とある日の昼下がり。実に幸せな一時を俺は過ごしていた。
何か変わったことをしているわけではない。自分の部屋で漫画を読んでいるだけ。ただそれだけ。
しかし、それで十分だった。非常に満たされた時間だ。
インドア派な人間にとっては、至高の時間と言っても過言ではない。
そもそも、何が悲しくて休日に外出なんてせねばならないのだろうか。
会社や学校に行かなくていい、それが休日だ。休みを取る日だから休日なのだ。それなのに、遊びに出かけた挙句、疲れて帰ってくる。本末転倒ではなかろうか。
……というのはまあ、半分くらいは建前で。
別に外出自体が嫌いなわけじゃないし、友人に誘われれば、大抵はついていく。
単純に面倒で、苦手なのだ。自分で計画を立てるという事が。自分から、どこどこへ行こう、なんて誘ったのは数える程しか記憶にない。
それが持って生まれた性格なのか、環境のせいなのかは分からない。でも、気付いた時には既にこんな具合であった。
まあ、恐らく周りにアクティブな人間が何人もいたことが原因じゃないかと思う。それに甘えてきた結果がこうなのだろう。
そして、その原因のうちの一人であろう人物が何故かこの部屋にいた。
「いい加減帰ったら?」
「うん、まだ大丈夫」
野々原ゆずこは俺の話を全くといっていいほど真に受けようとしなかった。確かにこちらも本気で追い返そうなんて気もなかったけれど、大丈夫って返しは流石に意味が分からない。
せめて、その手にある漫画を返してくれ。今から読もうとしている所なのだ。
そんなことを言うかどうか迷っていると、コンコンと扉が叩かれる音が部屋に響いた。
「入るわよー」
断りの言葉とほぼ同時に、扉が開かれる。そして母が姿を見せた。
毎度の事とはいえ、いい加減何とかしてもらいたい。こちらが了承する前に部屋に入ってくるのだけは。例えノックをしていようが、声を掛けようが、返答を待たなければ何の意味も無いだろうに。
確かにこっちは学生で、養って住まわせてもらっている身だ。感謝もしている。とはいえ、プライベート空間ぐらいはもう少し気を使ってもらいたい。
それこそ今みたいに女の子とふたりっきりで、いわゆるそういった行為に及んでいる最中だったりしたら、それこそ目も当てられない。
流石にその辺の分別はあるつもりだし、現状そんな相手もいないわけだが。
「はい、おやつ」
母はそう言いながら、手に持っていたお盆をテーブルに置いた。
「わぁあ、ケーキだっ! ママさんありがとう」
もはや当然のように俺のベッドに寝そべっていたゆずこは、パッと起き上がってテーブルの前へとちょこんと座る。
「いや、ケーキはいいけどさ、何で三個? 何故に奇数?」
「安かったんだけど、小さいのしかなかったのよ。一つじゃ足りないかなって思って。あ、あんたは一個ね」
「ふぁっ!?」
想定外の理不尽な母の物言いに、思わず素っ頓狂な声を上げてしまう。
「大体、甘いものそこまで好きじゃないでしょ」
「……それはそうだけど」
「それにねぇ、そもそもゆずこちゃんの為に買ってきたの。で、あんたのはそのついで。あんた一人だったら買ってくるわけないじゃない」
「……」
辛辣な台詞を残して去っていく母。いくら実の息子とはいえ、あんまりではないかと思う。
実際、おやつにケーキなんて大層なものを出された記憶はほとんど無い。客が来たときや誕生日くらいのものだ。案外、どの家庭もそんなものなのかもしれないけれど。
その辺のことは抜きにしても、母はゆずこを可愛がっているし、ゆずこはゆずこで「ママさん大好きー」なんて言いながら懐いていたりする。
これで仮に俺とゆずこが恋人同士なんて状況だったりしたら、嫁姑問題も無縁そうで願ったりかなったりなのだが、幸か不幸か俺たちはそんな関係じゃあない。
人生、そうは上手く出来ていないらしい。
「ん~っ」
母の言う通り普通よりも小ぶりなケーキは、あっという間にゆずこの胃袋へと消える。そして、早くも二つ目に手を伸ばさんとしていた。
しかしまあ、そんなにも美味いと感じるものなんだろうか。
ことスイーツに関しては、男の言う好きと女の言う好きとでは明らかに度合が違うと思う。
「は~、美味しかった」
こんな風に、小ぶりとはいえケーキを二、三個ペロリと平らげてしまうのだから。
「ねぇねぇ、優くん」
「んー?」
「私、優くんの家の子になるね」
「……いや、結構です」
毎度の事ながら、唐突に何を言い出すんだろうかコイツは。
大体、こんな妹が居たら毎日騒がしくてたまらん。いや、本人は姉のつもりかもしれないが。
「え~、何でよー」
「むしろ逆にこっちが何でか聞きたいわ」
「だって、毎日おやつにケーキが出るんだよ。素敵じゃない?」
何という底の浅い考えだろうか。今日日、小学生でも言わないような理由。勿論、彼女が本気じゃないって事ぐらい百も承知ではあるが。
「客だから出してるだけだから。それに、流石に毎日は出ないだろ。どこのブルジョワ階級だよ」
「でも、縁ちゃんちなら毎日出てきそうじゃない?」
「……それは確かに」
俺とかゆずこみたいな一般家庭ではありえないだろうけれど、彼女の言う通り、縁の家ならばあるいはと思えてしまう。
「まぁ、別にブルジョワにはなれなくてもいいけどさ。どうせなら、ケーキみたいな人生を送りたくない?」
「意味が分からん」
「ほら、ケーキって甘くてハッピーな気持ちになるじゃん? そんな人生」
「普通に幸せな人生送りたい、でいいじゃん」
「そこは、あれ。女の子ってお菓子みたいな存在だから?」
だから、なんて同意を求められたところで答えようがない。
よくもまあ、次から次へと色々な発想が出てくるなと感心こそするが、まるっきりニュアンスは伝わってきやしない。
「というかお前はそれでいいけど、俺男だし」
「あー……優くんは、うん。コーヒーみたいな人生?」
ゆずこはうーんっ、と首をかしげて考えながらこちらを凝視する。そして導き出した答えがそれだった。
例のごとく意味は分からない。
「……その心は?」
「苦くてすっぱいから」
「おいっ!?」
あまり話しに乗っかるのも面倒だと思いつつも、ゆずこのあんまりな物言いに、つい普通にツッコミを入れてしまう。
唯の様に鋭い一撃とはいかなかったけれど。
「だって、優くん高校生にもなって彼女の一人もいないし」
「それはっ……まぁ、そうだけどさ。それ言ったら、お前も同じだろ」
「男の子と女の子じゃ意味合いが違うんですよ、優くん」
「……」
ぐうの音もでない正論に言葉が詰まる。
確かに彼女のいない男子と、彼氏のいない女子では全くといっていい程、受け取られ方は違う。前者の方が遙かに惨めだ。
「まぁ、でも大丈夫だよ、優くん。私たちがいるから」
「……それの何が大丈夫なんだよ」
「優くんってさ、いつもコーヒーにミルクと砂糖入れるじゃん?」
「そりゃあ、入れるけど」
昔は格好つけて何も入れずに飲んだりもしたけれど、今では両方少しずつ入れて飲む。その方が素直に美味しいと思うから。
「でもさ、今はミルクしか入れてないよね」
「えっ? ああ、そうだな」
それでも、ケーキのような甘い物に合わせるときはまた別で。そちらに甘味がある分、コーヒーには砂糖を入れようとは思わなかった。
「だからね。ミルクと砂糖を入れて誤魔化さなきゃいけないような、寂しい人生でもさ」
「うるさいよ」
「縁ちゃんと唯ちゃんと私。三つもケーキが近くにあったらコーヒー人生も楽しめるんじゃないかなぁ、 って」
ブラックのコーヒーが好きな人がいるように、一人でいるのが好きだって人も当然いるだろう。
でも、残念ながら俺はミルクや砂糖を入れなければ飲むことが出来ない。
「……」
素直にゆずこに感心する。
別に彼女が上手いことを言ったからってわけじゃない。
コーヒーに砂糖を入れるか入れないか、そんな些細なところまで見ている、ゆずこの観察力にだ。
そして同時に、妙にこそばゆくなる。女の子に細かいところまで見られていたという事実に。決してやましい事でも、見られて困ることでもないのにだ。
「……ばーか」
気恥ずかしさを誤魔化すように、ゆずこの額を軽く小突く。
「あいたっ」
ゆずこはわざとらしく大げさなリアクションを取りながらも、どこかまんざらでもない様な表情で笑うのだった。
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