「おはよう、優太」
「ん? おお、おはよう唯」
学校の下駄箱で靴を履き替えようとしていると、後ろから唯に声を掛けられた。挨拶を交わしてから二人揃って内履きに履き替え、自分たちの教室へと向かう。
「しっかし暑いよな今日も」
「確かになぁ。アタシも日影選んで歩いてきたぐらいだし」
まだ五月だっていうのに、ここ最近はうだるような暑さが続いている。
「そういや、優太は夏苦手だっけ?」
「んー、あんまり得意じゃないな」
夏という季節は昔からあまり好きになれない。じやあ寒いのが好きかと問われればそんなことはないのだが、暑いというのがどうにも耐えられないのだ。
寒い分には着込めばどうとでもなるのだ。マフラーを巻くなり厚手のコートを羽織るなり、下に着込むなりすればある程度はどうにかなる。だが、逆の場合はそうもいかないのだ。薄着になるったって限度があるわけで。
……薄着の女の子を見ている分には幸せではあるのだが。
「まあ当面は、衣替えまでの我慢じゃないか」
「衣替えかぁ……それはそれであんまし嬉しくないかなぁ」
「なんで? 半袖の方が楽じゃないのか? 女子と違って男子はスカートじゃないから大変だろうけど」
何というか、区切りをつけている感がどうにもダメだ。今日から夏です。そう言われている気がして、余計に暑さが増すような感じがする。
無論、長袖が半袖になって、ズボンも薄手の物になるから過ごし易いのは確かなんだけれども。
「ふーん。そんなもんか」
「そんなもんだよ。まあ、夏服を着た唯を見るのは楽しみではあるけどな」
わざとらしく唯の姿をねっとりと足元から見上げていく。
「おい! 何想像してるんだ、アホ!」
唯はほんの少し顔を赤らめて、身体を隠すような仕草で言う。
「ったく、お前までゆずこみたいな事言って。って、あっ!」
「えっ!? おっと!」
胸元に軽い衝撃があった。唯の方に気を取られていたせいで、教室から出てきた人を避けられなかった。そして結果的に、それを胸元で受け止める様な形になってしまった。
「大丈夫だった相川さん?」
「ふぇ!? あっ、ご、ごめんなさい」
腕の中(といっても別に抱きしめているわけではないが)には我がクラスの委員長である相川千穂がいた。
相川さんは少しこちらを見上げ、ぶつかった相手を確認すると、パッと離れて何度も頭を下げた。
「ごめんなさい。私、考え事してて前見て無くって」
「いやいや、そんなに誤らないでよ。よそ見してたこっちが悪いんだし」
逆にこちらが申し訳ないと思ってしまう程に頭を下げてから、相川さんはそそくさと去っていく。
その姿を唯とふたりして手を振って見送った。
俺の胸には先程の相川さんを受け止めたときの感触が残っていた。一瞬、ましてやお互い厚手の冬服の上から触れ合っただけなのに、はっきりと分かるほどのあの感触は実に素晴らしいものだった。
「なあ唯」
「ん?」
「やっぱり、もうちょっと衣替え早くてもいいかもな……」
●
「そういや、衣替えといえばさ」
鞄を自分の机へと置いて俺の席へとやって来た唯へと語りかける。
「女物の下着に夏用のものってあるのか?」
「……は? 何だよ急に」
「いやほら、夏場はしんどそうだなーって」
汗とかでムレたりとかで大変そうだと思う、勿論俺は付けた事なんかないけれど。
というか、よくよく考えなくてもセクハラまがいの発言なのだが、特段気にすることもなく唯はいたって普通に答える。
「まあ一応、速乾性とか通気性のいいのとか在るらしいな。アタシは持ってないけど」
巨乳の女性は谷間に汗をかいて大変だと言うことを聴いたことがある。逆を言えば貧乳の人にはそれがない分、通気性がいいということだろうか。そして唯にその手の下着が必要ないってことは、つまりそういうことなのだろうか。
激怒しそうだから本人には直接聞きはしないが。
「ふーん……じゃあさ」
「何?」
「今日はどんな下着付けてんの?」
「……はぁあ!? 何言ってんだアホ! ヘンタイ!」
ほんの少しからかっただけのつもりだったのだが、流石にこれはアウト判定だったらしく、唯はわりと本気で恥ずかしそうな仕草を見せる。
彼女のこういうところを見ると、ゆずこや縁が唯のことを弄りたくなる、と言っているのが分かるような気がした。
「はぁ、まったく……」
唯は大きなため息をついて、じとっとした視線をこちらへ向ける。
「さっきも言ったけど、最近ホントにゆずこに似てきてないかお前」
「……え!? それは酷くないですかね」
いくらなんでもあそこまで突き抜けてはいない……と思う。
「その発言もたいがい酷いとは思うけどな。……ともかく、昔は冗談でもそういうこと言うキャラじゃなかっただろ」
「そうだっけ?」
そうは言われればそんな気もするが、意図的に変えたつもりはないし、そもそも昔のことなんて鮮明には覚えちゃいない。
だが、他人から見てそう感じるなら間違いじゃないんだろう。それこそ、本当にゆずこに影響されすぎているのかもしれない。
「おはよー」
噂をすれば影とはよく言ったもので、ゆずこが教室の扉を開けて入ってきた。いつものようにでかい声で。
「んでんで、今日はふたりで何の話してたの?」
「優太が最近ゆずこに似てきてないかって話」
「私に?」
ゆずこは俺と唯の顔を交互に見比べてから首を傾げた。
「うーん……私的には優君は唯ちゃんの方に似てきてる気がするけど」
「え!?」
隣にいた唯と声をハモらせながら顔を見合わせる。
「そうか? アタシは自分じゃ分からないけど」
「うん。ツッコミ方とか似てるなーって思うときあるもん」
唯曰く、俺はゆずこに似てきていて、ゆずこに言わせると唯に似てきているらしい。だとすると、ふたりの話を合わせると唯とゆずこも似ていると言う結論に至るわけだが、正直そんな風に感じたことはない。
まぁそれ以前に、女の子に似ていると言われている事自体どうなんだと言う話ではあるのだが。
「それは、ほら、あれじゃない? 付き合い長くなってくるとお互い似てくるって言うし。うちの両親なんか雰囲気とかすごい似てるし」
「あぁ、そう言われればアタシの親もそんな感じだわ」
確かに良く聞く話ではある。同じ時間を多く過ごすことで、仕草や話し方が似てくるのはありえる話だと思う。カップルの場合は、元から自分に似た人を好きになるって説もあるらしいが。
そうだとすれば、唯の言ったこともゆずこの言っていたことも、あながちどちらも間違ってはいないのかもしれない。
唯とゆずこ、もちろん縁も含めて、彼女らと過ごす時間が純粋に好きだ。そう思いながら多くの時間を共有してきた。
だとしたらやはり、彼女たちからは影響を受けているという事になるのだろう。
「……ふっ」
思わず笑声が漏れる。
脳内とはいえこんな恥ずかしい考えがサラッと出てくること自体、既に彼女らに毒されている証拠だろう。そう思うと妙に可笑しくなった。
そして、その事を悪くないと思っている自分がいた。
「どしたの?」
ふたりはそんな俺を不思議そうな顔で覗き込んでいる。顔のつくりは全く違うというのに、今はどこかその表情が似ているように感じられていた。
恥ずかしい台詞をさらっと吐けるあの3人は本当に素敵だと思う。