凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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第六十二話 三人目

 

 

 

そういえばと思い出す事がある。

左には美海が滑らかなものを押し付け、右からは美空が対抗するように、しかし余裕を見せながらその豊満なマシュマロをこれ見よがしに当ててくる。

口を開けば、ダメだからねと小言を貰い、俺は有り難くそのポジションに男子生徒達に恨まれ睨まれ怨恨を残して居座り続ける。

一件不条理による扱いの差、だがこれも正当なものであると美海は証明する。

 

『誠は怪我をしているんだから』

 

一言。たったそれだけを俺は忘れていた。

ナイフで刺した手、木の枝が刺さった胴体、傷だらけでボロボロの俺は包帯だらけだということを漸く思い出した。

幸せ過ぎて、怪我のことなんて……さらに言うと、二人が胸を押し付けてくるせいでそれどころではない。柔らかい感触が痛みより優先されて脳に伝わるお陰で、全く以て事実を忘れていたのだ。

俺も男である。故に、反応はする。

不感症? 同性愛者? 無論、そんなことは無い。ノーマルだ至って普通だ。美海がもしも男の子だったらどうするか言われても、多分悩む。性転換された日には多分泣く。

 

……あ、やばい、マジで泣くかも。

 

話は逸れたが思い出した。昔も今も変わらない。

お船引もこんな風に二人に挟まれて作業を制限されていた記憶がある。既視感というやつだ。

ペンキ塗りを二人に挟まれながら前もやったっけと思いながら、俺は計画書ないし配置図を見ながら、目の前でせっせと働く男子共に指示を飛ばす。

 

 

「そこの屋台は間10センチ離せ。そう……等間隔だ」

 

「畜生、お前も働けよ!」

 

光の声が聞こえたが、俺は隣の美少女二人に視線を向ける。左の美海は俺に抱き着きながら監視。右手の美空は配置図を見やすいように広げて持ちながら、俺の顔を覗き見る。

『絶対にやらせませんよ?』

と、二人はホールドを続けていた。逃げようとすれば悲しそうな顔をする上に、胸に腕が当たるもんだから逃げようがない。俺は退屈を持て余しながら悪くない日々に安心の溜息を吐いた。

 

「そういや、女子の方は何してるんだっけ」

 

「屋台に使う飾り付けですね。御品書きとかデザインだとか。あとは、買い付けた品の確認と屋台一つ一つに振り分ける材料の配分です」

 

基本難しい作業ではない。屋台ごとに使うものは決まっている筈だった。たい焼きなら生地と小豆、焼きそばなら麺と野菜、わたあめなら種と機械、とうもろこしならコーンと七輪、ホットドッグフランクフルトは中身は変わらない。フライドポテトはジャガイモから切っているそうで自慢なのだとか。しかも、ジャガイモや野菜は自家製らしい。

 

現状把握をしていた美空が得意気に女子の仕事を話していると、ドタバタと一人の女子生徒が彼女らの作業場から姿を現した。

 

「大変だよ長瀬くん! 発注ミスだって!」

 

頭を抱える。担当者は恐らく、燕さんだ。

続けて、何処からか組員まで姿を現した。

 

「大変だ若頭! 金魚屋のオヤジがギックリ腰で届けられなくなったってよ、金魚!」

 

「若頭って誰だよ……。あーもう全部聞くから、というか赤城さんはどうした?」

 

肝心の頭に話を通さずして組員が走ってきたわけでもないだろう。そう思って居場所やら聞いておこうと思ったが、予想外にも簡単な答えが返ってきた。

 

「親父なら色々と買い付けに回ってますぜ」

 

それを何でこの人達に任せず、自ら行っているのか。

むしろこんな状態で、よく祭りが何年も回ったなと思う。

 

「それにトラブルは若頭が解決してくれるから大丈夫らしいと聞いてます」

 

「……丸投げしやがったな」

 

頼る、という言葉の限度を察して欲しい。

幸いにも優秀な義妹と美海がいるからか、さほど不安は感じなかった。

立ち上がろうとして思う。美海と美空がくっついているからか上手く上がれない――なんてことはなく、試しに立ち上がると引っ張ることも引っ張られることもなく立ち上がれた。

 

「……せめて、手を繋ぐくらいにしてくれないか」

 

「やだ」

「嫌です」

 

即答だった。

仕方ないな、と俺の頬は弛んでいた。

 

 

 

 

 

結局、発注ミスは一桁少なかっただけでどうにかなると赤城さんに連絡することで収拾。残る問題は金魚となりそれについては、屋台の組み立てに人を回している為、暇な俺と監視役の美海、美空で行くことになった。

 

ガラガラと転がすリアカーの音が青空に響く。舗装された道の上を、金魚の回収を終えて三人で引いていた。

 

「兄さん、本当に大丈夫ですか? その…傷口が開いたりしたら言ってくださいね」

 

「無茶したら怒るから」

 

怪我を心配する二人が口々に言う。怒るとかいう割に声色は全く怖くない。

 

「ははは、説得力ないぞ」

 

「そうですよ。兄さんは上目遣いに涙目で甘えてくる女の子に弱いんですから。弱りきったりなんかもいいですね。兄さんってば放っておけない性格ですから」

 

完全熟知している義妹が怖い。

 

「……大丈夫だって。俺が嘘ついたことあるか」

 

「誰かの為だったら嘘をつくのが問題なんです」

 

「誠は……誰にも根を上げないもん」

 

意味を曲げれば『意地っ張り』な性格だと二人は言った。自覚こそないが多分、そうなのだろう。何も欲していないように見えて、実は欲張りで美海を独占したいと考えている。心の底では否定出来ない。思考していなくても心はそう直接的に脳を凌駕した命令を下しているのだ。

思考しないで行動する原理ってのはいつも明白で、咄嗟に動くから心理的に行動させる。脳が身体を動かすのではなく心が身体を動かす。考えて行動するタイプとか能動的に動いたりだとか直情的だとか、結局は人間の根本の心の部分が深く関わっているのだ。

 

「今更だけど、俺は嘘つきだってか」

 

「嘘つきで正直者なんです。矛盾した人。だから優しい人って部類だって答える方がより正解に近いんじゃないでしょうか」

 

「誠はもっと本能的に行動したらいいのに。私はどんな誠でも、だ、……大好きだから」

 

二人して何を言っているのかわかっているつもりだ。

『大好き』の一言に頬を染める美海が可愛い。が、

 

「……二人とも俺のこと好きなんだよな。俺、なんか存在そのものの在り方を全否定されてる気がするんだけど」

 

「違っ、そんなんじゃなくて、もっと一緒にいたいっていうかその……」

 

ちょっとした意地悪に言葉が見つからない美海は言い淀む。

どう答えていいのか、美海は悩んだように数秒思考して立ち止まる。舗装された道の上、ぎゅっと握り締めた手から漸く力を抜くと、一呼吸して口を開く。

 

「……誠はもっと自由に生きていいんじゃないかなって、そう思うんだ。誠って普段から我慢してるように見えるし、大人っぽいのって私達が子供過ぎるから、私達のせいで自由を束縛してるんじゃないかなって。いつも隣にいてくれるし我儘だって聞くし、私達が甘えてばかりだから誠は自分の本音を言えないのかなって」

 

視線を下げた美海が青空の下で不安そうに呟く。最後には殆ど声は出ていない。誰もが辛うじて聴けるかわからない言葉に、俺の耳は全て拾った。

前にも誰かから聞いたような言葉。いつ聴いたのか思い出せない。

でも、はっきりとわかるのは。

美海が自分を少しなりとも責めているようなそんな気がした。

 

「俺が我慢してるように見えるだって?」

 

「えっと、違くて……なんていうか誠は全然そういう風に見えないんだけど、感じるっていうか」

 

「いや、一緒じゃねぇか」

 

「ち、違うもん!」

 

「思ってるからそんな不安が出たんだよ」

 

うっ、と息詰まる美海は黙り。

心配してくれているのだろうか。だとしたら、なんだか凄く嬉しい気がする。

彼女は自分を責めているのか。愛おしい感情が胸の内から湧き上がってくる。

 

「心配するなよ美海。俺は十分自由だよ。それに、甘えられるのは嬉しいし我儘を聞くのだって俺が甘やかしてるんだ」

 

思えば、美海を甘やかしてるのは基本俺だった。

何かしらダメなんて言った記憶がない。

美空に対しても甘やかしてるのは自覚している。

どうやら俺は女の子に弱いらしい。

そろそろ反省しなければいけないとは思うが、やはりダメらしい。

 

「でも……」

 

食い下がろうとする美海に俺は数瞬考えて、とんでもない発言をする。

 

「じゃあ、そこまで言うのなら、美海と一緒にまた昔みたいに風呂に入りたいな」

 

「ふえぇっ!?」

 

「いいですね。なら、ご一緒させてもらいます」

 

さも当然というように会話に入ってくる美空。

狼狽える美海にニコニコと挑発的な笑みを浮かべている、その思惑はわざとらしくあざとい美少女の微笑、もとい戦略的なからかいだ。

八割九分が私欲に塗れているが、それは俺も同じで言える立場ではないので文句は言わない。半分、いやおそらく俺の揶揄いは本音の一部であるからして……と認めよう。

 

「本当に……一緒に……入りたいの?」

 

「隅々まで洗ってやる」

 

「うぅ…い、いいよ……」

 

珍しく欲望を交えて肯定した。美海は戸惑いながらもオーケーのサイン。

収拾がつかなくなってしまった……嬉しいけど。

顔を赤くして俯きがちに荷車を引く美海、ニコニコと楽しそうな美空、二人を両端に挟まれた俺、青空の下で仲良く荷車の輪に包まれて、不意に視界の端に何かが映った。

 

肌色。

それを見た瞬間、警鐘が俺の中で鳴った。

美海と美空に耳打ちする『絶対に声を掛けられても、気になっても顔を上げるな右を見るな』と。

二人は疑問に思いながらも従う。俺は二人を密着するほど近くに置いて、手を重ねる。

そして、肌色の前を通過しようとした。

 

ひたり…ひたり…。

水質のある何かが、舗装されたアスファルトを叩く音。ピタピタと滴る水温がその者から発せられた。

それは不意に立ち止まる、俺達の横で。

 

「え、あ…あれ…? 誠?」

 

その肌色――ではなく、全裸の変態が声を発した。

驚いて顔を上げようとする美海と美空の頭を咄嗟に抱えて抱き留めて、見ないように制する。

さらに耳打ちした。『絶対にみちゃいけない変態だから、キビキビ歩こう』と。

大人しく従う二人を連れて、もう一度荷車を引く。

全裸の変態を無視して前に進む。金魚を届ければいけない使命感を前に全裸の変態に構っている余裕はない。

 

「絶対に見るなよ。変出者に関わるとろくなことないから」

 

「兄さんったら、大切な人に他の人の裸を見せるのが嫌なんですね」

 

「ど、どういうこと?」

 

「ほら、下の部分とか比べられちゃうと嫌なんじゃないですか? 女の子も大きさを気にするように、男の子も一緒なんです。部位は別ですけど。あっ、でも安心してください美海ちゃん、兄さんのは規格外ですよ」

 

何を安心すればいいのだか、義妹で愚妹の発言に俺はヒヤヒヤしながら荷車を引く。数メートル引いたところで、既に戦意喪失、全裸の変出者兼変態はもう追いかけてくることは無かった。

 

 

 

 

 

□■□

 

 

 

 

 

漁協の会議室――にて、俺は冷めた態度で目前の光景を眺めていた。幼馴染の全裸狂――ではなく、光の服に袖を通した要がこちらを遠巻きに見てくる。その俺の隣で美海と美空はがっしりと腕を掴んで離さない。

 

そんな微妙な空気の中、見えない空気すらぶっ壊す災害はやってきた。

 

「要――!!」

 

――ドバンッ!!!!

 

正しく扉すらぶっ壊しそうな勢いでそいつはやってきた。吉報に戦前の武士のような顔から懐かしい人物を見るや一転、顔を綻ばせてそのままムササビのように硬直していた全裸の変態、改め、要に飛びつく。

 

「ひっさしぶりだなー要!」

 

「うん。元気そうで何よりだけど……一つだけ聞いていいかな?」

 

挨拶も、再会の喜びも後に要はこっちを見る。

明らかに、俺とその周りを見たのだろうその瞳は信じられないといったものだ。

 

「あれって…………誠だよね?」

 

随分と躊躇った後に恐る恐る尋ねた。

 

「眠っている間に顔も忘れちまったのかよ。正真正銘の誠だよ誠。皆の頼りになるリーダーで面倒見よくて大人ぶって意地っ張りなバカ」

 

「おい、後半バカにしてんだろ」

 

「……そっか、相変わらずだね」

 

にしても、と要は俺の隣の二人を見た。

 

「えっと……そっちの二人は?」

 

「まぁ、わかんねぇよな。片方が美海で片方が美空だって言ったらどっちかわかるか」

 

「ああ……確かに」

 

納得したように頷くと要は目を細める。

昔の姿と今の姿を照らし合わせ、漸くいろいろと思い出したようだ。長い月日。それも5年だ。離れていたせいか変化に慣れないらしく適当に頷くと理解した風に扮う。

それでも、要は要だ。表情を一転していつものポーカーフェイス。

 

「でも、何で二人はくっついてるの?」

 

「そりゃあ、美海が誠の彼女で美空が誠の兄妹だからなんじゃねぇか」

 

「へぇー、叶ったんだね恋が。昔も変わらず『兄さん』って呼んでたし今もその呼び方ってことかな、美空ちゃんは」

 

「あー、違うぞ?」

 

要の間違いを指摘する光。恋云々を要は知っていたようだが、それはともかく、決定的な間違いが一つだけ。

 

「美空は誠の異母兄妹だぜ」

 

「………………えっ!?」

 

この事実には要ですら驚いた。珍しく表情を大きく変えて驚くとじっとこちらを見る。見比べる顔と顔。

はっ、と要はなにかに気づいたように、ぽんと手を打ち合わせる。

 

「ふふ、あはは、よく考えたら妙に大人っぽい雰囲気の美空ちゃんとか昔の誠にそっくりだね」

 

「そうか?」

 

「そうだよ。一人だけ成長が早いのも早熟なのも、昔から誠だった」

 

俺にはわからない兄妹という関係。

隣で美空は嬉しそうに頬を緩ませていた。

つられて俺の頬も弛む。

 

「……そうかもな」

 

 

 

 

 

日は暮れた。一緒にいたがる二人を置いて砂浜を歩く。要と二人という奇妙な組み合わせ、昔はこんなこともなかったのだろう。思えば二人になるといえばチサキくらいのもので要とは1:1で話したこともない。

そんな要に呼び出されて、二人だけの空気に沈黙を置きつつやがて前を歩いていた要が立ち止まった。

 

「随分と変わったんだね」

 

「変わった、か。どういう意味だ?」

 

「雰囲気が。昔はもっと鋭い空気を纏っていたと思うけど、なんだか今の誠は凄く明るい雰囲気だなって。それも美海ちゃんが彼女になったから?」

 

聞くというよりも確信的な問いに俺は肩を竦めてみせる。

 

「さぁな」

 

前座はここまで。

最も聞きたいことはそんなことじゃない。

要が知りたいのは、こんな話題じゃない。

既視感のあるやりとりに俺は笑って聞く。

 

「それで、お前の聞きたいことは違うだろ?」

 

「あはは、やっぱり鋭いね、誠は」

 

微笑してみせるその顔には何もかもが隠れている。

まだ見合わない幼馴染。要の思いはただ一点だ。

 

「チサキがどうしてるか、彼氏はいるのか俺は完全にふったのか、居場所はどこかむしろ早く会わせろ、ってそんなところだろ」

 

「流石は誠だよ。そこまで見透かされてるんだ」

 

「俺だって似たような感情くらいあったからな。目覚めて一番に想ったのは美海のことだった。五年も経って空白の時間があって自分の大切で、大好きな、愛していた人は成長していて……不安にならないことは無い。五年ってのは長いようで短い時間だ。あっという間に過ぎ去ってしまう。チサキも幼馴染で同い歳だった筈なのに五年分歳をくいちがった。だから、お前は不安なんだろ。急いているんだろう」

 

「っ!?」

 

大切な人。チサキに会わせる前に幾つか警告しておかなければいけない事がある。今の要は俺同様不安定で何かしら危険なことでもしかねない。だからこそ二人きりでの話し合いに応じたのだ。

俺には要とチサキの二人の間に割りいる資格はない。されども、チサキの幸せを願うものとして、チサキの幸せだけは壊させない、日常は破らせない。

 

「いいか、よく訊け。お前が今もチサキを好きでいるのは構わないが、チサキを傷つけるような行動だけはやめろ。程々にしろよ。いくら昔がそうだったからって今は違うんだ。それだけは頭に入れとけ」

 

月明かりの下で一人の少年がわかっているよと答えた。それならいいんだと目を瞑る。

二人の恋愛に手を出すつもりも手を貸すつもりもないのだが、果たしてどうしたものだろうと俺の中ではもやもやが立ち込めていた。

 

 




……全裸で横断するって結構勇気いるよね。
いえ、普通に捕まりますよ。逮捕ですよ。職務質問の単語すら出てきませんよ(なったことがないから知らないけど)。
なにわともあれお久しぶりでございます皆様方。
今回は、というか最近になって要くんがイケメンではなく腹黒イケメンに見えてきた私ですが、こんな掛け合いができるのは主人公と要っちの特権だと思っています。
恋敵的な設定ですが、誠くん結婚――してないな彼女いるだけだな! ということですけどやはり偉大な幼馴染には壁というものが存在するわけで客観的に“お父さん”やってるないしは“お兄ちゃん”という名の壁に挑戦的な要っち。

――後悔はしておりませんっ!!

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