凪のあすから ~変わりゆく時の中で~   作:黒樹

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第四十二話 抵抗の末

 

 

 

気まずい。ひじょーに気まずい。

トントンと野菜を切る音が木霊する中、背中には3つの視線を受けていた。それぞれ視線の意味合いが違うが、どれも似たようなものである。それを気にしない為にわざとまな板と包丁のぶつかり合う音を大きくしている。

野菜を鍋に放り込み、茹でる。味噌汁の具材はキャベツ、大根、人参、ジャガイモ、椎茸、豆腐、ほうれん草。

これで精一杯だ。なんとこの家にはまともな食料がなく、当然ながらこんなものしか作れなかった。借金をしていたから当然だろう。しかし、こんなもので栄養などが偏らないようにしないと工夫するのは大変だ。腹も膨れないだろうし。

 

今朝の話、最後の貯金を卸した俺は取り敢えずサヤマートに駆け込んだ。値切りに値切りまくって、できるだけ金がかからないようにした。米は買えたし、結果は上々と言ったところだ。

あとは海で魚を狩り、結果、朝食はできたわけだが。その全てが美空に監視されていた。……逃げないように。

 

「はい。できましたよ」

 

「わぁ、誠君の手料理だー♪」

 

「まさか、誠がここまでできたなんて……」

 

「兄さん、凄いです……でももう包丁持ったらダメですからね?」

 

ちなみに、起きてきた美和さんが料理を作ろうとして手を切るという事件が起きた。多分、料理はできるけどこの人は下手なんじゃないかと思う。

美空は美空で俺の流血を気にするし、料理は自分でやるとかいうから、ひと悶着あった。

 

「それで、兄さんは今日どうするんですか?」

 

食べ始めて数分後、美空がそんなことを聞いてくる。

実際、それについては考えていた。

美空につく悪い虫を排除するもよし、チサキの通っている学校に観察しに行くもよし、そして……あの院長の裏事情で証拠を抑えるもよし。

例えば、美空と同じ学年に復帰して勉強すればいいのだがそれは全てを終わらせてから。だが、この時期には戻らないと勉強にはついていけないだろう。丁度、眠りについた時期と被るし勉強の範囲もそれ程違わないだろう。

 

「悪い、今日は病院行くわ」

 

「えっ……兄さんどこか悪いんですか?」

 

心配したように聞いてくる美空、そういうことにしておいた方がいいだろう。

今からやることには関わらない方が身のためだ。

期待していたところ悪いが、まだ終わってない。

何よりいい病院を作るためだ。誰もが安心して診察を受けられるそんな病院に……美海も美空も、一番近い病院があそこなのだから。

 

「まぁ、ちょっと血を流しすぎたというか……うん」

 

「……ごめんなさい、兄さん」

 

今朝のことを思い出したのか、美空が俯き悲しそうにする。

それを見て、美和さんが腕に抱き着いてきた。

 

「えへへ、大丈夫だよ。誠君はちゃんと病院に連れていくから!」

 

グッと拳を握り天然か策略か美和さんは嬉しそうに豊満な胸で腕を圧迫し頬を緩ませていた。朝のことを知らない。

俺が病院に行くのが嬉しいのはわかる……が、病人になることを喜ばないで欲しい。

美空の謝罪の意味に気づくことなく、ただ『学校に誠君が行かない事が残念なんだろうな』と解釈したのだろう。

しかし、美和さんの行動を良しとしないものがいる。美和さんの行動に著しく反応し、二人は即座に行動に移した。

 

「ママ、くっつき過ぎですよー?」

 

「美和さん、誠は怪我人ですからね?」

 

二人の威圧が凄くこっちまで巻き添えをくらう。

美和さんはこてんと首を傾げる。

 

「えー? 親子なんだからいいでしょこれくらい。気にしない気にしない♪」

 

なんだろうな。美空とチサキは笑顔を浮かべているのだがその視線は俺に。もはや優しさなど感じない。

背中は汗が吹き出て、冷たくつう――っと伝う。黒い笑は僅かに心に突き刺さった。

それに――と美和さんは続ける。

 

「わたし、誠君のこと好きだもん♡」

 

「「…………」」

 

ピシリ、と空気に亀裂が入った気がした。二人の視線は冷たくなり、尚もいや先程より鋭い凶器となって俺の心臓を刺す。

何を言ってんだこの人は、自分の立場をわかっているのか!?

親権を渡した覚えはないが、仮にも親って自分で公言しておいて、……とにかく二人が違う解釈をすることを祈るのみで内心焦っていた。

 

甘ったるい猫撫で声で美和さんは今も抱き着いてくる。さながら甘えてくる小動物。つい無意識にも手が伸び頭を撫でると、より嬉しそうに抱き着いてきた。

同時に視線まで厳しさを増す。

 

「ママ……まさか、そう言う事ではありませんよね?」

 

「ん〜? そう言う事って?」

 

さすが天然、上手くかわした。

行動に精神年齢を疑うが、この際どうでもいい。

いや良くない。普段の美和さんがどんなのか知らないから、余計に危機感が増す。

それも、簡単に解放されることになった。

 

「……昨日、何かしましたか?」

 

美空もチサキも俺が同じ部屋で寝ていたことを知っているのだろう。

もちろん、美空の想像することは何もないが……。

 

「ほぇ? 誠君にキスして告白しただけだよ?」

 

「兄さん……」

「誠……」

 

天然か、暴露する美和さんに何言ってんですか!?と視線を送るが何ととったのか、微笑み返される。

美空とチサキは目が笑っていない。

 

「「どういうことか説明してもらいましょうか(おっか)?」」

 

 

 

 

 

◇◆◇◆◇◆

 

 

 

side《美和》

 

 

怖かった〜〜〜!

 

誠君は誠君で凄い怒られてたし、質問攻めにされてたし、私は私で美空にお説教をくらった。

なんでだろうね? ホントのことを言っただけなのに……でもちょっとだけ残念だ。

『で、告白の返事は兄さんはどうしたんですか?』

誠君は答えてくれなかった。私達を大事に思ってくれているからふることも、応えることもしない。傷つけたくないから、そうやって凌いでいる。

私は誠君が好きだ。でも、誠君の心の針は美海ちゃんに向いていることを知っている。昔、美海ちゃんを病院に連れてきた時には気づいていた。誠君は病院に来れば医療のことを聞く以外に私から私生活を聞けば、大抵は美海ちゃんの名前が出てくる。

 

それでもいい。私はそんな好きでも表に出そうとしない、平行線の上を歩いていく姿も、好きだから。

どうやら彼は奥手なのか、怖がりなのか、人間関係になると必要以上に慎重になる。美海ちゃんに対しても今だ告白せずに停滞して、誠君の幸せを願う私としてはもどかしい。

 

私達は美空の説教とチサキちゃんの赤面を見たあと、二人で病院に向かっていた。

白く清潔感を漂わせる外壁、何時も通りの自動ドア、シンボルである赤十字、人で溢れるエントランス、行く道の人々が私達に視線を向ける。その視線は珍妙なものを見ているようだ。

釣り合わない年齢、雰囲気、私の様子と誠君の様子に様々な憶測を立てる。カップルだとか、親子だとか、姉弟だとか、夫婦だとか。傍から見たら私が誠君に腕を組んでもらっているからそう見えるのだろう。実際、大抵は顔を見たあと手の位置に視線が動く。たまに胸に視線がいく人がいるから不愉快だ。

エントランスから直接、ナースステーションへ。そこには私の様子にピクリと反応する私と同じ看護師達。

 

「おはようございま〜す♪」

 

「あらあら、美和さんと…………誠君よね??」

 

「うそっ、誠君だ」

 

「みんな、誠君も来たわよ」

 

挨拶をすっとばしてたくさんの同僚に囲まれる。みんなの視線は温かく、同時に好奇心もあった。

良かったわね、と異口同音に歓迎される。中でも誠君は看護師達と昔から仲がいいから、すぐに打ち解ける。この五年で増えた看護師も少なからず興味はあるようだ。

 

「……美和さんの彼氏さんですか?」

 

彼女にはどういう風に見えたのだろうか。誠君は中学生と言えど、高校生で通じるくらいの雰囲気がある。背も中学生の中でも高いほうだ。

さらに追加すると、腕を組んでいるため、そう見えないこともないらしい。

 

「う~ん、違うよ?」

 

煮え切らない答え、私もそれだと嬉しかったんだけど誠君はあははと笑いながら頬をかいた。

見慣れない顔に誠君は笑顔を浮かべると、普段は元気のない彼女――鷹白文香、チサキちゃんの通う看護学校の先輩でチサキちゃんともある程度仲が良かった。中でも私達の事情を理解していた、内気だけど優しい娘。

――彼女に手を伸ばして、握手を求める。

ビクリっと肩を震わせると、彼女は恐る恐る手を差し出した。普段は人見知りで男の人が苦手。だから最初は看護師になることを疑問に持つ人もいたが、何か事情があるのだろうと踏んでいた。

誠君はその様子に戸惑うことなく、微笑みかけて彼女を安心させるように手を握った。

 

「初めまして、長瀬誠です」

 

「……あの初めまして。チサキちゃんから話は聞いて……そのよろしくお願いします」

 

メンタリスト、そんな言葉が似合う。誰でもその心を掴み理解しカウンセリングができる。誠君はカウンセラーのような雰囲気がある。

……美海ちゃんに関しては無力だけど。

どれだけ観察眼に優れていても、恋にはやはり苦手意識があるのか。今の状態がそれを表している。

そこで看護師さん達が余計なことを言いはなった。

 

「彼女、看護師見習いだから、例によって相手をお願いね誠君?」

 

丁度傷だらけだし、そういう看護師長の笑には少し同情が含まれていた。

看護師見習いは注射など、する時があるためその練習を医者にお願いする。しかし、ここでは毎年のように彼が志願してくれるのだ。

そして……彼女――相当などじで実験台が痛い目を見ることになる。何があったかは言わないでおこう、彼女の名誉のためにも。そんな彼女の注射は受けたがる人もいなく、最初は可愛いからという理由で受けていた人も恐怖するようになった。

ちなみに、最初の頃は私も誠君にお世話になっていた。その時も練習台がいなかったのを覚えてる。寄ってくる人も数日後には居なくなった。当時の院長と誠君以外。私が練習の件を出すとすぐによっていた人も散るから、虫除け程度にはなったけども。

 

だから少し共感できるところはあるんだけど、なんだか不安だ。

戸惑い気味に、文香ちゃんは誠君を見つめた。

 

「えっと……よろしいんですか?」

 

「ああ、引き受けるよ」

 

二人して早速、裏手に消えていく。使っていない部屋はナースステーションの裏、これから起こることに私は不安だ。

 

「大丈夫かな……」

 

「大丈夫だよ……多分」

 

自信なさげに答える同僚、その視線は哀れみを含み、これから起こることを予想しているようだ。

実際、私は一度引き受けたが……結果は残念にも、腕が赤く腫れて後に青白くなり、治すまでに時間がかかった。もの凄く痛くて泣きそうになったり、半分涙目になったのを覚えている。確か私の時も看護師が同じ表情を――あぁ、誠君はあんな痛いのを何度も耐えてくれたんだ。

 

ものの数秒で、文香ちゃんの慌て声がナースステーションまで聞こえてきた。

 

――パシンッ!

乾いた音が響く。

 

「あ……そう言えば、男の人が苦手なの忘れてたわ」

 

文香ちゃんは男の人と二人きりになると、取り乱すという癖がある。だから何時もは看護師が一人つくのが定石でそれを義務づけていた。

文香ちゃんのビンタはなかなかに痛い……らしい。その虜になる医者もいるとかいないとか。

数分後、謝り続ける文香ちゃんと誠君が出てきた。

 

 

 

□■□

 

 

 

仕事も何時もより早く進んだ気がする。借金がない分気が楽でそれが原因かも知れない。なにより、もうあの院長の言いなりになる必要はない。

昼食を誠君と一緒に食べたり、文香ちゃんとコミュニケーションを誠君がとっていたり、やはり優しい誠君は昼食が終わってから何度も注射されていた。

さすがに申し訳ないと、誠君の腫れた腕を見て文香ちゃんが自粛すると誠君は食い下がらない。確か私の時もそうだった気がする。昔から変わらない優しい子なのだけど、それはそれで不安だった。

誠君の諦めの悪さと文香ちゃんの謙虚さはどこまで行っても平行線を辿る。

 

微笑ましくも懐かしい光景に和んでいると、ナースステーションにコール音がなった。内線の呼び出し。文香ちゃんが電話を取ると、慌てて私の方を見る。

 

「あの……また、院長の呼び出しです。美和さん」

 

毎度恒例となった、重苦しい空気。文香ちゃんは院長が何をするか知っているのだろう。表情には影が差し、先ほどの柔らかく少しは誠君に打ち解けていた空気も消えている。

 

「ん……わかったよ」

 

普段の私なら、落ち込んでいただろう。

でも、今回からは――私は違う。例え解雇されてももう心配することはない。

就職先は決まっていないけど、なんとかなる。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

「あ……待ってください。飲み物買いに行きますので、途中まで一緒に」

 

立ち上がると誠君も椅子から腰を浮かした。

なんだろうな……本当は不安だった、それなのに誠君が途中までついてきてくれる。勇気を貰えている気がして、嬉しくて今から嫌なところに行くのに表情が緩んでしまう。

 

私は誠君に手を差し出すと彼は自然に手を握る。文香ちゃんに大丈夫だよ、そう示すと頭を下げられた。

ナースステーションから出て、廊下を歩く。ナースステーションから少し離れたところにそれはあった。

重苦しい扉、両開きのそれは今も誘い込むように佇んでいる。

 

「じゃあ、行ってくるね」

 

私の声は震えていないだろうか?

早まる心音に、誠君の手を握ると離す。

誠君は不意に手を私の顔に伸ばし――と思ったら、看護服、首元を触られる。

 

「襟、乱れてますよ」

 

「あっ、うん……」

 

何と言う不意打ち、危うく抱き着くところだった。

なんだろう、ちょっと期待した私が馬鹿みたいだ。

襟を誠君が直すと誠君はすぐに手を離した。

 

そっか……知らないもんね。

 

院長のことなど一度も話していない。慰めて、勇気をちょうだい、そう言いたいけど言えない。

誠君は襟を正しても立ち去らなかった。その姿に心の中で『ありがとう』とお礼を言う。

誠君が立ち去らないまま、くるりと回って院長の部屋の扉を開ける。何時ものパスワード。院長と一部の人間しか入れない扉の向こうに、私は後ろ手に扉を閉めた。

 

「よく来たね。待ってたよ!」

 

目の前の高そうな席に座る男が声を弾ませながら、私を迎え入れる。

私は警戒しながら彼を見た。もうこれ以上触られる必要もない。耐える必要もない。椅子から重そうな腰を浮かして近づいてくる院長、彼は何時も通りに私の横に来ると手を伸ばして――

 

「っ!? なんのつもりだね?」

 

その手を私は叩いた。

驚く院長はこちらを睨む。

『解雇してもいいんだぞ』そう目が告げていた。

あぁ、今までこんなのに私は怯えてたんだ……

 

「院長、私はもうあなたの脅しには屈しません。解雇したければご自由にどうぞ」

 

こんな病院、こちらから願い下げだ。

呆然とする院長を尻目に、部屋から足早に出ていった。




誠は実は身長が高い。
アニメでは、美海は158cmだったはず。
そこで気になるのが、チサキの身長……頭一つ近く光より高かったはず。
5年ってすごいね。

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