side《チサキ》
私は知ってしまった。誠が隠そうとした真実を、誠のお父さんが狂った事実を。
元々、私はおじいさんのお見舞いに来ていた。看護学校の帰りに様子を見に行って、美和さんと一緒に帰るのが週間になってしまった私は、いつも通りに。
『私、そろそろ帰るね』
その週間も借金がなくなって必要なくなった。そう言って帰ろうとしたとき、おじいさんは私を引き止めた。
『待て、もうすぐ誠が来る……せめてお前だけでもあいつの想いを知っておけ』
誠が来る? 私も誰も紡君のおじいさんが入院したなんて話はしていなかった。なのに、おじいさんは気になることをいう。
『あいつの想い』
その言葉に惹かれたんだろう。誠は何時も一人で何かをしようとしていて、私達は何も知らないまま誠に助けられている。
誠の本心を私は知らない。だから、誠のことを少しでも知りたかったのかもしれない。
私は促されるままに隣のベッドの上に乗り、カーテンを締められてその時を待った。
誠が来たのはその数分後、いやその前に誰かが来た。聞いてみると懐かしい声で、前院長だと理解するのに数分もかからない。
『木原さんの病室はここですかな?』
『あぁ、そうだ』
『ふむ、あなたも誠君の知り合いですかの?』
『なるほど、誠に呼ばれたのか』
何を言っているのか、誠が呼んだ? 院長とおじいさんを?
私はこの状況がわからずに動揺する。いったい、なぜ前院長が誠に呼ばれてやってきたのか、それがわからない。
それから数分もかからないで誠がやってくる。ガラガラという引き戸の音、二人の足音に先にいた老人二人が挨拶をした。
そこから聞いたのは地獄のような話だった。
誠のお父さんが狂った原因、死んだ理由、どれも理不尽なものばかりで、挙句の果てには美和さんは計画されて付き纏われていたなんて……
私たちを苦しめたのは誠のお父さんじゃない。現院長が問題なんだって、初めて聞かされた。
――そして私は、開けられたカーテン。おじいさんの座るベッドの隣のベッドの上に、泣く事しかできない。
「もう…終わったんじゃなかったの…?」
「チサキ……」
誠は私を見て動揺していた。
初めて、彼は目に見える態度で驚いてみせた。
そう――“初めて”
私は誠が本気で狼狽えたところなんて見たことがない。彼の泣く姿なんて見たことがない。彼が家族と一緒にいるところなんて一度もだ。
思えば、彼は独りでいることが当たり前のように生きていた。独りで出来る、何時だってそうして彼は助けを求めようとしなかった。
私達といるときもどこか境界線を張っていて、本当の意味で分かり合えたことはないのかもしれない。
だから私は、涙混じりの声で問い掛ける。
「どうして……誠はどうして、素直な心で向き合ってくれないの。どうして怒らないの? お父さんが殺されたんだよ、それなのに誠は――」
言ってみれば妙だった。誠のお父さんの所為で大変な目にあってきたのに、それと同時に誠のお父さんが私を引き取ってくれたから私は今生きている。
誠の代わりに怒って、泣いて、……ううん違う。
私はそれを知ってもなお、怒らず、泣かない誠に腹を立てているんだ。
「……親父のために泣いているのか?」
違う。そうじゃない。
「……美和さんか?」
違う。私が聞きたいのは、そんな言葉じゃ、答えじゃないのに……。
お手上げだ、と誠は頭をかく。そうしながらも頭を必死に働かせて、考えているようだ。
でも、誠の思考では絶対に辿り着かない。誠は他人のことは考えるけど自分の事は考えない、そんな性格だからこそ、自己犠牲のような他人優先の考え方を持っているからこそ、無理だった。
ここで誠は私の一番聞きたくなかった言葉を口にする。
私のことを知っていれば、出ないはずの答え――
「そうか……そうだよな。ごめん。辛い目にあってきたのはチサキだよな。それが仕組まれていたんだとしたらしたら、余計に悔しいよな」
私に謝り、頭を下げる誠。
私は謝って欲しかったんじゃない。ただ、誠の為に何かがしたいから、誠の支えになりたいから。
辛い目にあったのは私じゃない。身内を家族を殺された誠の本心が知りたかった。怒って欲しいわけでも、泣いて欲しいわけでもない。
それなのに、どうして誠は……こうも他人の心配ばかりしているのだろうか。
ベッドから降りて誠の目の前に。頭を下げている誠には脚しか見えていないだろう、それでも頭を下げ続ける誠に私は――
「……チサキ?」
――精一杯、彼を抱き締めた。
抱き締められた誠の顔は私の胸に圧迫され、そのまま沈み込む。
それでも、彼は動揺しない。
――私に魅力がないから?
ううん、誠はこんなこと程度で動揺するはずもない。
平然と誠は抜け出そうとするも、私は離さないように強く抱き締める。
「そろそろ、離してくれないか」
「……嫌だよ」
誠が逃れようともぞもぞ動き、擽ったい感覚が胸から伝わる。変な声を出しそうになるけど、耐えて抱き締め続けた。
頭を捻り、身体も捻る。
その感覚が酷くもどかしい。
捻るだけの行動は私が抱き締めている所為で、頭を擦りつけられているようだ。
離れようとする誠に、私は力をさらに強くした。
昔は誠の方が強く、私はどうしても勝てる筈がない。この五年の所為で私は誠より大きくなり、大人になっていく最中で体格差が出来たのもわかる。
それでも誠は――私は成長した筈なのに、どうしても大きく見えた。望んで成長したわけじゃない。みんなで一緒に大きくなりたかった。
私がこうして独り成長しても、やっぱり誠には届かなくて遠いことがわかる。
どうして……私は成長した筈だ。成長することを拒んでも逃れられなくて、停滞していたのかもしれないけど誰よりも変わったと思う。
なのに誠は届かない。いつも見上げれば、手を伸ばす方向には誠がいて、成長しても届かない程遠いところに誠はいる。
……ううん、違う、そうじゃない。
誠は高いところじゃなく、隔離したような孤独の中に身を潜めているんだ。
外界から隔離して、自分というものを客観的に捉え、まるで自分が自分ではないみたいに外側から見ている。自分を自分から外して、人形のように動かす。
――自分とは捉えない。そう捉えていても、まるでゲームをしているみたいに自分を一つのプレイヤーとして操作する様は、自分ですら駒とする傀儡師。
こうして誠は……感情を捨てていた。操作するのは自分でも自分は自分ではない。
誠がいくら操っていても、感情を殺しても、何処かでエラーを起こして、自分を写し表に出すこともあった。だから私達は誠の違和感に、気づかなかった。その時は本心が隠れることなく現れただろう。感情的に、そうなる時は大抵誠が表に出た時だ。
「……ごめんね誠。誠の時は、私達よりずっと前……あの時から止まったままだったんだね」
誠が力なく腕を垂らす。傀儡が解かれたように、糸の切れた人形のように足掻くのをやめた。
そして――
「…………もう限界」
――私は誠を圧迫していたことを忘れていた。
力なくした誠は、胸に埋もれている。
どうやら柔らか過ぎたらしく……見事に、誠の口を塞ぎ鼻を塞ぎ息を止めさせていた。
「ああっ!? あっ、ごめん、誠!?」
多分、幼い頃の、五年前の私なら解らなかった。
皆といた私には、わからない――……。
あの場所から離れて初めて、私は誠を知った。
□■□
ザクりッ――――……。
チサキの言葉が、心にナイフを突き立てる。ナイフに例えたそれは鍵のように、心にすっぽりと、穏やかな感覚の中で痛みを伴いすんなりはまった。
――痛いのに
――何故だか、落ち着く
開けようとされる鍵――錠のかかった扉をチサキが開けようとして、俺は抗う。
昔の話だ。俺は母さんが居なくなった時に、既にその時点で自分の心に鍵をかけた。
泣くこともなく、母親の死体を見て、親父が泣き崩れる姿を見て、ただ傍観していた。この頃には既に俺は自分というものを封じ込めたのかも知れない。
自分でも気づかなかった。鍵をかけることは自分の意思でもなく自動的に防衛本能がかけたのだろう。
まぁ、その扉も一度だけ、開いてしまったが……。
母さんは少し強引で自由な人だった。だからかミヲリさんにも心の扉を一度開けられたのだ。ミヲリさんは似ていたから、心が引っ張られたんだろう。
そして今も……チサキは変わらず、時に強引になることがある。優しい人。母性があるというか、昔はマナカの姉のように見えた。二人は姉妹みたいで、その光景が眩しすぎて羨ましくて。
今ではそれが“母性”となり、俺の心を引っ張る。
包容力のある人と言えばいいのか、昔からチサキは変わらない。
……変なところでぬけていなければだけど。
現に母性の象徴で死にかけた。抱き締められるのは構わないが、加減を知って欲しい。血が足りていないのも影響してか危うく昇天するところだった。
どうやらチサキはいろんな意味で成長しているようだが昔から変わらない。
「ご、ごめんね誠」
病院からの帰り道、美和さんとチサキ、二人と肩を並べて帰っているとチサキは謝る。身体のことを心配しているのか、若干暗い顔で。
「気にするな。けどな、抱き締めるのは極力止めてくれ。君は女の子だってわかってるのか? ……もう少しで取り返しのつかないことになるとこだったぞ」
「取り返しって……ぁ」
復唱しチサキは顔を真っ赤にする。
事実、俺も男性だ。少しは思うのも無理はない。
……胸に埋もれて死ぬのはああいうことかと悟ってしまったのだが、狭山と江川の言っていた意味が……理解したくなくてもわかってしまった。
美和さんが不思議そうな顔でチサキを見て、次に俺に視線を向ける。なんだか視線が痛い。
ずるい、とでも言うように美和さんは抱き着いてきた。
「私はいつでもいいからね♪」
精神力をガリガリと削るのは辞めてほしい。
するとチサキが、反対の腕を取った。
「ダメですよ美和さん。誠はさっき倒れかけたんですから自重しないと……」
自分のことを棚にあげてチサキが微笑みながら美和さんを牽制する。
さっきの瀕死は非常にまずい、主に鍵が外れかけていることと、一つ目の鍵が外れてしまった事。
どちらも俺にとって良くないことだらけだ。男にしても良くないことだらけで、今すぐここから逃げ出したい。
サヤマート付近に差し掛かったとき、美和さんが立ち止まり、同時に俺の腕が引っ張られる。チサキもその反動を受けて軽く引っ張られ、止まった。
「ねえねえ、誠君これみんなで行こうよ!」
「夏祭りですか……」
小さな町の掲示板――『夏祭り』とデカく書かれた紙が1枚張り付けてある。質素な割に目に入りやすく、黒い夜空のデザインが目を引き付けた。
美和さんはこれを見て、目を輝かせている。子供みたいにはしゃぐ姿に、なんだか心暖かくなった。
「俺行きませんよ……」
もしかしたら、美海に会ってしまうかも知れない。
それ以前に気掛かりなことがある。
確かこの祭りは赤城さん――即ち、赤城さん率いるヤクザの皆様方が主催する催しだ。地域関係を良くしようとする心意気を買わないことはないのだが、四年前からお船引が無くなって始めたらしい。
俺も誘われてしまったがために行かなければ、と思う反面この人を連れて行って大丈夫かと心配だ。
美海も来そうだから行きたくないのだが、一応は対応策も考えてある。
「……そっか。じゃあ、私もやめる……」
「え? 美和さんだけでも美空と行ってくればいいじゃないですか。チサキも連れていってください。俺はやること沢山あるん――ッで!?」
落ち込む美和さんにそう言うと、ぐいっと腕が引っ張られる。俯く彼女は頬に一雫の輝きを見せ、強く腕を抱き締めていた。
……グサリと心臓辺りに何かが刺さる。刺のような何かは簡単に沈みこんだ。
「……わかりました。行きますよ」
「えへへ、やったぁ♪」
聞くと同時に誤差無しで喜び、更に胸を押し付けてくる。
豊満な胸は柔らかく、腕に力負けして形を変える。腕に押し付けると同時に柔らかく跳ね返るわで、自己主張するように地球の引力によって戻ろうとする。
つまり、こちらから腕を押し付けなくても、相手が胸を押し付けなくても、自動的に腕を取るとこうなってしまうのだ。
「ねぇ誠、変なこと考えてない?」
「反発力と重力について考えていたとこだ」
「……ん〜どういうこと?」
知らなくていい。チサキが妙に勘ぐってくるも、その視線は美和さんの腕と胸、俺の右腕の丁度中間地点を捉えている。
今から数日後に行われる祭りの話題に花を咲かせ、チサキのじと目を天然でかわし美和さんは子供のようにはしゃいでいた。
なんでだろう……最近、誠がよく死にかける。
誠の弱点――女の涙、最強の兵器である。
押しにも引きにも弱い誠。
チサキさん、なんだか母性が見えるのは気のせいだろうか。