凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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……どうしてこうなった。


第四十九話 鷹白警部

 

 

 

席を立つ誠、泣いている美空、そして泣いている美空を慰める美和さんとチサキさん。

『…私…お尻…触られて…』

抑えようとして抑えられなかった美空の声、あまりにも嫌悪に溢れて……あそこまで笑顔を崩した美空は初めてだった。涙を流し、嗚咽を抑えながら、美和さんとチサキさんになんでもないと気丈に振舞う。

 

誠なら、慰めていただろう。

大丈夫、あいつはいないから。

ほら、おいで――そう言って頭を撫でたり、背中を撫でたりするんだ。優しい声と言葉で威嚇しないように、不安を取り除く言葉で。

 

しかし、それもなしに誠は通路を歩いて前の車両へと消えていく。

私も席から立ち上がり、誠を追いかけた。

次の車両は人が少ない。人も疎らどころか街に行く家族が一組いるだけで、他は見当たらない。

その中に目立つ組み合わせ――誠と先程のサラリーマンらしき男性が向かい合ったまま座っている。

なにやら男性の方は様子がおかしく、挙動不審な上に鞄を大事そうに抱えていた。

 

「――おっさん、お前触ったよな」

 

笑顔で言う誠は表情は笑っていても瞳は一切の柔らかい笑みを持たず、怒り一色が染め上げている。

 

「なんのことだ。君はあれか、私に因縁をつける気か」

 

「惚けんなよ。あいつに触っただろ。いい歳こいてみっともない、中学生に痴漢なんて」

 

「はぁっ!? あれが中学――」

 

男の口が滑ると共に、誠はしてやったりと口角を歪めると同時に怒りを顕にする。

しまったと口を塞ぐが、もう無意味な行動に男は冷や汗を流すも誠の眼光からは逃げられない。

 

「覚えはあるようだな」

 

すると男は突然、開き直ったように堂々としだした。

 

「……だとしたらなんだ。お前はあれか、あの娘の彼氏とかそんなとこか。はっ、中学生如きが……あんなの触ってくださいと言っているようなもんだろ。ミニなんて履いて通路に立っているからだろうが。それともあれだ、君はまだあの娘とそういうことをしてないから嫉妬か? それとも、自分以外の奴が触るのを見ると嫌ってか?」

 

出てくるのは美空を非難したような言葉ばかり。確かに触って欲しいというのは間違っていないだろう……誠にはという限定付きだけど。

ククッと笑う男はまるで罪悪感の欠片も抱いていない。

これじゃあ美空は可愛そうだ。被害者なのに加害者に嗤われる、泣いているのに謝りもしないなんて。

 

私も憤りを覚えている。ギリっと音が電車の音の間に聞こえたかと思うと、誠は右手に小さな紅い雫を垂らしてそれを握り締める。手の合間から小さな赤い川が流れ、車内の床にぽたりと小さなシミを作った。

そうだった。誠はそういう人だ。

美空は大切、そう想っているから血が出るほど手を握り締めて、自分の肉を爪で刺してまで、怒りに身を震わせる。

もし誠が女の子として美空を好きでも、そうじゃなくても今のように怒るんだろう。

誠は私にはわからない理由で我慢をして、殴りたい手を必死に抑えている。

 

「……別に謝ってもらおうなんて思ってない」

 

「ん? じゃあ、何しに来たんだ」

 

何か悪いことをすれば謝るのが普通、そう誠は昔口にしていた。それがどうしてか誠は最初に断りを入れる。

そう思っている間にも誠は周りを見回し、私は慌てて座席に隠れる。

間一髪、誠にバレていないと思う。

私のいた場所も私が隠れている場所も視線は素通りしていった。

そして、誠はポケットから一つの袋を取り出す。白い粉が入った袋は何の袋か、男はそれを見ると慌てだした。

 

「バカしまえ!」

 

「ってことは、この粉がなにか知ってるんだな?」

 

「ああ、知ってる! だから早く――」

 

「そっか。これ、あんたの鞄から落ちたものだぞ」

 

「っ!?」

 

鞄をゴソゴソと慌ただしく漁る男性、だが目的のものは見つかり男性は安堵の溜息を吐く。

それを見計らって、誠は言葉を続けた。

男性が出した鞄の中の粉は誠の持っているものと似ていて白く、男性の目の色は仲間を見るものに変わる。

 

「やっぱあんた服用してたんだな。それで、これは街のどこで手に入る?」

 

「あぁそういうことか。お前も使ってるんだな。ってことはあの娘と散々ヤりまくってるんだろ?」

 

「……まぁ、そうだな。否定はしない。それより答えろ、これはどこで手に入れて顧客は何人いる?」

 

怒りを抑えて誠は肯定した。

美空とそういうことをしたんだ……どこか切ない気持ちに私の目尻は熱くなり、なんとか泣かないようにするも鼻がなんだか緩くなった感覚に泣いているんだと実感する。

わかった、誠は美空が好きなんだ。私なんかより美空の方がスタイルも良くて可愛くて、対して私はスタイルも可愛げもないから……好意すら抱かれない。

変えられない悲惨な現実を叩きつけられた気分に泣き虫な私は目もとを拭う。

もっとよく聞こうと、自然と耳は聞きたくなくても澄んだように音を拾う。

 

「なんだ、あの娘だけじゃ足りないのか? だから同じ薬を服用している子を狙ってるのか? それともあれか、年齢的に年上の方が好みか」

 

「いいや、同じ学校に何人いるか知りたくてな」

 

「なるほど、彼女が心配なのか」

 

「まぁそういうことだ」

 

「ならいい同士として教えてやる」

 

男性は紙とペンを営業用の鞄から取り出すと鞄を下敷きに慣れた手つきでメモしていく。それも喋りながら。

顧客の年齢層、名前、特に女性の名前と年齢は的確に思い出して書いていく。怪しい粉を買える場所も、誠に説明しながら丁寧に教えていた。

今から行く場所にもそういう場所はあるらしい。特に頻繁なのが街と鷲大師の近くの大きな病院、美和さんの働き場所の名前が出てきた。

 

「……っとこれで全部だ。俺の知っている場所はここくらいというか販売はそこだけらしい。なんでもVIPだけが買える数千万する薬もあるそうだが、お前は……知らないよな」

 

ペンをかちりと鳴らし胸ポケットにしまう。紙は誠にすんなり渡すとそれを誠は小さく折り畳んでポケットへ。

私は話の内容が理解できない。どうして誠はこんなことをしてそんな情報を集めているのか…まさか、誠も本当にそんな訳のわからない薬を使っているんじゃ!

でも、誠なら薬の効力くらい理解している筈。なら誠は理解して危険だと知りながら使っているの?

 

思考がまとまらない。私には難しすぎる話で、でも誠が危ない事をしていることだけがわかった。

何にしても『薬』という単語だけでは、男性の焦ったような行動だけが何かを示している。

誠は席から立ち上がると男性に礼を言う。

 

「ありがとうございました。……だけど」

 

さっきまで握ったり離していた拳を強く固く握ると、右足を踏み込み右手で強く振りかぶり、驚く男性の顔面に一発撃ち込むと

 

――――ガンっ!

 

という音と共に男性は崩れ落ちる。

 

「誰もあんたを許すなんて言ってない。別に謝る必要もない。美空の前にその姿をもう晒すなッ」

 

誠は我慢していたのだ。美空を好き勝手に言われて怒らないはずもなく、冷静に何かを引き出すために。

男性は気絶していた。そうであればもとから何も聞こえていない、それでも誠は吐き捨てると立ち去ろうとする。

こちらに向いた瞬間、私は慌てて席に座ってフードを被る。

誠は通路を歩いて行く、それを横目で私は様子を伺い気づかれないことを祈った。私の隠れる座席を通り過ぎようとした時、あっさりと通り過ぎる誠はどうやら私にきづいていないよう。

過ぎ去った後を確認したとき、誠の通った通路には見覚えのない紙切れが折り畳まれた状態で落ちていた。

無意識にも私は誠が落としたのかもしれないと思い拾うがそれは――さっきの男の言っていた情報ではなかった。

 

『これ以上、俺に関わるな』

 

誠からの警告、彼は既に私がいることに気づいていた。それを知っていてあんな話をした、そうなのだろう。

『誰にも言うな』という言葉が込められている。ついてくるなとも言っている。

 

私は打ち拉がれた思いで元の車輌に帰ると誠はまだ通路を歩いており、視線の先には泣いている美空がいた。

まだ泣いてる……

私も触られたりしたら、悔しい思いをするんだろうか。

チサキさんと美和さんが美空を慰めているも効果はなく、いつも元気なサユまでが取り乱して慰めている。

誠はサユを退かせると、美空の隣に座る。そうして力強く優しく抱き締めた。

身を任せる美空、彼女は誠の胸で啜り泣く。

あんまりにも美空が泣き止まないから彼は『なんでもしてやるから』と美空に呟き、彼女はきょとんと聞き返した。

珍しい事らしい。

本当になんでもですか、と聞き返す彼女は泣きながら誠の背中に手を回す。豊満な胸もすらりとした脚も密着させて一瞬だけ私のほうを見る。

 

『ごめんなさい』

 

口を動かし誰にも聞こえない声で、そういった気がした。

否、誰にも聞こえないどころか音すら発していない。つまりこれは口元が読み取れて、なんとなくだけど読み取ってしまった私にしか分からなかっただろう。誠は美空の視線が私に向いたことを気にするも、口元は密着しているせいで見えなかったのか心の中で考えるも彼女には聞かずに放棄した。

美空はそれだけ伝えると、誠の耳元に顔を寄せる。

恥ずかしい事なのか、誰にも聞かれたくないらしい。

美空の願いを聞き、僅かに動揺する誠。

動揺を必死に隠したのか、誠が動じるほどのことを美空は言ったんだと思う。元から誠は大抵のことでは驚かないし動揺もしない。

顔を赤らめて美空は俯くと、彼の背中に回した手をゆっくりと動かし巻き込むようにして腕から肘、力なくした手を握るとそのまま自分の腰へ。

 

そして……――

 

 

「あぅぁッ……!」

 

「ちょっ、ぉまぇら……!」

 

彼女は自分の義兄にキスをした。

腹違いでも血は半分繋がっている。

サユと光はその光景を見て赤面し、目を逸らしながらもしっかりと見ている。

口に対する口付けは小鳥が啄むようなそんなキスで、一瞬のことだけど、私には凄く羨ましく、熱くなる胸を押さえて見ていた。

 

 

 

 

 

電車が駅に停車し、皆して降りる。初めて来たわけではない場所でも、光は何やら珍しそうに周りを見回す。誠は美空と手を繋ぎながらゲートを通ると、見慣れない街に目を細めて立ち尽くす。

 

あれから美空はずっとくっついている。誠自身それは嫌ではないようで、でも楽しそうには見えない。

美和さんとチサキさんは羨ましそうに繋がれた二人の手を見ていた、私もその一人。指同士が絡み合う繋ぎ方、二人の絡み合う指に視線が集中するも、やがて皆はさっきのがあったからなと逸らした。

進み出そうとした一行、その中で誠は美空の手をゆっくりと離して立ち止まる。

 

「すみません、俺は少し用事があるので少しだけ自由行動にしませんか」

 

誠から立ち上げられた提案に美空は不満そうだ。少しだけ彼の服の裾を握ると、彼に頭を撫でられてすぐに戻ると伝えられる。大人しく渋々と引き下がった美空は「約束は絶対ですよ」と言って裾を離した。弱々しい声は相当痴漢に内心ダメージを受けたようで、瞳は兄を離したくないと言っている。

それを見透かしたように、誠は母親に向かってポンと彼女を押し出して手を握らせた。

 

「三十分くらいで終わりますので、集合場所は何処にするのか教えてくれませんか」

 

確かに合流場所を決めなければ、合流するのに一苦労するだろう。でも、誠はそんなのお構いなしにほいほい見つけてくるからいらないだろと光が指摘する。

しかし、ここは5年も見ていない都市。簡単に、それどころか迷いそうなのに、どう見つけるのか。広さは汐鹿生や鷲大師と比べられないくらい広大で、尚且つビルも沢山あり路地にひっそりと佇む店もある。

 

「じゃあ、あのビルでいいんじゃない?」

 

そこで美和さんは一つの大企業のショッピング用のビルを指して言う。

確かに、昔と変わらないビルが佇んでいた。内装は少し変わったけど誠には関係無いだろう。しかも浴衣を買う店としては行くつもりだった。

 

「じゃあ、そこで……それでは」

 

誠は確認すると足早にその場を去っていく。角を消えたところで私は一人胸を押さえた。

違う、ダメ……。

誠を一人にしちゃ、ダメ。

今の彼には危なっかしいというよりも鋭く尖った鋭利な刃物のようなトゲトゲしさがある。何か失いそうで怖がっているような……そう、例えるなら昔の私、いやそれ以上に危ない危険な事をしようとしている。

 

「…行かなきゃ」

 

多分、私は一生後悔するだろう。

誠がもっと離れていくような、そんな寂しい感覚。

 

「私、誠についてく」

 

「ダメだよ美海ちゃん。誠は……」

 

何を知って、何を知らないのか。私には考える余裕さえもなく、チサキさんの制止を聞かずに走り出す。後ろでチサキさんが声を上げるけど、すぐに聞こえなくなる。遠ざかったからじゃない。寧ろ、彼女は知っている。彼がどうして別行動を取ろうとしたのか、美空についてくるか聞かずに去ったのか。

 

誠の路地に消えた曲がり角を曲がり、見えない背中を追い続けた。コンクリートの道は私の足音を響かせて反響させる。

――ぎゅむ

私の靴は少し変わった音を鳴らす。それは元から仕様で作られた靴だ、音が出るのは仕方ない。

しかし、見えない背中は遠くて、見失った誠は探すだけでも一苦労、誠と男性の会話を思い出しながら適当な見当をつけて路地裏を探す。

何度目かの角を曲がった時、その背中は見えた。

 

「…いた」

 

路地裏に消える見覚えのあるパーカー。色も形も朝見た時と変わらず、その背の高さも私の憧れた、焦がれた背中。

 

暗く陽の光が差さない影の路地裏、周りには小さな店が幾つかあるが彼は目も呉れずに目の前の集まる集団に近寄っていく。

明らかにおかしい……

まず目を引いたのは、上半身裸体の男性、歳は16ぐらいかまだ大人になり切れていない雰囲気がある。

――うぅ、は、はだか!

その裸体に目を逸らしつつも、次の人に目を移した。若干顔が熱くなるのは仕方ないよね。私だって見るのは誠の以外久しぶりというか何と言うか、子供の頃にお風呂に一緒に入ったきりだし。

なんとか出そうになった声を手で抑えつつ、今度は色気のあるお姉さん?が目を引いた。彼女は目敏く誠の姿を見つけるとすぐに駆け寄りじゃれつく猫のように猫なで声で彼の腕を取る。

 

男は何人もいるのに誠を選ぶなんて……少しだけイライラする。

 

「あら、お兄さんいい男ね♪ お兄さんもこの薬を買いに来たのかしら」

 

「……そんな格好をしていると痴女だと思われるぞ。とくにそうやってすぐに擦り寄るな、男に喰われても知らないからな」

 

親しげに注意する誠に、お姉さんは顔を赤らめて尚も離さず顔を逸らした。

もしかして、誠の意中の人だろうか。

薄いシャツを肌蹴させて胸元は顕になり、下着はシャツの合間から少し見えている。シャツの上からでも下着の色と形がわかるほどで、なんとも艶めかしいその姿に誠は視線を逸らす。

胸の谷間から目を逸らしたようにも見えた。知り合いなのか違うのか、私の胸うちはどんどん熱くなっていく。

 

「お兄さん、買いにきたんだったら安く売ってあげるよ。でもその代わり……」

 

耳元に顔を寄せる女の人に誠は溜め息をつく。

 

「そんなことを毎日してるのか」

 

「えーお兄さんはト・ク・ベ・ツ♡ それより早くしようよ〜私お兄さんに興奮しちゃった♡」

 

「他にもいるだろ相手が……じゃなくてそんなことはやめろ」

 

相手のペースにのせられかけるが、彼は微動だにせずポンと相手の頭を軽く小突く。

できれば私もして欲しいかも……。

自分のおでこを押さえながら見ていると、なんだろうか少しだけお姉さんの雰囲気が変わる。

 

「む〜、私だって相手を選ぶよ。あんなキモデブなんかとやると凄く痛いし優しくないし、仕方なくヤってあげてるけど。それより、お兄さんはすごく優しそうだし私の好みどストライクだし、いいかなぁ〜って」

 

「そのキモデブって――田部院長のことか」

 

ピクリ、とお姉さん――女性の眉が動く。それを見逃さなかった誠は確信したようにニヤリと笑い、女性の反応を面白そうに見つめる。

女性は顔を青白くさせて、血の気の引いたような顔で恐る恐る誠の顔を見た。

それを見た彼は悪いことをしたな、と少しの罪悪感からか表情に陰りを見せる。

 

「ねえお兄さん、薬もあげるしなんでもするからこのことは黙っててお願い!」

 

まるで懇願し、涙を浮かべる女性は何かを恐れているような顔で誠の服を腕ごと掴む。ついでにずいっと押し付けられた豊満な双丘に誠は一瞬だけの反応を見せると、今度はポンと動くほうの手を彼女の頭に置いた。

 

「……その前に二人だけで話ができる場所が欲しい」

 

「……え? あっ、そうだよね」

 

女性は辺りを見回すと客なのかなんなのか、男女問わずに解散の意を示した。数人の客達、年齢は様々だが十から三十あたりだと思う。

残念そうに帰り支度を始める人達、彼らが振り向いてくることを忘れていて慌てて私は隠れようとした。見回してもあるのはゴミバケツだったり積み上げられたゴミだったりと心許ない。

 

そこで、いきなり口が後ろから伸びた手に塞がれた。

 

――んんッ! んん〜!

 

声にならない声に男達も誠も気づかない。私の口はハンカチで抑えられて、息も苦しい。

 

「安心しなさい。私は警察だ」

 

聞こえたのは男の声、それが本当だとしよう。

誠は……今、この現場を見つかれば捕まってしまうのだろうか。それなら大声で知らせなきゃ。

しかし、私の意思に反して意識だけがどんどん遠のいていく。ゆっくりと来る眠気に身を委ねてしまいたい感覚。私は我慢できずに微睡みの中に旅立った、彼女と腕を組む彼のその姿を最後に。

 

 

 

□■□

 

 

 

「ん……っう、うんぅ……」

 

「おっ、やっと起きたのか」

 

男性の声が目を覚ました私の耳に響いた。まず先に状況を確認する。天井は低くもなく高くもなく、壁は普通の家のようだった。可愛い部屋、第一印象はそれ。女の子の私物らしきものが沢山置いてある。

どうしてここにいるのか、思い出せずにいると男性の顔が視界に入ったことにより急激に脳内を色んな光景が過ぎ去っていく。

目の前の彼は、私を拉致した変態だ!

 

「きゃあ!変態!」

 

「変態!? ちょっと待ってよお嬢ちゃん、だから私は警察だと説明しただろ」

 

言い訳無用、と言う代わりに手元にある何かを投げていく。目覚まし時計、枕、ペン立て、ペンケース、さらには私にかけられていた布団など。

そこで私の手は一旦止まる。確か私が気を失わされたのは路地裏で街で、こんな可愛らしい部屋じゃない。それもオジサンが住むならシンプルであっても清潔感溢れるその部屋は異様だ。

そこで目に入るのは――看護師の制服。

 

「やっぱり変態! 私に看護師のコスプレさせようとしてたんだ!」

 

「いや、あれは娘のであって君に着せるとかそういう目的ではなく……」

 

「娘っ!? 娘にコスプレさせるの!?」

 

「違う、娘の職業だ!」

 

男性の言葉は信じられない。

30代、いや40代辺りだろうか。白髪混じりの髪をボサボサにした風な髪型、ガタイの良さそうな肩の幅広さにしては普通の男の人じゃない。目元はシワが少しできていて妙なオジサンっぽさがあった。

 

「私が寝ている間に診察とか言って脱がせて、色々とえっちなことしたんだ!」

 

「いやね、そんなことしたらあの子に殺され――というか人の話を最後まで聞いてくれ!」

 

もう言いたい放題だ。男性がしたであろう、もとい女の子を睡らせて誘拐したあとの目的を次々に述べていく。私自身、誠に注意されたことでも何通りか答えがある。

そうして罵倒にも近い罵詈雑言、年の割には多いポキャブラリー(犯罪関連)を披露していると、慌てて部屋の扉を開ける女性が現れた。

 

「もうお父さん、何して――あっ……まさかお父さん、今その子に襲いかかって……」

 

お父さん――男性を見てそう言った女性。しかし、部屋の惨状を見ると見る見るうちに顔を青ざめさせていく。

見た目、歳は若干どころか親子の年齢差というのがしっくりくる。

彼女は誰?――否、言葉通りなら男性の娘だ。

しかし、誠の家がああなので信じきれない。もしかしたらこの人は一人目の誘拐された女の子じゃ……似てないし。

そうして思考の深みに入ると自然と落ち着いた。それは目の前で喧嘩する自称親子のお陰なのかもしれない。

 

 

 

 

 

「はぁ……それならそうと早く言ってください。お父さんが警察という職業に託けて、汚職に走ったかと思ったじゃないですか」

 

「いや、ほんとすまん」

 

娘に謝る親というのはとてもシュールな光景だ。しっかり者の娘とだらしない父、この光景は何度も見ているのでなんとなく懐かしく感じる。

 

「本当にすみませんお見苦しいところをお見せしてしまって父が……えっとお名前は?」

 

「ああ、その子は潮留美海ちゃん」

 

「お父さんには聞いてません」

 

また、怒られる父親。私は名前を知られていることに少しの悪寒を感じる。

仕方ないと言うふうに、女性が自己紹介をはじめる。

 

「私は鷹白文香、この情けない父の娘です。父が言った通り私は汐鹿生近くの病院で看護師の見習い…を勤めています。そしてこの父は、こんなのでも警察です」

 

萎縮する父に容赦のない言葉の嵐を浴びせていく。借りてきた猫のように小さい男性は、娘には頭が上がらないようだ。

しかし、ここで問題が発生する。私はなんでこんな所に連れてこられたのか。ここは彼らの家らしく、そしてここは文香さんの部屋らしい。散らかしたことに罪悪感を覚えつつも謝罪すると、文香さんは許してくれた。

それでもどうしてか聞くと、なんでも頼まれたらしい。

 

「文香、すまないが席を外してくれ。今から仕事の話しをするからな」

 

文香さんが扉を出て、ジト目で一度父を見ると扉を閉めた。信用のない父である。

足音が遠ざかり、消えていく気配、それを確認すると男性で警察の彼――鷹白警部は溜息を吐く。

 

「さてと、こうするに至った経緯だがな。もちろん私の依存ではないし、しかし誠君の頼みでもある。恨むなら恨めと誠君は言っていたがな」

 

……誠の?

 

「ああ、警察なのにこんな誤解されることを何でしたかというと……まぁ、誠君には借りがあるし、警察も手を拱いている案件があるからなんだ。そこで頼まれたのが誠君をつけていく女性の保護、薬品の染み込んだハンカチを渡された時は驚いたがね」

 

鷹白警部、彼は誠の知り合いだという。ほら、と警察手帳を見せてくると、それを確認ととったのか男は手帳を懐にしまった。

ごめんなさい、と謝るとあちらも謝ってくる。

しかし、拉致されたのは事実、少し怖かったのは本当で今も身震いさえする。

 

「ふむ……どこから話すかな」

 

男性が困ったように漏らした言葉。

私は身の回りを確認してから、彼に話しかける。

 

「その……えっと」

 

「あ、鷹白警部でいいよ」

 

「じゃあ、鷹白警部さんはいつ誠と知り合ったんですか?」

 

純粋な疑問、彼と誠の知り合う場所など警察署しか考えられない。もしかしたら誠がなにかしたんじゃないかと、凄く不安だった。

誠がそんなことをしないと信じているけど、聞き方を知らない私は少しきつい聞き方をする。

長い話になると、鷹白警部は言った。コクりと首肯すると一旦息を吐いて、彼は話し出す。

 

「確かあれは文香が中学生の頃だったか……」

 

きっと思い出したくないことなのだろう。

鷹白警部の顔が陰り、雲を思い浮かばせた。

 

「私は何人もの犯罪者を捕まえてきた。主に重い罪が多くてね、出所できるような人間はいなかった。私は犯罪者を捕まえる事が正義だと思う熱血主義者でね、報復されようなどとも思ってみなかったよ。

そんなある冬の日、もうすぐ、正月になるくらいか。

私は正月の休みを大晦日から確保するために署に出勤していた。娘は冬休みでね、だがいつものように本屋と図書館巡りに行っていたよ。家には妻が1人家事をしてた。

そしてお昼、娘が家に帰った時だ」

 

言葉が切られ、顔を上げると鷹白警部は表情に翳りを見せて溜息を吐く。気持ちを整理したのか、一息つくと震える声で続ける。

 

「娘の話になるんだが……家に帰ると中で争う声が聞こえたそうだ。ただいま、そう声をかけて母親の返事を待ったが返ってきたのは『逃げなさい文香!』と叫ぶ妻の声。

争い物が割れる音が響き、妻の苦しそうなそれでいて嬌声のような声を聞いて、娘は事態を把握し助けを呼ぼうと震える足で家を出た」

 

怖かっただろう。

 

「性知識に乏しい文香は、本能的に悪寒を感じたらしくてな」

 

必死に逃げて逃げて逃げて、後ろから来ないことを祈りながら走り続けたという。

玄関を出るまで、出ても、安心できなかった。

そうして、一番気になる部分に差し掛かる。

 

「そんな時だ、誠君に娘が助けられたのは。当時の誠君は偶然なのか街にいて逃げるような娘に違和感を感じたらしい。娘も道を歩いている誠君に助けを求めた。

“お願い助けて!”それを聞いた瞬間、物分かりがいい彼は見ず知らずの文香を路地裏の暗闇に隠し、当然のように娘が出てきた家を見た。見ず知らずの子を匿う、そんなこと誰もができることじゃない。

数分後に娘の出た家から出てくる男、そいつは誠君が家の近くで立っていると近づいてきたそうだ。

『いま、君と同じくらいの女の子が走ってこなかったか?』

娘を裏切ることも出来ただろう。しかし誠君は脅されるようなことを言われても、金をくれてやると言われても『それならあっちに行ったよ』と、嘘をついた。誠君と家の位置とは反対だ。

だが男は物怖じしない誠君に違和感を感じたらしく誠君の後ろを覗きこみ、蹲る娘を見つけた。

『なんだいるじゃないか。なんで嘘をついた? ――まあいい、お前には体でたっぷりと払ってもらうからな』

怯える娘に手を伸ばす男に、誠君は問いかけた。

『ねえ、オジサンはこの娘とどういう関係』

『お、親子だよ。なぁ、文香ちゃん?』

本当の事を言ったら、お前共々ガキを殺すぞと目が語っていたらしい。怯えた文香は元々臆病で、巻き込んだことに罪悪感を覚えて、その中で彼が通報してくれることにかけたそうだ。

『…はい』

手を掴まれそうになったとき、もうダメだと諦めた。私も嫌なことをされるんだろう。そう思ったら目をつぶっている時に手を掴まれる感覚の前に、娘は涙を堪えて待ったそうだ。

しかし、聞こえたのはバチバチという弾ける音と男の声にならない悲鳴。そして、優しい男の子の声だったと」

 

 

 

――終わったよ。もう怯えなくても大丈夫

 

 

 

「スタンガン、そんなものを誠君は持ち合わせていたよ。気絶した男を前に冷静な表情でね。自分がやったことに後悔すらしていない、冷酷な刃物のようだった。彼に母親のことを話したそうだが返ってきたのはどうにも煮え切らない返事で『期待しない方がいい』だ。家に帰ろうとする娘に引き止めたが、聞かなくて……娘は最悪の光景を目にしたよ」

 

笑い飛ばすように、無理な笑みを浮かべると鷹白警部は後日談として、文香さんのことを話した。もちろん事後の誠のこともだ。

 

「一番最初の容疑者は誠君だったよ。何せスタンガンなんて物騒な物を持っていたからね。思わず誠君には掴みかかってしまってな。娘に怒られたのを覚えている。次に誠君が気絶させた男でこちらは前科持ち。――私の昔捕まえた、男だった」

 

鷹白警部は寂しそうに呟く。自分のしてきたことがこうも仇になるとは……、正義の自分のせいで、妻を殺したんだと。

私はそこで純粋な疑問が浮かぶ。

 

「文香さんは覚えていないの?」

 

「その記憶は“忘れてしまった”いや思い出せない、封じ込めているというべきか。あの時、ショックが大き過ぎて娘は忘却して記憶を改竄している。自己防衛しなければ心が壊れていたんだろう」

 

付け足すように、小さく笑いながら看護師の制服を見る。

 

「娘が看護師を目指したのも誠君の影響だ。娘は本で読むような王子様に憧れて、本当に現れて、でも覚えているのは海のような青い瞳だけ」

 

その言葉に少しだけほっとする自分がいた。もし知っていれば文香さんは誠と会っているだろう。

 

「さてと、時間だ。そろそろ君を返さないと大事なデートが始まってしまうだろう。娘に送らせるから、聞きたいことがあればどうぞ。ま、娘は名前すら聞いてないがね」

 

時刻は午後2時、約束の三十分はもうすぐ。私は浅い眠りで余り眠らなかったようだ。誠が薬品を調整したのだろうけど、不可解なことに誠の目的は話されないまま。

狐に化かされた気分で私は文香さんと待ち合わせのビルに向かうのだった。




どんどんドロドロ、最初は男女関係をドロドロにするはずだったのに……元はと言えば美海といちゃつくだけのモノを作りたかったんだけど。
どうしてこうなった……。
ストーカーする美海、後ろをこっそりつける姿は見てみたいですね。と、何げにオリキャラの設定を暴露する回。
これも誠君の思い出……重すぎるだろ。

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