凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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Diary2 流されて、死にかけて

 

 

 

半月の時が流れ地上は様変わりを始めた。海水の温度は急激に降下をはじめ、漂流する氷がちらほらと見え始め、さらにはもうすぐで氷が海を覆い尽くすだろうと海洋学者は告げた。

寒冷化は進み、ぬくみ雪が降り積もる。

そんな世界のどこかの海の上に一つの影が大きな音を立てながら浮上する。

 

「まったく、この小僧は無茶苦茶にも程があるぞっ」

 

愚痴を言いながら水を滴らせる男の背中には、その男の背丈と同じくらいの少年が背負われている。身体中ボロボロの血だらけ、肌には氷が張り付き虫の息のまま、さらには顔色も悪く生気すら伺えない。

 

「わしが助けなければどうなっていたことか……」

 

と、独り言のように呟く男へと、微かに小さな声が返ってくる。

 

「…は、は。眠るのは嫌だったんでな。癪だけど、信じさせてもらった…」

 

「お主こういう時だけ神の片鱗を利用するとか罰当たりにも程があるぞ! じゃがな、誠。言っておくが起きていてもいいことはないし、ましてここは鷲大師でもない。というか死ぬぞ、その怪我では」

 

それから男の愚痴は加速する。

少年がいきなり水流に逆らうどころか沈みゆく柱へと体当りしたり、冷や冷やしながら怪我を凍らせたり、その反動からか眠りに落ちず少年が起きていたり。普通なら起きていられるケガでもないのに、痛みに顔をしかめるどころかケロッとしていたり。

 

「しかも、お主の所為で凍らせたあとに眠らせることもできなくなったではないか! わしの奇跡は無尽蔵ではないのだぞ? こっちも疲れとるのにこっちの身になれ!」

 

「知るか」

 

「怪我を治すのにも力を使ったが、完治まではいっとらんぞ。流石にそこまではねじ曲げられん。というかお主、わしが助けるという確信はあったのか?」

 

訝しげに問いただす男に少年は、苦笑い気味に口を開く。

 

「ないよ。でも、俺達は少なからず『意思』を『心』を分け与えられた、希望なんだろ。海神の消えた海の、海神の知りたいパンドラの匣そのものだ。あいつはずっと好きだった一人の女性を追っているだけ……だから、俺達という種族は消えないんだ」

 

「本当にお主はどこまで知っておるのか……わしとの意見の相違を是非、討論したいところじゃが、ふむ命拾いしたな」

 

ぽいっと乱雑に男が少年を放り投げた。

ドスン、ズキッ―――……。

 

「ぐぉっ、!?」

 

「わしはもう行くぞ。眠い上に誰かに姿を見られるのもかなわん。……ほっほ、えらい美人ではないか。よかったのう拾ってもらえるぞ」

 

言うなり、足元に転がる少年へと視線を向けるが返事をしないただの屍があるだけだ。

 

「聞こえておらんか。しかしまた羨ましいのぅ。見たところ胸は普通にある上に美人ときた。まぁ、せいぜい口説き落とすなりなんなりして親密な関係になるとよい。好きに乳繰りあえ」

 

「…お前、なぁ…ぶれないな」

 

荒い声で言葉を返す少年に驚くも、男は知らん顔して言葉を続ける。

 

「吉と出るか凶と出るか。何せお主は優しくて寂しがりじゃからの。求められたら断れん、よお海神様に似ておるわ」

 

今度こそ意識を失った少年を一瞥し、氷の上を足早に駆ける人影を見て薄く笑い目を瞑る。

その男だけが、もう一度海の底へと沈んでいった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

空が赤く染まっている。学校からの帰り道、少女がふと海に視線を向けた。海は僅かに氷が浮きはじめ、煌びやかに反射する赤の光を纏った氷が、綺麗に輝く。

そんな中、不自然な漂流物が目に映った。肌色なのか赤褐色なのか夕焼けのせいでよくわからないが、何か人影のようなものが見えた気がした。

 

「なにあれ……?」

 

嫌な予感がする。倒れている人のようにも見えた。

近くで見たい。けれど、氷の上を歩くのは危険性を伴うためテレビなんかではよく注意をされていた。

どこかの偉い学者が言うには、三年後には氷の上を歩いても大丈夫になるだとか。

そんなのは、待っていられない。

 

「よいしょっと…わっ」

 

堤防を乗り越え、砂浜へと着地する。

その際にすっ転んでスカートなどが捲れる。

 

「いったぁーい」

 

幸い、人は近くにいないようでスカートの中は覗かれることはなく、少しの羞恥だけで済んだ。

なんでこんなことをしているのだろうか。

と、思う。痛い思いをして、ちょっぴり恥ずかしい思いもして、危険を伴い、興味を埋めにいくなど。

普段の自分ならありえない行為だ。少女自身、優しさは備えてはいるが、そういう話ではなく、実際、家でのストレスや日々のストレスが重なってこういうことをしたくなったのかもしれない。要は鬱憤を晴らすために善意ではなく興味で動いているのだ。

立ち上がり歩く。ただ、小さな興味のために。

そうしてやっと、その物体が何かわかる距離まで来た時、少女の顔から血の気が引いていった。

 

「うそ………大変っ!」

 

目標の漂流物は漂流物ではなく、漂流者だったのだ。血だらけで傷だらけのボロボロ、しかも見た目は自分とほぼ変わらない十代。男性。全裸。

急いで少女は駆け寄る。そうして、自然と仰向けに転がし、目にしてしまう。

 

「きゃあぁぁぁああ――っ!!」

 

なにあれ!? なにあれ!? なにあれ!?

なんか見ちゃいけないものを見た気がする。何はと言われれば答えられない。男性器的なあれ。エレファント。エクセレント。エレガント――っ、そうじゃなくて!

 

バチン、と手を一振りし横たわる少年の顔に少女は平手をかまし、

 

「うわぁあああ!? 違うの、違う、間違えたっ。ちょっと起きて起きて!」

 

盛大にパニックを起こす。

止めを刺してしまった。初めて見たグロテスクな物から目を逸らして、ゆさゆさと少年の肩を揺する。

この少女、実に生娘なのか箱入りなのか。耐性のなかった故の行動に自己嫌悪しながら必死に揺り起こした。

 

「うっ……っ…」

 

「良かったまだ生きてる!」

 

甲を制したのか人影の男は息を吹き返した。

取り敢えず、止めを刺していないことに安堵しながら脈を測る。正常。異常はない。それでもまだ危険にはかわりなかった。

少年の身体は深い傷が幾つもあり、氷が張り付き、触るとすぐにわかるほど体温が低下している。

 

「待ってて、すぐに病院に連れていってあげるから」

 

疲労困憊の少年の脇下へと身体を滑り込ませ、肩を貸し歩き出そうとするも、少年の方に力が入らないのか、そのままもつれこむようにして倒れ込んでしまう。

少女は押し倒される形で、少年は覆いかぶさり。

初めての体験に少女は顔を真っ赤にして、迫る男の顔に少しの間見蕩れる。

 

「あっ、ひゃっ……!」

 

顔立ちは良かった。何処かあどけない雰囲気はあるものの大人になる途中、男らしい顔つきになっているというのかそんな雰囲気が見て取れる。

そうして数秒固まりながらも、少女はバクバクと高鳴る音を耳に聞きながら、顔を逸らした。

 

好みのタイプだ。

 

押し倒された身体が密着している。少女の制服に隠れた豊満な胸が少年の胸板で押し潰され、細く綺麗な肢体は交互に絡み合い、ピンポイントで危ないところを刺激していた。

思わず甘い吐息が漏れるも、少女は頭をぶんぶんと振り思考をクリアにさせる。

 

「お願い、待ってて!」

 

声に呼応するように少女の身体から、少年が重たい身体を持ち上げる。その隙間を縫うように少女が這いずりでると少年は力尽き、意識を手放す。

その様子に少女は慌てて陸へと走り出した。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

白い天井が視界に映り込む。消毒液の香りと何やら謎の甘い香りが嗅覚を刺激する。次に聴覚が小鳥の囀りと柔らかな寝息を捉えた。

重い体を無理やり起こすことで、その寝息の主を捉える。ベッドの傍らにその女性は椅子に座り、俺の眠っていたベッドを枕にすると眠りこけていた。

 

「ここは……」

 

どうやら天国ではないようだ。地獄でもない。

女性に全てを聞きたい衝動に駆られるも、寝ているのだから寝かせておいた方がいいと、感情を抑え込む。

きっと助けてくれたのはこの女性なのだろう。清潔感溢れる私服に身を包んだ女性は、まるで天使のようで、

 

「……やっぱり天国か」

 

そう思った瞬間、冗談気味に笑ってみた。

そうしなければ、なんとなくやりきれないような気がした。生きているのも不思議だ。結構な重傷を負っていたはずなのだから、死んでもおかしくない。その傷といえば包帯でぐるぐる巻にされ僅かに染みた血痕が、白いキャンバスに赤い絵の具を塗っているようにも見えた。

 

「そうね。むしろ出てきた時は地獄から這い出てきた変態かと思ったけど」

 

不意に足下から声がした。視線を移すとさっきの寝ていた女性が同じ体勢のまま、目をぱっちりと開け、視線が合うとゆっくりと起き上がる。

 

「おはよう。ふわぁぁ……」

 

「あっ、おはようございます」

 

欠伸をしながら両手を天井へと伸ばす女性は、高校生くらいだろうか。堅苦しい挨拶をする俺に笑いかけると、

 

「敬語禁止♪」

 

楽しそうに弾んだ声で、そう言った。続け様に愚痴を言うような口調で、心配していたのかほっと息をつくと、早口にまくし立てるのだ。

 

「本当にびっくりしたんだからね。海の氷の上に倒れてるし、全身傷だらけだし、死にかけてる上に傷の所々が凍ってるからで」

 

「……すみませんでした」

 

「それに押し倒されるし」

 

「重ね重ね申し訳ありませんでした」

 

「挙句、唇奪われた上に襲われるし」

 

「……っ」

 

最後のはもう謝って済むならいいのだが、謝る方法すら見当もつかない。いやそれで事態の収拾を図れというのも無理な話だ。

しかし、彼女はくすりと口元に笑みを浮かべると、腹を抱えて笑い出す。

 

「あははははっ! 最後のは嘘よ嘘。人は生存本能に真っ当だとしても、あんなボロボロのボロ雑巾じゃ何もできないもの」

 

「……心臓に悪い冗談を言わないでください」

 

「だって、こっちだって大変だったのよ? 私の制服は血で染まるし近所の人には変な目で見られるし。これだけじゃ足りないわ」

 

「……いや、本当にすみません」

 

再三謝る俺を見て彼女は笑顔でまたクスリと笑う。

自己紹介を始めたのは、彼女からだった。

 

「まぁ、それはそれとして。わたしは桐宮燕。あなたの名前を教えてくれないかしら?」

 

「俺は誠です。長瀬誠」

 

自己紹介を軽く終えたところで彼女からの質問はこうだった。

何処から来たのか。

何故海から出てきたのか。

年齢はいくつか(中学生ということには驚いていた)。

海の中はどうなっているか。

 

それに引換えて、こちらが聞いたのはこうだった。

 

ここは何処か。

何年何日の何曜日か。

陸はどうなっているか。

最近のニュース。

 

ここは桐宮病院。大きな市にある有名なもので、俺自身も聞いたことがある名前だ。

お船引から数週間、新学期まであと二週間程。

今や海は凍りつき、地上ではぬくみ雪が降り始めた。

気温変化でいっぱいらしい。オカルト的なことが流行っているとか。

 

「ふーん……私のことは何も聞かないんだぁ?」

 

何やら寒気を感じる口調で燕さんは黒い笑顔を向けてくる。けれど、まぁいいか、と続けて、それよりもお願い事があるの。と言う。

 

「……俺に出来ることであれば、何でもしますけど」

 

流石に、拾ってもらった上に何もしないとは言えず、提案を受け入れる。

パッと彼女は笑顔を輝かせると、手を叩き合わせる。

 

「良かった…! 実はね」

 

もったいぶるようにそこで切ると、真剣な目で俺を見つめてこう言った。

 

「婚約者になって欲しいの!」

 

 

 

 

 

要約すると、こういうことらしい。最近、桐宮病院の跡継ぎとして縁談をいくつも用意されているらしく、その縁談は相手方にとっては非常に好条件であるのだが、どうも燕さん自身の気に入る人間というものが現れないだとか。

本当なら、自分で恋をして、寄り添う人を見つけたい。そのために時間が欲しいと彼女は語る。

 

“偽の婚約者”

 

彼女が求めているのは、ダミーだ。時間稼ぎに嫁ぐ相手を後腐れなく協力してくれる人間に決め、そこに俺はタイミングよく現れたようだ。

鷲大師に帰るまで療養と、時間がある。少しだけチサキに心配は掛けてしまうものの、新学期までに帰ればいい。婚約者を演じるにしても、鷲大師に帰ったところで問題は無いらしい。むしろ、バレる可能性も低くなる。

 

「じゃあ、いきなりだけど――」

 

「あら、お目覚めになったのね。燕、起きたらすぐにナースコールで呼ぶように、と伝えたはずだけど?」

 

燕さんの言葉を遮るようにして、唯一無二の扉が開き、一人の女性が入ってくる。茶髪を一括りにしたポニーテールの女医。白衣を纏う姿は自然感があり、ヒールの音がカツカツと床を鳴らす。

 

「いいじゃない。私の婚約者だもん。少しくらい話してたって」

 

「婚約者……?」

 

早速、言い訳として使われた“偽の婚約者”。

いったい、この人は誰だろうか――いや、一度だけ雑誌で見たことがある。確か、桐宮病院でも有名な女医であり院長と結婚した“桐宮鷹乃”と呼ばれる天才だ。

そのもう片方、院長の方も凄腕の医者として名を馳せている、故に燕さんはある意味ハイブリッドと言っても過言ではないほどに一家して医者の血を継いでいる。

 

「へー……なるほど。婚約者ねぇ? 初めまして、燕の母親の――」

 

「桐宮鷹乃さんですよね。俺は長瀬誠といいます」

 

品定めするような目つきで、彼女はボードを手に包帯の状態を見ていく。顔を見ると一瞬睨みつけたり、鋭い視線を何度か浴びせると納得したように頷き、

 

「燕とはどこまでいったの? A・B・C?」

 

とんでもない親らしからぬ爆弾を落とした。

 

「ちょっとお母様。ど、どこまでいったって」

 

顔を赤らめてわたわたと慌てる燕さんはこういうことに慣れていないらしく、シューシューと湯気を吹き出すように顔には熱を帯びていく。

 

「不思議も何もないわよ? この年頃の男の子は性に貪欲なんだから。まさか、キスもまだなの? そんなことしてると逃げられるわよ」

 

「し、したわキスよね。したに決まってるじゃない。ラブラブなんだから!」

 

怪訝な顔の鷹乃さんが、一瞬、燕さんを睨む。

 

「嘘おっしゃい。そんなのでキスできるわけないじゃない。まさか、婚約者の話も――」

 

流石にここまで言われると、黙ってはいられなかった。このままバレてもこちらとしては痛手にならないのだが、そこは救ってもらった恩があるとして、口を開く。

 

「――俺からしたんです。不意打ちで」

 

「ふーん……他には?」

 

「彼女を(血で)汚しました」

 

嘘はついてない。これには鷹乃さんも驚いたようで眼をむいて、しかしすぐに冷静になる。

 

「随分と大胆な告白をするのね」

 

カルテに目を通し、怒るわけでもなく娘へと視線を一瞥する。燕さんは睨めつけられるような視線にうっと息を漏らし、恥ずかしげに目を逸らした。

迫真の演技だった。

いきなりの彼から親への性事情の告白に、戸惑う少女。題目は恋愛観溢れる青春ドラマだろうか。

 

「まぁいいわ。あなたがその気なら私からも打診してあげる。好きに恋なさい」

 

カルテを一通り書き終えたのか、立ち上がる鷹乃さんは最後にベッドへと身を傾け、俺の耳元に囁く。

 

「燕をよろしくね。偽の恋人さん?」

 

ヒールの音を鳴らしながら、彼女は扉から出ていく。その扉に手をかけた。開けようとしたところで、俺は最後に一つだけ聞きたいことを質問する。

 

「どうしてわかったんですか」

 

「医者を舐めないでちょうだい。それに、私は母親よ? あとは女の勘かしら。まぁ、夫の方は自分らでどうにかなさい」

 

今度こそ、病室から出ていく。

名医はある意味強者だった。

ほっと息を吐く勘違い娘を余所に、深い溜息を吐いた。

 

 




本編の使い回し? IFルートですもの。
ともあれ、ネタバレるとドロドロ事件の回避ルートです。
平和に生きます。修羅場はします。
でも、波乱万丈な人生からは抜けられないようです。


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