マナカさんを救出して一週間が過ぎた。
–––彼女はまだ目を覚まさない。
ようやく戻ってきた日常と、言いようのない不安。最初はマナカさんが見つかって安堵していた皆は、今か今かと彼女が目覚める時を待つ不安な日々を過ごしていた。状態は安定して正常とのこと。医者が言うには異常は見られないらしい。そんな彼女が目を覚まさないことに不安になったのは最初は光だった。
マナカさんを救出して、毎日のように彼は寄り添った。
それを邪魔しないようにしようと私が気を遣っていたのを知ったのか、誠は私を小さなデートに誘った。学校帰りに急いで帰る光をよそに最初はどうしたんだろうと思ったけど、誠の優しさがわかった時は本当に嬉しくて顔から火が出そうだった。
ただの帰り道。近所の散歩。私達の思い出の場所巡り。病院。まるで私達の仲を見せつけるようなそれがとても嬉しくて、知っている人で私達の関係を知らない、誠と私のことを知る人達にはおめでとうと笑って応援された。
誠はマナカさんのことを心配じゃないのか。
ある日、気になった私が聞くと誠は私の手をぎゅっと握って言う。
『色々と考えてはいるけど、一番手っ取り早いのはウロコを探すことだ』
だけど、
『あいつ昔から逃げ足速いんだ』
因縁の敵みたいな、そういう炎を誠は燃やしていた。
だから私は、彼を応援することにしたのだ。
私との時間を大切にしてくれるのは嬉しいけど、やっぱり少しだけ遠慮している彼には昔の皆と揃って笑っていて欲しいから。
そんな幸せな日々も少しだけ休暇届けを出す。
私は学校の図書室でばったりと倒れるサユの隣、積み上げた本を崩して私も倒れ込む。
「ねぇ、聞いてよサユ。誠が構ってくれない」
「はいはーい、もうそれ何回目の話よ。今日で軽く10回は聞いてるからね」
「もう2日も会ってないんだよ」
「そうなったのもあんたがこんな雑用引き受けたからって理解してる?」
ある仕事を誠に頼まれていた。海村に関する資料、おじょしさまにまつわる文献、マナカさんの目覚めに関する資料その他の捜索。頼まれた時は頼られたことが嬉しくて即答したけど、今じゃ私は深海の底にいるような気分で本の山を彷徨う。
–––誠が足りない。
もう2日も会っていない。お義母さんの同僚と街で海村関係の資料を漁るためにあっちで泊まり込みで作業しているのだとか。誠の義母の仕事とは看護師で、つまりは女性。色んな間違いがあるかもしれない。その上で乗り換えられる可能性もあるかもしれない。なにせその人は美人な上に私より胸が大きいから。
きゃ。美和さんをお義母さんって呼んじゃった。
なんて、頬を赤らめる暇もなく淡々と沈む船。
撃沈だ。燃料切れだ。至急補充を求む。
主に胸の栄養と誠成分があれば文句はない。
「でもさぁ? 学校の図書室なんてあいつが調べ終えたと思うんだけど」
「ほ、ほらそこは念には念を入れて?」
「あんた、あいつがそんなヘマすると思う?」
「……うぅ」
根本的にサユの指摘も正しいわけで、私達の作業って無駄なんじゃないだろうか。そう思えて仕方なくなってきた。美空は美空で別のルートとか言って他のところに探しに行っちゃうし、やっぱり私って間違った選択をしているのだろうか。
私とサユが集めた資料は『眠り姫症候群』『ナルコレプシー』等々に加えて『御伽噺シリーズ』だ。毒リンゴを食べた美少女が王子様のキスで目覚める話。そう白雪姫。人魚姫とか。どれも的外れな気がする。
「私って実は相当なバカ……?」
「バカはバカでもバカップルだけどね」
そういう風に見られてたの!?
いや、でも悪くない…かも…。
もう少しくっつきたいなぁ。
もっと一緒にいたいなぁ。
歩く度に手を繋ぎたい。
密着したい。
抱きしめて欲しい。
私って少し邪魔なくらい思われているかもしれない。
こんなこと更に要求したら、誠はどうするだろうか。
うざいって思うかな?
実は最近の私って……。
ベタベタし過ぎてる……?
「ねぇ、私って誠から見たらどう思われてるんだろう?」
「直接聞け」
それができないから困ってるんでしょ。
サユは資料漁りをしながら、冷たく言い放つ。
というか、今物理的に聞けない状態だし。
「電話したら?」
「電話番号知らない」
「お母さまに聞けばいいでしょ。美空も知ってるかもよ。最近じゃ、あいつにべったりなのは一緒なんだし」
なるほど、その手があったか。
物理的な距離のせいで盲点だった。
「って、そうじゃなくて私は会いたいの!」
「なら行けばいいじゃん」
「いや、追っかけてもし迷惑だったりしたり、嫌われるかもしれないし」
どっちつかずな私に呆れたような顔だ。サユは溜息まで吐いて、頬杖をついた。
「そんなことで嫌うような人じゃないって自分でわかってるくせにそれは惚気か? いい加減聞き飽きたよ、そのループするパターンの台詞も何もかも」
「まだ3回しか言ってない」
「今日だけじゃなく昨日も聞いたけど。7回目だよ、この会話」
「あれ、そうだっけ?」
「最初はあいつが泊まり込みで作業してくるって決まったことを知った途端、夜に電話してきて長電話してお母さんに怒られたんだけど」
「ご、ごめん……」
謝るのも2回目だと言う。どうやら私は忘れっぽいらしい。誠がいないと本調子じゃないというか、調子が狂うというかなんというかなんて言うんだろ。
一日に一回はハグしたいし、抱きしめて欲しいし、そうでもしないと気が狂ってしまいそうだ。
私だけかな? 誠は、私と離れて平気なんだろうか。
これだけ思いが強いのって私だけ……?
やっぱりこれって少しうざいんじゃ……。
「ねぇ、サユから見て私ってどう思う?」
「誠と付き合いだしてからうざくなった」
「ひどい!」
「安心しろ、半分は冗談だ」
なお酷い。もう半分は本気ってことだ。
でも開き直る。私は今が一番幸せだから。
お母さんがいた時と比べると、比べられないけれど。
私は今が一番、今の中で、好きな気がする。
「ねぇ、サユは告白しないの?」
ふと、気がついた今。
サユはこのままでいいのかと疑問に思った。
何も動かない、今の状態を彼女はどう思っているのだろうと。
「私は…その…あれだし」
「焦れったい」
「悪かったな根性なしで」
意趣返しとばかりに本音を言ってしまえば二人して笑い合う。
誠ならどんな言葉を掛けるだろうと考えながら、私は言葉を奥底にしまった。
◇◆◇
美海は寄るところがあると言って先に帰ってしまった。私は一人、帰路につくことにする。学校を出て海沿いの道を一人で歩いているとちょうど、学者先生と木原紡の海の調査の拠点でもあるテントが見えた。あれは目立つしなんとなく誰かいないかなと見ていると海中から何かぎ上がって氷の上に出た。
–––あっ、要だ。
そのシルエットを見た瞬間、嫌でも自分が喜んでいることがわかった。
我ながら人のことを言えない。好きな人を見た瞬間、こんなにも心臓は早鐘を打ちバクバクと高鳴っているのだから。
正直、美海が羨ましかった。初恋が成就してよかったねと思うと同時に、本当に羨ましかった。
誰が見ても長瀬誠はスペックが高いし釣り合うとしたら、美空くらいの美人じゃないと割に合わないだろうと思う。なんで美海を選んだのか不思議なくらいだ。こう言っては悪いけど、少しだけ釣り合わないような気がした。確かに優しいし美少女の類ではあるけど、普通の女の子だと思う。エナも羨ましい。あれが一番複雑怪奇だ。
そんなことを思って声を掛けようとしていると、今度はまた新しい影が海の中から浮き出た。人魚が踊るように綺麗にスムーズな動きで氷の上に飛び出ると着地する。その影は先程いなくなった美空だ。
二人が並んだ瞬間、胸が痛くなった。
上げた手を下ろす。
そっか。そうだよね。誠の次にスペック高いのって要さんか〜。そりゃ違う人と仲良くなってもおかしくないよ。美空は腹違いの兄にフラれているんだし。
私の知らないところで針が動いていると思うと、私はどうも二人がお似合いのカップルのように見えて悲しくなってきてしまう。涙を堪えて立ち去ろうとすると、こちらに気づいたのか美空の精一杯搾り出した声がかかる。
「サユちゃーん!」
ここで呼ぶなよ、と言いたくなった。
惨めな気がした。しかし、驚いて振り向いてしまったからには寄る他ない。観念して立ち竦んでいると二人は駆けてこちらまで来た。
「何してんの?」
ちょっと棘のある口調になってしまった。二人がセットで見つかることが初めてでどう接したらいいのか。毎日、学校では美空とあっているはずなのに嫉妬が先に出た。
たぶん、その一言で気取られたのだろう。
美空は首をこてんと傾げるとわざとらしくぽんと手を打つ。
「それがですね、海村に昔の文献が残っていないかと行ってみますとなんというか兄さんに先回りされていたみたいで、要さんが見張りとして立っていて……ご覧の通り捕まってしまったわけです」
「まぁ、だいたいその通りかな。これくらいはやらないとね。それにぼくらだけじゃどうしていいかもわかんないから、誠に頼っているのはお互い様だし」
両手を広げて首をすくめてみせると要が笑う。その笑顔にやっぱり私はドキっとした。
美空は堤防を登って私の横に並び立つ。相変わらず、運動神経はいいのに体力がないからこっちはドキドキハラハラと見守っていると普通に堤防の上に立って私の耳に顔を寄せる。
「サユちゃんが想像しているようなことは何もないですよ。私は兄さん一筋ですし」
「なっ⁉︎」
思いっきり惚気られた。それは別にいい。まさかあの態度だけで本当に察せられるってことが不味い。要なら気づくかもしれない。そう思うと、視線があの人へと泳いだ。
「ん、どうしたのサユちゃん?」
大丈夫だ。きっと気づいていない。嬉しいような悲しいような複雑な気持ちでホッとする。
なんでもないと告げると易々と引き下がって、実は構って欲しいみたいな、そんな自分にやきもきとどうしようもない腹立たしさに少し拗ねてしまう。
美海に言った言葉の半分は「冗談」と「嫉妬」「羨望」。
本気でうざいなんて思ってない、昔から願っていたことが叶って、美海の初恋の成就がまるで私の初恋の成就のようにも感じられたのだから。理由は単純明快ながら、彼女の恋が叶ったなら私も可能性はあると捨て切れない想いがあるからで、何処か私と美海の初恋は似ていたのだ。
歳上で、届かなくて、遠い場所で、私達は輪には入れないとそう決めつけていた頃の自分に、ようやく光が見えたような気がした。
「要もかっこいいのに残念ながらあいつに人気全部持ってかれたねってさ。思ったんだけど……」
言ってて恥ずかしくなってきた。
言葉が尻すぼみに消えていく。
でも、それほど気にした様子もなくあっけらかんと爽やかな笑顔で要は言う。
「誠だからね。昔から誰かしらにモテるんだ。たぶん、チサキ以上に優しいのは誠だよ。チサキでも比べものにならないかな。自分で言っててよくわかんないんだけど、誰もそういうとこで勝てないんだ。結局は誠の優しさに折れるんだ、みんな。喧嘩しても勝てる気がしないから絶対に挑んじゃダメだよ」
「へー……」
わからないでもない。喧嘩しても引き下がられたはずなのにこちらが負けた気がしてしまうのだ。
勝てるとしたら、誰だろう。美海か、美空か?
美空はとてもズル賢いし私達は喧嘩しても勝てた試しがない。どこか大人っぽい対応でこちらを口喧嘩で勝たせてるはずなのに、負けた気がするのだ、似た者兄妹だと思う。
「美空は兄貴と喧嘩したことある?」
「そうですね。ないと思いますよ」
そもそも、喧嘩する理由すら存在しなかった。
私の聞きたいことに気づいたのか、便乗して頷く要。
「誠は基本的に喧嘩は仲裁役だからね。誠と美空ちゃんか美海ちゃんと喧嘩したらどうなるのかな?」
どっちが勝つんだろう。想像がつかない。
「もし互いに譲れないものがあって、本気で喧嘩した場合どっちが勝つ?」
二人して美空を見た。当人は指をあごに当てて考える仕草。やがて、パッと表情を明るくしたと思うと断言してしまうのだ。
「そんなことになっても兄さんは絶対に悪い結果にはしないので、すぐ仲直りしてしまうと思います。美海ちゃんと私は優しくされたらされたで甘えちゃうと思うので、というか甘えます」
「おまえもう生存本能の領域だな……」
「兄さんがいないと生きていけませんから。因みに勝ち負けで言えば引き分けで終わっちゃうんじゃないですかね。兄さんは私達のこと大好きですし」
結局、私は惚気られるだけ惚気られた気がする。二人とも同じようなことしか言わないし、なんでこうもフラれたのに幸せオーラいっぱいで振る舞えるのか意味がわからない。
今更ながらどうやって二人は結ばれたんだっけ?
と、思う反面、結ばれたんだ良かったね、で終わっていた気がする。
そもそもどう結ばれたか私は知らないような気もする。
気づいたら二人はくっついていた。美海と誠が自然過ぎて、そういう方面に突っ込んでいけてなかった。あのイチャつきで前からそうでしたと言われても信じれる自分が怖い。
「なんだろ。いつかはくっつくと思ってたけど、いざくっつかれると釈然としない微妙な気持ち」
「あはは。確かに誠って恋愛と無縁そうだから、だからなのかな。あの二人が付き合ってるって聞いて、釈然としない理由がなんか少しだけわかった気がする。ありがとう、サユちゃん」
不思議だった。好きな人の前で前はこんなに話せなかったのに、今では会話が結構弾んでいる。本当は要のことを話したいけど、グッジョブ誠と今はあのバカップルを褒めてやりたい。
よし、この流れで会話を二人のものに……。
なんて思って私はとんでもないことを言い出す。
「要って好きな人とかいないの?」
知ってるだろバカァーーー‼︎
何をトチ狂って言ってるんだ私、好きな人知ってるよね。
その上で聞くなんてマゾじゃん、バカじゃん。
自分を痛めつけて何が楽しいんだ、相手の傷を抉って何がいいんだ。
言ってから冷静になった。下手したら好意がバレる。いや、いいんだけど。むしろ気づいて欲しいんだけど。
「あはは、いたんだけどね。もう完膚なきまでにフラれたというか……僕の好きな人はさ、その人は想い人がいるんだけどその人もまた付き合っている人がいてさ。トライアングルっていうかスクエアというか、ね…。直接的にフラれたわけではないんだけどね、もう壁が高過ぎて見上げているのが辛いっていうか…」
「も、モテるんだなその人」
知っているやつだから気まずい。そして、ごめんチサキさんの想い人と付き合っているのが美海で。チサキさんがもしその想い人と上手くいっていたらもっとちゃんと苦しめたのだろう、泣けたのだろう、私も同じだからその気持ちはわかる。だから、複雑な気持ちで共感を得ていた。だから、失恋ができない。私達は。
いっそのこと告白すればいいのに、それはどちらにも言えること。
でも、勝敗の決している勝負に突っ込む勇気がなくて停滞を繰り返す。
「よく言うだろ、女は星の数ほどいるって。他にも要のことを好きな人っているかもしれないよ」
「そうかな? 僕は、誰かに必要とされているかな……」
「おう。あたしが保証してやる。だから元気出せ」
私は心の奥底を隠したまま要の背中を叩いた。
少しほっとしていたのかもしれない。
最低だと思うけど、チサキさんが誠を好きで良かったと思っている。
私はまだ失恋をしていないままだ。だから、どうしたって話だけど。
突然、さゆちゃんにスポットライトを当てたくなった。
悪くないよね。あと一歩で意識させることができるのにできない。
今度こそ、まずはマナカを目醒めさせないと……。
途中で空気の妹ちゃんはドロンしました。
恋愛の後押しが楽しくて仕方ないようです。