寒くなってきましたね。
こんな季節になってくると冬眠が羨ましく思います。
夏という季節は暑いという印象が一番に思い浮かぶだろう。そうめんが美味しい季節、と答えるものがいるかもしれないが、近年稀に見ぬ気温の低下のせいか夏というものは雪の見える季節になってしまった。
それすらも忘れてしまいつつある、異常が異常だと認識できなくなった脳で、目の前の生徒達は目前の光景に全てを思い出した。
暑い。今って、夏だっけ?
夏って、こんなに暑かったっけ。
あれ、変な汗が止まらないよ。
その原因は間違いなく目の前に立つ、一人の男と整列する若く屈強で人相の悪そうな人達だった。
「お前ら、一つだけ約束事だ。絶対に中坊共と喧嘩すんじゃねぇぞ。協力して、成し遂げるんだ。いいな?」
「「「「へい!! 親父」」」」
赤城さんにその下っ端等々が元気に返事を返す中、固まった表情のクラスメイト達は一心に思う。
――いったい、どうしてこうなった。
――数時間前。
午前の授業が終了し、残るは午後の授業のみとなった昼下がりのこと。授業の開始時刻に遅れてやってきた先生が、突然告げたのだ。
「今日の授業は中止。これから、夏祭りの準備の手伝いに向かうからねー」
上がる歓声は生徒全員分ほどだろうか。よっしゃーと喜び拳を握ってガッツポーズをする生徒がチラホラと見えた、その中に美海と美空はいないが、サユちゃんと光は間違いなくそうしていただろう。
背後の気配から、光とサユちゃんはうっしと男らしい声を上げていたのだから。
しかし、沸き立つ教室の中で、一人だけ怪訝に手を挙げる妹が尋ねる。
「えっと……因みに、もしかして、この山の上で行われる祭りのですか……?」
「うん。よくわかったね、美空」
肯定に少しだけ美空の表情が曇る。
それもそうだろう。今まで、取立てやら何やらで相当に怖い思いをしてきたはずなのだ。祭りの出資者であるその相手の手伝いとなると、容易には喜べない。
なにせ、出資者は赤城さんで、祭りの主催者は組員達が総出で準備を行っているのだ。それの手伝いとなると、不安が大きく出てしまうのだろう。続けて、一度下げた手を挙げて美空がおずおずと尋ねる。
「人の配置は決まっているんでしょうか…?」
これに男共は耳を欹てる。嬉々として聞き入り、先生の言葉を待つまでもなく、一人の男子生徒が挙手すると同時に声を上げた。
「先生、人員配置なら男女混合がいいと思います!」
――願望がありありと見て取れる。
美空とお近付きになりたい男子生徒が、僅かでもその可能性を大きくしようとしたのだろう。あわよくばいい雰囲気になって、恋仲になろうと、打算した結果。
そう見ても可笑しくない言動に、他の男子生徒も便乗しながら自分の優位に持っていこうとする。
「先生、なら今の班で行動ってのは――」
「はぁ!? ふざけんなよ、振り直しだろ!」
「班分けは先生に決めてもらおうよ」
堂々巡りで振り出しに戻った。不安げに美空が制服の裾を引っ張ってくる。兄さん、とは口に出さないものの訴えているようにも見えた。
だから、この先の結果すら見通していない先生が口を出す前に、俺は先手を打つ。
「先生。振り分けは“あちらとの相談”で決めた方がいいかと思います。先に、お待たせしている人達と顔合わせをしませんか?」
「だ、だけどねぇ……ある程度は決めておかないと申し訳ないと言うか、ねぇ」
「問題ないです。すぐに決まりますから」
「……そうだね。お船引の時もきみがまとめ役だったんだし、任せてみようか」
こうして、移動の間、全く無意味な自分の有用性の売り込みが始まったのだ。
努力が全て、無駄になるとも知らずに。
――回想終了。
誰もが知っていたはずの祭り。それを取り仕切っていたのは鷲大師でも有名な組員達。勿論のこと、毎年恒例の祭りに参加している少年少女は夢見ただろう。店員の顔を一々見ていない、覚えていなかった、目は祭りと大切な人に向けられるばかりでいいとこ見せようとした結果がこれだ。
こんな怖い顔の奴らと普通に喋れ?
――冗談じゃない。
誰もが動けなかった。可愛いあの娘に格好つけていいとこ魅せようと、他の男子を出し抜くチャンスだというのに、声すら出すこと叶わず。
思った。
身動ぐことあらば、殺られる、と。
「あー、挨拶をさせて頂く。赤城って、まぁ……こいつら馬鹿どもの親みてぇなもんだ。祭りの準備にあたり基本は俺が指揮させちゃ貰うが、もし何かあれば俺に言ってくれ」
赤城さんの長話も程々に言うこともなかったのか、よく通る声で手短に挨拶を済ませると、中学校から来た増援を見渡す。そうして、一瞬俺を見るとニヤリと笑みを浮かべて、目を瞑った。
「それでだ。役割を分担するにあたって、先にそちらの統括をするリーダーは誰か決めてもらいてぇんだが?」
威圧する眼光に男子生徒達普通は身震いする。
美空を見て、己を奮い立たせる者もいたが、流石にあの強面相手には勝つほどではなかったのか、頭を下げて目を合わせないように俯く。
お前行けよ。お前が逝けよ。嫌だよ。早瀬さんにいいとこ見せるチャンスだろ。
次第にそれは言い合いと押し付け合いにヒートアップしていく。その最中で、俺はわざとらしく声を上げた。
「じゃあ、俺でいいか?」
あ、はい、としか頷けない男子生徒達がやむを得なく了承する。それを見届けてから、赤城はこうなることをわかっていたかのように、
「よお、坊主。随分と久しぶりだな」
「ええ、まぁ。燕さんは元気ですか?」
「あー、一度、実家に帰ったんだがなぁ。どうやらこっちと実家を往復しまくってるみてぇだが、その話はお前が聞いた方が早いだろう」
直後、木が地面を踏み鳴らす音と共に、一人の女性が足早にこちらへと接近してきた。
「誠様ぁー♡」
猫なで声で俺の名を呼ぶ、浴衣を着た燕さんが生徒の群れを掻き分けて危なっかしく走ってきた。手前で停止しようとしたのか、足を止めようとするも上手く行かず、もつれさえこちらに転けかける。
その身体を抱き留めた。数歩の距離が足りなかったが為に一歩前に出て、抱き留めた瞬間、慌てた彼女は顔を真っ赤にして離れる。
「わわっ、ごめんなさい!」
「謝ることじゃないですよ」
「そうだね。ありがとう。……でも、恩人の君にそう言われちゃうと、ね。敬語はやめにしない? その話し方だと、他人行儀みたいだから……」
俺としてはそれこそこそばゆいのだが、哀しそうに俯かれるとそうも言ってられない。
何よりも、組員達の刺すような殺気が痛かった。
「わかりました」
「もう、敬語抜けてないよ」
――ごめんなさい。性分なんです。
「……努力させてもらいます」
「ふふっ、でも、誠様の優しい喋り方は好きだよ」
今度は、美海のジトっとした視線が突き刺さりやむを得なく会話を切り上げることにした。積もる話もあるようだが、今は夏祭りの準備に忙しく、時間を割いている場合ではない。
「じゃ、任せるぞ燕」
「はい、承りました」
頃合を見計らって赤城さんが脇へと移動する。
先程まで頭が立っていた場所に迷わず燕さんは立つと、座り縮こまっている中学生達を見回して、元気に挨拶を仕掛けた。
「はーい、ちゅうもーく!」
唖然としていた生徒達が正気を取り戻す。
ああ、まともな人だ、しかも可愛い、綺麗。
と、男子生徒達が生気を熾し再稼働する中で、女子生徒達も次第に燕さんに見惚れ始める。
そうして沢山の注目を浴びた中で、燕さんは心を掴むためか自己紹介を始めた。
「私は桐宮燕、っていいます、よろしくね」
微笑む聖母に天使だと騒ぎ始める。
女子生徒が男子は単純だと、汚物を見るような視線を浴びせた。
それを気づいているのかいないのか、燕さんは無視して司会を務めていく。その最中で決心したように俺を見て、微笑んでから、
「私はね、実はこの人達とある人に助けられてここにいるの」
そう、告白した。
誰もが黙って聞く中、昔語るように、
「私が結婚するはずだった男性は最悪で、災厄だった。ドラッグを使うは人を非検体とかいって新薬の実験に無理矢理使うし、私もその例外じゃなかったの。地獄のような日々だった」
何人かの肩が震えた。
同じものを見るような目で、燕さんは続ける。
「それで諦めて、何日も経った時だったかな。――私に一つの光が射したの」
笑顔が咲く。
「その子は突然、ドラッグの密売所に来た。まったく薬とは無関係そうな子なのに、どうして、て少しだけ罪悪感に駆られた。でもね、その子は薬を欲しがるでもなく、私を必要としてくれたの」
「普通、誰から見ても敵である私に、一緒に悪徳非道の極悪人を倒さないかって……不安だったよ。もちろん私の人生を変えて、奪ったあの悪魔は許せなかったし、かといって抵抗できるわけでもなかった。もし、失敗したら、もっと酷いことをされるってわかってたから、怖くて動けなくてね。でも、そんな私に提案したのは隠れて時を待つことだけだったの」
心の奥底から、泥の塊を吐き出すように、
まるで、その泥の中から、一つの命が芽吹くように、
彼女はその想いを口にする。
消したい過去の鎖から、自らを解き放つ。
「その時の私は一番重要な書類を幾つか持っていてね。誰がどう見ても幹部だった。例え、必要なのが書類だったとしても、彼は私を必要としてくれた。手を差し伸べてくれた。だから、今ここに私はいるの。彼の伝で会ったこの人達はすごく怖かったけど、実はそんなことはなくて、優しくて不器用で、だからこそ私はこんな人達だけどこの人達が好きになれた。匿ってくれたこの人達は存外悪い人達じゃないし、いろんな過去だってあるけど、私は全部を知らなくても信用してる。だから、みんなも少しは怖がらずに話してみることからはじめよう? 仲良くなんてならなくてもいいから、まずは一歩から踏み出そう」
燕さんの演説に生徒達は顔を見合わせる。彼女の言葉はしっかりと心に届いたようで、しかしまだ怖いのか歩み寄ることはない。
第一印象というものは、見た目からくる。次に素行が見られるのが、人というもの。
感動して泣いている組員達もいれば静かに目を閉じる赤城さんに倣い、同じく静かに佇む男達。そんな姿を見て少しだけ空気は柔らかくなった。紅一点の言葉に歓喜する男達は見慣れないものだというように、遠目からひそひそと話す声が聞こえた。
「……」
くいっ。袖が引かれる。制服の袖を引いたのは美空だった。不安そうに見つめてくる。肩は震えいつものニコニコとした表情は伺えない。
だからこそ、俺は決心した。できるだけ過去の話をしたくはなかったのだが、立ち上がると共に赤城さんのところへ歩み寄る。
その姿に妹は驚き、目を見張った。同様にクラスメイト達にも疑問が浮上する。
その答えは自ずと知ることになるだろう。赤城さんに視線を向けると、了承の頷きが返ってきた。そして、俺も赤城さんも過去を解放する。
妹の為に。
美海と進む為に。
二人がいる今なら、できる気がしたのだ。
「……お前らは不思議に思ったことはないか?」
「どういう意味だよ」
光が俺の意図をわからずしても乗っかったように質問を返してくる。それこそ、俺の欲していた質問だった。
「なんで俺がこの人と知り合いなのかだ。知っているかもしれないが家の馬鹿な親父が多大な借金を背負いやがってな、妹の美空を含めて多大な迷惑をかけた」
それは俺の懺悔だ。
もし俺がいたのなら、そんなことはさせなかった。
美空が恐怖を覚えることもなかった。
本来なら恨まれていいはずなのに、それなのに妹は好意を向けてくれている。
それは伝えずとも、皆が知っていることだった。
けれど、俺が言いたいのはそんなことじゃない。
妹の為なら不安さえ取り除く、その為なら自分の過去の話すら笑ってみせる。
後ろを隠れてでもいいから、少しだけでも彼女の不安を無くせるのなら俺は全てを打ち明けれる。
「――でも、はっきり言ってそんな小さなことどうでもいいじゃないか」
「なっ――!?」
男子生徒達の驚愕の声が漏れた。激怒、憤怒、妹に対する態度に怒号が飛ぶ。
5年も眠っていたからわからない、所詮は赤の他人だと罵る、男子生徒達。美海は黙って訊いているようで俺を信頼してくれているようだ。
俺だって知ってるさ。
怖かった。そう、美空に泣きつかれたこともある。
軽んじたわけでもない。
妹のあんな顔を見て、幼馴染の顔を見て、美和さんのあんな顔を見て何も思わなかった訳ではない。
「怖かったら、俺の後ろに隠れていてもいい。美空の気持ちは痛いほどわかる。言葉にはしなかったかな。だから、言わせてもらうけれど、大切な女の子に甘えられて嫌がる男なんていないんだよ」
俺だって例外じゃない。美空に頼られて嫌な気どころか力になりたいと思う。
「早瀬がどんな思いで耐えていたか、お前はっ!」
沢渡なる少年が立ち上がる。お前のせいだ。そう罵って続け様に言いたいことをすべて言う。胸ぐらを掴み上げ、怒りを顕に俺に怒声を浴びせる。
「お前のせいだろうが! お前は知らないんだよ、借金を取り立てられる恐怖も、それが何度も何度も何度も! 重ねる度に積もっていくことを!」
「それをお前が知っているとでも? 一回でも、お前はそんな過酷な過去を背負ったことがあるのか?」
用意しておいた回答に、沢渡は息詰まる。
掴まれた胸ぐらを離した。美空は俺の発言の真意を測りかねているようで、首を傾げる。不安そうに見つめるその姿に俺の胸は熱くなる。
酷いことを言ったはずなのに、彼女はまだ俺を必要としてくれているのだ。決意はした。俺は今まで自ら口にしなかったことを口にする。
「そういえば、俺と赤城さんの関係の話だったな。確かに借金の話もあるが、俺はそれ以前に赤城さんとはずっと昔に面識がある」
首を捻る生徒が増えた中で、美空は俺と赤城さんを見比べた。似ても似つかない二人、関連性のない二人に目を向けるそれは訝しむようで、答えは出なかったのか美空はもう一度俺に視線を戻した。
「一度目は、俺が幼い頃、トラックに乗っていた」
これだけ言えば偶然、通りすがったようにしか聞こえはしない。
「二度目は、ガラス越しだった」
どこかのショッピングモールだろうか。ショーウィンドウを見ている情景を思い浮かべたのか、それも通りすがったようにしか聞こえない。
「三度目は、最近、あの馬鹿の不始末をつけるためだった」
そして、四度目、五度目――今がある。
何度か会ったがやはり簡単には人の心は変えられないのだろう。一発くらい殴りたかった。
妹の顔が、青くなる。
気づいてしまった。気付かざるを得なかった。
誰もが知っている。実はこの人、奇妙なことに花を毎年、海と道路に備えているのだから。俺といることも目撃されている上に言い逃れはなかった。
「まさか…兄さん…兄さん…!」
できれば掠めるだけで良かったのだが、相変わらず感のいい美空は、気づいてしまった事実に震えている。美空の動揺に美海もサユもただ事ではないと悟ったようだった。
「赤城さんは……俺の敵だよ。別に変に同情して欲しいわけでもないから言っておくけど、今更俺には関係ない話だ」
これで少しでも美空の不安が和らぐのならいくらだって話してやろう。交通事故ということを明確に伝えながら、誰にも悪意が向かないようにコントロールしていく。
沢渡は唖然としたようで、僅かに声を絞り出す。
何も言えなかった。いや、言っちゃいけなかったことに気づいたのだろう。
でも、訊かずにはいられない。
やっとのことで紡いだ言葉は、
「お前は……復讐とか考えなかったのかよ」
「そうだな。一発くらいぶん殴ってもバチは当たらないだろう。でも、俺は殺人なんてしねぇよ? 守りたいものがあるのにそれを手放してまでやることじゃないからな。事故のおかげで美海に会えたのかもしれない、美空に出会えたのかもしれない、そう考えると何も無駄じゃなかったさ」
詭弁だ。そう言われても良かった。
だけど、過去を積み重ねて今がある、と俺は信じていた。事故起こした本人には感謝しないけれど、許すくらいのことは簡単なのかもしれない。
兄として妹を引っ張るのは使命。
今日から一ヶ月ごとに美海ルートを投稿しようかと思います。では、また。