凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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寝ても寝ても寝たりない。


第六十九話 サルベージ

 

 

誰かの視線を感じた。校舎の上を見上げてみれば気配は一瞬にして消え入り、霞のような幽かな残滓がたゆたう。

 

「どうしたの? 誠」

 

「いや、何でもない」

 

心配そうに見上げてくる美海の髪を撫でるように梳いて視線を外す。その先には約束の時間通りに合流しようとしている光と要がいた。

 

「相変わらず早いよな、おまえ」

 

「そういうおまえらも時間通りだな。どういう風の吹き回しだ?」

 

「時間通りに行かないと、誠は怖いから……」

 

「そうそう。んでもって、時間に遅れたりすると嫌われるぞ。気をつけろよ、ふたりとも」

 

要の顔に影が差す。光はからかうように美海と美空に忠告する。そうすると美海はおろおろと落ち着かなくなる。正反対に美空は余裕の表情で、

 

「大丈夫ですよ。兄さんなら遅れたら心配してくれるでしょうし、光さんのようなそんな理由でキレたりしません」

 

「俺ってどんな風に思われてんの……」

 

「子供ですね」

 

「おまえもだろうが!」

 

からかっていたはずがからかわれるハメに。

光はペース乱れっぱなしでやはり適わんと口に出す。要はクスクスと笑い、いつもの日常に安心感を得て、そして。

 

まぁ…。俺も時間に遅れられたりすると心配じゃないわけじゃない。何かあったかだとか、悪い予感ばかりが脳裏を掠めて最悪の事態ばかり想像してしまうのも悪い癖だったりする。

 

「兄さんってすごく心配性ですから。怒るのも心配して、というのはよくわかりますし」

 

「そういうところ、昔からあるよね」

 

「遅れて怒ってないかな、って影から確認していたらすごくおろおろしてましたから」

 

――よし。もう美空とは待ち合わせはしない。

心内で誓う。

へぇー。とか、ニヤニヤしている光は今度、折檻だ。

個人の処遇を決定して歩き出す。と、美海が不愉快だというように対立する。小さな拳を握りしめて前のめりながらも真剣に言うのだ。

 

「ダメだよ、美空。そんなことしたら」

 

一番に長瀬誠を知っているのは自分だと。

主張するように豪語する。

 

「誠は待ち合わせする前、一時でも別れるとおろおろしはじめるんだから。待っている間ずっと同じ本の頁を読んでるんだから」

 

うわぁ、重ぉ……。

とか、聴こえてない。

美海のフォローがフォローではなく、心底恥ずかしい気がするのだが。ここはもう開き直るしかない。

 

「別に心配するくらいいいだろっ」

 

「……ソウダナ」

 

中身のない返事が光から。俺は面倒なことになる前に話を切り上げる。

校門を出て、ひたすら歩く。

気づいたら早歩き。美空と美海がちょこちょこと走り寄ってくる。気づいてペースダウン。今度は大きく息を吸って吐く、深呼吸をしてリラックス。

 

「待てよ。どこ行くんだよ。学校はいいのか?」

 

「いいんだよ。別に目的地はここじゃない」

 

「どこ向かってんだよ?」

 

あぁ、そういや話してなかったな。

なんて失念したことを思い出す。

訝しげな光に告げる。

一番知りたいのは、彼だろうから。

 

「何処っておまえの探し物しに来たんだろ。あの迷子ほっといたらいなくなるんだから」

 

「だから、何を探して――」

 

聞き分けの悪い。察しの悪い光に俺は溜息混じりに告げた。

 

「だから、マナカだよ」

 

「……おまえ、知ってんのか? どこだよ、どこにいんだよ」

 

「知らん。……が、大体の予想くらいはしてる」

 

一瞬落胆した光。

気休め程度にそう告げて、また歩き出した。

大人しくついてくる光。

そうして、ようやく目に灯火を宿した光は顔を上げてバシバシと背中を叩いてくる。

 

「やっぱ、おまえって頼りになるよな」

 

「考えなしで探すなら人手が必要だろ。だから、必然的に数より予測が必要だっただけだよ。それより叔父さん痛いんだけど」

 

「よし、本当にマナカが見つかったら誠には美海を進呈しよう」

 

「いったいおまえに何の権限があるんだよ」

 

要らない訳では無い。むしろ欲しい。

けど、悪くはないような気もする。

真っ赤な顔の美海が愛おしく感じられた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

寂しさと切なさ。まるで、時代に取り残されたような世界観が溢れるその場所は世界と切り離されたような錯覚さえ覚える。

――オジョシサマの墓場。

おふねひきで使用したおじょしの模造品が沈む、文字通りの『墓』であり、神聖な土地とされ本来なら子供が入っていい場所ではない。

昔、ここに迷い込んだことを思い出して、もしかしたらマナカはここにいるんじゃないかと予想してみたが、案の定と言っていいのか、良くも悪くもその姿は遠目に入口からでも見えた。

まるで、誰かの手のひらを模造した台座の上に裸の少女が眠りこけている。それは御伽噺のような眠りさえ思わせ、同時に光を駆り立てるには十分だった。

 

「マナカ!」

 

入口から勢いよく滑走、飛んで跳ねておじょしの足場を器用に転びそうになりながらも降りていく。要も続いていく中、俺と美海、美空だけは入口前でその様子を眺めていた。

その場から動けなかったのは偶然だったのだろうか。心的要因だったのだろうか。過去の光景と情景に心は波打つように揺らぐ。

光はマナカに辿り着くと同時に、人の手のような座へと近寄ろうとして、

 

「うわぁっ!?」

 

弾かれた。まるで、その手の中の何かを守るように皮膜のような何かが光を拒絶した。

 

「兄さんはどう思っていますか?」

 

俺の行動は傍から見れば不自然の塊なのかもしれない。美空は『幼馴染が見つかったというのに動じない』俺に対して不可思議だというように顔を覗き込んでくる。

 

「俺にもわからない。見つかってよかったと思っているのか、これが当たり前の光景のように思えているのか、なんとも言えない」

 

「冷たいような温かいようなそんな感じですか」

 

「そうなんだろうな。俺はやっぱりあんなに必死になれないけど」

 

「誠はスイッチのオンオフが激しいから。むしろ邪魔しないように行かなかったんだと思うけど」

 

「そうかな」

 

「そうだよ。誠はすこぐ優しいから」

 

マナカを見つけて喜ぶことはできなかった。

素直に喜べないのは“いつもの光景とは違うから”だとか適当なことを言ってれば説明はつきそうだが、何か胸騒ぎがするのだ。

自分ではわからないことも美海と美空は知っているようで一番に理解出来ない俺という存在は二人がいるから成り立っているようなものだ。定義されたからそうである、と自分はそんな人物であると言えるから。

 

――そして。あいつはどんな存在なのだろう。神にすらなれない鱗の一部。

 

「なぁ、ウロコ。さっきから付け回してないで出てこいよ」

 

「なんじゃ、気づいておったのか」

 

どこからともなく。まるで最初からそこにいたかのように墓場の入口脇へとウロコが数日前と変わらない姿を現した。

煙のように現れた神の一部に美海と美空はびくりと反応して俺の腕を掴んでは離さず、隠れるように背中の後ろへと回り込む。

 

「ほっほっ、随分と嫌われたもんじゃな。で、どっちがヌシのこれじゃ?」

 

小指を立てて見せるウロコがニヤニヤと……。

別に答えてやる義理はなく、顔を顰める。

不満そうな美海の横顔が見えた気がしたが気にしないことにする。

 

「それより聞きたいことがある。地上の危機とやらは去ったのか?」

 

「ほぉ……どうしてその考慮に至った?」

 

「単純に考えて、眠っていた筈の俺達が冬眠から目覚めたということは地上の危機が去ったことを意味する。元々、俺達は危機を脱すべく眠りに落ちた。より良い未来に生き残るために……」

 

「ほぉ……」

 

けど、どう考えても危機は去っていない。

 

「だが。海は今や昔と変わって海氷に覆われている。危機なんて去っていない。どうして俺達は目覚めた?」

 

「さぁてな、儂にはわからんよ」

 

自己完結した問にウロコは答えない。はぐらかすばかりでろくに聞きやしない。別にわかっていたことだからどうでもいい。あわよくば答えを得ようとしていただけなのだから。

そして、浮かび上がる疑問。

前提として色々と情報が少な過ぎる。幾つかの仮説は立ったが立証できるわけでもない。

ただの海神の気まぐれという、神様の気まぐれという名ばかりの戯れも否定出来ない。

 

「おーい、誠こっちに来てくれ!」

 

対峙していると下から光が叫んだ。だいぶ慌てているような口調で焦りが篭っている。

 

「呼んでおるぞ、ヌシを。行かんくて良いのか」

 

「大抵、相場は決まってんだよ。あんたが現れるとロクなことが起こらない」

 

「わしは黒猫か」

 

「いや、ただの神の片鱗だよ。神にも逆らえず、一部にもなれない、可哀想な奴」

 

おじょしの墓山を進む。ウロコの横を素通りして、足場の悪いおじょしの山を跳ねるように進んでいく。美海と美空には来るなとだけ伝えて、ようやく下へと辿り着くと予想だにしない光景が広がっていた。

 

「エナが剥がれて……?」

 

台座の上に眠姫。その眠姫のエナが煌めき剥がれ光を反射している。

ばっと振り返ると叫ぶ。

 

「ウロコ!」

 

返答はない。しかし、その代わりに美空から不在の返事が帰ってきた。あいも変わらず神出鬼没で消える時も煙や霞のように消えていく奴だ。

 

「クソッ! たぶん台座を被うこの皮膜のようなものはおそらくエナのようなものだ空気は僅かにマナカに送られている。だけど、時間の問題だ。光、要、起こしたり触ったりするのは何が起こるかわからないが……このままは不味い。引き上げるぞ。マナカを抱えて、美海と美空の二人はあいつらについて行ってくれ」

 

「わかった!」

 

支持に従い光と要がマナカを捉えようとして、踏み込むも領域には壁があるらしく弾かれる。

そこに俺は迷わず足を踏み込んだ。違和感が体を襲う。弾き返される。感覚は奇妙なもので、一瞬意識をそちらに奪われるも足を踏み込み踏ん張ると両手でこじ開けるように指をねじ込み引き裂く。

 

「あとはお前達だけで大丈夫だな」

 

「ま、誠はどうするの?」

 

「泳ぎが一番速いのは俺だ。俺は先に行って医者を呼ぶ手筈を整える」

 

マナカの状態を診断する限りエナには一刻の猶予もない。だが、光と要の力なら十分に安全に運べる。自分がマナカを運ばなかったのはそのためだ。それに、美海にやった時のように自分が人間ボンベになるとなると光や誰かに反感を買うだろう。

あとは、念のためにAEDや使えるものをかき集める為でもある。今のところ心肺に異常は見られないが、エナが剥がれるなど普通ではない。

 

美海と美空を置いて出口へと向かう。

精一杯の速度で足掻く。随分と皆から離れて、ようやく海面へと顔を出せたのは五分後だった。

ザバッ――と、海水が巻き散る音が跳ねた。

その音にビックリして、チサキは穴へと顔を覗かせる。

 

「ま、誠。おかえり」

 

手にはタオルと毛布。それから来た時に飲んだ魔法瓶の中身を注いで……。

 

「あぁ、ただいま。じゃなくて!」

 

急に大声を出したもんだから魔法瓶の中身をチサキは零したようで、よほど熱かったのか手を抑える。

 

「あっつ――!!」

 

「悪い、大丈夫か」

 

すぐさま氷の上へ。チサキの手を冷えた手で冷ます。両側から優しく握り、ってそうじゃなくて。現役の看護師がいるのは心強い。この中で一番足が速いのはあいつだ。

 

「紡、今すぐ医者呼んでくれ」

 

「いくらお前が怪我させたと言って、チサキの火傷にそれは大袈裟過ぎないか?」

 

「違うんだよ、マナカが見つかった。まだ眠っているがエナが剥がれている」

 

「! そうか、わかった」

 

チサキの火傷は大事ないようで、火傷の痕は残らないだろうと安心する。それこそ傷が残ったら責任問題だ。

走って最寄りの家へと電話を借りに行く背中を見送って数分。チサキの準備の良さに感謝する。

 

「しかし、よくタオルや毛布なんて用意してたな」

 

「まぁね」

 

だが、一組しかないのはどういうことだろうか。

 

「重いし何枚もとなると大変だから、美海ちゃんと美空ちゃんと誠で一組でいいかなって」

 

そのお陰でマナカを受け入れる準備は整っているわけで体温の確保やら何やらはチサキがいれば心配することはないだろう。とにかく、裸のマナカをそのままというのは忍びなかったので一安心だ。

 

「それで、見つかったマナカって子はエナが剥がれているって話は本当なのかい?」

 

背後から教授が声を掛けてくる。頃合を見ていたのか真剣な表情だ。その話は含め後でいいだろう。それより注意しておかなければならない事もある。

 

「教授は悪いですけど、いいと言うまでテントの方に居てくれませんか」

 

「え?」

 

「あ、これデータです」

 

押しやるように背中を押す。なんだなんだと言いながらすごく残念そうに食い下がろうとしない。エナが剥がれている状態を観察したいらしい。

 

「裸の女の子に興味を持つなら俺は医者だけではなく警官を呼ばなければいけないのですが」

 

「あぁ、光君や要君と一緒か。ごめんごめん」

 

そんな時、美海と美空が海面から顔を出した。

 

「速いですね、兄さん」

 

「もうすぐ二人がくるよ」

 

「そりゃあ毎日泳いでるみたいなもんだからな」

 

軽口程度に留めて二人を引き上げる。その直後、マナカを抱えた光が上がってきた。

 

「チサキ」

 

「うん」

 

光からマナカを受け取り引き上げる。タオルを用意したチサキがマナカを受け取り体を拭いて、美海と美空はその手伝いをする。

そして、服の代わりに毛布に包む。

マナカを引き渡す際、チサキが非妙な表情をしていたのが印象的だった。

 




美海が氷の穴から顔を出した。
可愛いと思ってしまう誠君である。

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