』として認知され、たびたびおかずを一品おまけしてくれるようになっていたりするの。

 

――もしあの店が無かったら、問答無用で家政婦を雇われていたのだろうな……。

 

 彼女の実家はそれなりに由緒正しい神社であり、剣道場まで持っている大きな家である。とはいえ家政婦を雇うような名家ではなく、その生活は厳格な父の性格もあり余分なものが極力省かれた質素なものだった。

 

 そう、ある出来事を切欠にその生活が一変するまでは。

 

 彼女は湯が沸き弁当が温まるのを椅子に座って待ちながら部屋の中を見渡した。広い床に敷かれた複雑な模様柔らかい絨毯。シンプルだが上品な雰囲気をかもし出す北欧系の家具の数々。そして一人暮らしの人間が何に使うのかと言いたくなるような部屋数。

 

 実家で質素な生活をしていた人間に全くといっていいほど見合わない。

 

――確か50坪ぐらい、だとか言ってたな……。

 

 昔テレビで見た『ヒルズ族』なる人々が住む部屋がこのような感じだったな、と彼女は思い出す。

 

 初めてここに案内されてきたときは驚いたものだった。部屋にも驚いたが、それ以前に二重扉になっているマンションの入り口を通った時点で既に異世界が広がっていた。

 

 広いエントランス。そこには上品な木製のテーブルや柔らかそうなソファーが置かれラウンジがあり、夜になると暖色系の間接照明に照らされ優雅で穏やかな時間が演出される。それだけでも少女のマンションという建造物に対する認識が一変したのに、そこで何の冗談なのかホテルのフロントのような上品な服を着た初老の男性が『おかえりなさいませ』などと言ってくるのだ。

 

 ここでは常にそんなフロントスタッフが数人つめており、24時間いつでも入居者をサポートしているのだ。

 

 純和風の家屋で生まれ育ち、自分でできることはできるだけ自分でする庶民的家風の彼女としては、 

 

――落ち着かない。

 

 その一言だった。

 

 彼女にしてみればこのような豪勢な環境にいる自分があまりにも場違いなような気がしてならなかった。住まいだけではない。今日の帰りだって学校から少し離れた人目の無い場所で政府側の用意した黒塗りの車に乗り込み、マンションの近くで降ろしてもらっていたのだ。こんな光景を誰かに見られたら、いったい彼女はどこの極道一家のお嬢様なのだろうと周囲にいらぬ勘違いをされかねない。

 

 この上家政婦を雇うと言われたときにはもう結構、と全力で遠慮したものだ。そもそも彼女は昔から人付き合いがあまり得意では無く、他人に話を合わせるのも苦手だ。そんな彼女にしてみれば、家に帰ってまで見知らぬ人間と過ごすというのは苦痛以外の何ものでもなかった。

 

――今考えると、昔はあいつがわたしと色々な人間との間に入ってくれていたんだな。

 

 生真面目な父の教えのもと真直ぐな気性に育った彼女は曲がったことが許せない性質で、小さい頃はそれが原因でよく周囲の男子から色々と心無いことを言われた。箒はそんな馬鹿な男子連中が許せずよく喧嘩になりかけたものだったが、そこで当時はあまり好ましく思っていなかったある少年が彼女を庇うように立ち、

 

『暴力はよくないな』

 

 とか言いながらいきなり先頭に立つ悪ガキの側頭部をとび蹴りでぶち抜いたときには驚いたものだ。

 

「……」

 

 当時は子供だったのであまりよく考えていなかったが、今になって思い返してみると物凄い理不尽な人間だなコレ、と汗を一筋流す。

 

 

 と、

 

 そこで彼女は思い出すのをやめて頭を振った。今は失われてしまった懐かしい日々を思い出して憂鬱になる。

 

――どうしてこうなったんだろう。

 

 溜息を吐く。そして自分がこのような状況に身を置くことになった、その原因となった彼女の『実姉』について考える。

 

 彼女の姉――――篠ノ之束(しのののたばね)は自他共に認める天才的な科学者だった。

 

 彼女を天才たらしめている研究の成果がIS――――インフィニット・ストラトスと呼ばれるパワードスーツの開発である。 

 

 宇宙空間での活動を想定したマルチフォーム・スーツとして開発されたそれは、それまで最先端と呼ばれていた技術の一部が古臭い手遊びだと評される程の馬鹿げたSF仕様装備の数々によって、当時宇宙服開発に関して先端を走っていたロシアや、パワードスーツ開発のトップであるアメリカに大きな差をつけて日本をその研究開発分野の頂点にしてしまった。

 

 当時、何人もの科学者達が言っていた。

 

『こんなものはありえない』『こんなものがあるわけがない』

 

 と。

 

 ISとそれに用いられる技術は、科学者達がそんなことを言ってしまうほど既存の技術とは一線を画すものだった。

 

 世界は彼女を今世紀を代表する科学者の一人になると騒ぎ立てた。人間に残された最後の開拓地(フロンティア)――――宇宙。一般人から見ればじれったくなるほどにゆっくりした歩みであった人類の宇宙進出。それがここにきて一気に進むと人々は期待を寄せた。

 

 しかし、それでもまだ足りなかった。束という天才と、ISに対する世界の認識はまだ甘かった。それは後に明らかになる。

 

 IS発表からしばらくして起こった『白騎士事件』と呼ばれる事件。それを皮切りに、世界は知ることになる。ISが人類の未来を切り開く優秀なパワードスーツとしてだけではなく、予想を超えた恐るべき兵器にもなりえるということを。

 

 それ以降世間では『歴史を変える転換点をつくった偉大な天才発明家』だの『無秩序に発明品をばらまいて世の中を混乱させるマッドサイエンティスト』などと非常に両極端な意見が叫ばれるようになった。

 

 

 人々の胸中にISに対する恐怖心が刻まれたのだった。

 

 

 彼女はさらに当時の姉のことを思い返す。

 

 自分を批判するメディアの前で、他人を見下したような薄っぺらい笑顔を浮かべていた姉。

 

 実家の剣道場に通っていた少年の(かなり……もとい、少し怖い)姉に無邪気な笑みを浮かべて抱きついては引き剥がされていた姉。

 

 父との折り合いが悪く顔を見合わせるたびに不機嫌な表情を浮かべて、家族の団欒の場である実家の居間に滅多に姿を見せなかった姉。

 

 夜に家の二階から一緒に星を眺め、難しい宇宙の話と、自分の夢を楽しそうに語ってくれた姉。

 

 

 色々な姉の姿が頭の中をよぎる。

 

「……わからない」

 

 力無く頭を振る。 

 

 それから束を取り囲む環境はさらに変化する。

 

 ISというものを構成する技術の中で最も重要不可欠なものとして『コア』と呼ばれる技術がある。

 

 ISに関する精密制御のほとんどを担う『コア』を構成する中核技術は開示されておらず、その時点で新たに『コア』を製造することができるのは束ただ一人であった。世界中の研究者が政府の後押しを受けてその解明に取り組むも、もはや異世界の技術で構築されたのでは無いのかと言いたくなるような複雑怪奇なセキュリティを突破することができたものは一人も現れず、今なお『コア』の中枢はブラックボックスとなっている。

 

 当然ながら世界各国は束に研究協力という名目で技術を明らかにするように求めたが、それに対する束の返答は『失踪』であった。

 

 こうしてISを世に送り出した後、その身を世間から隠すように世界中を転々としていた実姉。その好き勝手な行動が家族の生活を乱すことになる。

 

 

『篠ノ之束の関係者であるあなた方は、犯罪組織や他国の諜報機関から狙われる危険性がある』

 

 

 と言う言葉を聞いた当初、彼女はその意味をうまく飲み込めなかった。当時まだ小学生だったということもあるが、それでなくても非現実的な台詞だ。

 

 神社に道場という一般家庭とは少し毛色の違う家庭ではあったかもしれないが、それでもそれなりに平穏な生活をしていた。攫われるだの、命を狙われるだのといったテレビドラマのような危険に自分達が晒される日が来るなどと思ったことは一度も無かった。

 

 だがある日、日本政府の関係者だという男達(ドラマに出てくるような黒服で統一されており、それが一層現実感を無くさせた)が彼女の実家を訪問し、何やら細かい字が書かれた書類を父と母に見せながら先程の台詞を告げたのだ。

 

 馬鹿げている、とは思った。だがそれを口にすることはできなかった。

 

 そして彼女達家族は、その三日後には実家を後にすることになった。これまで当たり前だと思っていた生活が手から砂がこぼれるようにあっさりと失われた。

 

 その事について考えた結果はいつだって同じことの繰り返しだ。毎回同じような感情が泡のように沸き出て消える。怒りが思考を染め上げ、尽きることのない恨み言が頭を埋め尽くす。『何故だ』という疑問をぶつけたくなり、自分の手から失われてしまった色々な可能性を思い出し悔しくて泣きそうになり、しかし結局のところ実姉がその場に、否――――

 

 

 

 もうこの世界にはいないことを思い出して、行き場の無い感情に苛まれるのだ。

 

 

 

「そんなことを考えても、もう何の、意味も無い――――!」

 

 呻くように漏れた独り言が部屋に響き、隅の暗がりに吸い込まれ霧散する。ああ、と彼女は思う。やはりこの部屋は落ち着かない、と。

 

 一人でいるにはこの部屋は広すぎるのだ。

 

「――――一夏」

 

 気付けばそれを口にしていた。かつて道場で共に剣を学んでいた少年の名前を。

 

 そして思い出す。出会ったばかりの頃は子供心に生意気な奴だと思って敬遠していた少年のすまし顔を。

 

 

 駄目だ! と彼女は頭を強く振る。

 

 

 もうずっと前に諦めたのだ。呼べば会いたくなる、色々なことを話したくなる、聞いて欲しくなる。寂しくなる。

 

「弱く、なる……!」

 

 今の自分の置かれた状況が落ち着くまでは彼と再会することは難しい。それがどれぐらいの期間続くのかはわからない。そしてもし再会が叶ったとしても、もうかれこれ6年近くも会っていないのだ。自分も彼も全く別の場所で、全く異なる時間を過ごし成長した。そう――――成長してしまったのだ。

 

 もう彼は自分のことなどほとんど覚えていないかもしれない。会えたところで辛い思いをするだけなのかもしれない。

 

――怖い。

 

 考えると怖くなる。まるで血の繋がった兄妹のように遠慮の無い関係だった彼に忘れられているかもしれないという可能性を思えば思うほどに不安が身と心を苛み、気を張って保ってきた自分を維持できなくなる気がする。

 

 だから考えてはならない。意識してはならない。これからも続くであろうこの生活でも、自分を保っていくために強くあらなければならない。 

 

 でも、

 

――会いたい。

 

 震えだした自分の身体を抑えるように抱く。それでも感情は溢れ出る。

 

「嫌、だ……一人は、寒、い……」

 

 目の端から零れ出た一筋の流れが、未だ温まらない顔の肌の上を滑り熱を与える。

 

「会い、たい……一夏ぁ!」

 

 家族ではなく、かつての友人の名でもなく、ただ一人の少年の姿だけが彼女の胸を占める。

 

 止まらない。これまで抑えてきた色々な感情が溢れ出る。忘れようとしていた思い出が再生される。遠くなってしまったあの笑顔が浮かび上がる。

 

 ひ、という嗚咽が一度漏れるとあとは雪崩のように波がきた。は、は、と心の一番奥底にある水をくみ上げようとするかのように断続的に息が吐き出され、それは目か涙という形をとって溢れ出る。

 

 

 

 この夜、彼女――――篠ノ之箒(しのののほうき)は声を上げて泣いた。

 

 

 

 

 

 

 

 

 箒は温め直した『鯖の塩焼き弁当』を目の前に置き、沸いた薬缶の湯を茶葉の入った急須に入れ急須を傾け愛用している桜色の湯飲みに緑茶を注いだ。

 

 湯が落ちる音が部屋に響き、湯飲みの中でお湯と茶葉の欠片が渦を巻いている。それを一口すすると、ざわついていた心が少し落ち着いた。

 

 泣き終えた後もしばらく俯いてぼんやりしていた箒だったが唐突に、ぐう、と腹の音が鳴った。

 

 人間生きているかぎり腹が減るものである。

 

 せめてこんな時ぐらい鳴らなくても、と思う箒であったが三つ子の魂百まで。小さい頃から繰り返して身に染み付いた生活習慣は大よそ決まった時間に一切の容赦なく彼女の腹の虫を鳴かせたのである。

 

 まだ頭の中がごちゃついている部分はあるが、それでも声を上げて泣いたことで幾分すっきりした。あくまで幾分だが。

 

 とりあえず食べよう、と割り箸に手にしかけた箒は自分が制服のままであったことに気付く。

 

 帰宅後はたいてい直ぐに部屋着に着替える彼女だったが、今日は色々と感情が高ぶってしまいまだ制服である。どうしようか、と一瞬悩むが『早く食わせろ』と言わんばかりに再び腹の虫。

 

――まあ、食べてからでいいか……。

 

 ぐい、と目端に残った雫を拭い取ると、温まった『鯖の塩焼き弁当』の容器のふたを開けた。赤くなった箒の鼻先に美味しそうな魚介の香りが漂う。

 

 箒は弁当を前で手を合わせて、小さく『いただきます』と言うと割り箸を割る。そして目の前で湯気を上げて鎮座している鯖の塩焼きの身の一部をほぐして口に運び、

 

「……美味い」

 

 やはり味が良い、と箒はほどよい塩加減の鯖の身を噛み締めて思い、その後に我ながら食い意地が張っているよな、と気恥ずかしくなった。 

  

 それをごまかすようにリモコンでテレビの電源をつける。帰宅してからしばらく経ったため、テレビでは神経質そうな男性キャスターが夕方のニュースを読み上げている。

 

 

「あれ、この学校は……」

 

 テレビの画面が変わり、建物の一角がブルーシートで覆われた学校が映し出された。

 

 それは数日前に何故か校舎に無人の大型トラックが連続して突っ込んだというニュースで出ていた私立の高校だ。突っ込んだトラックと校舎の一部が派手に壊れたということだったが、幸いなことに怪我人は出なかったようだ。

 

 しかし今は受験シーズン。その事故で受験会場として使う予定だった複数の教室がピンポイントで全壊したため、急遽受験会場を近くにある町の公共ホールに変更すると言っていた。

 

 そして今日がその受験日であったらしい。

 

「ん? ここは……」

 

 画面の右上のテロップにある町の名前が現れる。それは、箒の実家がある町の名前だった。

 

「そうか、わたしが引っ越した後にあんな立派な施設が出来ていたのか」

 

 前にニュースを見たときは参考書を眺めて適当に聞き流していたから気付けなかった。

 

 だが町を出てもう6年だ。当然そのような変化もあるだろう、と箒は一抹の寂しさを感じながらも画面を見続ける。

 

 その後も箒の考えなどわかるはずもないキャスターは、その後も淡々と文章を読み上げていく。

 

 公共ホールは町の発展と人々の交流の場となるべく建設されたらしく、広い多目的ホールや集会室、レクリエーションルームにIT室があり、図書館や国際交流センターなども隣接した複合公共施設だとのことだ。

 

「受験、か。皆、自分の進路を決める大事な時期なのだな……」

 

 『進路』という言葉に箒は表情を暗くする。それは自分の身が置かれた状況を改めて振り返る、そもそもの切欠となった言葉だった。

 

 彼女は視線をテレビから目の前のテーブルへと向ける。これまた一人で使うには大きすぎるそのテーブルの端には表紙に『IS学園』と印刷されたパンフレットと、所々に付箋が挟まれた分厚い参考書が置いてある。

 

 

『IS学園』

 

 それは篠ノ之束が開発したIS(インフィニット・ストラトス)の操縦、技術、法律、国際的な扱いを始めあらゆる事柄を学ぶ機関であり、来年度の春から箒が通うことに『なってしまった』場所の名だ。

 

 箒がIS学園に通うことが決定される際、そこに彼女の意思が反映されることは無かった。ただ今の自分の生活をサポートする政府の担当者から『君の身の安全を保証するために春からここに通ってもらう』という事実が端的に告げられた。

 

 それに対して、自分が自由の無い生活を送る原因となったISについて学ぶ場所など、と思う箒であったが元より彼女に選択肢は無い。そもそも自分の身の安全を守るためだ、と言われてしまえば言い返すこともできない。

 

 それに今となっては箒にも思惑があった。許したい、許せない、姉に対する相反する感情が渦巻く箒だったが、同じことで悩み続けることにもう疲れてしまっていた。ならばいっそのこと実姉が生み出したISについて触れることで、いなくなってしまった束が考えていたことが何か少しでもわかるのではと期待したのだ。

 

 兎にも角にも、そのような経緯もあって一般受験者とは異なる形で入学が決まった箒は、色々なことがままならないのならせめてその状況を十全に利用しようとしたのであった。

 

 今は春から始まる学園生活についていけるよう、事前に配付された参考書を読み耽る日々を送っている。

 

 と、

 

――ん? 何だ?

 

 突然テレビ画面が騒がしくなった。見ると画面には先程の公共ホールが映し出されている。

 

 

 すると現場近くで施設のことを解説をしていた若い女性アナウンサーの背景――――何故か屈強な警備員達が脇に立っている公共ホールの入り口、その奥が騒がしくなり、テレビ画面越しではあるが中から怒声のような声が聞こえた。さらに何か重いものが倒れる音や女性の悲鳴まで聞こえる。

 

 アナウンサーもそれに気付いたらしく『何かあったの?』と言わんばかりに視線を背後に向けた。

 

 その間に入り口に立っていた警備員達が胸元の通信機器に触れると皆一様に身を硬くし、その場に二人を残して慌てた様子で入り口の中へと入っていく。

 

 明らかに普通ではない。

 

 そして、

 

『いったい何が……あ!? け、煙です。真っ白な煙が凄い勢いでホールの入り口から出て、か、火災でしょうか?』

 

 アナウンサーが焦りの色を見せながら言っているように、突然ホールの入り口から真っ白な煙が勢いよく吐き出された。残っていた警備員達が咳き込んでいる。

 

『あ! 煙の中から……学生が、試験を受けに来た生徒がまだ残っているのでしょうか? 女の子が一人出て、って、えぇっ!』

 

 アナウンサーが疑問の声を上げた。それも仕方の無いことだ。何故なら――――

 

『お、女の子が警備員から追いかけられています!』

 

 そう、煙の中から駆け出てきた女子生徒は何故か数人の警備員に追いかけられていた。

 

 体格の良い男達が次々に少女へと飛び掛る。事情を知らない人間が見れば、変態集団に襲われているようにも感じられる。だが女子生徒は飛び掛る男達を華麗に回避し、時には足の間を滑るように通り抜け、よろけた者の背中を跳び箱のように飛び越え、更には自分より大きな男を投げ飛ばし映画のスタントのように逃げ回っている。

 

『すご、え? もしかして何かの撮影? な、何なんでしょうかコレは!』

 

 興奮したアナウンサーの声にあわせるように逃げ回る少女の姿がズームされる。

 

 映し出されるのは黒髪長髪の少女だ。その年頃の女子生徒にしては背が高く、顔立ちは整っているがそれは『かわいい』というより『綺麗』『美しい』に分類される顔だ。そして彼女はこのような状況にあっても表情に一切の焦りや疲れを浮かべることもなく、凛々しい表情のままカメラの前を駆けていた。 

 

『す、凄い……』

 

 その姿にアナウンサーは一言呟いた。普通の女子学生ができるような動きではない。

 

「……」

 

 そしてアナウンサーとは違う理由で箒は驚愕の表情で口を開けていた。

 

――凄く、似てる。

 

 そう似ているのだ。画面の中で駆け回る少女の顔が彼女の思い出に残る少年の顔と。画面に映っているのは女子生徒なのだから強いて言うならその姉に似ていると思うところなのかもしれないが、何故か箒は真っ先に彼のことを思い浮かべていた。

 

「ち、千冬さん以外に姉妹はいない……はず?」

 

 何故か最後は疑問系だった。色々な意味で常識ではかりきれない姉弟だったので箒は断言できなかったのだ。

 

「い、いや……落ち着けわたし。世の中は広い。似た人間の一人や二人いても不思議は無い」

 

 と自分を納得させようとするがどうにもあの少女のことが気になる。

 

 うむむ、と腕を組んで頭を捻るが答えは出ない。

 

 そのとき、ただでさえ騒がしかった画面から爆音のような音が聞こえた。

 

――今度は何事だ!

 

 箒は画面の中で次々と起こる変化に混乱しながらも事態を見守る。

 

『え? 何? えー、ゆ、輸送ヘリ? 輸送ヘリでしょうか? 大きなヘリコプターがこちらに向かって――――』

 

 アナウンサーが音のする方向に視線を向け戸惑いながら声を上げると、カメラもその視線を追うように少女から音のする空へと動く。そこに迷彩色の塗装がされた胴長の輸送ヘリが映し出される。ヘリ特有のやかましいプロペラ音をたてて上空に浮遊するそれはゆっくりとその高度を下げており、カメラも自然にそのヘリの動きに合わせる。

 

 と、

 

 唐突にその扉が開け放たれた。扉の中には何人かの人影が見えるがその中から一人、前に出てくる者がいる。すらりとした長身に黒のスーツ、そしてサングラスといういでたちの女性だ。首裏あたりでまとめられた黒髪が強い風により揺れているが女性の身体は微塵も揺らぐことはなく、開け放たれた扉の傍まで進み出ると扉に手をかけ身を乗り出した。

 

 危ないな、と箒は思う。ヘリは大分低空を飛んでいるが、それでもロープも無しに降りることができるような高さではない。誤って落下でもしようものなら大怪我では済まないだろう。

 

 と、

 

『え?』

「は?」

 

 箒とアナウンサーの声が重なった。否、姿は見えないがこのニュースを見ている日本全国のお茶の間の声が一つとなった、かもしれない。

 

 あろうことか、そのやり手のキャリアウーマンのような服装の女性は、眼下を睨みつけるように視線を向けると、ゆっくりとした動作で、しかし迷い無くヘリから足を出して――――

 

 

 飛び降りた。

 

 

 彼女の身体が空中に投げ出され、アナウンサーが悲鳴を上げる。

 

 箒もそれを目にした瞬間、恐ろしいものを見たかのように一瞬で体中に汗が吹き出た。

 

 だが、

 

 女性は体操選手もかくやと言うぐらいにその身を空中で回転させると、

 

「『あ』」

 

 音も無く地面に着地した。まるで猫のように優雅でしなやかな着地。そしてよく見たら足の履物はバンプスだった。

 

――ありえない。

 

 全国のお茶の間の声が再び一つになった。

 

 そしてそのありえないことを平然とやってのけた女性は、いつの間にか立ち止まり女性に視線を向ける少女に足早に歩み寄る。

 

 そして、

 

 歩きながら腕を振り上げる。それが打撃の前動作であったと周囲の人間が気付いたのは、女性が少女の頭頂部に拳骨を落としてからだった。

 

 鈍い音がした、ような気がした。

 

 振り落とされた腕の勢いに一切の容赦は無く、くらった少女は『ぬおお!』と頭を抱えてその場に蹲り、痛みで転がりまわった。

 

 そのとき彼女の長髪がずるりとずれ、ぽてり、と落ちた。

 

 何が、と集中する視線の先にあるのは美しい黒の長髪の――――ウィッグ(かつら)。

 

 少女から少女(?)へジョブチェンジした謎の生徒Aはそのことに気付いた様子も無く地面の上でのた打ち回っていたが、サングラスの女性が『ふん!』という気合の声とともに股間を突き刺すように踏みつけると『おうふ!?』という珍妙な奇声を発し、脂汗を浮かべそのまま動かなくなった。

 

 

 その場に嫌な沈黙が漂う。

 

 周囲の警備員達が冷や汗を流しながら腰を引いている。

 

 アナウンサーはもはや事態に思考が着かなくなったのか遠い目をしている。

 

 そして箒は目を限界まで見開いてその光景を見ている。

 

 

 そんな周囲の雰囲気を無視して、女性は周りをサングラス越しに睨みつけ口を開く。

 

『馬鹿は確保した。各員速やかに自分の仕事をしろ! 一班は被害状況の確認を急げ、二班は周囲の警戒にあたれ。許可が出るまでホール内に人を入れるなよ! あとは――――』

 

 この場の空気を支配した女性は周囲の警備員に迅速に指示を出した。

 

『え? 撮影終了? ちょ、ちょっと待ってください! い、いきなりそんな! いったいあの人達は……』

 

 女性の指示でショックから復活した警備員達が後ろの光景を隠すようにアナウンサーとカメラの前に立ちはだかった。

 

 そのあとはアナウンサーと警備員達との問答が続き、唐突にカメラはスタジオに戻され、キャスターたちが何も無かったかのように次のニュースに入った。

 

 箒はしばらく呆然としていたが、これ以上先程の続きが放送されないと判断してリモコンでテレビを切った。

 

 騒がしかった音源が無くなり、部屋に静寂が訪れる。身を乗り出すような姿勢だった箒は、力が抜けたようにソファーに背を預けると先程の放送の内容を思い返した。

 

 あの光景は何だったのか。あの謎の女子生徒(?)と後から登場した女性は何者なのか。

 

 ぐるぐる、と箒の思考は回りだし、やがてある結論に達した。

 

 

「いったい何をしてるんだ……一夏と千冬さん」

 

 

 例え6年越しであろうとも見間違えるはずがない。それは会いたい、と先程まで涙した少年と、その姉の名前だった。

 

 思いも寄らない形で6年ぶりにその姿を目に入れることになった箒の脳内は、その後も嵐のように疑問が噴出し混乱が続いたが、結局彼女を納得させる答えが出ることは無かった。

 

 

  

 その答えを彼女が知るのは、この日から二ヶ月と少し後になる。

 

 

 

 




六年ぶりに見た愛しい彼は女装していました。

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