凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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最近寒いですね。夏なのに雪が降るって気候は寒いんでしょうか?
……美海の夏服が見てみたい。主に制服の!



第五十四話 結びつく月と海

 

 

 

薄暗い闇の中で目を覚ます。身体のあちこちは何処か打ち付けたようで、鈍い痛みが走った。

っ!――ダメだ、起き上がれない。

なんでこんなにも体が痛いのか。思い出そうとするも鈍い痛みは一時的な記憶の混乱を生み出し、絡みつく。

 

状況を理解するために、周りを見回す。暗がりの中にあるのはジメジメした土と岩の壁と湿気、そして地面は僅かに湿り気を帯びた砂だった。波の音が聞こえ視線を向けてみると、ゆったりとした波がこの空間に押し寄せている。

ここは何処かの洞窟か、小さな入江なのかもしれない。

 

ふいに肌寒さを感じる――自分の体に視線を落とすと、あられもない姿になっていた。パーカーと下着だけという淫らな姿は誰にも見られなくて良かったとほっと一息付き、

 

パチリ、チリ――パチッ。

火が弾けるような音を聞き、バッと振り返る。

焚き火が赤い炎を舞い上がらせ、美しく温かく踊るようにして場を温めている。その近くには、私の制服が干されていた。

 

「あっ、私の服……あれ? でも」

 

もう一度視線を落とす、その先には見慣れたパーカー。白い布地に長めのそれは、ひどく懐かしい。

思い出に浸り、惚ける。確かこのパーカーの持ち主は――

 

「気がついたか。美海」

 

「ッ!?」

 

突如聞こえた声に思考は止まり、声のした薄暗い闇に目を向けた。

 

「……ま、こと?」

 

薄暗い闇から顔を出したのは忘れるはずがない、ただひとりの大切な人。立ち上がりこちらに歩くと、思い留まるように一定の距離から近づかない。

 

「――それよりも少しは隠してくれ」

 

「ふぇっ!?」

 

彼に注意されたことにより、自分の姿を改めて認識する。下着にパーカーとあられもない姿に戸惑い、隠そうとパーカーの裾を伸ばし……白い布状の物が目に入る。

太股に巻かれたそれは綺麗に巻かれており、手馴れた感じがしていかにも応急手当しましたと告げている。

 

「……手当、してくれたんだ」

 

「…そうだな、いろいろと見たが」

 

「えぇっ!?」

 

顔が熱くなり身体を抱き締めるようにして引き下がった。いきなりの自白――彼は正直過ぎるのだろう。それ以上に私を遠ざけようとしている。

考えてもみよう。手当したとなればないニーソの説明もつくわけで、着替えさせたのも彼ということになる。足に巻かれた包帯は、彼の優しさだ。だから憎めもしないし尚更好きになってしまう。

――さぁ、俺を罵倒してくれ。嫌ってくれ。

彼はそう言いたげな瞳で悲しそうにこちらを見続けるも無駄だと感じたのか、顔を逸らす。

 

 

 

そんな雰囲気のせいか、私は思い出した。なんでここにいるのか。

私が口を開く前に、気づいた誠が説明を始める。

 

「美海、やっと思い出したか。君は峰岸に追いかけられて逃げたがここ5年で起きた地表の変化によって出来た地盤の緩みにより、崩落に巻き込まれた。でも、君が落ちた場所は奇跡的にも下が空洞で、洞窟となっていた」

 

「……私、もしかしたら……」

 

「そうだな、死んでいたかも知れない」

 

ぞっとする言葉に私は戦慄する。生き埋めも圧死もありえると誠は続けていく。

誠はギリっと歯を噛み締め、悔しそうな顔で俯く。その姿は泣いている子供のようにも見えた。まるで昔の私のように、彼は拒絶している。しかし、遠ざけてきた時より彼の表情は目も当てられないほど歪んでいた。

どうしてもその姿が愛おしい。悩んでいる姿すら私にとっては支えてあげたい、と思えてくる。

 

「……大好きだよ、誠」

 

気がつけば彼の前に膝まづき、逃げられないように抱き締めていた。

 

「ふざけるな、そんなのはただの気の迷いだ」

 

「違うよ、私は誠のことをずっと昔から好きだったもん」

 

「いいから離れろ。そうだとしても、男に軽々しく抱きついたりするな」

 

「じゃあ、誠が私を突き放してよ」

 

身じろぎする音が洞窟に木霊するも誠は動かず、いつまで経っても彼は私を突き放そうとしない。見れば彼はTシャツ1枚で、私に服を貸したせいか肩が震えている。迷う誠はやがて肩をだらりと垂らして、再度語りかけるような声で私の耳元で呟く。

 

「俺は聖人君子じゃない。君が思っているほど良い人ではないし、マシて性欲なんて同じ同年代の奴よりはある。今もこうして美海の体に欲情しているんだ」

 

顔がカァッと熱くなっていくのがわかる。それ以上に彼を抱き締めているのが恥ずかしくなった。それでも私は誠を離さず抱き締め続ける。

私は知った。確かに誠もそうなのかもしれない。男の人は怖いし、さっきだってそうだ。峰岸が私を下卑た目で見たのだって覚えている。

でも、優しい人がこんなことを聞くだろうか。忠告なんてして、自分が危険だと知らせる悪い人が。本当に悪い人なら有無も言わさず押し倒して、今頃は体を好き勝手に弄られて、眠っている間にもそういうことはできたはずだ。

 

「知ってる。誠は、男の子だもん」

 

「なら、今すぐに――」

 

彼は聞こえているのだろうか。この胸の鼓動は彼といることで激しく脈打っている。何故かこの気持ちは心地よく私には手放せないものだ。

誠を一層強く抱きしめ、彼の言葉を遮るようにして声を張り上げた。

 

「それでも私は好きだよ! 誠が昔から、多分出会った時から一目惚れだった。あの日から5年経っても、やっぱり教室の男子達より、世の中のどの男よりも好きなんだよ」

 

言い切った。初めて、あれからちゃんと話したのかもしれない。

誠はそんなこと構わずに、突然苦しみ出す。

 

「ぅぁ……うぐぅっ」

 

頭を抱え苦しみ始めた誠は何かを拒絶するように左手で片目を抑え、呻き声をあげる。子供が泣くようなそれは、初めて見たかもしれない。

と、思っていると、急に体を押し倒されて、私は砂の上に仰向けに転がる。誠が器用に右手で押し倒した、わかるのはそれだけで彼は目に涙を溜めながら私を見た。

 

「――ほら、俺はこういう人間だ」

 

右手が私の着るパーカーのチャックへと伸び、するりとジャーという音を鳴らして下ろされる。

あられもない姿が、余計に艶めかしくなっていった。

パーカーが剥がされたことにより中の水色の下着が露になり、白い肌とともに晒される。右手は私の手首を掴み、それ以上は動かない。

 

「……いいよ。誠が、私を少しでも思ってくれるなら」

 

「ふざけるな。俺は――俺は――」

 

「愛してるよ、誠」

 

――嫌われるための行動だ。でも、彼の本心も混じっている。

私は掴まれていない手で誠を引き寄せて、唇に軽くキスを交わし、溢れそうな微笑みが止まらなくなる。

涙を僅かに溢れさせた誠にあともう一押し、そうすれば本心を打ち明けてくれるだろうと思ったところで、

 

 

ゴォ――ガラガラガラガラ――!!

 

 

地面に響くような音が洞窟にこだまし、頭上から私たちを押しつぶそうと降り注いできた。

 

 

 

□■□

 

 

 

激しい轟音に美海から目を離し、一瞬だけ上へと視線を向ければ数え切れないほどの土砂が振り注ごうとしていた。

このままでは自分と美海は押し潰され、死ぬだろう。直感的に掴んだ死に臆することなく浮かんだのは、美海を死なせないということだけ。

 

「くそっ」

 

「まこと?」

 

怯えたような美海の声が耳に響く。

何か、何かないだろうか。美海を守るための方法は?

見回し見つけたのは自分が通ってきた海からの通路、しかしそれは海の人間だからこそ通れた穴だ。

迷っている暇はない。美海の膝裏と肩に腕を差し込み持ち上げると、お姫様抱っこのようにして抱き上げた。ガラガラと崩れ落ちてくる土砂から逃れるように、迷いなくその足を海水の通路へと向ける。

ガラガラガラガラガラガラァァ――ドボン!!

最後は押し流されるようにして、驚愕に瞳を染める美海が何かいう前に水に飲まれた。夏といえど水温は常人が入ればすぐに凍死しそうなほど冷たく、海の人間ではない美海では自殺行為だ。海の人間はエナがあるからこれでも服を着て泳げているのだから、寒さによる身体能力の低下は考えなくていい。しかし、美海は手を離せば簡単に海の底へと沈み死んでしまうだろう。

 

これは問題の一つ。

問題二つ目は――陸が少し遠い、ということだ。

自分が独りで泳げば陸には五分で着くものも、人間一人抱えては速くは泳げない。いや、その前に俺1人で泳いだとして美海の息が続くはずも無い。

 

やがて大きな海に出る。海面へと向かい泳ぐ足を止めることなく、動かした。

 

――ごぷぉっ!

 

そこで嫌な音が美海の口から気泡と共に溢れ出る。顔は苦しそうにもがき酸素を求めるように手を動かしている。それを俺は見捨てれない。

方法は一つだけあるのだ。

嫌われても、致し方ないだろう。

 

俺は苦しそうに藻掻く美海の顔に顔を寄せて、暴れる美海を取抑えるとその口に口を被せる。

もがくのを止める美海は、予想外の状況に落ち着きを取り戻し、冷静になる。送り込まれる酸素、それは俺の体から送られたものだ。

 

原理は簡単にして単純明快。

海の人間はエナがあり、海の中でも息をすることが出来る。それは肺に空気が送られるということであり、つまりは海でも酸素を取り入れることができるということだ。

その肺にできた空気を美海へと口移しに送り込み、 人間を空気のポンプ、酸素ボンベとして使う。

 

俺は人工呼吸器――そうだ、やましくない。

 

海の中だからか、唇の感触は薄い。しかし、触れている部分はお互いの熱を交換するように、その存在を表明してここにいるよと教えてくる。

美海は必死に俺から空気をもぎ取ろうとして、キスが段々と深いものになっていく。

 

――違う。キスじゃない。

 

心は砕けそうだ。何故、守ろうとしてこんな危険な目に合わせているのだろうか。

こんなにも心は不安定で不確かなもので、いつもより暴走気味な心は正常な判断を下してくれない。

 

美海に酸素を根こそぎ取られる中、泳いで海面へと向かっていく。暗い海の上には薄い光が灯り、歓迎しているようにも、儚く消え去ろうとしているようにも見えた。

あともう少し……手を伸ばす、かき寄せる、一連の動作を絶え間なく繰り返し足を動かした。

 

ダメだ、独りでは二人分の酸素は作れない。

意識が朦朧としていく。そして、海面へと顔を出した。

 

 

 

□■□

 

 

 

私は誠にされるがまま口を塞がれ、送られてくる空気を何度も何度も取り入れた。

そして、海面へと出ても、それがわからなくて誠に必死にしがみつくと、彼は何事もなかったように動く。冷たい海水が肌を刺しているというのに何故か熱く、私の体は火照っている。

陸地に近づくと彼は、私を押し上げて自分も上がろうとして、上がれずに留まっていた。

 

「誠!」

 

「……いらない」

 

「大丈夫じゃないでしょ!」

 

手を伸ばし、拒絶する誠に私は底知れない悲しみを感じる。私を頼ろうとしない誠は、波に晒されながらこちらを見上げて呆けている。

その手を無理やりにでも掴み、引っ張りあげ、戸惑うような仕草すら見せない彼を私は見つめた。

弱々しい――普段の彼からは見られないようなそんな様子が目に見えてわかった。

 

「ねぇ誠、しっかりしてよ!」

 

「美海……?」

 

私がわからないのか、誠の目は虚ろだ。濁ったような色をした彼の目は恐怖を浮かべている。だとしたら、彼はあれで本当に死を理解してしまったのだろうか。襲いくる死に恐怖したのだろうか。

少なくとも私は諦めて死ぬかと思った。でも、彼は咄嗟に私を助けてくれた。

誠の様子に困惑する私はどうしていいか迷っていると、不意に彼がしなだれ掛かり抱き締めてくる。

 

「きゃっ! ……誠?」

 

弱々しい力の感覚、力強く抱き締められているはずなのに痛くない。それよりも気になったのは、彼の震える声で呟かれた言葉、耳元で繰り返すそれはあまりにらしくない。

 

「良かった……君が死んだら、俺は……」

 

――上手く聞き取れないけど、私のことを心配してくれていたのがわかる。

私も、抱き締め返す。今度は存在を表明するように、私は無事だと伝えるように。

 

「大丈夫だよ。私は、ここにいるから。誠が助けてくれたおかげで死んでないよ」

 

「……みう、な」

 

力がすべて抜け切り私に倒れ込んできて、少し吃驚したけど誠はそのまま意識を失ってしまう。

彼を揺すり、起こそうとする。

でも、その手の裏にはベットリとした生暖かい感覚が背中から手に染みる。

嫌な予感がして…自分の手を目の前に持ってくると見えたのは、赤い赤い液体だった。

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

 

 

きっと私のせいだ。

私があんなところに逃げていなければ、誠は血を流し倒れることもなかったのかもしれない。

私がもっと上手く峰岸を捌いていれば、追いかけられて誠が出てくることもなかったのかもしれない。

本当なら彼は今頃、私とは会ってないのに。

土砂に紛れた木の破片で彼は背中を貫かれ少なくとも危ない橋を渡った。それは、私を庇ってのことであり、よくよく考えてみれば思い当たる節はあった。

 

土砂に押されるようにして、強い衝撃とともに私達は脱出したのだけど、余波なんて生易しいものじゃない。まず、土砂崩れの余波では風など起こらないし流れあたり崩すのは土砂そのものだ。

そう、ということは土砂に押され私達は脱出した。

私はもちろん無事だった。でも、それは強い衝撃を受けたのに……そう考えても、私は生き残った不思議がある。

けど、結局は強い衝撃を受けたのは彼の体からだと気づければもう少し何とか出来たのかもしれない。

 

彼に守られた――その事実だけが、私の胸には刺になった。

私を守らなければ、彼は怪我をしなかったのに。

 

 

 

「……すぅ……すぅ………」

 

「ふむ。何事かと思ってきてみれば、よくこんな無茶をしたものだ。まぁ、久しぶりの休息としては十分だろう。全くあれほど安静にしていろと言ったのに……ただでさえ血が関わるような厄介ごとに巻き込まれるのになあ。ほんと善意の塊が聞いて呆れる。元も子もないぞ、それで命を落としては……」

 

医者とは思えない罵倒の嵐、それは目の前で眠る誠に向けられたものだ。

先生は愉快に笑いながら、全てを吹き飛ばす。

 

「ちょっと慎吾先生、不謹慎です」

 

「何を言っている。この程度で誠君が死ぬはずがなかろう」

 

「で、でも、子供だし、ほんとに危険で……」

 

「なに、体は十分に成熟している。このまま夜伽に身を任せても大丈夫な歳だが?」

 

「確かにそれはそうですけど……ってそうじゃないです!」

 

言い争っているのは、美和さんと慎吾先生の二人だ。

声を荒らげる美和さんは本当に誠のことを心配しているのが伺えるけど、対して慎吾先生の方はお気楽に冗談まで言ってしまう始末。

きっと、場を和ませようと彼なりの配慮のつもりなのだろうけど、今は冗談ですら私たちには刺になる。

彼を貫いたのは直径5cmの木の破片、しかしそれは断片であって全長は測れない。どんな大きさだったのかも、想像するだけで恐怖に足が竦んだ。

 

私はあの時、何も、何もできなかった。

あそこで美空が来てくれなければ、誠は出血多量で死んでしまっていただろう。

 

 

「まぁ何はともあれ安静第1だな。鎮痛剤と塗り薬くらいは置いておくから、美和くんは頑張りたまえ。あっ、どうせならチサキ君の治療の練習も兼ねてやってみてはどうだ」

 

「ちょ、そんなこと……!」

 

「素人がやるよりはマシだろう。急所から外れてるにしろ起きるには数日時間がかかるが……まぁ、今ここでくたばるような子供じゃないさ」

 

正論であるがために言い返せない。けど、本当の看護師である美和さんがそれをすれば解決だとは、誰も言わない。

冗談だ、と笑いながら慎吾先生は立ち上がり、帰り支度を終えて何も言わずに外へ出て行った。

 

重たい空気が沈黙をさらに重くさせ、他の皆は一様に口を閉ざす。

誰も、私に何も聞かない。

美空に言われたのだろうか?

そんな中、一人だけ立ち上がり、同じようにして笑い飛ばすように光が口を開いた。

 

「あー、うじうじしても仕方ねえだろ。意図的に急所からずらしたのもすごいと思うぜ。だから、余裕ぶっこいてるこいつが死ぬはずねえって」

 

慎吾先生の話では、急所だけは全て外されていたらしい。それを意図したのかは誰にもわからない。でも、誠ならそうするとみんな思っているはずだ。

 

「あーもう! そんな葬式みてえな雰囲気出してるとほんとに起きねえかも知んねえだろうが!」

 

光へと視線が集中する。思わず言ってしまったと、光は口を閉ざした。この空気で冗談など言えない、まして『死ぬ』など不謹慎にも程があった。

 

「光」

 

「うっ……お前だってこいつが死ぬなんて考えてねぇだろ」

 

「……うん、私だってそう信じたいよ。でも、脳は理解しても心はわかってくれないんだよ。私はもう、その気持ちは知っているから」

 

悲しそうな瞳のチサキさんが光を諌め、何かを思い出すようにして目を閉じた。

――地上に一人残されたチサキさん、彼女が独りになって思ったことはなんだろうか。きっと、今のような言葉では安心できないような不安なのだろう。

光がガシガシと頭を掻き乱し、一唸りすると行き場のない感情を見せながら部屋を出ていく。

そんな中、お母さんが締めるように切り出す。

 

「はい、やめやめこんな話。私達ができることは誠君を見守ることだけなんだから。それにこんなに大勢で囲まれていても安心して休めないよ。だから、美和さんとチサキちゃんに美空ちゃん、……と、美海以外撤収」

 

お母さんはそれ以上は何も言わずに晃を抱えて部屋を出ていく。

また、1人、2人と続いて消える。

そして、残ったのは呼ばれた4人だけで誠の周りに鎮座している形が出来上がった。

 

「……それじゃあ、皆さんの布団を敷きましょうか。でも少しだけ狭いですね」

 

提案したのは美空であり、善意なのだろう。何時でも何かできるようにと思ったが、少しだけこの部屋は狭すぎた。

――無言で頷きあうとチサキさんと美和さんが誠を抱えて部屋を出ていく。

私は、自分の部屋を提案したのだった。

 

 

 

□■□

 

 

 

暗闇が視界を遮る。そこには何も無い『無』だけが広がっている。開けても閉じても、全ては虚無だ。

僅かだが身体に感覚が戻ってくる。何かに浮いてるような感覚がして、次にはそれが液体ということがわかり、冷たい海水のようなものだともわかった。

 

「……俺は――いや、当然のバツか」

 

人間諦めが肝心だ。例え、あそこに戻りたくとも、戻ったところで何も出来ない。あれだけ彼女の気持ちを無碍にして遠ざけたのだ、いまさら“あの姿がまた見たい”“一緒にいたい”など不可能だ。

 

 

――そんなことないよ

 

 

誰かが呟く。囁かれたような声だ。女性の声は知っている誰かに似ていて、聞いていて気持ちのいいものだ。

答えるようにして、俺は諦めの言葉を口にした。

 

 

「俺は――死んだ方がいいんだよ。チサキも美和さんも美空も美海も、沢山の人に好かれながら……答えられないんだ」

 

――それはなんで?

 

「だってさ、怖いんだ。もし答えてしまったら、皆は俺から離れていくんじゃないかって思ってさ」

 

――気にしてもらえることが嬉しいの?

 

「……そうなのかもしれない」

 

――でも、美海が好きなんでしょ?

 

「あぁ、そうだけど……たぶん、そう。俺は兄妹でもあんなに想ってくれる美空も手放せないんだ。それに、チサキや美空が哀しむのも見たくない」

 

――だから、誰にも応えないって?

 

「うん」

 

――どっちにしろ、残酷だよ。その応えは。

 

「わかってる。だから、ここで死んでも、それが一番いいと思っていることが自分のエゴだということも」

 

 

 

 

 

つんつん。

不意に後ろから肩を叩かれる。反射的に振り返り、いきなり両頬からバシンと音が鳴った。

 

「ダメだよまだこっちにきちゃ。それは逃げているだけ。まだまだ若いんだから、命を無駄にしちゃダメ」

 

両頬からじんじんとした痛みが走り、その上に手を載せると彼女は――ミヲリさんは怒った顔で、しっかりと俺の目を見つめる。

いつの間にか地面に降り立っている。周りは水、海の底で景色は統一された。

 

「ねぇ、君は哀しませたくないって言ったけど、君は君が死んだ後のことを考えてる? ホントは何も考えたくないだけじゃない?」

 

そして、垂れる説教に若干押されて俺は何も言えなくなる。確かに哀しむかもしれないが、死ぬのが早いか遅いかだけの話だ。

 

「――ほんとにそう思う?」

 

諭すように彼女は続ける。

 

「もう、素直になってもいいんじゃないかな。君が欲しかったのは何? 君はどうしたいの? 君は美海と美空に同じ思いを背負わせて、チサキちゃんを苦しませて、君が本当に欲しかったものは……こんな結末なの?」

 

ふわりと抱き寄せられると死者の感覚はなく温かい人の温度が伝わってきた。

 

「今度こそちゃんと生きて。君はまだまだ沢山のやることがあるんだから。私は君が何を選んでも文句は言わない。近親相姦でも何でもすればいいよ。それが悪いとは言わないし、それも一つの答えだから。もちろん、美海と結ばれることも全然OKだよ」

 

「……俺は、あなたを見殺しにしました」

 

「違うよ、君は必死に頑張って助けようとした。君の中の葛藤は、積み重ねた迷いは、君自身の責任感の重さからくるものだから、君は悪くない。あの時は至さんでも私を助けられなかったんだから」

 

 

――思い詰めないで。それが君の悪いところだよ。

それから昔話をし、それを最後に、映像は途切れた。

 

 

 

□■□

 

 

 

皆寝静まった夜、5人で入った部屋は寝息がいくつも響いている。深夜二時、まだ中途半端な時間に起きてしまったと時計を見るも妙に気になってしまう。

なにか、動いたような気がした。配置は誠は私がいつもつかうベッド一段目に寝ており、私は二段目、それが見える位置に布団を敷いて3人が寝ている。まるで、美空達は長い間一緒に過ごした、本当の家族に見えた。

そう、その3人は今だに寝ている。だから動く人間などいないわけで私は何を感じて目覚めたのか。

 

もしかしたら、誠が寝返りを打ったのかと下を覗き込み、一瞬目を疑ってしまう。

 

「……ぁ」

 

――いない。誠が忽然と消えた。

まるで、突然の別れのように消えた彼は何処へと消えたのか。起きたのかと、気になるも声は出ない。

ベッドからゆっくりと降り何度も確かめたが、眠っているはずの誠は姿形がなく、転げ落ちたわけでもない。

 

 

 

ガラガラ……ガラガラァ。

戸を開け閉める音が何処かで聞こえた。

 

 

 

寝ている美空、美和さん、チサキさんには声をかけずに私はこっそりと部屋を抜け出した。全員で探せばいいのだけど、大事にすれば誠は大袈裟だと笑うだろう、そんな気がして私は廊下を進む。

――そして、見つけた。彼は庭と海が見える縁側で足を伸ばして、海を見ていた。その視線はふらりと揺らぐとこちらへと向けられる。

 

「……無事か」

 

「無事だよ。……みんな、心配したんだからね」

 

生死の境をさまよったというのに平然とそう言いのける誠に安心感を覚え、震える声で言いながら隣に座る。いつもの彼なら少し間を開けるだろうけど、間を開けることなく一瞥するとまた海に視線を戻す。

そうか、と呟く彼の独り言は虚空に消えた。

 

そして、話しかけてくることはないと思っていた誠が唐突に呟くように言った。

 

 

 

「……ミヲリさんが死んだ時のことを覚えてるか?」

 

普段なら、絶対に話題にはしない。私の死んだお母さんの話は昔から、忘れなくとも誠の心にはあったのだろう。

私の顔はどんな表情なのか、誠は私の顔をチラリと見てから伏せた。

 

「いや、聞いて悪かった」

 

「ううん、大丈夫」

 

少しの空白が二人の間に広がる。優しく見守る月を見ながら、私は一度目を閉じ、また開く。

 

「覚えてるよ。何もかも。誠が助けようとしてくれたことだって、お母さんが笑ってた理由だって、今ならなんとなくわかる。私は何もできなかった。でも、誠は必死に助けようとしてくれてた」

 

「……死んじゃ元も子もないぞ」

 

「やらないのと同じって言いたいんでしょ? 違うよ、できなかったのは私もだもん。だから、誠が気に病む必要はないよ」

 

お母さんの死因、それは病によるものだ。なんという病状かは忘れたどころか理解出来ていないけど、あの日、入院をやめて家で死んだのはお母さん自身の願いだ。

入院をやめたのは、助からないからだろう。だからせめて好きな場所で死にたいと願った。

そして、その日は訪れて、お母さんは旅立ち――誠が救急車を呼んだことも無駄に終わった。

誰にも覆せなかった。お父さんがいても、それは変わらず運命として受け入れるしかない。それでも誠は側にいて何もできなかった自分を悔いているのだろう。

悔いはない、それは嘘になる。私も泣く事しかできずただ呆然と死を見た。目の前で電話をかけたり蘇生をする誠とは違い泣くことしかできない子供の私、それが私の唯一の心残りだ。

 

二人で海を見て、またお互いに違うお母さんの姿を思い出す。同じ人物であれど、印象深いのはどうしても笑っている時の優しい顔、怒っている時の顔、死んだ時の安らかな顔はない。

誠は深呼吸をすると、また切り出した。

 

「俺さ、死にかけて夢の中をさまよっている時にミヲリさんに会ったんだ。相変わらず優しくて、どうしても勝てる気がしなかったよ。そんで説教されてさ。どうして俺は生きてるのか、生きなきゃいけないのか、再確認させられた」

 

「お母さんに?」

 

「あぁ、ミヲリさんだって生きたかったんだ。だから、ある命を粗末にするなって……本当はミヲリさん自身が美海の成長を見ていたいはずなのに、な」

 

悲しげに呟く言葉は夜の闇に消えていく。

確かに、死にたくて死んだわけじゃない人にとっては命を粗末にされては腹立たしいだろう。

彼が、脈絡のない言葉を、私の一番聞きたかった言葉を紡ぐ。

 

 

 

「……美海、好きだよ」

 

「…えっ?」

 

唐突に訪れた告白に私は振り返り誠を見る。しかし、彼は月を見て海を見て顔を隠していた。

――さっきのは幻聴かな? と、思い少しだけ彼に近寄ると暗闇でもわかるくらい顔は赤くなっていた。

 

「もし君が俺をまだ好きなら、男として好きなら、――してくれ。もし嫌いなら……一緒にはいられないというのなら、目を瞑るから黙って消えて欲しい」

 

彼は私の返事を聞かずに目を瞑り、ぴくりとも動かなくなる。緊張して肩がこわばっているのがわかった。もしかしたら、痛みでそうなっているだけかもしれないけど、誠でも緊張するんだなと、少しだけ意外に思った。

迷わず私は誠の投げ出している足の上を跨ぎ、跨るようにして迫る。一呼吸し、バクバクと破裂寸前の心臓の鼓動を抑えながら、近い顔に顔が熱くなる。

ゆっくりと近くなる顔に私自身もどんな表情をしているかわからない、そしてそのまま彼の唇に私の唇を合わせてキスをした。




アニメでは美海からの告白だ。なら…これもいけるよね!と血迷った結果、こういう結ばれ方をしました。
回復力と流血沙汰に異常に愛されている誠は羨ましいのか残念なのか、我なら美海ちゃんのために命を捨てることも厭わん!……冗談ですよ、たぶん。

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