と仮定してください。
べ、別にそのシーンを書くのが面倒とかじゃないんだからね!
Diary1 人知れず伝えて
藍に染まる月の光が見えた。
遥か頭上、海の向こうの空には優しい光を灯した月が海を見守っているはずだ。
光のない海、暗闇に吸い込まれそうな水中、微かな希望の光は揺らぎただ呆然と見つめる。
――俺って、何してるんだっけ?
なんで水中で上を見上げ、海の向こうにある空を見上げているんだろうか。
「あれ、身体が動かない……」
意識は朦朧として、視界も朧気。身体も限界まで酷使していたようで指すら動かすのにも痛みが走り、水の流れに逆らえず流されるまま海の向こうを見据えた。
躯が熱い。
燃えるように体温が上がっている。いつもの水温ではなく自分が感じる熱量が、とても息苦しく感じた。
熱でもあるのか、風邪をひいたのか。
わからない。けれど、気持ちのいいものではなかった。
「まだ、終わらない……俺は眠らない」
手を伸ばす。
左手を海の向こう、空へと向けた。
伸ばされた手は何も掴めず、まだ止まない。
それでも、俺は感じた。感じてしまった。
『――約束だよ。訊かせてね、誠の気持ち』
脳裏に浮かんだ少女の顔と声が浮かんでは水泡のように消えていく。
その少女は、上にいる。
海の向こう。陸。空の下に。
「なぁ、チサキ」
その少女の顔を、声を思い出すと、すごく胸が苦しくなった。今までこんなことは無かったのに。
光は墜ちた。マナカもアカリさんの代わりになった。要も波に浚われた。
残るのはチサキだけ。幼馴染の中で、優しくて一人の少女のお姉さんのように振る舞って、強く見えて実は寂しがりやの女の子。
「バカだよな。いまさら気づくなんて」
嗚呼、本当に俺は大馬鹿者だ。
別れ間際に好きな人が誰か、自分が愛する人が誰か気づいた。もう少し早く気づいていれば、もっと幸せな過ごし方を、人生を歩めたかもしれないのに。
後悔すればするほど悔しくなって、求めた。
手を伸ばす。あの少女の手に、頬に、肌に触れたい。熱を感じていたい。温もりが欲しい。
こんな暗くて冷たい海よりも、彼女の側で笑って過ごせる大切な時間が――。
「なぁ、神様、あんた残酷な生き物だよな」
失った時は戻らない。
過去、彼女に冷たくしてしまった事もあった。
口煩く心配してくれた彼女に、俺は一人にしてくれ放っておいてくれと、怒鳴った事もあった。
今更ながら後悔する。
それでも傍にいてくれる、彼女に優しくすればよかった。
「……失った時は戻らない。なら」
俺にこんな人生を与えた神様。
死んだ人は戻らない。帰ってこない。
後悔する事も沢山あった。やり直したいこともあった。
あの人にまだ話したいことはあった。
だけど、そんな時間は戻らないことは知ってる。
「――だから、俺は眠らない。もう後悔しないように生きるんだ……!」
徐々に記憶が明確になっていく。
おふねひき、その際中でこんな状況へと追い込んだ、今も下で眺めている“神モドキ”へと視線を移す。
いつも通りの道化師のような表情が目に障った。やれるならやってみろ、と言わんばかりに見据えている。
最後の力を振り絞り、俺は最後の行動に出た。
賭けだった。危険な賭けだ。
「……っ」
ズシンッ!!――不快な音が鳴る。身体には衝撃が走り。
痛みで意識は朦朧としながらも、海に混じりゆく赤い煙を呆然と見つめる。
ただ、限界の身体で出来たのはそれだけだった。
水の流れに逆らわず、抵抗するにはそれしかなった。
「全部、あんたの…思いどおりに…なるとは」
意識が薄れていく。
パキキィィッ、と何かが破れるような音を響かせ、熱い身体は凍りついていった。
そして、意識は海の暗闇へと消えた。
◇◆◇◆◇◆
おふねひきは中止になった。海が荒れ、退きあげた漁協の人達に囲まれながら、私は一人蹲る。
膝を抱えて、泣きたい気持ちを堪えて。実を言うと信じたくなくて、泣く余裕なんてない。
それでも、非情な現実は、私の耳に届く会話の内容は残酷だった。
「光達はまだ見つかんねぇのか!」
「仕方ねぇだろ、海は荒れててプロのダイバーでも呑まれたら一瞬で終わりなんだ!」
「海の子一人も上がらねぇぞ!」
「どうすんだよ、この娘一人っきりだぞ」
それから、会話内容は私をどうするかに変わっていく。
「この娘どうする?」
「誰かが育てるしかねぇだろ」
「うちは無理だぞ。ジリ貧だし」
「こうなりゃ施設に預けるしかねぇよ」
やっとわかった。
私は一人なんだ。独りでもう誰もいない。私が持っていた普通の日常は海の底に消えてしまった。
誠もこんな気持ちだったのだろうか。
独りになるって、こんな感覚だったのだろうか。
今更、私は理解する。誠が独りで生きてきた意味を、その大変さをようやくだ。わかっていたつもりだったのに、いざ自分がその状況に陥ってしまえば、想像以上の辛さに泣きたくなってしまう。
「嫌だよ……」
ここから離れたくない。
ずっと、誠の消えた海を見ていたい。
それが叶わないなら、私も沈んでいってしまいたい。
幼馴染みの消えたあの海へ。
大好きな人が眠るあの海へ――。
わがままだってわかってる。
今の海が危険なことも知っている。
そして、私達は最初に決めていた。
もし、おふねひきの最中に海が荒れたのなら、地上にいる私達は海に戻らず陸にいよう。危険だから。
そう決めた。その筈なのに、誠が皆と交わした約束なのに私はそれでも、嫌だった。
「ん? どうしたんだ、嬢ちゃ――って、おいっ!」
立ち上がると訝しげに、けれど心配したように一人の男性が私の様子に気づく。
全員に気づかれる前に、早く。
私はこの部屋から出て行って、海に潜るつもりだった。
走り出そうと全身に力を入れる。
けれどそれは、出口の扉の一番近くにいた人に腕を掴まれて止められた。
あと一歩。ドアを開けるだけだった。
「離してっ!」
「あほか、海に潜るつもりだったろ! 今の海はいくら海の子でも危険だ! 行かせられねぇ!」
「だったら何ですか!? あなた達には関係無いでしょ、私の気持ちなんてわからないくせに!」
今度こそ、腕を振りほどいて私はドアへと手を掛けた。一瞬迷ったあと、伸ばされた手が見える。その手が辿り着く前にノブを捻り扉を開けると、私は暗闇へと消える筈だった。
誰かが止めろと叫んだ。その声につられて動こうとした人達がいた。
「きゃっ」
それよりも早く、私は何かにぶつかる。
ドンッ、と強く頭から石のようなものへ、そんな衝撃が走り私は弾き飛ばされた。
尻餅をついて数秒、わけがわからず、明滅する視界の中に目を凝らす。するとそこには看護師の制服を着た見知らぬ人が同じく尻餅をついていた。
「いったたぁ――あっ、そうだ! 誠くんは!?」
ぶつかったことを気にしていないのか、目の前の看護師の制服姿の女性はキョロキョロと辺りを見回す。
それは、私が一番知りたいことだった。
その時の私は、両者ともに謝れる状況じゃなかったことを後に知るのだ。今の私にとってもぶつかったことはそれほど重要でもなく、私は呆然と目の前の女性を見つめるだけで、この人は誰なのだろうと気になってしまう。
「ママ!」
それよりも先に顔見知りの子が漁協の部屋へと、入ってくる。淡い栗のような色の髪色をして、その髪を腰よりも長く伸ばしている女の子。美空ちゃんだった。彼女が母親だと呼んだ人へと詰め寄り、
「もぉママってば、焦りすぎです。私達が焦ったところで何も変わらないんですよ」
「だ、だってぇ」
説教を始める。
「そうだよ美和。でも、あの子は僕が思っているよりも強い子だから安心して」
その少女の後ろだっただろうか。
懐かしく耳に残る声が聞こえた気がした。誰か知っている人のような気がした。男性の声。闇の奥から響いた声の主が姿を現した時、私の中でどくんと何かが脈打った。
「誠の……お父、さん…?」
あぁ、この感情は何だろうか。
ぐちゃぐちゃと私の中を駆け巡っていく。
この人は、誠を捨てた。
だから、何で捨てたのか聞くつもりだったのに。
私の中ではもっと黒い感情がいっぱいだった。
誠が眠って、この人が起きている、幸せそうな家族に囲まれている。どうしても許せない。どうせならこの人が眠っていれば良かったのに――!!
「どうして…今更…!」
「チサキちゃん……」
男の人が、長瀬誠哉がそう呼ぶと、似てそうで似ていない二人の影が重なり合った。
「気安く呼ばないでよっ! あれから誠はずっと一人だったのに、いまさら親の面してノコノコと現れて……」
これ以上の言葉は見つけられなかった。
静かに聞き届けると、誠の父親は淡々と告げる。
「違うんだよチサキちゃん。僕は誠に頼まれてここにいるんだ」
何処か慈しむように彼はそう言い、海へと視線を移していく。それから語られる、誠の親への願いに、私はずっと孤独感を覚えていた。
◇◆◇◆◇◆
暗闇の一室。遠い海を眺めながら私は独りで、胸の上で踊るアクセサリーを見つめた。
ロザリオと一般的に言われる、誠の大切な宝物の一つ。彼が存在した、存在していたことの証明。大切なはずのそれはおふねひきの前に私へと渡されていた。
何を思って渡したんだろう。ふと、そんな考えすらもどうでもいいやと思考の海に消す。
私の処遇は決まった。
まだ未成年の私を誠哉さん、美和さん、美空ちゃんの一家が引き取ってくれることになった。
それが『誠の初めて親を頼ったお願い』だと、苦笑いしながら教えてくれた。
あてがわれた一室で私は窓際に腰掛けながら海を見て、下を見つめ直す。もしここから飛び降りれば、皆と一緒だったあの頃へと戻れるんじゃないか。夢ならば覚めるんじゃないかと痛切に願う。
―――コン、コン。
部屋の扉を叩く音が響く。
続いて、幼げながら優しく綺麗な声が部屋の中へと届く。
「あの……チサキさん、入りますよ?」
一応の確認を無視していると部屋の扉が開く。そこからは案の定、美空ちゃんが顔を出していた。私の姿を確認するとほっと胸を撫で下ろして、部屋へと入り後ろ手に扉を締める。
…………。
お互いに無言だった。
そうしてタイミングを見計らうと、美空ちゃんはとんでもないことを言い出す。
「私、兄さんのことが好きです」
「……」
「家族としてではなく、男の人、異性の人として大好きです。愛してます」
「……え?」
つい首を、顔を美空ちゃんの方へと向けてしまった。
やっとこっちを向いたと、彼女はくすりと微笑み、さらに追い討ちをかけるように言った。
「チサキさんはどうなんですか?」
どう答えようか迷ったあと、私は自分の胸で輝くロザリオを見つめて、数秒、沈黙。
「……好きに決まってるよ」
そう声に出した途端、色々と溢れ出してしまう。
「好きだよ、愛してる。私は昔から誠のことをずっとそう想ってるもん。冷静で、沈着で、強くて、凄くて、優しくて、誠のどこも好きだった」
溺れているとわかってる。
でも、そんな執着ばかりの醜い愛を、私は捨てきれない。
けれど、私は――そんな愛を持ちながら、好きだと言いながら彼に寄り添えなかった。
私は見て見ぬフリをしてた。
「本当は最初っから気づいてた…! 誠のお父さんが実は家に帰ってないことも、誠が独りで生きていたことも全部。それを知っていて誰にも話さなくて、私は世話焼きのふりして言い寄って……それでつい感情的になっちゃって誠には『お前には関係ないだろ』って、言われて自分だけ傷ついたみたいに逃げ出して……本当はあそこで気づいて誠の手を掴んでいれば、抱き締めてれば良かったのにバカみたいっ」
あの時の後悔はきっと戻らない。でも、何かで埋め合わせをしなくちゃと慌てて、結局は何も出来ず誠なら一人でも大丈夫だと思い込んで……。
いまさら孤独を知って、後悔した。
誠の父親の厚意を蹴り、それでも美空ちゃんが食いついてきて、くらいついて離れなくて、結局は許せない誠の父親の家庭へと転がり込んで何をやってるんだと自分を責めたくなる。
こんなにも思ってくれることが温かいなんて、今まで気づきもしなかった。誠にあの日、嫌がってでも抱き締めていればと後悔した。
時は戻ってこない。過去は過去、今は今、未来は未来で、今は過去になり未来は今になっていく。
後悔だけが過ぎていく。
誠にもらったこのロザリオも、いつかは壊れて無くなってしまうんだろう。そう思うと、胸が痛くて死にたいくらい泣きそうになる。
「チサキさん」
ロザリオを握り締める私の手に、美空ちゃんが手を重ねた。
「知ってますか? この兄さんの大切な宝物の秘密」
「……え?」
驚いて離してしまった手から滑り落ちるように、美空ちゃんの手へと大切なものが零れ落ちていく。
それを抱き締めるように受け取った美空ちゃんは、瞳をとじて、またぎゅっと掻き抱き艶めかしく溜息を吐いた。
「兄さん自身から聞いた話です。このロザリオは兄さんのママが死んだ時、貰ったものです。これがお守りになってくれるようにと、母親のそんな一途な願いが込められていると聞きました」
それは知ってる話だった。
だから、私はここに一人無事なんだろうと、願いは叶ったのだとそのロザリオを見つめる。
そして、そんな私を見て、微笑みながら美空ちゃんは思い出を語るように呟いた。
「それだけじゃないんですよチサキさん。これにはもう一つだけお願いが込められているんです。兄さんはこれを世界で一番愛する人へ渡すことを、約束させられていたんです」
友愛。親愛。
そして、たったひとりに向ける――異性への愛。
恋慕の感情。
「――きっと兄さんは自分の気持ちに気づかずに渡したんだと思います。本能的に、チサキさんを誰かに盗られたくないから、印をつけておきたいから、そうしたんです。本当にばかな兄さんですよね。もっと早く、想いを伝えれば良かったのに」
泣き笑いのような笑顔を見せながら、美空ちゃんは手に持った宝物を返してくる。ロザリオを受け取りながら、私は再確認するように握りしめ、抱きしめた。
肌に冷たい銀の感触がした。
どこか、海よりも冷たくて、温かい。
そうして私の心のダムは決壊したのだ。
愛おしい感触と、寂しい感情。今すぐ逢って抱き締めて欲しくて、壊れるくらいの強さで存在を証明して欲しくて、その気持ちを本当かどうか確かめたくて。
私は泣く。
独りになってしまったことに。
子供のように泣きながら、似たような温もりを持つ女の子に抱き締められていた。
ifですね。
※しかし、この先、本編よりドロドロした人間関係が都合上出来上がっちゃいます。許容できない? ブラウザバックよろし。原作どこいった? さぁ、どこでしょう。