凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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第六十四話 夏祭り«後»

 

 

ウロコにまんまと逃げられ一杯食わされた。その後になって、男性拒絶症なる精神的ストレスを抱えた文香さんを説得したのがほんの十分前。

今からウロコを探したところで、捕まえられるわけがないと断念し、素直に祭り会場へと戻った。

そうして数分、光や美海を探して彷徨っていると案の定、全員が固まって行動していた。

 

出店の中でも、遊びを生業とする『射的屋』で光とさゆが競うように銃を構えていた。

 

「なんで当たんねぇんだよ!」

 

「ああっ、もうオジサンもう一回っ!」

 

文香さんと並んで首を傾げる。

そんな俺達に目敏く気づいたのは、美空と美海の二人だった。

 

「あっ、おかえり、誠……」

 

「兄さん、おかえりなさい」

 

なんだかドロっとした視線が絡みつく。

美海が訝しげにすんすんと鼻を動かして、俺の匂いを嗅ぎ取っているのがわかる。

 

「……文香さんの香水の匂いがする」

 

「ですね〜。それも数分くっついていたらしいですね。兄さんの浮気者♪ 早漏なんですか兄さん?」

 

ありもしない疑いをかけられた。二重で。

 

「やましいことは何もしてない。というか、美空さん何言ってるんですか、俺がやったって前提で話を進めるのやめてもらえません」

 

「なるほど、兄さんは女の子におあずけする方が好きなんですね。だから手を出さないと」

 

曲解が激しいなぁ。なんて、悲観に暮れながら他人事のように今の状況を眺め見た。

立ち聞きしている奴なんていないだろうが、傍から見ればやはりイヤラシイ会話だ。卑猥だ。などと、白い目を向けられるに決まっている。

 

「だって……美海ちゃんにキス以上のことはまだしてないですよね」

 

「……俺って妹に情事のこと握られるの?」

 

いったいキスの情報なんてどこから持ち出したのか。公言したような気はするがそれから先の話はしてない。

だが、性事情を熟知される兄というものは威厳も何もあったものじゃない。

 

「……文香さんからも誠の匂いがする」

 

今だに色々なことを疑っているのか、美海は嫉妬したように不機嫌そうな瞳をむけてくる。

 

「そりゃ俺からしたらするだろうに」

 

不満の種は早急に解決するに限る。男が正しくなければ折れればいいのだ。離婚の原因にもなっていること。他人は尻に敷かれているとか言うがそうじゃない。

 

「それで、なんであいつらはこんなに白熱してるんだ?」

 

「はい、それはですね……」

 

当然のように隣へと移動し、瞬く間に腕を絡めてきた異母兄妹曰く。

最初はただ、合流した皆で楽しく祭りを満喫していたらしいのだが、事ここに至って射的屋に寄ったのが始まりらしい。そこでお祭り小僧の光が要に射的で勝負を挑むという事態に至り、さらに掘り進めると射的屋のオジサン曰く一万円相当の景品を置いているとか。それを取ろうとして二人して躍起になっているらしい。

 

「なんだかなぁ……」

 

可哀想なことにオジサンの思惑通り、金を落とすカモネギとなったわけだ。

しかし、景品はどれも良品ばかりで粗悪品はない。むしろどれも景品として豪華なものばかり。これはもう普通の射的ではない。

 

「それでね、一番景品が良かった人は好きな人とデートできるっていう賭けまで始まってるんだ」

 

「副賞の方が豪華に聞こえるぞ。それで、お前はなんで参加してないんだ?」

 

要が肩を竦めて、

 

「……まぁ、釘を刺されたらね」

 

と、皮肉を込めた言葉を送ってくる。

にしてもだ。光まで一緒になって、マナカはいないというのに熱心なことだ。

多分、そんなこと頭の中にはなくて、デートのことすら知らないのだろうが。

 

「……ん?」

 

それにしてもおかしい。沢山屋台がある中で、射的屋だけが人だかりに溢れている。屋台に群がり列を作る少年達がひーふーみーよー……たくさん。

見たことあるよう顔がチラホラと、ようやく思い出したのは同じ中学の連中だ。クラスメイトの顔もある。名前は忘れてしまったが結構な数だ。

 

「なんの行列なんだ?」

 

「ふふっ、どうやらこの屋台で取った景品が良い品物だと好きな人と付き合えるッてジンクスがあるらしいです」

 

「発端は?」

 

「私が兄さんにも聞こえるように大きな声で宣言したからですね」

 

男を惑わす魔性の困った妹だ。でも、実際可愛いのだから仕方ないのかもしれない。まぁ、心中察するがそれでも同情はしない。男というものは哀れなものだ。

それでも妹のわがままというものは可愛くて、なんとなく察してしまう。

 

「……」

 

俺と話していない時だけ、一点をチラチラと見ては少し物欲しそうにしながら我慢したような顔をする。不機嫌そうで歯がゆそうで、なんだかもう心の奥がもやもやする。感情の伝染か、美空の暗い感情は手に取るようにわかった。

 

「ふぁ。……オッサン、2丁くれ」

 

「はいよ! 彼女へのプレゼントかい、若旦那」

 

なるほどそういうことか。やたら銀のアクセサリーやぬいぐるみが多いと思ったら、そういう趣向で品揃えを良くしていたらしい。

 

六百円を払い、2丁のコルク銃を受け取る。

射的屋の台へと進み出て目に入ったのは美空が見ていた、黒いケースに入ったクローバーのネックレス。

 

どうやら列は見目麗しい少女達に集るハエだったようだ。傍観している気配を微かに背中越しに感じる。

 

「っ」

 

ポコンッ――一発目は中心に入れてみたが安定性はないのか外れる。どうやらコルク銃は曲者のようで真っ直ぐ飛ばない。なればと、精神を集中させ再度、演算を繰り返した二発目を放つ。

ポコンッ――今度は、命中。後ろで「あぁ…!」と息を呑む美空の声が聞こえた。

その声の通りに黒箱は落ちることもなく、ぐらりと揺れただけで元に戻った。

 

「まぁ、そうだよな」

 

じゃなきゃ、一発で取れるなら誰だって苦労はしない。今だに豪華そうな景品が並んでいるのも、取れないからなのだろう。泣きに見たカップルの顔がチラホラと人だかりを作り始めていて……流石に面倒くさくなってきた。

 

残りは2丁合わせて六発。

 

次弾を装填して今度は2丁構える。そうして、引鉄を引いてコルクは真っ直ぐ飛んだ。

見事に二発とも黒箱に命中して、クローバーがぐらりと揺れたかと思うと、棚の向こう側に落ちて袋に受け止められるトサッという音が。

 

「さすがは若旦那、今日一番の商品だったんですぜ。さぁ、景品だ!」

 

棚の向こうの受け皿から景品を取り出すと、射的屋のオヤジは快く渡してきた。本当に細かいところまで銀細工のクローバーは光る石が葉の代わりとなっており、相当な業物だということが理解できる。

 

「ほら、美空」

 

「えっ……?」

 

美海ちゃんにじゃないんですか。と、驚いたせいで言えなかったのだろう。本当に吃驚した様子の美空は戸惑いながら立ち尽くしている。その手を握り先程ゲットした景品を渡すと、

 

「えっと……」

 

受け取りづらいのか戸惑い俺の顔を見る。

 

「ほら……礼だ」

 

「お礼、ですか……?」

 

今度は首を傾げられた。そんな覚えはないと言うかのように……。

 

できれば口に出したくはない。恥ずかしいから。

きっと、当たり前のことで、そんな祝いの日は別にあるんだろうけど、それじゃ少し遅い気がする。

やるなら、皆が見てない時を選ぶんだったと今更ながら後悔している。ついでに、小っ恥ずかしい今の状況も公開している。

 

「……本当は誕生日とかに伝えるべきなんだけどな。生まれてきてくれて、俺を受け入れてくれて、ありがとうっていうかな……」

 

多分、こんなに堂々としないから恥ずかしいのだろう。俺に家族の距離感とかわからない。どちらかと言うと見ている側だったから。ミヲリさん達と居てもやはりどこか壁があった気がするのだ。

 

言葉にするのは難しい。

 

そんな言葉もあったか。今の状況も、その状況なのだろうと結論付けて、まとまらない言葉を必死に模索して、

 

「家族になってくれてありがとう」

 

ようやく紡ぎ出したのはそんな言葉だった。

 

「兄さん……」

 

弱い足取りでよろよろと近づいてくる美空。俯いているせいで表情は窺えない。身長差とはこの時に厄介なもので覗き込もうとした時だった。

 

「兄さん!」

 

履物を置き去りに美空がぴょんと飛びつき、胸の中に収まる形になった。やられた俺は抱きかかえる形で受け止めるしかない。

甘えるように猫撫で声を発した美空は「兄さん」と連呼し続ける。その節目、頬を赤らめた美空は、

 

「……大好きです♡」

 

ぐいっと、俺の首に回した腕を強引に引いて唇を塞がれた。もう一度言おう、頬じゃない、唇だ。

吃驚して、硬直して、何も言えたもんじゃない。

ただ全身が石化した、冷凍された。

目の前の燃え上がる愚妹の想いとは別に、一周どころか脳内を千回転くらいコイルが周りようやく状況を察する。脳内は真水によって冷却。

 

「お、お前何やってんだよっ!?」

「……うん?」

「あはは……」

「ちょっと美空!?」

「……ふぇ」

 

キス現場を目撃して慌てる光と。

呆然とする要。

目を逸らしチラチラと口元を見てくる苦笑いのチサキ。

おかんむりな美和さん。

まじまじと口元を隠しながら見つめてくる文香さん。

海外式の挨拶とはいかないらしい。

 

「…………」

 

そして、一番怖いのが美海。

怒っているのか、どう思っているのか無言で立ち尽くす俺の彼女。振り向く勇気のないまま、背中に刺すような視線を美海から感じる。

 

「……ずるい。美空」

 

「…………え?」

 

怒って責められるかと思いきや、美海は責めることもせず顔を背けた。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

大変だ、どうしよう、美海が口効いてくれない。

 

 

 

射的屋で欲しそうにしていたテディベアをプレゼントしても顔を逸らされ、夏祭りデートを決行しても手は繋いでくれるものの口は開かず、かといって不機嫌でもない美海は口を利いてくれない。

 

同じく夏祭りデートを決行していたアカリさんと至さんに洗いざらい吐いて相談したが、苦笑されて「年頃だからねぇ」とはぐらかされる始末。

 

いっそのこと怒られた方がマシだった。

不倫なのだろうか。浮気なのだろうか。多分、裁判官が十人いたら全員が有罪判決を裁決するに違いない。そのうち情状酌量の余地があると判断した者はおそらく前科ありだろう。

 

 

 

「美海ー」

 

 

 

色んな屋台を廻り、二人デートを続けながら最愛の彼女の名前を呼んでみる。生憎、美空はキスしたことを咎められて美和さんに引き攣られて行ってしまったので今はいない。久しぶりな気がするふたりきりの時間、美海は何か言いたそうにするも結局は何も言わない。

 

美海に見られているなと思って振り返れば、彼女は無言で顔を逸らすばかり。さすがの俺も乙女心を完全に理解しろとか無理難題だ。乙女じゃない。

 

「美海さーん」

 

そりゃあ、俺だって美海が知らない男(知ってるやつでも)とキスしたら泣く。むしろ男の方をしばき倒すレベルで憤怒する。

けれど、美海の反応が噛み合わなさ過ぎていまいちわからない。

 

「……」

 

ぼーっと歩く美海は人形のよう。

抱き締めてみたり、ハグしてみたり、頭を撫でたり恋人繋ぎで歩いてみたり、好きにできるのはいいのだが。

そうでもなくて、ここまでされるとさすがに俺も反省を通り越して落ち込む。

 

もうすぐ花火の時間。

花火の見える丘に夏祭りの参加客が移動していく。

 

「ほら、行くぞ」

 

「……」

 

いつの間にかこちらの顔を窺っていた美海は、急いで顔を逸らす。けれど、ちゃんと訊こえていたようで腕を引くとついてくる。

人の群れを離れて、人の流れに逆らい逆流を登っていく。そうしてたどり着いたのは、昔、ミヲリさんと初めて会った場所。

人気はなくふたりきりになれた。心做しか美海の頬も少しだけ赤いような気がする。

よく海が見える位置に風呂敷が敷いてある。今日の朝のうちに用意していた特等席だ。そこに座らせると、俺は手足を投げ出し寝転ぶ。

 

「見てみろよ」

 

「……ぁ」

 

空は黒いカーテンが敷かれ、星が散りばめられている。都市部では見られない絶景。

美海は知らなかったのか、驚いたように星空を眺め見た。

 

「ここは、海も、空も、いつ見ても綺麗だった。ミヲリさんと出会ったのもここだ。海や空を眺めてるといきなり現れたんだ」

 

今でも思い出せる。どんな服を着ていたか、どんな顔をしていたか、はっきりと記憶に残っている。

美海は覚えているだろうか。母親の顔を、優しさを、アカリさんのことばかりではなくミヲリさんとの思い出を。あそこまで反抗していたのだから、少しくらいは忘れたくない気持ちなどあったはずだ。昔の俺と同じように……。

 

感傷に浸る胸の奥。

そこに一輪の花が咲いた。

 

「美海、花火――」

 

夜空に咲いた一輪の花。

大きな音を響かせながら、空が次々と色とりどりの花を開花させやがて散る。

そんな儚い光景を目の前に。

頬に温かく湿った何かが触れた。

 

「……美海?」

 

暫くして、状況を理解する。

隣には頬を林檎のように赤くした美海が、胸に手を当ててもじもじと太股をすり合わせていた。

花火の光にも見えなくない。けれども、それだけじゃ説明がつかないほど色付いている。

 

「……私はいなくならないよ」

 

かぼそい声で美海は恥ずかしげに呟き、隣にぴったりとくっついて、花火ではなく俺を見上げた。

 

「……ずっと誠のこと好きだもん。美空よりも」

 

対抗心はあったのか、熱の篭った瞳で見つめてくる。

そして、花火の光に重なる影が写った。




いつでもどこでも爆弾な美空。
押すのも引くのも苦手な美海。
まぁ、さすがに美海には人前でキスする勇気はないわけで……やはり人前でイチャイチャするのは恥ずかしいようです。
浴衣が肌けるなんてことはないのであしからず。

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