凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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なんとなくマナカ視点。


第七十二話 失くしたモノ

 

 

 

深い眠りが一発で覚めるような光景が目の前には広がっていた。

知らない女の子とまーくんがチューしてたのだ。まだぼーっとしていた頭がスッと冴えるのがわかり、緩やかな血の流れが少し沸騰するのを体の中で感じた。まるで絵本に見たお姫様と王子様のキスを見せられているようだった。ただ、その一人はとてもよく知ってる人物で、もう一人は知らないような知っているようなそんな女の子。二人はとても幸せそうで私もあんな風に×がしたいと思った。

 

–––×××?

 

あれは誰だろう。まーくんと一緒にいるのを見たことがない。それにちーちゃんがまーくんを×××でそれならちーちゃんはどこに行ってしまったのだろうか。

わからない。わからないことだらけだ。でも、知っている顔を見て私は少し安心してしまっているのかもしれない。

何処か違う世界に来てしまったようなそんな感じ、不安と安心が入り混じった奇妙な感覚。

でも、思う。まーくんの腕の中にいる女の子は幸せで、まーくんも幸せそうだって。あんな表情見たのはいつ以来だろう。もしかしたらあれはまーくんじゃないのかもしれない。そう疑いたいけど、あの本来のまーくんはかなり昔に見たことがあるような気がする。あれが本来あるべき姿だった。私達の前では絶対に見せない姿だった。

 

どうしてかその光景に名前をつけることができない。頭に霜が降りたように思考は何かの前で停滞する。彼を変えたのはなんだっけなんて不出来な頭で考えるも、答えだけがぽっかりと抜け落ちて–––。

 

泣きそうになる。

もう、気づかないうちに頰には涙が流れていた。

この光景が綺麗で優しくて。

ずっと見ていたいな、って思った。

まーくんのあんな顔、初めて見たから。

きっとまーくんなら私が忘れたことすら忘れたこの感情を教えてくれるだろう。

 

 

 

–––どうして、こんなに哀しいのかな?

 

 

 

◇◆◇

 

 

 

まーくんの膝の上には同い年くらいの女の子が座っている。可愛くて綺麗で、黒髪ロングにいつか見たような海の底へ底へと進んで行くと観れるようなグラデーションの瞳を。私はその子が誰だか解らない。他にはひーくんとちーちゃんにあかりさん。あとはちっちゃい男の子がいて私はこの光景がまた奇妙なものに見えて来た。

 

「ねぇ、まーくん。その子誰?」

 

「美海だよ。俺達が眠っている間に綺麗になっただろ?」

 

「えっ、美海ちゃん!?」

 

思わず私は驚いて目を白黒とさせる。まぁ、確かに面影がないわけでもないと思う。まーくんにべったりだしまーくんだって付きっ切りで一緒にいる光景は眠る前も見た。その時は少なくとも幸せそうだったし、今思えばまーくんは美海ちゃんを性的な目(女の子として)で見てなくもなかったような気がする。

 

「ついにまーくんが手を出しちゃったんだ」

 

「おーい、犯罪者っぽく聞こえるぞそれ」

 

「あのね、そういうのは身内だけに留めた方がいいと思うな。美海ちゃんでもギリギリだから」

 

「流石に俺も怒るぞ?」

 

小さな子とそういう関係になってしまったのだろうか。まさか、まーくんがそんな小さな子に手を付けるなんて考えても見なかったけど。美海ちゃんなら仕方ないかなぁ。

 

「一応言っておくが、俺と美海は付き合ってるぞ」

 

「……え?」

 

家族公認の仲なのか誰もあの状態を咎めないのは不思議に思ったのだけど、ひーくんですら慌てず騒がず見て見ぬ振りをしているのに今更気づいた。

 

「付き合い始めたのも美海が中学生になってからで、小学生の時は何もなかったからな」

 

「小学生より、もっと前……?」

 

「聞け。人の話を」

 

改めて見ると本当に綺麗になったと思う。あの頃は小さくて可愛いかったのに……きっと美海ちゃんは頑張ったんだろうなって、勇気を出したんだなって思えた。何に対して? どうして付き合っているんだろう。××だから。どうして、××なんだろう。わからない。付き合うってどうすれば付き合うことになるんだっけ。

頭が痛い。この先に何かあるはずなのに、前に進めない。

私はこの話を終わらせるために終始、まーくんの膝の上でじっと座っていた美海ちゃんに話しかける。祝いの言葉。どうしてかそれが言いたくなった。

 

「良かったね、美海ちゃん」

 

「……うん。頑張ってね、マナカさんも」

 

何に対しての応援なのか今の私にはわからない。

私は精一杯の笑顔を作った。

 

 

 

 

 

それから元気になっていった私は所々でまーくんと美海ちゃんが二人一緒にいる現場を目撃している。一緒に昼食を作ったり、お風呂から出て来たり、一緒の寝室から出て来たり、登下校も一緒の仲良しさんだ。昔と同じで変わらない日常がそこにあった。変わっていないようで、変わってしまったのは世界で、私達は何も変わっていない気がする。そうであってほしいと願う。

あぁ、いやでも、少なくともまーくんは良い方向に変わっていたように見える。美空ちゃんが家族になっていたり、ちーちゃんがまーくんの実家?の方に居候していたり。彼女ができていてそれが美海ちゃんだったり、とても驚いたけど、まーくんはかなり温和な雰囲気を持つようになった。ちょっと冷たかった海のようなあの人が、何処か違う私達とは別のところを見ているようで、実際は人間で美海ちゃんが恋人になった影響なのかな。恋ってすごいなぁって。思う。

きっとそれはいいことなのに、私の知らないところで変わっていくそれがなんだか寂しくて、二人が一緒にいる姿を何日も眺めるに至ってしまうわけだ。今日もまた、二人で勉強をしている。

 

「……あ、どうも、こんにちわ」

 

二人の姿を追っていると晃くんが私の後ろで同じように後をつけ–––いや、二人を眺めている。柱の陰に隠れてコソコソとするのはちょっと懐かしい気もしない。同じことをやっている晃くんはアカリさんの実子でつまりはひーくんの甥っ子なのだ。やんちゃなところは本当にひーくんに似ているかもしれない。

 

「う?」

 

「何見てるの?」

 

「……」

 

無言で指差すのは仲睦まじい二人の光景。邪魔するのが悪いような気もするが、晃くんはそれをわかっているのだろうか。

 

「遊んでほしいの?」

 

「……や。おねー怒る」

 

ふるふると首を横に振り怯えたように晃くんは柱の陰に隠れた。あの状態の美海ちゃんは邪魔すると怖いらしく、昔の美海ちゃんがまーくんにべったりだった時、何かある毎に嫉妬したようにくっついたことを思い出す。その頃から美空ちゃんやちーちゃんと熾烈な争いを繰り広げていたかと思うと、普通に勝つのはちーちゃんだと思っていたのに……年の差って関係ないのかな、と思えてしまうわけだ。実際、今は年の差が無いがそれでもかなり特殊ケースのように思う。小さな子が大きな人に憧れるのはわかるけど、それはきっと夢物語のまま叶わない小さな初恋として海に溶けてしまうから。

 

……あれ、恋ってなんで恋って言うんだっけ。何をしたら恋になるんだっけ。

 

また、私の頭の中にノイズが奔る。

突然の頭痛に私は耳を塞ぎ、耳鳴りがするような気がして晃くんに向き直った。

 

「そっかー。邪魔しちゃ悪いもんね。じゃあ、なんで見てるの?」

 

「おねーたんがにーたんとイカとふじゅーいせーこーゆーしないか」

 

聞いてもわからない、そもそも呂律と知識が足りない。

お姉ちゃんとお兄ちゃんはわかった。

『イカ』と『ふじゅーいせーこーゆー』とはなんだろうか。

気になって私も二人を凝視していると、背後から声が聞こえた。

 

「如何わしいこととか、不純異性交遊のことじゃない?」

 

「あ、アカリさん」

 

同じく二人の姿を盗み見る義母。二人からしても『義母』でも関係性はかなり違う。そのアカリさんが何やら楽しそうに二人の様子を見ているものだから、もっと先の問題に気づくのが遅れてしまった。

 

「……誰に言われたのかな」

 

「私達は公認だからねー。大方、光でしょ」

 

「ひーくん……」

 

あはは。と乾いた笑みが漏れる。確かにひーくんならやりかねない。不純異性交遊(二人が過度にいちゃついてる件)はどうでもいいとしても、立場的に複雑そうだ。別にそういう心配とかじゃなく、ひーくんはまーくんに勝てるようなネタを探しているだけなんじゃ……初心なひーくんには返ってダメージになると思うけど。

 

「ねぇ、あきらー。字面的に『お姉ちゃんとお兄ちゃんが如何わしいことしてる』は世間体的にもまずいからやめな。間違ってないんだけどさ」

 

まぁ、確かに間違っていない。晃くんからしたら美海ちゃんと結婚すれば兄も同然なんだ。ついでに、ひーくんとは親戚のような感じになるからなんとも言えないもどかしさが胸の内に込み上げてきた。

 

あぁ、そういえば……。

 

私は気になることがあるのを思い出した。

 

「そういえばどうして二人は付き合ってるの?」

 

「んー。難しい質問だねー。好きって一言では言い表せないと思うんだ、あの二人の関係は。馴れ初めって言われても何処から何処までが二人を繋げたのかわかんないし、どうしてか収まるべくして収まったって感じだから」

 

「す…き…」

 

「まぁ、気になるなら聞いてみなよ。答えてくれるかは知らないけど」

 

「好き」という言葉が胸に突き刺さる。頭痛が酷くなる。その言葉を知っているはずなのに、どうしてか思い出そうとするたび頭は真っ白になる。

 

二人の姿を見ていると新たな進展を迎えていた。美海ちゃんがまーくんに抱きついて顔を近づけている。それをまーくんがツンとおでこを突いて止めた。途端に振り返った美海ちゃんが私達に気づいた。顔が真っ赤になってペンを握る手はわなわなと震えていて、恥ずかしそうに彼の胸元へ泣きつくのだった。

 

 

 

 

 

その夜、私はまーくんと美海ちゃんの部屋にお邪魔することにした。扉をノックして声を掛けると二人は寝る準備を済ませて就寝の直前だったらしい。まだ学校に復帰していない私としてはちょっと失礼な時間だったのかもしれない。けれど、私は心の中にあるモヤモヤを出来るだけ早く解消したかったのだ。

座布団に座して、二人と向かい合う。私はこんな夜更けに訪ねたことをまーくんに咎められると思ったが、なんのお咎めもなしに彼はもてなしてくれた。そういえば、こういう時はまーくんはどんな時間だろうと相談を受けてくれる人だったっけと今更ながらに思い出す。

 

「で、聞きたいことって?」

 

「うん。それなんだけどね」

 

二人の座布団も肩の距離もだいぶ近い。膝こそくっつきそうな距離で私は苦笑いするしかなかったが、どうもこの二人に距離はないらしい。

 

「……どうして付き合ってるのかなって」

 

その距離感をまーくんは持っているのだろうか。どんな距離感で二人はいるのだろうか。そこには大切な感情があったはずなのに私はそれが理解できなかった。

まーくんと美海ちゃんがお互いに視線を重ねた。

 

「……好き、だから?」

 

二人して同じ言葉を違えず、声を揃えた。

私はどうしてか「好き」という言葉を聞いた瞬間、さざなみが押し寄せたように心が痛くなった。頭の中で潮騒が鳴っている。鬱陶しいくらいで耳を塞ぎたくなった。

 

「まなか」

 

名前を呼ばれて意識が戻る。心配そうな目でまーくんは私を見ていた。

 

「大丈夫か?」

 

「うん。平気……」

 

そこまで平気じゃないのもまーくんはわかっているのだろう。私が虚勢を張ったことも、全部見通した上で心配しているという顔を消すのだから、本当に上手い人だと思う。何事もなかったように話を続けるのは、美海ちゃんだった。

 

「好き、って言ったけどそれだけじゃなくて……。ずっと一緒にいたいって思うから、そばにいて欲しいって思うから、この先も二人でいられたらと願うから、付き合うんじゃないかな。私の勝手な感想なんだけど、前と全く変わってないよ。でも、デートしたり、意識的なところでは変わったのかな……好きって、チクチクしてドキドキしてザワザワして温かくて、苦しくて、せつなくて、いろんな感情が混ざってると思うんだ」

 

「俺も好きって言ってるけど言葉の意味をそんなに理解できたわけでもないんだ。形容できないし、表現もできない、好きにはいろんな形があって……考えると余計にわけわかんなくなる。でも、誰にも渡したくないって気持ちもあって複雑なんだよ。やっぱり言葉にできないもどかしさがあるんだ」

 

いつも以上に優しそうな顔をした。それは昔も美海ちゃんといる時に見せた顔だった。ふとした時に見せるそれは、どこか知らないのに彼らしいと思えた。

 

「そういえば、前にも同じような相談をしに来たよな」

 

「えっ……?」

 

私は一瞬、呆けた。

 

「お船引の前くらいだったか。俺に『好き』ってなんだって聞いて来たんだよ。その時の俺には答えられるような質問じゃなかったから上手く返せなかった、だからまた来たんだと思ったんだけど……覚えてないか?」

 

「うん。知らない」

 

私は完全に拒絶した。記憶の中を探ろうともせず、断言した。まるで自分の体じゃないかのように口を勝手に開いた。

 

「……まなか?」

 

まーくんの表情が硬くなった。どうしてそんな顔をしているんだろう。まるで、信じられないものを見たと言わないばかりで声は少し震えていた。

 

「なぁ、巴日のことは覚えてるよな?」

 

「私が遅くてみんなで見られないってわんわん泣いちゃったやつだよね」

 

その日のことはすぐに思い出せた。

あの時は、ちーちゃんと少し喧嘩になってしまったんだっけ。

 

「最初に紡と会ったのは?」

 

「ちょうど漁をしてた紡くんに網で上げられたんだよね。懐かしいなー」

 

その時は、まともに陸の人を見たのは初めてだったのかもしれない。

 

「膝に魚が生えたやつは?」

 

「私がいつまでもしょげてて、山に駆け出しちゃって転んで、初めて紡くんの家に行ったんだよね」

 

あの時は恥ずかしかった。皆にバレないように必死だった。でも、俺なんてしょっちゅうだってまーくんは笑って励ましてくれた。いつか鱗をぶん殴るとも言っていた気がする。

 

「じゃあ……おまえが紡のこと好きって言ったやつは?」

 

「えええ!? わ、私そんなこと言ったかな!?」

 

「悪い。嘘だ」

 

こんな嘘を吐くなんてまーくんらしくなかった。

思案顔で顎に手を当て考えるポーズ。

何やら隣で美海ちゃんが構って欲しそうにしているけど、それすら目に入っていないようで……。

きっと知らない話をされて、仲間外れにされているのが寂しいのだろう。

やっと気付いたまーくんが心此処に在らずなまま美海ちゃんの頭を撫でて、その手はいつしか止まってしまう。

 

「俺に対して、一度だけ本気で怒ったことあったよな。その時のことは?」

 

「まーくんが少しやさぐれててひーくんより酷かった時の話だよね。あの時はお世話しに行ってあげてたちーちゃんを泣かせちゃったから、私が怒ってお説教したんだよね。本当にあの時のまーくんは危なっかしかったよね」

 

あれはおそらく、今思えば美海ちゃんのお母さんが死んだ時期だ。孤独に身を落として塞ぎ込んでしまったまーくんは私達とも関わらなくなってしまった時期がある。部屋に篭って勉強ばかりでろくに食事も睡眠も採っていないことをちーちゃんに言われて、世話を焼くちーちゃんにお節介だとかなんだとか言ったことがある……と私は人伝に聞いたのだ。そして、私はまーくんを叱りに行った。確かあの時はまーくんは父親は出稼ぎに行っていると嘘を言っていた。私だけがまーくんの変化に疎かった。

 

「……じゃあ、最後にもう一つだけ」

 

「うん。なに?」

 

質問というか昔話だったような……私は久し振りにこんな話がまーくんとできて少し満足感を覚えていた。だから、次の言葉もどんなのだろうってわくわくしているとまーくんは言ったのだ。

 

「光を好きかもしれないって相談、したよな?」

 

「ううん。してないよ」

 

今度は確信めいた顔でまーくんは頭を抑えた。疲れたような表情でもある。それを一瞬にして消すと、普段殆ど笑わないまーくんが笑って見せる。目だけは相変わらず笑ってないと思うけど、優しい色をしていた。


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