尚、打ち込むはいいがスランプから抜けられない。
脳みそがどんどん退化していく……。
あれ、俺、僕、私、ワシは何をして……?
やりたいことしか出来ないのは人間の性である。
そう思いたい。
【大手柄!? 〇〇病院院長逮捕ッ!!】
朝刊の見出し、トップを飾るのはこの記事だった。
でかでかと大きく文字で書かれた見出し、中央の写真にはとある病院で院長を勤めていた男と、厳つい自警団の組長の顔が写し出されている。
【今日未明、とある町の病院院長が緊急逮捕された。〇〇〇氏、〇〇歳。以前の院長が退職してからその病院の院長を勤めた男は、強姦未遂、麻薬取締法違反を行い、現場に駆けつけた自警団及び刑事が身柄を拘束した。他にも、院内の立場を利用したセクハラなど、患者への不快極まりない接触が行われたとして噂が絶えないが、当の本人は容疑を否認している。『あのガキッ!!』と何度も取り調べの最中に呟いていることから、彼自身も自らが作り出した麻薬中毒と断定。尚、現場には少年のような人間はいなかったと刑事、自警団、看護師は述べている。ただ……一人の看護師は一度、少年の存在を仄めかすような言葉を放ったが後に否定した。警察はその後も捜査を続けている】
新聞の内容に目を通しながら俺は紅茶を啜り、飲み干すとカップを机の上に置く。
と、ふんわりとした雰囲気の女性がティーポットからおかわりの紅茶をカップに注ぎ、
「でも良かったの? 誠君、正直に話してれば今頃学校の人気者だよ」
そんなことを言う。
あの事後処理の時、鷹白警部には協力の見返りとして情報の一部隠蔽を頼んだ。それは、俺の名前と存在を出さずに事を終えること。その身代わりとして、自警団ならぬ元ヤクザ――極道(赤城さん)な方々に協力を仰ぎ、ことを収めたのだ。
ただ、美和さんだけは納得のいかないようで憤慨したり苦々しげに笑ったりと、一応はいうことを聞いて黙秘を通してくれている。
――尚、眠ってしまっていた文香さんには口止めが出来ていないこともあり、少々不安だが。
それは置いておき、一先ず一件落着と、全てに置いて平和という日常は戻ってきたのだ。
「……それはどうでしょうかねぇ」
「え……?」
聞き返す美和さんに、俺はくすりと笑い紅茶にまた手を伸ばす。
「こういう荒事っていうのは、報復や復讐なんて全部を消さない限り続くんです。人間っていうのは単純で、怒りに素直ですから」
まぁ、囮にした赤城さん達には悪いと思っているけれど。それと同時に彼らは新しい仕事を手にし、新しい形の生活を手に入れるのだ。
初めて、世間から嫌われた彼らが、人の役に立った。
それは事実であると同時に彼らに二度と抜けない嬉しいという感情を打ち込み、彼らに生きがいを感じさせ、またその仕事に取り組もうとさせる。
そのデメリットが、ちょっとした危険というのは警察と変わらない気もするのだが。
これからは警察と協力し、事を運ぶという。
話し終えてから気づく。
学校の時間まで、後、一時間。
今日は編入――もとい復学。
遅れては、美海に怒られる。
「じゃあ、行ってきます。そろそろ行かないと美海が心配してくるんで」
これから美海の家に行き、二人で登校――なわけはなくサユや光、美空と一緒だ。
個人的には美海と二人で海を見ながら歩いたり、手を繋いだり、昔は出来なかった恋人繋ぎとかしてみたいのだが。
蒼穹、茜色の空、桜並木も、月明かりの下も、二人で歩けばそれはとても大切で特別な時間になるのだろう。
考えるだけで楽しい時間が、水泡のように現れては消えていく。
描いた二人の未来予想図は美空の提案で二人きりにしてくれるとのことで、サユと光は後から来るらしい。
妹の厚意に、俺は気恥ずかしく思いながらも、家を出た。
美海の家に着くとまず、インターホンを押す。
それだけの行動に僅かに躊躇い、深呼吸を繰り返す。
よしと意気込むと、今度こそインターホンを押した。
「はーい……って、誠君?」
ガラリと開けられた玄関から出て来たのは、アカリさんだった。
「あれ、そう言えば誠君って入院してるはずだけどねぇ。やっぱりそれも愛の力ってやつ?」
「はは……おはようございますアカリさん」
俺の姿を見て逡巡した後、理解する。
現在の格好は患者着などではなく、陸の生徒用制服だった。それに袖を通した俺を見て理解したのだろう。
『ちょっと待ってて』と言うと、奥に引っ込む。
その数秒後―――ドッタンバッタン!!
何度か少女の悲鳴にも似た声の後、アカリさんが再び玄関に戻ってきた。
「ごめんね誠君。美海ってば、寝癖を直してて、もう少し待っててもらえるかな」
「そうですか。別に気にしなくてもいいのに」
「ねぇ誠君、それって素で言ってる?」
「俺は寝癖だらけの美海も見てみたいですよ。むしろ俺がやりたいくらいです」
女の子の髪を梳かすというのは、男子にとっては至難の技だ。男と違い絹のような髪は厄介極まりないほど絡まったり、ダメージを受けやすい。
それをやると言っているのは、ただの興味本位ではなく、昔は良くやっていたからであり、美海に触れる口実が欲しいだけなのだが、
「お、おはよう誠!」
意外にも早く件の少女は玄関に現れた。
おはようと返すと、美海は僅かに視線を逸らす。
「あらぁ〜。初々しい。これからデート?」
「ガ・ッ・コ・ウ!」
「冗談に決まってるでしょ。それで誠君、今日はどっちに帰ってくるのかな?」
恥ずかしそうに叫ぶ美海を無視してアカリさんが聞いてくる。今のところ、俺は二つの選択を余儀なくされていた。美海と一緒の家に住むか、美空とチサキ、美和さんのいる家に戻るか。
もちろん、彼女と過ごしたいという願望もあれば、家族と共にゆっくりするという選択肢もあるのだが。
「実はアカリさん……少し提案が」
アカリさんを手招きし、耳元に口を近づけ囁く。
あからさまに、不機嫌そうになっていく美海が視界の端にちらついたが、その顔を見て親であるアカリさんはしたり顔。
「へぇー。うん、誠君がそう言うなら一応、至さんにも相談しておくよ。まぁ、絶対OKだと思うけど。それよりも気になるのは至さんが不倫しないかだね」
「その点は俺がいるので物理的に無理かと。というか、させませんし」
「ねぇ、二人で何の話してるの?」
話もまとまりかけたところで美海が乱入してくる。
相変わらず、アカリさんはニヤニヤと笑顔を浮かべるだけで何も無いと答えた。
「私だけ仲間外れなんだ」
「んー。まぁ、そのうち分かる」
適当にはぐらかして置いていく風に見せて、俺は歩き出す。その後を美海は必死に付いてきた。
家を出て、道路脇の舗装された道を歩く。
海の隣、その道は僅かながら、母親が死んだ時を思い出させたというのに。
「ねぇ、誠」
少し後ろを歩く少女がいると、それだけで掻き消えてしまう。
なんと薄情な子供だろうか。
親不孝な、息子だろうか。
今が楽しくて仕方なくて、昔のことが霞んで見える。
俺が立ち止まると美海は少し後ろで立ち止まり、僅かに距離を保ったまま、俺の手に視線を向ける。
「なんだ、隣を歩かないのか?」
少しいじわるく挑発してみた。
昔とは違う。いや、昔も、隣を歩いていたけれど。
子供のように背中にぴったりとくっついていたけれど。
いまは俺の彼女なのだ。
「……て、繋いでもいい?」
「くくっ。どうぞ」
おずおずと差し出された手が揺らぎ、俺は内心その行動に笑ってしまった。
まるで焦らされているようなその感覚。
待っていたのは、俺だったのだろうか――少女のゆっくりとした心の準備運動に苦笑しながら、手を優しく引っ張っる。赤面する美海。そこから俺は更に指先を絡めるようにして、繋ぐ。
温かくて、安心するその小さな少女手はなめらかで絹のような肌触りだった。
「…………」
二人して沈黙する。
「どうしたんだ。行くぞ、美海」
「う、うん」
そして再び歩き出す。
二人で、二人して手の感覚に幸せを感じながら。
もっとも、焦っていたのは美海で俺ではない。
ぼーっとした美海は隣を歩きながら、顔を見せないように俯いていた。
数分間そうしていただろうか。
「だから、美海の邪魔しちゃダメだって!」
「おせぇんだから仕方ねぇだろ。誰かが呼びにかなきゃあいつらいつまでもイチャラブしてるぞ!」
「それがいいんですよ、光さん」
「意味わかんねぇ! だいたいこんな朝っぱらからイチャイチャするなよ」
気がつけば、光とサユが言い争う声が聞こえ、仲裁に入るというより――サユ派の美空の割りいるような声が聞こえてくる。どちらかと言えば、光を諭す美空の大人びた対応そのものが原因なのだが。
「朝っぱらからイチャイチャして悪かったな」
「おぉ、わかる奴がいたか……。ほらな、朝からくっせえラブコメみたいにしてる奴の神経疑う同士が…うん?」
振り返る光は般若でも見たような顔をする。
その頭に、俺はアイアンクローを決める。
「いだだだだッ!! なにすんだよ誠!?」
「いやー、ほら。俺ってさ、いますごい機嫌いいけど俺も恋愛脳で悪かったなと邪魔な光を洗脳しようかと。というか、お前も考えたことくらいあるんだろ? マナカと手を繋いで歩いたりとか――」
「わっ、わわっ!? わかった、わかったからお願いですからこの手を離してください誠さん!」
「よろしい」
アイアンクローを解き、光の頭は潰れることなく野に放たれる。
隣で赤面する美海はまだ他の人に言われることに慣れてないのか、手まで熱くなっていた。握る力が強くなったり弱くなったりと変わる中で、俺が一度手を離すとがっしりと掴んできた。
「んじゃあ行こうか……って、美空さん、何で俺の腕をがっちりホールドして離さないんでしょうか」
その反対に妹が腕を組むようにして抱き着いてきた。
豊かな胸は俺の腕へ押し付けられるように、形を変えて卑猥にゆがむ。
「妹の特権です♪」
―――の割には楽しそうですね。
と、自然な笑みを浮かべる妹にはかなうはずも無く、心の内に言葉を押し留めた。
尚、美海は恋人の余裕か気にすることは無かった。
そうしてダラダラと通学路を歩く。
生暖かい視線半分、男子の殺気に似た視線を半分受けながら。
この時、その後のことを考えていなかった俺は、後に大変なことになるのをまだ知らない。
因みに、これは後日談的なあれも兼ねている。