凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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遅くなりました。
先に長ったらしいのもあれなんで言い訳は後書きで。


第六十七話 氷裏の海の境界線

 

 

海村探索の決行日。昼食を終えたあと飛び出した光を追いかけて、海に浮かぶ氷の地面を歩き、約束の場所へと辿り着いた。既に光と要さんは揃っているらしく、とくに光は今にも飛び込みそうなほどの準備運動を見せつけてくる。

その隣に設営されたテントで、紡さんと教授が機材のチェックをしていた。

 

「へっぷし! 遅せぇよ、早く行こうぜ」

 

「マスクしろ」

 

クシャミをした光に抗議の声を上げる誠。

風上10m。十分に離れたところで、私と美空と揃って光を敬遠した場所に立つ。

 

「おまえ、なんでそんな離れてんの?」

 

「昨日、馬鹿やって風邪をひいて帰ってきたおまえのせいだと思うけど。ほら、咳やくしゃみは5〜8飛ぶって言うだろ」

 

「あはは……」

 

乾いた笑みを浮かべて要さんは変わったね、っと呟くように話しかけてきた。いったいそれは誰に対してか、返答したのは紡さんだった。

 

「こういう奴だよ。……根本は」

 

「ですよねー。兄さんってば、優しいところは少し過度な気もしますけど」

 

「昔から、こうだよ」

 

どっちかというと、私のお母さんじゃなくて私と遊んでくれて一緒にいてくれて、兄妹みたいな時間を育んで生きてきた。病気になったら心配してくれた。付きっ切りで看病して今度は風邪をひいたのは誠だったり。そんなところが大好きで、私は誠といることが子供の頃から当たり前なんだと思う。

 

「さて、誠君これを」

 

「これは?」

 

「海中の濃度や水流の流れを計測する機械だよ。簡単にボタンさえ押してくれれば起動するようセットしてあるから、あっちで組み立ててスイッチを入れてくれれば問題は無い。あとは生態系について変化があるか調べてきて欲しいんだけど……これくらい」

 

言い淀みながら教授は心配そうな表情。正確にはあまり期待してなさそうな、そんな顔。渡した紙にはぎっしりと項目が並んでいて、私には判らなくて眩暈がしそうだった。

 

「大丈夫ですよ、教授。誠は信頼できるんで」

 

「あー……そこじゃなくて。デートに夢中で忘れないか不安で」

 

「俺をいったいなんだと思ってるんですか……」

 

しょうもない言い争い。けれど、ちょっと内容は気になるかもしれない。

デート……なのかなぁ?

誠の家に行けるのは嬉しいけど、よく考えて見ても光や要さんなどの付属品がついてくるわけで、ちょっと複雑な気分だ。別に美空はいいけど。

 

「行く前にはい、これ」

 

「ん、ありがとうな。チサキ」

 

当たり前のようにチサキさんが魔法瓶から温かい飲み物を注いで手渡す。私から見たら、というか誰がどう見ても夫婦みたいなやり取りに、ちょっとだけ嫉妬したりもして、こんなところが私には足りないんだろうなと思う。

 

「はい」

 

「ありがとう、チサキさん」

 

誠が飲み終わった湯呑みに魔法瓶の中身を注いで私に手渡して来た。ちょっと複雑な気持ちで受け取って飲むと、中身は紅茶だった。

美空も同様にそうやって手渡して、回して飲んでいく。四度目注いだ時、差し出されたのは光だった。

 

「いらねぇ」

 

「僕もいいかな」

 

次に差し出された要さんも拒否して、チサキさんは仕方ないなぁと湯呑みに口をつける。そしてゆっくりと全部飲み干してしまった。

 

「よし行くぜ」

 

「お先に」

 

先にふたりが氷上に作った抜け穴から海へと降りる。残ったのは私と美空と誠。誠は機材を背負い直すと私と美空の手を取る。

 

「行ってくる。もし怖かったら、少しだけ目を瞑ってろ」

 

私と美空は誠に手を引かれて暗い海へと旅立った。

 

 

 

 

 

コポコポ。ゴポゴポ。

水泡が地上へと還る音が聞こえた。

私の耳はそんな音が止むのを待って、ぎゅっと目を瞑りながら誠に抱き着く。少しだけ怖いのと海の中の浮遊感はまるで世界に一人取り残されたような感覚で、でもどこか包まれているような感覚で、美空も同じように反対側から誠にぴったりとくっついているのがわかった。

 

「まずはゆっくりと呼吸をしてみて」

 

恐る恐る水中で口を開けて、水を受け入れると、息苦しさは消えて息が出来ているのだとわかった。

 

「目を開けて」

 

数拍、誠からの指示に従ってゆっくりと瞼を開ける。

すると、視界に飛び込んできたのは――

 

 

 

「これが海の世界……」

 

 

 

広大な海の一端だった。少し薄暗い氷に隔てられた海を自由に泳ぐ魚達。生えた海藻。どれもが新鮮で静寂が心を満たしていく。

 

「大丈夫か、ふたりとも」

 

「……うん、大丈夫」

 

「……問題ないですよ、兄さん」

 

ふたりして見惚れ、空返事気味になってしまって、それをわかったかのように誠は行こうかと手を引っ張る。少し下で待っていた光達に合流して、遅いと責められる誠は適当に謝っていて、その輪が少し羨ましかった。

ズンズンと先に行ってしまう光。その斜め隣を悠々と泳ぐ要さん。そんなふたりの後を誠は私と美空の手を握りながら追って、これがいつもの誠なんだなと思う。

私がいない、海での誠は、幼馴染といる誠はこんな風にいつも背中を見守っていて、背中を押してくれるようなそんな人であって、彼の生き方が全部一歩足を退いていてまるで今の海と陸を隔てる“氷の壁”があって、どこかひとりの世界は寂しくて……。

本当は誠は私が追い求めた輪の中にはいなくて、どこかにまだ薄いのか厚いのかわからない壁があったことに気づいてしまった。

 

「おい、あれ」

 

突然、光が立ち止まる。続くように降りて前を見れば靄のような何かが海の向こうへと広がっていた。

 

「雲のような何かが覆っているな。方角的にはこの向こうだ」

 

「実際には海の中で雲なんてありえませんからね、潮流みたいなものでしょうか。兄さん、どうしますか?」

 

「俺が先に行く。安全を確認したら、戻ってくる」

 

そう言って、離そうとした手を私は強く握り返す。

 

「私も一緒に行く」

 

「何があるかわからないんだ。だから、連れていけない」

 

首を縦に振らない私。一歩も退かない誠。

ふたりして視線を合わせていると、美空が私に加勢してくれる。

 

「もし兄さんが私達を置いて行こうとするなら、置いて行った直後に追いますよ。ふたりで」

 

にっこりと言い切った。美空の強い姿に誠は重い溜息を吐いて、二人分の手を離すと右手を自分の額に当てる。

 

「……わかった。絶対に手を離すなよ」

 

また繋ぎ直した手をぎゅっと握り、私は美空と誠を挟んで微笑み合う。繋がれた手は優しく、強く守るように握られていて、寄り添うように誠の隣へとぴったりくっつき泳ぐ。

 

私達が先に進む。その後ろを今度は光と要さんが追う。

 

「行くぞ」

 

一声かけて、雲のような霞へと突入した。私は思わず誠の手をぎゅっと握る。今まで以上に強く握ったせいか、恐怖を感じたのを誠に悟られて、今度は誠が強く握り返してくれる。

何分かそれを続けて――不意に呟く。

 

「おかしい……もう着いていてもおかしくないはずなのに」

 

「どういうこと?」

 

「今日の潮流は全く感じない。流れに逆らっても、流されてもいない。なのに汐鹿生に着かない」

 

「なんかおかしくねぇか?」

 

「うん……なんだろうね。いつもと違うみたいだ」

 

光と要さんまでもが異変を感じ取った。

焦燥がふたりから感じ取れて、私にまで伝染する。美空も同様に動揺を隠せず、不安そうに誠にくっついているのが見えた。

誠は誰よりも冷静だった。こんな状況で、海の中で目を瞑り耳を澄ませている。

 

「……なぁ、美海、美空。この音が聞こえるか?」

 

「音……?」

 

私と美空は揃って目を瞑った。誠と繋いだ手だけは離さず耳を澄ませる。すると、微かにザラザラと何かが擦れ合うような音が聞こえた。

 

「聞こえます」

 

「私も」

 

「俺には聞こえねぇぞ」

 

「僕も聞こえない」

 

私と美空と誠だけに聞こえた音。私と美空は頷き合うと水を蹴って進む。音の聞こえる方へ。誠は何も言わずただ私と美空に引っ張られる。

やがて、泳いだ先で、視界は開けた。

 

光が差す。溢れる光に目を細めて、左手で光を遮ると前を向く。眩しすぎて細めた目をようやく開けた時、飛び込んできた光景はさっきよりも眩い夢に描いたような、それが少し色褪せたみたいな場所。

 

 

 

「帰ってきたんだな……汐鹿生に」

 

 

 

愁い漂う雰囲気で誠は呟く。近くの地面へと降りると、次々に降り立つ。光と要さんも懐かしい光景に周りを見渡していた。

 

「これから、どうするんですか?」

 

「まずは装置を設置して、村を回ろう。俺が見た時とあまり変わってないけど、やりたい事もあるしな」

 

誠の提案に光と要さんも頷く。教授に渡された装置を誠は設置し始めた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

装置の設置を終えた後、五人で村中を歩き回ることに予定通りなった。私と美空はおっかなびっくり誠にやっぱりくっついて歩く。

水中都市、なんてものが外国にある。遥か昔に沈んだ街が古代都市と呼ばれるように、ここにある海村は生きた化石のようで不可思議で、私自身どうやって海の中で生活しているんだろうかと気になっていた。

誠に聞けば解決するだろうけど、見るのと聞くのではだいぶイメージに差があって、私自身聞いていた以上に少し怖い。

村を歩くと、まるで石像のように固まって座っている人がいて、その前を通るのに緊張する。足早に誠を盾にしながら通り過ぎる。美空も同じだ。別に誠は気にすることなく盾になってくれて、まるで廃都市のような村が、怖くて少し足が竦む。

 

「おまえ何ビビってんだよ!」

 

そんな私達を見て光が怒鳴った。誠もクリップボードから顔を上げて、光を睨む。そのまま光は私の肩に掴みかかって、説教だと言わんばかりにまた怒鳴る。

 

「死んでるみてぇだっていいてぇのか! 眠ってるだけで死んでねぇよ! 失礼だろ!」

 

「ひ、光……」

 

止めといた方が……。と、要さんが注意する前に光の頭を誠がパコンとクリップボードで叩く。

 

「事実だろ。この村はどう見たって廃都市だ。良くて時が止まっている、くらいの評価しか下らん。人は住んでいてもこれじゃあ生き殺しみたいなものだろ」

 

「おまえまで何言ってんだよ!」

 

私への非が飛び火した。

憤る光に対して、なおも誠は冷静だった。

 

「じゃあ、おまえは生きているって言えるか? 眠ったまま目を覚まさない人間を、抜け殻のような人間を」

 

「それとこれとは話が違うだろ!」

 

「変わらないさ。たとえば、脳死で植物状態に大切な人がなってしまって……おまえは『生きてて良かった』なんて本気で言えるのか?」

 

光が黙ってしまって、誠は言葉を続ける。

 

「何を持って人は生きているって言えるのか。そんなのたった一つしかない」

 

答えを言う代わりに私の手を強く握る誠。光に答えを教えないまま歩き出した。もしくはそれが答えなのかもしれない。誠は幼子を叱りつけるように言った。

 

「頭を冷やしてこい。家に帰れば、少しは冷えるだろ。一時間後にまた集合だ。学校でな」

 

光と要さんだけを取り残して進む。美空も同じくクリップボードで塞がった手の方に並ぶ。すると、誠は無言でクリップボードを仕舞って、美空の手を握った。

行き先はわからないまま。汐鹿生を深く知らない私達にとって、誠の行く先が全てで。誠の行動に合わせてついていくと一軒家の前で止まった。

 

「……ただいま」

 

見上げて一瞥、ポケットを探って何かを取り出すと玄関に近づく。鍵らしきものを差し込んで、扉を開いてその奥へと消えていく。

私と美空は顔を見合わせた。

 

「ここって……」

 

「家と似ていますね。兄さんの汐鹿生での実家ってところですよね」

 

美空の家に似ていると思った。きっと誠の家だ。

 

「ついて行きましょう」

 

「うん」

 

玄関に揃えられた誠の靴。その横にふたり並んで靴を脱いで揃える。玄関を上がって廊下を進む。部屋一つずつ覗き込んで、誠を探す。慣れない家に興味と遠慮を持って、見回っているとリビングで誠が手を合わせているのを見つけた。何に手を合わせているのかと思って、見えない場所から見える場所へと移動すると一つの写真立てが目に入る。

女の人が写っている写真。笑顔で優しい笑みを浮かべたその顔は、何処か誠に似ていて、それが遺影だと気づくのには少しかかった。

 

「……」

 

誰も何も言わない。静寂が過ぎていく。掛ける声を私は知らない。だけど、どうすれば落ち着いていられるかそれだけはわかる。

願い、祈り、報告する、彼の背中を抱き締めるようにぎゅっとして首に手を回す。

たったそれだけで、私は救われる気がして、泣ける場所も縋る誰かもそこにいる。私は少なくとも誠にそうしてもらったことがある。きっと誠は覚えていないだろうけど、私にとっては全部が彼との思い出で、それでも忘れることはないから思い出とは言い難くて、

 

「……美海」

 

「私も挨拶したい」

 

「私もお願いしますね。兄さん」

 

昔があって今がある。

けれど、昔も私にとっては誠との“今”で。

密かに私は心の中で呟く。

 

 

 

――初めまして。お義母さん。

 

 

 

 




バンドリガルパのイベントが買ったゲームの攻略すらさせてくれないほどのラッシュ。
ラノベとゲームは買って溜まっていくばかり。





“裏話”

Part1。

遺影らしくもない写真の前で手を合わせる誠。その背中を抱きしめるように、美海は覆い被さる。必然的に背中に当たる慎ましくふくよかな膨らみに、視界が届かない中、判断すべき材料はひとつしかない。
「美海……」
密かに正面から抱き締めたくなる衝動を抑えて、彼女の行動を甘んじて受け入れる誠君だった。


こんなことがあったりなかったり、真相は彼の心中に。

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