ゆゆゆゆ式   作:yskk

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ゆゆ式は復活するんだ……!


わだち

「……う……ん」

「……」

「……くんっ」

 

 微かな音が耳に響く。

 最初は夢の中の出来事なのか、それとも現実の事なのか分からなかった。

 しかし次第に大きく、そしてはっきりと俺の耳に届くようになっていく。それと比例するように、俺の脳みそも徐々に覚醒を始める。

 

「優くんっ。起きてってば、優くん!」

 

 聞き覚えのある女性の声が俺の名を呼んでいる。そこまではどうにか認識できるようにはなった。

 スッキリとした目覚め、なんていうものとは程遠い。無理矢理に叩き起こされたような感覚だ。

 

 

 犯人は恐らく、声の主であろう野々原ゆずこ。

 また勝手にひとの部屋に上がり込んだんだろうか。いつも言っているのだ、人様の貴重な安眠を妨害するなと。

 当然、彼女にも何らかの用事があるのだろう。だが、そう毎度毎度は構ってはいられない。

 

 拒絶の意思表示として、肩口にあった掛け布団を手繰り寄せ、頭ごととすっぽりと包まってしまう。

 ゆずこの抗議の声が聞えるような気もするが、それも聞かぬフリ。いつもなら相手をしてやるところだが、何故か今日はまだ眠い。少なくとも俺の体はそう告げている。

 

 とはいえ、悲しいかな一度覚醒しかけた脳みそは、既に活動を始めかけていた。そして、ふと違和感に襲われる。

 こうなってしまってはもう手遅れで。ただただ、まどろみから現実へと戻っていく。頭のエンジンが掛かりきったところで、その違和感は自然と解消された。

 

「うおっ! 寒っ!」

 

 合点が行ったその瞬間、俺の体を温めていてくれたはずの布団が攫われる。そうして露わになった俺の体を、遠慮なく冷気が襲う。

 

 

 昨日のことを思い出しながら、今自分のいる場所を再確認した。ここは自分の部屋どころか自分の家ですらなかった。

 

 昨日、田舎の祖父母から米だの餅だのが届いたのだが、それがかなりの量があった。到底、我が家三人では消費できないくらいの量が。

 それを母に言われ、おすそ分けにとゆずこの家に持っていくことになったのだ。

 

 その先で夕食にお呼ばれしたわけだが、好意に甘えてご馳走になっているうちに外は大雪になっていた。

 数日前からテレビでは今世紀初だとか、記録的な積雪になるだろうなんて、大げさに報道されていたぐらいだから知らなかったわけではない。

 

 問題なのは思いのほか長居をしてしまったことと、降雪が想像以上だったことだ。

 えてしてニュースの気象情報なんて、大げさに言いがちだ。それ故に正直油断していた感は否めない。

 

 とはいえ、帰宅困難かといえばそれ程でもない。何しろ、俺の家とゆずこの家はそんなに遠いってわけでもない。

 流石に乗ってきた自転車で帰るのは難儀しそうだったが、それも置いていけばいいだけの話。あとは寒さと、恐らく靴の中にまで侵入してくるであろう雪を俺が我慢するだけだ。

 

 当然そうするつもりではあったのだが、野々原家の一員が許してはくれなかった。もちろんそれは好意からのもので。

 怪我でもするといけないから泊っていけと諭された。

 家族揃って強く勧められては、断るなんてことも出来るはずもなく。今こうして、他人の家の客間で朝を迎えている。

 

「……何すんだよ、ゆずこ」

「だって優くん、なかなか起きてくれないんだもん」

 

 投げかけた恨みがましい視線など意に介さず、しれっとした表情でゆずこは言い返す。

 

 理由や経緯はどうあれ、仮にも一晩泊めていただいた身だ。一宿一飯の恩義を感じていないわけじゃない。

 だからその家の人間に起こされること自体に何の不満も無いし、そこに関してとやかく言うつもりは一切無い。

 しかし、しかしだ。

 

「起きてくれないんだもん……じゃねーよ。何時だと思ってんだ!」

 

 枕元に置かれた時計を指差しながら俺は声を荒げる。といっても声量は抑え気味で。

 何しろ時計が示す時間は、未だ5時を刻んですらいない。

 

「そんなことよりさ、外見てよ、外っ!」

 

 俺の抗議をそんなことの一言であっさりと片付ける。そして、何事も無かったかのようにゆずこはシュッとカーテンを引く。

 その奥から現れた窓に付いた結露を、袖でキュッキュッと拭った。

 

 窓一枚を挟んだだけの外の世界。まだ夜が明けきっておらず、薄暗さが残っている。しかし、そんな状況下でもインパクトを与えるには十二分であった。

 

「おおっ!」

「ねねっ。すごいっしょ!」

 

 どうだと言わんばかりに、ゆずこは胸を張る。

 別にお前の手柄じゃないだろうに。そんな短いツッコミを入れるのも端折りたくなるぐらいに、俺の目は釘付けになる。

 

「……」

「……」

 

 すげえだとか、やばいだとかいった語彙の少なさを丸出しにしたような感想を一通り口にした後、俺たちは最終的には黙り込む。

 その間もふたりの視線は雪景色に捕らわれたままで。

 

 いくらかの間続いた沈黙を打ち破ったのもまた、ゆずこの一言だった。

 

「……それじゃ、優くんち行こっか?」

「……は?」

 

 

 

 

 

「うわぁ……やっぱ寒いなぁ」

 

 玄関をくぐり外に出ると、すぐさま冷い空気に晒される。

 

「……はぁ」

 

 なにもこんなに早く出なくてもいいだろうに。そんな事を考えながら、ため息をつく。手を擦り合わせ、体を縮めながら、安請け合いしてしまった自分を悔いた。

 

 元はといえばこいつが悪いのだ。

 責任転嫁甚だしく、直ぐ横にいる諸悪の根源を睨みつける。しかし当の本人は、そんなことには気が付きもせずにキラキラと目を輝かせている。

 

「やっふー!」

 

 そして次の瞬間には、奇声を発しながら駆け出していった。

 

 ……童謡にでてくる犬かよ。

 そんなツッコミを心の中で入れながら、ゆっくりと彼女の後を追う。

 

 

 積雪のせいでハンドル操作のままならない自転車を押しながら、白銀の世界を行く。

 都会ということもあり、雪国に比べたらかわいいものだろう。だが、それでも辺りはとにかく真っ白で。少なくとも自分が見た中では記憶に無い位の降雪量。それが街を一面覆って、普段とは全く装いを変えてしまっている。

 

 今進んでいる散々歩き慣れたこの道だって、もし、いきなり放り込まれたら何処だか分からないのではないだろうか。

 それくらいに、街はいつもとは違う顔を見せる。

 

 

 しばらくして、少し息を乱しながらゆずこは前方から戻ってきて俺の横へと並ぶ。

 

「あー楽しかった」

 

 ゆずこは心底満足そうに、そう口にした。そして、それを最後に会話が止まり静寂が訪れる。

 

 

 ただ黙々とふたりで歩いていた。しかし、その沈黙は不快でも居心地の悪いものでもない。

 俺とゆずこ、それぞれに今のいつもとはまるっきり違う状況を身体中で感じ、噛み締め、楽しんでいたから。

 

 

 しばらくそうしている内にふと気付く。

 

 俺の行く先には、まっさらな白い雪で出来た絨毯。少し前まではそこに、ゆずこの足跡が必ずあった。

 しかし今、目の前にはそれがない。当然だ。彼女は今隣に並んで歩るのだから。

 

「……」

 

 俺は一旦足を止め、振り返る。

 そこには不規則に並んだ二組の足跡と自転車の作るわだち。ただそれだけだった。

 

 

 元々この道は人通りの多い方ではないし、道も狭いので車なんかが通ることも少ない。加えて今日は休日な上にこの時間帯である。そういったいくつかの要因が重なったせいか、辺りに人の気配みたいなものを感じられなかった。

 

 声をあげてはしゃぎ、あっちへふらふらこっちへふらふらしている、そんなゆずこを見ていたから分からなかった。

 

 

 ……まるで世界にふたりだけみたいだ。

 そんなありきたりで、安っぽい表現が浮かんできて、とたんに恥ずかしくなってそれを打ち消すように頭を振る。そして少し先に行ってしまったゆずこの後を追う。

 

「……」

「……あのさ、優くん」

 

 彼女に追いついて、先程までのように隣に並んで歩き出してすぐ、ゆずこがポツリと口を開いた。

 

「この世界にさ、私らふたりしかいないみたいだね」

「っ!?」

 

 ゆずこの台詞に驚いて、俺は勢い良く彼女の方を見る。

 

「な、なーんつって……」

 

 すると、ゆずこは寒さで赤くなった鼻の頭と頬の色を更に濃くしながら、誤魔化すようににへらっと笑う。

 そんな彼女を前に、心の中を読まれたような感覚と、恥じらいを見せる姿と普段の彼女とのギャップの二通りの理由で俺の心臓は高鳴ってていた。

 

「……照れる位なら言わなきゃいいのに」

「だってぇ~」

 

 沈黙に耐えられなかったんだもん、といいながらゆずこはウガーっと暴れだす。そんな彼女を宥めながら再度後ろを振り返った。

 

 そこにあったのは先程と変わらない二組の足跡、そしてその間を走る一本のわだち。

 それはまるで今の状況を表しているようで。

 

 もし、俺とゆずこの足跡だけだっとしたら。もし仮に、俺とゆずこの間に一筋のわだちのようなものが無かったとしたならば。

 この雰囲気に当てられて、小っ恥ずかしいセリフの一つでも吐いていたのだろうか。そんでもって、手の一つでも握ったりなんかしてしまったりするのだろうか。

 

 ……いや、いや。ありえない話だ。そもそも、そんな意味もない仮定の話をしていてもしょうがないだろう。

 頭の中で誰に対してなのか判らない言い訳をしながらも、頬に熱が篭るのを感じていた。

 

 

 両手でしっかりとハンドルを持ちながら自転車を押す。一本の線を描き続けながら。ひたすら押し続ける、雪道の上では扱い辛くて、ただただ邪魔なだけの自転車を。

 

 俺はそれ以外の手段を持たなかった。少なくとも今この瞬間だけは。




何というかこう、救われた。生きる理由が見つかった。また頑張れる。そんな感じ。素直に嬉しい。

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