凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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第六十六話 海への道

 

 

 

「陽性です」

 

 

 

病院の診察室で慎吾先生はカルテを見てそう告げた。いったい何が原因でこうなってしまったのか、興味深そうに診断書を睨むその姿は数年前とはまた別物で、医者の風格が備わり迫力を増している。

 

「二人とも間違いありません」

 

丸椅子に座った美海と美空にはっきりとそう告げて、ばさりと診断書を机に投げ捨てる。

告げられた二人といえば、今も状況がわからないといった様にきょとんとお互いを見つめ、すぐにお互いの手を取り合い、嬉々として椅子から飛び跳ねん勢いで、

 

「美空!」

「美海ちゃん!」

 

互いの名を呼んだ。喜びほころばせる表情は見ていて安心するもので、なんとなくそれでいいのかと納得してしまう。

看護師の役割を担っていた美和さんはクリップボードを胸に抱いて、心底恨めしそうに娘を見た。

 

「ずるい。私も欲しいのに……」

 

ありありと不満を俺にぶつけてくる美和さんは、背中にもたれかかり胸を押し付けてくる。

 

――つい、先日のお風呂の件が脳内を掠めた。

 

押し付けているわけではないのだろう。極めて自然体で甘えてくる職務中の美和さんは俺の肩の上に顎を乗せて、まだ二人を恨めしそうに睨んでいる。

 

「いいことばかりじゃないですよ。どうしても気になってしまいますから」

 

「誠君がねー。……でも、私だって誠君と同じ位置に立って見たい景色もあるんだよ」

 

「大丈夫ですよ。海に帰る気はありませんから」

 

「そーゆー問題じゃなーいー」

 

駄々をこねる母親。こればっかりはどうしようもないのにどうしろというのだろうか。それより、目の前の問題に意識を戻そうか。目を逸らしてばかりでは前に進まない。

 

「しっかしわからんな。いったい何をした? 誠君」

 

「俺が何かした前提で話しかけないでくださいよ」

 

昨日、お風呂で二人と混浴した時、妙な光の煌めきを二人の肌から感じた気がして観察したところありえない結果が出てしまった。

肌に光るベールのような薄い膜。

それが二人を覆っている。その事実を認めたくなかったのか、脳は考えを破棄しようとするものの口は正直に言う。エナ、だと直感で感じてしまった。

口に出したらそれを認めるような気がしてはばかれるものの、無意識にも呟いた。

 

――そして、今日の診断に至るわけだ。

まずはチサキ、俺、光と要のエナを検査し差異があるかどうかの確認を行い、次に二人のエナと思われる薄い膜の検査を行ったところ――結果は“陽性”。

構造も少し薄いもののそれは間違いなく、海の人間が受ける加護、そのものだった。

 

「……」

 

ウロコが地上に現れたのは、そのためか。

祭りの日の神の片鱗の様子を思い出すも、やはりあっけらかんと神秘的な雰囲気を放つのみで変わったところは見受けられなかった。

 

「……兄さん」

「……誠」

 

二人が物言いたそうに見つめてくる。そして、とうとう痺れを切らしたのは美空だった。

 

「もう少し喜びましょうよ、兄さん」

 

「あのな……これは異例なんだ。過去に陸と海の二つが交わってエナができたことはない。それだって異常だってのに、途中でいきなりエナが生えるなんて」

 

成長と一言で片付けてしまえば簡単だが、前例がない上に海の世界の異常性が、どうしても結びついてしまう。

子孫を増やすため、――エナを持つものが増えたか。

言わないが、美海が喜べば俺はその分警戒するし美海が怯えれば俺はその分喜ぶ。一緒に泣いて笑うのもいいが、俺はそういうの似合わない気がした。というか、こっちとしては色々と複雑なのだ。

 

「……でもね、誠」

 

美海がゆっくりと手を伸ばして、こちらの手を握ってくる。手の甲に重ねられた手を握ろうとして裏返そうかと思ったが、それより先に美海の言葉の方が早かった。

 

「私、誠のお母さんの御墓参りしたいんだ」

 

美和さんではない実母。その人の墓は海にある。それを知っている美海からのいきなりの提案に俺は少し驚いてしまった。

 

「……」

 

「ダ、ダメだった?」

 

「あっ、いや、そうじゃなくて」

 

眠っている間、墓参りに行けていない。確か、死んだのも夏の日でもうすぐ……。

それだけではなくて、ミヲリさんのも行けていない。最近はバタバタとし過ぎて……報告も兼ねて。

 

「……ミヲリさんのも行かなきゃなって思ってさ」

 

「うん。お母さんも喜ぶよ」

 

手を裏返し握り合う。

大人になった美海に負けた気がした。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

光と要から連絡があった。エナの検査を終えた二人は紡の

通う大学の教授に呼ばれているらしく、四人で漁協に集まっているらしい。美海と美空を連れて漁協へと赴く。ほぼ顔見知りの人達と顔パスで通過する。昔と変わらぬ会議室に足を向けて、辿り着いて扉を開けるともう一人見慣れた人がいた。

 

「あ、至さん」

 

「お、どうだった検査?」

 

「陽性ですよ」

 

がっしりと肩を掴まれる。真面目くさった顔で何を言うかと思えば、

 

「いきなり二人暮らしとかダメだからね」

 

「海に移り住む前提で話さないでください」

 

そんな事だった。

娘を嫁にやるような気迫の男に対して、俺はどうすればいいのか。至さんはパッと手を離すと、落ち込んだように斜め下へ視線を逸らし、

 

「……僕も見たかったよ。アカリの育った海。ミヲリの故郷の景色を」

 

「そうですね」

 

至さんの変わりに美海がやる。むしろそれは俺が美海に教えるべきことなのだろうか。至さんに代わり、美海に見せてやれるのは俺かアカリさんで、アカリさんがやるようなことじゃないとも思う。アカリさんは自分の海を見せるのが正しいと思う。

静かに頷きながら、ぼそりと漏らす。

 

「……そこでミヲリさんの名前が出てなければ殴っているところでした」

 

「ちょっ、自分のお嫁さんの親を殴る普通!?」

 

「――アカリさんに代わって」

 

「アカリにも殴られる前提!?」

 

しんみりとした空気を追い払うように、一人芝居をして一区切りついたところでこちらの様子を伺っていた紡がホワイトボードを叩く。

 

「じゃあ、はじめようか」

 

 

 

 

 

議題『海村に入る方法』

最終目的はそれをテーマに話は進められていく。

海村を囲う潮流、方角すらわからなくなるような氷の壁に遮られた太陽の光と海村の姿、場所、それらを頼りに海村を中心とした海図を作っていく。

光の現れた場所、要の乗っていた潮流、俺が出た場所と潮流の流れを組み込み、完成した海図に教授は顔を顰めて地図をなぞる。

 

「これは……まるで、海村を守っているかのようだね」

 

外から来る者を拒み、中から出るものを拒む、潮流の流れに教授は感嘆の声を漏らした。そうして少しの間、研究の進みに喜びを得た後、俺に視線を向けてくる。

 

「海村の位置は間違いないんだね。誠君?」

 

「はい。昔から何度も出入りしてますから間違いはないです」

 

海と陸を渡ること、他の誰よりも多い俺は感覚的に距離が身体に染み付いている。海の上から陸の位置もわかるし海村の真上の氷の地面だって特定してみせよう。それくらいの自信はある。

 

「じゃあ、今すぐ行こうぜ!」

 

「まぁ、待つんだ光君」

 

急ぎ先走ろうとした光を教授が呼び止める。今すぐにでもマナカを探したい一心の彼を宥めるように、丁寧に説明してみせる。

 

「何度も試して入れないと聞いた。それなら入口を見つけられなければ、海村には入れないよ」

 

諭す教授の声にうずうずと足踏みする光は気性荒く叫び返す。

 

「じゃあ、どうしろってんだよ」

 

「そこで僕らの出番だ」

 

先程、完成させた海図。海洋学の研究を日夜行っている二人にしたら当然の摂理なのだろう。一つの場所に、一つの赤い印をつける。それは正門でも何でもない場所、どこか村の入口とは異なる場所だった。

 

「多分、潮流の流れを計算すると、ここが最適なポイントになるはずなんだ。ここからなら海村に侵入できる」

 

それは摂理であり法則である。

人間が酸素を吸って二酸化炭素を吐き出すように。体を駆け巡る血流のように。箱には一定量の物しか入らず容量を越えれば溢れる。海流もまた始まりがあって終わりがあるのだ。自然の法則は確かにあるのだ。例え、何か超常現象が関係しているとしても。

 

「そうとわかれば今すぐ――」

 

「頭を冷やしなさい。まずは頭を冷やしてそれからだ。明日、決行しよう」

 

光の先走る性格を理解しているのか、教授はそういうと資料を鞄にしまいはじめた。

紡もホワイトボードの文字を消して、要は静かに光を見守っている。俺の隣の二人といえば、ちょいちょいと服を引っ張ってくる。

 

「どうした?」

 

「私も行く」

 

「では、私も」

 

言うと思った。頬をポリポリと掻きながら、少し思案して椅子にもたれ、

 

「わかった」

 

仕方なく了承。

 

「嬉しそうだな、誠」

 

いつの間にかホワイトボードの文字を消し終えた紡が振り返り見ていた。表情はわかりにくいが温かい目をされているのがわかる。

 

「え、どこが?」

 

「いつも通り……ではないね。いつもなら、危ないって言って止めるだろうし」

 

光と要の指摘も尤もだ。いつもなら止めているところなのかもしれないが、

 

「いつもと違うぞ? ものすごく喜んでいるようにしか俺には見えない」

 

紡曰く、そういうことらしい。俺ですらわからないような感情の変化を感じ取れるのは似たもの同士だからだろうか。感情を表に出さないことにかけては二人とも同じなのかもしれない。

 

「私にもそう見えます」

 

「うん。誠はそうだもん」

 

微笑んでいる美海を見ていると、反論する気すら起きなくなった。

まぁ、美海が喜んでくれるならいっかと思うところそろそろ俺も末期だ。抱きしめたくなるし、ずっと触れていたいと思ってしまって、逆にいないと不安になるくらいだ。

 

「そうだ。話がある、誠。時間あるか?」

 

「……あぁ」

 

苦渋の決断に渋々頷き、紡の誘いに乗った。

 

 

 

 

 

「で、話って?」

 

珍しい紡からの話に乗った俺は紡の後に続いて漁協を出た。漁協の裏から小さな山を登り、途中で置いてある自販機にお金を投入し、紡は紅茶を買うと投げ渡してくる。それをキャッチすると紡はなにやらファンシーな色合いの缶ジュースを買ってプルタブを起こして、中身を口に含む。

 

「まだその飲み物あったんだな」

 

紡お気に入りの缶ジュース。つぶつぶみかんジュースはなおも健在のようだ。

俺も紅茶の缶のプルタブを起こして呷る。

 

「実は、誠に協力して欲しいことがある」

 

「研究、だろ?」

 

言わずもがな、紡と三橋悟教授は大学で研究をしている海洋学科。海の突然の変異と、海村の調査は今まで不可能だったために是か非でも成し遂げたい調査だ。

普通の人間では不可能な為、俺に頼んだのだろう。もし普通の人間が酸素ボンベを持って潜れば、戻ってくることどころか数分で根を上げることになる。今の海はエナを持った海の人間ですら冷たいのだ。

だが――、

 

「なんで、光に頼まなかった?」

 

海をどうにかするためなら立ち上がることを知っている身からすれば、あいつは格好の餌だ。

紡はベンチに腰掛けて、缶に再び口をつける。

 

「そりゃあ、お前の方が理解は深いし持って帰る情報が濃厚だからだろ。それに……」

 

チラリ、と漁協に視線を向ける。眼下の漁協には美海が今も俺のことを待っているだろう。

 

「お前から話しかけてただろ? 釘を刺すために」

 

「確かにな。それで、どこまで論文として発表し公表するつもりだ?」

 

「海村に入れたら海村の様子。あとは、突然変異で得たエナを持つ陸と海のハーフのこと。そして海から帰ったお前達のこと。もちろん場所や誰かなどの情報は公開しない。それを約束と、確認させるためにお前なら話しかけてくると思った。美海と美空に群がるマスコミ報道とかお前は絶対に許さないだろうから」

 

さすが、親友――幼馴染とはまた違った距離感で攻めてくる。

 

「守る為なら黒いよな、おまえは」

 

「時にはそういうのも必要なんだよ。全部、守る為には」

 

「そうだな。おまえはそういうやつだったな。自分だけ犠牲にするのが誠だ。公表されることの危険性とかわかっていないんだろ、彼女は」

 

「そりゃあ家族として当然のことだろ。美海は俺の彼女なんだし。問題のないことに心配させるのもな」

 

飲み終えた缶をゴミ箱に投げ入れる。

自分で言っておいてなんだが、“彼女”だと言うのはまだ少し恥ずかしい気がする。

 

「俺も知りたいことはあるんだよ。ウロコ探した方が手っ取り早いんだけど、一応そういうの集めておいた方が得だろ。じゃあ、帰るな」

 

「あぁ、また明日」

 

 

 

 

 

夜。家族ぐるみの付き合いを終えた後、宿題に取り掛かる俺と美海、美空の三人はリビングでお風呂上りの飲み物を飲みながら寛いでいた。

遅くなってきた時間、時計に目を向けると少しどころか長い間ここに居座っていたようだ。

 

「じゃあ寝るか」

 

切り出すと、美海が顔を赤くして、

 

「うん」

 

と、頷きコップを片付ける。三人揃って美海の部屋へ移動した。パジャマ姿の美海は先に布団に入ると奥へと詰める。つまり、入っていいということだ。

電気を消して同じ布団に入ると、美海は恥ずかしそうに壁の方を向いてしまう。俺の背後にはさらに柔らかい物体が抱きついてくる。

 

「美空、さすがにベッドに三人は無理だ」

 

「じゃあ、床に布団でも敷きますか?」

 

どうやら抜ける気は無いらしい美空はそんな提案をしてくるが、本当に狭い。

 

「それとも兄さんが二人に腕枕でもしますか? 少しは狭くなくなりますよ」

 

「俺の両腕を鬱血させたいようだな」

 

明日には俺の腕の感覚がなくなっていることだろう。

 

「なら、二人を抱きしめて寝るなんてどうですか。どこに触っても怒りませんよ」

 

「よし、そうしよう」

 

美空に背を向けて美海を抱きしめる。「きゃっ」と驚く美海の声が聞こえたが、ぴったりと背中を押しつけてくるあたり嫌ではなさそうだ。

 

「兄さん、妹をイジメて楽しいですか?」

 

ぎゅっと背後から胸を押し付けてくる。サンドウィッチになった気分だ。俺は具。大人になるまではレタスでありたいと思う。

そんなことをして数分じゃれてから、俺は美海を解放して天井を向く。

 

「えへへ、実はドキドキして眠れません。本当は兄さんの隣なら安心して眠れると思ったのですが、上手くいきませんね」

 

「……」

 

「ねぇ、美海ちゃん?」

 

「……うん」

 

「むしろドキドキが倍になりました」

 

それでいて人の心臓をわしづかむようなワードを放つ美空と美海。きっと明日のことを思っているのだろうが、二人の存在のせいか落ち着いたり落ち着かなかったりわからないでもない。

好きな人と一緒にいればドキドキしたりもするし、落ち着いたりもする。なんていうか人間は不思議だ。

 

「遠足前夜の子供だな」

 

「誠の心臓もドキドキ鳴ってるよ?」

 

いきなり胸に頬を押し付けてくる美海は不意打ち気味にそう言った。

 

「男だからな」

 

そして、それはあいつもそうだ。男なら足踏みなんてしていられない。目の前にゴールがあるのなら飛びついてしまう。

――ミシリ、と床が軋む音が廊下に響く。

その音にびくりと肩を震わせた美海は、ぎゅっと抱きついてくる。美空も同様に抱きついてきて、正直苦しい。

 

「だ、誰……?」

 

「……」

 

二人の口元を抑えて声を抑えるように促す。

遠ざかっていく足音は、やがて玄関を抜ける音に変わった。扉を引いて外に出る人。やがて扉をそっと閉めたのか気配は消えた。

 

「光だよ。やっぱり我慢出来なかったか」

 

「もしかして、一人で海に!?」

 

「大丈夫だ。追いかける必要はない。どうせ、辿り着けなくて戻ってくる」

 

その日は結局、寝付かない二人と朝まで思い出話に付き合わせられることになり、ようやく寝たのは朝日が顔を出してからだった。




幼馴染と親友って別だよね?
という、謎の理念を掲げてみる。
とくに光君が夜に出たのは意味が無い。付箋にあらず!

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