凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

53 / 78
何故か美海の乗り越える壁のハードルが高くなるお話


第五十二話 夢か現か

 

 

 

試着室の中で私は考える。あの言葉の意味を、私に触れようとした男に殴りかかる前の誠の言葉を。

『触るな』

小さく漏れた言葉にドキリと胸は高鳴り、心臓は早鐘を打ったように鼓動を繰り返していく。その時まで聞こえなかった心臓の音はトクトクと耳に響いた。

誠は私のことを嫌いになったんじゃ……なかったんだ。

安心? 安堵? 言いようのない嬉しさが胸のうちからこみ上げてくると、幸せな気分になった。

彼が殴られたのを見ると頭に血が上ったものの、冷静さを失った頭は不思議と落ち着いた。

 

「ふふ、早く着替えなきゃ」

 

ここに入る前に美空に渡された下着を手にしているけど、誠に見られるのは恥ずかしくても、今なら素直にこの体を見せることが出来る。

幸せ過ぎて正常な判断ができなかったと言えばそうなのかもしれないけど。

下着姿なんて一度見られているんだし、誠と仲良くなれる機会なら、そう楽観視していた。

 

服を脱いで、下着姿になると、それも脱いで美空が持ってきた可愛らしい下着に着替える。何でも誠の好みに合わせたらしく、色は淡く綺麗だ。ニーソは脱ぐ必要もなく、なんだか体全体がすーすーしたような感覚、足だけが何かに守られた感覚に妙な気分を味わいながら、先に下を穿いて自分の姿を確認した。

 

我ながら奇妙な格好だ。下着にニーソなんて変だと自分でも思う。

そうして鏡を見ながら上もつけようとした所で――

美空と誠の声にドキリとした瞬間、カーテンが揺れた。

 

飛び出してくる何かに押し倒され、振り向きかけていた私は仰向けに倒れる。

むにゅ…。

誰かの手が私の胸を掴んだ。

ビクリ、と体が跳ねる。

むにゅ…もみゅに…。

さらに胸が揉みしだかれ、ついつい、漏れでる声が我慢できずに口から吐息が吐かれる。

 

「…あっ、んん……♡」

 

黒と白の視界。混濁する世界。刺激が脳に電撃のように走り何も考えられなくなった。

視覚も聴覚も、一心に求めているのは刺激に変わっていく。その人の手はひんやりしていて気持ち良く、痛くもなかった。

 

ふと、動いていた手が止まり脳内に溶け込んできていた麻酔が溶ける、とそこには……誠が、いた。

じゃあ私の胸を揉んでいたのは誠?

さっきの触られた感触が、残っている――……。

理解した途端、熱い脳がさらに熱く火照っていく。軽く熱暴走を起こしそうなくらい、私の頭は熱を帯びて。

パニックになった私は叫ぼうとして、誠に口を塞がれてしまう。

僅か数センチの距離――きっとこのままえっちなことをされるんだろうかと、不安と言いようのない期待が高まった。

私の体を見つめる誠。見つめている事を取り繕う理由でもなく、彼は私の体を年頃の男子のような目で見ていた。

そして、彼が何もせずに立って出て行こうとする。

恥ずかしかった。けれど、気がつけば裸を見られ胸を揉まれたせいか羞恥心は薄れ、彼のズボンの裾を掴んでいた。

 

「誠なら……いいよ」

 

もし、それで私に触れて、振り向いてくれるのなら。

彼の気持ちを少しでも、悩みも、溜めていることも欠片でも零してくれるのなら。

気がつけばそう口にして、顔を赤らめている始末。

また、私を……今度は哀しそうに見つめた。

一瞬だけ、昔の優しい顔になって、またすぐに静かな海のような無表情。

 

一緒だ。誠に初めて逢った時と――

 

若干の誤差はあるものの私にはそう感じられ、今の誠は逃がしてはいけないと思った。

昔の私は、行動で示すタイプだったけど。

誠は、誰にも何も打ち明けないタイプ。

でも、わかる。昔と全く違わない想いを胸に、私が得ていた感情と同種のものを抱えてるって。

 

『人は自分の事をわかって欲しい人と、そうじゃない人がいる。でも、そんな事関係なく想いを直接伝えなければ、ぶつからなければ、きっとどっちも解らずじまいだよ』

 

昔、誠はそう言った。今ならわかる気がする。昔はただ誠の話だから聞いていたけど、それは誠自身が望んだこと。

光達のことを指しているようで、本当は自分の事も指していて。

誠のいう言葉は説教に聞こえて、実は開けてみたら何のこともない自嘲でした。

自分でも思うところに蓋をして、自分ではないと言いながら求めていたのかも知れない。

そんな話ばかりしていたのは、きっと誰かに聞いて欲しいと心のどこかで想っているからなんだ。

 

 

「ねぇ、誠。私ね、誠のこと好きだよ」

 

自分に素直になれなければ、誠には一生届かない。強引にでもそうしないと、きっと誠は自分を否定し続ける。

告白されても、それは――一時の感情に流されているに過ぎない。

俺は何もしちゃいない。

君の思っているような人間じゃない。

他にもいる、そんなやつは。

君に……俺は不相応だ。

こうやって何度でも否定し続けるんだ。俺は君が思っているほど優しくないとか。

立派な人間じゃない、って。

 

 

「……美海は何か勘違いしてる。俺は好かれるような人間じゃない。一緒に居過ぎただけだ。勘違いだよ、“兄”として好きなだけだろう」

 

ほら、こう言って自分に向けられた好意を否定する。

立ち去ろうとする誠は、強引にも私の手を振り払い、それでも私は誠を掴もうとして外に。

 

「待って……!」

 

「そのまま外に出るな。裸見られるぞ」

 

「――ッ!?」

 

忘れていた。私は上半身裸で、下半身は半裸に近い。

慌てて引っ込むも、誠は離れていく。

私は追いかけることが出来ず、まだ治まらない胸の高鳴りを必死に抑え、壁に背を預けた。壁の冷たさが心地よくて剥き出しの背中には染みる。

 

目を瞑ってさっきの誠の顔を思い出す。

告白された時――顔を赤くして、哀しそうな瞳で、泣きそうな顔で。可愛かった。

私の胸を揉んだ時の顔も気づけば、彼は複雑な顔で動揺していた。珍しい。

思えば初めて顔を赤くする誠を見たかもしれない。

 

 

 

□■□

 

 

 

目の前には美空と手を繋いでいる誠がいる。美空は楽しそうに、嬉しそうに誠の手を引いて寄り添う様に歩いていた。

結局、あれから誠には話しかけられていない。話しかけようにも私の意気地がないせいか、他の人がいると緊張してしまって何も出来ない。

 

「あっ、見てみてこれ綺麗!」

 

浴衣専門店――店先に展示してある浴衣を見て、美和さんがはしゃいで行ってしまう。子供のような大人に誠は微笑みながら、ついていく。

自動ドアのない開放的な入口から入り、中を見渡す。店員が二人にカップルが数組と人は疎らで外とは違い静けさがある。和風の店の静けさが妙に心地よかった。

 

「ねぇ誠君、これなんてどうかな」

 

男物の浴衣を手に美和さんが誠に広げてみせる。

 

「どうかな、って……まさか俺が着るんですか」

 

「そうだよ。誠君のを私たちが選んで、私達のは誠君に選んでもらうの」

 

「俺はパーカーでいいです」

 

「ダメだよ。それじゃあ、お祭りが可哀想だよ」

 

「そうですね。兄さんが浴衣を着ないと私たちだけ魅せ損ですし、見るんなら着てください」

 

「なにそれ、逃げ道ないだろ(自分から見せてくるんだもんなぁ)」

 

「えへへ、やっぱり兄さんに見られるなら可愛くいたいじゃないですか♪」

 

美空は笑顔でこちらを見てそう言う。きっと私に話を振ってくれたのだろうけど、どうすればいいのか。

私自身、それを肯定するのは恥ずかしい。いやさっき着替えの時とは違う意味で発展した裸を見られたから恥ずかしいなんて言ってられないけど、意識するとやっぱり緊張してしまって。

 

「そう、だね……」

 

俯いてそう返すしかない。

でも、私は勇気を振り絞って言う。

 

「誠に選んで欲しい」

 

若干、誠の視線が怖くて顔は伏せたまま、やっぱり気になってチラチラと見てしまう。

彼は――顔が少し赤くなって、何かを思い出したように顔を逸らす。

私の裸……うぅ、揉まれたんだ誠に。

きっと誠は思い出して顔が赤くなったんだ。私自身そこまで嫌というか、寧ろ嫌悪感なんてないわけで。

 

「兄さん、美海ちゃんの分も今度はちゃんと選んでくださいね。あんな私に押し付けるのではなく」

 

「……誰のせいかな?」

 

「それは兄さんが着替え中の美海ちゃんの入っている試着室に押し入ったり、押し倒して胸を揉みし抱いたり、そんな私にもしてくれないようなことをしてるのが悪いんです」

 

わざとらしく大きな声でいう美空に誠は頭を抱えてため息をついた。結局、彼は選んでくれたんだ。美空経由だったけど色も形も選ばれた下着、それを美空に渡して試着室にいる私に……何故かサイズがぴったりだったけど。

 

「ねぇ誠君、それはどういうことかな」

 

「うん。答えて、誠」

 

「……あれ?」

 

ぎゅむっと両脇をつかまれる誠、抵抗はなく顔には僅かな汗が流れていた。

 

「ねぇ誠君、私なら……最後までいいんだよ。流石に中学生にするのは……ね?」

 

「ほら、誠って見た目高校生に見えなくもないし」

 

「……俺の場合、犯罪一歩手前なんですね」

 

「うん。中学生を高校生が襲う構図は犯罪臭いかなって」

 

「俺は中学生なんですが」

 

「心は20歳だもん」

 

講義するが誠の言葉は簡単に折られて、美和さんとチサキさんにズルズルと引き摺られていく。その後を文香さんが心配そうに見つめ、追っていった。

彼女は話し相手が美和さんとチサキさんくらいしかいなくて仕方ないのかもしれない。若干、光を避けたようにも見えたけど。

 

そうして、30分くらいの時間がサユと過ごしているうちに流れ、光にからかわれ、経ってしまう。帰ってきた美和さんとチサキさんの手には買ったであろう浴衣が、大事そうに握られていた。

 

「次は私と美海ちゃんの番ですね。あっ、サユちゃんも選んでもらいます?」

 

「何であたしがタコ助二号に……」

 

「兄さんなら、要さんの好みを知っているかも知れませんよ」

 

その刃は唐突にサユの急所を突く。『一生一人で生きていく!』なんて豪語していたサユも即座に返事を返せずに戸惑う。

しかし――

 

「……いらないよ」

 

サユは落ち込んだような表情で、そう呟くと遠くに歩いて行ってしまった。

その気持ちはわかる。例えわかっていても、本人に選んでもらった方が嬉しいに決まってる。美空には悪気はないのだろうけど、少しいじわるだった気もする。

 

「残念ですね、兄さんの予測ならもうそろそろ要さんも起きてくる筈だと言ってましたのに」

 

そして、美空はそう私に同意を求めるように言った。

 

「……それを言ってあげれば良かったんじゃないの?」

 

「いえ、兄さん曰く予想、推測に過ぎない希望を他人に持たせてもそれが本当に起きなければ悲しむだけ。そう言ってましたし、私もそんな事サユちゃんには教えられません」

 

確かに、誠は無責任なことを言わない。誠の推測などは殆ど当たる事実に近いものだけど……美空もやっぱり誠の妹なんだ。

美空も昔から無責任なことは言わなかった。ううん、喋らないだけだったのかも知れないけど。

私にはない、絆があるような気がして、すごく羨ましい。

 

 

 

「美空、余計なこと喋るな」

 

と、誠が自分から話しかけてきた。さっきまで私がいると近づいてこなかったのに。それほど口止めが必要な事だったのだろうか。

 

「それより、選んで欲しいのなら早くしろ」

 

どちらに向けて言った言葉なのか――はたまた、二人に向けて言った言葉なのか。誠は顔をそらしながら言う。

美空は意を汲み取ったのか――

 

「別に大丈夫ですよ。夜になってもご飯を食べていくと連絡を取ればいいだけですし」

 

と、名案です!と言わんばかりに主張してくる。

 

「そういう問題じゃない。夜道は危険だぞ」

 

「光さんもいるんですから……というか、光さんだけで心配なら兄さんが送ればいいじゃないですか」

 

「あのな。サユはどうする。それに文香さんもいるんだぞ」

 

「兄さんのことだから一人一人送ってくれるんじゃないですか」

 

「……」

 

否定できない誠は口を紡ぐと黙ってしまった。沈黙は肯定と言うけれど、今の誠は優しすぎるためにそうするんだろう。昔から、少し過剰すぎるのだから。

 

とはいえ、そこまで遅くなるとも思えない。これが終わればあとは誠の制服と光の制服を買うだけ。十分に7時までには帰れる筈だ。

 

「もういい、口論するだけ時間の無駄だ。早く選ぶぞ」

 

そう言って、誠は私達二人の手を握り引っ張っていく。美空は嬉しそうにとことことついて行った。私も多少引き摺られていくようにしてついていく。まるで昔のようで懐かしくて嬉しかった。

 

そうして連れられて来たのは、多くのマネキンに飾られる浴衣の前でいろんな柄のものが目を惹く。

赤、黒、青、黄、緑に藍とそれに合わせた花や雪の柄が織り込まれた浴衣。

 

「おや、お客様今日はどのようなものをお探しに?」

 

見蕩れていると、若いお姉さん店員が話しかけてきた。年は二十代前半だろうか。

それに、美空が本当に嬉しそうに答える。

 

「ふふ、兄さんが私の浴衣を選んでくれるんです♪」

 

「そうですか、ではそちらも?」

 

姉妹には見えないだろう私に店員は首を傾げた。

それに、美空は本当に微笑む程度の笑みで、

 

「あ。そっちは兄さんの彼女さんです」

 

面白そうに様子を伺いながら言う。

バッと美空を見た誠は声にだそうにも出せない。ここで否定しても空気が悪くなるだけと判断したのか、何か言いたそうにするも押し黙った。

私はとても恥ずかしいの半分と、誠が否定しなかったこと半分、さらには誠がなんで否定しなかったかの疑問半分に心臓はドクドクと鼓動を続ける。

 

「ふふ、両手に花ですねお兄さん」

 

「いや、可愛すぎて困りますよ」

 

「惚気ですか」

 

「そうですね、妹は誰にもやりません。もし欲しいのなら、俺を倒してから、ですね」

 

店員と誠の会話は続いていく。社交的な交流に美空はなんだか上機嫌で鼻歌混じりに彼の手を握り直した。

自然な感じで話を浴衣に切り替える誠。女性店員に最近のオススメなどを聞き出していく。それに答え浴衣の生地を広げて見せて、店員は……私の視線に気づく。

近くにありながら、ポツリと寂しそうに佇む浴衣、それは女性店員が頑なに紹介しようとしていない浴衣だ。綺麗なのにそれは置物みたいに置かれている。

 

「……あ、これですか?」

 

「はい、それ……どうして紹介しようとしていないの? 綺麗なのに」

 

「それはですね、えっと……」

 

なにか言いずらそうに店員は口篭る。視線はチラチラと誠を見て、なんだか落ち着かない。確かに誠は珍しいのかも知れない。海の人は海と共に眠りにつき、今じゃ絶滅危惧種のような扱いで見ることは無い。

五年前――彼らが望み眠った時から、少なくとも報道陣は異常気象と共に報道してきた。

彼が海の人か、気になっているんだろう。

 

「失礼ですが、お兄さんは海の人ですか?」

 

「……? はい、そうですが」

 

「えっ、でも……妹さんって」

 

「あぁ、海と陸のハーフですよ」

 

「え、じゃあお兄さんは」

 

「純粋な海の子、です」

 

女性店員は察すると申し訳なさそうに頭を下げる。誠は両親ともに海の人、美空は片や“海”“陸”の私と同じ瞳はグラデーションを持っている。

それがどう意味か、わかったんだ。

その空気を察して、誠はヘラヘラと笑う。

 

「まぁ、俺も目覚めたばかりですけど、正直こんな可愛い妹ができて嬉しいですよ」

 

「目覚めたばかり……。そうですね、フフッ♪ お兄さんって意外にゲンキンな人ですね」

 

女性店員は敢えて触れないで、誠の発言に同意した。

改めて、仕事に戻る女性店員。

 

「――さて、海の人がいるなら説明しやすいですね。こちらの浴衣は本当は“海の人”をモデルに作られたものなんですが、ほらお兄さん、少し手を貸していただけますか?」

 

無言で手を差し出す誠はわかったようだ。

手を浴衣に翳し――――浴衣が僅かに発光する。まるで海の揺らぎのように淡い青の光、それが優しく光る。水色の生地に輝く雪の結晶の柄はなんとも神秘的だった。

 

「――このように、海の人が着ればエナに反応して発光してくれます。まぁ、海の人が今は眠っているせいで売れ筋は良くありませんけど、これを作られた方のデザインが評判なんですよ。陸用を一切作ろうとしませんが」

 

昔、お母さんの着た衣装と同じ構造。お船引の日に着飾る姿がとても綺麗で私も着てみたいと思った。でも、私にはないエナが、非常にもどかしくて……。

きっと、これを作った人は海に思い入れがある人なんだろう。恋人が海の人。本人が海の人。色々と思いつくけどその予想は遠くも近くもない。

でも、だからこそ海の人用以外に作らない。

デザインはすごく綺麗だ。

 

「……私、これにする」

 

「えっと……よろしいのですか?」

 

「うん。これがいい」

 

美空と誠は不思議そうに私を見た。止めるようなことは言わずにただ見るだけ見て、逸らす。私の意思が本物だと知ったのだろう誠は、茶化しもしないし笑わないし、見守るような瞳で悲しげな色を灯した。

……元から彼は茶化したりしない性格だけど。その哀しそうな瞳が私の胸に刻まれる。

 

「じゃあ、私はこっちの桜にしましょう」

 

同じ種類の浴衣を手に取り、美空は広げて見せて誠に感想を問う。

夜のような闇色に咲く桜の花、少し大人っぽいのが美空に似合っている。きっとどっちを着ても似合っているだろうと、そう思えば嫉妬してしまう。

 

採寸、試着、そしてちょうど置いてあったピッタリなサイズの浴衣を手に私達は店を出た。

 

 

 

□■□

 

 

 

「なんでそんなもん買ったんだよ」

 

「いいでしょ別に、可愛かったんだから」

 

口論を光としながら街を歩く。さっきからずっとこれだ。私が買ったものを気にしたかと思うと、文句を言ってくる。他人の買い物に口出ししないで欲しい。

そうして口論をしていると、目的地に到着する。

戸田制服店――汐鹿生から鷲大師、さらには都会の中学校の制服まで何でも作るらしい。学生服をオーダーメイドで注文できる数少ない、私もお世話になった店だ。

 

ガランっと音を立てて扉を開ける。上についた小さなベルが落ち着く音色をきかせると、そこは色とりどりの生地が姿を現し、店主が1人顔を覗かせた。珍しい客に眼鏡をかけ直してこちらに向き直る。

 

「いらっしゃい」

 

愛想の良さそうな顔の店主に美和さんが近づき、遠慮がちに遠くに立つ、今にも逃げ出しそうな二人を見て。

――その義兄の隣に立ち、腕を取ることで逃げることを防ぐ美空。

ここに来るまで、誠は遠慮しっぱなしだった。家族の壁とでも言うのか、小さな日々を過ごしただけでは心の距離は埋められない。関係も、距離も、家族という定義すら揺らいでいる彼にとっては充分過ぎる“壁”の要因だ。

例えば、『家族が増えた』なんて言われて新しい家族を家に連れてこられたらどうだろうか。いくら誠がそれを理解しても、心まではすぐに順応することは出来ない。

 

私だって、最初はそうだったのだから。

 

「――ふむ、鷲大師の制服ですか……」

 

店主が二人を見比べる。まずは採寸をと、二人に協力を申し込んだ。

 

「さて、ここはママとチサキさんに任せて私達は外に行きましょう」

 

それを見計らい、美空が私の手を引っ張る。

私自身も、言いたいことは沢山ある。

外に出て、美空とサユと一緒に外の寒い空気に晒される。寒空の下――私は、美空に問う。

 

「美空、なんで今日はあんなことしたの?」

 

あんなこと。若干、思い出して顔と胸が熱くなるも抑えて答えを待つ。

嫌いな相手だったら、激怒していた事だろう。だけど目的が薄らと理解している故に怒れない。

それに美空は笑顔で答えた。

 

「ふふ、お気に召しませんでしたか? でも、美海ちゃんにとっては良かったんじゃないですか。兄さんに告白できましたし、兄さんの普段は見れない反応を見れたんですから」

 

私では見れなかった。と、寂しげに美空は俯き零した。

彼は――他の人の告白では、あんなに顔を赤くすることはなかったらしい。

それを言っている美空の表情はどこか切なそうに、瞳を潤ませていく。

義兄に拒絶されているようで哀しい。

私では、伴侶に成り得ない。

そんな過酷な現実が美空を滅多うちにしていた。心の暴力が彼女の心に残る傷をつけ、誠の無反応が彼女を蔑む。彼女は知る前から兄を好きであり、知らないからこそ恋をしてしまった。

それを口で告げる。

 

「美海ちゃんは恵まれてますよ。私のように血は繋がらず、兄さんには拒絶されることは無い。兄さんは少なくとも理性的な判断が下せる人ですから、きっと私には何もしてくれないでしょう。私は――こんな世界が憎いです」

 

欲望を泣きそうな顔で吐き出す。それは――彼女が望んだ数少ない願望であり、理想。自分の体に起こっている理不尽に対する、怒りだ。

 

「兄さんは美海ちゃんを押し倒しました。胸を揉みし抱いたり、告白に顔を赤らめたり……。どうして私は兄さんに手を出して貰えないのでしょうか。どうして私は兄さんに女性としての愛を貰うことをできないのでしょうか」

 

自問するようにして私に視線を向け、サユにも視線を向けて答えを待つ。

そして、わかっていたかのように目を逸らす美空。

今日の行動の納得がいく。胸を揉まれることだって美空の願望だ。押し倒されることだって、美空は誠にそう望んでいたのかもしれない。告白も、誠の心を揺らすことも、彼女がしたかったのかも知れない。

 

思考する私達に美空が顔を伏せ、笑った? ――錯覚かもしれない美空の笑みは何だか嫌な予感がする。

そして、私にとっての悲報は告げられた。

 

「だけど、一度だけ。兄さんは一度きりの約束で私と安全な日にシテくれるそうです」

 

「…? シテくれる?」

 

妖艶に薄く笑うと美空は天を仰いだ。サユは意味がわからなかったのか、聞き返す。

何故? どうして? 誠はそんな約束をしたのだろう。

ふと浮かんだ疑問と胸のざわめきに、美空がとどめを刺すように答える。

 

 

思えば、簡単な事だった。

 

――電車の中で兄さんに頼んだ願いです。その時、私は卑怯なことに心は向いてくれなくても、“体”の関係を求めました。それでも拒絶した時に、こう言いました。

――この嫌な感覚は消えません。兄さんが上書きしてくれないと、私は自殺します。

 

「卑怯――そう美海ちゃんが罵ってくれても構いません。早くしないと、兄さんは私のモノになっちゃいますよ」

 

クスリ♪ 悪びれもなくそう笑いかける。

きっとこれは夢だと、私の脳は対応しきれない情報量に熱暴走を起こしていた。




ただで終わらない、デート?
寧ろヒロイン化しているんじゃないかな誠。
でも、このルートは美海グッドエンドに向かってます。
ネタ尽きたんだけどね。

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。